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はてなキーワード: 商業高校とは

2023-07-18

義務教育でも会計を教えるべきとか言う前に

会計大事なら子供商業高校に入れたらいいのではないか?いやホントに。

2023-06-22

anond:20230621210336

まれ年代はほぼ同じだけど、私は完全にバブル恩恵を受けたほうの人間。(男)

私はたまたま小さい頃にコンピュータに興味を持って情報処理課のある商業高校に行って、

高卒の年はガチバブル絶頂期だったか就職活動はほんとにほんとに楽だった。

どこも人が足りないって言って、地場上場企業やF士通みたいな会社からでも高校に引き合いが来てたし

情報処理二種(今で言う基本情報)を取ってた数少ない生徒だったか

希望して面接受けてたら行けてたと思う。

結局は社員1000名くらい?の中堅なりかけレベルSIerに入って、10年くらいで転職しちゃったけど。

入社式東京ホール100人以上の新卒を集めてやってた。

歓迎会やら周年のイベントなんか当然のようにクラブ(当時クラブって言ってたっけか?)借り切って

ウェイウェイだったし、同期のやつらは入社してすぐクルマ買ってた。

先輩のクルマスキーつれてってもらったりしたな。シルビアカリーナEDが最強みたいな時代

そんな浮かれムードも3年くらいで一気に冷めて、あとはこの増田の書いてるとおり。

当時の女子事務職が当たり前みたいな感じだったし、

四大なんか意味いか短大高卒でいいって言われてたのは本当。

うちの商業高校も男女比が1:9でほとんどが経理科の女子だったし。

まだ電卓叩いて手書き仕訳してた時代……

2023-06-16

弱者男性の疑いのある小学生がすべきことは誰にも言わず運動日商簿記二級取得

お小遣いを貯めましょう

褒められる機会を作り出しましょう

顔や運動神経が頭や栄養状態や家庭環境が良くなくてもまだやれます

運動後に勉強をすれば効率がいいです

頭いい扱いを受けられる可能性があがります

商業高校生は日商簿記二級取得を目指しています(顔のいい女子野球部男子などが地元の有力企業採用されます

高校生大学生のうちに簿記一級取得を目指したり働きながら税理士公認会計士を目指すのもいいですね

2023-06-06

都会の商業高校

まぁ都会というほどでもないけど地方都市商業科に通ってた

別に家業継ぐとかではないけど俺は本当に商業科目が好きで入った

特にマーケティングが好きで今でもマーケターになりたいと思ってるぐらい

から先手を打って商業科に入った

オープンキャンパスで「大学にいけます!」みたいなこと自信満々で言ってたけど実際偏差値47(自分の実力ではもっとあった)で推薦もいうほどよくないのによくそんな自信満々に言えたなと今思う

一応センター試験の科目で情報科目があってそれを数年後くらいにブランクある状態で解いたら初見で75点くらい取れた(数2Bの代わりとかに使える)

現役の時知らんかったけどふつうにすごいと思った

けど偏差値47だし商業科故に他の科目が割を食う形になってしまってた

両立できますよとかほざいてたのになんだこのザマはと

で調べたら商業科は田舎の方だと偏差値が高く都会になるほど偏差値が低いらしい

え、じゃあどうしようもないじゃん

推薦なんて実績クソの野球部とかのカスに取られるしさ

塾いけばいいって話だけど片道40分自転車漕いで公立商業科通ってたんだけど(私立もっと頭悪いしもっと遠い)

大学まで待って普通科いけっていうのは分かるけどエキスパート目指すなら早いうちがいいじゃん

受験のために普通科に転校したけどさ

そういうシステムのために後手を踏まされるのってスゲェやるせねぇ

超ムカつくわ

リソース無駄

2023-06-05

anond:20230605184526

日商2級は商業高校でも取得できるのは大学進学できるような上澄みだけやで

大半の生徒は全商3級で精一杯

anond:20230605173944

おっちゃんが指摘してるのはこっちやで

商業高校学生でも取れる資格

anond:20230604192723

日商簿記2級なんて商業高校学生でも取れる資格だよね

それを社会人になって「1年も勉強しなきゃいけないんでちゅー」とかただの甘えでは?

2023-05-08

東京が人を吸い上げるって言うけどさ

地方仕事を作れないか地方の人が移民みたいに東京に来て東京土地の人らは迷惑してると思うんだよね。外国人不動産買い占めとか目じゃないレベルで、地方民が来る需要があるから年々不動産価格は上がるし就活競争苛烈になるし、電車は混むし賃金も一生上がらない。幼稚園保育園も混む。

頭が悪くて生産能力が低い、一生懸命な人たちがいっぱい来ちゃうのは正直邪魔だよなって思う。東京地元の子たちがバイト1,250円で働いてた頃のが手取り多かったな〜って思う職場地元の時給が950円だった子達が低い条件で喜んで働いちゃうから東京賃金はいつまでたっても上がらない。

カスみたいな建売住宅馬鹿みたいな1Kアパート異臭がする東京湾の湾岸に住みたがる田舎者のせいで、おばあちゃん達は不動産屋に騙されて土地を取られるし、昔はまともな公営住宅が建ってた土地地上げされてタワマンになる。

頭が良い人は納税してくれるからまだマシだと思う。北京みたいな感じで、三代都民じゃない人間は住居を買うのにVISAがいるみたいにしてほしい。よく分かってないけど。

地方仕事がないって皆言うけど、地方民が東京に来るせいで東京にはまともな仕事がない。具体的には、商業高校で一番を取れば地銀に勤められるとか、工業高校ちゃん勉強すればトヨタや製鉄の孫会社に滑り込めるとか、資格を取れば地元の電力会社通信会社に入れるとか、高卒ちゃん公務員になれるとかそういったコースがない。まともな仕事につくために必要な経費が、他地方よりも優位に多い。なぜかって言えば人が余ってるから

東京高卒は、運動神経が良ければ土建屋に、体力があれば引越屋か飲食にで、工業高校に行っても運送/倉庫管理中小商業高校に行っても事務派遣みたいな状態。そうなったら金もないのに専門か大学に行くしかないし、専門に行ったとて地方から出てきた変な夢抱えてラリってる馬鹿が引下げた賃金労働環境やりがい搾取大学に行ったら良いとこ入れるかは皆様ご存知の通りってとこ。

貧民が稼げるようになる糸口はIT土方不動産営業くらいだと思う。それもそこそこ頑張らなきゃいけない。地方民が競争率上げるから

東京が人を吸い上げるせいで地方が衰退するって言うけど、こっちから言わせてもらえば地方が人を送り込んでくるせいで東京は終わってる。全部引き取ってくれ。困らないから。夢とか追いに来るな、お前のせいで不動産の居室が1室埋まり電車が1席埋まる。馬鹿なお前が日々やりがいを持って働くせいで、俺たちの労働環境は一生改善しないし適正な競争が生まれない。日東駒専以下のやつ全員帰れ。あと年収360万以下も帰れ。東京に貢献できないくせに東京に来るな。

あと安保施設工場発電所地方押し付けてるって言い方も腹立つ、地元首都機能押し付けられてる方がどう考えても迷惑土地はぶんどられるし、労働市場住宅市場破壊されてる。

自然環境家業の維持も、何贅沢いってんのって感じ。東京湾で漁師やってた人間世田谷で葱作ってた農家も、全員、業は取潰されて端金の補助金受け取って、土地を2代も守れず追い出されてったわけだけど、それについてはどうなの。地元土地になんかよくわからん施設ができるのは最悪よ。漁船を留めてた場所羽田空港が出来ようが、元漁師は豊かになんかならない。全部東京がとうの60年前にやられた事で地方意気揚々文句垂れ流してるのもそれはそれで違わね?

残念だけど東京で割りを食ってるのは俺みたいに貧乏馬鹿な連中だからちゃんとした文句の言い方知らなくて全然こういうの聞かないけど、東京一極集中について地方可哀想って文脈マジで馬鹿みたいだと思うよ。

2023-04-24

フェミは共学出身ばっかり説

フェミは共学出身ばっかり、女子校ではそんな甘えたことは許されないから、的な発言を見かけた。

そうなん?って思って、Wikipedia石川優実の経歴しらべたら「商業高校在籍中にお菓子系グラドルとしてデビュー」とかあって「あ… 」ってなった

共学出身女子校出身で分けると、劣悪な生育環境で育った弱者は共学出身になるってこと、冒頭の発言主はわかって言ってんのかな。

女子校ってだいたい私学だから女子校に行けるって時点で親が教育に最低限の金はかけてるし、短大大学に進学させる意志もあることがほとんど。

公立中学学歴が終了すれば共学出身になるし、高校だって底辺公立高校は共学。高卒で働くことを前提に商業高校工業高校に行くと共学。働きながら定時制通信制に行っても共学だよね。

生育環境が劣悪な弱者ゆえに性被害女性蔑視に合う。あまりIQも高くなく勉強もできないからその時にはよくわからないままに流されて生きてきたが、SNSフェミに目覚めた…みたいな人の場合、そういう経歴を辿ってる人はそりゃ多いだろうよ。

まあ、実際には仁藤夢乃は中高恵泉女学園だし、フェミの中にもアルテイシアとか女子校至上主義みたいな人はけっこういるけどね。

2023-04-18

事務職での育休導入の難しさ。

50名以下のちっちゃな会社で、頑張って育休取れるような体制作ったけど、実用って難しいな―って愚痴


うちの会社黒字から本来は3人で十分回る仕事+1人して、

みんな月1で有給取るくらい、残業ほぼ無しで回してんだけど、それでも正直、育休を取り入れるのは無理だな~っ思ってる。



その理由は、育休者が出てもいいような職場環境を作ると、育休者が戻ってこなくてもいいなってなるから



この体制にしたのは3人で回してる時に、とある事務員(A)が育休取るって話になって、

流石に2人じゃきついか派遣臨時的に雇うか、ってなった時に、Aが「半年で戻ります」って言うから

残る二人が、半年なら派遣に教えながら仕事するより、自分たちだけで分たちでやるほうが…ってことで

派遣を雇わなかったら、失敗した。

半年で戻るって言ったA、実際はなんだかんだと復帰が3ヶ月のび、

事前に時短等の希望も聞いていて、使用しないと言っていたが最終的には「やっぱり時短を利用したい」と言い出した。

当然話が違うと他の事務員から不満がではじめる。

基本的にうちの会社事務でも結構系列同規模に比べたら給与(特に賞与)が多い。

からAは戻ってきたかったのだろうけど、時短仕事内容の重要度も下がった人間に沢山賞与をあげることは難しい。

しろ負担を被った2人に辞められたら困るから、Aの育休中は無給なので、その分をざっくりプールしといて、

そっちをそっくり2人の賞与に分けるとかしてなんとか宥めてた。

まあ、その後Aは賞与が少ないならうちの会社に居る旨味はないと辞めたんだけど、

基本的仕事えこなしてくれれば後はちょっとお菓子食べてお話しててもまあいいよー的な緩めの雰囲気だったのが、

スギス、ピリピリで、残った2人もボロボロだったので、次はこんな事にしないぞ――!!ってことで

育休とか病気とかで一人欠けても大丈夫って状態にするため、人員は+1人、業務もDX化してまたゆとりを作った。

仕事もローテして、他の人の仕事もできるぞ!って形にしたんだけど。

この状態を作って気がついてしまった、悲しい事実

育休者、別に戻ってこなくてもいいナー??

周りの社員にどうしても負担を負わせてしまうのなら、

まっさら新入社員のほうが、給与的にもお得なのでは……?と。

事務職って繰り返しな部分があって、どうしてもスキルカンストやすい。

優秀な子ってもちろん居るんだけど、新入社員も3年すればそれなりになる。

そうなると10年を超えてきた事務員って昇給とかの面で非常に扱いが難しくなる。

なおかつ仕事天井があるから下がどうしても追いついてくる。

そうすると、年上の人間は威厳を保ちたいか無意識仕事専有化が起きる。

自分存在価値を失わないように、自分がいないと困るように。


世の中、キャリアが!キャリアが!って言うけど、多分キャリアを自慢できる仕事ができる人間って、

育休とかとっても周りにあまり不満を抱かせない、納得させるくらいぐらい飛び抜けて仕事ができるんだと思う。

育休終わって会社に戻ってきてくれてよかった~~!!!って言われるような仕事をしてる育休者って世の中にどれくらいいるのかな。

どちらかというと、育休者をカバーしてる人間のほうがスキルが上がってる。

なので、評価をするならカバーしてる方を評価しないといけない。


育休が取れる体制って、得するのは育休者だけで、経営者、その他の従業員って損をするんだよね。

「得をする」ってのは違うな。

「以前の仕事をすることができる、同じ賃金仕事を探したり、新しい仕事を覚える労力が減らす事ができる、キャリアが切れない」ぐらいの利かな。


それ以外に産まれる得ってある??誰か教えて。

経営者とその他従業員に、どんな得があるのかな。

いつか自分がその立場に…って言うけど、今度は自分が受けた仕打ち免罪符にして行動しないかなって思う。


育休って育休取得者に対しての優遇が大きいけど、

育休取らずに頑張ってくれてるね!!って方にもお得になるような仕組みを考えないと難しい。

そんな事したら今度は少子化が!男性の育休参入遅れる!って言われそうだけど、

まずは一馬力でも収入を上げて余裕を作るほうが先ではないかな。



しっかし、も~~~色々調整疲れた

給与上げたいけど、お仕事内容変わらないから上げるの難しーよー!

育休とっても良いんだけど、ほんとに大丈夫? 戻ってこれる? 時短って時短給与さがるよ、分かってる?

お願い、資格とって。わかりやす資格取って。

そうすればそれを理由昇給できるし、転職にも有利だよ!

自分しかできない仕事を作らないで、情報共有して。せめて重要内容だけでいいから。

休み中の君に私も電話したくないよー!こっちで仕事を片付けておきたいよー!

しか出来ない仕事を作っても私は逆に評価を下げるしか出来ない、よ…


事務職の管理つれぇよぉ……

追記=======

書き散らした愚痴反響があって、みんなこの問題悩んでんだなーって思った。

褒めてくれたとか同情してくれた方はありがとう

管理が下手とか、ブラックゴミ会社とか言うツッコミには色々反論とか有るけど、面倒くさいし、ただの愚痴なんで「ほんそれ~~!ブラック会社滅ぶべし!私もホワイト会社歯車になりたーい!」って同意しとく。自分もどうしたら良いのかわっかんねぇもん。

んで、追加の愚痴だ!!支離滅裂?当然だよ、ただの愚痴もの




おいちゃん、内部の調整を全部ぶん投げられてる副局長なんだー!

毎年の労働局への労働計画作成報告して、経理もして、求人関係給与関係全部やってるし、ちょっとプログラムも出来るからDX化もおいたんが頑張ったよ~~! 業務がわかる人間が作らんと、使えるシステム出来ないからさ~

しかしもう、きっついんだよ。小さな会社に育休導入とか無理なんだが~~~???って首を捻りながらじったんばったんしてんですよ。

結論としてあくまでもうちの会社の話だけど、

幅の広い仕事を一人に任せていたから、同業他社より給与高めなんだよね。

お陰様で求人すると地元商業高校の成績全部5、経理とかの資格いっぱい持った子とかやってくる。事務職って求職者多い。玉石混交たくさん来る。基本的長所短所有るけど、皆いい子だし頑張ってくれる。

で、自分場合はとにかく面倒くさい仕事が嫌いなので、無くせるものはなくそうぜ!

マニュアル作ってもっと有給取れるようにしようぜ~~てか私、休みたい!!って頑張って、手作業減らして、システムとかPC、機材入替えたりして効率化を測ったんだよ。

その結果、今週休みたいっす~!いいよ~!って感じで月1、多い人は有給完全消化取れるくらい出来る環境にはなった。

んだけど、そうすると上司が「え、事務員人多くない? たいした仕事して無くない? 休んでるし、給与もっと下げて良くない? 事務とか外注したり、出来るらしいけど」って言い始めるんですね~~~!!!あ~~~~~~~!!

事務ってなかなか効果が分かりづらいからね。

うちの場合は「細やかな営業フォローとか現場フォローとかしてて、いなかったら適当仕事してる奴らの客からクレーム来るよ、ちなみに貴方ミスった〇〇とか●●とかフォローしてますよ、外注とか派遣にそこまでの細やかなフォローしてもらえると思います???」って上司にチクチクして黙らせたけど、裏方だからね、実際やってみないと知らないよね。

事務現場とか営業とかの大変なところって知らないから「適当確認仕事すんなよ~~」って事務愚痴るし、そこはお互い様って言ったらお互いさま。

色々愚痴ったけど、いろんな問題が絡み合ってるよね。

立場的に従業員なんだけど、色々出来る権限あるから半分使用者っぽい所あるし。でも上(鶴)の一声で翻弄されるし。

あと業種的なものも有るから女性の多い職場男性の多い職場、人が多い職場、少ない職場、でやり方は違うからホント難しいと思うよ。

自分、前職は外資系で社内に保育所がある、事務職が100人いる会社にいたんだよね。

福利厚生が行き届いているし、結構すぐに派遣入れてくれるし、単身者には良かったと思う。

100人も事務が居るような会社だと、届いた手紙開封部署ごとに仕訳する作業だけで一時間とかかかるから

そういう作業を通常時は正社員もして、

育休者が出て人が少なくなると派遣さん雇って雑務全般お願いする、とか業務の細分化が出来るから良かったなと思う。

あと、キャリアプランを選べるの良かったね。

自分はここまでの給与しかいらないからここまでの仕事しかしない、みたいな。

逆を返すと、この仕事しかしないならここまでしか給与あげれないっていう感じで、給与は低い人は低かった。やる気があれば高くなる感じ。

育休しっかり取りたいなら外資系のでっかい会社選ぶほうがいい。そっちはほんと福利厚生しっかりしてる。おすすめ。マジおすすめ。ちっちゃな会社で育休とかほんと難しい。


うちの会社は売上良くて、同業同規模他社より給与福利厚生も良いか求人出すとめっちゃくるし、社員ほぼ子持ち(1~3人)、車、家持ちっていう(転職者はウチの会社来てから家を買ったりしてる)くらいなんで、

少子化問題はすべて給与が高ければ問題がないのでは…?って感じなんだけど、それでも細々とした不満は色々発生するし、何が正解かはわかんなくて、キッツい。

ただまあ、従業員お金を払うのだけは正義!!!って思ってるので、残業代とかは当たり前で、

利益が出た時は賞与は頑張って出してる。黒字なら基本的に年2回、夏は2ヶ月、冬も2ヶ月はだしてるかな?仕事たくさん取れて利益でた時は一回で4ヶ月ぐらい出したときもある。

上司は「休日出勤残業代いっぱい出したじゃん」って言うけど、残業代、休日出勤はただの当然の対価、

許容以上の仕事をこなす為に休み削って、残業して仕事捌いて、結果利益出したんだから賞与従業員還元するんだよ!!って頑張って出したりしてる。

やっぱり、お金ちゃんと払うと従業員全然辞めない。ただ成長しなくてもそれなりにお金貰える〜って人も増えてくるから難しい…


しっかし、後は本人自身健康健全精神で働けるかっていうのもあるよね~!!

自分健康不安があるからさ、休みが取れるように仕事を調整してる。

でも今後、介護問題も浮上してくんだろうな!!や~~だ~~~!!

自分はもう働きたくないでござる!!働きたくないでござる!!でもお金必要から働くしかねぇけど!!でも働きたくない。

もっと給与低めでいいから末端歯車が良い。でも親の介護とか自分の老後のためにお金貯めとかなきゃでしょ?

他人管理までしたくねぇの。他人事情とかもう無理~~。自分の面倒だけみてたい~~~かんりしょくや~~~だ~~~!ばぶ~~~!

正直なところ、女性育児介護とか全部押し付けてる社会とか家庭とかが悪いんだと思うんだけど。もっと男女平等育児介護に参入できるといいよね。

突き詰めると、個人の家庭の事まで考慮して、会社がどうこうできる~??ってなってくる。

学校子供教育以外の部分を全部おっかぶせるみたいなもんじゃいかな、みたいな。

仕事した分、お金します!仕事に見合ったお金もらえてないと思ったら転職したほうがいい。ちゃんと引き止められないのは会社責任だと思う。うちの会社の嫌なところ言っていって欲しい。そうしないと従業員が悪いって上司反省しねえから

働けない人の為に国はちゃんと補助してね!!ちゃん税務署監査も優良判定貰って、法人税頑張って納めてんだろ、ウチの会社っていうか私もう無理わーんって感じだ。

2023-04-11

そもそも文系の学卒で一般職に毛が生えたような仕事してるやつらって言うほど「学問」してるか?

商業高校卒でなんの問題もないだろ

2023-04-06

商業高校生は消費税20パーの世界も想定して準備しているだろうな

17パーでも計算できるようにしておけば引く手あまただな

2023-04-05

anond:20230405083415

昭和中期までの企業労働についてはサザエさん読むといいよ。

江戸

 企業ではなく財閥社長ではなく番頭

~~~明治維新

明治昭和初期:

 企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。

 女性大学に行くとニュースになる。教員医者作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書家事手伝いさんを雇える。

 ※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。

~~~第二次世界大戦

昭和中期:

 団塊世代。オーモーレツサザエさん企業につとめて三種の神器洗濯機冷蔵庫テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。

 家に自動車もあるとなおよい。女性大学生になる事例が増えたが都市部のみ。

 田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね実家も太いんだね)レベル

 頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。

 義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないか卒業できました)という人も田舎には多い。

昭和後期:

 労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校私立大学も増え塾もふえる。

 子供全員大学いかせないなんて正気か?

 そろそろクーラー自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」 

 パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?

~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済バブルがはじけた」か

平成前期:

 ICチップ産業コメインターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線テレホーダイからですね。

 ポケベル、ISDN、PHSなどスマホ前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。

 パソコン市販されるけどたいていの人はまだキーボードのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ

 エクセル方眼紙だろうが、「なにか」つくれれば尊敬されてた。

 ていうかワープロword機能と感熱紙プリンタけが入ってる機械ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん

平成後期:

 ご存じIT革命スマホ世代リーマンショックって平成20年だったのか

令和

 今だよ

 

さて

・過重労働 

 ↑昭和スマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能

 小学校で習ったそろばん電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの

 あとは人脈と移動力ものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。

 ※ちなみにメタル回線電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い

残業代が出ない 

 ↑そのかわり働かない。公務員教員も)は定時で帰るし。

 土曜日半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。

 まあ最初リーマン先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。

 あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。

 なんか親睦草野球大会飲み会みたいなのも多かったしな。

ハラスメント多め

 ↑ハラスメントなどという横文字言葉のもの日本企業風土にないが、

 そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。

 要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。

 今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。

 「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。

 自ら選択してなったのだからサラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。

 今はお医者しか残ってないタイプのいらん敬意だね

 

から昭和でいうブラック企業はね、

ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。

管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引からつけとどけのお中元お歳暮、お世辞がバンバンとどく。

そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。

農業だの家業手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。

まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから

それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。

 

reiwa

平成令和はやっぱインターネットオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。

荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。

昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。

 

労組

ああ、あと昭和ならではの労働事情としては、労組もあったな

学生闘争活動してた人が頭いいか背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、

何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。

そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代労災を払え」のような、

きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。

元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやす内部告発私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな

ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。

 

社員からすると労組経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさん理論なんだよな。

今は労組から管理職いける不思議労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。

労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから

労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律かいくぐることに必死になってるタイプブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)

社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。

経営陣はお客様代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。

でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間お気持ち)の味方ではないんだよ。

労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。

 

 

あとブラック企業って呼び方

個人的には「黒人企業蔑称」みたいでいやだ。

「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。

まあ昭和だと「赤=労組テロ共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。

色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。

 

追記

・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。

バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PC名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。

 もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。

 というか「バブルがはじけ、第一就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。

 俺が命名していいなら「1991バブルショック」か。

 1971が石油ショックで、

 2008がリーマンショックなら、

 およそ18-20年に一回なんかそういう失業氷河期祭りがあるんだな。

 次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。

漫画資料

理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった

 ・平成初期あたりの週刊モーニング作品

  (釣りバカ日誌クッキングパパOL進化論

 ・フジ三太郎東海林さだおコボちゃんなどのサラリーマンもの

  (絵柄が大体あの感じのやつ)

 ・YAMAZAKIっていう漫画があるんだって

 

 ※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。

  島耕作プロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。

  金と社員だけみれば現実もっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ

  一番サラリーマンの本体をしってるのは父親母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初サザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)

  俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、

  外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。

  (部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)

 ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世からの転身組漫画家の双璧だとおもいます

 

追記

・俺史上2本の指に入った

PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。

・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか

・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。

 花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。

 腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。

 というか子供からみて高校以降のママアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。

 ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。

2023-03-14

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-01-31

商業高校の思い出

俺の住んでた県は学区制が厳しい

家が貧乏私立高校どころか大学進学まで危ぶまれたので公立商業高校にすることで間を取った

商業ならば公立でも越境入学できるから

もう一つの動機は女が多かったこ

もちろん商業に行くからにはその勉学の内容も楽しみにしてた

高2の一大イベント商品開発の班でなぜか男子だけの班が作られてそこに俺も入れられた

んでなぜかターゲットOL

なぜOLターゲットなのに男性のみで班を作るんだ!って班を決めた教師に怒鳴ってボイコットした

今思えば絶対に逆らってはいけない教師に盾突き、まだ浸透してないジェンダー論を盾に歯向かったのは後にも先にも自分だけではないだろうか

結局その高校は転校して私立普通科に行った

学生生活は楽しくて、特に女子との交流が多かった

女子みたいな趣味が多かったのでCDを貸し借りしたりずっと雑談したりデートしたり

野球部非モテよりモテたと思う

だが今思うと商業なんて将来性考えたらやめとくべきだよなーと思った

両親が中卒で教育終わってる地域の生まれから常識が固まってなかったか商業選んだのであって

いまネット見てたら正直ありえんよなーって

学力もっとあったんだから商業なんて選ぶべきじゃないよなー

でも俺の地域だと選ばざるを得ない事情で雁字搦めだったからさー

なんか教育って地域ごとに全然違うのにネットだと猫も杓子も同じように語られてるのが解せないね

特に大学以前ね

ほんとそこらへんの常識なくてすみませんでしたって毎回思う

あと理系チー牛陰キャオタクじゃなくてすみませんでしたーって

ガチの頃の高校生クイズみたいな風貌じゃなくてすみませんでしたーって思う

追記

そういや修学旅行の班も男女別別で苦労した思い出あるわ

男子友達一人(クソ陽キャしかいなかったからな

2023-01-30

anond:20230129205947

「完全に未経験」にならないための門戸が狭い。商業高校出るのが一番いいかもしれない(というか、それしかなさそう)

2022-12-27

東京が人を吸い上げるって言うけどさ

地方仕事を作れないか地方の人が移民みたいに東京に来て東京土地の人らは迷惑してると思うんだよね。外国人不動産買い占めとか目じゃないレベルで、地方民が来る需要があるから年々不動産価格は上がるし就活競争苛烈になるし、電車は混むし賃金も一生上がらない。幼稚園保育園も混む。

頭が悪くて生産能力が低い、一生懸命な人たちがいっぱい来ちゃうのは正直邪魔だよなって思う。東京地元の子たちがバイト1,250円で働いてた頃のが手取り多かったな〜って思う職場地元の時給が950円だった子達が低い条件で喜んで働いちゃうから東京賃金はいつまでたっても上がらない。

カスみたいな建売住宅馬鹿みたいな1Kアパート異臭がする東京湾の湾岸に住みたがる田舎者のせいで、おばあちゃん達は不動産屋に騙されて土地を取られるし、昔はまともな公営住宅が建ってた土地地上げされてタワマンになる。

頭が良い人は納税してくれるからまだマシだと思う。北京みたいな感じで、三代都民じゃない人間は住居を買うのにVISAがいるみたいにしてほしい。よく分かってないけど。

地方仕事がないって皆言うけど、地方民が東京に来るせいで東京にはまともな仕事がない。具体的には、商業高校で一番を取れば地銀に勤められるとか、工業高校ちゃん勉強すればトヨタや製鉄の孫会社に滑り込めるとか、資格を取れば地元の電力会社通信会社に入れるとか、高卒ちゃん公務員になれるとかそういったコースがない。まともな仕事につくために必要な経費が、他地方よりも優位に多い。なぜかって言えば人が余ってるから

東京高卒は、運動神経が良ければ土建屋に、体力があれば引越屋か飲食にで、工業高校に行っても運送/倉庫管理中小商業高校に行っても事務派遣みたいな状態。そうなったら金もないのに専門か大学に行くしかないし、専門に行ったとて地方から出てきた変な夢抱えてラリってる馬鹿が引下げた賃金労働環境やりがい搾取大学に行ったら良いとこ入れるかは皆様ご存知の通りってとこ。

貧民が稼げるようになる糸口はIT土方不動産営業くらいだと思う。それもそこそこ頑張らなきゃいけない。地方民が競争率上げるから

東京が人を吸い上げるせいで地方が衰退するって言うけど、こっちから言わせてもらえば地方が人を送り込んでくるせいで東京は終わってる。全部引き取ってくれ。困らないから。夢とか追いに来るな、お前のせいで不動産の居室が1室埋まり電車が1席埋まる。馬鹿なお前が日々やりがいを持って働くせいで、俺たちの労働環境は一生改善しないし適正な競争が生まれない。日東駒専以下のやつ全員帰れ。あと年収360万以下も帰れ。東京に貢献できないくせに東京に来るな。

あと安保施設工場発電所地方押し付けてるって言い方も腹立つ、地元首都機能押し付けられてる方がどう考えても迷惑土地はぶんどられるし、労働市場住宅市場破壊されてる。

自然環境家業の維持も、何贅沢いってんのって感じ。東京湾で漁師やってた人間世田谷で葱作ってた農家も、全員、業は取潰されて端金の補助金受け取って、土地を2代も守れず追い出されてったわけだけど、それについてはどうなの。地元土地になんかよくわからん施設ができるのは最悪よ。漁船を留めてた場所羽田空港が出来ようが、元漁師は豊かになんかならない。全部東京がとうの60年前にやられた事で地方意気揚々文句垂れ流してるのもそれはそれで違わね?

残念だけど東京で割りを食ってるのは俺みたいに貧乏馬鹿な連中だからちゃんとした文句の言い方知らなくて全然こういうの聞かないけど、東京一極集中について地方可哀想って文脈マジで馬鹿みたいだと思うよ。

2022-12-21

anond:20221212122941

単に状況を変えたくなかっただけでしょ

俺は商業高校だったが、男子が1~2割かつ更衣室って言っても狭いところしかなかったか必然的に、1年生の最初から男子更衣室」「女子教室」でそれが普通だった

あそこで「女子更衣室を」って話が出たら男子はほぼ賛成してたと思う…着替え終わるまで教室入れなかったからね、次が移動教室や昼食なら、扉をノックして荷物取ってもらうしかない

2022-12-15

anond:20221215200128

田舎商業高校を出た後美容専門学校に通うも不登校気味になり、不安になった義母が仲の良かった私の母と話をつけ、お見合いが組まれそのまま結婚した。

当時メーカー工場勤務で女っ気ゼロ童貞だった私を案じていた母と、同じく男っ気ゼロかつ半引きこもりの娘を心配した義母がウィンウィンになって上手いこと話が進んだ。

元々私達も知らん仲ではなかったし。

昭和50年くらいかタイムスリップしてきたのかという感じだ。

anond:20221215090844

はい、私の妻です。

田舎商業高校を出た後美容専門学校に通うも不登校気味になり、不安になった義母が仲の良かった私の母と話をつけ、お見合いが組まれそのまま結婚した。

当時メーカー工場勤務で女っ気ゼロ童貞だった私を案じていた母と、同じく男っ気ゼロかつ半引きこもりの娘を心配した義母がウィンウィンになって上手いこと話が進んだ。

元々私達も知らん仲ではなかったし。

妻は社会経験ナシで結婚たからずーっと専業主婦家事育児はやってくれてるから別に不満はないけど。

やはり実家同士が仲良いと夫婦関係も楽。適度に親も頼れるし。

2022-12-11

anond:20221211155402

そこそこ成功した人たちが、高校生古文漢文なんかより情報教育だとか会計を教えろとか言ってても、そう言う人たちが自分の子供を工業高校商業高校に入れるかというとそんなことはないし、本人だって工業高校生程度にもプログラミングは出来ないし、商業高校生の簿記と同じレベル

技術なんて、流行りのキーワードを抑えておいて、エンジニアの話を聞いてそれっぽく返事をできる程度でいい。

結局は、新卒なら学歴、中途なら人脈とコミュ力でチャンスを掴んで、作文とプレゼンでハッタリ。

2022-10-11

過去に戻ってやり直しても今の自分と大差ないんじゃないか?という話

中々眠れずにそんなことを考えていました。

そして、結論が出たのでここに残しておこうかなと思います

前提

前提として過去に戻る際、今の記憶は引き継がれないこととします。

まり自分意思決定は全く同じ状況化にある場合、毎回同じ結果になるのではないか?ということを考えていたわけです。

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自分の半生

まず自分の半生を見直してみました。

中学時代プログラマに憧れ、高校情報系の商業高校選択しました。

そのために中3から塾に通い猛勉強をしてなんとか入学できました。

高校時代は非常に怠惰で、自主勉強はせずゲームばかりをする日々でした。

ですが、情報系の授業は非常に大好きで部活もその手の部活選択していたこともあり5教科はギリギリ赤点を逃れるレベル情報系の教科は毎回90点台という塩梅でした。

その後、5教科の勉強はしたくないと思い専門学校に進学します。

意思決定ポイント

長くなるので明文化するのはこの程度にしておこうと思います

上記の中で大きな意思決定ポイントはいくつかありました。

一つずつ当時の記憶を振り返って考えてみます

進学先の高校

当時の自分は強くプログラマになりたいと思っていたわけではありませんでした。

ですがなんとなくPCをいじるのが好きだったのでPCを一日中触っている職業がいいと思っていました。

また、フリーソフトインストールしてPCカスタマイズするのが好きで、そういった小さいソフトを開発できるようになりたいという思いもありました。

そのため、進学先は情報系の学校を選んだわけです。

明確な理由があるためこの選択は何度やってもおそらく変わらなかっただろうと思います

塾に通うか否か

当時から自分自主勉強が苦手な自分理解していました。

それは親も同じでした。

中学3年生、春の三者面談で父と自分担任教師に「笑っている場合ではありません、この学力では志望校は無理です」と怒られた覚えがあります

父も自分も非常に楽観的な人間でした。が、流石にまずいと思い強制的勉強ができる塾に通うことにしたのです。

面倒だから行きたくないという気持ちはありましたが、ここまで切羽詰まっては自分強制する他ないなという気持ちが強かったのを覚えています

そのため、この時の自分選択も何度やっても変わらないでしょう。

興味のない科目に対して勉強するかどうか

問題はこれです。

自分は当初、怠惰ゆえの結果で場合によっても勉強する可能性もあったのではないか?と考えていました。

しかし、思いを馳せてみれば当時の自分は「5教科などプログラマになる自分には不要長物」と考えていた故に「勉強しない」選択肢を選んでいたのです。

上辺だけ見ればただの怠惰でしたが心根には「ゲームなどの娯楽よりも価値のないもの、故に勉強不要」という思いがあったのではないかと考えたわけです。

もちろん当時の自分の理性は「そんなことはない」と分かっていましたが、今までの少ない経験則自分の重視している物事それから娯楽の誘惑などを総合的に鑑みる勉強しない選択をしたのでしょう。

そうなってしまうとこれも何度やってもきっと変わらないでしょう。

それどころか今でもなお自分自主勉強ができない人間のままなわけですからこれは確証を持って言えます

進学先の専門学校大学

最後にこの進学先ですが、ここはほぼ選択肢はありませんでした。

自分高校時代にいくつかの資格大会の受賞経験があり、一応勉強さえすればそれなりの大学入学するチャンスはありました。

しかし、それでもやはり専門学校を選んでしまったのです。

これは「興味のない科目に対して勉強するかどうか」と同じ帰結でしょう。

自分の考え方をトレースするとこの選択肢も変化はなかっただろうと思います

結論

題名でもう結論は出ていますが、結論として多少の誤差はあるかもしれないが「過去に戻ってやり直しても今の自分と大差ないんじゃないか?」というのが自分結論でした。

この思考の中で発見したのは「"怠惰"というもの存在せず、複数選択肢のうち自分の考え方や経験結果的に"怠惰"の選択肢を選んでしまうのだ」ということです。

また、この「考え方や経験」というのは幼少期の経験が強く影響しているのではないかと思います。(遺伝もあるかもですがデータ自分しかないので遺伝の影響度合いは分からないです)

まり、幼少期の経験人間の一生に大きく影響するんでしょうね。

そう考えると、結局人間というものは幼少期の影響がバタフライエフェクトのように広がり、成功や失敗を生み出しているのだろうなと思うんです。

もしそうなら、人がなにか罪を犯した場合、それは本当にその人だけの罪なのかな?などと変なことをぼんやり考えてしまいました。

10/11 15:00追記

仕事の合間に見に来たら色々言及いただいて驚きました。ありがとうございます

また、皆さん同じ結論に至るんだなあと感心しました。

記憶を引き継がないなら同じでしょ?問題について

さて、いくつか言及いただいている「記憶を引き継がないなら同じでしょ?」という話ですが自分の考えを追記しておきます

自分人間の行動にはランダム性のある部分があると考えています

例えば「歩く」動作一つにしても呼吸の間隔や足の動く速度はつど変化が起きるのではないかと思うのです。

そう考えた場合に「時を戻す」ではなく「再度人生をやり直す」場合上記のように同じ動きはできるのか?と考えたわけです。人生の再演算と言ってもいいと思います

その場合、同じ「歩く」動作でも違いが起きるのではないかなと考えています

そうなると思考にもランダム性があるんじゃないか?と思ったりしました。

そういう曖昧な考えがあってじゃあ実際にどうなんだろうな?と具体的に掘り下げていった結果がこうなったというわけです。

...しかしながら、そう思うと親というものは本当に偉大だなと思う一方で子供を育てる難しさは果てしないものがあるなと考えさせられました自分結婚の予定すらありませんが・・・

2022-10-04

anond:20221004022002

事務って難しいんだよ!私は田舎商業高校卒なんだけど最初はみーんな事務希望するの。で絶対進路指導先生に言われるのが「事務狭き門」。

というのも、営業とか他の部署はお客さんが増えたら物理的に人増やさないと回らないでしょ?でも事務数字が増えるだけ。1万円でも1億円でも計算の手間は同じだって。だから少人数でいけて、なんなら1人でもOKって事らしい。実際にはそうもいかないんだろうけど。

昔はそれでも、「事務お姉ちゃん」ってすぐ結婚して辞めてしまものだったか新陳代謝ができてた。でも今は結婚しても共働きで続けたり、そもそも結婚しない人も増えて事務椅子に居座る。

高校の時、バンバン資格とってて、すごい優秀な子と友達だった。だから希望してた事務員になれるだろうなと思ってたんだけど、結果は工場先生はお前が優秀だからミスが許されないラインにぜひ欲しいって事なんだよって慰めてたけど、絶対ウソだと思う。

それにしても、なんで素敵な声を持ってるはずなのに喋らない事務員を受けてみたの?喉を傷めたくない?汚い声で叫ぶ役とか、Vtuberの役がきたら断るの…?

人生はショー。役作りのつもりでぶつかっていったらどうかなぁ。私も小さい頃声優になりたかたか増田が羨ましい。頑張れ!応援してるよ。

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