はてなキーワード: 学年末とは
あれって強者男性と1対1で番えるレベルの女性たちからすれば、ゴミをゴミ箱にあてがって大切な伴侶を余計な虫が寄り付かないようにすることなんだから得なんだよね。女性は「同担拒否」という言葉を作るぐらい独占欲の強い生き物なんだから
あてがえ論というのは例えばるしあがどうたら言ってるオス豚とまふまふがどうたらいってるメス豚を養豚場につないどくもので、愛し合う二人を引き離して豚と番わせるものじゃない。善男善女の皆様に危害を与えるものではないのになんでこう悪魔化されるのか
まあこれがなんでかって言うともちろん弱者男性とお似合いな自覚のある弱者女性が叩いてるんだよね
これに対して「女の優秀な遺伝子を残したいという本能を無視するな!!」とか優生学チックなこと言ってくんだけど、これ優生学にすらなってない。なぜなら男が淘汰されたところで女はどんな下等な人間でも生殖できるゆえ、女側から不利な形質が素通しになるだけだから種の改良のためという観点すらあてがえ論に軍配があがる。非モテ男に非モテ女をあてがっても、男女の人口差によりあぶれオスが発生するから、これでゆっくり淘汰していく方がおまんこ下剋上が存在する現代より優れた人類に進化できるはず
あと少子化は既婚カップルが経済的理由で「産み控え」を行ってるから起きるわけではないんだよね。子供が増えてる頃から夫婦当たりの子供の数は全く減ってないわけでつまりは婚姻率の低下が原因である。実際先進国で唯一出生率が2.1を超えているイスラエルは非常に婚姻率が高い国だ
だから少子化にしっかり対応すると自ずと事実上のあてがえ論になる。
とはいえまさか機械的にあてがうわけにもいかないから、現実的には先進国で相対的にスコアのいいイスラエルとアメリカの真似をすることになるんだろうな。
例えばイスラエルは男女ともに兵役があるが出産したものは兵役に行かなくともいい。いわば出産が「良心的兵役拒否」として認められてるわけだ
アメリカではプロムが婚姻率の上昇に一役買ってるかもしれない。プロムとはアメリカの高校で学年末にある男女一組になって行うダンスパーティーのことでアメリカのカップル文化の象徴とも言える。男女一組かぶりなしというのがミソで、これによって自分にふさわしい男はどこらへんなのかわからせられるのだ。かと言って参加しなければ一生馬鹿にされる。「メスガキわからせ行事」と言える
もうかなーり前の話なんですけど、未だに夢にみたり思い出したりしてイライラモヤモヤするのでここに吐き出してみようかなと思いました。こういうものは初めて投稿するので、長いですし、書き方が変だったりしたらすみません。
あと、すごくくだらない内容かとも思いますが、当時の私にとってはすごく辛かった出来事なので、それを踏まえてお読みください。
あの頃、私は不登校でフリースクールに通っていました。学校に居場所がなかった時期、たまたま見つけただけだったフリースクールに、身も心も救われていました。
フリースクールというだけあっていろんな問題児が集まっていたのですが、そのフリースクールの長を務めてたMさんやスタッフの方々はいろんな子に目を配れる人が集まっていて、最初は雰囲気に馴染めていなかった私も次第に他の人と話せるようになり、イベントでも役割を任されるなどして、ここが第二の家だと思えるような場所になってました。両親が共働きというか、不仲だったので、みんなの仲が良いということも楽しめていた要因でした。
同じくらいの時期、とあるオンラインゲームで同じグループに所属していたHさんという人と知り合いました。和気藹々としたとても良いグループでHさんも穏やかそうな人だったので私自身とても仲良くさせてもらいました。フリースクールとはまた別に、そのゲームのグループも私の心の支えになっていました。
しかしグループに入って1.2年くらい経った頃、副グループ長的な存在だったSさんが突然、ゲーム内の個人チャットでさまざまなグルメンに「あなたのグループでの発言は、グループの風紀を乱している」的な連絡を取り始めてから、少しずつ状況が変わり始めました。
タイトルの「『そういう』人」というのはSさんではないのですが、私自身もそのような連絡を受けてからグループでの発言がし辛くなりました。○○さんへの返信だけ遅いという、もちろん心当たりのない(そもそも私はグループの中心的メンバーではなく、話を振られることも多くありませんでした)ことで何時間も個人チャットに拘束されたのがトラウマになっていました。
そこで唯一それが相談できたのが、先程のHさんです。HさんもSさんから謂れのない(または些細な)ことで長時間責められ続けていたようで、私がグループから抜けたことに心配し、親身になって愚痴を聞いてくれました。
それから数ヶ月後、そのゲームそのもののインフレが激しくなったことや、グループの人たちとフィールドですれ違う時の気まずさから、私はそのゲームを引退することにしました。そこで、特別に中のよかったHさんとLINEを交換することになりました。当時私はインターネットの向こうにいる人とLINEを交換したことがなかったのですが、この人は安心できる(不審者ではない、みたいな意味です)と思ったので、友達感覚で交換してしまいました。
長くなりましたが、ここからが本題です。
ゲームを引退してから数年、私とHさんは毎日LINEを送り合う仲になっていました。当時Twitterを知らなかった私にアカウントの作り方を教えてくれたりしました。他にも、共通の趣味もありましたし、時間をかけて信頼関係を作りながら、年齢が一つしか違わないこと(私より年上でした)、電車一本で会いに行けるくらいの距離に住んでいることが分かって、会ったことはありませんでしたが、こんなに色々話せる友達はいない!と思っていました。まさに、親友と呼べる存在でした。
そんな仲になってくると、次第に自分の悩みや愚痴を相談することはあり得ると思います。事実私はHさんに、学校に行けていないのだということを打ち明けていました。Hさんはそれに否定的な意見は持たず、むしろ自分も不登校になりたいと言ってきました。
どういうことかと思って聞いてみると、Hさんは有名な進学校に通っているらしいのですが、学校での居場所がどこにもなく、勉強にもついていけない、1日でいいから休ませてほしいが、親が厳しくて休ませてもらえないとの悩みを抱えていました。私は自分が不登校だったということもありますが、学校に無理に行くことが美徳だとは思いません。なので、引きずってでもHさんを学校に行かせるHさんの親のことが、すごく嫌な存在に思えました。
LINEの口調だけで、しかもただの学生だった私でも精神的な消耗が見て取れるHさんに、なんとか休みをとって欲しいと思いました。しかし夏休みにも毎日補講があるような学校で、それは容易ではありませんでした。
1年くらいLINEのやりとりをしながらも、なかなか解決の糸口は掴めず、Hさんが「もう死にたい」「たすけて」と言い出したり、私も私自身の学校へのストレスも相まって、もはや私の手に負えないことをようやく悟りました。
そこで私が頼ったのは、頼ってしまったのは、当時私が通っていたフリースクールの長・Mさんでした。Mさんはフリースクール経営とは別に、個人的にカウンセラーの仕事もしていました。フリースクールに通わないまでも、Mさんの元へカウンセリングに訪れる遠方の子供たちがいることは知っていたので、Hさんのことも救えるのではないかと思いました。
今考えればこれは最悪の一手だったのですが、その時はこれが最善の一手だと信じて疑いませんでした。
最初に、私のスマホを通してHさんとMさんが通話をしました。MさんもすぐにHさんの消耗に気付き、二人の間で一度会って話そうということがすぐに決まりました。私はMさんのカウンセリングの腕を知っていましたから、これでHさんは救われると思っていました。フリースクールが開いていない時に二人がカウンセリングをしたらしいので詳しくは分かりませんが、HさんはHさんの親にも(渋々)了承を取り、二週間だけフリースクールに通うことになりました。
私はこの時点では、まぁそうなるよな、と思いました。Hさんの消耗はしっていましたし、死にたいと本気で言っているHさんをMさんが放っておくわけがないとも分かっていたからです。だからMさんにそういうことになりそうだけど大丈夫?と言われた時も、二週間くらいなら、と思って、わかりました、と答えました。
しかしHさんは、二週間を過ぎてもフリースクールに通い続けていました。Mさんに聞いたところ、1ヶ月に伸びたそうです。Hさんの状況が改善しないから当然と言えば当然なのですが、私にとって、あれ?と思うようなことが出てきました。
私はフリースクールでは、みんながカードゲームなどをしているところを離れたところで眺めている、ぐらいの立ち位置でした。みんなでテレビゲームをする時には私もプレイできるのですが、当時のブームはカードゲームでした。私は家族のゲームに対する理解があまりなく、スマホの無料ゲームならまだしも、お金を払ってカードゲームを買うということは許されていませんでした。
しかしHさんはすぐに同じゲームのスターターパックのようなものを買って、みんなの輪に入っていきました。私は、厳しい家庭で育ち学校を休めず、死にたいとまで言っていたLINE上でのHさんと、フリースクールに通うことに抵抗のある両親からカードゲームを買い与えられ、みんなの輪の中で笑うHさんの姿がどうしても重なりませんでした。
もちろん、フリースクールで元気を取り戻し、親も辛い時には学校を休むことへの抵抗がなくなったということなら、なんら問題はありません。むしろそう願って私はMさんを紹介し、Mさんがフリースクールを紹介したのですから、私が口出しできることではありません。だから、二週間が1ヶ月に伸びたって、その1ヶ月が終われば、きっとこのフリースクールから卒業して、元の「ゲーム友達」に戻れると思っていました。
しかしHさんは、1ヶ月を年末までに伸ばし、さらにそれを学年末、来年末まで、とどんどん期間を伸ばしていきました。私はHさんとのLINEの中で、今通っているフリースクールが私にとってとても大切な場所だということに何度も触れていました。それをHさんも真摯に聞いてくれていたように思っていました。しかし、何年もフリースクールに在籍することになってもなお、Hさんから私に何か言葉があることはありませんでした。
むしろHさんがフリースクールに通い始めてから、まるで私は用済みとばかりに、今まで築いてきたものが嘘のように、話すことがめっきり減ったのです。
Hさんを助けられたという達成感もありましたが、その反面、寂しさや悲しさもありました。
利用されたように感じました。Hさんにとって、私はただ都合よく居心地の良い場所を教えてくれるだけの人だったのでは?と思いました。私にとってフリースクールは大切な場所でした。そんな大切な場所を教えた私が全面的に悪いのでしょうか?と今でも思います。Hさんは真摯で丁寧な人だと思っていましたが、そうではなかったのだと後悔しました。
フリースクールでHさんが救われていなかったなら、早くどこかに出て行って欲しかった。居心地が良いなら良いで、せめて「ここを紹介してくれてありがとう」とかなんとか、言ってくれたら私だって身を切ってまでHさんを助けた甲斐があったと思えるのに。
それからもやはりHさんは私に何かを言うでもなく、フリースクールの中にどんどん馴染んでいって、最終的には私と仲が良かった年下の子も、フリースクールのイベントにはHさんのほうを先に誘ったりしていました。
私はフリースクールで楽しく過ごしたかったので、もちろんMさんに相談もしましたが、「(私)さんはこのフリースクールの中心メンバーだから自信持って〜」などと言われるばかりで、Mさんの興味が私ではなくHさんにシフトしたことを悟りました。「Hさんは痩せてるから」「Hさんは親が厳しいから」そんな言葉でHさんを庇うばかりで、具体的に私がどうすれば良いのか教えてくれることは終ぞありませんでした。
私は完全にHさんに負けたと思いました。社交能力がHさんのほうが高かったと言うだけの話ですが、だとしてもせめて、私とあなたが膨大な時間を使って話しをしたことを忘れないで欲しかった。だけど、Hさんは私とは感性の違う人間だったから、早々に切り捨てられて、私の願いは叶わぬまま、私はフリースクールから足が遠のきました。
あれから何年経ったのかよく分かりませんが、そんなことがありました。Mさんにもっと立ち向かえばよかったのか、そもそもHさんを助けなければ良かったのか、未だに、Hさんとどうすれば良かったのかが分かりません。多分、ふとした瞬間に思い出すのは分からないままだからです。
既にHさんともフリースクールとも袂を分かっているので、解決をしようにもできません。ですが、感性の違う人間に振り回された時、泣き寝入りするしかないということに苛立って仕方がありませんでした。
こうしてことの顛末を全て書いたものが誰かの目に触れることで、スッキリできるといいなあ。
おわり
勤務時間が過ぎてますので、原則として、学校で対応できることはございません。勤務時間内に発表したらなんかやらなきゃいかんでしょ。
で、政府からは勤務時間外に「なにかしてください」という要請したわけじゃない。
終わりです。インフルとかの学級閉鎖だっていきなり決まるでしょ。明日から休みって。
やらなくていいってことですよ。
成績は!?
学年末でよかったですね。もう資料は揃ってるでしょ。児童生徒は登校してきませんから、成績処理も要録作成も事務仕事が捗りますね。
先生は感染拡大しないように、教室に分散してくださいね。あー印刷しなくていいからプリンタも必要なしってことで。
必要になるのは休校が終わってからですから、急ぐことはないでしょ。
荷物の持ち帰りは!?1週間かけて持ち帰るもの1日じゃ無理じゃん!
子供たちとどうお別れすんのさ!
いや、別に休まなくてもいいでしょ。
夏期休業中はどうしてるんですか?その子供つきっきりで見てないとどうかなっちゃう要介護者とか、なにしでかすか分からない異常者ですか?
大騒ぎにならないように退勤後に発表したんでしょうからね。
休校になりますって報道して、それでも登校してくる情報弱者だけ下校時間まで預かる。
だから、できることだけやればいいんです。
学校って衛生観念が残念な要介護者・異常者を40人まとめて濃密接触させて1人で監視してるんだよね。異常だわ。
大学1年生になって直ぐに好きになった人がいた。既に相手には付き合っている人がいたので半ば諦めていた。大学2年の頃、フリーになった後、めでたく付き合えることに。でも、しばらく振り回されているうちに連絡がこなくなった。同じ必修の授業にも出席せず、学年末に最近どうしているだろうかと連絡しようとしたら、使っていた連絡先は全て使えなくなっていた。そのまま中退。今もどこにいるのかわからない。
修士1年の時、複数のゼミの合同合宿みたいなものがあって、そこで仲良くなった人がいた。次の年の企画を一緒に準備しましょうということで、連絡しあっていたし、デートらしきものもした。しかし、企画が実現する前に自殺の知らせを受けた。ゼミの中でのハラスメントだか進路・就職の悩みとか、そんな理由を聞いたけど、そこまでとは思えなかった。逆に、「知らないの?」と周りから聞かれた。もしかしたら他の人にわからないように抱えてしまったのかもとも思う。自分も単に「他の人」の一人で、そこまで親しくなかった、というだけかもしれない。あるいは伝えていたけれど鈍感で気が付かなかっただけなのかもしれない。
就職してしばらくして、18歳まで過ごしてた地元に帰ると、ちょっと年上でずっと憧れていた幼馴染が失踪していた。誰もただそう言って、理由・背景については誰もが知らないか、知っていそうな人は教えてくれない。
その辺りから好意を持つことが怖くなったし、示すことが苦手になったのだと思う。人が10くらい出しているところ1くらいでめいっぱい。
ごめんなさいと思うけれど、それが今の自分の限界です。もっと大事にしてくれる、幸せになれる人がいれば、その人の方がいいかもしれない。
本日離婚を持ちかけられて、色々思い出した。けれど、過去が原因なのか、自分が原因で引き起こしているのか、正直わからなくなった。
疲れた。
大学1年生になって直ぐに好きになった人がいた。既に相手には付き合っている人がいたので半ば諦めていた。大学2年の頃、フリーになった後、めでたく付き合えることに。でも、しばらく振り回されているうちに連絡がこなくなった。同じ必修の授業にも出席せず、学年末に最近どうしているだろうかと連絡しようとしたら、使っていた連絡先は全て使えなくなっていた。そのまま中退。今もどこにいるのかわからない。
修士1年の時、複数のゼミの合同合宿みたいなものがあって、そこで仲良くなった人がいた。次の年の企画を一緒に準備しましょうということで、連絡しあっていたし、デートらしきものもした。しかし、企画が実現する前に自殺の知らせを受けた。ゼミの中でのハラスメントだか進路・就職の悩みとか、そんな理由を聞いたけど、そこまでとは思えなかった。逆に、「知らないの?」と周りから聞かれた。もしかしたら他の人にわからないように抱えてしまったのかもとも思う。自分も単に「他の人」の一人で、そこまで親しくなかった、というだけかもしれない。あるいは伝えていたけれど鈍感で気が付かなかっただけなのかもしれない。
就職してしばらくして、18歳まで過ごしてた地元に帰ると、ちょっと年上でずっと憧れていた幼馴染が失踪していた。誰もただそう言って、理由・背景については誰もが知らないか、知っていそうな人は教えてくれない。
その辺りから好意を持つことが怖くなったし、示すことが苦手になったのだと思う。人が10くらい出しているところ1くらいでめいっぱい。
ごめんなさいと思うけれど、それが今の自分の限界です。もっと大事にしてくれる、幸せになれる人がいれば、その人の方がいいかもしれない。
本日離婚を持ちかけられて、色々思い出した。けれど、過去が原因なのか、自分が原因で引き起こしているのか、正直わからなくなった。
疲れた。
取り敢えず、現状、野球界でOB等から指摘され議論されていることと、
一部マスコミやはてなを含む全くスポーツのスの字にも関わりを持ってこなかった様な人達が叫んでることは全く別だと理解してください。
それから、夏に炎天下で無理矢理感動のため行ってるかの様な話もありますが、何も知らない人は黙っていてください。
まず、野球界で言われてることは、投手の肩を酷使することです。
プロの世界で肩は消耗品だということは常識で、メジャー等だと練習するにも肩は"球団のもの"として捉えられるので物凄く厳しい制限がかけられます。
また、過去に実際、甲子園で活躍して、プロでも最初の数年活躍したが、肩を壊し、結果的に高校時代に酷使したのが一番いけなかったんだ、と言われてる人は沢山居て、
勿論、すべての人がプロに行くわけではないし、高校最後に肩を全て使い切っても良い、と言う人も居るでしょうが、
そもそも高校スポーツでその後に支障をきたすような様なことをさせるべきではないし、その様な犠牲心は必要のないものです。
自主的に制限をかけるのはその様に、後先考えない人も居る限り不可能で、一部がそうすることで、結果的に全員がやらざるを得なくなります。
従って、ある日数以内での球数制限など"ルール"が必要になります。
これにより、選手層の厚いチームと薄いチームで差が出る可能性もありますが、そもそも、野球は最低9人のチームスポーツで、その時点で層の暑さの差は出ますし、
その様なルールができれば、最初から少なくとももう一人まともな投手を育てる努力をするので状況は変わります。
完全なワンマンチームが甲子園で活躍することが減るかもしれませんが、それもルールとして取れば、新たなチームの活躍の期待も出来、
炎天下での試合、という点については、まず、夏の大会、と言うのは、何も炎天下で試合を行わせてその過酷さを楽しむものではなく、
日程上、一番良い時期だからです。
高校野球の1年は、まず、3月末から春の選抜選手権の甲子園がありますが、その後、新入生も入った段階で5月から"春の大会"というのがあります。これは全国大会はなく、
関東大会等、地域大会までです。これの県予選の結果により、夏の大会のシードが決まります。
そして、夏の大会の県予選がが7月頃から始まります。夏の甲子園はその後、夏休みに行われます。
その後、7月、8月から敗れたチームは新チーム体制になり(一部国体に出るチームを除き)、9月頃から次は"秋の大会"が始まります。
これは、"春の選抜選手権"の選考の参考にする大会です。この大会は県予選の後、春の大会同様地域大会まであります。
主な大会はこのくらいですが、これ以外にも新人戦や地域ごとの小さな大会もあったりするので、"夏だけ"大会をやってるわけではありません。
また、野球は、冬には絶対にできません。寒い中で肩が充分温められない状態で投げれば、直ぐに肩を壊します。
実際、冬場は寒い地域ではグラウンド練習はまずしませんし、只管体力づくりと、室内練習場があればバッティング練習と、軽い守備練習をする程度です。
従って、思ってる以上に高校野球は日程が詰まってるわけです。
また、高校スポーツ全般に言えることですが、3年最後の大会以降、勉強に打ち込んで進学を考えなくてはいけない生徒も多々居ます。
この点に置いて、冬場に大会のあるサッカーやバレー、ラクビー等に比べれば悪いとは言えないでしょう。
それらのスポーツでは、受験を無碍にするか、夏の大会や2年次の学年末の冬か春の大会で終わりにするかを自己判断せねばならず、それにより学校差もモロに出るので。
また、高校スポーツ全般に言えることですが、大会をそれ程長くは出来ません。
長くすればするだけ、学校側、選手側、さらには応援に駆けつける側の負担が増えるからです。
他のスポーツを見ればわかりますが、ものすごい過密スケジュールで行われています。甲子園の準決勝、決勝当たりをもう少し伸ばす事は出来るかもしれませんが、
それ程簡単では無いことを理解してください。
1つの案としては、甲子園だけを使わず、他の球場も使えば1回戦2回戦を短縮でき、上の日程を緩やかに出来るかもしれませんが、
現状、"甲子園で戦う"と言う目的で頑張ってる球児たちが殆どですので、これもまた難しいと想います。
いずれにしろ、決して、"過酷な環境の元"で試合をさせるために夏の大会を行ってるのではありません。
結果的に夏の過酷な環境で行うことに感動を感じる事はあるかもしれませんが、実際熱中症で倒れたり肩を壊してその後野球ができなくなる様な球児を見て
夏場という過酷な環境であっても、"安全である"事が前提であるから楽しめるわけです。
肩に関しては、野球をやったことが無い人がその事実を理解できないので、まるで炎天下での危険性と同じ様に考えているだけです。
そちらは実際に危険で、理解出来てる人は、見ててただただ辛いと感じる人が多いのです。
夏に行うのは高校生の年間の生活などを考えると、この時期しか無いわけです。他のスポーツも同じです。他のスポーツは冬にもできるので冬にもさらに大会があるだけです。
夏にもやっています。ただ、冬のほうが、"最後の大会"になるので盛り上がるのです。
甲子園も、春より夏が盛り上がるのは、暑いからではなく、"最後の大会"だからです。勘違いしないでください。
過酷な環境の元、怪我するリスクを負いながらやるのを楽しみにしてるファンが居るといいますが、選手らはそういうファンのために野球をしてるわけではないので、
ですので、投手の球数制限をして、故障する可能性の低い中で行われる甲子園になっても面白さどうこうに関しては何も問題はありません。"野球"が好きな人は見るでしょうし、
そもそもファンをどうこう考えて行っている興行ではありません。
一方で、炎天下で行うな、ということに関しては、確かに、避けられるのであれば避けた方が良いことですが、上記の様に、"炎天下の時だけ"大会を行っているわけではなく、
野球の特性上、夏に大会をやらないと、ずらせるわけではなく、そっくりそのまま1つ大会を潰すしか無いのです。
もし、野球を行うことが、熱中症を避ける事が不可能なことであれば優先度を上げて考えるべきことですが、野球に関して言えば、
攻撃時に水分を充分取ることは可能であり、常に炎天下にさらされてるわけではなく、甲子園ではベンチにクーラーもついています。
現状、少なくとも甲子園大会は非常に安全管理が徹底されています。
地方大会だと、そこまでの管理が出来ていない上、指導者も未熟な事も多いので熱中症になる球児も居ますので、その点については優先度を高くして対策を行わなくてはいけないことです。
今の若い人達は「日本は悪い事をしたと教えられた」と言っているが、自分(現在30代前半)のときはそうでもなかった
自分の頃にやったのは
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⇒「数年後、日中戦争開始。辞めどころがなくズブズブに。」
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ってな感じだけど、今見返しても別に間違っていないと思う。
教科書にだってハルノートは書かれていたし、高校受験でも範囲内だった。
確かに近代史の頃には学年末で殆ど飛ばされた感はあったけど、今の歴史の授業ではこの辺もごっそり抜けちゃってるんでしょうか?
それとも歴史を勉強してなかった人達が「俺達は学ばなかった」と言っているのでしょうか?
リアルで言えないからここに書く。
小学年の頃からもうすぐ二十歳になる今まで、なんとなくずっと死にたいと思いながら生きている。
この思考の原因はいじめられたことかもしれないし、いじめ発生の要因となった、私の空気の読めなさとか
コミュニケーション能力の低さとかからなる漠然とした他人への恐怖や自分の生きる社会への不安かもしれない。
本ばかり読んでいた私へのイジメは小1の夏から始まって、でも私は3年になったらクラス替えがあるからと考えて、
暇な時はひたすら本にのめり込むという何も解決しない方法でそれから1年半耐えた。
小2の秋に、学校から帰ると家に誰もいなくて、でもわざわざランドセルから鍵を出すのも面倒くさくて
玄関先に座り込んでいた時に、ふとクラス替えが終わった後、私は何をするんだろうと考えて、その時私は
自分から「将来の夢」というものが消え去っていることに気がついて、初めてどうしようもなく絶望した。真っ暗だった。
多分、この今のクラスを乗り切っても私が人とうまくやっていくことは出来ない、中学へ行っても高校に行っても私は
イジメられる、きっと就職してもイジメられるだろう、と思った。もう生きたくなくて、家に入って、
包丁で心臓を刺して死のうと思った。でも、やっぱり怖いし、まだ色々な本を読みたいし、
だから死ぬのはいつでも出来るのでもっと辛くなった時まで取っておこうと思ってやめた。
でもその瞬間から死は私にとっての救い、最後の切り札となり、生は耐え忍ぶものであって、その褒美が死であるという
小3になってクラスが替わり、予想通りイジメは終わり、友達と呼べる人も出来た。すごい美少女だった。
私はイジメがなくなって、昼休みに図書室へ行けるようになったことがひたすら嬉しくて、小6になるまで宿題もせずに
ひたすら本ばかり読んでいた。楽しかった。でも常に死にたいという思いが消えることがなかった。
わざわざ死を選びたい訳じゃない。今の生活はそれなりに充実しているし楽しい。
だからこそ、寝るときにこのまま目が覚めなくてもいいや、とか思ったり、誰か私に車でも
ぶつけてくれないかな、とか思ったりして、基本的に無気力に生きている。ずっと。
でもそれをわざわざ態度に出したりはしない。それが甘っちょろくて情けないことであるという自覚もあるし、
多分そんな人は私だけではなく、もっと辛い人も居て、さして特別なことでも無いと思うから。
でも、態度に出さないからこそ、リアル知り合いにそんなことは言えないし、他の人がそんな気分に対して
どう対処しているかなんて聞けない。けどやっぱりこんな状態は辛いから吐き出してみた。