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2024-10-31

anond:20241031114811

そうなんやて。玉木は役人出やから

細かすぎて伝わらない。

消費税減税を取引材料しろ

anond:20241030224643

犯罪件数は右肩下がりで一度も上がったことないよ

ソース警察白書とか犯罪白書でしょ?

爆笑

 

えとね、これ全然アテにならないんだわ、捏造数字操作が酷すぎて。

 

長期の推移データを見てご覧、なんかおかしくない?

2003年付近ピークにそこから激減してる。

 

その頃そんなに治安悪かった?政情不安とか経済不安とかあった?

民主党勢力拡大で絶頂期を迎えようとしているイケイ時代なんだけど、

この時民主党刑事政策において一つのテーマをぶっこんできた

 

警察被害届の不受理やめぇや

 

当時少し社会問題になった、警察被害届を出しても受理してもらえない

警察名目犯罪検挙率を上げるために母数となる認知件数を下げる事に注力してた

要するに逮捕のアテがあるもの、立件の目処が立ちそうな事件しか被害届受理しない

まり認知件数カウントされない。これをやってた

民主党がこれをやめろと

 

で、国会問題になり、結果として全件受理通達された

 

で、認知件数が爆上がりした

この通達役人用語的には「適度に認知件数を積み増ししろ」と解釈されます

行政とは何事も数値目標なのです。EBPMです。

 

で、民主党与党時代を経て自民党に戻るわけだが

全数受理はいつの間にか忘れ去られ検挙競争に戻った

統計数字上の検挙率が上がったほうが国民ウケはいいか

受理運用に戻る

ど うでもいいような事件被害届受理されない、犯罪統計に乗らない

罪名別の認知件数の推移を見てご覧、異常だから

殺人事件はさすがに隠蔽できない、不受理ってわけにはいかない

からこれはさほど変化は無いのよ

 

ところが器物破損横領などのもともと件数が多かった種別が激減してる。

かつ、被害届リジェクトやすものほど大幅に減ってる。

そして全体として犯罪数が減っているように見える

 

ところが、一般市民警察犯罪被害を訴え捜査をお願いしてもほぼ断られるのが現実

から単純犯罪や粗暴犯は急激に増えてる

しか警察被害届を出しても無駄からさない、諦め

 

結果として体感治安悪化

 

警察統計上は良化していると誇るがね、ただの粉飾です

2024-10-30

anond:20241030175012

ジジババとやる気のない役人が上質な投票会場だよな

海外機関から日本が責められている場合日本バカ役人とか日本のクソ左翼が入り込んで虎の威を借りる狐として無茶苦茶やってないかまず確認してからことに当たらないといけないのめんどくさいよな

今回はクソ左翼だし

IMFの時なんかはバカ財務省だった

そういう感じの時ははいはいワロスワロスって流さないといけなくて、うかつに対応してしまうと実際の海外からなんでそんなへんな対処をしたのか奇妙に思われてしま

2024-10-27

投票時間繰上に文句言う奴へ

Xで話題になっている読売新聞記事。それとX上の反応を見て暗澹たる気持ちになったので記す。

投票所「夜8時まで」は立会人負担…きょう4割で早じまい、経費節減も」

引用元読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20241026-OYT1T50085/

なお、これは今年基礎自治体から広域自治体転職した1人の地方公務員の考え方だし、サンプルもn=1なのでそこは差し引いて読んでくれ。

しかも、選挙管理委員会に配属になったことはないので、ちょっとズレたこと書いてるかもしれん。

Xで主に言われている感想

・こんなに大急ぎで違憲解散選挙やって、自分達の旗色が悪いから「投票所早く閉めちまえ」って圧力かけた

政党が全国の市区町村に直接「投票時間を短くしろ」なんて圧力かけるわけないだろ。

・まっとう感覚なら「急いだ日程で申し訳ありません」と言って投票所やすとこでしょ。よりによって『経費削減』だよ。庶民に関わることは全部経費削減なんですよね。

→さんざん行政効率化を、費用対効果を、民間意識を、って言ってきたのに、選挙だけそれの範疇外になる理由は何?投票所は日頃から市区町村選挙管理委員会選挙人名簿に基づいて偏りが起きないように場所を決めてるんだぞ。選挙人の人数が変わらないのに増やす必要ないだろ。

民主主義の根幹を揺るがす

投票時間を1~2時間早めたところで民主主義の根幹は揺るぎません。平成9年頃までは期日前投票もなかったし投票時間も18時までだったけど、民主主義崩壊なんてしてなかったぞ。

投票されると困る人がいる。投票率が上がると困る人がいる。

根拠不明です。妄言と変わりありません。

・「法定」の投票時間だろ

→「法律」に基づいて繰上は可能です。

公職選挙法抜粋

今回のことで話題になっていることに関連しそうな条文をピックアップするぞ。

全文読みたい人は e-GOV検索してくれ。

投票管理者

第三十七条 各選挙ごとに、投票管理者を置く。

2 投票管理者は、選挙権を有する者の中から市町村選挙管理委員会の選任した者をもつて、これに充てる。

(~略~)

5 投票管理者は、投票に関する事務担任する。

6 投票管理者は、選挙権を有しなくなつたときは、その職を失う。

(~略~)

投票立会人

第三十八条 市町村選挙管理委員会は、各選挙ごとに、選挙権を有する者の中から、本人の承諾を得て、二人以上五人以下の投票立会人を選任し、その選挙の期日前三日までに、本人に通知しなければならない。

2 投票立会人で参会する者が投票所を開くべき時刻になつても二人に達しないとき又はその後二人に達しなくなつたときは、投票管理者は、選挙権を有する者の中から二人に達するまでの投票立会人を選任し、直ちにこれを本人に通知し、投票に立ち会わせなければならない。

(~略~)

4 同一の政党その他の政治団体に属する者は、一の投票区において、二人以上を投票立会人に選任することができない。

(~略~)

投票所

第三十九条 投票所は、市役所町村役場又は市町村選挙管理委員会指定した場所に設ける。

投票所の開閉時間

第四十条 投票所は、午前七時に開き、午後八時に閉じる。ただし、市町村選挙管理委員会は、選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別事情のある場合に限り、投票所を開く時刻を二時間以内の範囲内において繰り上げ若しくは繰り下げ、又は投票所を閉じる時刻を四時間以内の範囲内において繰り上げることができる。

2 市町村選挙管理委員会は、前項ただし書の場合においては、直ちにその旨を告示するとともに、これをその投票所投票管理者に通知し、かつ、市町村議会議員又は長の選挙以外の選挙にあつては、直ちにその旨を都道府県選挙管理委員会に届け出なければならない。

※ちなみに東京特別区は第二百六十六条において市の規定を準用することになっている。

そもそも選挙時間は誰が決めているのか

公職選挙法記載のとおり、投票時間市区町村選挙管理委員会が「選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別事情のある場合」に、法律規定範囲内で時間を変更することができる。

分かりやすいのは離島の例だろう。

例えば、開票時間に間に合わせるためには18時に出発する船に投票箱を乗せなければならない。そのためには16時に投票を締め切らなければならない。

という理由であれば理解されるだろう。

では、今回の経費節減のための投票時間の繰上は「投票に支障を来さない」自由なのか。

個人的見解だが、この程度も認められないのであれば、選挙制度は近い将来音を立てて崩壊するだろう。

このように法律で「市区町村選挙管理委員会」が投票時間の決定権を持っており、そこには国の役人政治家意見を挟む余地はない。

政府圧力投票時間が短くなったと声高に意見をする人がいたら、それはただの「陰謀論に騙されやすい人」である。付き合い方を見直すことをおすすめする。

時間帯別の投票

件の記事で取り上げられていた宇都宮市の例を見てみようと思う。

過去時間帯別の投票状況はHP掲載されている。

https://www.city.utsunomiya.lg.jp/shisei/senkyo/1027895/1027904.html

グラフだけなので細かい数字は分からないが、令和3年度の衆議院小選挙区時間帯別投票数を見ると、ピークの1011時では20,000を超える投票がある一方、19時~20時は5,000を切っている。4分の1以下である。18~19時と比較しても半分程度の投票である

単純に考えて、時間帯によって投票所運営コストが4倍以上かかっているということである

自分従事していた投票所もだいたい同じような状況だった。酷いときは1時間あたりの投票者数がピーク時の10分の1程度のときもあった。

事務効率化、行財政改革が叫ばれている中、選挙けが改革から外れる合理的理由があったら教えてほしい。

事務従事者の負担

また、記事においては立会人負担についても言及があった。

ここでは立会人だけでなく事務従事者全体のことを考慮して記載する。

投票所における事務従事者は最低でも次に挙げる程度は必要である

投票所によるが、だいたいこれらの人員が、準備片付けも込みで午前6時から午後9時まで15時間拘束される。

以前の勤務先では、選挙管理委員会職員と、選管応援の総務系職員を除いて、投票従事者と開票従事者は分けられていたので、これまたXで話題となっている「6時~27時勤務ののち、翌8時半から常勤務」といったことは経験がない。

ただ、小規模自治体の話を聞いていると、投票事務開票事務兼務があるようなので、マンパワーが少ない自治体ほど厳しい状況に置かれてるのかもしれない。

以前の勤務先では15時間投票所勤務をして、主事級の日当が3万弱~3.5万弱だ。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは自由だが、「この金をもらえなくていいから、許されるのであれば選挙従事したくない」というのが市区町村職員の主流意見じゃないだろうか。同業者意見ヲ求ム。

自治体によっては日当じゃなくて時間対応という神みたいなところもあれば、週休振替という地獄煮凝りみたいなところもあると聞いた。

主な負担

選挙事務は、市区町村職員のほぼすべてが何かしらの形で関わる上に、派遣アルバイト)も入れている。

このうち投票管理者は、投票事務をよく分かっている人でないといけないため、大抵は市区町村職員が割り当てられる。立会人職員でもいいし、民生委員保護司スポーツ推進委員自治会役員など、専門知識がない人でも構わない。まあ打診したところで断られるケースも多いんだけどね。

余談になるが、令和元年に専任要件が緩和され上記2つの職の要件が「選挙権を有する者」になった。それまでは選挙区内から投票管理者立会人を見つけなければならず、勤務先市区町村居住する者が割を食っていたが、この改正は大きかったなと思う。

地方公務員数の減少と期日前投票所の充実

令和5年度と、期日前投票が始まった平成15年度と比較すると、全国の地方公共団体職員数は約30万人減少している。

一方で期日前投票制度は年々充実してきており、事務負担は増える一方である

投票所運営なんてほぼ全てアルバイトだけでいいだろという意見もあるかもしれないが、ただでさえ人不足の中アルバイトだけでどれだけの人が集まるだろうか。

そもそも投票数と投票用紙の数が1枚でも合わなかっただけで記者発表沙汰になるというのに、アルバイトに票数管理をさせるなど正気の沙汰ではない。

銀行毎日の帳簿と現金のチェックを日雇い派遣に任せるか?飲食店シフトに初めて入るアルバイトレジの締めを任せるか?

当たり前だけど、市区町村正規職員が担うべき領域外注できない。

費用節減を目的とした投票時間の短縮は悪なのか

これまで書いたとおり、現行の選挙制度は、市区町村職員の多大なる負担犠牲と言ってもいい)によって成り立っている。

期日前投票所は年々充実しており、鉄道が通っている市区町村であれば、主要駅には期日前投票所が設置されているだろう。

期間も2週間設けているところが多いため、調整のしようはいくらでもあるだろう。

単純に投票時間を短くするのではなく、期日前投票所の拡大や移動式投票所の導入、その他さまざまな取組を行った上での投票時間短縮なのだ

人口減少の局面において、今後市区町村職員は減少することはあっても増えることはないだろう。

市区町村職員団体交渉権争議権制限されているからこその犠牲によって成り立っているだけであって、団体交渉や争議に発展してもおかしくないレベルのことを要求されている。しか選挙のたびに、だ。

抜本的な改革をしなければ現行の選挙制度2050年くらいには崩壊しているんじゃないだろうか。知らんけど。

まとめ

投票時間の短縮について言及する前にもっと制度勉強しろ

市区町村負担限界突破している

日当もらえなくてもいいか選挙従事は断りたいレベルの最悪業

衆院選格闘まとめ

自民党

与党内野党がついに政権ダッシュで変わるか、と思ったら今まで通り。

今回議席を減らした事に漬け込んで、安倍残滓裏金女王高市に乗っ取られもっとズブズブになるのが既定路線

ここはモリカケで真面目な役人を殺した殺人政党

公明党

金魚のフン

立憲民主党

自民との約束だったとはいえ消費税10%にした連中。

日本維新の会

身を切るとかほざいてるけど、自分らの大阪万博にドバドバ金流し込んで身内ウハウハ。

ここはおねだりパワハラ兵庫県知事を通して公益通報する真面目な役人を殺した殺人政党

日本共産党

地方の末端は弱者支援とか頑張ってても党の中枢がスターリン路線まっしぐら

かつては殺し殺されの殺人政党だか拷問殺人もされている側なのでイーブン。

国民民主党

働けている者の手取りを増やす人参をぶら下げ、そのために働けなくなったら尊厳死させる大量殺人政党

選挙戦大トリをあの石丸サブライズ登場させ、中身の無さを自ら証明

党としてガザでの市民虐殺応援する、ガチの大量殺人政党

れい新選組

誰かが左派のN国と言っていたが言いえて妙。

ロシア侵略を養護してたので殺人政党

参政

反ワクの大量殺人政党

社民党

生きとったんかいワレ

みんなでつくる党

立花孝志の信者のふりをして抜擢された所でバトル仕掛けた豪傑女

2024-10-20

横浜文字通り横に浜があったか横浜なのよ

なのよ。

https://anond.hatelabo.jp/20241018154926

画像で見たら一目瞭然なのだ

https://maps.gsi.go.jp/#14/35.444624/139.627604/&base=std&ls=std%7Crelief_free&blend=1&disp=11&lcd=relief_free&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m&reliefdata=03G6060F7G6GGG

今の横浜駅場所関内駅場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。

みなとみらい高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。

というか、東京湾内の神奈川県多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。

 

さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。

これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。

まりはこれこそが「横浜」だったのだ。

この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。

という事でここに横浜村という小さな漁村が出来た。

 

埋め立てて吉田新田

さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?

って事で江戸幕府江戸商人吉田さんにここの干拓事業承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。

https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html

リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近馬車道駅の辺りだ。

 

横浜開港

こんな田舎埋立地だった横浜だが大転機が訪れる。

ペリー黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲デカ動力軍艦で脅かされては何も言えない。

そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。

今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。

 

鉄道開通

横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅横浜村が大きくずれてる説明必要だ。だからもうちょい書く。

幕府は倒れ明治政府汐留横浜の間に鉄道を敷くことになった。

さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。

話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側幕末にすでに干拓されていた。

https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA

平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。

すると陸地を通ると神奈川宿京急神奈川駅付近)→浅間神社高島町という迂回ルートになってしまう。

そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。

終点横浜駅現在桜木町駅だ。

 

こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。

 

漂流する横浜駅

さて官製鉄道神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。

から本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。

クソめんどくせえ。

客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物郵便汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。

これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。

なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。

 

鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初線路東側線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅移転、元の横浜駅桜木町と改称した。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.456283&lng=139.626467&zoom=15&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

しかし見れば判るが港にも繁華街ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。

そこに関東大震災。新しい駅は木っ端微塵に崩壊してしまった。

そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所横浜駅移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。

https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5

 

3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都震災復興と開発計画が付随していた事だ。

市電が来て新しく開通する東横線京浜急行東海道線立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地戦後米軍摂取されてしまった。

しか高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近認識されるようになったのであった。

因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。

 

と、こういう経緯。

横向きの砂州横浜→埋立てで砂州消滅横浜開港鉄道横浜駅場所邪魔素寒貧海辺移転駅前米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。

駅前徒歩2分くらいの場所に金港という港があるのもこういう経緯による。

2024-10-16

文春のこれがダメならさ、鈴木エイトのこれもNG行為じゃねえのかなって思うわけ。

なんか対応してるか? 選管どもよ? あ? コラ? お?

https://bunshun.jp/articles/-/74189

鈴木エイト 菅原一秀

https://x.com/cult_and_fraud/status/1846343978574401777

与党に阿ってんじゃねえぞ、木っ端役人ども。

電動キックボードのLuup、元警視総監監査役に 経産省出身者も これって問題解決する気が無いって事だよね???

警視総監が居ても事故は減らないし、経産省役人がいても事業が何か改善する訳ないので、

真面目に良いサービスにする事よりも、

権力被害者を叩き潰すことにしました!

って会見を笑顔でやってたって事よね???

こいつらサイコパスじゃね?

庶民は俺のために死ね

って意志を感じる。

ロンブー田村淳株主なんだっけ?

噛んでるのかな?

少子化は今の50歳の世代で底を打ち回復傾向。少子化でも谷底氷河期

世代が作った子供の数を知りたいと思ったので、計算してみた。

下表の「36歳」の「70」は、現在36歳の世代には1人当たり0.70人の子供がいることを示している。

夫婦で考えるなら、この2倍。

計算の詳細は、後述。

 

年齢 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75
子供 70 70 70 70 70 70 69 69 68 67 65 62 61 59 58 58 59 61 63 65 69 71 73 76 78 78 80 82 84 87 89 91 93 94 92 91 88 85 83 83

 

少子化の底は信頼の氷河期、50歳の0.5797人。

逆に言えば、その後の出生率は一貫して改善している。

36歳から45歳まで表の数値は横ばいだが、下の年齢ほど調査後も子供が増える可能性が高まるので、この部分も改善傾向とみなして良い。

(「36歳からではたいして増えない」と思うかもしれないが、計算の都合上4年のずれがあって上の表では32歳時点での子供の数になっており、ここから33歳以降に産む分だけ数値が増える。)

 

このくらいのデータは当然役人も見ているはずなので、少子化で騒いでるのは少子化にかこつけた政策を推進したいやつらのポジショントークだと思う。

 

 

計算方法

データの出典は、2020年国勢調査

出産年齢の平均は30歳とのことなので、各年齢の-30歳±2歳の範囲の人数をその年齢の「子供」の範囲とし、「子供」の人数を「親」の人数で割った。(そのため、今より低年齢で子供を産んだ高齢世代については、ここでの計算は当てはまりが悪い。)

±2歳の分だけ重複が出るので、正規化

数値を見やすくするため、100倍して3桁めで四捨五入した。

年齢は、出典が2020年調査なので4歳増やした(ので、実際にはここでの数値から4年分子供が増えているはずだが、反映されていない)。

2024-10-15

尊厳死よりさ

若者負担になるのが心苦しい人も居るんだから尊厳死認可しよう、やるやらないはともかく議論しようっていうけど

それなら老人の生活にかかる費用医療費食費住宅費含めて全部無料化も同じく議論しよう

その分所得税贈与税は大幅に上げよう。あと介護職などの給与基準も引き上げ引き上げ

足りない分は国債

若者は将来の備蓄不要になるし金持って死んでも残せるものが減るから現役世代の消費は高まるから国債で出す分以上に経済回復

若者の消費が活発になる ≒ 若者経済的余裕・時間的余裕が増える ≒ 婚姻率の改善出生率改善も見込める

将来の不安ベース無敵の人生産も減らせるから治安も維持されるし介護職の高給に対応するため他の職も人手確保のため給与上げざるを得ないからゆるいインフレ基調が達成される

役人さん政治家さんはちょっとした法律の変更も嫌がるけど少なくとも自己選択による死の合法化よりも変える手間が少なくなってハッピー

いやほんとにできるかというと色々無理あるけど選択自死合法化議論するならこっちも議論すべきじゃないの

2024-10-14

anond:20241014210635

タイぐらいの法治国家なら普通にやってる

日本法務省(と役人コントロールしてる政治家)が仕事しなさすぎ。

日本政治家は今の仕事量で年間の報酬・歳費を100万円以上もらっちゃダメレベル仕事してない

2024-10-10

小説 階伯(かいはく)つづき

百済亡命者たち――日本への道

百済滅亡の報せが朝鮮半島全土を駆け巡るとき、そこには絶望だけでなく、わずかな希望が残されていた。それは、百済の地を追われた者たちが、遥か倭の国――大和への亡命の道を選んだことだった。

百済の都泗沘(しひ)が炎に包まれ王族貴族、そして多くの百済の民が散り散りになって逃げる中、一握りの者たちは東へ、海を越えて大和へと渡ることを決断した。彼らにとって、倭はかつて同盟を結び、文化技術を共有してきた縁のある国だった。遠い異国ではあったが、そこに生き延びる希望があると信じていた。

渡海――苦難の旅

夜の海は静かだったが、波は冷たく、命の危機を感じさせた。百済から亡命者たちは、わずかな船団に身を寄せ合い、倭の地を目指した。彼らの目には、故郷を失った悲しみと、新しい土地での不安が浮かんでいた。

中でも、若き百済貴族、武珍(ムジン)は、家族と共に海を渡ることを決断した一人だった。彼はかつて百済王宮官職を務めていたが、新羅と唐の連合軍が攻め込むと、命からがら国を脱出した。彼の目の前には、父祖の地であった百済が失われ、愛した仲間や民が散り散りになっていく姿が浮かび続けていた。

「いつか…いつか、この地に戻ることができるのだろうか」と、武珍は呟いたが、その声は波音にかき消された。

やがて、彼らの船は倭の大地に辿り着いた。彼らを迎えたのは大和朝廷の役人たちだった。百済から亡命者たちが次々と上陸し、武珍もまたその一人として新たな生活を始めることとなる。だが、そこには異国の地での試練が待ち受けていた。

新天地大和

亡命者たちは大和王権に迎え入れられたものの、その生活は容易なものではなかった。彼らは、異国の地で自らの文化風習を持ち込む一方で、大和風土や習慣に馴染む必要があった。特に故郷を失った哀しみが胸に深く刻まれている者たちは、再び自らのアイデンティティを見つけるまでに長い時間がかかった。

武珍もその一人だった。彼は大阪南部に割り当てられた土地で、新しい生活を始めることとなった。この地には既に百済から移民が住み着いており、互いに助け合いながら新たなコミュニティを築いていた。大阪南部河内平野は肥沃な土地であり、農業が盛んだったが、何よりも彼らにとって特別ものは、地名の中に「百済」という故国の名を残せることだった。

「ここは、我々の新たな百済だ」と、武珍は言った。

大和王権の中での百済役割

百済から亡命者たちは、単に新天地生活を始めるだけではなかった。彼らは百済で培った高度な技術文化大和王権にもたらし、その地位を高めていった。特に天智天皇の治世において、亡命者たちは重要役割を果たすこととなる。

天智天皇大化の改新を主導した中大兄皇子)は、近江京を築いた際、百済から亡命者たちを積極的に受け入れた。天智天皇自身百済との強い同盟関係を保っていたため、亡命者たちの技術知識を利用して、近江の地を発展させることを狙っていたのである。武珍を含む百済貴族技術者たちは、天智天皇の招きに応じ、滋賀県周辺へと移住していった。

新羅に滅ぼされ、百済を失ったとしても、我々の技術文化がこの地で花を咲かせるなら、それが我々の新しい故郷となるだろう」と、武珍は自らを励ました。

百済技術者たちは、瓦や製陶技術金属加工、建築技術をもたらし、近江京の発展に寄与した。その中でも、仏教文化先進的な農業技術は、近江の人々にとって大いなる財産となった。百済から亡命者たちは、大和王権の一部として取り込まれながらも、独自文化を維持し続けた。そして、その痕跡は、現代滋賀県に残る渡来系遺伝子の多さにも反映されている。

亡命者たちの遺産

時が経つにつれて、百済から亡命者たちは日本列島に根を下ろしていった。大阪南部には「百済」や「加羅伽耶)」といった故国の名を冠する地名が残され、滋賀県には亡命者たちの末裔が多く住み着いた。彼らの遺伝子は、日本列島の中で異質な文化を生み出し、後の日本文化に大きな影響を与えた。

武珍も、かつての仲間たちと共に大阪南部で新たな百済を築き上げた。そして、彼の子孫たちは、百済の血を引き継ぎながらも大和王権に忠誠を誓い、その技術知識を後世に伝えた。

故郷は失われたが、我々の血は生き続ける。我々の文化は、この新しい土地で栄え続けるだろう」と、武珍は亡命者たちと共に夜空を見上げ、倭の地で新しい未来を夢見た。

こうして、百済亡命者たちの物語は、日本歴史の中に深く刻み込まれていった。朝鮮半島を追われた彼らは、決して故郷を忘れることなく、新しい大地でその魂と誇りを守り続けたのである

朝鮮半島奪還――日本宿命としての目標

天智天皇近江京を築いた時、百済から亡命者たちは日本の地に根を下ろし、新しい生活を始めた。しかし、彼らの胸には常に故郷である朝鮮半島への想いが宿り続けていた。日本という国がまだ形成されつつある時代、その根底には、失われた「伽耶」や「百済」を取り戻すという強い願望が隠されていた。

天智天皇は、ただ単に新しい京を築いただけではなかった。彼の統治の下で、大和王権は次第に「日本」という国としての形を整えていった。しかし、その目標の一つには、かつて倭人支配していた朝鮮半島南部――伽耶百済の地を再び日本の手中に取り戻すという、壮大な夢が秘められていた。

朝鮮半島に築かれた前方後円墳存在――それは倭人がその地を支配していたことを示す確かな証拠だ。前方後円墳日本発明された墓制であり、その巨大な墳墓が朝鮮半島南部にも点在している事実は、かつてその地が倭人にとっての故郷であったことを物語っている。

失われた故地の奪還――幾度かの挑戦

天智天皇時代を過ぎても、この「朝鮮半島奪還」という目標は、日本歴史の中で幾度となく浮上してきた。その後、豊臣秀吉時代には、それが現実のものとして動き始める。

豊臣秀吉朝鮮出兵文禄・慶長の役

秀吉は、天下統一を成し遂げた後、自らの野望を東アジア全域に広げようとした。その第一歩として選んだのが、朝鮮半島への侵攻だった。1592年、秀吉大軍を率いて朝鮮に進軍し、かつて倭人支配していた地を取り戻し、さらには中国大陸まで征服するという壮大な夢を抱いていた。

「我が倭の祖先の地、伽耶百済を取り戻す時が来た。朝鮮半島は、我々日本人の手に再び戻るべき土地である

秀吉のその言葉には、単なる領土拡張を超えた、失われた故郷を取り戻すという深い信念が込められていた。だが、朝鮮戦役は厳しい抵抗に遭い、秀吉計画は失敗に終わる。朝鮮半島の奪還は成し遂げられず、秀吉の死をもって日本軍は撤退余儀なくされた。

しかし、この「朝鮮奪還」の試みは、単なる軍事的野心の産物ではなかった。それは、古代から続く日本人の潜在的な願望――かつての倭人領土である朝鮮半島南部を再び自らの支配下に置くという、宿命的な思いの表れだったのだ。

倭寇――小規模な奪還の試み

大規模な侵攻が失敗に終わったとしても、歴史の中で日本朝鮮半島との間には、常に緊張と抗争が続いていた。その中で、倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団が、朝鮮半島沿岸部中国大陸沿岸を襲撃する形で、奪還の意図を示し続けていた。

倭寇の多くは、正規日本軍ではなく、小規模な武装集団だったが、彼らもまた、朝鮮半島南部をかつての倭人の地として捉え、そこに自らの足場を築こうとした。彼らの襲撃は、単なる略奪ではなく、失われた倭人故郷を再び支配するための小さな試みの一環だったと言えるだろう。

倭寇活動14世紀から16世紀にかけて活発化し、朝鮮中国を混乱に陥れた。特に朝鮮半島南部はその影響を強く受け、倭寇侵略によって多くの地域が荒廃した。これは小規模ながらも、日本朝鮮半島との長い歴史的な繋がりを象徴するものだった。

戦前日本朝鮮半島

そして、最も大規模で決定的な奪還の試みが行われたのは、20世紀初頭の戦前日本だった。明治維新を経て近代化を果たした日本は、軍事力を強化し、再び朝鮮半島に目を向けるようになった。1905年日露戦争勝利した日本は、朝鮮半島への影響力を強め、最終的には1910年朝鮮併合することに成功した。

これにより、ついに日本はその「歴史的な故地」を取り戻すかのように、朝鮮半島を自らの領土として統治することとなる。豊臣秀吉が夢見た「朝鮮半島奪還」の夢は、この時に現実のものとなったかのように思われた。

しかし、この支配もまた、長くは続かなかった。第二次世界大戦の敗北と共に、日本朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、再びその地は遠い存在となった。

朝鮮半島南部――倭人故郷としての歴史的意義

イスラエルユダヤ人にとって失われた故郷であったように、朝鮮半島南部倭人――すなわち日本人にとっての歴史的な故地であり、その奪還は、古代から目標であった。日本前方後円墳朝鮮半島南部に点在していることも、その歴史的なつながりを証明している。これらの墳墓は、単なる埋葬の場所ではなく、倭人がこの地に深く根を下ろしていた証拠だ。

天智天皇からまり豊臣秀吉戦前日本、そして小規模な倭寇――いずれも朝鮮半島南部を取り戻すという潜在的な思いを抱いて行動していた。この「奪還の夢」は、日本歴史の中で脈々と受け継がれてきた宿命とも言える。

現代においても、日本朝鮮半島関係は複雑でありながらも、歴史的な繋がりは消えることなく残っている。かつて倭人が歩んだ地、朝鮮半島南部――それは、日本にとって単なる隣国土地ではなく、彼らの魂が宿る場所であったのだ。

小説 階伯(かいはく)をAI生成してみた。朝鮮半島南部日本固有の領土

もう10年近く前になるでしょうか。テレビ善徳女王や階伯(ケベク)を見ていました。そこで気付いたのですが、全く史実考慮せず、ドラマを作っているところです。

両方のドラマに、階伯(ケベク)も金庾信も出てきますが、全く別人のような扱いです。それは当たり前で、記録が残っていないからです。階伯など日本書紀しか残っていないに等しいです。

また、花郎世紀という偽書可能性の高いものからドラマを作っているということも知りました。こんなことができるのなら、東日流外三郡誌大河ドラマができてしまます韓国ドラマのすごいところです。

そこで、なぜ日本では、善徳女王や階伯(ケベク)のようなドラマができないのかと考えました。まあたぶん、歴史ドラマは大きく史実から外れられないとか、「自虐史観」があるのかなと。

紫式部なら創作もある程度許されるんでしょうかね。しかし、日本ドラマでは時代考証をある程度以上はやってます。階伯(ケベク)のように火薬が爆発したりしない。7世紀火薬があるのか?。

ダムの乱を起こしたピダム善徳女王が恋仲になるなんてシナリオが許されるのなら、階伯(かいはく)と金庾信が幼馴染でも問題ないですよね?w だって、記録無いし。

イスラエルユダヤの地だったら、朝鮮半島南部倭人の地のはずw。

生成にはGPT-4oを使用しましたが、下記の文章見出しを少し直し、はてな表記にしただけで、生成文そのままです。アメリカ等の歴史教科書では、朝鮮半島南部倭人が住んでいたということを認めているので、すんなり生成されたのだと考えています。本当は、倭人とういう朝鮮半島南部から九州北部あたりに分布している海洋民族がいただけなんじゃないかと思います。そして、その人らが大和政権に取り入れられ、日本という国が成立したんじゃないでしょうか。

ということで、日本側の見解としての階伯(かいはく)と金庾信の話を作ってみました。以下に本編です。

小説 階伯(かいはく)

現代日本東京 宮内庁

東京の秋の夜、薄い雲が月明かりをぼやかし、冷たい風が皇居の周囲を包んでいた。歴史学者、宮内敬一は、しなやかな動きで宮内庁の厳重な警備をかいくぐり、特定建物へと静かに忍び込んだ。彼の胸中には、ある確信があった――かつて日本に伝来し、その後散逸したとされる「百済本紀」が、ここに隠されているはずだ、と。

数年前、宮内韓国古書店で、偶然ある巻物の切れ端を目にしていた。その破片には「百済本紀」の名がかすかに読み取れ、彼の興味を大いにかき立てた。百済王国歴史を記したこ書物は、日本朝鮮半島との関係を解明する鍵となりうる、極めて貴重な歴史資料であるしかし、日本の記録にはどこにもその存在は記されていない。宮内は、この謎を解くべく独自調査を進め、ついにたどり着いたのが、ここ宮内庁だった。

彼の手元には、長年の研究から得た宮内庁内部の古文書倉庫レイアウトが詳細に記されているメモがあった。限られた時間の中で、どの棚にどの文書が保管されているのか、緻密に計算されていた。

暗い廊下を抜け、幾重にも鍵がかけられた古文書倉庫の扉の前にたどり着く。宮内は冷静に暗号を解き、精密な動作で鍵を解除した。倉庫の中はひんやりとした空気が漂い、古びた紙の匂いわずかに鼻をくすぐる。長い棚が並び、そこには時代ごとに整理された膨大な古文書が眠っている。

宮内目的の棚へとまっすぐに歩み寄る。近づくほどに心拍数が上がり、手の平にはじっとりと汗が滲む。ついにその時が来た。彼の手が、一冊の古びた箱に触れる。箱の表面には、薄れかけた文字で「百済本紀」と刻まれている。

慎重にその箱を開け、中の巻物を取り出すと、千年以上の時を超えてその姿を現した。封が施されていたはずの巻物は、思いのほか保存状態が良く、宮内の震える手の中でゆっくりと広げられていく。巻物に記された文字は、古代朝鮮半島漢字表記であり、間違いなく「百済本紀」だった。

宮内は息を呑み、震える声で「これが…ついに…」とつぶやいた。目の前に広がるのは、歴史が語りたがっていた物語だった。これまで失われたとされてきた百済の記録が、自らの手の中にあるという事実に、彼はただ打ち震えるばかりだった。

だが、その瞬間、背後で微かな音が響いた。宮内は瞬時に振り返り、身構えた。

宮内の背後で響いた音は、冷ややかな静寂を切り裂くかのようだった。警備員か、それとも何者か別の存在か――宮内心臓は、緊張のあまり大きく脈打った。

「誰だ?」宮内は小声で問いかけるが、返事はない。身を低くし、ゆっくり視線を巡らせた。そのとき、微かな足音が再び聞こえた。かすかな光が倉庫の奥から差し込み、宮内の視界に誰かが近づいてくるのがわかった。光に照らされたその姿は、想像していたような警備員ではなかった。

スーツ姿の男が、静かに歩を進めてきた。その目は鋭く、宮内を捉えて離さない。そして、男の口元にかすかな笑みが浮かんでいた。

「探していたものが見つかったようですね、宮内先生

その声には、明らかに宮内の行動を全て見透かしているかのような冷静さがあった。驚きと同時に、背筋に冷たいものが走る。

あなたは…誰だ?」宮内は巻物をそっと戻し、箱を再び閉じた。手は汗ばんでいたが、その目には確固たる決意が宿っていた。

男はゆっくりと近づきながら、まるで狩りを楽しむかのように言葉を続けた。「私の名前は名乗る必要はありません。ただ、あなたが何を求めてここにいるのかは、もう全て知っている。そして、それが公に出てはならないということも」

「公に出てはならない?」宮内は眉をひそめた。百済本紀発見が、なぜそれほどまでに秘匿されなければならないのか。宮内の中で、疑念と怒りが沸き上がった。「これは、歴史を明らかにするための重要資料だ。日本百済のつながりを示す、そして隠されてきた真実を照らす光だ。それを隠す理由がどこにある?」

男は薄く笑い、「それはあなたが決めることではない」と静かに言い放つ。「歴史は常に勝者が書くものだ。敗者の物語は、都合よく葬られることもある。あなたがこの巻物を公表することは、今の日本歴史観を揺るがすことになる。そう簡単はいかない」

宮内はその言葉に心の中で反発した。歴史真実でなければならない。たとえそれが現代価値観政治的意図にそぐわないものであったとしても。しかし、目の前の男は明らかにそれを理解しない、あるいは理解しようとしない。彼はただ、今の秩序を守るために動いている。

「では、どうするつもりだ?私をここで止めるのか?」宮内はあえて挑戦的な口調で尋ねた。

男は一瞬沈黙し、次に口を開いたとき、声は低く冷たかった。「あなたがどれだけの真実を知っていようと、我々はその真実を決して外に出すつもりはない。だから、これ以上深入りしない方が身のためだ、宮内先生

そう言いながら、男は静かに背を向けた。そして、出口に向かって歩き出す。彼が扉に手をかけた瞬間、ふと振り返り、「もしまだ、百済歴史に興味があるのなら…もう一度考え直すことだ。あなた研究も、命も、この国のために使えるはずだ」と含みのある口調で言い残し、倉庫から姿を消した。

宮内はその場に立ち尽くした。男の言葉意味を考えながら、再び視線を箱に向けた。手の中に収めた百済本紀は、歴史の失われたピースを埋める貴重な証拠だ。しかし、それを公開することが、彼の命を危険さら可能性があることも明白だった。

だが、宮内は一度決めたことを覆すつもりはなかった。彼は再び箱を手に取り、慎重にそれを自分のバッグに収めた。何があろうとも、この真実を守り抜く。それが、彼に与えられた使命だと確信していた。

倉庫を後にし、宮内は闇の中に静かに姿を消した。彼の手の中にある百済本紀が、これから日本朝鮮半島歴史をどう変えるのか――その答えは、まだ誰にもわからなかったが、確かに歴史は動き出していた。

宮内は暗い夜の中、宮内庁敷地を慎重に抜け出し、手に汗握るような緊張感を抱えながらも、自らの決意をさらに固めていた。背後で静かに扉が閉まる音を耳にし、彼は改めて周囲の安全確認した。振り返ることなく、冷たい秋の風に身を包まれながら、ゆっくりと歩を進めた。

百済本紀

百済本紀は、ついにその姿を現した。しかし、この発見は彼にとって、祝福されるものであるはずがなかった。目の前の謎めいた男が口にした警告は、無視できない現実として宮内脳裏にこびりついていた。彼は一つの歴史真実を見つけた。しかし、それがあまりに大きすぎる秘密であったために、彼は今、新たな危険さらされていることを知っていた。

「誰が…何を隠しているんだ…?」宮内は自らに問いかけながら、都心に戻る電車の中でじっと考え込んでいた。外の街の景色は、窓越しに次々と流れていく。煌々と輝くネオンと、高層ビルの明かりは東京の夜を彩っていたが、宮内の心の中は重苦しい暗雲が立ち込めていた。

彼は手元のカバン視線を落とした。カバンの中には、つい先ほど手に入れたばかりの「百済本紀」が眠っている。その重みが、今の彼にとっては異様に感じられた。歴史重要ピースを手に入れたにもかかわらず、その喜びはまるでなく、代わりに不安と恐怖が心を支配している。

「このままではいけない…」宮内は静かに呟いた。彼の頭には一つの考えが浮かんでいた。この文書を公開する前に、まず信頼できる誰かに相談し、協力を得る必要がある。単独で動くにはあまりリスクが大きい。だが、誰にこの話を持ちかけるべきか――それが問題だった。

彼の心にまず浮かんだのは、大学時代の友人であり、今や有名な考古学である佐伯真一の顔だった。佐伯日本国内外歴史的な発掘調査で多くの成果を上げており、特に日韓関係史の研究において第一人者とされている。彼なら、この資料重要性を正しく理解し、適切に扱ってくれるはずだ。宮内はすぐに佐伯との接触を決め、駅に降り立つとスマートフォンを手に取り、連絡を取った。

数回のコール音の後、佐伯電話に出た。

もしもし宮内か?久しぶりだな。こんな夜遅くにどうした?」

宮内は一瞬ためらったが、意を決して口を開いた。「佐伯、急ぎで話したいことがあるんだ。今すぐ会えるか?」

佐伯は少し驚いたような声で、「今か?何か大事なことか?」と尋ねた。

「…ああ、これまでの研究人生で一番大事発見をしたんだ。それも、とてつもない発見だ。今は詳しくは話せないが、どうしても君に見てもらいたいんだ」

佐伯はその異様な緊張感を察したのか、数秒の沈黙の後、「分かった。今すぐ都心カフェで会おう」と返事をくれた。

宮内カフェに着いたのは、電話からわずか30分後のことだった。深夜にもかかわらず、カフェは数名の客で賑わっていた。宮内は店内を見回し、奥の席で待っている佐伯の姿を見つけ、急いで席に向かった。

宮内、どうしたんだ?お前がそんなに慌てるなんて珍しいな」

佐伯心配そうな表情で宮内を見つめていたが、宮内は口を結び、静かにカバンから巻物の入った箱を取り出した。その瞬間、佐伯の目が一気に鋭くなった。

「これを見てくれ」宮内は低い声で言いながら、慎重に巻物をテーブルの上に広げた。薄暗いカフェの灯りに、古代文字が浮かび上がる。

佐伯は息を呑んだ。「これは…本物か?まさか、これが…」

「そうだ」宮内確信を込めて言った。「百済本紀だ。散逸したはずのものが、ここにある。そしてこれが、これまで語られてこなかった日本百済真実証明するものなんだ」

佐伯はしばらく無言でその巻物を見つめていたが、次第に表情が険しくなっていった。そして、静かに目を閉じると、ため息をついた。

宮内…お前、これがどれだけ危険ものか分かっているのか?」

宮内はその言葉に驚きながらも、佐伯に向き直った。「危険だと?これは歴史真実だ。それを明らかにすることが、なぜ危険なんだ?」

佐伯は低い声で答えた。「宮内、世の中には触れてはならない真実というものがあるんだ。この文書が公にされたら、ただ歴史教科書が書き換わるだけでは済まない。この国の根幹を揺るがすことになる。お前が巻き込まれたのは、単なる学問問題じゃない。もっと大きな、国家問題なんだ」

宮内驚愕し、言葉を失った。まさか、そこまでの影響があるとは想像もしていなかった。「そんな…一体どういうことだ?」

佐伯は再び巻物に目をやり、静かに言った。「これから先、お前がどう行動するかで、お前の運命も決まるだろう。だが、その前に…もう一度この文書を精査し、何が書かれているのかを完全に把握する必要がある。私も協力するから、一緒に慎重に進めよう」

宮内はその言葉に頷き、覚悟を決めた。「わかった、佐伯。まずは真実を解き明かそう」

二人は深夜のカフェで、百済本紀の解読に取り掛かることを決意した。しかし、外では彼らを見張る影が、静かに忍び寄っていたことに、まだ二人は気づいていなかった。

宮内佐伯と共に百済本紀の解読を進める中、ある一節に目を留めた。その古い漢字で書かれた文章は、これまでの日本朝鮮半島関係史を根底から覆すような内容を秘めていた。

佐伯、これを見てくれ」と、宮内は震える指先で指し示した。

そこにはこう記されていた。

百済国は、倭より来たりて、王を立て、その民を治む」

佐伯は眉をひそめ、しばらくそ文言を目で追った後、重々しい口調で言った。「まさか…これは、百済日本人――つまり倭人によって建てられた王朝だということを示唆しているのか?」

宮内ゆっくりと頷いた。「そうだ。そして、これが真実なら、朝鮮半島南部――百済領域は、かつての倭の支配下にあったということになる。竹島対馬どころか、済州島朝鮮半島の南半分までが、歴史的に日本領土であった可能性が出てくる」

佐伯はしばらく沈黙した後、深いため息をついた。「これは一筋縄はいかない話だな…。もしこの文書が公に出れば、歴史の再評価だけでなく、国際的領土問題にまで波及する可能性がある。サンフランシスコ講和条約定義された日本領土が、揺るぎかねない」

宮内焦燥感を抱えながら佐伯に問いかけた。「だが、どうしてこの『百済本紀』がここ日本で隠されていたんだ?なぜ誰も知らないんだ?」

佐伯は静かに考え込み、やがて低い声で話し始めた。「その答えは、戦後日本歴史にある。連合軍総司令部、つまりGHQが関与していた可能性が高い。特にマッカーサー日本の再建と国際関係の安定を図るために、歴史的な資料や記録を抹消または隠蔽したケースは少なくない。もし『百済本紀』に、日本朝鮮半島南部歴史的に支配していたという証拠が記されているとすれば…」

佐伯は目を宮内に向け、厳しい表情を浮かべた。「GHQはそれを脅威と見なして、抹消を命じた可能性がある。サンフランシスコ講和条約日本固有の領土定義された際、その基盤に揺らぎが生じることを恐れたんだろう。もしこの文書が明らかになれば、国際社会において、日本朝鮮半島南部済州島領土として主張する正当性が浮上しかねない。それは、当時の冷戦構造の中で、極東の安定に重大な影響を与えたはずだ」

宮内はその言葉に打たれた。「つまり、これは単なる歴史の一資料ではない。戦後日本朝鮮半島領土問題、そして国際政治に直接関わる爆弾だということか…」

「その通りだ」と佐伯は冷静に応じた。「だからこそGHQは、この文書を表に出させなかった。百済倭人設立した王朝であったという事実が認められれば、日韓歴史認識や領土問題根本から覆されることになる。現代竹島を巡る領有権問題など、取るに足らないものに見えるほどの衝撃が走るだろう。済州島釜山、そして南半分の領有権を巡って、新たな国際的な論争が生じかねない」

宮内佐伯言葉に深く頷いたものの、その重みを改めて感じていた。この「百済本紀」は、ただの古文書ではない。それは、日本朝鮮半島領土問題を再燃させ、国際情勢に大きな波紋を広げかねない爆弾だ。

「だが、これは真実だ」と宮内は力を込めて言った。「歴史を捻じ曲げてはならない。これが隠されてきた理由が何であれ、私たちの使命は、真実を明らかにすることだ。たとえそれがどれほど大きな影響を及ぼそうとも」

佐伯は厳しい表情を保ったまま、静かに宮内の目を見据えた。「宮内、お前の決意は分かる。だが、この文書を公にすることで、国内外にどれだけの波紋が広がるか、お前自身理解しているはずだ。日本政府だけでなく、韓国政府も黙っていないだろう。いや、それどころか、国際社会全体がこの文書に注目し、外交的な大混乱を招くことになる」

宮内は一瞬言葉に詰まったが、再び口を開いた。「それでも、歴史真実であるべきだ。この文書を隠し続けることは、日本学問的誠実さをも裏切ることになる。それに、これまでの研究者たちが解き明かそうとしてきたことを、我々が踏みにじることになるんだ」

佐伯は深く息を吸い込み、しばらくの間、何かを考え込んでいた。そして、ゆっくりと口を開いた。「分かった。お前の信念を否定するつもりはない。ただし、慎重に動こう。急に世に出すのではなく、まずは信頼できる少数の専門家に見せ、段階的に議論を進めるべきだ。この資料が持つ意味を、慎重に検討しなければならない」

宮内はその提案に頷いた。「ああ、そうしよう。まずは、私たち知識経験でこの巻物を完全に解読し、それから信頼できる専門家に見せる」

二人はその場で、新たな行動計画を立てた。百済本紀の解読を進め、文書の真偽を確認した上で、専門家との協力を仰ぐ。そして、その真実を公にするための準備を進めることにした。

しかし、彼らがその場を立とうとした瞬間、外の窓に気配を感じた。宮内は一瞬、外を見やったが、何者かの姿がカフェの外にちらりと映った。黒い影――まるで監視するように、静かに彼らを見張っているようだった。

佐伯…」宮内不安そうに囁いた。「外に誰かいる。もしかすると、もう動き出しているのかもしれない…」

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2024-10-07

新千歳空港

英語で「New Chitose Airport」と言うらしい、公式が言うてる

バカなのか?

誰が決めたのか知らんが中学1年生か?

固有名詞は表音で訳すのが大原則と一番最初に教わる。

 

田中君はMr. Central Farmにはならない「Tanaka-kun」だ。

これをMr, Tanakaとするかは議論余地があるが昨今は日本人の「-san」がビジネス英語で定着しつつ、ガイジン日本人に対して敬称サフィックスで「-san」をつける。

日本人と折衝のある外国人ほとんどこっちが主流。

まぁいい、そんなことはどうでもいい。

「New」だ

どこのバカがこれをやったのか。役人か?空港のお偉いさんか?知らんが。バカかと

Shin-Chitose」で良い、というか唯一の正解、それ以外の英語表記はありえない。

なんだよ「New」てどっから出てきたんだ?

新を「New」と訳したのか?バカか?アホか?中2か?

 

新千歳空港」で一つの固有名詞だよ?

空港を「Airport」とするのは判る、ギリ認めよう

新千歳」はこれで一つの固有名詞

仮に千歳空港に対して新しい空港であるから新を冠したというなら

日本語でも「新・千歳空港」と表記しろ

それならばNew Chitose Airportでも良かろう。

 

新横浜駅普通にShin-Yokohama Station」だ。

New Yokohama Stationと書くバカはいない

 

なぜ航空業界はNewを付けたがるのだ、日本の「新」空港は全てNewになってる。

バカなのか?アホ慣例か?

恥ずかしいから辞めろ

 

で、だ、白人に妙に忖度し阿るのが鬱陶しい。

「New」とした精神性が恥ずかしいのだ。

 

わかりやすのが多言語との違い。

中国語だと「新千岁」(発音:シンツゥエシィー)となっている。バカか?アホか?

 

「岁」は「歳」の中国語だ。

もう無茶苦茶、なにがしたいのだ?

 

ハングルだと「신치토세 」(発音:シンチトセ)

 

思想一貫性がまるでない。

音で訳したいのか、漢字字面をできるだけ近づけたいのか、意味で訳したいのか。

 

しかし、習近平を「シューキンペイ」と読む、発音する。

なにをどう妥協したのか。

同じ漢字圏で読み方が違うので混乱回避のために妥協必要なのはわかる。

だが「習近平」は中国語であって日本語ではない、一見日本語に見えてしまうがこれは中国語なのだ

固有名詞は音をそのまま持ってくるのが大原則の大原則だ。

 

President Trumpを絵札大統領と書くバカはいない。

 

で、だ、話しを戻すが

JR常識的に「新」を「Shin-」と訳すのに

新千歳空港駅は「New Chitose Air Port Station」と表記している。

もうね、呆れるしかない。

 

で、だ、これのなにがイカンか。

ガイジン日本旅行ガイドブックを持って旅行をする。

ホテルから空港への旅程がわからない、ホテルフロントで尋ねる

Please tell me transportation to New Chitose Airport.

 

「ニューチトセ?」どこだそこは?もしかしてシンチトセの事か?

いやいやいや、現実的には新千歳空港ほどメジャー場所ならマトモな常識人なら連想はできるが。

日本人でもメジャーではない地名固有名詞は混乱を生む。

から音で訳すのだ

喜連瓜破を「Joy Joint Melon Break」と言われても日本人100%わからん

から英語は「Kireuriwari」で良いのだ

 

ボケ

2024-10-06

anond:20241005191932

普通に上野3館(国立、科博、西洋)でいいんじゃないの?

とおもったら、東博23日、科博28日、西洋28から閉館だな(2日から再開)

ならば、たてもの園 25-1休館

むむむ・・・

川崎の民家園 年末年始休園(12月29日1月3日

博物館役人どもにも年末年始位休ませてやってくれい

2024-10-01

anond:20240930191627

Yちゃん能力的に問題ないし、頭だっていいし、愛嬌がある方だと思う。都内新人職員の合同研修の時にも、Yちゃんは輝いていた。私と違って目立つタイプだった。ハキハキとしていた。

仕事ができないという理由で試用期間で終わりになってるんたから、まずそこの裏取ったら?「輝いていた」「目立つタイプ」「ハキハキしていた」漠然としているし、仕事できるできないに無関係な内容で事実関係が全くわからない。

その上で妊娠が原因と一方的に決めつけており、極めて客観性に欠ける。むしろあなた自身公務員としての資質を疑う。

公務員だが試用期間での終えるなんて役人世界ではよっぽどのことよ。ケツ拭けない不祥事やってるとか実は無断欠勤やってたとか裏があると思うので、そこを調べずに思い込みお気持ち妊娠が原因と決めつけて書いてるとバレたとき上司ケツ拭いてくれないぞ。

感情お気持ちベースではなく事実ベースで書けるようになってくれ。言語化能力が幼稚すぎてむしろあなた役所に向いてないと思う。

2024-09-27

anond:20240927112749

そうなんだ

こういったらなんだけど、いつの時代もお役人なんて品行層中心に僻まれてそうだが、異常な雰囲気だったのかな

2024-09-24

クズほど支援が通る現実

アル中で働けなくなって支援通るとか完全に自分責任なのに通っちゃうんだよなあ~ 一方働けないけど無理して働いてるみたいな人は働けるからヨシ!で審査通らなかったり

なんかホント日本社会っていびつですよね。役人達は自分達のせいで人が死んだって言われるのが嫌なんだろうな。

2024-09-23

結局兵庫県知事の騒乱は天下り役人との闘いでいいってわけ

anond:20240922190600

「ぼくの選びたい政治家がいない」

と言う理由を掲げれば難しい選択はしなくていいと考えてるんだろうね

主権者は言ってみれば企業の人事

バランスを取るために行動しなきゃいけないこともあるし、良い選択肢がない中から結果を出さないといけないんだが、あまりその意識はなさそう

「とりあえず自民」は、企業の人事に例えれば、完璧新人がいないという理由汚職まみれのベテランを使い続けるようなもの

無難なことだけやるのはお役人だけじゃないってことだな

2024-09-21

日本人学校刺殺事件で前駐中国大使をぶっ叩くはてブ

駐中国大使の「数年前から、いつ起きてもおかしくない状況」 というインタビュー記事で「なぜ対策を強化しなかったのか」というコメントトップになってて目を疑った

記事に在任中の対策を強化したと書かれてるのに

大使館では大使直轄で対応してきた。警備チームを全ての日本人学校派遣して安全点検見直し、ささいな事象でも毎回、中国外務省公安省に厳粛に申し入れ

https://www.yomiuri.co.jp/world/20240920-OYT1T50064/

警備チームを全土の学校派遣するなんて到底まともな状況じゃないんだが

今回のように保護者に付き添われて電動自転車で通学中の子供が襲撃される事案まで大使館の力で阻止するのは無理だろう

 

悪いお役人がサボってるだけだと思い込みたいという正常性バイアス一種なのかねえ

2024-09-17

日本より台湾のほうが先進国だった件

台湾旅行したが、日本より便利だし発展していることに驚かされた。

日本アジア一の先進国という先入観持ってるやつはまじで危機感持った方がいい。

物価日本と対して変わらない。でも台湾の方が暮らしやすいし満足がいく利便性があると思った。

たとえば電車バス日本会社独自オレオレ電子マネー(ayucaとかそういうやつ)が跋扈してるしそもそも現金限定のところが多い。JRなのにSuicaが使えない路線もある。それに対して台湾はすべての会社でipassが使えるので本当に便利。しかも初乗り20元(90円くらい)なので安い。台北だけだろと思うかもしれないが南投とか宜蘭とかの田舎でも全てipass/easycardが使えるという徹底ぶり。それに対して初乗り200円とかとっておいて本数も少なく現金オレオレ電子マネーだらけのわーくにってほんとクソだなと思う。

本数も少ないしバスGoogleマップに載ってないし現金払いやオレオレ電子マネーだらけだし日本バス電車って何がすごいの?鉄オタとネトウヨには申し訳ないが台湾捷運バスの方が顧客目線では利便性いから。その現実見て台湾を見習ってまずは初乗り140円まで下げて全てのバスfelica対応しろ日本公共交通機関。定時運行安全性よりも利便性大事しろ

次に高速道路台湾台北から高雄まで西部海浜高速、中山高速、フォルモサ高速の3本があり中山高速に至っては桃園から台北は6車線の本線と並行する4車線の快速線があり実質10車線化されている。フォルモサ高速道路は全線に至って6車線で快適である

これらの高速道路90年代にはすでに整備が進められ、わずか30年足らずでここまで完成されたことには感激した。一方わーくには新東名新名神ですら計画から40年経つの未完成という体たらく横浜大和トンネル渋滞が酷いか10年掛けて拡幅?バカじゃねーの?台湾中山高速みたいに高架で並行別線の快速線整備しろよといいたい。

さらに驚いたのは料金所がないこと。ナンバープレートカメラで読み取って後から請求されるシステムらしい。それにくらべてわーくにのETC(笑)(ry

台湾比較して日本高速道路は驚くほど貧相。

一体どこに高い運賃高速料金が消えているのか本当に疑問。

ルックウェストだの欧米出羽守だの言われるが、台湾に追い越されてるのが現実

公共交通インフラの分野では顕著。

我が国国交省役人を全員クビにして台湾からお雇い外国人入れたほうがマシになるんじゃねーの?

2024-09-14

グッドウィル社はなぜ潰されたか 1/3

兵庫県知事炎上してるのは港湾利権に手を付けたからだ、という棘が話題になっているが、それ自体他愛もない陰謀論だ。

更に「大企業グッドウィルが潰れたのも港湾利権の闇」とかい陰謀論の重ね掛けにもなっている。

 

このグッドウィルが潰れた理由と経緯はちゃん認識されて居ないしWikipediaなどにもちゃんとまとめられていない。どこかで書きたかったので説明するよ。

 

表面的には東和リース社への二重派遣トドメとなって派遣免許を取り消されたと世間認識されている。

でも結論から言うと戦後労働行政の2本の柱であった建築港湾への違法派遣を行っていたのが大問題だったのだ。

 

でも事件の背景とGW社(グッドウィル)の成り立ちと労働行政の来歴を説明しないと意味が判らないはずなので、どうしても長くなるが説明する。

 

>「売上8000億円のグッドウィルが一発廃業港湾利権地面師が可愛く思えるレベルでやばかった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2433890

 

戦後労働行政での特別扱い2業種

戦後労働行政建築土木)と港湾特別な扱いになっていて特に手厚く労働者が保護されている。これはこの二つが前近代的雇用形態になっているという事と、ヤクザ問題だ。

終戦後~90年代まで、行政は縦割りのセクショナリズムが強く、職分を超えて協調的に仕事をするという事が少なかった。だがヤクザが絡むと別で、ヤクザ対策国策と言っていい。

ヤクザなんか追い出せばいい、そう思うかもしれないが、それは今だからそう見えるのであって、昔はヤクザとカタギの線引きが難しい職業というのが沢山あった。線引きをしたのは警察で、今は警察の長年の活動であるからヤクザとカタギの職業がきっちり分かれているのが当然に見えるのである

そして建築港湾そもそもその職分からヤクザが生まれたりしていた業界なので特に不可分だった。

 

建築土木

建築土木請負構造になっていて、仕事元請け熊谷組大成建設のようなゼネコン、その下に○○組のような中小建築会社設備会社があって、職工はその中小土建に直接雇用される。つまり作業をするゼネコン社員は居ない。現場にいるゼネコン社員監督設計である事務所で躯体完成後の図面を書く)。

因みに〇〇組などの会社社員は自社の事を「組」と言ったりする。

これからも判る通りに、ヤクザと出発点は同じだった。片方は裏社会、片方は資本主義に順応して分化してきたものだ。

そして戦後の時点では元請けゼネコン以外の土建ヤクザ未分化の所が多かった。

 

これらの中小土建職人社員という訳ではなかった。仕事を請け負った土建会社親方仕事を投げる。親方の下には親方に喰わせてもらっている弟子職人が居るので彼等が仕事をする。

また土工所謂ドカタ)など単純労働系の職分だと日雇い人夫を使う(人夫差別用語らしく変換候補に出ない)。朝6時頃に手配師トラックハイエースが来る場所というのがあり、そこで待っている人間ピックアップして各現場に送る。山谷が有名だが東京だと高田馬場新大久保間の今は西戸山タワーホームズがある場所も有名で、早朝の山手線から見えた。

仕事が終わる時間に迎えに来て賃金を払って終わり。雇用期間は当日だけ、その日払い。

この手配師親方だったり親方に雇われてる人間だったりするのだが、この親方は一人頭いくらで請け負って、そこからピンハネして日雇いに渡す訳だ。

 

そしてこの手配師しろその上の土建しろヤクザの舎弟というのが多かった。

そうなると日雇い労働者としては普通会社福利厚生というのが受けられない。特に怪我をしたり障碍者になったりした場合ヤバいことになる。

 

沖仲仕港湾労働者)

沖仲仕(おきなかせ)は差別用語らしく、変換候補に出ない。

コンテナ船一般化するまで、内航(国内航路)にしろ、外航にしろ船で貨物を持ってきたら沖仲仕の世話になった。主に手作業、時にクレーン台車を用いて貨物の荷卸しをする荷役人夫が沖仲仕である

昔の貨物線は船底から船倉で、そこからクレーンを用いて手作業で岸壁に貨物を下ろし、それを次に載せる船や貨物列車に載せる為の集積所に運搬する。船に載せるのも同じだ。

ただ、付けられる岸壁には限りがあるし、岸壁使用料港湾長(都府県)に支払わなきゃならない。この金額結構高い。

そこで艀(はしけ)を使う荷役が一般化した。艀はただの四角く平たい台船で、動力船に引っ張られて移動する。沖仲仕が船から艀に貨物を下ろし、一杯になったら次の艀を付け、とやって列車みたいに幾つも繋げて次に載せる船に付け、貨物を載せ替える。因みにF1カーなどのサイドポンツーンのポンツーンとは艀の事だ。

この場合、艀が資本であり、艀を持っている人間親方となって沖仲仕使役するという形になる。

 

で、この沖仲仕だがやはりヤクザと不分明であった。特に戦前から戦後すぐまでは土建と同じようにドヤ街近くでピックして人を集め艀や岸壁に分配していた。

この沖仲仕親方から巨大暴力団になったのが山口組だ。これ以外にも港湾近くにはヤクザの組や右翼団体が多く、その事務所は陸の上だけでなく係留されたボートハウスにある事も多かった。

港湾近くには「〇〇水上警察署」という警察署があるが、これはその名の通り、こんな訳で事件トラブルが頻発する港湾の水の上を管轄する警察である現場が艀や船の上なのでパトカーはおまけで、主な移動手段パトボードであった。

この事情海外でも同じで、ギャングというのは沖仲仕の班を指していたが、そこから犯罪者集団化したものが現れたので、犯罪/虞犯集団の事を指すようになった。

 

沖仲仕土建と似た構造利害関係にありヤクザとの関係も似ている。

そこで労働行政の重点項目になった。目的日雇いが多い労働者の保護特に労災時の保護と、ヤクザからの切り離しである

その為に日雇い原則禁止となった。しかし船会社倉庫会社が艀の親方仕事発注し、その親方人夫を連れてきていてそれが日雇いという体なのであまり効果はない。

 

だが沖仲仕のこの構造は一気に無くなって殆ど解消してしまったのだった。それが

 

コンテナ

コンテナ化へのシフトで、人力での積み下ろしかコンテナ輸送に切り替わってしまった。荷主が倉庫コンテナに入れて埠頭輸送し、岸壁ではそのコンテナをガントリークレーンコンテナ船に積む。

すると必要な人手はクレーンオペと場内の車両誘導整理、フォークリフトでのコンテナ移動がメインとなった。これらは日雇い人夫に出来る仕事ではない。故に手配師必要が無い。

という事で、沖仲仕保護の為の労働行政特別扱い根拠というのはかなり解消してしまったのだ。

だが、行政としては別にそれによって困ったことが発生しているでもないのに前例主義を止めるつもりはない。

 

構造がほぼ解消されても規制は現用、範囲港湾管理域外に及ぶ

からこの労働保護使用者から見たら規制はまだ生きていて現用である。これが大事ポイントだ。

また解消されたとは言っても、港湾倉庫コンテナ移し替え(海コンから鉄道コンテナなど)のような仕事はまだあり、そこでは沖仲仕時代と同じ作業が行われている。

更に、今では一般的な港湾労働者が居るのは、港湾長が管理する埠頭近辺だけだが、元の規制趣旨から言って規制対象域はもっと範囲に及び、明白な区切りはない。これも大事ポイントだ。コンテナ化で港湾管理域だけに労働が集約されたにすぎないからだ。

 

 

part2→https://anond.hatelabo.jp/20240914181619

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