俺には統合失調症から発達障害に診断を変えてくれた医者がいて、今の定期的に診てもらっている。
しかし医者がプロだとは分かっていてもやはり変に思われるんじゃないかと言えないことが複数ある。
たとえば資格勉強をしようとしてもすぐエロ画像を探したくなってしまい集中できないということ。
頻繁にオナニーしたくなって集中力がつづかないこと。おかげで効率がすこぶる悪い。
そういうわけで性依存症について相談したいものだがどうしても恥ずかしい。
漫画を読んだことがある女性について読んだことがある作品の男性向け女性向けの比率を出したらその平均ぐらいの割合では俺も女性向けの漫画を多く読んでしまっているかもしれない。ハーレクインもあすかDXもプリンセスも読む。
まあ俺は上記のように男としての性欲がばりばりあるから問題ないだろうが、それが無かったら俺の性自認はどうなるんだろうとは思う。
下手なたとえだが、葉緑体があって維管束が種子で増えるのならばその時点で動物ではありえない。それどころか種子で増えるという時点で大方植物だろう。
同じように俺ももうちょっと女性性的な行動傾向が強かったら俺が男性を騙るのは男性の定義に対する誤認に過ぎないのではなくなってしまうのではないか。
男でもたくさん少女漫画を読む人はいるが、そういう人も女性向けだけを読むということはなくて、少年漫画も少女漫画に劣らぬ量を普通に読んでいたりするものだ。
女性向けを女性と同じ比率で読んでいる、これは男としてかなり危ういのではないか。
漫画というのは性のアイデンティーと分かちがたく結びついたものだと思う。それを証明するようにシーモアみたいな電子書籍サイトでは全ての漫画をまず男性向けか女性向けかのいずれかに分類している。
持論だが身もふたもない言い方をすれば漫画というのは多かれ少なかれそれに対して疑似恋愛やそれ以上のものを求めるためのもので、読者は意識的か無意識的かに関わらず漫画を疑似恋愛を楽しんだりオナニーのおかずにするために買っているのだと思う。
そういうものを女性と同じようふうに読んでいるというのはたとえば尾木ママみたいに女言葉を使うのよりもよっぽど男性性にクリティカルに矛盾する要素なのではないだろうか。
だから本来はいさぎよく適合手術を受け戸籍を女性に変えるべきということになってしまうのではないか。
現代社会では男女の選択が自由という権利があるから「法的な性別を変えない権利」を行使できているに過ぎないような気がする。
男の身体をもって生まれたものの、本来女とされるべき人が、ジェンダー論とかに無頓着なために、形式的には男として登録されたまま生涯を押し通すような、つまりは無知による誤認に過ぎないのではないか。
もし人語を騙る植物がでてきて人間が行使できる自由権を交付されて、「俺は動物だ」と言えば、定義上どう矛盾してようがそれが本人の無知による誤認に過ぎなかろうが、ただ主張が尊重されるとうう権利のもとで動物として認識してあげられているみたいな感じ。
俺は権利によって男であることを保護されているだけで、女なのか?そういうことを訊きたくなる。
あとはなんでゲイは性転換手術を受けないんだろうという疑問がある。
男が好きなら女になればいいというのが素朴な考えだろう。男と交際したいなら同じゲイを集めるより女になった方が早いだろう。
トランスジェンダーではなくあえて同性愛者として生きることに何の意味があるのだろうか。
単に手術費用がもったいないと思っているだけだろうか。それともアイデンティーに関わる考え方がちゃんとあってゲイとして生きているのだろうかと、気になっている。