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2024-11-11

松本人志あんなにかっこよくなかったらな

全部個人感情

松本人志は、昔めちゃめちゃかっこよかった。口を開けば「そのときそう言ったら一番面白い」という言葉が飛び出したし、権威への忖度が少なくとも表面上は見られない自由闊達な振る舞いも爽快だった。

CMや歌などにうつつを抜かす暇があったらそのリソースで笑いをやれ」だとか「ファッションなんかにうつつを抜かす暇があったらそのリソースで笑いをやれ」みたいなことも言っていた記憶がある。それもすごくストイックでかっこよかった。だから歌ったりCM出たり筋トレして金髪にしたりを見た時は悲しかったんだよな。

そういう、「かっこいい松本人志」が好きだったひとは、たくさんいたんじゃないかと思う。

今回の件では、そういう人の相当が「ダセェことすんなよ」って思ったんじゃないのかな。どこからどこまでが真実でどこからどこまでがデマなのかは、あまり明らかになってはいないので、その点でダサいダサくないを言うのは避けるけど、少なくともTwitterの使い方と訴訟の仕方はすごくダサく感じた。ダサいダサくないは個人感覚なので、「ふーん、お前はそう思うんだな」と言われれば、それまでの話ではある。だからこれでなにかを断罪したいわけではない。ただ、「過去あんなにかっこよかった松本人志が、あまりにダサくてがっかりした。最近そういう傾向はずっとあったけど、今回その失望が決定的になった」という「昔のファン」は多いんじゃないかなあ、なんて思っている。もし昔あんなにかっこよくなかったら、ここまで失望されることもなかったのではないかって気もちょっとするんだよな。

2024-10-17

AIクリエイターって生きづらそう

ツイッター規約が変更された

ツイッター画像投稿する際はAI学習のために利用されることに同意しなければならないというものだけど、一部絵師様が「ツイッターやめる!移住だ!」などと言ってるらしい

別に違うSNS移住したところでそこに投稿された画像AI学習に利用するのは法律上完全に合法なんだから意味ないんじゃねーのと思うけど、まぁとにかくAIに反対しているというポーズをとるのが重要なんだろうな

移住先のSNSだってAI学習目的での利用を禁止する規約を用意しているところなんてないし、仮にあったとしても法的には合法なんだから意味がないのにご足労なことだと思う

ここのところ反AIクリエイターを見るにつけ思う

マジで生きづらそう

これは皮肉で言ってるんじゃないよ

最近ワンピースの作者がAIを利用したコンテンツ提供したり、ぷにるは可愛いスライムの作者が背景にAIを使ったりとクリエイターの中にもAIを利用する人が増えている 

AI嫌いの人って自分の好きなクリエイターAI使ったらそれだけで嫌いになるのかな

だとしたらあと5年後にはあらゆる作者のことが嫌いで嫌いで仕方なくなるだろう

今でさえ漫画の背景にAIを利用する人はかなりいる

ここ最近エロ系の同人とかよく目を凝らして読んでみるといいよ

やぶ蛇になるからわざわざ作者が言及していないだけで実はもう効率化の一つとしてAIの利用は浸透していってる

AI自体クリエイターに対する支援機能進化めざましくて、あと数年もすれば背景アシスタントなんていらなくなるんじゃないか?ってレベル

Adobeに生成AIが搭載されたのだってもう1年も前の話だから

絵の分野から離れればその浸透ぶりはもっと露骨だよ

ここ最近AIイラスト広告ばかり見るようになってるだろ?

ネット記事アイキャッチ画像なんかほとんどAIだろ?

ユーチューブ広告AI生成の合成音声を耳にしない日ってある?

あとゲーム系のクリエイターなんかはAIに対しても親和的だよね

例えば同人ゲームについてはAIを完全に排斥したゲームを探す方が難しいくらいになっている

企業系のゲームだって荒れるからいちいち言わないだけでAIの利用には積極的だよ

別にAIなんてのはただの道具に過ぎないわけで、自分脳内にある作品効率よく出力できるならクリエイター合法範囲で何でも使うに決まってるだろ

っていうか、AIに反対しているクリエイターって自分作品を褒められたいんじゃなくて自分技術を褒められたいだけなんじゃないか

それってクリエイターとしては異端というか、結構いびつだと思うんだよね

俺は反AIに傾倒してフォロワーや友人を失っていく絵師を何人も見てきたよ

かわいそうに、反AI活動で増えたフォロワーって別に手描きのイラストそれ自体にはあまり興味がないようで、せっかく手で描いたイラストにも感想を寄越してくれないんだよね

AIクリエイターは今一度自分がなぜ反AIなのか考える時が来たんじゃないか

社会のため、正義のためって本気で思って反AIやってんの?

単なるつまらない嫉妬が原因だったりしない?

社会運動もどきうつつを抜かすより自分マインドセットを変えたほうがイライラも少なくなって生きやすくなると思うよ

2024-07-31

知的階層にすら理系モテない

なんかうっすらと、いわゆる文系的な知識が「教養」として認識されて、理系的な科学のそれはそう呼ばれない、認識されてない気がした…

専門技能に直結しうる知識業務知識ドメインとして認識され、余技にはならないから?

オスとして「余計なことにうつつを抜かす余裕があるか」の範囲にそれが入らないから?

教養モテたいならラテン語で詩を詠み、漢籍を誦じるしかないのか…?

2024-06-13

anond:20240612183556

いか追い討ちになるかわかんないけど

過去メンズエステ数店で働いていた者として、メンズエステという場所がどんなところか知っておいたほうがいいのではないかと思う

最大限好意的に見ると、旦那さんは浮気をしないように努力しているように思える

メンズエステのコンセプトは「セクシーセラピストによる、ギリギリ性的でない(しかし、それ以上を期待させる)マッサージ店」だ

内容は、店舗によって違いはあるだろうが、おおよその店は男性紙パンツで横たわり、女性の方から身体を密着してのオイルマッサージストレッチを行うスタイル

女性の服はタイトめで胸が空いたミニワンピセットアップが多い。水着の店もあるみたいだけど少ない

抜きや性器への接触はなく、男性の方から女性に触ってもいけない店がほとんど

予約時間の7割は背中や足の一般的マッサージ指圧を行い、残りの時間で通常の店では触られないようなところまで触るギリギリマッサージ(仰向けでガニ股になったり、四つん這いになったりして鼠蹊部をオイルマッサージ)をする

ほとんどこ男性勃起するが、女性フィニッシュを手伝うことはなく、大抵の男性射精せずに帰っていく(出てしまう人も自分の手で出す人もいるが、一応ルール違反である)

正直、抜き無しの生殺し状態素人施術、それでいて安くもない値段に「こんなもんに金払う男いるんかいな」と働くまでは思っていたが、都心店舗での休憩時間もない盛況っぷりに驚いたものだった。

思うに、メンズエステに来る男性は真面目だったり、気が弱い男性が多い。見た感じ9割がM気質だ。

私が応対したお客さんの多くは既婚者か彼女がいる男性だった

嫌な思いをしたことも山ほどあるが、しかし彼らの大半は行儀良くルールを守り、キャバクラのように2時間喋ったり口説くでもなく、大抵の場合は少し話しては黙ってマッサージを受け、勃起し、射精せずに帰っていった。

彼らは「疲労回復のためにマッサージを受けに来たら、エロい女が出てきて、エロいマッサージをするので、仕方なくエロい気持ちになってしまった」という言い訳に高い金を払っているのだ。

彼らはその免罪符とムラムラを持ち帰ってオナニー材料にするのだろう

私はその自制的な姿勢好意を覚えた。尊敬すらした

どこから浮気とするかの線引きは人それぞれだと思う

2人きりになったり、食事したり、アイドルうつつを抜かすことを浮気だと言う人もいるだろうし

でもメンエスで働いた実感として、私はメンエスなら許すかもしれない

セラピストと客というロール上、疑似恋愛関係になったりline交換することも少ないし(そういう営業するやつもいるが)

私自身は既婚者が他人にムラっときしまうのは避けようにも避けられない人の業だと思ってるので、そこから先の行動に移さない自制こそが夫婦関係の上で尊いものだと思っている

元増田旦那を許せるようになるとは思わないけど

私が見たお客さんはそれ以上の浮気をしないための手助けとしてメンズエステを使っているように見える人も多かったので、そういう視点で見てみることもできると思う

例えばキャバクラだったら許せるか、自分ホストに通ってたら浮気だろうか

もしイケメンちょっとエロいところをかすめてくることが売りの女性パーソナルトレーニングがあったとして(ない)それに自分が下心ありで通うのは浮気かどうか

メンエスに行ってるのも事実なら、毎日キスをしてくれるのも事実だと思うのでな

2024-05-11

anond:20240509091339

容姿は磨けば磨くだけなんとかなってくって理解が浸透してて、磨くのサボってきた奴はサボってる奴という事も分かる、それに開き直る態度、むしろそれを誇って容姿磨きにうつつを抜かす奴は他にやるべきことがあるくせに~みたいな事言ってる奴に何も支持するところはないという感じに変化してきてる面はあると思うねぇ、ルッキズム社会

2024-03-12

anond:20240312174556

女にうつつを抜かす

わかる気はする

 

ただ、もはや一般論でなく、個人の感想になってない?

anond:20240312173400

前半の内容に関しては「生活リソースを浪費してるのが無理って話なのか?」という指摘は正解のひとつといえる。

後半に関してはなんていうんだろう、女にうつつを抜かすのは硬派じゃない、チャラいと感じて男らしくないと思ってしまう。

男塾で女にうつつ抜かす男いたら絶対しばかれるじゃん?(アニメしか見てないにわかから違ったら申し訳ない)

なんか自分の中で男塾の塾生として規範的な男性こそ真に男らしくてかっこいいみたいな感覚があるので、女にうつつを抜かしてるのはその対極だと思って魅力を感じなくなってしまう。

anond:20240312171638

まず第一自分以外の女に好意金銭を注ぎ込まれるのが無理。

あとは単純に(妻(候補)以外の)女にうつつを抜かす男をかっこいいと思えないというかときめかない。ドラゴンボール孫悟空とか、ワンピースゾロとか、鬼滅の刃煉獄さんとかが女好きだったらなんか憧れ半減どころじゃ済まないくら萎えるじゃん?そういう感覚

2024-02-28

anond:20240228083918

なんの趣味もなくなんのコミュニティにも属してない人かな(こういう人は友達もいない)

もしくはお行儀が良すぎる、臆病な人ですね

恋愛うつつを抜かすなんてだらしない、みたいな意識を元々持ってた人

そしてこういう人は趣味とかが充実してて、わざわざ恋人作らなくても問題ないと感じてたりする

2024-02-18

で、Apple Vision Proは革命を起こしたの?

AIの開発が大幅に遅れているAppleにとってそれを補うだけの未来を担うポテンシャルはあったの?

ちゅーかAIで遅れてるのはかなりヤバいんじゃないか

あんな高価なオモチャうつつを抜かすあいだにWindowsAndroid機能面で大きな遅れを取るようなことになられるとAppleユーザーとして困るんだけど。

2023-10-06

12話で誤って父を殺した時点で、その父を殺したきっかけっていうのが未熟な恋心だったわけで。

あれを描いたことで公式は"グスはない"と明言したようなもの

あんた達の好きなグってまともな人間なんでしょ?そこで恋にうつつを抜かす男じゃないよ。

告白したのもけじめを付けるためで、再アタックとかないよ。

2023-08-03

anond:20230803105901

心に非モテを飼え。「こんな顔だけクソ女ごときに俺は惑わされないぞ」「一生を非モテに捧げた身で女にうつつを抜かすなど恥だぞ」という気概を持て。

2023-06-25

anond:20230625160311

基本的に色恋だの家族だのにうつつを抜かすタイプ自称起業家は信頼してない

仕事以外のことに興味を持つ人間他人から金借りて事業しようなんて不誠実にも程があるわ

2023-05-19

今の音楽シーンメンヘラの詞ばっかでキモい

男向けも女向けも全部メンヘラみたいな歌詞

俺はどの時代音楽が良かったとかいうつもりない

エンタメ全般、それにうつつを抜かすやつ全員メンヘラだと思ってるから

2023-03-24

男にとって恋愛は軟弱で不真面目なもの、という価値観

かつて、男にとって恋愛は軟弱で不真面目なもの、という価値観があった。

臭い価値観だが、現在40代の俺が子供だった頃には、まだこの価値観は生きていたように思う。

現在恋愛弱者とされる男性が苦しんでいる元凶の一つは、この価値観残滓だと思うのだ。


かつて、男にとって努力の本流は勉強であった。

努力して勉強していい学校、いい会社に入るのが男としての本流だった時代があり、

恋愛うつつを抜かすのは軟派でだらしがないものとされた。

その時代は、恋愛をしなくてもある年齢になれば自動的お見合いが設定されて自動的結婚ができるような時代だった。


それがあるときから急に、学生時代恋愛するのは当然のことでできない奴は非モテだとか、

結婚ができないのはモテに対する努力が足りないからだとか言われるようになってきた。

その結果、一部の男は取り残された。

今でも男の努力の本流が勉強であるのは変わっていないと思うが、

恋愛の優先度がだいぶ上がって来た感じだ。


時代女性がどうだったかというと、俺は男なので想像で書くしかないのだが、

女にとっての努力の本流は恋愛であり、勉強は役に立たないもの、という価値観があったのではないかと思う。

これは女性社会進出が進まないことなどにもつながる話だが、

同時に男の婚活市場での不利さにもつながる話である

女性子供の頃からファッションコミュニケーションなど恋愛に関わる能力をコツコツと磨いてきている。

一方男性はそういう価値観を持たなかったので、人によっては小学生レベル恋愛能力しか持たないまま、同じ戦場に立たされるのだ。


かつて、男にとって恋愛は軟弱で不真面目なものだった。

その時代子供時代を過ごしてきた男は、今でもその価値観に引きずられている部分があると思う。

価値観を変えられないなら、いっそ軟弱な恋愛うつつを抜かさず生涯独身を貫くのもいいんじゃないかと思う。

2023-01-16

anond:20230116183019

流行ってるから禁止された、とも言える。

軟派と硬派の区別については、本質的には「軟派=好・女色」「硬派=反・女色」と捉えるべきで、

「男らしく振る舞え」「女色うつつを抜かすな」という反動で、硬派には男色を好む者が多かったということだろう。

少し時代が下ると「硬派=反・恋愛」となって、男色に耽るような奴は軟派扱いされたとも言う。

2022-07-07

anond:20220707155043

竹中も言ってたけど日本人劣化してるんだわ

個人劣化個人が克己するしかないんだわ

政府文句言ってもいいけど政府国民劣化を止めることはできないんだわ

お前らどうせ寝食を忘れるほどの勉強はどうせしてないだろ?

ワークライフバランスとかほざいて娯楽にうつつを抜かす始末だろ?

その程度の国民が飢えを知ってる途上国に勝てるわけないんだわ

まりはもう一度日本どん底を味わう必要がある

2022-06-10

FGOなんかにうつつを抜かす左派オタク存在が信じられない

自国他国わずありとあらゆる文化冒涜するメルトダウン原発のごとき存在ヘラヘラ楽しめる心理がまったくわからん

おまえら普段さんざん批判している差別への加担じゃないのか?

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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2021-11-24

男女問わず非モテが悪い

非モテ恋人いるにも関わらず芸能関係うつつを抜かすやつも含める)のせいでコンテンツがどんどん悪くなっていってるよな

モテないやつはコンテンツに関わるなよ 逃げるな コンテンツを腐らすな

2021-11-05

副業がしたいけど探し方がわからない

副業がしたい。

新卒からエンジニアとして働いて苦節11年、2回の転職を経て年収が800万を超えた。去年のことだ。

今年、仕事にもずいぶん慣れた。リモートワークも肌にあっている。子供小学校入学した。

学生時代恋愛などにうつつを抜かすことな努力を続けたことで、コンピューターサイエンスの基礎を身につけ、希望企業から内定がいただけた。

社会人になってからエンジニアという職業が想定とは違い、エンジニアリングより対人コミュニケーション重要であるギャップに苦しんだ。

しか技術が好きなことは変わらずその道の研鑽を怠らなかったことで、紆余曲折ありながらも居心地のよい職場に巡り会うことができた。

妻とは今時珍しい両親から強烈プッシュされたお見合い婚だったが、落ち着いた人柄で一緒にいても穏やかな気持ちでいることができる。

一人でいるよりも、二人でいる方がリラックスできるという感覚は今まで想像したことがなかったので驚いた。

子供は、私が大好きだった祖父面影をどことなく持っていて、時折かわいいという感情と懐かしいという感情が入り混じる不思議感覚になることがある。

イケてる人たちを横目に黙々と生きてきたつもりだったが、気づけば公私ともに恵まれ環境にいる。

技術以外にはさほど欲がなかったので、今新たに何を求めて生きていけばいいのかわからなくなってしまった。

強いて言えば子供には幸せになってほしいので、

その幸せを生み出す事業か、幸せを損なうもの排除する事業自分の力を使いたいと考えた。

こんな自分でもなんとか生きていけている社会に対して貢献したくなった。

今の会社は業績的にも安定しているし、エンジニアとして長く働けそうないい環境なので転職は考えていない。

から副業がしたい。したいけど探し方がわからない。

副業 サイト」「副業 マッチング」でググればいくらでも候補が出てくる。

しかしそこで辿り着くサービスほとんど採用時に成果報酬がかかる。かなり高額の。それは不本意だ。

自分がどれくらいマッチするか、作業時間を確保できるか、パフォーマンスを発揮できるかは働き始めなければわからない。

そして働くのはきっと私が惚れ込んだ社会の役に立とうとする気概もつ企業だろう。

その企業に私がジョインするだけで数十万円の負担をかけたくない。だから成果報酬がない副業マッチングサービスを探したい。

そのサービスの探し方がわからない。

成果報酬がないサービスもいくつかは一応試した。

wantedly企業を探すのには良さそうだがスカウトが来ない。自分から応募するほどの情熱はないというか、情熱を持てるほどの事業かチームかというのを見分ける術がない。

PayCareerはいくつかスカウトをいただけたが、残念ながらマッチするプロダクトではなかったので友人を紹介した。面談して報酬を貰えるサービスというのは素晴らしい体験だった。

SNSはとにかく自己アピールが苦手なので早々に挫折した。

友人・知人の紹介だと、断る時に断りづらそうな気がして敬遠している。

ということで、こんな私に合いそうな良い副業の探し方を知ってる人が教えてくださいお願いします。

2021-10-06

anond:20211006105620

オタクに対する差別意識本質は「男尊女卑である。】

 はてブコメントで屢々「これはオタクの小児性、幼稚性を批判しているのであって、オタク差別』ではない」というコメントを見ることがあるが、このようなオタク差別意識根底には「いい歳をした男が、漫画アニメうつつを抜かすのは恥ずかしい」という考え方がある。

 それを恥ずかしく感じて表明する人間は誰か、つまり「恥ずかしく感じる主体は何者か」ということを考えねばならない。それは「男性」であり、なかでも「いい歳をしたオッサンである特に他人に対して説教マンスプレイニングすることが大好きな、中高年オッサンである

 マンスプレイニング大好きオジサンが、何故、漫画アニメを恥ずかしく感じるのか?それは彼らが「漫画アニメなんぞ、オンナ・コドモが熱を上げるクダラナイものに過ぎない」という意識を持っているかである。なお、この時に「オンナ・コドモ」という括り方がされるのも特徴的である

 はてブで「オタクの小児性、幼稚性を批判する」コメントを書き込む人間たちを見れば一目瞭然だが、彼らがそこで批判する対象は、常に男性オタクである。彼らが、女性オタクの小児性や幼稚性を「批判」することは決して無い。何故だろうか?それは、彼らのようにオタク叩きの説教が大好きなオジサンたち自身が、いい歳をした年寄りであり、オタク文化に関する昔の記憶を持っているかである。(そういう意味で言えば、オタク叩きは「近親憎悪である。大なり小なりオタク文化に近しい人間でなければ、オタク文化に関する記憶など持ちようが無いのだから。)その記憶とは「漫画アニメはオンナ・コドモのもの」というものである

 漫画アニメオタク文化が成立するには、多数の女性ファンの力が大きく寄与してきた。これは事実である昭和の頃からオタクをやっている人間ならば、あの頃の女性アニメファンは、ボルテスフイブやゴッドマーズの美形キャラにキャーキャー言っていたことをよく覚えている。雑誌アニメージュは、ゴッドマーズの美形主人公がベッドから飛び起きる場面を載せて「キャッ!もしかして裸?!」とキャプションを付けたり、ルパン三世サイボーグ009に宛てた女性アニメファンからイラスト付きラブレター掲載したりしていた。

 また、現代萌え絵に連なる絵の描き方も、遡ればオタク文化に参加していた女性たちの感性テクニックルーツである。例えば、猫耳が『綿の国星』にルーツを持つのはその一例である。(したがって、現代オタク文化においても萌え絵的な絵を描く女性クリエイターたちが少なくないのは、当たり前なのである。それは、そもそも起源からして彼女たちのものだったのだから。)

 マンスプレイニング大好きオジサンたちは、女性オタクの小児性や幼稚性を批判しないことは、既に述べた。しかし、それは何も、彼らが女性意思主体性や尊厳尊重しているからではない。むしろ全くの逆であって、彼らは女性のことを心の底で見下しているのであるマンスプレイニング大好きオジサンたちにとっての女性とは、コドモと同じく「人間未満の存在である。同じ人間未満の存在から、十把一絡げにして「オンナ・コドモ」扱いするのである人間未満の存在がクダラナイものに熱中する(ルパン三世サイボーグ009に恋したりする)のは当たり前に思えるから、わざわざ叩くほどのことではないというだけの話である最近セクハラ話題になった某ラーメン評論家が、得意気に「自分はオンナ・コドモには手を上げない」と書いていたのと、根っこは同じである。対等な存在として女性を見ておらず、犬猫に優しくするぐらいのつもりで、女性オタクをお目溢ししているのである

 オタク叩きが大好きな高齢マンスプレイニングおじさんたちは、女性が主導権を握る文化女性男性に影響を与える文化を憎んでいる。そして、男性オタク存在は、そのような女性が主導権を握る文化圏の存在を思い起こさせる。それ故に、高齢マンスプレイニングおじさんたちによる攻撃対象になるのである

2021-10-04

オタクに対する差別意識本質は「男尊女卑

 はてブコメントで屢々「これはオタクの小児性、幼稚性を批判しているのであって、オタク差別』ではない」というコメントを見ることがあるが、このようなオタク差別意識根底には「いい歳をした男が、漫画アニメうつつを抜かすのは恥ずかしい」という考え方がある。

 それを恥ずかしく感じて表明する人間は誰か、つまり「恥ずかしく感じる主体は何者か」ということを考えねばならない。それは「男性」であり、なかでも「いい歳をしたオッサンである特に他人に対して説教マンスプレイニングすることが大好きな、中高年オッサンである

 マンスプレイニング大好きオジサンが、何故、漫画アニメを恥ずかしく感じるのか?それは彼らが「漫画アニメなんぞ、オンナ・コドモが熱を上げるクダラナイものに過ぎない」という意識を持っているかである。なお、この時に「オンナ・コドモ」という括り方がされるのも特徴的である

 はてブで「オタクの小児性、幼稚性を批判する」コメントを書き込む人間たちを見れば一目瞭然だが、彼らがそこで批判する対象は、常に男性オタクである。彼らが、女性オタクの小児性や幼稚性を「批判」することは決して無い。何故だろうか?それは、彼らのようにオタク叩きの説教が大好きなオジサンたち自身が、いい歳をした年寄りであり、オタク文化に関する昔の記憶を持っているかである。(そういう意味で言えば、オタク叩きは「近親憎悪である。大なり小なりオタク文化に近しい人間でなければ、オタク文化に関する記憶など持ちようが無いのだから。)その記憶とは「漫画アニメはオンナ・コドモのもの」というものである

 漫画アニメオタク文化が成立するには、多数の女性ファンの力が大きく寄与してきた。これは事実である昭和の頃からオタクをやっている人間ならば、あの頃の女性アニメファンは、ボルテスフイブやゴッドマーズの美形キャラにキャーキャー言っていたことをよく覚えている。雑誌アニメージュは、ゴッドマーズの美形主人公がベッドから飛び起きる場面を載せて「キャッ!もしかして裸?!」とキャプションを付けたり、ルパン三世サイボーグ009に宛てた女性アニメファンからイラスト付きラブレター掲載したりしていた。

 また、現代萌え絵に連なる絵の描き方も、遡ればオタク文化に参加していた女性たちの感性テクニックルーツである。例えば、猫耳が『綿の国星』にルーツを持つのはその一例である。(したがって、現代オタク文化においても萌え絵的な絵を描く女性クリエイターたちが少なくないのは、当たり前なのである。それは、そもそも起源からして彼女たちのものだったのだから。)

 マンスプレイニング大好きオジサンたちは、女性オタクの小児性や幼稚性を批判しないことは、既に述べた。しかし、それは何も、彼らが女性意思主体性や尊厳尊重しているからではない。むしろ全くの逆であって、彼らは女性のことを心の底で見下しているのであるマンスプレイニング大好きオジサンたちにとっての女性とは、コドモと同じく「人間未満の存在である。同じ人間未満の存在から、十把一絡げにして「オンナ・コドモ」扱いするのである人間未満の存在がクダラナイものに熱中する(ルパン三世サイボーグ009に恋したりする)のは当たり前に思えるから、わざわざ叩くほどのことではないというだけの話である最近セクハラ話題になった某ラーメン評論家が、得意気に「自分はオンナ・コドモには手を上げない」と書いていたのと、根っこは同じである。対等な存在として女性を見ておらず、犬猫に優しくするぐらいのつもりで、女性オタクをお目溢ししているのである

 オタク叩きが大好きな高齢マンスプレイニングおじさんたちは、女性が主導権を握る文化女性男性に影響を与える文化を憎んでいる。そして、男性オタク存在は、そのような女性が主導権を握る文化圏の存在を思い起こさせる。それ故に、高齢マンスプレイニングおじさんたちによる攻撃対象になるのである

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