はてなキーワード: 初恋とは
ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。
主人公の高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」
失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います。
年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段の生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。
年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分のこころに問いかけてほしい。
本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?
私はできません。
中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります。
昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます。
来年からは就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。
前置きが長くなりました。
これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。
本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?
応えは、「受け止めきれない」です。
ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブが横浜アリーナで開催されていました。
幸運なことに私も参加することができ、座席もセンターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。
はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さんと結婚したいと思っています。ガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画。
そんなことを言いつつも、「やっぱリアルの彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。
未だに携帯のアルバムから声優の画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。
一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursのライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。
結論、甘かった。
一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分でコントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さと経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女。
普段書かれているブログの文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。
ライブ中盤。
トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜がキャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。
おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草が美しい人類は他にいない、絶対に結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。
「来てよかった。彼女のパフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。
ここまでは。
2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。
私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい。死ぬんじゃないか。しかもこの曲だけトロッコのスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。
そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。
「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。
「かわいい」
何もできない。
人は無力、何もできない。
あまりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。
地下ドル現場のオタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。
μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。
南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。
好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。
それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。
そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離。
これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。
何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通の人間」だからだ。
彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所と時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学でスマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。
その動きは、私のような普通の人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所、バンダイビジュアルや子会社のランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。
そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通の人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。
大学受験の頑張り?留学の経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。
海外留学で得た経験は所詮は蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。
海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」
今からでも、変われるんでしょうか。
未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。
そんなわけで、絶対に一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事の関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思います。バンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車で自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。
明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日も普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビートに身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。
「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」
これに関して一言。
それは関係ない。
果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。
ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇の舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンがいるかもしれない。
ありがとうございます、あなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。
こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。
本気です。
彼女の舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった。
所詮はラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかもアニメ放送後からファンになった身。
それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています。
満足した人生を送ってますか?という最初の質問から普通の人として生きるまで。
現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。
「幸せは足元に転がっている」
そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。
本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。
そんなわけで、Aqoursのライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さんと結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。
あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女。
4時間にも及ぶステージ。映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。
いくらダンスが好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏みで最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。
3時間のライブをして、普段トレーニングをしてるミスチルの桜井和寿さん。
彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。
マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい。
マジで身体のラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆の面前で身体のラインを出すのはやめてほしい。
本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursのメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん。
http://anond.hatelabo.jp/20170202144732
元増田があんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。
これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。
「ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田のブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。
小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については
http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000
http://anond.hatelabo.jp/20170203190941
この批判が当たっていると思う。
とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。
さて。
漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。
と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと、普通っぽい奴を見繕いたいところ。
例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界の作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋でラノベ棚を見てたら『勇者のセガレ』((アニメ化作品『はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である。
http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8
http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/
http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/
三作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから。
一見して『勇者のセガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。
説明する。
小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的なエンタメ小説(多くのライトノベルは一般的なエンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的なエンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能性はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的なエンタメ小説志向なので大丈夫。
『勇者のセガレ』なら、父親に異世界を救った勇者の過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれるお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPGの世界にダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。
んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報の無駄のなさを見てほしい。
『勇者のセガレ』は単刀直入にお話の全体像(テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識を提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。
『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係の物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。
『クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。
そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララにソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通の男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。
ここには多分、ライトノベルがキャラクター小説である、という誤解がある。
商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマや登場人物の関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公の人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公の人物像を描いてはいけない、のではない。主人公の人物像は、この際テーマや関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。
ライトノベルはキャラクター小説だと早合点していると、主人公のキャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前をからかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。
そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。
そもそも、ソシャゲシナリオの仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。
ソシャゲシナリオの仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公は脚本科の学生なんだから、ゲームであれシナリオの仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビューの王道と言ってもいい。
どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公がソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。
これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲと主人公の関係をちゃんと設定していないから、こうなる。
ソシャゲマニアが制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係な主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。
半端にクリエイター志望でソシャゲに特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。
テーマ、関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分の異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンにハルヒは普通の少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララがタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。
あとがきにラノベ200作品を勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。
ライトノベルはキャラクター小説だ、とか、男オタク向けの作品は関係性萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。
結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。
なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作『初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。
失恋した。というか勝手に恋して告白まで至らず勝手に振られたつもりで失恋した。
20代半ばにしての初恋だから、分からない部分も至らない点もある。完璧な手順や答えを求めていた訳でもない。
初恋してからは見える景色が変わり、自分の存在を少しでも良くしようと努力をして、友人たちに「周りに花が舞ってる」と言われるくらいには変わったのだから、マイナス要素だけではなかった。楽しいこともたくさんあった。
過去の出来事はともかく、今回勝手に失恋してこの数日で目まぐるしく感情の変化が起こったので、記録して残しておく。フルコンボだドン!
Good!
感情剥き出しにしてただただ罵倒。とにかく相手を許さずディスに徹底。いつも付き合ってくれる女友達と仲良くディスり大会。
Great!!
なぜ私はあんな奴に惚れしまったのだろう?頭を撫でられただけで。甘え甘えられるいい関係も、悪い意味で友達止まり。こじらせ喪女のせいで脱処女願望が先走ったり、彼は承認欲求を満たしてくれているだけの存在なのではとか。
とにかく分析で自己嫌悪に至る。そもそもは私の顔が悪いから、女として上手く生きれてないから。男性が喜ぶような反応を取ってしまったから。
これまでの過程を踏まえ自分の中で腑に落ちた瞬間、一気に感情が無になる。あれ、家族の前で上手く自然に笑えない。
無気力なのでめちゃくちゃ無愛想、態度の悪い奴に見られる。生きることに惰性。オタ活も惰性。
恋バナ盛り上がってていいなぁ
いつまで聞き専なんだろうか
なんとなく好かれてるのがわかって、お試し半分で付き合ったことはあるけど
そんな感情向けられても私は何も返せない
まだです。なんて言ってもうそでしょーって言われるから言わない
初恋なんてきてねえよクソ
好きなタイプは?
好きになったことないんでわかりません
好きってなんですか?
その人見るとドキドキしたりするの?
チューしたいなぁとかセックスしたいなぁって思うの?
相談にも乗れない
話をきくことしかできない
ごめんね ごめんねみんな
きっとなにも役に立ててない
それどころかわたしにはあなたの気持ちも相手の気持ちもわからない
異性として好きになったことない
わたしはきっと何も残せない
きっと処女のまま閉経するんだろうな
想像するだけで吐きそう
人を愛せないのって欠陥なのかな
アセクシャルを若いうちに判断するのは早計だって言われるかもしれないけど
けど現状は変わらないわけで
彼氏ほしくないからって拒否し続けてるけどそろそろ連行されそうだ
やだなあ
私ってなんなんだろうなぁ
初恋の人は小学校のクラスメイトの男子だったし、初めてお付き合いした人も男性だった。
でも結婚は女性としたい。生活を共にし、一緒に年齢を重ねる相手は絶対に女性がいい。
フルタイムで働く女性に家事、育児、自分の親の介護、おまけに自分自身の世話を全て押し付け、
プライベートでは若い女性と関係を持って相手の貴重な時間を搾取しつつ
何か発言しようものなら内容も聞かず「女のヒステリー」か「女の嫉妬」で片付ける。
そのくせ「こんなに恵まれてるのにまだ要求があるなんて女はクソ」とこき下ろして悦に入り、
自分より賢い又は収入の多い女性は「かわいくない」と批判する。
……私の男性に対する認識はこんな感じなので、男性と結婚なんかしたらロクな人生にならないと思っている。
中学3年になるまでは、同性を好きになる感覚がわからなかった。
そして、15歳のの夏、同性に恋をしていることを自覚した。
私は中学の時に夢女子となり、そして同じ趣味を持つ女の子と仲良くなった。
それはネット上の繫がりから始まったのだが、オフ会に参加した。
つまりネット上にしか居場所がなく、ある意味閉鎖された環境であったのかもしれない。
夢小説のサイトを持ち、そこでは拍手という文化があって、今でいうTwitterのDMみたいなものかな?
あなたのファンですとか、同じような萌えを感じます、とか、そういった交流を持てたのである。
拍手という機能はコメント必須ではなく、匿名でのいいねボタンみたいなものだ。それにコメントをつけられる感じである。
もちろん私にもお気に入りの作者さんはいて、ブックマークをしては毎日のように更新を待ち、交流を持った作者さんやどこの誰かもわからないけれど、私の作る話が好きだと言ってくれる読み手の方へ、自分のサイトも更新していた。
ある時ブックマークをしていたサイトで、◯◯(キャラ名)生誕祭チャットなるものが開かれた。
先述したようにLINEもないし、ガラケーではSkypeなんか開けないものだから、専らレンタルチャットで交流を深めていた。
やれ◯◯がかっこいいとか、原作のあの展開は最強だとか、あとは日常のことだとか。
ネット上で集まったチャットであるから、色々な都道府県から参加していて、ネット上しか居場所がない私には、
私のことを誰も知らない環境でオタク話に興じることができたのは、かなり嬉しかった。
その◯◯生誕祭チャットからは、結構な頻度で特に名目もない突発的なチャットが開かれた。
何度か参加しているうちに、固定メンツができて、その子たちとはメールアドレスを交換して、チャットがないときも交流できるようになった。
固定メンツがチャットに頻繁に交流を深めるうち、関東に住む子が池袋でオフ会をしよう、ということになった。
これから好きになる女の子をA、単純に仲良くなった子をBとしよう。
私はそのチャットでは最年少だったが、AとBとは比較的歳も近く、話が合った。
オフ会にはその二人は大体参加していたし、特にAは県を跨ぐものの、池袋で会うには不自由がなかった。
最初は趣味の合う友達、という認識だったのだが、チャット内ではそのAは人気者で、文書の書き方も上手く、オフ会で皆で集まればみんながその子を特別扱いしているように見えた。(特別扱いといっても恋愛ではない)
ネット上での繫がりから始まったとはいえ、それなりに交流してきたし、愛着が湧いた私は、
その子がちやほやされるのがそれはもう気に食わなかった。
一番交流してるのは私なんじゃないの?個別でもたくさん会ってるじゃん。
むしろ学校帰りに相手が暇なら、夕方からでもその子の学校の最寄りまで行って、待ってから遊びに行った。
この頃は私は高校生になっていて、比較的時間の自由がきいたので、多少時間がかかっても、その子の行きやすい場所に赴いていた。
私、この子の一番になりたいんだ。恋愛感情、なのかも。だって手をつなぎたいし、キスもしたい。
あわよくば、もっと先のことがしたい。
それは今まで男子しか好きにならなかった私にとって、かなり衝撃的だった。
高校でも親しい友達はできないし、閉鎖された交友関係で勘違いから始まったのかもしれないけれど……
でもその感情は、確かに恋だった。
私を一番にしてほしい。
この頃は夢女子を兼ねた腐女子となっていたので、同性への恋愛感情が実はそんなにおかしなことではない、
その影響もあって、恋愛感情は確信に変わり、その子のためなら文字通りなんでもした。
その子はなかなか常識的だったので、無茶なことは全く言わなかったが、
だからこそ私が同人誌をプレゼントしたりとか、グッズを買ってあげたりとか、
ご飯をおごったり、とにかく高校生なりにできることは、多少の遠慮をされても、そして無理をしてでもなんでもした。
同性への恋愛感情が初めてだった私は、なんでもすることによってまるで都合がいいだけのやつみたいに見えたかもしない。
それでも私を一番にしてほしくて、でも同性という壁があるから踏み込めなくて、
かなりかなり困っていた。初心な初恋のように。
恋愛感情を意識してからというもの、その子と話すとドキドキして話すのも恥ずかしくて、その子とは疎遠になってしまった。
今もTwitterはのぞいているけれど、楽しそうにしている写真が載っていると、まだ心がちくちくする。
同性という壁を超えるのは難しくて、しかも相手はノーマル。詰んだも同然。
絶賛の大半がすず一家を、あの時代の「普通」にしちゃてて気持ち悪い。
すずはかなり変わってるし。原作でも周到な狡さで悲惨さを隠蔽しちゃってるけど。
娘を居場所も顔も知らない家に住所の紙きれ一枚持たせて嫁がせるとか。
顔も知らない結婚相手は都合よくも、すずを好きで初恋の男より細身でイケメン。
だから処女なのに初めてあった男と抵抗もなく性交してる女性なら気味悪さや抵抗を感じても普通のはずが
なんとなくスルーされるようになってる。
ごつい初恋男よりブサメンでムキムキなんて方が可能性あったろうに。それだと陰惨になるから
優男なんだろう。すずは大ラッキーなわけで。
すずって名前のせいで連想しちゃった金子みすずなんか親に言われて結婚させられ
夫は浪費に浮気に淋病をみすずに感染させ、彼女から詩作の自由も奪った。
当時の結婚は、そう甘くない。
舅姑ご近所はいい人ばかり。
子どもの頃、雪は好きだった。
東京に生まれた頃から住んでいる自分にとって、降雪は特別なものに思われた。
真っ白な雪を、汚していくことは、未開の地に立ち入ることに似ている。
まるで物語の主人公のように勇み足で、白雪を足跡でいっぱいにした。
清い純白はたちまち陰ったが、私は満足だった。
だから、溶けていくときは物悲しい気分になったことを覚えている。
寒いし、ダイヤは乱れるし、雪って案外汚い溶け方をすることを知ってしまったから。
足跡がつくほどは積もっていないけれど、屋根はうっすらと雪化粧している。
ひんやりとした空気に、時折刺すような北風が吹く。
私も大切な人ができたら、雪が降り始めたよと真っ先に伝えたい。
普通にぬるかったけれど、オレンジ色のキャップにほっこりとした。
こんな日は猫のようにコタツで丸くなりたい。私は戌年だけれど犬のように庭を駆け回るような元気さは残念ながら持ち合わせていないのである。猫が干支レースに勝っていれば良かったのに、とくだらないことを考える。
電車はやっぱり遅れていた。
こんな日にはほかほかのラーメンが食べたい。勿論味噌味、味玉つきで。にんにくが効いていたら最高だ。
恋人と暖め合いたい、けれど残念なことに恋人いない歴=年齢の喪女なのである。
付き合いたい、と強く思った経験がある。
同性愛者という存在がいることも、保健体育で習わなかったと思う。
あれは本当に世界が色づくような想いだった。
その子を私のものにしたい、と強く思ったし、彼女も同じ気持ちであってほしいと願った。
抱きしめられた時は嬉しかったし、鼓動が伝わっているのではないかと懸念し、全身が火照ってしまった。
あの頃のような気持ちにまたなれる日がくるだろうか。
辛かったけど、痛かったけど、雪と同じように溶けていった初恋だけれども。
大変なことがわかったのだけど、わたしがうんこを漏らす理由はアレルギーによるものかもしれない。
今まで漏らすときと言えばたいてい急な便意に襲われてトイレまでたどり着けないパターンで、その10割がほぼ液体だ。
液体だからこそこらえがきかないし、一度溢れ出し始めればズボンの色を染め上げるまで止まることはない。
しかし、そうした突然の便意に襲われるのはほぼ外食からの帰り道だということは経験から分かっていた。
だから大抵の場合、食後にパチンコ屋で暇をつぶして小一時間ほどで便意に襲われなければ帰るという生活を送っている。
それがたまたま人と一緒だったり車で移動中だったり知人宅に招かれて家を出てしばらくしてから便意に襲われたりと、そうした偶然がいくつか重なってしまうと惨事にまみれてみまわれてしまうのだ。
さて、事故に至る状況はこの程度にしておいてここから本題に入りたい。
増田を卒業できるかもしれないということは、つまりこの突然襲いかかる便意の原因を突き詰めることができたかもしれないということだ。
そしてその原因とは、生のネギ、もしくは玉ねぎにあるかもしれないのだ。
辛味が強いと口臭が気になるが、口臭を気にしてくるような相手もいないのでお構いなしである。
ところが、どうもやつらを口にしたあとは、ほぼ間違いなく約1時間ほどで強烈な便意に襲われることが最近分かってきた。
うんこを頻繁にもらしたことがある人間なら分かってもらえると思うのだが、いい大人になったというのに人前で限界まで括約筋を締め付けていると、自分が大人になり損ねているみたいでとても惨めな気持ちになってくるのだ。
さらにわたしが初めて人前でうんこをもらしたのは、初恋の人の目の前だった。
小学生のころ、同級生数人と連れ立って出かけた夏祭りのことだ。
友人宅で食事を終えたあと、皆で出かけていったおまつり会場で悲劇は起こった。
初恋の人の目の前ということもありながら、あの年頃だと尚更お腹が痛いという理由では皆のもとを離れることはできなかったのだ。
もう帰ろうと幾度なく提案してみたが、その願いが受け入れられることはなかった。
その場では何がおきたのか全く記憶にないのだが、翌日初恋の相手から電話をもらったのを覚えている。
「君がうんちを漏らしただなんて勘違いしてごめんね。変なことを言ってしまったことを謝ります。」
向こうから進んでなかったことにしてくれようとしたのだ。
それを聞きながら受話器を手で覆い隠しながら泣いたことだけは昨日のことのように記憶に刻まれている。
思えばあの時の昼食は薬味たっぷりで楽しんだ流しそうめんだった。
便意が括約筋をこじ開けようとする時、決まってその時の記憶の扉もこじ開けられてしまう。
小学生のあの頃から、結局なにも成長できていないままこんな歳になってしまったのだ。
突然の腹痛に襲われる度に、そんな惨めさを噛みしめる人生だった。
しかし、今回これで原因がわかればわたしはこの悪魔から逃れることができるかもしれない。
しかもそれがアレルギーという本人の意思とは別の生理現象であり、自分がいくら大人になろうとも原因さえわからなければ防ぎようのないものだというではないか。
アレルギーが見つかったことによるショックよりも、気をつけてさえいればこれからの人生でもうあんな思いを二度としなくても済むかもしれないという喜びが全身を駆け巡っていくのがわかった。
これで1時間程度の後に激しい腹痛に襲われることになったならば、それはわたしの人生の新たな始まりの知らせであり、増田の卒業を知らせる鐘の音となるだろう。
余談だが、初恋の人に対する好きという気持ちを捨てることができず、小学校の卒業式に思い切って告白をしたのだ。
彼女は僕の言葉を聞き終えると蔑んだ目で口元を歪めながらこういった。
そこまで言うと、ハッとした顔で「どっちにしてもごめんね。無理だわ。」といってそそくさとその場を離れていってしまった。
もしこれであの時の勝手大便がアレルギーのものだと証明できたのであれば、わたしはそのことを彼女に伝えようと思っている。
君に愛を告げた人間は、便意を予測できない赤ん坊のように未熟な人間だったのではなく、自覚することが難しいアレルギーを持った至ってどこにでもいる少年だったのだと。
これ以上彼女の人生においてわたしが汚物汚点であってほしくないのだ。
もう誰かの鼻つまみ者になるのは沢山だ。
恋人のことを何でも知りたいと思うのは異常だろうか。
いや、きっと思うだけならば、皆そうなのだろう。恋人のことを知りたい、隠されているのではないかと不安になる、相手を疑ってしまう。好きになったならば当然だと思う。
しかしどうして、「恋人のことをすべて知りたい」と言葉にすると、途端に胡散臭くなってしまうのか?
それは、私のような人間が、「本当に」恋人の全てを知ってしまうからである。
私だって知りたくないことはある。あるが、身体が勝手にそうしてしまうのだ。気付いた時にはPCの前で特定に向けた作業をしてしまう。曲がりなりにも知識があり、行動に移して成功させてしまうのがいけないんだ、という責任転嫁をおまけにつけながら。
世の中には知らなくていいことであふれていると知ったのは、今の恋人と付き合ってからだった。そもそも私は今の恋人以外に好きになった人も付き合った人もいない。だからそんな私が初めての恋成就させてのめりこむのは至極当然と言えるのだ。だって初恋は叶わないものだと思っていたから。
私は彼のことを好きだと気付いた初日には、もう彼の元カノ、習い事、住所(番地まではさすがにわからなかったが)、家族構成、ツイッターを含むSNSサイトのアカウントの特定、交友関係(彼の友人のフルネームおよび学籍番号、クラス)など、たいていのことを知り尽くしてしまった。正直自分でも引いた。マジでやるやつがいるか?と三日三晩罪悪感で死にそうだった。特定は続けた。
だが私は特に行動も何も起こさなかった。ここまでしておいて何もしないのかよと思われそうだが、その通りです。ただのヘタレな私は彼を目の前にしてしまうと非常に奥手で、彼に対して何かを仕掛けることも無く、接点といえば部活だけという生活を送っていた。それでも暇さえあれば彼について調べに調べ、一週間もすれば彼の幼少期の写真から今現在の写真まですべて手に入れてしまったし、なんだかやることもないし、という感じでただ彼を遠くから見守るだけだった。ちなみにリアルでのストーカー行為はしていない。彼と学校で目が合い、「おはようございます」の一言をかわすために二時間ほど学校に早く行っていたことくらいで。
(追記1)幼少期の写真入手方法についてコメントがあったので後出しで付け加えるが、これは彼の習い事のサイトで写真が公開されているのでそれを入手しただけです。これに至っては特に面白くなくてすまん。
まあこんな生活をしていれば周りの人間には当然私が彼のことを好きなことがばれるわけで、いろいろ邪推もされていたのではないかなと今になって思う。結果的には付き合えたわけだけれど、付き合ってからも前途多難というか、状況が状況なだけに思い返すとやはり大変なことだらけだったなという印象しかない。のでこのあたりは割愛。
本題はここからだ。別に今何か不自由なことがあったり、不具合が生じているわけでもない。私がネトストをしていたり彼の身元をすべて調べつくしていたのは割と早い段階で彼に話したし、私のそんなところも受け入れてくれた。こんなやばいやつを受け入れるというのも、それはそれで大丈夫か?と心配になったりもするが、彼も彼でめちゃくちゃやべえところがあるので、きっと似たもの同士なんだろう。
とにかく今も私たちは彼氏彼女なわけだが、それでも私のネトストが止むことは無い。
もちろん彼は隠し事をするような性格ではないので、特にやましいものも見つからず安心していた。浮気の痕跡も無し。R-18的なえっちなお姉さんも無し。いくらツイッターのリプライを遡ろうとめちゃめちゃ健全なわけだったけれど、遡ったら友達とのやり取りの痕跡だとか、私の知らない彼の姿があった。
それは私と付き合う前の彼のことで、私と付き合ってからは友達と隠れて連絡を取るようなことなんて一切していないし、もししていたとしても彼に聞けば「見たいの?いいよ」といって普通に見せてくれると思う。だから本来ならばそんなに気にすることではないのだが、私にはどうしてもそれが嫌だった。
ここまで長々と話していて申し訳ないのだが、結論から言うと、私の一番の欠点は、彼の過去を許せないところなのだと思う。
彼の過去を詮索するためにありとあらゆる彼の友人と付き合いを持ちそれなりに仲良くなり「そういえばこれどうだったんですか~?」と白々しく聞いてみる。
今書いてて思う。意味なくね?と。
でもその意味の分からないことをしちゃうのがメンヘラなんだよ!!!!!今まで何年も引きこもって2ちゃんやってたアニオタがリアル充実させてるだけすごいじゃねえかよ!!!!!!!
これが私の本心だ。だってそうじゃん?メンヘラと付き合うなってあれほど言ったのに。(溜息)
という感じで今私は生きているが、どうやったらこの意味のない行動を止めることが出来るのか、本当に悩んでいる。マジで。
携帯を勝手に見ようが写真を入手しようが「勝手なことしちゃだめでしょ」というだけで行動を責めない彼のやさしさが苦しくなる。しちゃいけないのはわかってるよ。でも知りたくて知りたくてたまらない。私の知らない彼が1ミリでもいると思うと気が狂いそうになる。
時々「それは愛ではなくて執着だ」と言われることがあるけれど本当にそうだと思う。私は彼に執着している。きっとこの世の何よりも。
だってそれの何が悪い?執着だって愛だ。そうやって言い訳して自分を正当化させているのはわかっているけれど、私は彼が許してくれる限りずっとこうなんだろうと思う。彼が許してくれるから、私は変わらないままストーカーでメンヘラなクソ女なんだ。
でも今の自分嫌いじゃないよ。彼が好きだって言ってくれるから自分のことはちゃんと好きだよ。
誰に異常と気持ち悪いと言われようと、これが私の愛ならそれでいいと思う。本当はね。
冬になるといろんなことを思い出すから、こんなことを言いたくなってしまっただけです。ごめんなさい。
ただひとつだけ言うとするなら、行動に移した時点で、何かが変わるよってこと。それはいい方向にも悪い方向にも行く。丸投げかもしれないが本当にそうだ。
私は彼が許してくれる人だったからいい方向に行けたけれど(嫉妬していくら詮索しようとも怒らないどころか可愛いと言ってくれる人だから)、普通はそんなにうまくいかないはずだから。
まあ、なんだ、盛大なノロケです。だからいつかこの記事がぽっと消えることもあると思うが、大したものでもないし、見てくれる人もそういないと思うので、それだけです。
(追記2)法について言ってくれた人ありがとう!!!深夜テンションで書き殴ったのでやばいこと書いてましたね。本当助かりました;;
他の人のコメントも全部読みました。反応がきたらそれは批判なんだろうなと思っていたので、すごく驚きました。世界はやさしいって本当ですね。皆さんありがとう、心から感謝します。
本当はまだ書きたいこともあるけれど書ききれなかったし、「自分のしたことを正直に告白する方が自分のためになる」と言ってくれた方もいたので、また別の機会に書けたらなと思います。
一人語りごめんなさい。それではみなさまおやすみ。私みたいなメンヘラには気を付けるんだぞ。気付いたら読んだ覚えのないメールに既読がついているかもしれないよ。
恋人のことを何でも知りたいと思うのは異常だろうか。
いや、きっと思うだけならば、皆そうなのだろう。恋人のことを知りたい、隠されているのではないかと不安になる、相手を疑ってしまう。好きになったならば当然だと思う。
しかしどうして、「恋人のことをすべて知りたい」と言葉にすると、途端に胡散臭くなってしまうのか?
それは、私のような人間が、「本当に」恋人の全てを知ってしまうからである。
私だって知りたくないことはある。あるが、身体が勝手にそうしてしまうのだ。気付いた時にはPCの前で特定に向けた作業をしてしまう。曲がりなりにも知識があり、行動に移して成功させてしまうのがいけないんだ、という責任転嫁をおまけにつけながら。
世の中には知らなくていいことであふれていると知ったのは、今の恋人と付き合ってからだった。そもそも私は今の恋人以外に好きになった人も付き合った人もいない。だからそんな私が初めての恋成就させてのめりこむのは至極当然と言えるのだ。だって初恋は叶わないものだと思っていたから。
私は彼のことを好きだと気付いた初日には、もう彼の元カノ、習い事、住所(番地まではさすがにわからなかったが)、家族構成、ツイッターを含むSNSサイトのアカウントの特定、交友関係(彼の友人のフルネームおよび学籍番号、クラス)など、たいていのことを知り尽くしてしまった。正直自分でも引いた。マジでやるやつがいるか?と三日三晩罪悪感で死にそうだった。特定は続けた。
だが私は特に行動も何も起こさなかった。ここまでしておいて何もしないのかよと思われそうだが、その通りです。ただのヘタレな私は彼を目の前にしてしまうと非常に奥手で、彼に対して何かを仕掛けることも無く、接点といえば部活だけという生活を送っていた。それでも暇さえあれば彼について調べに調べ、一週間もすれば彼の幼少期の写真から今現在の写真まですべて手に入れてしまったし、なんだかやることもないし、という感じでただ彼を遠くから見守るだけだった。ちなみにリアルでのストーカー行為はしていない。彼と学校で目が合い、「おはようございます」の一言をかわすために二時間ほど学校に早く行っていたことくらいで。
(追記1)幼少期の写真入手方法についてコメントがあったので後出しで付け加えるが、これは彼の習い事のサイトで写真が公開されているのでそれを入手しただけです。これに至っては特に面白くなくてすまん。
まあこんな生活をしていれば周りの人間には当然私が彼のことを好きなことがばれるわけで、いろいろ邪推もされていたのではないかなと今になって思う。結果的には付き合えたわけだけれど、付き合ってからも前途多難というか、状況が状況なだけに思い返すとやはり大変なことだらけだったなという印象しかない。のでこのあたりは割愛。
本題はここからだ。別に今何か不自由なことがあったり、不具合が生じているわけでもない。私がネトストをしていたり彼の身元をすべて調べつくしていたのは割と早い段階で彼に話したし、私のそんなところも受け入れてくれた。こんなやばいやつを受け入れるというのも、それはそれで大丈夫か?と心配になったりもするが、彼も彼でめちゃくちゃやべえところがあるので、きっと似たもの同士なんだろう。
とにかく今も私たちは彼氏彼女なわけだが、それでも私のネトストが止むことは無い。
もちろん彼は隠し事をするような性格ではないので、特にやましいものも見つからず安心していた。浮気の痕跡も無し。R-18的なえっちなお姉さんも無し。いくらツイッターのリプライを遡ろうとめちゃめちゃ健全なわけだったけれど、遡ったら友達とのやり取りの痕跡だとか、私の知らない彼の姿があった。
それは私と付き合う前の彼のことで、私と付き合ってからは友達と隠れて連絡を取るようなことなんて一切していないし、もししていたとしても彼に聞けば「見たいの?いいよ」といって普通に見せてくれると思う。だから本来ならばそんなに気にすることではないのだが、私にはどうしてもそれが嫌だった。
ここまで長々と話していて申し訳ないのだが、結論から言うと、私の一番の欠点は、彼の過去を許せないところなのだと思う。
彼の過去を詮索するためにありとあらゆる彼の友人と付き合いを持ちそれなりに仲良くなり「そういえばこれどうだったんですか~?」と白々しく聞いてみる。
今書いてて思う。意味なくね?と。
でもその意味の分からないことをしちゃうのがメンヘラなんだよ!!!!!今まで何年も引きこもって2ちゃんやってたアニオタがリアル充実させてるだけすごいじゃねえかよ!!!!!!!
これが私の本心だ。だってそうじゃん?メンヘラと付き合うなってあれほど言ったのに。(溜息)
という感じで今私は生きているが、どうやったらこの意味のない行動を止めることが出来るのか、本当に悩んでいる。マジで。
携帯を勝手に見ようが写真を入手しようが「勝手なことしちゃだめでしょ」というだけで行動を責めない彼のやさしさが苦しくなる。しちゃいけないのはわかってるよ。でも知りたくて知りたくてたまらない。私の知らない彼が1ミリでもいると思うと気が狂いそうになる。
時々「それは愛ではなくて執着だ」と言われることがあるけれど本当にそうだと思う。私は彼に執着している。きっとこの世の何よりも。
だってそれの何が悪い?執着だって愛だ。そうやって言い訳して自分を正当化させているのはわかっているけれど、私は彼が許してくれる限りずっとこうなんだろうと思う。彼が許してくれるから、私は変わらないままストーカーでメンヘラなクソ女なんだ。
でも今の自分嫌いじゃないよ。彼が好きだって言ってくれるから自分のことはちゃんと好きだよ。
誰に異常と気持ち悪いと言われようと、これが私の愛ならそれでいいと思う。本当はね。
冬になるといろんなことを思い出すから、こんなことを言いたくなってしまっただけです。ごめんなさい。
ただひとつだけ言うとするなら、行動に移した時点で、何かが変わるよってこと。それはいい方向にも悪い方向にも行く。丸投げかもしれないが本当にそうだ。
私は彼が許してくれる人だったからいい方向に行けたけれど(嫉妬していくら詮索しようとも怒らないどころか可愛いと言ってくれる人だから)、普通はそんなにうまくいかないはずだから。
まあ、なんだ、盛大なノロケです。だからいつかこの記事がぽっと消えることもあると思うが、大したものでもないし、見てくれる人もそういないと思うので、それだけです。
(追記2)法について言ってくれた人ありがとう!!!深夜テンションで書き殴ったのでやばいこと書いてましたね。本当助かりました;;
他の人のコメントも全部読みました。反応がきたらそれは批判なんだろうなと思っていたので、すごく驚きました。世界はやさしいって本当ですね。皆さんありがとう、心から感謝します。
本当はまだ書きたいこともあるけれど書ききれなかったし、「自分のしたことを正直に告白する方が自分のためになる」と言ってくれた方もいたので、また別の機会に書けたらなと思います。
一人語りごめんなさい。それではみなさまおやすみ。私みたいなメンヘラには気を付けるんだぞ。気付いたら読んだ覚えのないメールに既読がついているかもしれないよ。
1999 年っていうのは、ぼくの興味はロックからテクノに移っていた頃。J-POP なんてのにはまったく興味持てなかったけど、居間でミュージックステーション映ってて、「うっさいなー」とか思いながらごはん食べてた。
次の出番は、宇多田ヒカルっていう子。あー、"Automatic" の子ね。タモさんとのトークもそこそこにステージへ。曲名は "First Love" 作詞作曲:ともに宇多田ヒカル、だって。ふーん、初恋の歌ね。まあ、十代の子が書くポエムにありがちwでもよく言えばピュアな題材だねww
ふむ、バラード。
ハッ…!なんだこの歌い出しは…っ?! いきなりキス描写!つーか、なんだその妙に大人びた味表現!!演歌か?!?! R&B 風情がやりたかったんじゃないのか。ビックリした!
あしたの今頃には あなたはどこにいるんだろう
わわっ。突然、あしたの話になった。そして「どこかわからない」とこの歌世界の空間も一気に広げてきた。かつ、どこか「わからない」喪失状態…ッ!この宙吊り感は、あれだ…恋だ。恋の歌だわこれ。この不安とワクワク感。恋だ。
だれを思っているんだ
えっ…?!まさか、失恋?! 早い!展開早い!でもしかたない!それが first love の宿命だからッ…!ていうかなんだこの小娘、まだ子供のはずじゃ?!?!失恋のことを完全に表現している。
ダハー
やべー!!!!ここでサビかっ!すごい…なんだこれは。おれもうこの子から1秒たりとも外すことができなくなってる。
明らかにこの歌のサビだ。だけどこれ、歌謡曲のサビじゃねえ。この一段まったりとしたというかハズした感じ… R&B 的と言ってよいかわからないが、このテンポとリズムと…歌唱力。そしてこの子の落ち着きはなんなんだ。そんなことよりも、メチャクチャ綺麗なメロディーだ。わわ、だめだもうこの子に夢中だ。なんだこの才能は。歌詞とかもはや、よくわからなくなってきた。
いまはまだ悲しいラブソング/あたらしい歌、歌えるまで
ああ…おれはずっと、この子があしたを不安にしていることについてばかり考えていた。ところがだ。この子は自分で気持ちを改めて未来のことを語り出した。なんて強いのだ。そして正しい。悲しさに溺れていてはいけないんだ。宙吊りにされてまさかその直後で学ばせられるとは。許してくれ、この子この子いって申し訳なかった。
…そしてこのあと2番がつづき、コーラス(サビ)のリフレインという構成である。いまさらながらリフレインの素晴らしさを改めて感じ取った。感動である。そして、うしろからすすり泣く声が聞こえたから見てみると、いま俺が目撃した凄まじい音楽を同じように聞いていた母親が箸を置き、もう目を真っ赤にして泣き崩れていた。このとき、母親もかつては少女だったのかもしれないと初めて思った。
サザンオールスターズがデビューした年にはまだ生まれてないから知らないけど、ベストテンで初めて「いとしのエリー」流れたときもこんな感動だったのかな?なんて想像をする。そしてこの感動からかれこれ 17 年経って世の中も変わったけど、さすがにこんな「衝撃」と呼んでしかるべき才能にはなかなかお目にかかれないよなって思ったのは Keep Tryin' のビデオ見てたら町あかりを思い出したからで、才能の種類としてもたぶん同類なのに町あかりは「衝撃」とは表現できない。
彼は、ビー玉のように丸く大きな瞳と、優しげに垂れた眉、主張の少ない鼻と口元が綺麗に収まったその顔をくしゃくしゃにして笑う人だった。
いつも自分の名前より先に名乗る横文字があった。膝より高く足を上げ、腰より高くジャンプして踊る、アイドル。その特徴的な声は、話す時も歌う時も彼にアクセントを与えた。
どうして彼に惹かれたのか、いつ好きになったのか分からない。正確には『覚えていない』。今となってはそれはとても悔しいことなのだけれど、仕方ないと思うようにしている。
私は4歳だったから。
物心ついた時にはもう彼が私の心の中心にいた。大きくなったらお父さんと結婚する!という父親泣かせの常套句と等しいようなテンションで、私は大きくなったら彼と結婚する!と言って憚らなかった。
軽快なピアノの音から始まる曲と共に、4歳の私は彼と彼の仲間たちの虜になった。
私が5歳になる頃、25歳の彼は大晦日に行われる国民的番組を仕切る役目を任されていた。
私が10歳になる頃、30歳の彼はきっとこの先も歌い継がれるであろう国民的大ヒット曲を発売した。
私が15歳になる頃、35歳の彼はオリンピックのメインキャスターとして現地に赴きその熱狂を伝えていた。
いつの間にか初恋の人に対する感情はほぼ親に対するようなものへと変化していった。仕事ぶりへの尊敬と、健康の心配、どちらも尽きない。結婚したい!と言っていた人に、今は介護させてくれ…と言うようになった。
今の私に、当時の彼が成し遂げたことはきっと何もできないだろう。そんな無力感に襲われるが、彼は24歳であそこまで出来ていたんだから、私にだって何かできるはず、何かしなければ、という気持ちにもさせてくれる。
彼はもうすぐ“アイドル”の壇上から降りてしまうという。一報を聞いてから1ヶ月半が経つが、未だに理解が追い付かない。3か月先のことは正直まだ考えられない。それでも心の準備はしておかなければ、という思考回路になってしまうのは、何事も事前の準備を怠らない彼の影響なのだろう。
大事な大事な番組とお別れすることになった際の彼の言葉を拝借して彼というアイドルとのお別れの言葉にしたいと思っている。
『あなたを好きになって20年間で、「もう成人だから卒業していいんだよ」と言ってくれてるんじゃないかなと勝手に解釈をして、今後も「私は中居正広ってアイドルがずっと好きだったんだよ」と、胸を張って恥じないように、生きていきます。』
しかも対象と自分のエロシーンとかじゃなくて、対象Aの一人エロとか、対象ABのホモを傍観者の気分や立ち位置で見ないと興奮できない。
これが普通だったらたぶん、Aと自分のエロを妄想したりするのだろうけれど、自分がその中に入るのは断じて許せないし一気に萎える。
女性の裸は気持ち悪い とかじゃなくて 申し訳ない とか 汚せない とか そんな感じの感情が沸いてどうにも妄想できない。
女の子のエロシーンとか、みててすごく罪悪感わいて性的に見れない。
というかこの年になっていまだに初恋もまだなせいで、自分の恋愛対象が男か女かわからない。
性的欲求対象でいえば間違いなく男だけど、結婚したい相手や、恋をしたい相手はわからない。
性的認識はグラデーションというけれど、自分はまだらすぎてどこに属しているのかいまいちわからない。
だれか教えてプリーズ。
率直に言って12話は最悪でした!!!!!!!!!!!!!!!!
これまでもいくつか「んっ?」と思うようなところはあったけれどそれを上回る魅力があったので我慢しました(吠える犬たちの命がけドッキリ許さない)。
でも12話はあまりにもひどい。夜叉丸さんの陰謀が明らかになるとかそんなことより何より(そもそも不穏な展開だったから夜叉丸さんのことは諦めていました^^)
最後の最後で結局お前らもヒロイン至上主義なのかよというところがどうしても我慢ならなかったので増田に書き散らすことにします。
BプロのA&R(恥ずかしながらwikipedia等をみてもA&Rについての正しい理解はできませんでした)として頑張ってきたすみそらつばさちゃんは大変ご立派な方です。と、監督は申しております!!!!!!!
いきなりCDショップのポップ描きのお姉さんからレコード会社の謎の職業とか無理みの極みだよね大変だったね!!!!!!!!!でもさ!!!!!!!!!
「応援してくれるファンのために」歌って踊るっていうことをめちゃくちゃ主張してきてませんでした?
(少なくとも私とその周辺のオタクたちはそう感じていた)
それなのにあのラスト、俺たちのA&Rのために歌いますな無敵*デンジャラス!!!!!!!!散々CMでテレレレレ~~~~~ンテ~レテッテ~レテ~レッテ~レテ~レ~~(ここであしゅうくんのナレ)だけ聴かされてきたからめちゃくちゃ楽しみにしてたのにこんな展開になるんだったら聴きたくなかった見たくなかった…(いや曲自体は最高だったし衣装もこれこれ!!って感じで好きでしかないですありがとうございますCD買います)。
似た系統のアイドルものの中から特に比較対象にされやすい某うたのプ…もヒロイン至上主義だけどまだ原作が乙女ゲームだから頑張れば「あら私のために歌ってくれているのね♡」と思えないこともないじゃないですか。
でもBプロはそうじゃない、最初からつばさちゃんという主人公(ほんとはこの紅一点主人公制度嫌いだけどまた別の話なので)がいて彼女とBプロの物語としてアニメがスタートしているんですよ。
だから今更主人公に投影型夢女子に優しい展開にされても意味分かんないし尺足りてないしそもそも夜叉丸さんを悪役にする必要あったかこれ…?(最後はキラキン含めたBプロみんなの""""""徳""""""を集めてお祓いでもするの??)
ここまでファン目線で応援してきたから急にアイドルたちが特定のひとりに対して歌う構図がとても残念でした。
Bプロの何が良かったってこれまでに少なかった乙女要素の少ない純粋なアイドルアニメとして楽しめる点だったはず…
アイドルのドキュメンタリードラマを追っているような、少ハリとか…アイドルじゃないけどスタミュとか…そういう系統であの絵柄とあの楽曲素敵なOPが楽しめるっていう…そこじゃなかったんですか…
なんで急に俺たちのA&R♡♡♡なんですか…アイドルってファンのために歌ってくれるものじゃないんですか…私がアイドルに夢見すぎなだけですか…
なんだか急に辛くなってきたからもうこのあたりで〆にしたいと思います…
何が言いたいかっていうとアイドルなんだから誰か一人のためじゃなくて最後の最後までファンのために歌ってください!!お願いします!!!!!!!!
もうアイドルと作曲家とかA&Rとかマネージャーとかが厚すぎる信頼関係を築く展開になるのアニメは懲り懲りです!!!!!!!!!!
アイドル好きはアイドルと恋愛したい人ばっかじゃないんです!!!!!!!!!
……………。
デンジャラスな課金、いっぱいするから今度は(二期やってください…)ちゃんとファンに向けて最終回まで歌うことを貫き通してください…。
(脚本のあの人は初恋モ●スターも見事に最終回ぶん投げて終わりにしてくれたことですし(ご指摘ありましたが確かに原作あれだからぶん投げては無いですねすみません)しばらく作詞だけしてくれればいいです。)
断っておくが、初恋人ではない。というか自慢じゃないが、結構モテる。高校生くらいから女性関係が絶えたことはなかった。約30人の友人女性と性的関係を持って、その中から何人もの女性と交際した。婚約までいった女性もいたが、どうにも自分自身に納得がいかず、結婚までにいたらなかった女性もいた。
ただ、どの女性にも共通して、心の底から好きじゃ無い、という感情を持っていたことだ。すごく相手の女性には失礼な事は重々理解している。たいていの場合、飲み会やイベントなんかで盛り上がって、そのまま肉体関係を持ってしまうことがほとんどだった。その場のノリであって、毎回事が済んだ後に、「あーやってしまった」と後悔することが多かった。もちろん女性側は恋愛感情を持っていることがほとんどで、そのまま交際という流れになった。ただ、自分自身がそこまで強い恋愛感情を持っていないので、どうにも世の中の恋愛観とかけ離れていて、「俺は世の中の一般人とは恋愛に対する姿勢が違うんだろうな」とよく感じていた。「彼女が可愛くてたまらない」とか、「彼女が浮気なんて絶対に許せない!男友達と連絡!?ありえない」とかそういう感情は一切持ち合わせてなかった。もちろん、交際をしているわけなので、誕生日やデート、Lineなどちゃんとやったし、たぶん世の中の男性以上にしっかりやっていた。つまり理想的な男性像を演じきっていた。当然、交際中の女性にも好かれていた。
交際していて別れるのは、たいてい決まって同じ理由だった。本気じゃないことがうすうすバレて(バレて良いんだけども)、「あなたと一緒にいても、結婚できる気がしない」という理由がほぼ全てだった。大正解。こちらにも、その気はなかったのだ。ある意味、デキ婚を望んでいた。だって、色々決まって楽だなぁと思っていた。といっても、ある程度期間が積もると、情ができて、別れるときは結構寂しい気持ちにもなっていたのも正直なところなのだ。
数ヶ月前、同様の理由で交際していた女性と別れた。もちろんショックを受けたが、この女性もその場の勢いで交際がスタートした相手だった。結構楽しく過ごしたし、色々思い出も作った。
別れた事は悲しかったが、それはどちらかというと友人を失ったような喪失感だったと思う。
ちょうど女性関係が極めてクリアな状況になったので、自分が好きな女性にアタックしてみよう。という気持ちになった。
相手は、年が一回り下で、すごく可愛い。おしとやかで、すごく上品な人だった。周囲からの評価も抜群な女性である。その人とは共通の趣味で知り合って、こちらの活動領域にわざわざ遠いにもかかわらず1年以上来てくれていた。周囲にも「おまえがいるからあの子来てるんだよ」と吹聴されていたが、正直なところ「俺とは不釣り合い」だと思っていた。それぐらい素晴らしい女性だった。こんな女性と交際できたらいいなと思うことはあったが、前述の女性と交際していたために、その気持ちは胸の奥にしまっていた。
先月、連絡がきて二人で遊びに行くことになった。もちろん手も繋がないような観光をして軽く食事をして、そのまま普通に帰宅した。でも、その3日後にまた、軽く食事をすることになった。連絡を頻繁にとるようになって、先月だけで7回も遊びに行った。最後には、交際を申し込んでいた。すぐにOKされた。
その後自分自身に、信じられないような変化が起きた。猛烈に彼女のことが「好き」なのだ。不思議な感情だった。こんな年をとって、まるで小学生で初めて恋をしたかのような感情を再び体験するとは思わなかった。連絡がとりたいと思うけど、「連絡取ったら迷惑かなぁ」なんて思ったり、無性に会いたくなったり。それで、会いに行ったら向こうからも大喜びされて、その日帰宅するのが惜しくなったり。世の中の普通の「恋愛」をしている事に大きな喜びを感じている。
この感情がいつまで続くかわからないが、人生観が大きく変わったことは間違いない。こんなに素晴らしいものだとは知らなかった。最初から興味の無い女性と関係を持つべきじゃ無かったと思うけれども、もし昔からそうだったら今の女性と関係を持つことはできなかったと複雑な想いでもある。
その本物本気はどういう定義なんだよ。
本物、って何?
それどうやって判断して区別できんの。どこからが本物でどこまでがそうじゃないの。
どう違うんだよw
「本気で好きになると違う」とかさー 自己陶酔を共有しあってるんじゃないよ。
それにそんな運命の相手()と結婚したところで、待ってるのはトイレのタイミングや音も気にしてられなくなる現実的な生活だぞ。
ロマンチックな「男女」、の関係なんてすぐに「家族」に上書きされるんだよ。
…なんてなー。
まぁこういういちゃもんつけたがるのは、大体がそうであるように
やっぱり本当はどっか羨ましいんだよね。
高1の時に彼氏ができて、そこそこ名の知れた大学に入ってそこでも数人と付き合って、
そこそこのとこに就職し約3年付き合った安定した彼氏と27で結婚した。
今の時代にしては早い方だろうし簡単に言えば周りから見ると勝ち組ってやつかもしれない。
結婚しても自分の腹は割ってないところがあるというか、相手は自分の腹黒さを知らないとは思うが
かわいがられているし、気が合うし、ずっと一緒にいられそうだし、安泰。
別に不満もない。不満なんてない。
はずなのに、人の熱量や糖度の高い恋愛話や純粋なラブストーリー的なのがもてはやされたりしてるのを見聞きすると、
心の端がざわざわして、なんかイライラしてきて、ケッ!!と言いたくなる。
多分だけど、そういうめくるめくような「本物の恋」に出会えたり、
心が震えるような、会いたくて会いたくて西野カナみたいな「ヤバイくらい好き」になれるのにも、
自分はロマンチックな、ドラマチックな、或いは純度の高い恋愛ができるポテンシャルが、きっともともと低かったんだ。
あとはうまくいくと思った初恋で傷つくことがあって、どこかをこじらせたせいなのかもしれない。
他に考えられるケッと言いたくなる原因の一つには、
こんな自分でも一瞬そういう恋の入口に立ったような気がした経験があったからではとも思う。
みじんも分からない訳ではないが故の?
相手が昔の月9ラブストーリーの主人公みたいに人間が爽やかでキラキラしてて、
人に媚びるのなら得意でせいぜいメッキの女子力しか持ち合わせてしかない自分では、同じ次元に立てなかったけど。
なんか、その周りの人達みんななんともナチュラルなモテ感があって。
あーー、自分も大恋愛とか言うやつをして、死にそうなほどときめいたり、切なくなったりしたかった。
数年間忘れられなかった男性と会うことになった。
その男性は私にとって初恋の人といえる人で、付き合えないまま恋はひどい終わり方をしてしまいつい最近まで彼のことを引きずっていたのだが、時間が経ったのと彼氏ができたことで傷が癒えてきたので会うことに決めた。自分の気持ちに区切りをつけたかったのがいちばんの理由だが、その人と1回セックスしたら過去の自分が浮かばれるような気がしていたので、どうにかその方向に持っていくつもりもあった。
ご飯を食べた後、私から誘うまでもなく彼から「この後どうする?まだ時間あるけど休憩する?」と聞かれ、その言葉に素直についていった。
彼氏とは来たこともないような高いラブホテルへ行って、セックスするには充分すぎる部屋に入った瞬間、「あ、やっぱり無理かも。」と思ってしまった。
彼にキスされたとき、「気持ち悪い」「怖い」「嫌だ」という感情しかなくて、前戯がこんなに気持ち良くないことなんて今までになかったことだった。もちろん濡れなかった。パッサパサだった。
彼とはできなかったけど、気持ちに区切りはついたと思っている。付き合っている彼氏には悪いことをしたし、これは立派な浮気だけど。やっと彼に対する色んな感情をきっぱり切ることができて良かった。
まずはじめに、(対価のない)残業とか長時間労働は、悪であるっていうのは異論がない。
じゃなんでこんなドラマ作ってるんだよ、糞野郎死ね、と言われれば反論のしようがないんだけれど視点の補足として2点ほど足したい。
ひとつめは、僕等としては残業を戦いたいわけじゃなくて苦闘みたいなものを描きたいんだよ。物語上の要請として、成功や勝利の全段階として、苦戦や熱戦の描写が必要だ。これは物語設計上の問題なので、もう、どうにもならん。エンタメとして人間が楽しめるパターンは限られてる。難問の提示→工夫や挑戦→解決(勝利)という構造は、壊せない(壊してもいいけれど、エンタメとしては大衆に訴求できなくなるだけだ)。
もちろん、「苦闘」という抽象的な設計要請を「長時間労働やブラック労働描写」にする必要はない。感情導線を作中のどういうエピソードとして描くかは、作者(この場合脚本家か)の腕の見せ所だ。他の苦闘描写にすればいいじゃねえか、と言われれば、Yesだ。それが視聴者や読者に不快しか与えないのは、作者側の技量不足、というほかない。という原則論を先ずは掲げておき、次には「じゃあ、現代日本の作者の平均的技量はどうか?」という視点で見てみると、例示されたテレビドラマの脚本家が著しく能力に劣るとは思えない。「家を売るための工夫」みたいな部分で、じゃあ他にどんな描写が出来たか、新素材開発の技術者敵苦悩? 銀行の根回しの政治闘争? どれも尺的な問題や、他のドラマ部分との整合性で難易度が高そうだ。もちろんそういった変わったエピソードを迫真性を持って描ける有能な作者もいるがそれは平均レベルではない。
(すべての作者や脚本家は有能であれ! という意見は一理あるが、それが現実の社会で実践できるかは、増田全員が自社や自分の身の回りを見回せば納得してくれると思う。創作者の世界だって、有能な人間の割合は変わらないのだ)
二点目の問題として、「このシーンは苦戦、苦闘のシーンなのだ」というのを視聴者に伝えるエピソードとして、ブラックな労働というのは、視聴者からみて「理解可能」なのだ。作家(脚本側)は、この「理解可能」という制限範囲内でしかものを作れない。その範囲を超えてしまうのは、芸術としてはありかもしれないけれど、大衆エンタメとしてはNGだ。増田がそのブラック的な業務(っていうか、子守って業務なのかどうかわからないが)をみて「これはひどい」と思ったのなら、それは「ヒドいシーンを描こう」という目論見が成功した結果だ。
たとえば、プログラマなどはその業務において、本当にクリエイティブなのは頭のなかで実装アイデアを考えている瞬間だ。そこに快楽とブレイクスルーの高揚があるとは思う。しかし、その瞬間は、他人から見れば散歩中であったりモニターの前で空中を見つめているだけだったりする。それを「熱戦」であったり「苦闘」だと、圧倒的多数の視聴者は理解できない。同じオフィスで働いているOLだって理解できないくらいだ。理解できるようにドラマ的な補助線を引いてやるなり、読者視聴者に分かる程度に戯画化してやるしかない。「ムカつく糞ガキの子守」というのは、この戯画化の結果だ。
つまり、件の展開は作家・脚本家の工夫の結果だといえるだろう。
第三に、ドラマなるもの、エンタメ創作は「特別なもの」を描くものだ。これは、もうすこし常識として言語化されていいものだと思う。なんでコナンではあんなに殺人がバンバン起きて密室が出てくるのか? それはそれが「特別なもの」で「常とは異なるもの」だからだ。「だからこそあえてそれを描いて世に表す価値がある」という考えのもと、エンタメとして成立している。青春時代の初恋や、大正時代なハイカラ女性の自立や、銀行員の造反もそうだ。日常系の物語でさえ「日常の中のちょっとした特別」という意味で特別を描く。描くという行為そのものが、その描いたシーンを描かずに省略したシーンに比較して特別にするという創作的な処理なのだ。
その「描かれた特別なもの」を「一般社会常識に反している」という視点で糾弾してしまうと、エンタメ作品の多くは枯れ果ててしまう。件のドラマは、逆に言えば「一般社会ではあっという間に糾弾されてしまうような『特別な』ブラック労働なので、あえてそれを描いたのだ」といえるだろう。
もちろん(対価のない)残業とか長時間労働は悪である。それを礼賛するような「描き」になってしまったのは、前述したように作家・脚本家側の技量不足である。しかしながら、以上3点の視点補足が、この種の問題に対する考察の糧となってほしい。