何で理解のある彼君をやっているのか
当方男子校出身大学は理工系、就職先はITエンジニア。このような人生を辿ると少なくとも自然に女性の友人ができるような事は全く起きない。
女性と知り合うには自分から積極的に動く必要があると気付くのは大学卒業前か、もしくはそのまま気づかない人もいる。
このような環境において女性と接するという機会自体が非常に稀である事から多少は欠点のある女性でも一緒に居てくれるだけで飛んでもなく好きになる。
普通に考えたら許容できない欠点も次の人を探すハードルがとんでもなく高いので多少の欠点には目を瞑る。
同じ年収、同じ教育レベル、同じような実家に太さの女性と付き合いたいと思った時、同じレベルの女性は振り向いてくれないのだ。
(例:職場の同僚女性の彼氏は弁護士で独立しながら副業を何個も回し、かつ教養が高いそうだ。
大学の女性の友人は既婚だが、某S社の研究開発部署で働く楽器演奏もできるコミュ強な方だった。
特に自分はまだ若いので、同年代の女性はまだまだ夢をみれるお年頃。
そもそも同じレベルの女性と知り合うというのは会社でやった場合倫理的にアウトだと言われかねない。こういうのは大学や高校のうちに済ませるべきだったと気づいた時にはもう遅い。通う学校の選択肢を間違えたあとだった。
ちなみに女性を探すときは主にマッチングアプリで探す。理解のある彼君漫画に彼君がポッと出てくるのはマッチングアプリで捕まえたからだろう。
普通なら縁を切るような相手でも自分が耐えられるのでそのまま一緒にいれるのだ。
よって、ちょっとの事では弱音を吐かないので世の中に発信もされないので可視化されない。
そもそも理解のある彼君をやってることを自慢した奴などどこにもいない、我々は異性獲得競争の中では負け組に入るのだから。
なんだかんだ言って付き合ってないよりは付き合ってる方が自分としては幸せだ。
彼女は可愛いし、ダメなところは庇護欲をくすぐられるし、一緒にいる間は人生で数少ないジェンダー的役割を果たしている気になり、自尊心が育まれる。
ただ、時折介護をしているような、自分ばかり我慢したり負担を感じているような気がして、対等なパートナーが欲しかったなと少し悲しくなる。