2016-12-12

自分に見切りをつけて風俗に行った話

これは気持ち悪いタイプ自分語りです。

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気になっている女性がいて、相談に乗ったりとか二人で食事とかをする仲の女性が居た。

彼氏が居る、というような話は別の友人から聞かされており、あまり意識とかしない方が良いのだろうなということは分かっているつもりだった。

そう、分かっているつもりだった。つもりだったのである。理性で理解していても、心に溜まるものは確かにある。

気付くと、職場飲み会で気になっている女性が居るということを僕は喋ってしまっていた。

妙に甲斐甲斐しくアドバイスをくれる同僚たちを思うと、こうした状況を話すこともままならず、アドバイスを受け流しては自分の中にまた何かが少しづつ積もっていくのを感じることとなった。

こうして積もった何かが、今回は結果的に弾けて自身へ見切りをつける要因の一つになったかのように思う。

当然、勝手に心に何かを積もらせている自分けがよくない。アドバイス自体は大変素晴らしいもので、自分人生が少し違っていればまた変わったのだろうなと思いながら受け流し続けていた。

そうしてあるとき自分の家でその女性と友人たちと僕で飲もうという話になった。

自分は魂が童貞なので、女性自分の家に上げることに一定の抵抗があったのだが、この時期だと店は空いていないし、雑にやろうと言うことで一番広そうな自分の家でやることとなった。

自体普通大学生のような宅飲みで、普段おっさんだの衰えただの言ってる割には皆元気だなオイと思いながら、酔っ払ったぼくは早々に潰れ気味になっていたのだが、来客たちは帰る気配が無く、終電は近付いているのに座したまま談笑している。

終電が〜みたいなことを言っても聞かぬまま、そうして終電の時刻は過ぎ去っていき、全員が自分の家に泊まることとなった。

彼氏居ないのか!? 心配するんじゃないのか!? みたいなこと心の中で思っていた気がするが、自分はブッ倒れていたのでもうよく覚えていない。

そうしている内に朝になり、起きて部屋の片付けをしていると「旦那が〜」みたいな声が聞こえてきて、どうやら最近その相手漫画をまとめて買い直したために置き場が無くて困っているというような話のようだった。

あ、彼氏というか結婚相手?居るんですねちゃんと と思いながら、自分の心の中がグチャグチャし始めているのが分かった。

そうした相手が居るにも関わらず男性数人の居る環境で泊まり込むこと

自分は異性として見られていないのだろうということ

そうしたグチャグチャした微妙気持ち最後自分の心の中に溜まっていた「何か」の存在顕在化させた。

「何か」とは「こうしたことをアレコレ考えて無駄疲れたり凹んだりする自分の心の動きを面倒くさいと感じる自分」だった。

そうして最終的には「相手が居るなら頑張る必要とかないし、別にどうでもいいか」となった。

「誰かを関係を築くのであれば、それ相応の時間的金銭的・精神コストを支払わなければならない」

というのは恋愛市場における弱者男性たる自分でも理解できているのだが、とにかくこうしたことにコストを支払いたくないという自分気持ちが大部分を占めており、加えて自分が求めるのならばかなり本腰を入れなければ良い相手とはそういう仲にはなれないのだろうとは思っていた。

そして今回の出来事自分にとってそれは無理だということがハッキリして、顕在化した怠惰は僕に「今後コストを支払っても自分にとって納得の得られる結果はまず得られないだろう」と叫び続けていた。

2X歳まで生きてきて、マトモで運があった人間だったらきっともう隣にはあるべき人が居て、自分のようなマトモですら無く運も無かった人間が誰かを求めようとしても、もう選択肢などあまり残されていないのだろうと。

そして何より、自分自身改善や誰かを探し巡り会うことにコストを支払い続けても、自分が誰かにとって良い異性として認識してもらえることが本当に想像できなかった。

生涯初の風俗に今回手を出したのは、それならコストを払うにしても刹那的快楽を求めるほうが割に合ってるなと思えたから。

相手はとてもサバサバした娘で、実際行為自体はとても良かったのだけれど、それ以上に二人で寝転びながら他愛のない話をしている時間が本当に良くて、世の中の厳しい社会で生きている人々は大切な人とこうして支え合って日々を生きているのだろうなという気持ちになれた。

60分を過ぎ、帰り道「風邪引くなよ」と言われ背中を叩かれたあの時の嬉しさの気持ちが、店の娘ではなく本当に大切に思える人に対して抱くことが出来る人生だったらよかったのにと思ったけれど、それは「仕事」としてやってくれた店の娘に対して失礼であるし、何より自分にとっては傲慢ことなのだろうなと思い、心の中で自分人生に見切りをつけた。

自分の横にはきっと生涯誰も来ることはないだろう。

支えられることもないだろう。

それでも生きる必要がある。

生きて何かをやっていく必要がある。

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