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2021-03-28

anond:20210328201354

どこかの団体メンバー「そうだよね、黒人居住移転の自由だけを主張するんじゃなくて、近くに黒人がいることに伴う俺たちの不快感考慮して欲しいよね」

(『見て不快になる』『存在不快に思う』は我慢させるのが自由権だと思う。それ以上の害(たとえばタバコ副流煙による健康被害)があるならば規制もやむなし)

2021-03-27

夫婦別姓についても、同性婚についても、芸能人不倫についても、その他なんかようわからんそういう事柄についても思うことなんだけどさ、なんで特定の人たちはそんなに他人生き方干渉したがるのかがそもそも一切全く分からないでいます

他人人生じゃないか

権利とか自由という概念以前に、そもそもなんで干渉したがるのかそのモチベーションからからない。分かりたくない。自分以外の人間がどう生きようが自分人生にはなんの関係もねえのに、なんでそんなどうでもいいことに当事者意識が持てるんだろう。自他の壁が消失しているのだろうか。僕の知らない間に地球人の幼年期は終わったのだろうか。そんな形の補完は嫌だ。倫理観とか宗教観とか社会規範とかなんかそういうまぁ要するに信仰心リブンな事柄について、他人強要することはあんまり良いことではないと思うし、そう憲法に書いてあるし、たぶん小学校とかで習っていると思う。知らんけど。

そもそも他人幸せを決める権利なんて我々は持ち合わせてはいないのだから、どんなに自身信仰心に照らして愚行と思える行いでもそれを止める権利なんてないし、愚行でないのならなおのこと。愚行権自由権の本質です。例えば、夫婦が別姓になって何か問題が起きるとしてもそれは当事者が最大限の自助努力のもとで理不尽に相対しながら血反吐を吐いて解決すればいいだけの話です。事前に法が介入するべきではなくて、問題が起きた後に法が介入できる余地を残しておけばいい。それが法にできるギリギリのことです。

例えばそれで不幸になる人がいるにしても、その人から事前に権利を奪ってはならない。自らの自由意志による選択の結果として不幸になる権利をその人から事前に奪うことは悪行に他ならなりません。人は不幸になる権利があるんです。見方を変えて、社会規範の維持や社会制度の維持を願う権利は個々の市民にあるとしてもその権利範囲は強く束縛を与えなきゃいけないはず。個々の姓に関しての束縛はその権利範囲を明らかに逸脱しているし、個々の性事情に関しても踏み込んでいい範囲じゃない。それらは誰がどう考えても個人自由範疇です。

そもそも自由主義社会においては当事者同士が限りない自由の中でより良い道を模索するべきで、法律が束縛を与えるのはあまり良いことではない。法律利益調整のために仕方なくあるものなので、必ずしも必要ではない束縛はそもそも全て破棄すべきなので、夫婦同姓規定夫婦別性規定もどちらも要らない。というか本質的には私有財産接続制度以外の何者でもない法律制度の形が現行のものだと違和感が凄いとは思っているけど、これは未婚の私が言うことじゃないから言わない。市民は自らの選択で限りなく不幸になる権利すら手中に収めた。それはきっと素晴らしいことなんです。隷従のもとで肥え太ることより遥かに素晴らしいし、それを守りたいと私は思います。私は私が正しいとは思っていません。自由主義なんて最悪だと思っています、もちろん自由主義以外のすべての形態を除けばの話ですが。

2021-02-18

自由主義革命

現状のあらゆる国家は全く自由主義が成立していない。

遠くない未来自然権を抑え付けている歪みが破裂し、真の自由主義が立つことは必然である

現状の政治体制は滅亡を待っているのみである

ただ歪みを減らすことで時間稼ぎをすることはできる。

暴力機関には選択夫婦別姓を認めない権利そもそも存在しない。

そんなしょうもないことで歪みを作るべきではない。

こんなことは明日にでも「うん、いいよ」で済む問題だ。

自由とその本質たる選択肢の量は無限に増やすべきだ。

何かが壊れても誰かが悲しんでも、それは自然権成就のための仕方のない犠牲である

選択夫婦別姓容認しても人は死なない。人の自由権を毀損しない。

となると公共の福祉概念から制限する理由はどこにもない。

制限する理由がないのなら、容認すべきなのだ

1945 年からしか政治的連続性のないしょうもない極東国家伝統も糞もない。

あったとしても伝統なんてものが真に伝統であるのか、そもそもそんなものを守る必要があるのか、その必然性を我々は証明できない。

そのため唾棄すべきなのである

革命必要だとは思わない。

個人的に現状の社会も悪くないと考える。

ただ、その延命のために歪みを減らすべきだと言っているに過ぎない。

2021-02-09

コロナをまき散らしているのは若者なんだから若者自粛しろって何がおかしいの?

そもそもマトモな若者自粛してるし、仮に自粛してても大学高校と自宅だけを行ったり来たりで、食うためにバイトとか出ざるを得ないわけでもなく家族が養ってくれるわけだし、20代社会人だって自粛してるのはテレワークできるくらいの仕事についてるような、ここのITエンジニアたちの増田みたいな人たちばっかりなんだから、まともな奴はちゃん自粛しててコロナになんかかかってないのになんの問題あんの?

感染してるとか感染拡大させてるのって、それこそ歌舞伎町とか六本木とか川崎市かにいる、生まれも育ちもド底辺の35過ぎたら人生詰んで花と散るみたいな生活してる底辺DQN男や低知能バカ女みたいなのばっかでしょ?

ネトフェミだって存在さえなかったものとして扱うくらい、なんの利益も生み出さな存在同士が、濃厚接触しあって感染しまくってるだけで、ちゃん自粛してる普通学生社会人は、それこそ今こそチャンスだとばかりに若い貧困女性貧困男性を金で釣って漁ろうとしてる、性欲と出来心に狂ったアホみたいなのが自己責任感染して高熱で「アッアッアッアッアッ」とかもがき苦しんでハゲてテンカワアキトみたいに味覚障害起こすだけで、そんなのだって若者の中では少数派なわけじゃん、自己責任で十分問題がない、金かけて国が対策する必要なんかない。

例えば、そういうDQNが安っぽいNTRエロゲーみたいにお嬢様エリートイケメンたちに言葉巧みに近づいてバンバン濃厚接触に持ち込んで新型コロナ感染させに、積極的諜報活動ばりの侵入を繰り返してしてくるっていうなら、警察が何とかしなきゃレベルの大問題だが、結局ちゃん自粛してる若者と、そんな底辺DQNたちとは関わり合いがないんだから何の問題もないのに、自由権侵害だとか老害若者を不当に弾圧してる!って鼻息荒い人たちは、なんでそんなに必死になってるんだろうね

2021-02-01

表現の自由戦士社会学ヘイトを今すぐ止めるべき

医学者が「コロナ収束させるにはこれだけの行動制限ロックダウン必要です」と発表するのは学問の自由だ。

もちろん経済学者は「そのような行動制限をするとこれだけ経済が落ち込み、これだけ経済が落ち込むとこれだけ自殺者が出ます」と発表するのも自由だ。それも学問の自由問題だ。

そのような医学経済学の発表を聞いて「現在憲法ではそのようなロックダウンはできません」と発表するのが法学自由権の問題であり、その問題をどのように解決するかが政治問題だ。

場合によっては「わかりました。ではコロナ収束させるロックダウン可能にするために憲法改正します」ということも政治は出来る。

もちろん、そこで「ロックダウンしたけれど収束しなかったじゃないか」となったらそこで提言した医学者の責任になる。

同様に、社会学者が「萌え絵があることでこれだけ女性差別が促進されていて、萌え絵禁止することで何年で女性差別解決します」と発表するのは社会学学問の自由だ。

あくま表現の自由が立ち入るべき問題は「そうは言うけれど、実際は現在憲法ではそのような禁止はできます/できません」という部分である

にも関わらず、表現の自由戦士は「そのような萌え絵禁止のような提言をする人を放置して自浄作用を働かせない社会学のものおかしい」と主張している。

まさにこれは社会学全体に対するヘイトスピーチではないだろうか?

2021-01-21

リベサのポリコレってすげぇよな

トランプTwitterで凍結されるのは自由権自由市場体現規約を守っただけ

銭湯入れ墨で入湯を禁止したり、中国人に部屋を貸さな規約は許されない、人権侵害差別


エロ成分のある萌え絵ポスター採用するなど企業道義的責任から許されない

Twitter企業自由権で会員を凍結する権利がある


Twitter行使した自由権とやらが、自分たち正義に反しないからウッキウキやで


さて、Twitterはなんでトランプを凍結したのか

トランプ言葉勝手シンパテロを行った(と僕には見えた)から」だぜ

司法を介しもせずにな

すげぇな、政治的ただしさ

「家でおとなしくしろ」って言っても煽ってると言われて凍結することが「正しい」という輩が

BLMであれだけ人権侵害されていたのに放置から


すげぇな、政治的ただしさ

吐き気がする

2021-01-16

勝ち取った自由権放棄するとか正気か?

自由の為に死ぬ人間だと揶揄されそうだが個人的には自由の為に死ねとまで思ってるわ

2020-12-30

anond:20201230003004

そもそも自由権とは『相手我慢させる権利』です。

ユダヤ人居住移転の自由は、居住先にいるネオナチに『不快に思っても我慢させる権利』です。そこでネオナチの『なぜ我々だけが一方的我慢しなければならないのか。お互いに協調して解決するべき』を受け入れていたら居住移転の自由は空文化します。

あるいは黒人騒音にならない範囲ロック演奏する権利は、周囲にいるKKK団員に『不快に思っても我慢させる権利』です。そこでKKK団員の『なぜ我々だけが一方的我慢しなければならないのか。お互いに協調して解決するべき』を受け入れていたらロック演奏する表現の自由は空文化します。

2020-12-28

仮に殺人は是か非かでディベートをすることになったとして是の立場になった人はどう攻めりゃいいんだ?

自由権ダメだな他人人権侵害で詰む

加害者非道なことをしなければ被害は出ない?殺人嗜好で詰むわ

追記

全ての殺人肯定しろ

条件付きはナシ

2020-10-19

anond:20201018232836

食うには困らないってだけでほんとに人権いからな。

国民保障されている自由権の大半が天皇にはない。

他人にしていいと決められた範囲のこと以外は出来ないのが天皇

しか天皇自体憲法定義されているのでこのやたらと変えにくい憲法を変えでもしない限り絶対自由になれない。

奴隷以外の何者でもない。

2020-10-13

世界をより良いものにするため、ご飯に箸を突き立てなければならない

 実家では箸置きというものを使う習慣がなかった。確か4,5歳くらいの時だったと思うのだけれども、夕食の時間に箸の置き場所に困った自分は、茶碗に盛られたご飯に箸を突き立てた。ごはんの粘性は相当なもので箸はぴたりと静止してくれた。これならテーブルを汚すこともない、何て自分は冴えているんだと当時思ってたか記憶にないが、それを見た母親は「箸を刺したご飯は死者への食事という意味を持つのでやめるべきだ」と言って俺のことを注意した。その言葉に強い反感を抱いて、「母さんは死者が食事をすると信じているのか」「死者への食事という意味を持つからといって、自分がそれをやめなければいけない理由はあるのか」といったような反論、というか質問を投げかけたように記憶している。それに対しての母の回答は「私は信じていないが信じている人はたくさんいる。そういった人が見ると不快になる」「宗教的意図関係なくとも、単純にみっともない」といった内容だった。幼少期の自分は親にとても従順であったため、釈然としないながらも引き下がった。 

 年を重ねるにつれて「宗教的儀礼を除いて箸をご飯に突き立てるべきでない」という規範自分自身にも深く根付いていった。思春期差し掛かかるころには「日常の中でご飯に箸が突き立てられている光景」を見て直感的に不快感を抱く程度には。 

 さらに長じて倫理とか規範かに興味を抱き始めてから、幼少期のこの出来事に対して強い反発を覚えた。幼少期の自分に対して母親が示したルールは、要するに以下2つのような意味合いとなると考える。

「私は信じていないが信じている人はたくさんいる。そういった人が見ると不快になる」より

    ①自分尊重していなくとも、他社が尊重している信仰規範平時ご飯に箸を突き立てるべきでない)は、自分の便益(机を汚さない)を害しても配慮すべきである

宗教的意図関係なくとも、単純にみっともない」→箸を突き立てられたご飯に対して「みっともない」と感じるのは明らかに生得的ではないと考える。実際のところ後天的に植え付けられた規範からの逸脱に対して不快になっていると考えると、

    ②すでに共有されている規範マナーから逸脱すると人は不快に思うため、規範マナーから逸脱すべきでない

ちょっと露悪的に書きすぎたきらいはあるけれど、この2つのルールって本当に正しいか

①「自分尊重していなくとも、他社が尊重している信仰規範は、自分の便益を害しても配慮すべきである」について

 当たり前であるが、個々人によって尊重している信仰規範は違う。ただ、共通してる部分もかなり多く、例えば現代日本人の多くは自由平等だったり人権思想に基づく価値観(以下、世俗倫理表記)について、強く尊重すべきものであると考えている。信仰していると言い換えてもよい。一方で特定宗教人格神みたいなものは信じていないし、その教義の基づく規範(以下、宗教倫理表記)に価値を見出さない。見出さないは言い過ぎにしても、少なくとも自由平等などの世俗倫理がより優越すると考えている。自分は平均よりかなりラディカルだと思うけれど、同様に世俗倫理を支持し、宗教倫理より優越すると考える立場にある。

 具体的な例を考えてみる。例えば原理主義的なキリスト教徒聖書引用して「同性愛者は倫理的に悪であるため社会から排除すべきである」と主張しても自分はそれを尊重しないしその思想に基づく実力行使を許容しない。なぜなら「同性愛者は倫理的に悪であるとする聖書記載」に自分価値を見出さない。「原理主義的なキリスト教徒同性愛に対して抱く不快感情」については価値を見出すが、「同性愛者の幸福追求権や自由権」がそれに優越すると考える。なぜなら自分世俗道徳尊重し支持しているかである宗教倫理世俗倫理が背反するときには世俗倫理優越されるべきで、それは世論だったり、それに実行力を与える法律暴力装置によって施行されるべきと考える。これは宗教倫理優越を主張することを制限すべきでないという意味ではない。あくま思想信条自由は最大限尊重されるべきであり、言論によるパワーゲームは続けられるべきだと考える。

 ここまでの整理については大多数の人に同意してもらえると思う。「宗教規範」と「世俗規範」が対立して共存できない問題については、他社の尊重する「宗教規範」を踏みにじってでも自分尊重する「世俗規範」の基づいて社会運営されるべきと考える。どれだけ他者価値観尊重するとは言っても、共存できないものはある。そうなったら、その社会尊重される規範は身も蓋もないパワーゲーム(必ずしも直接的な暴力ではない)で決定されるしかない。これについてはISISの騒ぎで個人的に痛感したのだけれど、実際問題として世俗倫理に反する宗教倫理現代志向しようとすると暴力に頼るほかないし、それに対するカウンターだって経済的暴力的なパワーゲームで押しつぶすしかない。人権思想よりコーラン字義通りの解釈尊重している相手に「お前は人権思想に反している!」と言っても対立者に対してはまるで効力がない。

 さて、話を戻してこの理屈が「ご飯に箸を突き立てること」にどのように適用されるかを考える。ここで対立するのは「ご飯に箸を突きたてることで便益を得る」自分自由権・幸福追求権と、「ご飯に箸を突き立てるべきでない」という宗教倫理である。これは共存し得ないので、世俗倫理尊重する立場からすると「ご飯に箸を突きたてることで便益を得る」ことが優越すべきであると考える。不快になる人間配慮して箸をご飯に突き立てないことは賞賛すべきかもしれないが、配慮をしないことについて非難されるいわれはないと考える。私はシャルリーを引き合いに出してもいいけれど、他者規範尊重は、私の尊重する規範を害さな範囲でないともちろん認められない。人権思想表現の自由自分にとって宗教倫理より優越する。宗教倫理を害す表現に対しての批判、「ムハンマドの顔を書くべきでないし、揶揄すべきでない」という主張は許容できても、ムハンマドの顔を書き揶揄することは制限すべきでないし、それに対する実力行使は許容できない。なぜなら自分は「ムハンマド表象を書くべきでない」という宗教倫理より表現の自由という世俗倫理をより尊重する立場にあるからである

 まあ、そもそもこの「ご飯に箸を突き立てる」ことに対して特別意味合いを見出してる教義って明確にはないみたいで、「仏教神道の教えっぽいとみんなが認知してる慣習」以上のものでは無いっぽいので、宗教倫理とするよりも単純なマナー問題と考えたほうが筋は良いと思ってます。ということで次の話につながります

②「すでに共有されている規範マナーから逸脱すると人は不快に思うため、既存規範マナーから逸脱すべきでない」について

 これを言い換えると

    ・マナーを破ると人は不快に思う。

    ・人を不快にする行為は好ましくない

    ・上記より、マナーを破る行為は人を不快にするため好ましくない

 いやー完璧な3段論法が完成してしまった。ただよく考えると「マナーはそれがマナーであるから守るべきである」と言っているのと何ら変わりない発言である。そしてこの「マナーはそれがマナーであるから守るべきである」という考えについて自分はそれはそれはもう憎悪を抱いている。

 まず、ここでいう「マナー」という言葉について自分は「緩い規範」くらいに定義している。例えば「人を殺すべきでない」みたいな基本的絶対に逸脱すべきでないし、逸脱したら重大なペナルティ非難が避けられない「重い規範」とは対照的に、「逸脱するのはなるべくやめたほうが良い」くらいの「緩い規範」=マナーということで話を進める。

 何かのマナー価値があるとすると、そのマナーを守ることによってメリットがある場合であると考える。なぜならマナーとは往々にして「○○をすべきである」「○○をすべきでない」とい行動の強制を伴う規範であり、選択肢を狭めるものであるからである基本的選択肢は多いほうがいいと自分は考える。

さて、例えば「電車の乗り降りは降りる人を優先すべき」というマナー。このマナーが広く共有されていることにより、電車の乗り降りをスムーズに行うできる。確かにこのマナーを守ることによってメリット存在するため、「電車の乗り降りは降りる人を優先すべき」というマナーには存在価値があるだろう。

 ひるがえって「ご飯に箸を突き立ててはいけない」というマナー価値があるだろうか。真っ先に思いつくのが「ご飯に箸を突き立てている光景を見ることによる不快感」を回避できるというメリットだ。たださら思考をすすめてなぜ不快に思うのか?を考えると「ご飯に箸を突き立てるのがマナー違反であるから」に行きつくだろう。「ご飯に箸を突き立てること」に対して特別意味見出しているのは日本だけのようだし、ご飯に箸を突き刺して悦に浸っていた幼少期の自分を例にとってみても、この不快感は生得的なものとは思えない。(このあたり、まじめな研究があったらめちゃくちゃ見てみたいので情報募集です)多くの人は後天的に「ご飯に箸を突き立てることはマナー違反である」と学習し、そのマナーが逸脱されたことに不快感を抱いていると考えられる。つまり、「ご飯に箸を突き立ててはいけない」からこそそれに不快感を抱く人がいるのであり、そもそもこんなマナー存在しなければ多くの人は箸にご飯を突き立てられている光景をみてもおそらく何とも思わない。

 マナーが増えるということはもちろんマナー違反が増えるということでもある。つまりマナーが増えるとマナー違反による不快を感じる機会が増えるとも言える。これは本当に声を大にして言いたいことで、「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナー不快を感じる機会を増やしているだけである不快を感じる機会は減らしたほうがもちろん良いので、メリットのないマナーなんて無いほうがいい。ご飯に箸を突き立てて机を汚さなメリット自由享受できる社会のほうが絶対にいい。自分マナー業界蛇蝎のごとく嫌っているのはこの辺が理由で、メリットのないマナー創作して稼いでるあいつらマジで不幸の商人だよ・・・・・と思っている。

と、ここまで書いたけれども、実際のところ「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナーにもメリットはある。マナー合理的意味があろうがなかろうが、「その場において支配的な規範マナー従順でない」人間、長いものに巻かれない・巻かれることのできない人間排除する上では非常に有効機能する。良く言えば自立した人間であり、悪く言えば協調性のない人間だ。こういう用途で使うならむしろ合理的メリットなんて存在しないマナーの方が有用かもしれない。とはいえ自分信仰としてこういった排除ロジックは気に食わないのでやっぱり「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナーなんて無いほうが良いと思う。マナー業界はいち早く滅びてほしい。

 ここまで読んでくれた方なら、我々はご飯に箸を突き立てるべきであると十分に理解していただけたと思う。実際問題として「平時ご飯に箸を立ててはいけない」というマナーは多くの日本人に強烈に内面化されており、箸が突き刺されたご飯を見ると理屈に関わらず一定不快感を生じてしまう。これは自分だってそうであるご飯に箸を突き立てる人は、間違いなく突き立てなかった時より嫌われる。それでも、嫌われるから、すでに定着してるからなんて理由有害マナー継承していいのか。それがなんであり、どのような影響を与えるかについて何の疑問も抱かず、ただ「私はマナーを守っているか道徳である」と悦に浸っているだけでよいのか。それは将来の不幸を増やしているだけじゃないか、そんなもの迎合していいのか。他人自我を預けていいのか、自分を誇れるのか。

ご飯に箸を突き立てるなんてマナー違反だ」という前に少し考えてほしい。なぜ?と聞かれたときに十分な説明ができるだろうか。誇りをもった説明ができるだろうか。実際、子供にそれを言わないのは難しいだろう。ご飯に箸を突き立てる子供は間違いなく悪意にさらされるし、それをはねのけろというのはあまりにも酷だ。でも、それがただの処世術だと伝えることはできるはずだ。幼児には無理でも、中学生高校生ともなればこの理屈理解できる人が多いはずだ。せめて、突き立てられたご飯を許容することはできるはずだ。社会は時に非合理で残酷になるが、あなた自身までそうなる必要はない。非道を止められなくとも、一緒になって非道をやる理由はないはずだ。ベスト選択できないことはベター選択しない理由にはならないはずだ。

 将来のことを考えてほしい。より良い世界のことを考えてほしい。私たちご飯に刺さった箸を見たら不快になる。箸置きがなければ直接箸を置くしかないし、机の上はご飯粒でぐちゃぐちゃだ。まかり間違ってもご飯に箸を突き刺さないように気を付ける食卓はピリピリして緊張感に溢れている。それでも私たちがここで勇気を出してご飯に箸を突き立てれば、他人から嫌われることを厭わず「そんなマナーは無いほうが良い」と言い続ければ、そんな人が増えていけば、次の世代ではどうだろうか。「ご飯に箸を突き立てるべきでない」なんてマナー存在を知らない世代食卓はどんな光景だろうか。

 彼ら、彼女らは箸置きがなければご飯に箸を突き立てることができる。箸置きが無くったって机は清潔に保たれるし、それを見て不快に思う人なんかいない。ご飯に箸が突き刺さっていたからそれが何だというのだ?机にへばりついた米粒なんて誰だって片付けたくはないではないかご飯に箸が突き立つ、そんな清潔でリラックスした食卓は朗らかな幸福に包まれている。それはささやかながら、今よりももっと良い世界であるはずだ。

 これから世界がそんな素晴らしいものであってほしいなら、これから世界をより良いものにするため、私たちご飯に箸を突き立てなければならない。

2020-08-31

anond:20200831023710

してないよ?だってそこ自由権の例示だもん

性的マイノリティからどうこうって話じゃなくて自由権によって自由保障されているか自由だよってだけの話だ

性的マイノリティでも他社の権利侵害したら当然ダメだ。性的マイノリティは盾にはならない

実際小児性愛者は性的マイノリティだしな

anond:20200830225424

あーなるほどね、気持ちはわかる

苦悩してない人間が己の欲望のために屁理屈をこねてるように見えると。ただ主張に的外れな部分があるならそれを指摘すればよい

でも何を性対象にするかなんてのはもろ近年の人権マターなんだよね

人の行動が制限されないことは基本的自由権によって保障されてる

この人は真剣に悩んでるからロリエロ見るのを許します、あなたは別の何かで代用できるでしょうだからダメですって理屈を通すと自由権侵害だしバイセクシャルにブッ刺さる

また"真剣に悩む"の定義もしなければならない。これは誰がどうやって決めるのか、わざわざ自由権制限する正当性等を考えると定義はほぼ不可能だ。だから原則自由というのが今の人間兆候ではある。

2020-08-13

anond:20200813201016

なんなの…

自由権による表現の自由原則あるだろ。まず基準は”OK”なの。


それに、明確なOKNG基準なんてあるわけないだろ。時代が変われば価値観は変わる。だから法律専門家がいる。

昔はOKだったけど今はNG表現なんていっぱいあるし、オタクの俺だってわかってるんだ。


フェミニスト的な時代価値観に合わんというならせめて統一して意見を提出してくれ。

2020-06-25

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1548212

ポリコレ持ち出してる人までいて

子育てにも日本義務教育にもポリティカル・コレクトネスは何も関係ないでしょうがシアトルまで出向いたらポリコレ棒で頭でも殴られたのか?

他もここまで極端でないにしろ勘違いしてる人が多いので書いた。

まず法令の話でいうと

親の「義務違反であるかどうかでいえばこの親は義務違反だ。

ただし罰則を実行するかどうかは自治体に広範な裁量があるし、就学させる義務違反することに刑事罰は無い。

就学させる義務

納税の義務

勤労の義務

に並んで憲法に明文化された義務の一つであり

「三大義務」と呼ばれる

でも勤労の義務行使できてない人いっぱいおるやろ?

そう日中からブコメしてるお前らの事だよ

でもだからといって勤労義務違反しても刑罰ねえだろ?そういうことだよ。

以下ブコメから気になったやつを抜粋

親がどうにかしろってコメあるが、義務があるのは親だけじゃなくて、日本大人全てだよね?

からっぽのほうが夢は詰め込めるけど

日本大人全てにそんな義務はありません

から怖がらず地に足をつけて大人になろうな

義務教育相当」の教育を与えれば親の義務は果たされるはずなので、方法学校に限られない。

令和2年時点の日本ではNG

憲法で定める「普通教育」の範囲学校教育法で規定されており、一条校での教育に限る。

ただしICESCR第13条は学校に限ってはいない

また学校教育法は憲法と違って今までに何回も改正されているから、今後改正されんじゃねーの?

しかし、令和2年時点の日本ではやっぱりNG

なお余談だが、日本はICESCR第13条に留保をつけていて、高等教育を受ける機会均等と無償教育の漸進的導入がいまだ未実施

ただし民主党がここに関しては留保撤回済みで 自民党でも国として一度留保撤回したものもとに戻せない(韓国ならやるかもしれんが)

からといって出世払いという借金制度を「高等教育無償化」と言い出した自民党には呆れるばかりである

一応注釈をつけておくとICESCRでいう高等教育大学のことです。高校じゃないよ。

次、親の有する教育権、つまり子供教育を決定する権利の中に

「親の思う教育を施す権利」は一部しか認められていない

例えば親がナチスドンハマりしている人で

ナチス最高」という教育を受けさせたい!

とほざいて子供義務教育をさぼらせ、教育を施す場合子供学習権を保障できなくなるね、だから全面的」な教育権を親には認めていない。

他方、国や地方団体教師にも全面的教育権は認めていない、それぞれに一定権利がある、としている。

まりは親に義務教育"相当"の教育で十分とする権限は認められていない。

なお日本語を読み慣れてない人が

ナチス教育義務教育相当なわけないww」とか言い出しそうだが

線引問題はこの話の本質じゃないから大多数がNGとするであろうレベルを例にしているんだぞ

どんな教育法であれ親の考える教育子供学習権を侵害しないとされるか、合理的方法立法されていない、18歳時に高等学校卒業程度認定試験合格できりゃいいんじゃねえの?ならナチス万歳教育だって高卒認定取れるならOKなっちゃうだろ。いいのかそれで?そして繰り返すがこの点は話の肝じゃありません。

教育義務というのは小学校へ行かせる義務という意味なのかしらん

憲法26条を具体化した学校教育法で以下の通り定める。

第十六条 保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

第十七条 保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校義務教育学校前期課程又は特別支援学校小学部に就学させる義務を負う

これは大事な指摘で

法令上は小学校に行かせる義務であっている

だが法の精神が唱えるところには足りていない

来させる義務を果たすのであれば叱るのではなく環境改善なりやることやってって話でいいのかな。

コメの中でこれが一番正しい。
子供には学習権を基にした国、教師地方自治体、そしてなによりも親に対して自分学習権の保障要求する権利がある。

子供学習権の保障は「第一義的に親」が行うことになっている、なのでまずは親に要求するのが子の通すべき筋であり、応えるのが親の義務でもある。

もちろん親からさら地方自治体や国に要求するのも権利関係としては正しい、正しいだけで現実的な解は別だけどね

ついでに学習権の要求ができるまで学習権について深く理解自己尊厳を守るための意識発達が行われたならその子供は褒め上げてあげるべきだし、みんなに自慢して良いと思う。

しかしながら「子供には就学する義務は無い」程度の浅薄をほめれるやつがブクマカに多数いて、おつむが中学生と同レベルな事はかわいそうに思うが、義務教育は年齢で区切られているからもう手遅れなんで勤労と納税の義務をはたせよと思うばかりである


最後自分の考えを書いておく

ユネスコ学習宣言

http://yakanchugaku.enyujuku.com/shiryou/unescogakushuuken.pdf

この中でも謳っている通り

学習権なくしては、人間的発達はありえない。

親の義務とは何か?就学義務なのか?と言われれば法令上はそうなる、あってる。

しかしながら、条約や法の精神が求めるところはそれでは足りていない

戦前ジュネーブ児童権利に関する宣言が行われ

児童は、身体的ならびに精神的の両面における正常な発達に必要な諸手段を与えられなければならない。

と謳った

第1条である

その具体的な権利の一つとして「学習権」が子供に認められた、だからこそICESCR 第13条にはこう書かれる。

教育についての権利教育人格の完成及び人格尊厳についての意識の十分な発達を指向し、人権基本的自由尊重を強化すること。

学習権とは人間的発達のために必要ものであり、自分が唯一無二の人であること、それと同じくらいに他者も唯一無二の人である、そのように世界認識するために必要ものだ。

BLMもそうだし男女の殴り合いもそうだが、自らの人権相手人権を守ることができる人間を増やすことが今、世界の抱える病魔を解決するための道だろう?そのためにも必要ものの一つが学習権なわけだ。

そして「権利」とは「環境」があってこそ初めて実質的意味もつ。絵に書いた餅じゃなくなる。

例えばこの世に男子校しかないのに「子女には学習権がある」なんて謳って終わりにしてたら絵餅だろ?

他の権利も全てそう、

コロナ対策で君たちには10万円受け取る権利をあげよう!ただし実施がいつかは決めていない、私の気持ち次第でそれは明日かもしれないし100年後かもしれない

とか言い出したら、なるほどボケてんのか、ってなるだろ。

ついに大麻合法化!!!

ただし国内での販売禁止するし国内での譲渡禁止国内での栽培禁止海外から持ち込むことも禁止

ってなってたらそれは実質禁止とかわらんだろ?

自由権であろうと社会権であろうと、「権利」を行使できる「環境」を整える事が「権利保障」であり、環境を奪っておきながら「お前にも権利はある」って言っちゃう人、自分学習権の行使できなかったんだねーって思うわ、可哀想なので哀れんであげる。

さてそういうわけで

権利」は「環境」がなければ何の意味もないんだ

まり「親の義務」として日本憲法でも義務化されているものとは法令上は確かに就学させる義務だ、

しかしながら、人類普遍法則である人権日本憲法要求する義務とは「子供学習権を十全に行使できる環境を整える事」であり

それこそが日本憲法に「三大義務」の一つして規定されている「親の義務である

2020-06-04

どんな崇高な目的だろうと他人自由権侵害してる奴が社会正義を語るんじゃねえよアホ

2020-05-06

anond:20200506230720

日本法治国家からな。知らないかもしれないけど新型インフルエンザ等対策特別措置法の第四十五条に基づいて外出自要請は行われていて、その権限都道府県知事にあるんだわ。要請に従うかどうかは確かに市民自由権範疇だが、君の選挙区が選出した議員が属する国会にて可決した法律によると「事業者及び国民は、新型インフルエンザ等の予防に努めるとともに、新型インフルエンザ対策に協力するよう努めなければならない。」となっているな。まずはこんなところに書き込む前に特措法読んでみるのを勧める。

2020-03-04

欧州さん「欧州世界的に見て人権先進地域であることは疑いない」

EUにおける人権位置づけ

人権思想発祥の地である欧州が、世界的に見て人権先進地域であることは疑いない。欧州連合(EU)に先立って発足した欧州評議会が1950年に制定した欧州人権条約1953年発効)は、世界人権宣言に基づいて自由権規定した世界最初条約となった。

参考1⇒EU基本権憲章と欧州人権条約

EUとしても、起源である経済共同体から発展を遂げる過程で、人権を法的に規定し、統合の基盤としてきた。ではそれ以降、東方へと拡大を進め、さらにはグローバル化時代突入する中で、人権問題への取り組みはどのようにシフトしつつあるのだろうか。EUにおける人権の法的、機構的な枠組みを概観するとともに、域内および対外的位置づけを明らかにしていこう。



欧州はん……

2020-02-02

【再掲】『女子高生交際(体の関係あり)』は必ずしも違法ではありません

『18歳未満との交際、「真剣」以外はすべて違反に』という大阪の条例に関連して。

1.刑法

まず、この手の年齢制限で一番強いのは刑法だが……

刑法 第176~177条

第百七十六条  十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつ行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。

十三歳未満の男女に対し、わいせつ行為をした者も、同様とする。

第百七十七条 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。

要するに、13歳未満の子どもに対しては、『暴行または脅迫を用い』なかったとしても、わいせつ行為をすると罪になる。

流石に「10歳の女の子合意の上でエッチしました。合意しているんだからレイプではないです」というのは性知識の差を考えると”真正同意”とは言い難いので、(『年齢以外で区切るべき』や、どの年齢で区切るかという議論別にして)この点については増田も深くは取り上げない。

だが無論、日本では飛び級基本的存在しないので、13歳未満の女子高生存在しないはずだから女子高生エッチ逮捕』のような認識をする理由にはならない。

2.児童福祉法

四条第1項柱書  この法律で、児童とは、満十八歳に満たない者をいい、児童を左のように分ける。

(略)

第三十四条第1項柱書  何人も、次に掲げる行為をしてはならない。

(中略)

第6号  児童淫行をさせる行為

以下略

児童福祉法児童は十八歳未満であり、学校教育法に定める児童小学生)とは別物である。まずそれを前提として。

1985年1996年まで、この法律は『誰かが、児童(繰り返すが18歳未満である)に対し、自分以外の第三者淫行をさせる』行為に限ると解釈されてきた。

これが1996年高裁判決解釈が大幅に変更され、『誰かが、児童自分(←で言う”誰か”)と淫行をさせることも含む』と解釈されるようになった。

が、こちらの解釈で取り締まられることは少数である

というより、婚姻年齢(註:近年まで女子は16歳から結婚できた)との兼ね合いもあるので、解釈が変更された上述の1996年判決でも『一定の程度を越えて児童に影響力を及ぼして児童淫行をさせるに至った場合に限る(意訳)』という解釈になったため、

長野県(後述する)のような場合を除いては”影響力”の立証の困難さからか、あまり使われない。

3.青少年健全な育成に関する条例

 表題に書いたような「未成年と、体の関係を含む交際」を取り締まるほとんどは、『青少年健全な育成に関する条例』における淫行処罰規定長野県を除く46都道府県にある)だ。

が、この条例地方によってピンキリである。やたらと範囲を広くとっている例として静岡県を挙げよう。

静岡県 青少年のための良好な環境整備に関する条例

第14条の2

何人も、青少年に対し、淫行又はわいせつ行為をしてはならない。

2 何人も、青少年に対し、前項の行為を教え、又は見せてはならない。

このようなシンプル条例文章になっていて『高校生と体の関係があったら真剣交際であっても全てアウト』のように読める道県は決して少なくない。

一方で、千葉県大阪府のように、罪刑法定主義に則り、条件をある程度限定している都府県もある。

千葉県青少年健全育成条例

第20条 何人も、青少年に対し、威迫し、欺き、又は困惑させる等青少年の心身の未成熟に乗じた不当な手段によるほか単に自己性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められない性行為又はわいせつ行為をしてはならない

大阪青少年健全育成条例

第34条 何人も、次に掲げる行為を行ってはならない。

(1)青少年に金品その他の財産上利益役務若しくは職務供与し、又はこれらを供与する約束で、当該青少年に対し性行為又はわいせつ行為を行うこと(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律平成11年法律第52号)第2条第2項に該当するものを除く。)

(2)専ら性的欲望を満足させる目的で、青少年威迫し、欺き、又は困惑させて、当該青少年に対し性行為又はわいせつ行為を行うこと。

以上の府県に共通するのは、『専ら性的欲望を満足させる目的』のみを条件としているということだ。

このような規定が無いとどうなるか、というと。たとえば飲食店店長をしていた男性が、女子高生(当時17歳)と交際していたことについて、本人たちは恋愛感情があったのに女子高生の母親が被害届を出し、男性が逮捕されたような事件になった(その後無罪が確定)り、19歳の男性が17歳の女子高生と性行為をして男性だけ逮捕されるような話にもなってくるわけだ。いや、リア充爆発しろというのは置いておいて、2歳差はどう考えてもセーフだろ。これが18歳と16歳ならばセーフ(註:神奈川県条例には、未成年を罰しない規定がある)だし20歳と18歳でもセーフなのに19歳と17歳ならば逮捕になるというのは合理的だろうか?

4.読者の中にどなたか憲法学者はいらっしゃいませんかー?

(この Q&A はフィクションです、多分)

質問1:「私は千葉県に住む19歳の大学生です。高校時代の後輩だった17歳女子高生交際していて、

体の関係もありましたけど相手同意していたし結婚も考えていた真剣な付き合いだったのですが、関係相手の親にばれて被害届が出され、逮捕されました」

回答1:「その場合真剣交際だったと認められたら無罪になる場合もあります

質問2:「最終的には真剣交際だったと認められて無罪になったのですが、『大学生女子高生淫行逮捕』という記事名前が全国に報道されてしまいました。私の就職に影響しますか?」

回答2:「それは条例を制定した自治体や、逮捕した警察の関わる問題ではありません」



↑このような条例規定そもそも自由権を著しく侵害していませんか? どうなんでしょうその辺。

5.おまけ

意見1:いや、静岡県のような条例でも問題ないだろ。そもそも未成年の間は学業スポーツによって成長するべき時期で、恋愛などにうつつを抜かすべきではない。

回答1:意見としては伺いますが、では何歳から恋愛しても良いとお考えですか?

意見2:安易恋愛禁止し、結婚して家庭を持つの収入などの条件を満たした33歳以上に限るべきだ。

回答2:また随分と、文が鮮明ですね。

2020-01-23

子供権利制限されているし、性行為に伴うリスク判断できない

子供権利は、その能力的未熟さを考慮して、当人保護のために一定レベルまで制限されてよい

元増田は「子供性的主体性を持つには未熟」が「ちょっと子供判断力をナメすぎ」とおっしゃるけれど、現代社会は性行為に限らず、子供のさまざまな権利制限しています飲酒喫煙公営ギャンブルは禁じられていますし、民法では制限行為能力といって「私法上の法律行為単独で完全におこなうことができる能力」を持っていないとみなされています。その理由は、未成年自己決定能力の未熟さを鑑みて適切に保護するという観点から未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない、というのが近代国家原則です。

あなた論法に則ると、たとえば未成年が法的契約の十全な主体になれない(正確には、未成年契約はいつでも無効にされうる)こと、つまり子供は法的主体性を持つには未熟」とされている現況に対しても、「ちょっと子供判断力をナメすぎ」と言えることになりますが、これに同意する人はほとんどいないでしょう。大人と同等の判断力を持つ子供もいますが、そうでない子供もたくさんいます

行為には身体精神経済的リスクが伴い、実際に多くの児童がそのコストを払っている

元増田は「一生のトラウマ」というメンタル問題のみを取り上げていますが、そもそも行為というのは適切な知識配慮をもって行わなければ様々な身体リスクがある行為です。たとえば性感染症未成年クラミジア感染率は、少し古いデータですが、15~18 歳健康高校生 6,000 人での陽性率が男5%・女子13%。そして19歳までの未婚妊婦の27.3%が感染していますhttp://www.jspid.jp/journal/full/02301/023010063.pdf また女性場合HPVヒトパピローマウイルス)のように、若いうちに感染するほど、後の子宮頸がん発症の強い因子となる性感染症もあります。そして多くの性感染症は、たとえコンドーム避妊していても咽頭経由で感染します。これらの事実を正しく認識している未成年者は決して多くありません。

そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています未成年人工妊娠中絶数は、2014年厚労省データで約18,000件/年ですhttps://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。妊娠ゼロリスクではなく、母親にもそれなりの周産期死亡率がある、非常に身体負担の大きい事象です。臨まない妊娠妊娠中断(中絶)にも多大なお金がかかります。また、学校や家庭などのコミュニティでのサンクション(制裁)も発生します。そうした性行為にまつわる事実を正しく認識し、そのリスクを踏まえた上で行動できる未成年者ばかりではありません。

から私たち社会は、子供に性行為を---特に金銭的対価の伴う性行為を---禁じているのです。

https://anond.hatelabo.jp/20181106132747

2019-11-09

anond:20191109002111

表現がらみの話でも思うけど実際生活保護だとかの生存権なり表現の自由だとかの自由権とかって今までとあまりにも違う対応を求めるなら最終的には憲法改正しないとできないレベルの話になってくるからどうしても与太話にしかならんよなあ。

2019-10-23

自由主義増田間違えすぎ問題

自由主義増田かい適当なこと書いてるやつが900user超えててビビるわ。

anond:20191016163058

anond:20191017201230

しか好意的な反応がほとんど。マジではてブの知性やばない?

Twitterでも消極的自由積極的自由についてさも前から知ってましたみたいな体で誤った知識を語りだすやつが増えてて笑える。

お前ら騙されすぎで本当不安になるよ。

*****

そもそも、今回の件は消極的自由積極的自由議論関係がない。

消極的自由というのはつまるところ自由権(=国家から自由)のことで、積極的自由社会権(=国家による自由)のことだ。ここはもう1回Wikipediaでも読んでくれ。

察しのいい方はこの言い替えだけで先のエントリ違和感に気づくかもしれない。

バーリン国家個人自由との関係を論じているのであって、個人間の自由が衝突しているのをどのように調整するかという議論である今回の件とは全く別問題

表現する自由」と「それを見たくない自由」は、どちらかを優先すればどちらかが損なわれるというトレードオフ関係性だ。

一方、自由主義増田が例示しているような「六本木から強制排除されない自由」と「六本木に住むための補助金を受ける自由」って別に衝突していないしトレードオフ関係じゃない。

強制移住させずに住む自由保証しても、補助金は出せるでしょ。実際出すかはともかく。

(というか、この例示も「消極的自由が優先される」という結論を印象づけるために恣意的に選ばれていて卑怯だよね。強制移住させられて居住の自由直接侵害されるような状況だと補助金重要じゃないのは当たり前。)

誤読マンが多いのも、自由主義増田国家個人自由なのか個人間の自由自由なのかを混同して意味分からんこと書いているから仕方がない。

*****

ちなみに、消極的自由積極的自由に優先されるのが現代自由主義の主流なんてことはなく、この点でも間違っている。

自由権社会権は両輪であり、一方を欠けば他方も真には達成されない。また、教育を受ける権利教育自由など、どちらにも峻別できない権利もあるし、環境権などのどちらの特色も持った新しい人権も出てきている。

こうしたことから現在では、この2つをある程度区別することに意義はあるが、厳格な峻別不可能だし両方重要だよねってのが一般的学説

バーリンの主張では、当初他者から強制干渉のみを消極的自由の欠如としていたが、貧困などの手段能力の欠如といった積極的自由の要素も含むことになった。こういう点でも当然批判も多い。

*****

自由主義増田の主張に従えば、献血ポスターが仮に適法的に作成されたヌードAVだって問題ないということになる。

なぜなら、今回の宇崎ちゃん表現者の自由とそれを見たくない人の自由と、より過激表現場合の、表現者の自由とそれを見たくない人の自由とに法益の差がないから。

「よほどの理由がない限り」消極的自由制限されない世界で、見ない自由子どもに見せない自由はよほどの理由じゃないらしいので、表現をより過激にしたところで条件は同じだ。

でも、実際のところそれでよしという人はおそらくほとんどいないだろう。

結局、国家による表現自由保証されている中で、どのような表現までならOKかというのは、市民の中で議論して線引きを決めていくしかない。

それが言論の自由市場要請でもある。

なお、私見を述べれば、今回のポスターは、場にふさわしくない程度に性的ではあるが、セクハラというほどではないと思うので、全く問題ないとも絶対にありえないという意見も持てない。

ポスターに反対しないという意味では自由主義増田と同じ立場だが、元増田のような健全な(=暴力的ではない)批判を誤った原則論封殺してしま自由主義増田は、むしろ悪貨であると言わざるを得ない。

2019-08-14

TPOによって許容される差別と許容されない差別があるだろう?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1388610

ここのブコメ見てて思ったんだけど、「刺青を入れた男と娘の結婚は認めたくない」ことを会いもせず判断するのは刺青に対する差別だ、

差別はいけないので少なくとも一度は会って人となりを判断すべきだっていう意見もちらほらあるみたいなんだけどさ、

いやこれは当然に差別なんだが、絶対に許されない類の差別ではないと思うんだよな。

というのはさ、人間活動には公的領域私的領域があって、それがグラデーションで繋がっているもんだと思うんだけどさ、

公的領域に近い所での差別ほど許されず、私的領域に近いほど差別は許されるって持論があるんだよな。

例えば役所手続きなんかは完全に公的領域で、刺青を入れているからって役所手続き受理されないなんてことはあってはならないし、

逆に人の内心は完全に私的領域で、外にさえ出さなければどんなクソみたいな差別をしても許されるだろう。

民間企業活動もかなり公的領域寄りだから刺青がある客がプールなどから排除されるのは差別ではあるし許容されるかは議論がいるだろう。

一方で刺青の客がいることで他の客が不快に思うことは差別ではあるが許容されるものになるだろう。(不快であるからといって排除することが許されるかは別)

さて、「刺青の男を娘の結婚相手にしたくないので反対する」、というのはかなり私的領域に近い所での差別ではないだろうか。

例えば「自分刺青入りの人と結婚したくないのでしない」という差別は完全に私的領域にあるために許されるものだろう。

これが「刺青入りの男が近所に越してきたが、不快なので地域コミュニティから排除する」になると公的領域に近くなって許されない差別になってくるだろう。

自分の身内にどのような属性を入れたいか、入れたくないか」というのは個人主義が拡大している昨今でもまだかなり私的領域を占めると考えるのが妥当だろう。

反対のあまり娘の結婚を何らかの実力行使で止めるのは差別なり自由権侵害問題があるだろうけど、単に会う前から反対するっていうのは差別ではあるが許容されるものだと個人的には思うね。

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