はてなキーワード: 感情移入とは
私は女なんだけど、性への考え方が男性に近いと思う。
例えば好きな男の人が出来たとして、付き合うとしたらその先殆どの確率で性行為が待っている。
この人の事は好きなのだが、この人に押し倒されて股を開いて突っ込まれて……という事を想像すると酷い拒否反応が出てしまう。
そうではなくて「この人を押し倒して尻に突っ込んで犯してやりたい」と考えてしまうのだ。
前述の拒否反応は、例えるならば異性愛者の男性がゲイに抱く漠然とした恐怖心に近いのかもしれない。
自分が男側だと思っていたのに、突然女側の役割を持たされるかもしれないという地位を覆される恐怖。
ここでおかしいのは自分はもともと女性であるという事で、むしろ女側の立ち位置こそがデフォルトでスタンダードだという事だ。相手も全くそのつもりだろう。
しかし自分はそれに大きな拒絶を抱いてしまう。これに物凄く悩んでいる。
でもこういう時も感情移入するのも女側ではなく男側だ。こんな風に犯されたい、ではなくこんな風に犯したいという感情を抱いてそれを見る。
だから現実離れしたいかにも男を喜ばせる為のファンタジー演出も大好きだし、現実の好きな人とは別にそれはそれとして見る。
逆に女性向けのAVというのもあるがああいうのは全く「抜けない」。女側の視点に寄り添って作られたものなのだから、逆を見てる自分に合わないのは当然でもある。
ただ男性向けでもフェラのシーンだけはやっぱり実物がないのでイマイチ響いてこなかったりする。
自分は女だという確固たる性自認がある。性的な話題さえ離れれば一般的に女性が好きだと言われるようなものが好きだ。
可愛い洋服やアクセサリー、スイーツも好きだ。少女漫画もカッコいい男性アイドルも好きで、よくいる女性そのものになれる。
ただ昨今フェミの話題も多いがあの手の話題にも乗り切れない所がある。何故ならあの話題は「男が女を性的消費する」事が話の大前提だからだ。
自分は男も女も性的消費したいし、しているのだから、まず議論に立つ前に話の前提に乗り切れていない。
セクシャルマイノリティで無いのだとしたら、こういう考え方で生きている私は一体何なのだろう。
誰にも相談できなくて増田に書き出しているけれど、今はただ「そんな女はいない」「どうせ男でしょ」と存在そのものを否定されるのが一番怖い。
いまやってる。
グラフィックが酷い。マップはボヤボヤ。戦闘はカクカク。つらい。
敵が多くて硬くて1ステージクリアするのに1時間以上かかる。つらい。
システム的に戦艦が重要だけどお金がぜんぜん稼げなくて戦艦を買えない。つらい。
久しぶりにやったけど楽しかった(小並)。
ボリュームは少ない気がする。
図鑑埋めと対戦に興味がないとすぐ終わる。
アトリエシリーズの評価は採取と錬金の楽しさに左右されるなあ。
ただし今は他のゲームを優先して止まってる。
びっくりするほど楽しめなかった。最序盤で止まってる。
なんか作りがアドベンチャーっぽくない?
決まった手順で進めなきゃいけない感じが強い。あと敵も強い。
クエストの進め方がよく分からなくてグルグル回ってるうちに敵にやられて死ぬ。
腰を据えてやれば楽しいんだろうと思うので暇なときにやりなおすわ。
アーマード・コアよりもキャラを重視した感のあるストーリーも良い。
序盤はキャラの見分けがつかないので、チームやキャラの紹介をヘルプ的に呼び出せればもっとよかった。
どのパーツでもなんとなく雰囲気が同じという点でカスタマイズの楽しさはない。
その点では武器に色を塗れないのも地味につらかった。
ガンダムブレイカーくらいのカスタマイズの自由度でDXM並のアクションをやりたいよね(わがまま)。
時間がありあまってるときにチビチビやれば最高のゲームだったろうなあ。
次回以降「学園」というギミックをなくしたときに同じプレイ感覚を再現できるか気になる。
(それとも完全に学園ファンタジーに転換するのか?)
でも死ぬほどやってる。早く続編出して。ペナントモード強化して。
ナンバリングが変わると全てリセットされるいつものコーエー商法。
これからまた五年くらいかけてマイナーアップデートしていくのだろう。
そして俺はそのマイナーアップデートにフルプライスを支払い続けるのだ。
ライバル馬の存在は面白いんだけど、もう少しイベントにバリエーションがほしい。
絆コマンドもプレイ感覚に違いをもたらす面白いシステム。正統進化を望む。
まあ簡単に言えばペルソナフォロワーなんだけど、とにかくグラフィックがひどかった。
Switchの性能不足、というほど元が良いわけでもないし。手抜き移植だなあ。
あと、このゲームシステムならサブシナリオを充実させればめちゃくちゃ面白くなりそうなのに、
リソース不足からかメインシナリオ以外はスッカスカな感じ。すごくもったいない。
オリジナル主人公(特に女主人公)まわりのシナリオがすごく良かった。
ただ参戦作品は「既にラスボスを倒したあと」で加入してくることが多くて、
とってつけたように原作の敵が蘇って倒すだけ、みたいなシナリオが多かったのが残念。
その極めつけがオリジナルのラスボスで、もう本当に本当に本当に本当に最低だった。
無印のときの領民や商圏といった新システムは、批判も多かったけど個人的には面白いと思っていたので、
その後、旧来のシステムに戻すようなアップデートが入っていったのにはがっかりした。
当初のコンセプトの正統進化を期待したんだけどなあ。
コーエーのSLGって、ナンバリング新作をコンセプトごとガラッと変えてくるので、
・ジャニーズとして活動する人、応援する人、支える人、そういう人たちを攻撃するつもりはありません。
単純な事で、ジャニーズっていつからかブランドではなくてレッテルになっちゃったよね、って話です。
以下は自分の体験談で、ジャニーズを認識〜苦手〜嫌い〜好き〜今を書いてます。
興味がない人は読まなくて良いです。
今、自分は関ジャニ∞の一部と渋谷すばるさんが好きです。
村上さん良いよね、親からもらった体を大切にして頑張ってる姿が素敵です。
「見た目がジャニーズじゃない」ってからかわれるけど自分は好きです。
小学生の時、ジャニーズという存在を知った。
当時、毎週金曜のゴールデンタイムに放送されていた《ミュージックステーション》では必ずジャニーズのグループ、もしくはアイドルが1〜2組出ていたのを不思議に思っていた(今は見てないので知らん)
バカ正直、素直すぎると言われる自分が持った感想は
「他にもミュージシャンはたくさんいるのに、どうして歌が上手くない人たちが出ているんだろう」
「見た目はかっこいいと思うけど、ミュージックステーションは音楽を楽しむ番組じゃないのだろうか?ならばこのジャニーズというのはふさわしくないんじゃ?」
だった。
でも好きなミュージシャンが出るときは見ていた。
クラスで聞かれることがあった。
「ジャニーズなら誰が好き?」
どうしてジャニーズに絞ってくるのだろう?
当時の私は踊る大捜査線を見ていたから「ジャニーズは興味ないけど、芸能人なら柳葉敏郎さんが好き」と答えた。
当然「誰?」と聞かれる。
我ながら空気を読まない子だったと思う。
中学に入って部活動の先輩(ジャニーズ好き)から同じ質問をされた。
踊る大捜査線 THE MOVIE2を見た後で、当時名前がわからない俳優さんを好きになっていたので、その人の事を伝えたら「名前も知らない俳優が好きなんて」と鼻で笑われた。
「ジャニーズ知らないなんて遅れてる」「可哀想」と言われて先輩が好きだったKAT-TUNのCDを押し付けられる形で貸りて聞いた。
あたかも「作られた感じがある音(声?)」がどうしても受け入れられなくて、結果ジャニーズが苦手になった。
(余談だが、この名も知らない俳優さんは後に佐々木蔵之介さんと知りました)
高校生の時、そういうのとは無縁に過ごしていた。
人並みに当時流行っていた曲を聴いていたと思うが、《ジャニーズ》と聞くと無意識に避けるようになっていた。
バイト先で同い年のジャニーズ好きの子がいた。
基本的に人の好きなものを否定したくないので(たまたま自分には合わないだけだと思う)分かる範囲で適当に話を合わせていたのだが、それが仇となったのか「チケット代は要らないから物販から付き合ってほしい」とコンサートに誘われた。
人生初のコンサートに物販、チケット代は不要で地元の会場へその子と行けば良い。
「CD音源ではなく、生歌なら好きになれるかもしれない」とか「これも良い経験」とか、色々思ったので誘いに乗ることにした。
当日は始発で現地へ向かって、物販の列に並んだ。
「徹夜はダメだ」と言われていたようだが、始発で向かうと結構な人が既にいて、列ができていた。
早朝から並んだが順番が来るまで&物販開始まではかなり時間があったので、友達の朝食と飲み物をコンビニまで買いに行った。
以降、欲しいものがある時は交代で買いに行くようになった。
自分は欲しいものがなかったが「周りから変な目で見られないように最低限ののモノを持とう」と考え、ペンライトとうちわを買った記憶がある。
(後日、どちらも一緒に行った子にあげた。)
開場は18時ごろだったと思う。
「席は決まっているから急いで入らなくても大丈夫」と言われたのでゆっくりと会場内に入った。
決まった席に着くと目の前がなんだか広く、一緒に行った子がとても興奮していたのを覚えている。
いざ始まると、大音量の音楽に大音量の黄色い声援に圧倒された。
「ここにいて良いのだろうか」とさえ思うぐらい一瞬で空気が変わって、始まって暫くは驚いた顔をしていたと思う。
見よう見まねでペンライトを振ったし、正直なかなか疲れていた。
座っている人が見当たらなかったので、一緒に行った子に「座って休んでも問題ない?」と確認をして座ってゆっくりしていた。
しばらくして知ったのだが、ステージで歌って踊っている人たちがトロッコに乗って間近に来る【良席】であったようで、へえーと座って見ていた。
そうしたらなぜか悲鳴のようなどよめきが聞こえて、それがどんどん近づいてくるので何事かと思い声のする方向を見ると後数メートルと言うぐらいの距離から自分の目の前へ走ってくるトロッコと並走した大きな塊がいた。
塊が1人の人間だと気づいた頃には目の前をアイドルとその人間が通り過ぎ見送った後だった。
その人は器用に椅子の上を走ってトロッコと並走しながら一生懸命にペンライトを振っていたので「熱心なファンだなぁ…」と呆気に取られていた。
曲芸のように椅子の上を走ってきた巨体の人間に気を取られていて、気づいた時には左脚の感覚がなくなった。
並走していた人に踏まれたと知ったのは「さて」と立ち上がろうとした時。
何十倍もの倍率のチケットを勝ち取って(物販中にたくさんの話を聞いていた)連れてきてくれた子に申し訳なく終演するまで言えなかった。
終わったのを見計らって一緒に来た子に立ち上がれない事と「救急車を読んで大事にしたくない」と伝え、開場外まで手を借りてタクシーを呼んでもらい、近くの病院にそのまま駆け込んだ。
時間帯的に救急搬送の入り口しか空いていなかったのでそこから入り、その日の担当医に診てもらった所、折れていた。
親が来るまでの間に何があったのか聞かれたので、馬鹿正直な自分は「コンサート中に休憩していたら椅子の上を走る人が走ってきて過ぎ去った時には感覚がなかった」と答えると、担当医と看護師は「は?」と聞き返してきて、一緒に行った子は目を見開いた。
これを決定打にジャニーズが大嫌いになった。
嫌いなら見なければ良い。
自分はそういう人間なのでジャニーズの一切をシャットアウトした。
CDのCMが流れればチャンネルを変える、音楽番組に出たら好きなミュージシャンだけ見て変える、街中で音楽が聞こえたらMP3プレイヤーの音量を上げる、話題として振られたら「好きではない」と伝え話題を変えるetc…
それでも、コンビニでアルバイトしていたので店内放送や雑誌コーナー前の掃除時にジャニーズ表紙が視界に入る事は避けられないし、時にはコピー機の中に持参した切り抜きをなぜか置いて行ってしまう人がいたので完全なシャットアウトは出来なかったし、意識に入ってくるだけで苛立ちを覚えていた。
同時に「生きにくいな」とも思っていた。
高校から専門に進学した自分に分厚い壁が出来た。
周りがジャニーズ好きしかいなかったのだ。
バッグにはストラップをつけ、携帯にもストラップ、さり気なくツアーTシャツを着てくる人、雑誌の表紙はジャニーズ
毎日毎日堪え難い苦痛で目標だった職を諦めて学科変更をした。
変更先はマンガが好きな人が多い学科で、自分の好きだったジャンルを学べるので妥協したのだ。
同性は少なく、少ない同性の中でやっていかなければいけないで、積極的に声をかけて仲良くなってからだった。
「関ジャニ∞って知ってる?私好きなんだ。」
またジャニーズ…
ジャニーズが嫌いな事を伝えた。
ジャニーズの話題は苦痛だとはっきり伝えた、理由も伝えた。
そうすると後日「無理に聞いてとは言わないけれど…」と前置きをして、ベストアルバムを1枚貸してくれた。
そして「いい意味でジャニーズっぽくないから、知ってるジャニーズじゃないと思うから」と付け足した。
この時借りたCDは聞かなかったが、何を思ったかPCに取り込みはした。
ジャニーズなんてみんな一緒。
色んなミュージシャンが出たがるような音楽番組に出たってダルそうに話をしたり。
歌だって口パクだろ。
そもそもなんであんな過激な事するファンがいるのに…………。
そう思って一切聞かなかった。
卒業して半年弱経つまでは。
卒業して就職して5ヶ月経った頃だった。
原因不明の腹痛で入院、未だ原因は分からず痛みが治まった為退院。
その後謎の発熱に関節痛、ベッドから起き上がれないほどの気怠さ、体に異常が起きた。
恥ずかしながら、家庭環境が複雑で難があり、身内から多くの期待とプレッシャーを受けてその日まで生きてきた。
昼休憩には必ず同居人からの電話、特に内容はない電話。
社会人ながら門限があり、門限は17時、それを過ぎると即電話が鳴る。
今までは学生だったから守れてきた、だが社会人にもなってこんな環境に耐えられる訳がない。
人事に事情を説明し「社宅に入れさせてもらえないだろうか」と頼むも条件を満たしてないので却下され「それだけ心配してくれるって事は愛されているんだよ」と宥められる。
日々ストレスは溜まり、出勤して逃げたくとも体調が悪いので出勤すらままならない状況。
「有り金全部使い果たして死のう」と思い、全額下ろして慣れないギャンブルに突っ込み、1200円手元に残った。
「これを使い切ったら電車にでも飛び込むか」と思い、ちょうど使い切れる事を探していたらレイトショーがあった。
心身ともに消耗しきっていた自分はそのレイトショーが何なのかも見ずにチケットを購入して劇場に入った。
始まって気づく。
ジャニーズじゃねえか
ジャニーズを知りジャニーズに悩まされジャニーズを避けるようになった自分がジャニーズにお金を使っている?
何だか解せぬと思ったが、死んだ心でぼんやりと見ていた。
見ているうちに不思議と子どもの頃毎週日曜に見ていた戦隊モノを思い出した。
でも戦隊モノとは違って、登場人物達はみんな時給制でヒーローをやっていて、みんな致命的な欠点があった。
しかも雇われヒーローだからそんなに強いわけでもない、何より各々が持つ欠点が欠点だ。
そんなダメな奴らがいつしか仲間意識を持ち助け合いそして悪を討つ。
ありがち、ベターな流れ、読み切れていた伏線。
でも戦隊モノとは違う所、致命的な欠点だ。
この欠点が自分には大きく効いた。
作り話だと理解しつつも気付いたら感情移入していた。
「こんなダメダメな奴らでも必死に生きてる」「人の役に立とうと頑張ってる」
そして帰りにERのCDをAmazonでポチろうと思った時、口座残高がない事を思い出し、今日の行動を悔やみつつ帰路についた。
専門の時に借りたベストアルバムを思い出し、帰ってから聞いたらいい意味で期待を裏切られた。
貸してくれた子が言っていた通り「自分の知っているジャニーズじゃなかった」
精神がやられていた。
精神がやられたので休職した。
でも治らなかった、あれほど興味のあった趣味に見向きもせず、ただ空に浮かぶ雲を見て「今日は風が早いなぁ」と思った直後に涙が溢れて止まらなくなったり、前触れもなく不機嫌になって周囲に八つ当たりしたり、そんな不安定な人間になってしまった。
今は会社を辞めて病気療養中です。
世間や周囲に少しずつ興味が湧いてきて、すっかり関ジャニ∞好きになってしまった。
ジャニーズってだけで嫌ってしまう人がいると思う。(自分にはそういう時期が少なくともあった)
ジャニーズってもうブランドじゃない、ジャニーズってフィルターを取ってでも好きで応援できるか大事だと思う。
ジャニーズを退所して活動している人たちはいるけれど、ジャニーズはどうして各局に圧をかけちゃうんだろうね。
自分の事務所で育って、自分の元を巣立って一生懸命頑張っているのに、ジャニーズは自ら自分たちのブランド価値を落としてしまっているんじゃないかなと思います。
何だろう、売れている人と抱き合わせでドラマや映画に出したりするのはどうなんだろうって思ってしまいます。
芸能界って特殊な世界が合うかどうか、それも未知数の子たちがメディアに無理に出されて、結局合わなかったらどうしちゃうんだろ。
ある程度の年齢いっていても結局視野が狭いままなんじゃないかな、って思ってしまう。
せっかく素敵な人たちを発掘しているのだから、ある程度貢献して本人が望むならジャニーズって看板を降ろしてもいいんじゃないのかなって。
芸能界が合わなかったって子にも生きやすくしてあげてほしいな、じゃないとジャニーズって所属アイドルは大人に搾取されている気がする、せっかくのブランドがレッテルになってしまう。
それと個人的かつ切実なお願いなんですが、椅子の上を走ってまでアイドルを追いかけないでください。
あと、完成披露試写会やゲスト出演試写会を途中退席しないでください。
試写上映中に黄色い声出さないでください。
(超高速!参勤交代の完成披露試写会に行ったのですが、映画の途中で黄色い声が上がって一気に不快になりました)
ブランドを下げているのはもしかしてファンなのかな、とも思いました。
お茶の間で応援してます。
ライブ・コンサートはあの一件以来ジャニーズのものは行きたいと思えなくなってしまったけれど、陰ながら応援してます。
グッズで売ってたメンバー毎のBOY、ツアー終了後に知って後悔してます。
転売は手を出さないです、定価+お駄賃(1〜1500円ぐらい)+送料なら考えますが…定価の3〜4倍って…(公式にお金が行かないと納得しない面倒なオタクです)
渋谷さんが辞めた時ショックだったけれど、ソロで活動してくれて嬉しいです。
年明けたらライブですね、応援してます。
自分が知った時は7人だったけど、元々8人で歩き出した事や色々あった事も全部知って、尚好きになりました。
良くない出来事もあったけれどもう結果が出ている事だし、人間臭いなって思って受け止めてます。
みんなそれぞれの道を歩く事になったけれど応援してます。
自分の命を救ってくれたエイトレンジャー。
また悩んだ時はエイトレンジャーを見ようと思います。
ありがとう、エイトレンジャー。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
女性でまぁ、典型的な毒女なんだけど仕事はピカイチに出来て。俺もこの業界長いけど「なんでそんな発想が出来るわけ?」ってアイデアをいつも出す人だった。
そんで無類のゲーム好きだった。
部署が変わって、スマホのRPGゲームを始めて、職場でそのゲームをやっている人達のグループLINEに参加したらメンバーの一人が元上司だった。
立場的に気は使ったけど、LINE上では至って普通のゲームオタクって感じで、いつもきゃっきゃしてた。
正直まだ信じられない。だってグループLINE開いたら、昨晩のタイムスタンプで彼女のメッセージがある。
(私はもっぱらROM専)、なんなら今もLINEを開けば彼女のトーク履歴が山のように出てくる。
亡くなったって話を聞いた後、グループLINE上から急遽友達追加して「○○さーん」とだけ、送ってみた。
そんな彼女にメッセージを送っても、もう二度と既読になる事は無い。
「あ、あれ。面倒だからただ既読スルーしてるだけですよね?。今日はもう寝たんでしょ? 明日朝になれば既読つくよね?」って正直今も思ってる。
あの可愛いアイコンが謎のURLを貼りつけてきたり、スタンプを貼りつけてくる事はもうないんだ。
「抜けたー(クリアしたの意)」って言葉が非常に印象的だったが、そんな言葉ももう聞くことはない。
ああ。人が死ぬってこういう事なんだな。次があるかも次があるかも、ってずっと思ってきたけど。
その次はある日突然寸断される。この年になって初めて知った。 そしてそれが死ぬ事なんだと思った。
30数年生きてきて、人の死をここまで身近に感じたのは初めてかもしれない。
父親が脳の病気で死にかけた事があったが、それよりも近くに死を感じている。
つらつらっと書きなぐるとこんな状況。
同じグループライン上で「重大発表」とか「悲報」なんてスタンプ使って、他人の死を伝えるのはどうなんだと。
もうちょっとさ。「すごく言いにくいことなんですが・・・」みたいな入り方とか。枕詞はいくらでもあっただろ。なんでこんな時にあんなチープなスタンプなんだよ。
なんつーか、小学生が「○○くんと○○ちゃんが遊んでましたー。ひゅーひゅー。報告報告ー」って冷やかしで言うのと大して変わんない。
その重大発表と悲報スタンプは、他人の死を伝える為に使うスタンプじゃない。
何か書いていてだんだん悲しくなってきた。
でも、正直彼女に感情移入していても何か自分の人生が進展する訳ではないので、会社のメンバーには「悲しいよね」って言いつつ、仕事をこなす事にする。
まぁ、1週間もしたら忘れるだろ。
今までありがとうございました。
いまさらながら映画 JOKER を見てきた。すごい映画で衝撃を受けた。
そしてラストシーンの解釈について諸説ありそうなんで、自分の考察を書いておく。激しくネタバレ注意。
暴動のシーンと、ラストの精神病院のシーンは、時系列が連続していない。
素直に見ると「暴動後に逮捕されたアーサーが、精神病院に送られた」となるかもしれない。だがそうするとおかしな点がいくつかある。
例えば、アーサーは少なくとも5人を殺している。そんな凶悪犯に手錠をかけただけで、ソーシャルワーカーが1人で会おうとするだろうか。警備が軽すぎる。
また笑い出す病気についてソーシャルワーカーが知らないのもおかしいし、髪の色も緑ではなく黒に戻っている。
時系列が異なるとすると、どう解釈すればよいのだろうか。
ラストの精神病院にいる男を「アーサーでありジョーカーである」とするのは前述の通り不自然だ。「アーサーでもジョーカーでもない」はやや飛躍しすぎだ。
すると「アーサーではないがジョーカーである」とするのが自然だ。つまりそれまでのお話もアーサーの存在も、全てジョーカーの作り話だ。
そもそもジョーカーは嘘つきだ。ダークナイトでも口の怪我の理由を説明していたが、2回説明してどちらも全く違うものだった。どちらかが正しいというよりは、どちらもデタラメだろう。
「アーサーがジョーカーになるまでの物語」も、そうしたデタラメな作り話の1つだったのだ。
全ては作り話と聞いて、なにか裏切られた気がしなかっただろうか。あれだけ感情移入したアーサーの苦難が作り話だなんて、と。
でもそれはおかしい、そもそもこれは映画なのだから。アメコミヒーローものの映画だ。創作に決まってる。それは観る前からわかっていたはずだ。
もちろんそれも作り手の狙いだろう。
だがラストシーンがなくとも十分面白い映画なのに、なぜそんな仕掛けを入れたのだろうか。
フェイクニュースのように、人間の本能の、ある種のバクを突いた攻撃が増えている。煽情的な言葉で怒りや妬みを誘い、人々を誘導するような攻撃が。
そうした感情への訴えが厄介なのは、理性で理解したとしてもなお影響が残ることだ。「人を殺すのは悪いことだ」と理解していても、証券マンを撃った時にスカッとしなかっただろうか。
人は物語さえあればヴィランにも感情移入してしまう。「アーサーは俺達の物語だ」といとも簡単に手玉に取れてしまう。
だが、物語はわかりやすいが、わかりやすいことが真実なのではない。物語で世界を理解したような気分になっていると、ジョーカーにつけこまれてしまう。
今日もまた新しいジョーカー誕生の物語を思いついた。この物語なら、大衆どもは飛びつくだろう。そうして共感を操れば、面白い遊びができそうだ。最高のジョークだ。
思わず笑っていると、目の前でソーシャルワーカーが怪訝そうな顔をしている。こいつを片付けて、そろそろ病院の外に出る頃合いか。
そう、いま、この時が、ジョーカー誕生の瞬間だ。
すると低学歴をバカにされながら出世しまくる主人公に感情移入して面白くなるわけ。
これはだめだよね。感情移入が冷める。コンプ持ちは合格できなかったからコンプ持ちなんだから。
同様に、生まれつきの遺伝とか顔とかで損してると思ってるコンプ持ち人間が、努力して勝ち上がる主人公に感情移入する。
感情移入が冷める。
ついでに言えば、貴方はそういう気持ちがわからないと言ったことで、遺伝や生まれつき要素に不自由を感じたことのない人間だと思われたかもしれないね。つまり友人君とは見てる世界が違うとか、なんかそういうのだ。
だとしたら、慰めたり謝ったりすること自体が哀れみたいになって変だわ。とりあえず忘れてスルーして、関係ないとこで友達くんの漫画センス褒めたりしろよ。
友人と漫画の話をしていて、鬼滅の刃の主人公の痣がどーたらこーたらっていうときに「結局血統が優秀になるの嫌」と言われた。
「血統がすごいと何が嫌なのかわからない」と言ったら「ああそう」と返されて会話が終わってしまったので、結局何が嫌なのかわからずじまいだ。傷つけてしまったみたいだ。
確かにネットではそういう意見がある気がするが、これといって嫌な理由を見かけた記憶がない。
その前に「ナルトもワンピースもそうだけど」って言っていたからどの作品も同じ展開になるのが嫌なのかな?主人公の出自の偉さが被っているだけで同じ展開と言っていいのかわからんが…
主人公が偉かったり強かったりする家系だと嫌だ、という人がいたらなんで嫌なのか教えて欲しい。
それで友達に傷つけてごめんねと謝りたいんだ。
【追記】
みんなありがとう、共通点を指摘できるのが通っぽいとか感情移入が裏切られるとかそんな理由なのかね。
ちなみに友人は祖父大富豪・父官僚・自身大企業っていう家系的にも自分の能力的にもスーパーエリートだよ。友にいつもコンプレックスを刺激されている平凡な俺だよ。
大体女ヒーローがスーパーパワーで無双して、「男は何してんの?ドヤ」みたいな感じで終わらせてるけど
勝った理由が技術とかその人個人の力じゃなくて「女だから」で説明できてしまうのがメタ構造見せつけられてるような気がして萎える。
所詮フィクションで無双して女の強さを表現されてもな……って思ってしまう。だって現実は男の方が筋肉もあるし、持久力も付きやすいわけでしょ。
フィクションの中で女性を代表されてもさ、現実で男の方が強くて活躍してるなら「女は何してんの?ドヤ」ってなる訳でしょ。
今までのヒーローは単純な力とかじゃない、精神的な成長や強さとかの次元の話をしているのに、今のヒーローは結局「力こそ正義」の価値観になってる。
なろう小説の最強主人公を見ている時の感情と似ている。お前は志々雄かと。
悪役だったらわかるけど、あんなのに憧れるのって中二病のガキか頭が小学生で止まってる女くらいでしょ?
現実の女性だって単純な力や権力じゃない、自分の精神的な弱さとか、本当の強さとは?女らしさとは?とかで悩んでいるのに、女ヒーローは志々雄レベル。
まぁ幼稚な全能感に憧れるのも分るけど、レベルが低すぎるんだよね。ロードオブザリングの一シーンで「戦士(man)に倒せる者はいない」と豪語するナズグルを
女戦士が兜を脱いで「私は女(woman)よ」って言って倒すシーンがあるんだけど、そういうのに痺れるんじゃないの?
人それぞれだとは思うけどさ、いつまでも男と戦ってないで、ちゃんと敵と戦えよって思うんだよね。
なろう小説とその読者が馬鹿にされるのはさ、「魔王」っていうでっかい敵がいるのに、
敵意が一番向いてるのはクラスメイトとか味方なんだよね。なろう小説じゃ主人公のパワーとご都合主義でどっちも倒せるけど、現実じゃ目の前の倒すべき敵や、解決すべき目的が見えてない奴は
「幼稚な奴」とレッテルを貼られて社会的に認められないわけだよ。
結局言いたいのはさ、「敵と戦えよ」って事。敵と戦う、目的を見誤るな、自分の力を過信して尊大になるな。そういう部分で葛藤してきたヒーローを見た自分にとって、
男といつまでも闘ってる女ヒーローは糞ダサく見えるわけですよ。
今そういうヒーロー物を見ている子供は、そういう女ヒーロー見て「かっこいい」って思うのか疑問。ある程度成長したら、「女って幼稚だな」って思っちゃうんじゃないのかな。
https://anond.hatelabo.jp/20191126010427
昨日上げられたこの記事を読んで、感じたことは、おっさんずラブは本当に地獄コンテンツになったなということ。
ただ、こんな地獄(S1信者とS2信者が泥を投げ合って、ライトなドラマをライトに楽しめない)の状況にしているのはただただおっさんずラブ公式の不誠実に起因してると思う。
・結婚して永遠を誓った相手がいる世界(映画)と並行して、パラレルワールドと謳いながら同じ名前で別の人物との新しい愛を描くという設定。
・同じ名前、同じキャラクター(ポンコツでお人好し)、S1(33歳)からS2(35歳)年齢を重ねたような地続き設定、唐揚げが好き、高校はバスケ部等
・全く違う世界と言いつつ、似たようなセリフを出す、同じ小道具を使う
もちろん、ほとんどのライト層には上に書いたことはたいしたことではなく、受け入れられて別物として楽しんでいるのが大半だと知っている。
けれど、受け入れられなくてそんな自分の心の狭さに罪悪感を感じている層もいる。
わたしが見える世界のS1ファンでS2を受け入れられてないほとんどの層は、受け入れられない、応援できない自分自身に罪悪感を感じているし、出演俳優のことを悪くいう人もほとんどいない。
ただただ、S2を批判することなく、耐えて時間が過ぎ去るのを待っている。
素晴らしいと思った人も多くいるでしょう。
わたしも途中までそういう世界の見方があるんだな、この人がS2で面白いと思えてよかったな、と、思ったと同時に、最後まで読んでいって怒りに震えた。
同性愛者に苦しんでほしいなんて思ってない。
そう望んで見る視聴者なんていない。
今回は葛藤があんまなくてつまんないね、と、書いている人は確かにいたし見かけたが、同性愛者に苦しんでほしいと書いている人は見たことがない。
なぜそれを同性愛者に苦しんでほしい、と曲解し、かつタイトルにもしたのか。
ドラマには“葛藤”や"欲求”があり、それを叶えるために乗り越えるべき“障壁”があって、はじめて面白さを感じる。
だから葛藤がなくてつまらない(感情移入できる人がいない)というコメントを書いている人がいるんじゃないか。
だけど葛藤がないからつまらないという感想を曲解して"同性愛者に苦しんでほしい"というのはあまりにも乱暴だと思った。
そうやってこのブログの筆者は、
忌み嫌う相手と同じ手法(同性愛差別という正義を片手に)で、自分の好きなものに対する批判を否定しているのかなと思ったらものすごい地獄みを感じた。
あえて相手を傷つけないと気が済まないのか。
そして、そのほかのS2擁護者は、このブログを錦の御旗にして、
この素晴らしい世界観が理解できないS1ファンは可哀想、と上から目線で示唆すらしている。
考えるだけで地獄。
実際、S1信者にちょっと目も当てられない行動する人がいるのはたしかだけど、S2信者にも同じようにびっくりするようなのいます。
S1サゲはもちろん、
怒りを向ける先がここしかなかったのか、
探せばいろいろ出てきます。
低いのはお互い様だよ。どっちもどっちのレベルのくその投げつけあいしてて本当に地獄。
こっちも勝手に悲しんでるし、なんなら同じように放っておいてほしいわ。
公式の悪手は他にもある。
抽選期間も発表前。
抽選申し込み時(9/22)〜in the sky発表前にクレジットカード決済を選択した人は、抽選結果発表と同時に購入で返金できず。
また、S1とS2の曲を両方やるのかという問い合わせにも現時点で答えてない。
ただし、オケコングッズを発表しており、その中にS2のキャラのものが含まれるため、S2もやるのだろうとファンは予想している。
映像と音で振り返る、と、書かれているからドラマの映像も流れるんでしょうけど、正直9/22の時点で抽選に申し込んだ人はまさか自分が知ってるドラマ以外のものが流れると予想するだろうか。
しないと思う。
そして、S1は春田と牧の物語ではなく、春田と武蔵が主軸のラブコメだったとS2のために主張しながら、
劇場版DVD発売時には春田と牧のウエディングギフトをイメージして作ったボックス仕様だと言う。
おっさんずラブは春田と武蔵が主軸、と言いながら販促の時は春田と牧の純愛を強調するの?
あくまでもわたし個人はそのやり方にとんでもない不誠実とダブルスタンダードを感じる。
とくにアウティングなんてどっちもしてる。
ブログ書いた人は、差別のない世界ではアウティングにならない、とか書いてたけどそれこそダブルスタンダードに感じる。
隠したいことを他人が言うのはハラスメントだから差別が存在しようがしなかろうがS1のアウティングをアウトと言うならS2もアウトでしょう。
好きなものにはどこまでも盲目になるのはもう、お互い様としか言いようがない。
そんな優しい世界だと言うなら、ルッキズムやエイジズムもない優しい世界を描いてよ。
(極論だと分かっているしこれは皮肉です。差別を盾に粗を探せば、言えること根源的な差別はもっとたくさんある。)
千葉雄大と田中圭が結ばれるのはビジュアルが良いもの同士だから?
つーか、
わたしは、男女のドラマの続編では絶対に有り得ない、無意識に透けて見える、男と男のドラマなら相手役を変えていいという姿勢に、ものすごく不誠実を感じます。
(のだめが受けたから、のだめだけ残して千秋様を変えたり、タッチの達也だけ残して、みなみちゃんを変えたり、花男の道明寺だけ残したりするか?しないよな?)
春田と武蔵が主軸だというなら、ドラマも映画もその2人を主軸に販促してくれよ。
Twitterで検索すると出てくる、おっさんずラブ、地獄というのは本当に合ってると思う。
ここは地獄です。
君に出会わなければよかったし、
君を好きにならなければよかった。
ギャグとかコミカルな感じの漫画の感想で「〇〇が生意気でぜんぜん楽しめなかった」「〇〇が性格悪すぎる。こいつはひどい目にあわないと納得いかない」みたいなことを言ってる人を見る。
ワンパンマンのワガンマ君とか。
まあ俺も、シリアスな感じの漫画で感情移入して読むことがあるけど、この人らはそういうテンションでこの漫画を読んでるのかってなんとも言えない気分になるな。
・昔居たサークルの公演を見たけどしょぼかった
別にレベルが低いんじゃなくて、なんか世代も離れて感情移入できなくなったのかな。
守りたい……この笑顔。でも最近友達とか死んでるから、失うのが怖いんだよね、何年振りなんだろこの感情。
小学生の時に好きな子が出来た時以来?父性にでも目覚めたのか。
・コーヒーセットを買った
ケトルの新品ぽい臭いが落ちない。
・髪切った
ツーブロにしようとしたんだけどチキって中途半端になった
でもいい感じなので、白くなるまで刈ってピアスつけて売れないパンクバンドみたいになって
かっこいいおじさんになりたい。行き過ぎか。
■哲学
・絵はやっぱり日常的に書け
量より質とか、質とか量とか考えなくていい。量やるのはスタートラインでそこから質を考えろ。
タスクは最後にやるんじゃなくて、今から1分後に埋めていくのが定石。後にしてたら死ぬ前になるぞ。
やりたいことあったらすぐやれ。気持ちの準備なんていらない。
・思想とか何を書くかより、浮かんでくる自分の琴線くすぐるものを紡いでいって頭空っぽにして話を書くと
■創作
・ツイッタラー「人を動かすのは論理じゃな無くて同情とストーリー」
正しいとは思うけど……結局プロパガンダ大勝利じゃん。長期的に見て人間としてダメじゃない?
自分は創作を糧に生きてるけど、作ってるのは同情とストーリーだよな、俺結局ダメ人間では?
ジョーカーは「優しくしないと殺すぞ」って感じでちょっと嫌だよね、論理的にはそうなんだろうけどさ。
天気の子は「こんなかわいい子見殺しにして良いの?」って直感に訴える感じで……ってこれはいいのだろうか。
結局同情とストーリーだな。プロパガンダも使い方次第って感じか。
■遊び
草色一択なんだろうけど、間違って車に轢かれたりしないかな……蛍光色の方が何かと便利だよね。
■自分のこと
胃が弱くて沢山食べれない……。
「人の気持ちを理解する」って結構高度なんだなと。ちょっと社会から逸れるだけでズレが生じてくる。
・無表情と呼ばれるけど、仲の良い人は無表情の中に表情があると気付く
友達大切にしよう。
■やりたいこと
・美術史調べてみたい
過去を学ぶことで現在を相対化でき、未来への一歩を踏み出すことが出来るのだ!!
・コーヒーをひきたい
めんどくせー
アプリで会ってからのゴールを恋愛に置いたことで、戦略が変わる。
まず、初対面からボディタッチしない。家に行こうともしない。当たり前のことだが、ゴールが違ったので、できていなかった。
ボディタッチは、話が合わなくてもできるので、ある意味楽な一手なのだ。だから、そこに逃げないようにする。
とにかく嫌われないように気をつける。好意を押し付けないで、細かく伝える。
焦らないで時間さえかけられれば、必ず結果はついてくる。と思う。
恋愛マンガを読んでいたら、ヒロインにモブの男が近づいてきて告白するシーンがあったのだが、モブの男を怖いと思った。
主人公に感情移入していたから、NTRの恐怖というのもあったのだが、女性にとって恋愛というのは「関係」であって、好きでもないよく知らない男というのは怖いものなのだと、今までの知識と繋がって、点が線になったのだ。
(「関係」と書いていたのは、しっきー氏のブログの記事だったか。ちなみに男にとっては「獲得」らしい)
「関係」だから、そもそも人間関係を維持できないことには、はじまらない。
その人間関係を、どう深めるか。
「獲得」ではなく、「関係」と捉え、深めようとしていけば、自ずと道は開ける気がする。
(書きなぐりでごめんなさい)
全く情報なしに観に行ってきた。
涙腺がかなり緩い方なので、観賞中、何回か泣いちゃうんだろうな……とか予想していたが、
結局、全く泣けなかった。
すぐ物語に入り込み、即座に泣くタイプの私が、ここまで感情移入できないのは珍しい。
口直しと言ったら失礼だけど、「大人が観ても楽しい子供映画」を観たい気分になった。
良い作品を進めてもらえると嬉しい。
◎結論
傑作ではない。良い映画とも言い難い。
「子供向けだと思って大人が泣かされる」と評された映画はいくつもあるけど、
そうした作品と同レベルを期待していくと、とてつもなく落胆すると思う。
【以下、ネタばれ有り】
◎見どころ
良かったのは、冒頭のすみっコぐらしのキャラ紹介の場面。
トンカツ(すみっコぐらしのキャラの一人)の端っこは、肉が少なくていつも残されちゃう。
二人とも、いつか食べてくれる人に出会えるといいな、と思っている。
このあたりで、「すみっコぐらしってそういうコンセプトのキャラ達なんだ。面白い!」と感心した。
でも、ここがこの映画の最高到達地点だった。
◎キャラ
オオカミ(コミカルでカワイイ)、キツネ(カワイイ)、鬼(ほぼどーもくん)のキャラは
とても可愛らしく、好きになった。
似たような見た目、似たような性格で、劇中もほとんど個性が描かれず、魅力を感じなかった。
元がゆるキャラ(?)なのが不幸の元だったのかもしれない。
のんびり、まったりがコンセプトの彼らに、強い意志を持たせたり、自らの考えを語らせたりするような表現を
させたくなかったのかもしれない。
例えば、自分探しをしているというペンギンが、仲間を探しているひよこにシンパシーを感じるシーンがある。
だが、自分探しも、ひよこへの協力も、訪れる別れも、すべてが空々しく見えた。
なぜなら、ひよこをどうしても助けたいという意思、そう決意する経緯、
ひよこのことを心配する素振りも、一切何も描かれてこなかったからだ。
ラスト間際の別れのシーンで、急に別れのつらさを表現されても、口先だけというか、
制作側が場面を盛り上げるために用意されたセリフとしか、私には見えなかった。
トンカツ&エビフライとか、トカゲ&ニセつむりとか、設定は好きだし、
ネコの爪とぎとかモーションは可愛らしいんだけどね。
キャラ紹介の導入は良かったものの、平板な展開がだらだらと続く。
終盤まで退屈という声がしばしば聞かれるが、全く同感。
「どこを楽しめば良いの?」という思いながら観てた(後述)
終盤には、とってつけたようなピンチにおちいる。
そして、100人中100人誰でも思いつくような、ありきたりな展開で皆はピンチから脱出する。
◎驚いたところ
観ている方は「さあどうなる?」と期待するのだけど、何も起きない。
時間が来ると、勝手に別の物語の世界にキャラたちは飛ばされるだけ。
まるで遊園地のアトラクションを赤の他人が体験しているところを見せられているようだった。
だから、「これ、どこをどう楽しめばよいの?」という感想しか出てこない。
※2つのシーンは良かった。
1つ目は、赤ずきんちゃんの世界で、トンカツ&エビフライがオオカミに食べられそうに
なって喜ぶギャグシーン。
2つ目は、人魚姫の世界で、ニセつむり(カタツムリに化けたナメクジ。塩水は苦手)が
海水に落ちそうなところを、トカゲ(実は恐竜の生き残り。正体を隠している二人は仲良し)が
体を張って助けたシーン。
制作者が物語の見どころを作る必要性があると認識していることが確認できた点で
映画を観ようという気力が湧いた。
多分俺がそうなる。学生時代の友人連中もことごとくこれ。
親はなぜか優秀なんだよ。しょせんはサラリーマンだけどどう計算しても生涯賃金10億は稼いでる。ついでに東大卒。
友人たちの親も同じようなもんで、2代目開業医だの朝日新聞だの三菱重工だのそんなん当たり前。当然、高学歴だし裕福だった。
家はデカいし別荘持ちだし何よりどの家も教育に対する投資を惜しまなかった。
で、俺達がどうなったかというと万引きもせず普通に楽しくゆるく学生生活を過ごして一浪マーチとかニッコマ。
マジ。ネットだと「教育投資を惜しまない裕福な家に生まれ育ったのに早慶行けない奴は障害者」とか切り捨てられるけど、全然そんなことはない。同じ境遇で俺ら程度の大学行くハメになった奴なんてむしろマジョリティ(女の子なら偏差値50程度だけどなんかちゃんとしてそうな名前の女子大に現役進学してお茶濁したり)。
でも悲壮感は特になくて、親も親で「受かってよかったなおめでとう」なんてニコニコ笑ってるだけだから、資格取得で頑張ろうとか全然思わなかった。友人連中もやはり同じ。
案の定、大学入ってからも留年しない程度に講義をサボってアニメ見てシコシコしてラーメン食べてヌルいバイトを趣味程度にやってたら3年経ってた。
これでもまだ危機感は覚えない。
なにせ都心通勤可能圏に実家があり、そこには金融資産たんまりの親が住んでいる。「生きるために無心になって働く」なんて境地には到底至れない。会社辞めてえ〜とかアホ面下げて猫背で働いてなんとなく時間がすぎる毎日。幸いにも、俺も友人連中もバイト以下のクソ意識が許される環境だった。会社ではニヤニヤチンタラしてる。眠くなったら便所で寝てる。これなら勤まるはずだよ。
さて、そんなふうにして俺たちは昨年30歳になった。俺や友達連中の半分くらいは結婚予定がある。ただ、みんな年収400万〜450万程度。もう10年勤め続けても500万くらいで頭打ちじゃないかと思う。
これじゃあ結婚するにしても共働きマストで、子供なんか絶対無理だ。
でもまだ焦らない。焦れない。
なぜなら、住宅ローンの頭金や自分の老後資金はどうせ親が全部なんとかしてくれるだろうとわかっているからだ。
それでもなおお金は余るだろう。薄給ながら意識低く適当が許される会社で働きながら、マイホームを手に入れ、嫁と面白おかしく遊びながら余暇を満喫する。
最後には何も残らない。
親が40年以上かけて築いてきたあらゆるモノを子供が綺麗に費消して最期は全部無に帰する。
やや裕福な家に生まれた男で俺らみたいな奴は多いぞ。
ずーっと学生気分なのよ。
でも努力や能力以上に良い思いさせて貰えてるから克己心も芽生えない。
ガチの田舎なんかによくいるらしいけど、高校卒業して即地元の零細企業勤めて結婚して子供3人生んで何台も車持っててチューニングに金かけまくってて家族旅行もしまくってて〜、みたいな元ヤンに凄く感情移入する。
それと同時に俺らみたいな家に生まれてちゃんと難関大に受かって日経225企業とかに就職して高スペ女と結婚して子供作ってお受験させて〜みたいな満点ルートをまんまと歩んでる同年代は本気で尊敬する。そのモチベーションはなんだよ。
あらゆる行動を全てどうでもいいことまで含めて、いちいちネチネチと批判してる。
そこ突っ込む必要ないだろという部分までネチネチと批判して嫌がらせして足を引っ張ってくる、最低の上司を見てるようだ。
当然これは、政治の世界とはそういうものだから仕方がないという部分はあるのだが、それでも、ここ数年の報道は躍起になってる部分は否定できないだろう。
自分も20年前は報道は与党を責める立場で見てきた。しかし今はもう無理だ。与党のほうに感情移入してしまう。
民主党政権下では、民主党の弁護する立場で、自民党政権下では自民党を弁護する立場で報道を見ている。
こんな上司や同僚がいたらいやだよなあ、という視点で報道を見ている。
正直、同じような視点で野党や報道が嫌だという人は多いと思う。
桜を見る会のスキャンダルで、逆に支持率が上がったという話を聞いて、大いに納得した。
「いや、与党が悪いのはわかってる。こういう話は恥ずかしいだろ」と思うのだが、「野党と報道に対する嫌悪感」というのもまた存在するのだ。
こんな奴が上司に居たら、同僚に居たらいやだ。嫌いだ、という視点で見ているからだ。
これは民主党政権下のときには自民に同じ感情を抱いていたので、おそらく「あんまり批判すると、逆に嫌いになる人が出る」ということなのだろう。
最初に見た他人のレビューが安っぽく狂気狂気と書き立てるものばかりで失望した。アーサーは狂ってなんかいない。むしろ最初から最後まで一貫して、彼には完全な判断力があったし、正気だった。
僕が一番好きだったのはゲーリーを逃がすところだ。この映画のそれ以外の全てと釣り合うほどに素晴らしかった。映画史に残る名シーンだと思う。
家に二人で訪ねてきた元同僚の片方を滅多刺しにして殺し、もう一人も手にかける——、手にかけるだろうと、そう観客は予想する。しかしアーサーは彼の事は見逃した。行っていいと。しかしドアの鍵が閉まっており、小人症で手が届かない彼が、殺人者である当のアーサーに開けてくれと頼む。アーサーは鍵を開けてやり、彼を送り出す。ただ気紛れに見逃したのではなく、ゲーリーのことは本当に殺すつもりがなかったのだと、ここではダメ押しでそう強く明示して見せているのだ。「優しかったのは君だけだ」と額にキスまでして。
なんて涙ぐましいシーンだろうか。アーサーはただ愛が欲しかっただけだ。誰かに愛されたくて仕方がなかったんだろう。愛されればそれに報いることができる正常な人間だった。正常だからこそ、自分に降りかかった世間の悪意に正しく報いて、彼はジョーカーになったのだ。映画的なレトリックでそれを説明し果せている。この直後に初めて、あの紫のスーツの、お馴染みのジョーカーの姿になり、あの階段を下った。晴れ晴れとダンスを踊りながら。しかしゲーリーとのあの別れの直後だけに、どこか空っぽの乾いた悲しみを感じさせる。
「優しかったのは君だけだ。」アーサーはすべて、ちゃんと言葉にして語っていた。正常な知能と判断力の賜物だ。ウェインを訪ねた時も。金が目的だろうと言われ、違う、そうじゃない、欲しいのは温もりとハグなんだと、言葉にしてちゃんと主張してみせている。しかし、返ってきたのは暴力だった。最後にTV番組に出演した時も、司会者に自分の主張を過不足なく説明している。何もない奴を笑いものにし、足蹴にするとどうなるのか見せてやると。そして銃で撃ち抜いた。
作中の事件を伝えるニュースでは、犯行の動機として「格差」があると触れている。これも良く計算されて織り込まれていたと思う。今この時代に、悪役を主人公としたこの映画が作られたことの必然性がここにある。
証券会社の三人組も、チャップリンの映画を見ているシーンでも、金持ちたちは皆、小綺麗な黒のスーツを着ていたのが印象的だった。これは明らかに意図的なものだ。創作作品一般の「悪者は黒色で表される」という不文律を上手く利用して、アーサーの目から見た世界を描いているのだ。彼にとって上流階級とは自分を疎外し苦しめる悪者でしかなかったから。ここに善悪の相対化が、全くの反転がある。「狂っているのは俺か?それとも世界の方か?」という序盤の問いかけは、敢えてこう言い換えてもいいだろう。「冷酷な殺人鬼とは俺の事か? それはあいつらの方じゃないか。」
小綺麗でピカピカな正義のヒーローが、正しい暴力を振るって悪者を懲らしめる。その昔ヒーローものといえばどれもこんな風だった。単純化されたストーリー。分かりやすい善悪。悪者はボコボコにされて言葉を奪われ抗議することもできない。何故ならその暴力は「正しい」のだから当然だ。
みんなヒーローの方に自分を重ねていた。勿論バットマンを見て育った子供たちも。しかし現代ではこの悪者の側に感情移入する人も多いのではないだろうか。やんごとなき上流階級の人々が、政治的に正しい暴力を振るい、庶民を搾取し痛めつける。この社会にそっくりだ。皆自分が殴られる悪者の方なのだとうっすらと自覚している。小汚い貧乏人には抗議する権利もない。何故ならその暴力は「正しい」からだ。“悪者”は黙って殴られていろと、社会システムが無言で言っている。
誰がやりたくて悪者をやるだろうか。誰が好き好んで罪を犯すだろうかと、今になって分かるのだ。あのピカピカの正義の味方に殴られていた「やられ役」は、生きていく中で仕方なくそうせざるを得なかった「弱者」ではなかったか?
僕はその後、更に他人の書いたレビューを読んでみて、やはり憤りを禁じ得なかった。
何も持っていないゆとりの無い人間に対して、それなりに足りてる奴が、安全な場所から、もっとこうすれば良かったとか、小人症の男と仲良くすれば良かったのにとか、あまつさえ大して不幸じゃないとか、上から目線の薄っぺらい正論を、自己責任論を披露する。それは正義の味方が「わるもの」を力一杯ぶん殴る構図そのものではないのか。
この映画に共感せずに済むような人たちは、自分がどれだけ恵まれていたかに気付いてない。絶望的に愛情に飢えていて、精神的なゆとりを根こそぎ奪われた人間が、どれだけ不自由でままならないか。それを知らずに済んだ幸運な人たちだ。「こうすれば良かったのに」だと? それができたらああはなってないだろ。「お前は怠けている」とでも言いたいんだろうか。できるならとっくにやっているのに。
「不幸すぎないから共感を生んだのでは」という意見は、少し違うと思った。少しズレている。正確に言うとこれは「福祉の谷間問題」なのだと思う。歩けなくて車椅子とか、目が見えなくて杖をついてるとか。誰の目にも明らかな障害者なら公的な支援を受けられるし、みんなに助けてもらえる。でも微妙な障害だったら? 見た目が普通で症状が分からない、健常者と同じように扱われるのに、しかし健常者ではない。実際には軽微な障害があり、仕事や日常生活で「現に」困っている。困っているのに、誰も助けてくれない。こういうのを福祉の谷間という。発達障害やチックなんかがそうだ。或いはアーサーみたいな、感情が高ぶると笑ってしまうという障害もまさしくそれだった。周りからはそれが障害だと分からないのだ。本人はとても苦しんでいるのに。そして誤解と偏見に満ちた視線のせいで二重に苦しむ事になる。それはこの映画に「大して不幸じゃないじゃん」と言い放った人たちの正にその視線である。ここに地獄がある。
“有色人種なら贔屓してもらえたのに” 白人だから何もない、自分は現に困っているのに、何の手助けも受けられない、ホワイトトラッシュと呼ばれる人たちも、谷間問題という意味では本質的に同じだった。彼らは事実ジョーカーみたいな政治家を支持した——。ドナルド・トランプだ。この映画はこういう人たちの共感を生んだのだと思う。だから社会現象になったのは必然と言えるし、解釈に分断が起こり、理解できる人とできない人とで真っ二つに分かれてしまったのも、必然だったのだろう。
AKBだって最初は劇場公演でもお客さんは10人以下しか入らなかったりしたもののそこからジワジワ人気を上げて総選挙などで注目を集めた。前田敦子と大島優子の1位争いなどは注目を集めたし前田敦子が絶対的センターだったのに途中大島優子に1位の座を奪われたりしたことなど分かり易いストーリー、感情移入できる材料がこちら側にもあった。そしてそれは国民を巻き込んだ。
嵐の場合は先のコメントであった売れなかった時代のコピペを見て貰えばわかると思います。
嵐は2007年から売れはじめましたがそれでも深夜番組の「嵐の宿題くん」では相葉すごろくという企画で罰ゲームで乳首空きタンクトップを着たりお金がないSPとして編集なしのうだうだするだけの企画などがあって売れていながらも売れていない時期のアングラ感を残していてそこの絶妙なバランス感があった。
➂ヒット曲連発
嵐は代表曲がないとしばしば言われることがあるけれど意外と聞いたことあるという曲は多い。(試しにyoutubeにあがっている嵐公式PVの曲を聴いてみるといいかも)2007年花男2のドラマ主題歌として発売されたlove so sweetや山田太郎ものがたりの主題歌として発売されたhappinessが売れた。この2つの曲やMVで嵐はキラキラアイドル、仲のよいグループというイメージが一般的に広まった。そのあとBeautiful days, One loveなどといった曲もヒット、その後truthで今までと違うダークな雰囲気の嵐のギャップにやられる人も多かった。
➃売れ続ける力
盛者必衰と言われる世の中で嵐は10年以上たってもなお人気である。それは売れた後も個人個人のたゆまぬ努力と、ライブのクオリティにある。ライブを見たら分かると思うが毎年毎年確実にクオリティがあがっている。あれだけ忙しいはずなのにライブのクオリティを上げ続けることがどれだけ難しいか考えると彼らの努力がうかがえる
逆に嵐の良さがわからない人は
嵐があまりにも国民的になってしまったため、紅白の司会やドラマやニュースキャスターをしている姿は見るものの本来のアイドルとしての姿をあまり見る機会がないからかもしれない。
実際に先日開設された嵐公式YouTubeのコメント欄を見ていると「はじめて嵐がアイドルとして歌って踊っている姿をちゃんと見たけどかっこいいな」「はじめてMV見たけどかっこいい」などというコメントも多い。本業がアイドルなので彼らが一番輝くのはステージの上。なので一度嵐の公式YouTubeで嵐のライブ映像やMVを見ることをオススメします。