はてなキーワード: 副業とは
超絶金持ち設定なのに、毎日youtubeを上げてるって、そんなヤツいる?そんなことする?
言ってる内容も、薄味というか、表面的な知識で、深みがない
深みがないのは、本人が副業とか節約とかインデックス投資で資産形成したわけではなく、会社経営で稼いだという話と整合的ではある
中田敦彦との対談動画でも冒頭、あれ、サラリーマンから金持ちになったわけじゃないんだね、本と違うじゃん、と冒頭噛み合っていなかった
ただ、10代で稼いだ話はやけに具体的なのに、その後の話が嘘っぽいんだよなあ
年齢が30代中盤というのは本当っぽい
結論、10代のときに高卒で起業して稼いだものの、その後鳴かず飛ばずの期間を経て、起死回生、ユーチューバーとして大成功した人なんじゃないかと
最近従業員40名位のベンチャーに管理部門の担当として入社した。といっても副業という形だけど。
事業は順調なのだけど、あと1ヶ月もすれば組織崩壊になるんじゃないかという気がしている。
ベンチャー界隈だと割と組織崩壊するというのがあるあるだと思うけれど、ああ、こうやって崩壊していくのか、というのが身を持って知れるので、それはそれで興味深い。(副業だから責任がないので、あくまで客観的に見ている)
30人の壁とよく言われるけれど、結局のところ組織が崩壊するきっかけは、自分の実感値でみると以下の3点。
● 売上と利益を重視しすぎて、組織のコンディションの悪化に気が付かない
● 組織として動く上で生産性を上げるためのインフラに投資をしない
●スピード感を重視しすぎるあまり、部門ごとのハレーションを無視して意思決定をしてしまう
くらいがあげられる気がしていて、それは結局のところ最終決済をする経営の意向に完全に依るものになってしまう。
組織と事業のバランスをうまく保てる人が居るのであれば、良いけれど、
往々にして経営者という生き物はそうでないことが多くて。
経営者は心理的なプレシャーとかもあるとは想像するけれど、事業を伸ばすことだけだと、結局うまく行かないということがわかっているはずなのに、そこに意識を持ちづらい。
基本的には、ある程度の売上が出てさえいれば、そこまで売上偏重になる理由はないし、
管理体制をおざなりにしてしまうくらい、スピード感をもとめる理由もない。
業界トップを目指すというところで先行者になるというのはわかるけれど、今の会社はそうじゃなくて結局経営者の自己満。
それにいいように使われてやりがい搾取になっていることが、あからさますぎて、やる気なくなってしまった。
金にならない人文科学系なら在野の副業研究者の方が経済状況いいから優勢っていうのも多いんだけどね
みんなが想像する理系分野の研究者は大学か企業に所属してないと一般人では手が届かない設備や機材が研究に必要になってくるからポスドクワープアって問題が生まれてくるのよ
「好きな研究を安定して行うために、別の収入源を探します!」とか言ってる人をSNSでしばしば見かける。
私は個人的に、こういう人間には2つのタイプがあると思っている。
1つは「非研究職の安定した職に就き、余暇として研究に勤しむ、いわゆる『在野』タイプ」、そしてもう1つは「研究に関する何かを発信して収益化しようという『研究を収益化』タイプ」である。
個人的には、圧倒的に前者をおススメする。
いや、むしろ後者を圧倒的におススメしない。「研究を収益化」の難易度をお前らはナメすぎだ。
暮らしていける、というのは、30年とかそういう単位の年月の間、毎年数百万の利益を上げ続けるということだ。
そんなことどう考えても簡単ではない。
と、書いたものの「研究を収益化」は実はそこまで難しくない。その収入だけで食っていくことだって現実的だ。
なぜなら、ほとんどの大学や企業、国研の研究者は、「研究を行って成果を出すことで稼いでいる」、つまり「研究(活動)を収益化」しているのだ。
ポストをめぐる競争は激しいとはいえ、「研究を収益化」して食っている人間は数十万人単位で存在する。
しかし、SNSで「別の収入源を探します!」と宣言しちゃう人間が言っている「研究を収益化」はもちろんこの正規ルートではない。
いわゆるブログや動画配信、オンラインサロンや支援サービスなどのネットコンテンツからの収入、グッズ展開、本の執筆や講演会、といった、研究をテーマにしたコンテンツからの収益化を指していることがほとんどだ。
なんで現実的な正規ルートがあるのに、そのような未知のルートに飛び込むのか。
恐らくそのような人々はわかっているはずだ。
そう。正規ルートの競争は激しい。研究者としての絶え間ない鍛錬が求められる。
常に研究について批判的な目で評価され、業績欄を他人に精査され、申請書に不採用を突き付けられる日々を送らなければならない。
これは正直きつい日々だ。こんな思いをしないといけないなら、なんか別なルートで食っていくことが出来ればいいのに…と考える気持ちはとてもよくわかる。
一定数の博士課程の学生がこの考えをこじらせ、妙な収益化活動に精を出してやがて研究業界からはいなくなってしまう。
一度立ち止まってよく考えてみてほしい。
研究紹介動画の配信とかグッズ販売でいったいいくら稼げると思ってるのか。
月2-3万じゃない。食っていくなら月数十万を継続的に稼ぐんだ。ワンクリックで0.05円のアフィリエイトでほんとにそんなことが可能なのか?
「研究」というマイナージャンルに興味を持ってお金をかけてでもそのコンテンツを見たい聞きたいと思ってくれる人が何人いるというのだろうか?しかも、数十年単位で。
それに、世界には「博物館」や「科学館」という研究成果の発信基地のような施設が存在する。数百円で一日楽しめる施設が全国津々浦々に存在するのだ。このクオリティとコスパを相手に戦うのだ。
結局正規ルートでの戦いを避けた院生は、ごくわずかな収益を上げるために大半の時間と労力を費やし、正規ルートでの「研究を収益化」の道を自ら閉ざしてしまう。
まあ製造業で使うような単語だから正確に当てはまるわけじゃないけど、参考になるぞ
見通しが悪い、規模が小さい、動きが悪い、販路を広げろ、とか言う同業も居るけど人伝で聞いたらたいして成果は変わらなかったり自分よりひどい状況だったりする。
当たり前だけどどんなプラモデルでも転売で儲けられる訳じゃない。更にバンダイのプラモデルなら何でも良いわけじゃない。突き詰めると別に手に入らなきゃ別にいいやって思われるのがプラモデルだ。
自分はオタクなのでトリスタンとかは避けられたが、当たり前だがごく一部の儲けより圧倒的な不良債権で見事に潰れた。
寝かせておけば価値が出ると言うけど、当たり前だが倉庫代だってタダじゃないし、自宅だって場所は取る。
やっぱ右から左に流れる商材じゃない限りやらない方が良いし、そもそも卸業やってて倉庫等を持ってるやつが副業で転売やってるんじゃ勝ち目なんて無い。
自分はとりあえず在庫処分して引退する。願わくばフリマサイトにもマイナンバー登録必須にして金の動き分かるようになって欲しい。
表題通り.自分が子供だったら親がこんなことしてたら絶対嫌だな,気持ち悪いなと思うことを挙げてみた.
「私ってぇ,ちょっと特殊な環境で育ったんだよね(ドヤ」,「私はこんな経歴です(ドヤ」.こういう人には「へぇ〜特殊な経歴ですね」って首を縦に振ってれば勝手に気持ち良くなってくれる.正直あなたが思ってるほど特殊なキャリアじゃないですよ.
あなたのその経歴が悪いと言っているのではなく,「特殊な経歴を持ってる私」という浅はかな考えが透けて見えるから本当に気持ち悪いという話.
「会社が潰れる or 会社がブラック」,「フリーランス or 起業」という 2 段階の審査を経て初めてそのコミュニティに入ることが認められる.あと掛け算が得意.
キャリアチェンジをすることが悪いのでは決してない.こういう人たちが使う「文系」=「大学で何も勉強していない」であって大学で人文系の学問を学んでいる人たちに失礼.「無能からエンジニア」が正解.
文系エンジニアって名乗る人は本当に苦手.文系 / 理系(そもそもこのくくりもよくないが)関係なくエンジニアを名乗るなら「文系」を盾にするな.お前はもう技術者だろうが.元文系であることは全く後ろめたいことではない.潔く「エンジニア」を名乗れ.然もなくば,「無能でプログラミングが趣味の人」を名乗れ.
先に,「人事の方の中でも有能で素晴らしい方はたくさんいる」ということは断っておく.
繰り返すが,「人事の方の中でも有能で素晴らしい方はたくさんいる」ということは断っておく.
まずはじめに,私は人事という職業に一定の偏見を持っている.「なぜ専門性を持たない人間が採用の最前線に立てるの?」という考えである.これは私怨も多分に含まれる.
就活でやりとりをした人事の中で,有名企業の人を含め,知ったか,分かったフリをする人間がなんと多いことか.そういう人事は本当に嫌い.
例えば,人事が専門に関する質問をしてきてそれに答えても,分かったフリをしたような返事が返ってくることが多々ある.「要するに〇〇ってことですよね?」と人事が答え,苦笑いをしながら「そんな感じです」とこちらも答える.他人の話の要約がとても上手い.
専門家ほど分かったフリをしない.ちゃんと質問してくれるし,分からないことは分からないと主張する.ときには理解を示し発展性のある議論をしてくれる.
別に人事に議論をしろと言っているわけではなく「分からないことは分からない」とちゃんと答えて欲しい.それならこちらもそれ相応に対応するし,不信感も持たない.
こういうことがあったので,就活を通じて一つの疑問が生まれた.それは「専門性を持たない人間がその専門家の採用に関わるメリットは?」という疑問である.
私の経験の中では,役員面接等でこの質問をしたときに,明確な答えが返ってくる会社は人事の方の対応が良かった.企業の中での役割分担がちゃんとなされているのだろう.
逆に,腑に落ちない回答をされたら人事の対応も微妙,というのが割と再現性があった.
また,これに関わる話として自ずと浮かんでくるのが,「自分が採用に関わる分野(専門領域)の経験がある人事」と「その分野のことについて素人の人事」ならどちらが良いか?という疑問である.
答えは火を見るよりも明らかであるが,現実的な問題としては,後者が大半になってしまっている.では,なぜそのような状況になってしまっているのか.
自分の中の結論としては,「専門家にはそういったことに関わるのが面倒 or 興味がないと思う人の方が多い.専門家側が採用を行うことに対してリソースを割かない,そもそもそういうことをやってくれる専門家を集めるのが難しい.」である.
もしこの日記を見て思うことが有る方は是非コメントして欲しい.会社としてどのようにこの問題点を解決しているのか,多くの方の意見が欲しい.てかこれって日本だけの問題?海外の企業もさほど変わらないのかな?
現実的に難しい話であることは分かるが,これが解決できれば,よくわからん人事に弾かれてしまう,専門性を持った学生が不幸になることを避けることができる世の中になるだろう.
話が反れすぎてしまった.
一番恥ずかしい.「大企業から内定を得た俺」がかわいくてしょうがないらしい.お前はその「大企業」とやらに全く貢献していないのにその名前を使うな.こういう人の思想が本当に分からない.今自分が働いている会社を誇りに思えなくて後悔してるから特殊な経歴おじさんみたいになってしまうのかな.あなたは大企業とは全く無関係のベンチャーの社員です.それ以上でも以下でもありません.
遠回しに自分が優秀とか変人なのを伝えたいのか分からないが,あなたは無能で普通の人間です,以上.
ただし,ピーFNのような本当に優秀すぎる人の集まりもあるので注意.
前半は本当に親がやっていたら嫌だなと思うことを書いていたが,後半からは親とか関係なく自分が気持ち悪いなと思った人間を書いてしまっていた.
この日記の内容をまとめると「人間の承認欲求は側から見ると気持ちが悪い」である.
別に他人が何やろうと自由だけど,この SNS 社会でそう言う気持ち悪い人間を自分の視野から避けるのは非常に難しい.
不快だから俺の前に現れないでくれと思っても必ず現れてしまう.
一番有効なのは「SNS をやめて身近の人間と楽しく生活すること」であろうが,そんな分かりきったことを実行していればそもそもこんな日記は書かない.
私はインターネットが好きだし,SNS でわいわいやるのも好きだから止められない.そういう病気.
ここまで書いてきて,ネットにこのようなことをぶちまけるような行為が一番親にやってほしくないという皮肉.
お後が宜しいようで.
仕事→飽きた
セックス→飽きた
酒→やめた、飽きた
人付き合い→本を読み漁って努力した時期もあったけど自分は雑談や人にさほど興味がないと気付く
結婚→(上の過程で自分は明確に他人に興味ないということが分かってしまったので)どうでもいい
出産→退屈凌ぎでやるレベルのことではない(コスパ的にも道徳的にも肉体的にも)
ファッション→中国通販を知ってからユニクロすら高級に思うようになった
メイク/コスメ→ 美人のプチプラ>>(越えられない壁)>>ブスの諭吉と理解してからこだることをやめた
美容全般→50万のエステより5万のプチ整形と理解してから馬鹿らしくなった
趣味だった映画鑑賞→劇場の没入体験は魅力だがサブスク見放題(月額1000円ちょっと)を知ると一回1900円の娯楽は自分には分不相応だと思った。以来足が遠のく
趣味だった観劇→最前列から見切れ同然の席まで同額とかありえんだろと思った時点から純粋に楽しめなくなった(というかコロナ禍で行かなくても平気だったと気付く)
趣味だったひとり旅→観光客向けのぼったくり店があまりに多くて萎えた、飽きた。(国内のどこも然程景色は変わらないと知ってしまったことも理由)
アウトドア・スポーツ→目的が人付き合いではないのでどれも何回か経験したら単純に飽きた
食→健康志向にこだわるのも飽きた。ただ現代人は食い過ぎだという話はごもっともだと思う
SNS→人の食った飯などどうでもいい
YouTube→上に同じ、教養系は見るが同じ内容が多くて飽きつつある
健康管理→できる範囲の努力はするがそれでも人の致死率は100%だと思うと虚無を感じる
こいつ生きててつまらなそうだなと思われそうだけど実際つまらない。ハマると猿のように夢中になってここまで生きてきたのでこれまではある程度楽しかったのだけど、なんかもう全てに飽きてしまった。
人生は暇つぶしというけれど、これから何で暇をつぶせばいいんだろう。
スポーツ(観戦)→人に興味がないのでどうでもいい、他人の祭り
ギャンブル→一通り経験したがなにがおもろいのかわからなかった、時間と金の無駄という思いが強い
宝くじ→上に同じ
習い事→体系的に知識や専門技術を学ぶ場所ではないと理解してやめた。習い事って『教室』という名前を借りた社交場なんだと気付く、それを求める人たちの集まり(なんでそんなに人は人と交流したいんだろう)
家庭菜園→プロの栽培する大葉の方がずっと美味しいと気付き飽きる
自炊→ある程度できるようになり飽きた
創作→上に同じ、やればやるほど才能の限界を知り飽きる、おそらく承認欲求も薄いので他人に評価される喜びもあまり感じない
宗教→説法にはテンプレがあると高級時計を腕にはめた寺の息子に酒の席で聞いてからこんなもんかと思った。親の葬儀を仕切ったことで本格的に冷めた(布施の内訳を知りたい)。自分は戒名も墓石もいらない、できれば海洋散骨がいい。(八百万の神という概念の懐の深さは気に入っている、だから宗教は一応神道と答えるようにしている。新興宗教にハマる理由がわからない)
人の悩みを聞く→具体的な解決策を提示するなり行動し解決に導く人より、相手の気持ちを肯定し寄り添うポーズを取る人に対して人間は感謝すると知ってから馬鹿らしくなった、なにそれ怖いとすら思う
はてな及びSNSの炎上に参加→人に興味がないのでどうでもいい
人に興味がないことが全ての原因なのかもしれない。どうすればいいんだろう
サブスクじゃあかんのか→Netflixも見るが劇場通いが好きだったから少し趣旨がちがう
投資→ 生活防衛資金以外をインデックスに入れてるから基本やることない、投機に興味なし(マネーリテラシーの勉強はした)
子供/ペット→ どちらかと言えば反出生寄りなので命を自身の成長や暇潰しの目的にする感覚はちと理解に苦しむ。とはいえ子供も動物も好きなので寄付はしたい、将来マインドが変われば養子も大いにありだとは思うし、自分が死んでも世話をしてくれる人間がいるならペットもあり
小説→上手くはないが書ける、上と同じ
整形→した、飽きた、やめ時肝心
アナル開発→男だったら確実にやってた、らんまみたいにお湯をかぶったら男になりたい
俺が悦びを教えてやんよ→たのむわ
倒幕に立ち上がれ→すき
亡き前妻は、それで逝ってしまった→かなしいね、月並みだが奥様の分まで生きてくれ
通院/病気→大病経験済、以来肝が座ってしまった、鬱じゃないよ多分
転職→労働者から労働者にシフトするなら海外移住か起業(後者は向いていない気もする)
出家→前述の通り
ストリップ劇場→楽しそう、行きたい
歌舞伎→一幕見は経験済、コロナが落ち着いたら花道横を体験したい(大向を生で聞いた時は感動した)
「試しにやってみたけど何が面白いのかわからなかった」では? →ギャンブルや不倫はこれにあたるね
ただの三日坊主→経験値0と1は全く違う、三日坊主自体は悪いことじゃない、忘れていたような知識や経験が思わぬところで役立つこともある(Tedのマルチ・ポテンシャライトの概念は救われた)ただ今は三日坊主にすらなれないという話
プロと比較するから悪い→とはいえ餅は餅屋という分野はある、経験した上での見極は大事(香り高い大葉を作るプロ農家はすごい、私にはむりだ)
素人がプロに勝る唯一の武器が時間と愛だろが!→そうだよな、お前みたいな人が近くにいてほしい、すき
お遍路→やりたい
エクストリームアイロニング→なにこれおもろすぎる、やりたい
たくさん釣れてよかったね→前半に下ネタと不倫を書いたら皆読んでくれるかなとは思った(事実だし)にしても伸びすぎだよね
友達いなそう→ははは
捨てるならその命くれ→やだ
■※お礼
哲学やれ2→ 反出生主義を抱えながら脱出するにはどうしたらいいか、というスタンスもあると知った。個人的にこれは考える価値のあるテーマだと思った。あと飽きかけていたYouTubeの教養ジャンルに哲学史が増えたよ、ありがとう
海が山に行け→車飛ばして海眺めてきた、癒
映画館通い再開した方がいい→見る予定のなかったエヴァ行ってきた、(にわかの癖に)綾波の村暮らしやゲンドウの独白が今の自分に刺さりまくってボロッボロ泣いた、映画はいいねリリンが生み出した文化の極みだよ
海外行け→とりあえずTOEICの試験申込むときめたコスパ主義の欠点を生かして受験料を取り返すために勉強に励む(そうしないと飽きるので)
あの日はマジで空っぽになって書き殴ったけど、想像以上に多くの視点から意見が聞けた、ネガティブなコメント含め感謝してる
とりあえずまだ学べることもやれることはあんるだと分かった、ありがとう。
飽きることに飽きたました、人間の致死率は100%なので死ぬまで自分の祭りを楽しもうと思います
こんどこそ終わり
あいつら餃子騒動とかどう頭の中で整合性つけてんの?無理やりエクストリーム擁護してんの?なかったことにしてんの?
一番意味わからないのが「情報商材を売る方法の情報商材を売る情報商材屋」とか
「アフィブログの書き方を教えるアフィブログを運営するアフィブロガー」とかわけわからんことやってる奴ら。
あいつら何も生み出してなくない?しかもそんなのが1000人や2000人レベルじゃないのがヤバい。
「今は誰でも副業で稼げる!」「誰でもインフルエンサーになれる!」とか言って情弱煽るインフルエンサー様の害悪さもヤバい。
3DCGできますとか、アプリ作れますとか、イラスト描けますとか手に職ある系の内容だったら全然いいと思うよ。
でもそうじゃない、大多数は何の能力もなければ特技を身に着けようと努力する向上心もないゴミ共だろ?
そんな有象無象が稼ぐ手段って言ったらゴミみたいなアフィブログを量産してネットを汚染するか、人気ゲームを転売するか、売れもしない情報商材を売ろうとしてインフルエンサーのカモにされるくらいだろ。
地方のツヨツヨ企業勤め。なんで強いかって言ったらその地域のインフラに直結する仕事だから。うちの仕事を二四時間でも止めたら本気で付近の住民の生活が危うい。なので潰れることはまずない、という意味で強い。
でもどう考えても崩壊しそうなんですよね。人材不足ですから。人海戦術で乗り切るのが普通な業界ですし、属人的な仕事も多い。何より高齢化が著しくて変化に対応できないのに新しい人は入ってこない。古くさい仕事だからね。
で、そんなこんなで鬱病の人が出てしまった。俺の先輩だし同じ係だし。そして俺の係には係長と俺しか正規職員がいない状態。こんなのもう無理でしょ。機器のメンテナンスとか打合せとか色々あるし、ここに監視作業も入る。これを二人では絶対に回せない。なので再任用の人を引っ張りましたよ。いえーい。それでも回せないとは思うけど。
どうしようこれ。本気で副業や転職するかな。元々地元離れる口実に受けた会社だし、住んでる場所にも未練はあまりないんだが。安定していることしか取り柄ないからな。再発防止しないと次の患者も出かねないし。来年には上の人がごっそり辞めちゃうし、もうどうするんだろう。
今、ムサビの油絵科にいるんですが高校の頃から思考停止してたかもしれないと気づきはじめました。入学してだいぶ経っているんで今更?という感じだけども。
わたしが美大を目指したのって美術を学びたいわけでもなく就職したいわけでもなくただ絵が上手くなりたいってだけだったのかもなと思う。
正直なところ絵のことあまり好きではないだろうし、情熱もそんなないんだけど、幼少の時から絵が上手くなりたいって想いは一貫してもってるなと思う。
多分絵が上手くなりたいって想いだけでここまで来た。画力の向上と美大の相関はないから道間違えまくってる。(多分美大に合格する=絵が上手い認定って考えがあった)
あと受験のとき最初デサ科志望だったのに平面構成合わなくて即油絵志望に転換したのも平面構成(デザイン)じゃなくて絵が描きたかったからなんだろうな。日本画ではなく油絵だったのは単純に西洋絵画が好きだったからかな。
芸大落ちてムサビ補欠だったときそんな落ち込まなかったのも予備校で描いてりゃデッサン(絵)上手くなるからいいやっていうのがあったのかもしれない。受験ストレスは凄かったけど。
芸大第一志望でムサビ第二志望だったけど芸大第一志望だった理由が「風潮的に芸大がNo. 1だったから」「学費が安いから」だった。ムサビを第二に選んだ理由は「風潮的に芸大の次はタマムサだから」と「芸祭がよかったから」。
これ、ムサビの「芸祭がよかったから」が一番しっかりした理由じゃないか?なら、私の第一志望ってムサビだったのでは?と思う。今ムサビに通ってるからそう思うだけかな。でも、そう思うってことはムサビで色々学べて楽しいってことがベースにあってこそよね。いいことです。高い学費をありがとうお父さんお母さん。
とりあえず今は会社に入って働いてみたいから就職しよ、楽しかったらそのまま続ければいいし飽きたら院とか考えてみよかなー副業で作家もよさそうーと軽く思ってるんだけどこれまた思考停止してんのかな。
仕事も家事育児も「これくらいはして然るべき」というラインや、
将来を考えてこういうことをできるようにならなければならない、という部分への必要な準備という点で
妻とは認識にずれがあり、どうやって認識の差を埋めればよいか迷っている。
現状家事分担に関して言うと、洗濯と子供のお迎え、保育園の準備以外はすべて私がやっている。
食事も掃除も、お風呂やごみ捨て、必要な書類を集めたり保険の手続き等もすべて私だ。
妻が仕事をしているとき、半分くらいは携帯でゲームをしている。Youtubeを流してそれを聞いている。
それでも年収600万円くらいはあるので、世間で言えば十分稼いでいるのだろうが、
その遊んでいる時間で年収を上げたり、子供のために何かをしてあげたり、やれることはあると思う。
でもそれをしない。結果朝は起きてこないし、必要な書類をそろえたり、手続きをするということもない。
この場では自慢にもならないと思うが、私の年収は妻の倍ある。
金銭的に生活に困るわけではないが、将来何があるかわからないのだから稼げるときに稼いでおきたい。
子供がいない時間は勉強や副業、帰ってきてからはご飯やお風呂、寝かしつけなどをしてまた勉強に戻る。
ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。
自分は33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市に暮らしている。
会社は子会社系のSIer。新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的な時代遅れの会社だった。
正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料は年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間の残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分の市場価値を考えれば高いと思っている。
一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年前に入った頃から使っている技術も会社としてのマインドは何ひとつ変わらず現状維持がモットー。口では「子会社としての安全神話は終わった」「DXだ」と言っているが、行動が伴っていない。
こんな環境に危機感を覚えないわけがなく、数年前に転職活動をしてみた。その頃はこっちに有力な求人は無く、とにかく東京の求人に応募していた。その結果、有給ぶっ込んでの日帰りで東京に行く過酷な面接に力尽きて断念した。というのは建前で、チャレンジすることにビビってたのかもしれない。本業であまりにも技術的な取り組みがないのでプライベートでプログラミングしたりWebサービス作ってみたりしてたけど、それも趣味程度の取り組みで「今からじゃ遅いんじゃない?」と自分でブレーキを踏んでいたんだ。
そんなこんなで「まだ今の会社でできることがかあるはずだ!」と自分に言い聞かせて続けてきた。結果、市場価値が上がるような仕事は何もしていない。自分なりに新しい仕組みを取り入れてみたりはしたけど、それだって会社にインパクトを与えるもんでもないし、Qiitaのやってみたレベルかつ今ではレガシーな技術たちだ。
「SIerはPMになるしかない」なんてよく言われるが現職のPMは協力会社に見積と作業ぶん投げて、死ぬ程使いづらい社内ツールに決められた進捗項目を入れていくだけの仕事。あれで「PMできます」なんて言えない。
それで昨年立ち上がった超大型プロジェクトが外部NWから遮断されたオンプレのサーバーで、自社製フレームワークを使い、IE11"を"ターゲットに開発されることになってふと思ったんだ。
「このままGitHubもクラウドもDockerもBacklogも使わず、(自称)エンジニア人生が終わるんだろうな」と。この会社での人生があと30年も続くのかと。
個別の技術に思い入れがあるわけではないんだけど、やっぱり技術で課題解決したいと思って入ってきた世界だからさ、会社の前例やルールじゃなくて、合理的で先のある技術を使いたいんだ。
結局、転職を思い立った数年前から業務外での勉強をやめることはできなかった。でもこれは何のためにやってるんだろうな。本業ではクラウドもWebプログラミングも、アジャイル開発手法も求められていないのにね。虚しさが募ってくる。いっそのこと本業が完全に別の業界だったら良かったのに。(実際別業界と言っていいレベルだけど……)
じゃあ転職するの?20代で「今さら」と言って止めたのに?それこそ今さらだろう。コロナ流行によって東京本社のフルリモート勤務求人が劇的に増えた。もう少し若ければ追い風だったかもしれないが、社会人10年を超えたおっさんが、新しい会社どころからフルリモートなんて環境で働けるのだろうか。あ、もちろん現職はバリバリ出社。シンテレワーク頼みのVPN環境はあるけど社内ルールとかいろいろあって無理なんだって。
年代的には技術とリーダー経験がそれなりに求められるんだろうけど、これまでの経験ではとても満たせそうにない。本業ではレガシーなシステムの保守でそのほとんどが業務よりの仕事でなんちゃってPMやってただけ。独学の開発経験なんて昨今問題になっているプログラミングスクールと大して変わりないだろう。
転職サイトではベンチャーとかから声かけてもらえるけど、まともなエンジニアと話するのがもう怖い。
思考がネガティブな方向にしか向かない。こうなったらいよいよ腹を括って現職にしがみつくしかないんだろうか。しかし、ここまで会社への不満を溜め込んでしまったら、今後若手の取り組みに苦言を呈する老害になる未来が見える。
現職を続けてよかったことと言えば今の家族を持てて、(今のところ)無理のないローンで家を買えたこと。子供は一人で確定だし、子供が小学校に上がるくらいには妻も時短解除で普通に生活はしていけるだろう。
安定を求めた結果が今なんだけど、仕事への不満抱えながらあと30年耐えること考えるとめまいがしてくる。(あと10年もしたらそんな不満も忘れて老害化してる可能性もあるけど。)一方で無能おじさんがこれから新しい会社で活躍する未来は思い描けない。
よく歌詞に「思い描いた大人にはなれなかったけど」とかあるじゃん。あれ、子どものころは芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人になれないって意味だと思ってたけど、実際は自分の仕事に誇りを持てず。ただただ惰性で生きる人のことだったんだね。立派にエンジニアの責務を果たしている人たちが雲の上の存在に感じるよ。
今後の人生で一番若いのは今この瞬間で、悩んでる暇なんか無くて行動するしかないんだろう。というか実際のところ現職が自分には合っているんだろうが、理想とのあまりのギャップがとてつもなくしんどい。悩むのをやめたい。もう労働を捨てたい。
【追記】
便所の落書きのつもりで書いたら自分のTLにまで流れてきてビビった。
共感してくれる人も多くいて、なんだかんだ優しい人が多いよね。
みなさんのコメントはどれも正論だと思って読ませてもらってるけど、思ったことを追記してみる。
今後定年が伸びることとかも踏まえれば、それはそうなんだと思う。というかこの記事で「年齢がネックになっている」を全面に出してしまったのが悪いんだけど、自分自身問題はそこじゃないことには気付いてるんだ。
コメントの中でもいくつか指摘があったけど、要はマインドなんだ。これに尽きる。
やってみる勇気、前向きな思考、フットワークの軽さ。このどれもが自分には欠けていている。だから理想(に見える)会社やエンジニアが眩しく、現職に不満が募る。
思考をアップデートしようと『嫌われる勇気』とか『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』とか読んだんだよ。内容は理解できるし、そのとおりと思うんだよ。でも動いてないんだ。
この記事含めて動けない(動きたくない)理由を並べて溜飲を下げてるだけなんだ。
昔から何となく気付いてはいたんだけど、ここまでネガティブな人間だと思わなかったよ。妻にも子供にも申し訳ないよ。
それはそうなんだろう。それをやってないのは実際のところそこまで技術に振り切るほど技術を愛していないし、あと自分に能力が無いと卑下しているからなんだろう。
と、またやらない理由を並べて終わりなんだ。
これは理解している。だから得も言われぬ焦燥感に駆られている。
永遠に現職の環境が変わらない、なんてこと無いのはわかってるけど仮に数年後DockerやらGitやらが入ってきたところで、またその時点で世の中から遅れになっていると思う。それが新しいプロダクトなのかアーキテクチャなのか開発手法なのかは分からないけど。
具体的なプロダクト名を挙げたのがまずかったのかもだけど、レガシーだから悪いとか、最新の技術を使いたいとかよりも、これまでの10年で見てきた現職は柔軟に新しいものを取り入れられず一方で口だけはご立派、という会社文化そのものが問題だと思っていて不安を感じている。競争原理が働く市場にいたら、自然淘汰される存在のはずなんだと。
・年収について
高いのかな?いや、平均年収とか中央値とか見たことはあるけど実生活上で高い実感はまるでない。
東京基準で考えたらは恵まれているのはなんとなくわかるけど、地方と言ってもそこそこ人口いるので都会の人が思う”地方”ほどの基準ではないと思うよ。
我が家は妻が時短中というのもあるけど、買った家は小さい建売だし子供一人が妥当かなと思う。有名メーカーで注文住宅建てたり市街地の高層マンション買う人たちはどんな層なのかが気になるよ。
どうも。皆様はじめまして。
具体的にはWEB、紙雑誌でライティングの仕事、たまーに版下記事を丸っと任せていただき、DTPの真似事や簡単なデザイン関係のお仕事もしています。
簡単に言うと、記事ライターというやつです。特定されないよう文体を変えているので、文章に変なところがあってもご容赦を。(金とるわけでもない文ですし)
「憎悪クリエイター」って何やねん?と思われたでしょうが、先日増田で見かけた単語がいいなあ、と思ったので使わせてもらいました。
簡単に言うと、今回タイトル文に使った「遊郭編のタイトル炎上」だとか、「LGBT問題」だとか、「男女差別問題」だとか、「政治屋への批判」だとか、ジャンル問わず、『分断と憎しみを煽る記事』を作っています。
ちょっとジャンキーな言い換えをすると、「レスバトルの火種になる記事」のクリエイターです。人と人の憎しみを増幅させることで昼飯を食べています。
私を含めた、そういう人達のことを、私は勝手に憎悪クリエイターと定義させていただきました。
(まあ、皆様なんとなーく、我々の存在を感じ取っていたとは思うのですが…)
貴方がイラっとした記事や、ジェンダー問題や環境問題とか、正解がないのにも関わらずSNS上での議論が紛糾した問題を思い浮かべてください。
簡単に言うと、情報をある程度恣意的に切り取り、意図的にSNSで炎上するように仕向けた記事を沢山書いて出荷しています。
その方が金がいいから…ではありません。
己の政治主張を通すため…でもありません。
私は元々、ペットのお役立ち情報とか、ネコやインコの記事をメインに書くためにこの副業を始めました。
しかし、いつの間にかネコちゃんやインコが可愛い!という記事よりも、
「アイツがやらかした」だとか「こういう差別が問題になっている!」という記事の方の仕事をいただくことが多くなり、段々そちらがメインになりました。
以上です。
私は過去、妊婦の問題や貧困問題なんかを、さぞ苦しんでいる人々がいるように書きました。
しかしながら、別に私自身は子育てに苦しんでいる人を救済したいとかないですし、逆に苦しめばいいとかもありません。
「AT運転はダサいという声が」といった記事を書けば、勝手にSNSで議論になって盛り上がる、と言えばわかりやすいでしょうか。
炎上したら、しめたものです。閲覧数の多い記事が書ければ、次のお仕事につながるからです。
あと、謝ります。
遊郭編についての記事は書いてません。単に興味がある人が多いだろうから適当に使わせていただきました。悪しからず。
まあ遊郭編についても同じことです。自分もああいうタイプの記事を作ります。動機は需要があるからです。
元の漫画だとか、子供の教育をこうしたい、とかはありません。結果は求めていません。
例えば我々憎悪クリエイターが「ネトウヨやブサヨのここがおかしい!」などという記事を書いたとして、実際に政治主張が左向きや右向きかと言われると違います。
つまり、閲覧数そのものが目的なのです。どんな記事だろうと、読んでもらえなければ意味がありません。
別に炎上の結果企業が叩かれようが、世界が正しい方向に向かおうが、政治家が引退しようが、関係ありません。
人が記事を引用してリアクションすると、勝手に拡散してくれて結果的に第一目標の「閲覧数を増やす」というのが達成される確率が高い。
それだけの話です。リアクションの内容はどうでもいい。賛同でも、否定でもいい。
では何故、「憎悪クリエイト」が多く行われるのか?需要があるからです。
win-winなのです。
どうせ、多くの人は記事の中身まで読みません。勝手にタイトルから「こういうことを言おう!」と決めてくれます。
あります。
憎悪クリエイトを行う時に重要なのは、「なにが嫌なのか理解すること」です。
だからこそ私のような人間は多くのコミュニティに参加しています。
漫画だのアニメだのゲームだの作品の感想を楽しく言う場所だとか、ガールズがちゃんねるしている場所だとか、他にも海外の掲示板だとか。一例ですが。
皆様が何を楽しみ、何にイラっとするのか。わからないと正しく憎しみを煽れないので、ちゃんとコミュニティに合わせた感性を忘れないようにしています。
我々が皆様にわざと勘違いさせていることなのですが、メディアは貴方達ユーザーと同じようにメディアを閲覧することができ、同じ感情を持つことができます。
なにが好きなのかわからないと、その好きなものをけなせない。勘所がわからないのです。
論理を破綻させ、倫理を捻じ曲げる。上手くそれをやることが憎悪クリエイターの腕の見せ所です。
・最強のA案
「見ない、反応しない」
これが答えです。
憎悪を煽るような記事は見ない、そして「取り上げている対象」を叩かない、「記事そのもの」も叩かない。
例えば森氏の失言問題においては、森氏の記事そのものを見ない、森氏の家族を陰湿に叩くメディアを見ないということです。
貴方たちが見た時点で我々の実績になります。アクセス数が伸びれば、当然ながら同じような記事を書きます。
メディアは人の心がないから加害者の家族を追うのではなく、人の心がわかるからこそ加害者の家族を追跡するのだということを認識するべきです。
政治は税金が絡むので市民が監視者になる必要があるというお題目がありますが、そういうお題目を最大限利用するのが我々憎悪クリエイターです。政治だろうが芸能だろうが教育だろうが、同じことです。
閲覧とリアクション。それを得られるならば、できることはやります。
例えば児童が読むものに遊郭編とつけるのはいかがなものか、とか。
倫理や正義、正しさなどというものは我々にとって利用価値の高い道具です。
とはいえ、皆様には何かを叩く権利があります。義務ではありませんが。
犯罪行為や反倫理的行為を叩く行為は、運営や警察がカバーしきれないネットワークにおいては必要な暴力機能でしょう。
100日後に死ぬ爬虫類の叩きについては、某社のアレとかでご理解されているように、我々職業的な憎悪クリエイターからは離れた案件になります。
つまり、「感情面と経済的合理性から叩く意味がないもの」を叩く行為を行えば、それは我々憎悪クリエイターの手から離れた叩き行為です。
ネット上でものすごく愛されているものを叩いてみてはどうでしょうか?
利害関係的に誰もが損をする。そういう対象を叩けば、最初のうちは我々の意表をつく行為です。叩く対象がなんでもよいのであれば、そちらを推奨します。
憎悪クリエイターの利用者は多くの場合、怒りをぶつける相手が欲しいだけです。
憎悪そのものが目的であり、その結果としての改善を望んでいる人などほとんどいません。
貴方達が議論している「すぐに解決しない問題」は我々の昼飯代程度の金のために作られた問題だということです。
色んな記事を書いてきました。
女性差別を失くそうという記事、フェミニストがウザいという記事、ヴィーガンになろうという記事、ヴィーガンがウザいという記事。ナチスは正しいという記事。ナチスにならないためにはどうしたらいいのかという記事。
アニメや漫画の規制を促す記事。漫画やアニメーターの保護を訴える記事。弱者を守るための記事。弱者を利用する記事。
全て、憎悪を煽るためです。憎悪は構造上、金を産みやすいのです。
巨悪がいて、情報を統制している、などというファンタジー世界は存在しません。
貴方達の需要に応え、私達憎悪クリエイターによって安い金で作られているのが貴方達が社会問題や命題だと思っていることです。
(あ、でも某広告代理店が「年金受給者」と「若者」の対立を煽ろうとしていたのはガチです。長期目的は知りませんが、かなりの予算が動いていました)
何故憎悪クリエイターが生まれるのか?需要があるからです。貴方達が私達を産んでいるのです。
貴方達は自分のスタンスやポリシーに理解がない人間を叩くことを常に望んでいます。
論理の破綻を見つけるのが嬉しくてたまらない、知識をひけらしたくてたまらないのが貴方達です。
我々を消す方法は、「見ない、反応しない」です。そして皆様にそれができないのは、私達が一番知っています。
私は、少し疲れました。私の言いたいことが皆様に伝わり、この記事が誰にもリアクションされず、誰にも見られなければ私の勝利でしょう。
しかし、私はきっと勝てないでしょう。
商業イラストレーターとも一緒に働くことがある環境だけど、やはり彼らはアーティストではなく社会人であり、デザイナーに近い性質を持っている。納期の中で目的を達成するための最適なクリエイティブを、人とのコミュニケーションをしながら生み出すことができる。そうした人たちとして働くには、個人的にはアウトプットの速度と、一定程度の柔軟性(自分のスタイルを保ちつつも状況に応じて妥協点を探れる性質)が必要に思える。そして、それを高めるには増田も認識している通り、社会人経験が有効なようだ。
一方で、クリエイティブ職を目指して挫折した経験があるので、彼女の気持ちもよくわかる、ように思える。(増田の文章から想像される、自分の中の彼女像に対してだが。)
何者かになりたい、それを証明できるのは自分が作り出すものだけだ、という断定と焦り。自分の作ったものでお金を稼ぐことができたという喜び。自分の作ったものが誰かに認められ、褒められたときの全能感。これらを一度味わってしまうと、それを手放すことはとても困難だ。
結論、増田の考えの方向性にとても近い。クリエイティブに近い職場で、直接手を動かさなくてもディレクション等で力を発揮する環境を手に入れる。もしくは、クリエイティブに全く関わらない仕事に就いて、趣味や副業として作ることを続ける。
増田は彼女の後見人ではない。最後まで面倒をみる責任は、恐らくない。(どういうバックストーリーがあるかは分からないので、「おそらく」とする。)究極的には他人であるので、増田の考えを強要することもできない、と増田は知っている。彼女が夢を追い続け、増田がそれを許容できない場合、別れるタイミングが来たのかもしれない。
何で理解のある彼君をやっているのか
当方男子校出身大学は理工系、就職先はITエンジニア。このような人生を辿ると少なくとも自然に女性の友人ができるような事は全く起きない。
女性と知り合うには自分から積極的に動く必要があると気付くのは大学卒業前か、もしくはそのまま気づかない人もいる。
このような環境において女性と接するという機会自体が非常に稀である事から多少は欠点のある女性でも一緒に居てくれるだけで飛んでもなく好きになる。
普通に考えたら許容できない欠点も次の人を探すハードルがとんでもなく高いので多少の欠点には目を瞑る。
同じ年収、同じ教育レベル、同じような実家に太さの女性と付き合いたいと思った時、同じレベルの女性は振り向いてくれないのだ。
(例:職場の同僚女性の彼氏は弁護士で独立しながら副業を何個も回し、かつ教養が高いそうだ。
大学の女性の友人は既婚だが、某S社の研究開発部署で働く楽器演奏もできるコミュ強な方だった。
特に自分はまだ若いので、同年代の女性はまだまだ夢をみれるお年頃。
そもそも同じレベルの女性と知り合うというのは会社でやった場合倫理的にアウトだと言われかねない。こういうのは大学や高校のうちに済ませるべきだったと気づいた時にはもう遅い。通う学校の選択肢を間違えたあとだった。
ちなみに女性を探すときは主にマッチングアプリで探す。理解のある彼君漫画に彼君がポッと出てくるのはマッチングアプリで捕まえたからだろう。
普通なら縁を切るような相手でも自分が耐えられるのでそのまま一緒にいれるのだ。
よって、ちょっとの事では弱音を吐かないので世の中に発信もされないので可視化されない。
そもそも理解のある彼君をやってることを自慢した奴などどこにもいない、我々は異性獲得競争の中では負け組に入るのだから。
なんだかんだ言って付き合ってないよりは付き合ってる方が自分としては幸せだ。
彼女は可愛いし、ダメなところは庇護欲をくすぐられるし、一緒にいる間は人生で数少ないジェンダー的役割を果たしている気になり、自尊心が育まれる。
ただ、時折介護をしているような、自分ばかり我慢したり負担を感じているような気がして、対等なパートナーが欲しかったなと少し悲しくなる。