はてなキーワード: マイペースとは
けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。
来月辺りに広瀬すずと松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。
著者の凪良ゆう先生はBL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。
主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女は放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛けて読書をして時間を潰すようになる。
公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。
更紗が伯母の家での暮らしに限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。
ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまうストックホルム症候群にしか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語。
なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。
ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実は真実とは違うということがわかりました。わたしも無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳の時間の小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。
まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児の可愛い言動や性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児と誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為そのものは生々しく描写されはしないので、虐待描写のオカズ化は防がれている。そういう意味では安心。
未成年者略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。
現実にも起こりうる、子供が被害に遭う犯罪とその冤罪。当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者・加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏な日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語のネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。
個人的な好き嫌いのことをいえば、センシティブなネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年者略取の罪を犯したと思ったら実はそいつは小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。
『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまり好きじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せに暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実と真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。
だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。
事実と真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。
たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身の母親や、同僚の子持ち女性の自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分の恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽に辛酸をなめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い、精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分の人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから、最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしまう余地が読者には与えられている。
一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解も共感も彼女は拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランス。DV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。
また、他人の無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。
後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意やちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写が妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。
にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説が安易な共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分の意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。
さて、以下は凪良ゆう先生のBL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。
主人公の平良は吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト最底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメのターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。
そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境をものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。
凪良ゆう先生のBL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズである。イジメの被害者と加害者のカップリング。主人公の平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手の人間性や共通の体験についての見方ががらりと変わる。事実と真実は違うとはまさにこのこと。
幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親が鉢合わせたことにより、にいちゃんは逮捕されてしまう。
数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃんの行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈な性的虐待を加えるのだった。
ほんものの小児性愛者でしかも性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群な高校生のカップリング。虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写がゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である。
腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父と性的な関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。
そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語。最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。
はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児の物語だが、やはりこれも事実と真実は違う系。ところが真実は事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。
第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章は家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。
私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。
映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまり好きじゃないな。
酷暑の真夏、若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手に糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女の祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。
小説にしか描けない現実があるとして、実際に起こった事件をモチーフに書かれたフィクション小説である。
児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプの社会的弱者の物語。著者の山田詠美先生は自由な女性の恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品。
俺の地元のハトは人間と共存しているがこちらを味方だと思っていないような感じだった
大阪のハトは「ちっす」「どない?」と人間を舐め腐ったような態度で街を歩いている
3位 樟葉
ひらかたパークで有名な枚方の近く。くずはモールというクソでかい商業施設がある。というかそれ以外何もない。
樟葉のバスのロータリー横の広場のような場所にハトがたくさんいる。
2位、1位のように厚かましくはないがのんびりしすぎている。危害を加えられるという発想はないのか。
リラックスしすぎてハトとしての形状を保っていないやつが多数いる。ちょっと可愛いと俺は思うがくずはモールに遊びに来た若い女にキモがられている。
2位 枚方
ひらパー。駅に色々便利な施設があり、そのど真ん中に待ち合わせ場所に便利な空間がある。そこの本来人間が座る場所でハトがくつろいだり仲間とだべったりしている。
学生が多い街で人通りも多いがハトは決して動じずマイペースに過ごしており、若干汚いジジイとかからエサをもらっていた。
今は知らんがコロナ前は(多分禁止されてるが)スケボーをしたりダンスの練習をしたりしている奴らがいて、それをじっと見ているようなハトもいた。怖くないのか。
1位 千里中央
地下鉄駅付近には昭和の香りが残っているが地上はのほほんとしている高級住宅街。走ってる車がほぼファミリーカーか外車。
せんちゅうのハトは「ん…?俺は人のメシを食うが…?」みたいな顔で人間に近づいてくる
そこそこ金と時間に余裕があるジジババが多く住む街なので長年一部のマナーの悪い奴に餌付けされてきたんだろう
無邪気なガキがハトをビビらせようと群れにダッシュしてもお構い無し。「どうした?」と余裕ある表情で飛んで逃げたりはしない
大阪北部地震と建て替えの問題で施設の大部分が閉鎖されたこととコロナがあり人が減ったことでハトも減ったのが寂しい
--------
↑の街には一度も住んだことがなく、ずっと市内に住んで市内で働いてるし名前が出てたところにも何度も行ったが、これは厚かましいハトランキングであって暴力的・獰猛なハトランキングではない。
人間と負けじと荒々しく生きるハトも好きだが、人間に甘やかされて存在を認められ続けた結果人間を舐め腐ってるハトが好きなんだ。
私と付き合った後もよく2人で出かけてるみたい
流石に泊まりは一度もないし、いつも事前に報告はくれるから無断じゃないけど
元々お互いの交友関係尊重し合う約束で付き合ってるし、私が学生時代の友人グループと遊ぶのも快くOKしてくれるから何も言わないけど
でも私は男女混合グループで遊ぶけどそっちは女性と2人きりなのちょっとモヤモヤしてるよ
ご飯、サシ飲み、買い物、ライブ、映画館、カラオケ、食べ歩き、ちょっとした日帰り観光…それ私じゃダメなの?私じゃなく女友達を誘う理由は何?
私と付き合う前からじゃれあいのハグとか手繋いだりとか普通にしてたみたいで、それだけ親密なのに何故当時身体の関係持たなかったのか聞いたら「あの子とはセックス要らないんだよね。2人で会って普通に一緒に過ごすだけで超楽しくて」って
身体の関係がなくても一緒にいるだけで楽しくてでも自然に触れ合えるような関係の女性ってセフレとか勢いでやっちゃった浮気よりはるかに精神的繋がりとか絆みたいなの強く感じてグロい
まさか今もスキンシップ続いてるのかな?セックスはしていなくてもキスは?怖くて聞けない
私は銃で人を殺すゲームが苦手だから彼の好きなFPSが一緒に出来ない
だから休日ずっとその女友達とボイチャ繋いで一日中ゲームしてる日もあるみたい
「試合中だったから、手が離せなかったから」って、ゲームなんだからいつでも中断できるんじゃないの?
前に女友達さんどんな子なのか聞いたら、気さくで頭の回転速くて面白くて良いやつだしゲーム超上手いから俺の友達とかもガチで凄いって皆言ってて・・・ってべた褒めしててさ
ていうか、私は未だにあなたの友達の誰にも紹介してもらえていないのに、その子の事は皆が知ってるんだね
逆に女友達は私と面識ないけど、彼が私と付き合ってる事は彼から聞いて知っててでも私の事は彼が話した以上のことは知らないし「あなたが選んだ彼女なら良い人なんだろう」って全然聞いてこなかったって
唯一聞かれたのはこれからは友達をやめないといけないかどうかで、彼が大丈夫って答えたら「あなたが大丈夫って言うなら問題ないな」「今後もいつも通り遊べるならそれでいい、悩みや愚痴を話したい時とかじゃない限り特に何も聞く気はない」みたいな軽い返答だったらしい
それからは本当に一切何も聞かれないらしくて、多分私に興味すら持ってないみたい
その余裕が心の底から憎い
彼女である私はひたすら不安で詮索して嗅ぎ回って、向こうは私の事かけらも気にしてないとか、その彼の言う事を信頼し切った態度とか
彼女はお前じゃなくて私なのに
でも彼はその子のそういうさっぱりした所やマイペースな所が好きなんだろうな
彼が束縛を嫌う性格なのは分かってたからサバサバした性格のフリして理解ある彼女みたいに振る舞ってきたけど本当はずっとその子が憎かったよ
なんで私は彼女なのに私ばかりこんなにかき乱されないといけないの?腹が立って仕方ない
だってお前が彼とさっさと縁を切ればこんなに悩まずに済んだのに、どうして「友達をやめないといけないか」をわざわざ確認したの?弁えて身を引けばいいのに、彼の隣に居座ろうとしたのはもしかして彼の事が好きだから?本当は友達のふりして略奪を狙ってる?気持ち悪くて耐えられない
私だって本当は理解ある彼女のフリなんかやめていっぱい会いたいし構われたいし可愛がられたいのに、なんで彼女じゃないお前がそれ全部貰えてるの?それも当然みたいに、私の事は一切眼中にないみたいに
彼と付き合ってるのはお前じゃないのに、勇気出して告白してOKして貰えたのは私なのに、彼に選ばれた私がなんで惨めな思いしないといけないの?消えろよ
本当はその女友達との関係をずっと大切にしたいから詮索も束縛もしない理解ある彼女を求めてたって事なのかな
私とのデートよりそいつと会って遊ぶ頻度の方が多いのも、型崩れ気にして普段ポケットに物入れないのにニットの片側のポケットだけ少し伸びてた事も、マフラーに明るい色の髪の毛が付いてた事も、気付きたくもなかったけどもう分かってるからずっと病んでる
でも詮索しすぎたら振られるかも知れないから、本当の私はこんなに不安定で嫉妬深いなんて知ったら絶対捨てられるから、言えない
それに何となくの直感だけど、その女友達との絶縁を迫ったら彼は私を捨ててでもその女友達を取る気がする
もし他にも女友達がいるならその子たちとは好きに遊んでいいけど、あいつだけはダメ
本当に絶縁して欲しい
本当に憎い
昔は良かったって言いたいわけじゃなくて、昔の感覚から新しい感覚へどうやったらシフトしたらいいんだろうって迷ってしまったので、思いつくまま書いてみる
子供のときにポケモンの赤緑をやってて、今もまあまあゲームをする大人になったんだけど、純粋に楽しめてない気がして、最新作に手が出せてない
いわゆる知識や経験が増えたからnot for meになっただけだよって言うより、世の中の変化によって、みんながやってることをやらされてるだけなんじゃないかってことに気づいてしまったせいな気がするんだよな
ポケモン赤緑な子供のころは、まだインターネットとか今ほど当たり前じゃなかったからゲームと自分の1対1が大事だった
友達と会話するとしても、ゲームのここが楽しかった!自分のこいつは強いぞ!みたいな、やっぱりゲームと自分の関係がメインだったんだよね
攻略に関して嘘みたいな噂なんかも色々あったけど、それってつまり調べても答えがなくてひとりひとりが試行錯誤してたって証だと思う
でも今って、話題のゲームがリリースされたらみんな同じゲームを我先にとハイスピードでこなして、その後対戦とかの対人での強さの誇示がメインの遊び方に移行するんだよね
もちろん昔からみんながせーので同じゲームに飛びつく傾向はあったろうけど、今ほどそれを目の当たりにすることがなかったと思うし、ひとりで楽しむ余地はもう少しあったんじゃないかなと思う
そんなわけで、自分はポケモンが好きでいたいし、今でも本質的には好きだと思う
世の中に左右されずにマイペースに楽しめばいいと思う
でも、たとえばyoutubeを開けば有名無名問わず多くの人が同じストーリーをなぞっているだけなんじゃないかということに強く気付かされてしまう
友人と話題にするなら対戦だ個体値だ効率だなど、調べればすべてわかってしまう作業でしかないんだなあと思わされる
新作ポケモンをやれることがうれしくて、未知の経験ができるんだっていうワクワクする気持ちを取り戻せたらいいのになと思うのだけれど、買ってそのまま放置してしまっている
あの頃みたいに冒険したいなあ…
しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気でマイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。
そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。
「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃんは自分の家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。
授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。
オメガバース作品。オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛。
私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。
オメガバース設定の作品は性質上悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨な暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。
だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。
このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネスに配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。
茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしまちゃんが小学校低学年ぽいので、彼らはガチで計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。
とはいえ、エロシーンはエロい。別にエロがエロいのは悪くないけど、個人的にあんまり受けが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。
あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんとゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。
オメガバース設定はその性質と物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みからも批判され一部からは嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界の自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも、女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース等特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。
この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手を成仏させるという特殊スキルを持った若者・左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品が刊行されている。
大学生の桜蔵は、父方の祖父の墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故。
そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。
『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。
そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族の系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。
私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語にミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。
ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから、万葉集などの和歌や謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた!
細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系、後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。
「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。
そもそも、タイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。
まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明。
まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。
『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。
「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。
『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちなBL短編連作小説だったー。
猫シッターのアルバイトのつもりがセックスのポジション的な意味で猫にされてしまう大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。
BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。
今回はこれまで。最近某BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生の新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。
増田が自分と近いタイプのオタクで気持ちがめちゃくちゃ分かる。
自分も考察とか苦手で、サラッと作品を楽しむタイプだし、深読みとか考察をSNSで流れてるのを読むと「なるほどな」とは思うけど、同時に「自分はここまで考えられない」っていう劣等感を感じる。情報発信が多いジャンルだと、それに疲れて熱が覚めることもしばしばあるよ。
作品の楽しみ方は人それぞれだし、考察してのめり込めないならオタクじゃない!って訳じゃないと思うから、今の友だちとはタイプが違うんだなぐらいの気持ちで付き合うのが楽だと思う。
考察もここが好きで〜みたいな語りも「なるほどな」ぐらいで流そう。偏見入ってるけど、考察好きで語るタイプはあんまり積極的に相手の話を聞き出そうとしないから、あなたが語らなくても気にしないと思う。
あとは、好きだけど友人やSNSには好きだってことを発信しない作品を持っておくとかかな(すでに完結された漫画とか、発売から数年経ってるゲームとか、なるべく公式から発信される情報が少ないものがオススメ)
ってーか隣も挨拶回りか何かで人が居るみたいで、
とにかく人が居ないと寒くて仕方ないわ。
私もいい加減また帳簿の準備のレシートとかクレジットカードとかの経費を整理しなくちゃいけないのに目を瞑っているのにはいい加減整理しなくちゃって思うし、
ぐだぐだするんだ!ってもうお正月を延長したいこの頃のもう4日なんだけど、
今日もすっかり定食屋さんでモーニングを決め込もうと思ったけど、
まだオープンしていなかったわよ。
待つのもシャクなので
商魂たくましいお正月からやってるサンドイッチ屋さんでサンドイッチを買ってまあヒーコーでも飲みながら、
帳簿の整理をってワケなの。
本当にここの事務所というか
本当に自分のことが出来るのはこう言った時期のチャンスを狙って
とんでもないと言えばとんでもないけど、
言いすぎと言っちゃー言い過ぎなのよね。
でもそんな勢いよ。
潰れちゃうわよ?って思うのよ。
まあそんなことさておき、
おかげで寝過ぎて腰が痛いというか
腰調子良いわ~。
なんか近年腰の痛いのがあったので、
要注意ってところなんだけど
何事も限度があるって事ね。
そいでさ、
お正月特番のテレビもお笑いの見たい番組を1つだけ録画したのを観て
案外それだけだったわ。
あとは何してたっけ?
スイッチにダウンロードして遊んでないゲームを始めたら眠れなくなっちゃって、
6時間やってもまだ塔の半分も登れてないのよ!
まあそんなことはさておき、
ブクマ300ぐらい叩き出す増田を1つか2つ書けたらなって思うのと、
積みコンテンツをなんとか消化する!って
なんか毎年言ってるような気がするけど、
これヤバいわよ。
読みたい放題のコースには言っておきながら最初の1ヶ月で読むのに燃え尽きちゃったのもあるし、
もう読まなくて月額取られているならまったくアマゾンの作戦の手の中に入っているようで、
最低でも月に2~3冊は読まないとって感じなのよね。
録画してあるHDDの中身も消化したいし、
もちろん買ってあんまり遊んでないゲームも遊ばなくちゃと思うの。
なんだかこれ毎年言ってるような気が知るのよね。
あと30分!って延長延長していたら銭湯の時間終わっちゃってたりし、
あちゃぱーって感じよね。
取り戻せない時間のもったいないようなことがないようにって今年の目標の一つとして掲げたいわ。
本当にあっと言う間にまたこれ
ゴールデンウィークが来てお盆休みが来て寒くなったと思ったら、
気が付いたらもう12月!ってことだけは避けたいじゃない。
もう今年の目標は
整理整頓!
時間大切に!
の3つを掲げて
急に整理整頓って出てきたけど、
いやこれマジだからね
逆も叱り
相反するものなのよ。
なんてね!
たぶん7日までは新年の初心表明は何回でもやってもいいってルールみたいなのでコロコロたぶん変わるわ。
うふふ。
仕方ないわね。
ここのところ温かみに欠けるので
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
めちゃくちゃ長いよ。
本人にバレたら私が死んじゃうから所々濁して描くね。
私は自分が世間的に見てもかなり絵が上手い方だと思う。オリジナリティーも意識してるしぶっちゃけセンスあるし。
でも最近、学生時代のお友だちと比較しちゃって、考えることが多くなってきた。嫉妬ではないけれど少し引っかかるものがある。自分でも分からない。それがなんなのか教えて欲しい有識者。
幼稚園・小学生のころから何かしら描いてた。1年に1作品は必ず選ばれたり、市のポスターになったり実績はあったから同世代の子の中でも自信があった。
中高も美術部で鉛筆画デッサンをやりつつ、デジタルでイラストを描いてた。もう学力を全て犠牲にして絵を描いてた。
んで、その時に私が誘って美術部に入った友だちがいた。その子は絵が上手い、というよりもどんどん絵が上手くなっていった。それでも私は、私自身の絵に自信があったから特に何も思わなかった。むしろ推しキャラを描いてくれるのでありがたかった。ノートの切れ端のラクガキすらも貰ったものは全部大切に保管してるよ。大好き。
しばらくしてお互いにTwitterを始めた。イラストを描いたり漫画を投稿したりする趣味垢。
結論から言うと私はTwitterに向いてなかった。他人からの評価にドキドキするし、人間関係も微妙だし、社会人に紛れ込むのも苦しくなって色々あってとても疲れて今ではpixivに一本化した。一方、友だちはTwitterでマイペースにやっていた。そのうちに有名で大好きな絵師と相互になって喜んだりもしていた。ここ最近は特に勢いがすごい。4桁いいねを安定してもらったりしているのも見た。「これは私には描けないな、負けたな」って思うイラストが増えた。私がその子の作品を表現できないように、その子も私の絵を描けないのはわかってる。いいねとかRTとか評価云々はどうでもいいんだ。
昔から友だちが絵に対して私を意識してるだろうなぁ、と感じている。これは自意識過剰ではない絶対の自信がある。例えば、友だちの絵が私の絵の描き方にとても似せている時がある。例えば、中高時代に行われた絵や漫画のコンクールで私は一度もその子に負けたことがない。例えば、その子に教えていない私の絵垢を鍵リストにぶち込んでいるのを知ってしまった。例えば、私が絵をネットに挙げた後は必ずその子の創作頻度が活発になる……など。お前もネトストしてるじゃんかって?ご名答。お互いに意識してるんだと思う。
つまり、私はその子に現実的な実績では負けたことがない。負けたら発狂してたと思う。その子への嫉妬で狂っていたかもしれない。
もし大賞発表の時その友だちが横で1位の賞状を握って喜んでいたら……もし、名前を呼ばれた友だちがステージに立っているのを暗い客席から見ているだけだったら、、と想像したら私には耐えられない。拍手なんてできない。心から「おめでとう」って言えない。絶対悔しい。絶対震えて泣く。でも泣くのもバレなくない。仲良く出来ないかもしれない。
では友だちはその時、どう思っていたのだろう?横で何を感じていたのだろう?最近それが気になる。とてもいいやつで、サッパリしているやつだから気にしてないかもしれない。
幸い、もう別々の道に進んだから直接的に競い合うことは無くなったけれど、私は怖くてTwitterの創作アカウントを作れなくなった。と思う。作ったとしても何も知らない時のように楽しく自由に運営はできない。友だちには絶対に見て欲しくない。見つけて欲しくない。もし数字で惨敗する姿を見られたら、もし私の絵を見て「ああ、これくらいか」って思われたら嫌で気になって仕方がなくて、いくらか反応をもらっても、友だちもこのアカウントを見てるんじゃないかってビクビクしちゃってすぐ消しちゃう。
評価じゃないのは分かっているけれど、いいね数やRT数で差が出たらどうしよう?その子は絵を挙げたら安定して稼げるようになっている。FF比も1:20くらいでフォロワー数も多い。なのに私が頑張って描いた絵に閑古鳥が鳴いてたらどうする?閑古鳥なんて鳴く前に殺してしまえ。
だから私は一人で黙々と描いて、溜まったらたまにpixivに挙げるだけだ。それも嫌になったり気分じゃなくなったり、逆に嬉しいコメントやスタンプをもらって満足したらすぐ非公開にする。
怖い。絵に劣等感を抱くのが本当に怖い。数字の評価に殴りつけられたら反撃できない。受け入れるしかない。でも友だちにプレゼントで絵を贈るとすごく喜んでもらえるし、実際かなり上手く描けてるし、満足してるし、私は私の絵がめちゃくちゃ好きだ。勝ってる部分も多いと思う。内心、「ふふん、どうだ」と思って贈っている節もあることは認める。お互いに「一番は相手に喜んでもらいたい!でも勝つぞ!」と思いながら絵を投げつけていると思う。
8年以内にはTwitterのフォロワー数が2万人くらいになってお互いに切磋琢磨するのが夢だし楽しそうだなと思うんだけどね。
私は余裕があるつもりだったけれど全然余裕がなくて、いつも忙しない。
今月は某BLレビューサイトのマンスリーくじが当たらなかったので、若干乏しいBLライフ。『ボーイズラブアンソロジー Canna』の十周年本(分冊版)が欲しいんだけど、百円ほどお小遣いが足りない……。ラッキーなことに、欲しい分冊の中に私の推し作家の朝田ねむい先生と座裏屋蘭丸とハジ先生と文善やよひ先生の作品が収録されているのだ。すごい、なんてお得……! 丸ごと買ったら2700円以上、分冊だと700円強。推し作家さんがバラけていたら分冊買うのは損だったのでよかった。
それにしても、BL用お小遣いが月2000円なのと3000円(←運良くくじが当たって千円加算された場合)なのとでは、BL満足度がかなり違うな。
主人公の新谷は、高校生の妹の面倒を見つつ、ヤクザが経営しているカジノでバーテンダーとして働いている。ある夜、新谷はディーラーの菊池がウエイトレスと組んで客からの上がりをガメている現場を見てしまい、菊池に盗みをやめる様に注意する。菊池とウエイトレスの様子から、二人が誰かの指示で盗みをしていたことを悟る新谷。首謀者で菊池の先輩である竹田に新谷は話をつけるが、竹田が菊池を売り、盗みがカジノの店長須藤の知る所となる。報復として須藤が要求してきたことは……。
まるで映画の冒頭の様に、状況説明が必要最小限。BL作品にしてはちょっと解りづらいスタートに驚き。
菊池の馬鹿っぽさがとてもリアル。社会の最底辺層を生きるチンピラの、無駄にイキリ散らしている感、その割には暴力に弱すぎるところ、根の純朴さ……というか、端的に言ってIQが常人の3分の2くらいしか無いんだろうなという。そして新谷のお人好しさ加減も、慈愛や博愛というよりは、発達障害的な何かで自制心が低いだけなんだろうなという感じ。すごい、はっきり言って馬鹿しか出てこない。でも嫌いになれないし無視できない。そんな感じの類の馬鹿さ。愛のある描写とも言うかもしれない。
同作者の別作品『秋山くん』もそうだけど、日本社会最底辺層の人々とその暮らしぶりを描くのが異様に上手い。なしてそんなに上手いのか。作者自身がけっこう修羅場を潜っている人なのか。それとも単に、裏社会を描いた映画ばかり観てるとか、『ウシジマくん』や『カイジ』をやたら読み込んでいるのか。ともかく、何でこの人こういうのを描くんだろう? と、作品の魅力もさることながら作者本人の来歴がつい気になってしまう。
本作、前から存在は知っていたんだけど、タイトルが『寄越す犬、めくる夜』なのか『めくる夜、寄越す犬』なのか最近までわからず……。今頃になってやっと、『寄越す犬、めくる夜』だと知り、おぼえた。略称が『よこいぬ』だから『寄越す犬』が先。もうわすれない、たぶん。物凄く「痛い」(アイタタタという意味ではなく)BL漫画として有名だけど、本当に痛いな。救いがあるとは思えんストーリーとキャラ設定。何話目かの表紙絵の須藤が異様に可愛いのだが、物語を1話から読んでいってそんな可愛い須藤を見せられると逆に気味が悪いというか、グロテスクというか。救いの無さが一層際立つ。
ところで、『寄越す犬、めくる夜』は少し前に完結していて、来月に最終巻が発売される。その関係で、今、シーモアで1巻が期間限定無料で読める。そんな訳で、今月はお小遣いの関係で乏しいBLライフを送る私にも読めたのだった。ちなみに、何故か知らんけど修正が白スラッシュが入るのみ。普段BLはKindleで電子を買って読むだけなので、こんなに修正の薄いBLを読むのは私は初めてだったのだけど、こんな可愛い絵柄でちんちんだけリアルに描かんでも……という感想。まあ、秋山くんの脇毛で、作者が変なところでリアル志向なのは知ってたけれども。
気になりすぎてググってみた。のばらあいこ先生はすごく漫画が上手なのに、商業BL作品がこの『寄越す犬、めくる夜』と『ぬるくなるまで待って』と『秋山くん』しかないっぽい。あとは女性向けで『にえるち』かな。興味深い作家さんなのに作家買いに手間取らなさそうなのは、良いのかなんなのか。
『ONE PIECE』のサンゾロ描きの人気同人作家でもあるらしい。感想を読むぶんには、同人誌のほうもエロ&エモに定評のある作家さんなのかな。ぐーぐる検索結果にずらりと並んだ、サンゾロ本の感想たち……それがまさかの「読書メーター」に投稿されているので、何事かと思った。のばら先生のサンゾロ本が東京漫画社から出版されている? この業界に私は全然詳しくないのだが、こういうのって原作の著作権者や版権元に許可取ってやってるものなのだろうか。許可取ってやってるものなんだよね? 出版社がやってる以上はガチの営利目的なんだし。なんかすごい。あ、でも思い出したが私、榎本ナリコ先生の幽白・エヴァの同人誌再録本(これは双葉社)なら持ってるわ。二次創作同人誌が商業目的でも出版されているというのは、今更な話か。
再読。
前々から思ってたけどシロさんの物言いが物凄くキツい。泣かされつつものほほんと付き合い続けるケンジの人徳がすごい。私はもしもあんなに口の悪いのが自分のパートナーだったら、かなり嫌だな。2巻でシロさんの元彼の鬼畜エピソードがちょっと出て来るけど、鬼畜の彼氏にはおおらかで暴言を吐かなかったらしいシロさん。惚れた弱みだろうか。好みのタイプではないケンジにはワガママが言えるって面白いけど、にんげんそんなもんかもなーって気がした。同作者の『1限めはやる気の民法』の主人公田宮もシロさん的なキツい性格のキャラで、攻めの藤堂がマイペース鷹揚キャラだった。そういうのが作者の性癖カップリングなのだろうか。
物語よりも料理が中心で、起こった事件を解決しないでほっぽり出したまま料理シーン書いて食べるとこ書いて「おわり」ってなるのすごい。特に、双極性障害っぽい女性が元夫に息子の親権を取られた上に息子との面会を拒否られる話なんか、そこで終わるのかー!? と驚愕した。現実に円満解決なんかしなさそうな話だけどね。
最初にマジレスするが、温泉街に萌えキャラの看板が立っている事について語っても仕方がない。
キャラクター文化においてルックスの魅力を消費するべきか否かについて議論していけば最後にはサンリオピューロランドやディズニーランドさえ廃墟になるか黒塗りの棒人間をマスコットにするかの二択を迫られることになるが、そんな極端な所までいま議論しても話がこじれるので置いておくべきだ。
温泉むすめについて議論すべきポイントの主語はそこまで大きくない。
「ご当地キャラクターの設定として何を背負わせるべきか」である。
細かい話は以下のURLを見ていただきたいが、わざわざクリックするのがだるい人向けに一番重要そうな部分だけを抜き出した。
https://onsen-musume.jp/news/3711
◆立ち上げの経緯
・全国の観光地に再び活気を取り戻したい
2011年3月に起こった未曽有の大災害「東日本大震災」によって、温泉むすめを運営する株式会社エンバウンド代表の橋本の故郷である福島県は多大な被害を受けました。その爪痕は未だに心の奥深くに残っています。
そんな震災の被害のあった福島と東北に再び活気を取り戻すためには、一人でも多くの観光客が現地を訪れることが必要です。
多額の補助金で一時的に潤った福島県ですが、お金の力だけでは人々の傷を癒すことはできませんでした。その証拠に未だに海外からの観光客は福島県を避ける傾向があります。
よって、実際に観光客や県外の方々が福島や東北に足を運ぶことが、現地の人たちの心を癒し、元気づける唯一の手段になります。
その手段として、若者に人気の二次元キャラクターを活用し、全国を網羅的に盛り上げることを目的に2016年にキャラクターコンテンツによる地方活性事業「温泉むすめ」を立ち上げました。
つまり温泉むすめとは福島の観光をPRするためのキャラクターだったんだよ!
なんだってー!
いやマジでなんなんだろう。
だがわかったことがある。
オタクに人気を出して聖地巡礼で温泉に入ってもらおうでは期待できる効果がニッチすぎる。
それをやりたいなら既存作品の公式と地方がくっつく方向にすればいい。
ぶっちゃけ福島ならフラガール辺りに金を握らせてCMでも作らせればいいのだ。
温泉むすめ単品で新規の客を呼び寄せたいなら温泉むすめがアピールするべきは「キャラ」や「聖地」ではなく「地元」そのものである。
だが温泉むすめはそれが出来ていない。
雑なステレオタイプで雑にキャラクターを当てはめているだけである。
今回真っ先に炎上していたのがコレだ。
たとえば「夜這い文化が合ったんですよ」なんて堂々と語られても反応に困るだけだ。
確かに……確かに「温泉むすめを知ってるオタク同士のカップルが山形旅行に行くことで夜這いOKかどうかを確認」みたいなのはあるのかも知れない……日本の人口が1億人いるんだから1組ぐらいはそういうカップルがいるかも知れない。
だがその可能性があるならば「夜這い文化とか教育にわる……子供連れて東北の温泉街はいけんわ……」となる家族が10組ぐらいありそうなものでもある。
この時点でもう悪手なのである。
温泉むすめのコンセプトは「地方の個性」をアピールすることではなく、「魅力」をアピールすることであり、その方向性としては「全面的にプラス」なものであるべきではないだろうか?
確かに各地方のキャラクターには負の歴史を抱えているキャラクターも多いが、多くは「でも今はいい時代だよね」で締めくくっている。
それをあろうことか「いやーよか時代もあったもんですなー」みたいにアピールされても反応に困るというものだ。
ポリコレ的な良し悪しもそうだが、単純に企画そのものが企画倒れになっていないか?
観光庁(の後ろ盾を得ている下請けの面々)よ、力を入れたのはCDの録音ぐらいなのか?
そもそも「どの地方出身でも問題なさすぎる」ようなキャラがいる。
マイペースでおっとりした性格のスタイル抜群なむすめ。他のメンバーが失敗や挫折などで気落ちしているのを優しく包み込む。ユニットみんなのお姉さん的存在だが、実はもう一つの顔を持っているという噂がある。
正解はURLを見てもらおう。
https://onsen-musume.jp/character/noboribetsu_ayase
URLを見れば分かる通り、出身地アピールとなるのは名前ぐらいだ。
たとえば貴方が温泉むすめの情報だけを頼りに旅行先を決定するとしよう。
というかこんなものが出てきて誰も「いやこれは駄目だろ」って言わなかったことが問題だ。
これならまだ夜這い文化自慢のほうが「なるほどね。このジジイは脳が大正時代で止まってるんだ」で納得できる可能性が0.1%ぐらいはあるが、こんな無個性キャラを出されて納得するような「ここってマイナスのイメージしかないから無個性アピールの方がマシでは?」と考えるような奴は今すぐ観光業に関わるのを辞めろと言う他無い。
まあこれがもし栃木の温泉むすめで好物エビフライで頭のポンパドールが爆発していて決め台詞が「ないんだな、それが」だったらインターネットに脳を汚染された可愛そうな観光スタッフとしてセーフかも知れない(ちなみに栃木の温泉むすめも割と無個性な部類だ)。
とにかく、こんな奴らを日本中に配置して「観光地アピールしたぜ!」と言われても困るのだ。
温泉むすめ全体に言えることなのだが、何をしたいのかが分かってないまま進んだ匂いが強すぎる。
最初期であるならとりあえず立ち上げて日本全国の最強クラスの温泉街に売れっ子声優を当ててアイドルソングを歌わせておけば終わりでいいかも知れない。
でも2枚目のCDを出す前ぐらいで「でもこれって本当に地方の魅力伝わってるの?」と思い直すべきだった。
そういった話し合いが行われていたとは思えない代物が出てきている。
手段が萌えキャラだからということで雑になったのかも知れないが、それを言い訳にするのなら「地方の観光に力を入れることに対して雑だった」ということにしかならない。
そもそも萌えキャラなんて何をしても「キャラが濃いね」で許されるわけで、大砲だろうが城だろうがなんでも背負わせていい超自由なキャラクター分野だ。
何をやらせてもいいのに特に何もやらせず無個性キャラ乱発というのは「私達はこの地域に全く魅力を感じませんでした」というアピールにさえなることを本当気をつけろよ官僚(から金や権威を貰って仕事している下請けとはいえ多分官僚なんぞに今の時代なる中の下連中よりは優秀であろう連中)ども~~。
アルファポリスの第9回BL小説大賞に自作を出品した。大賞の座を争うのは20位以上の猛者達で、殆ど面子が入れ替わってなさげ。神の頂上決戦的な。ドベで圏外もいいとこな私には関係のないワールドだ。
大賞にエントリー中の者にあるまじきマイペースで、投稿作品を毎日ちまちまと書き直している。大賞規約によれば、エントリー直後に作品ページを消すのと、過去作品を新作と偽って投稿し直すのはダメらしい。だが、既存のページを手直しするのはセーフなのか? 運営から何も言われないけど……。いや、運営が何も言わないからセーフとは考えない方がいいだろう。きっと単に気づかれてないだけだ。
今年から、「18歳未満の性描写のある作品は選考対象外」になったそうなのだけど、18歳未満の性描写ありの作品がいくつかエントリーされているのを見た。選考対象外になるだけで、違反警告や参加資格の剥奪はないのだろうか。
それにしても、最近はBLもエロ規制が厳しくなってきたなぁ。商業BL漫画の新刊の表紙も、肌色率が大分減った。個人的には、表紙から裸の人達がくんずほぐれつしているようなやつにはドン引きなのでいいけど。
自分でBL小説を書くときは、文字数が増えてゆくのにしたがってどんどん話を転がすのが面白くなってしまい、気づいたらぜんぜんBがLしていなかった、ということがよくある。
書き直しながら「BL」とは……と哲学の沼にはまる。BLとは。単にセックスするだけがエロじゃないし萌でもないだろ、と思う。
そんなことを考えていたら、ふと、「うつくしきもの、瓜にかきたる稚児の顔」というフレーズを思い出した。チッチッチッってネズミの鳴き声みたいに舌を鳴らして呼んでみたら、雀がぴょんぴょん寄って来たときの様子とか。萌は小さくて身近で細部に宿るのだ!! オーバーソウル、清少納言!! たぶん、パソコンとにらめっこし過ぎて頭がハイになっている。
文章の合間に小さな萌を書き加えていく。書きながら、昔、二次創作をしていた頃はこういう細かい萌妄想を毎日楽しんでしていたよなぁ、と懐かしく思った。一次創作に移ってから、何故だかいつの間にかでっかいことを書かなきゃいけないという義務感に囚われていた。BがLするのに大事件は要らない。あるいは、些細なことが(読者的には)大事件だったりとか。
たとえば何かのスポーツや格闘技の大会に攻めと受けが揃って出場したとする。そして受けが試合を終えて戻ってきたとき、待ち構えていた攻めが受けに「お疲れ!」とタッチしようと手を差し出したところ、その掌に受けは攻めが痛がるほどのグーパンをおみまいするのは萌。
(他にもたとえば……と列挙しようかと思ったんだけど面倒くさくなったのでやめ。)
頭を使うより体を動かすほうが好きなので、ウェットのバイオ系研究室に入った
3回生までの学生実習は楽しかったけど、研究室で何やるかまだ分かっていない
スペが入ったのはテイオー研でした
配役はこれ
研究所所属のメジロマックイーン教授の話をよくしてくるので勝手に会ったことないマックイーン先生に親しみが湧いている
トウカイテイオー教授の夢いっぱいなヴィジョンを現実的に進められる実務能力を持つ教授の片腕が務まるのはエアグルーヴ
研究進めてみるといつもトウカイテイオーの見ているものが正しくて驚く
物静かだけど理路整然としていて、それでいて行動力を持つのが助教エイシンフラシュ
なんか心向くままに研究やってて、一般企業に就職もしたくないままいい結果出してきて助教になったナカヤマフェスタ
クッソ頑張るしギラギラしてて尊敬できる先輩なんだけど、なんかいつも怖い
でも機嫌いい時は色々面倒見てくれる
無理しすぎてるから、たまに寝坊していない日はついに死んだのかと思う
ちょっと話しづらいけどめっちゃ知識が幅広いので、セミナーで質問してくると一番嫌なのがゼンノロブロイ先輩
最近、トウカイテイオーに国際学会に連れてってもらって張り切っている
DC1取っていて、マイペースで実験するからあまり話さない先輩
でも自分がセミナーすると、たまに楽し気に、ほう、とか言ってくれるからちょっと嬉しい
なんか頑張ってるのに結果が出ないのでいつも難しい顔してイライラしている
「ドクターは何も考えずに行くところじゃない」といつも言ってくるのが怖い
研究室対抗ソフトボール大会で優勝経験がある研究室だから、という理由でテイオー研に入った
実験中にトレーニング理論話してくるのがよくわからんけど先輩だから聞くしかない
ヲタクでこわい
優秀だよ、と聞くけど正直よくわからない
セミナーでヲタクっぽい絵を挿入してくるのでエアグルーヴ先生がよく怒る
めっちゃ面倒見てくれる優しい先輩