はてなキーワード: 初恋とは
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
■
身体にはささやかながらも胸がありますし、脚の間にご立派様は御座いません。
それは女らしく振る舞うことです。
特に女の格好をすることに、強い抵抗を感じました。
その抵抗感は、年齢を経るごとに強くなっていきました。
失礼な感想ですが、イケメンなわけでも、センスが凄い良いわけでもありません。
ただ、さり気なく着られているその服がよくお似合いなのが、羨ましくて仕方ないのです。
男になりたいわけではないのです。
ただ、自分が女だと自覚するのが、気持ち悪くて仕方ないのです。
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女であることが、耐えがたいまでの苦痛になったのは1年弱ほど前の事です。
所謂ナンパに遭い、異性の目に女として写っていることを知ってしまったのです。
根暗でオタク臭いのでチョロそうに見えたのでしょう。今時は田舎でも油断はできませんね。
村社会で噂が広まりやすいため、地元の人はまずそんな手には出ませんが
勝手に喋ってくれた情報によると都会から越して来たばかりのようでした。
しつこく付きまとわれ、なんとか撒いて遠回りしながら家に帰りました。
不審者に声を掛けられただけでも十分にショックだったのですが(無事で良かったなマジで)
念のためおまわりさんに相談して、周囲には気を付けるように、外出は控えるように…と注意を頂き
担当の方に直接連絡できる番号を頂いてひとまず今のところ平和に過ごしています。
決して男にはなれないと、お前は女なのだと。
この苦痛は友達や親にも相談できないまま、今の今まで蟠っています。
■
LGBTはグラデーションと言いますが、その中にXという分類があります。
男性でも女性でもない、縛られない性別として生きようという人たちのことです。
自認だけならそれでいいかもしれない。
無理して女の格好をするより幸せです。
そればかりは覆せません。
僕は男らしくしたいとは思わない。けど女ではありたくない。
LGBTへの理解は深まるべきだし、活動を応援したいとは思うけど、
「僕は死ぬまで女に見られながら生きるしかないのだろう」という諦念が
全てを暗く覆っている感じがします。
■
恋愛にも興味がなかったので、恋愛対象もよくわからないのです。
アニメやゲーム――所謂二次元で好きなキャラクターは男性です。
線の細いイケメンより、強くてかっこいい男前な戦士キャラが好きです。
見た目だけなら男性のほうが好みなのです。
単に女性嫌いなのかな、とも思いました。
実際女性同士の慣れ合いやぎすぎすした感じは嫌いです。
しかし、この思いを恋愛感情と定義するなら、今好きなのは女性の方です。
情けないですが初恋です。
特別な関係になりたいとはめちゃくちゃ激しく思いますが、現実になれるとは思ってません。
第一、理解はあれど彼女はヘテロでしょうし、互いに幸せにならないでしょう。
実はさりげなく告白して華麗にスルーされましたが、それでもお慕いしております。
■
頭の中を整理するつもりが、余計ごちゃごちゃとしてしまいました。
人類の半数に対する身勝手な恐怖と、ただ一人に対する身勝手な思いと、
僕はまた、「僕」という欠陥をしまい込んで生きるのだろうな。
もし誰か読んでくれてたらありがとうございます。
不快に思ったならごめんなさい。
ただ、世の中にはいろんな人が居るのです。
ああ、性別なんて無ければいいのに。
むしろ乙女ゲーというか少女漫画というかそういうのでありがちなパターンを思いっきり皮肉ってるのではないか、と思う。
イケメンの婚約者、その婚約者の為に他の男の求婚を断り独身を通すヒロイン、愛し合ってるのに結ばれない二人、
そして非業の死を遂げる婚約者とその志を継ぐヒロイン、美しい初恋の思い出…
実はそのイケメンは他の女にも同じような事ばかりやってるただのスケコマシのクズでしたー、ってさ。
スイーツ大河とは呼ばせねえぞと言う制作側の意図があるんじゃないか。
これまでの、爽やかイケメンとして描きながらどこか腹黒さや胡散臭さも感じさせる脚本も上手いし
歯の浮くようなセリフを言いながらやはりどこか心がこもってない薄っぺらさを演技で示した三浦春馬も上手い。
そういう面を見せないで視聴者を完全に騙してしまうと騙された!となるし
そういう面をあからさまに見せてしまえば何で主人公はあいつのクズさ加減に気付かねーんだよと視聴者イライラ、となるけど
絶妙な匙加減だったから、視聴者も「あいつ胡散臭いけど深読みし過ぎかな」程度で収まってたし
俺はもうすぐ26歳。なんとか社会人として頑張ってる。
そんな自分にも支えになってくれている人がいる。彼女?いやそれもそうなんだけど、大きいのは出会い系で知り合った女なんだよね。
高校2年。受験シーズン前、自分は1年付き合ってた彼女に他の人が好きになったといい振られて初恋とい勉強も手につかない状態になっていた。
自暴自棄になって手を出したのが当時人気のある出会い系アプリである。
そこで何人か連絡を取るも上手くいかない。そんな時、1人だけ相手してくれる人がいた。
その子は非常に見た目がかわいい。そして同い年。ただ住みが関東だった(自分は関西)。
距離が遠くても心の支えになってもらおうと思い連絡を続ける。そしたら変に気が合うのよね。連絡先も交換することになった。
その日より定期的にその子と電話する。女々しかった自分の話をたくさん聞いてくれた。そして相手は相手で受験の悩みを抱えており、自分はそれを日々聞いた。
その後というもの、自分は都合のいい時だけ話を聞いてもらおうと電話する。そして向こうも都合のいい時だけ電話してくる。そんな関係になる。非常に不思議な関係だと思う。ただ、どんな内容であっても全く不快でもなく、聞くのも話すのも楽しかった。
お互い大学も合格し、新しい恋人ができる。そこで疎遠になるのかと思っていたが、連絡は続いた。
その時には
将来の話、今の恋人の話、大学の話などをしていた。お互いの写真も送りあう。不思議といやらしい話はしていない。
非常に仲が良かったのであろう。さすがに当時自分が付き合っていた彼女にもこの関係は言えなかった。距離も離れてたし会ったことも無い人なのだからいいだろうと思っていた。
ここで連絡が途絶えるかと思ったのだが、今度は留学先から連絡が来る。
彼女の悩みは尽きないようだ。しかし自分も連絡がきたことが嬉しかった。
そして今度は相手が束縛がきつい恋人と付き合った。さすがにその時はブロックされた。もうこの関係も終わりだと思った、
しかし、約1年後別れたからと連絡してくる。泣きながら彼氏の相談をしてきて聞いた。
その後もお互い話していた。自分も「入る学部間違えた。」とか「最近の合コンの戦績」とかたわいもない話をするために電話かけたりもしていた。
お互いになぜか話すとホッとした。これは向こうも思ってたと言っている。
そして就職活動の時期。向こうが大手企業に決まり自分は地元企業に就職する。
そして今に至る。
今ももちろん、、彼女からかなり電話はくる。「仕事がきつい。」とかね。
「人間関係がきつい。」「やめたい。」とか。
お互いボロボロになりながらも仕事に関して励まし合う。未来の希望を話し合う。そしてなんとか仕事をここまで続けられている。
なぜここまで出会い系で知り合った女と連絡が続くのだろうか、、
やっぱり距離がある方がうまくいく関係ってあるんだろうと思う。お互いに今言っていることは「近くに住んでなくてよかったね」って話。
あくまで都合のいいこの距離感が心地いい。そして共通の知り合いもおらず現実
を知らないこの関係はすごく心地いい。
今は自分も彼女も結婚を考えている恋人がいる。しかし、この関係はやめられない。今後も続くのであろう。
ちなみにもちろんだけど9年間近く連絡を取ってきてまだ会ったことはないよ。
本当はこんな文章を誰かに見られる形で書くのは恥ずかしくて仕方ないのだが、あまりに苦しいため吐き出させてください。
低レベルな愚痴吐き出し、自分語りなのでやな人はスルーしてください。
自分は育った家庭が、10畳一間に家族四人、父親重度のアル中で暴れる(酒が原因で若くして死んだ)、母親過剰な教育ママ(自覚無し)というユニークな環境だった。
家が一部屋しかなく両親からの監視、重圧、虐待から逃れようがなかった。
アダルトチルドレンの御多分にもれず人生がぐちゃぐちゃだが、その一番の理由は超テレビっ子世代にも関わらずテレビを禁止された事だと思う。
小中学校では、同級生の話している内容が全くわからず、会話が不可能なので人付き合いを学ぶ機会を完全に奪われた。
常に友達の輪に入ることができなかった。
通知表に友達に話しかけることができない子といった旨を書かれたことがあるが、どうしようもなかった。
ゲームだけは何故か1日1時間許されていたので、ゲームの話題しかできない日陰者だった。
当然オタクの友達しか作れないのだが、俺自身は全くオタク志向がないので上手くいかず。
中学校時代はゲームの話題しかできないのと、極端に人と接するのが苦手なのが気味悪がられて、もちろんいじめの標的になった。
やり返す性格なので表立っていじめられることは回避したが、集団で俺に聞こえるように悪口を言うというスタイルのいじめに毎日毎日さらされた。
ストレスで中学生にして額が数センチ後退し、重度のアレルギーになった(何もなくても常に激しい腹痛と下痢、じんましんが出っぱなし それは今も治らない)
結局しつけにより勉強だけは人並みより出来たのでそれなりの大学に入れたが
大学では友人、知人ゼロというのがあまりに苦痛で、行けなくなってしまった。
大学ひとりぼっちというだけなら珍しく無いかもしれないが、自分の場合それまで鬱積してきたものに耐えられなくなった形だ。
中退してしばらくストレスで体を壊して何も出来なかったが、その後社会に出ても、ろくに人付き合いの経験が無いものだから全く上手くいかなかった。
かなり歳がいってからその後本などから必死で学んだところ、人付き合いに関しては良くなった(あまりに遅きに失したが)ので我ながら決して根っからコミュニケーションが苦手では無かったという事実が、逆に辛い。
全て自分のせいだったらどんなに楽だったことか。諦めがついたろうに。
小さい頃もたまたま話題があった子と一瞬仲良くなることは多々あった。
これを誰かに話したところでテレビ禁止のせいで人生がめちゃくちゃになったなんて突飛な珍説として一笑に付されるのがオチだろうから誰にも言えないのだが、自分なりに深く考えた結果、どう考えてもそれが一番自分の人生で重大だ。
父親の虐待など、人が聞いたらそちらの方がインパクトは大きいだろう事もあったが、自分としてはテレビ禁止さえ無ければ人生が全然マシだったろうと確信している。
親は馬鹿だから子供に与える影響に頭が回らず軽い気持ちでテレビを禁止したんだろうが、本当にそれさえなければ、友達と楽しく過ごす当たり前の子供時代を経験できたろうし、身体も壊さなかったろう、うつ病にもならなかったろうし、大学を卒業して就職してという人並みの人生も送れていたのにという考えが何故か頻繁に明け方に目が覚め、急に襲ってきて、親への恨みで頭がいっぱいになり非常に苦しい。
恨んだところで人生が戻って来るわけでも、これから好転するわけでもないのに。
同級生に地元の大地主の息子がいるのだが、友達が沢山いて、学年一可愛い子と付き合ってそのまま結婚して若くしてデカイ家を建てて、俺の欲しかったもの全て持ってて、地主の土地ゾーンに足を踏み入れる度泣きそうになる。
現在自分はうつ病で働けなくなり、四畳収納なしの部屋に住んでいる。
もちろん独身だ。
人生は比べちゃいけないとはよく言うが、彼の妻は自分の初恋の相手なため彼の恵まれ方と自分の悲惨さはどうしても無意識に比較してしまう。
初恋の人が未だに好きで忘れられない。10年前、小学校6年生になるときに私が引っ越しをして転校するまで、家が隣で小さいころからよく遊んでもらっていた幼馴染。
生まれたときから友達、みたいな感じ。幼稚園も「その子と一緒がいい」と言って同じ幼稚園に行った。年中のころ、よく私のクラスに様子を見に来てくれていた。
年長のころは隣のクラスだったので遠足のお菓子を隣のクラスにまとめて渡しに行くときは私が手を挙げてよく行った。
小学校に入学して、1年生の時になぜか噂が立って隣のクラスから「〇〇のことが好きなの??」って休み時間によく聞きに来る人がいたけれど、なんて答えていいかわからずに「好きでも嫌いでもない、普通」って答えていたな。そのあとも転校するまでちょくちょくいろいろ言われてた。今となっては微笑ましい。福祉の講習みたいなのでやった車いすバスケの時に「増田の好きな人は…!」と同級生の男子にマイクで言われそうになったり、「〇〇が増田のこと好きって言っていたよ」とかとか。
その時は好きでもなかったし、意識もしていなかったんだけれどな。
5年生の宿泊学習の時にナイトツアーみたいなので迷子になって(w)探してくれたのが今も記憶に残っている。
私は低学年のときに父を亡くしてからものすごく太ってしまったこともあってブッサイクなのによくそんなに優しくしてくれたなと今も思う。
で、その子のことを好きになったのは自分が転校してその子たちと離れたとき。いつしかその子のことを考えるようになった。
私が転校して、転校先でいじめられてよく前の学校のクラスメイトの夢を見るようになった。夢の中にその子はよく出てきていた。目が覚めて、夢のことを思い出すと不思議と会いたくなった。そんなわけで徐々に好きになっていった。
ちなみに今も前のクラスメイトの夢を見るけれど、メインはその子ばかりになっているので無意識にその子に意識が向いているんだと思う。
私は中2から精神科に通って、中3になって不登校になって、先生らに見捨てられて卒業して適当な通信制高校に入学して慣れたころに急にパソコンのメールにメールが来たときすごいテンションが上がったな。
お互いにこの春、高校を卒業してそれぞれの進路に進んでいるはず。その子に久しぶりに会いたいなと思っているけれど、メールするわけにもいかないし、なんだかもどかしい気分。
つい最近、その子の19歳の誕生日だったから思い出して書いてみた。
会いたいなーチャンスあったら付き合いたいなー私も青春したいなー
これから先、好きな人ができたとしても、その子以上にいい異性は見つからないかも。
そうそう、2月に7年ぶりに同級生の子と会ったんだけれど、「〇〇が好きかもしれない」という話をした。
その同級生の子には話してもいいと思ったから。照れくさかったけれどなんかすっきりした。
みんな知らない間にいろいろなことがあったことを聞いた。
自分も中高生は楽しくなくて苦労したけれど、前の学校の同級生みんなにはどういう進路であれ幸せになってほしいと思う。
あーなんか最後ずれた。
付き合うならとっくに付き合いがはじまってるよ
彼は俳優だからあなたと付き合わないんじゃない。恋愛対象として見れないから付き合わないんだよ
もし増田と俳優さんが逆の立場だったらと考えたらわかりやすいよ
今後どうしたらいいか、だけど
増田のように恋に恋するタイプは新しい恋を見つけるのが最も効果があって、かつ容易い。
自分も増田と同じタイプだし同じようなやらかし歴があるのでよくわかる。痛いほどわかる
今の恋をやめなくていいから、他にも恋する人を見つけよう。リアルの恋は面倒なら、海外の俳優とか適度に距離があっていいぞ。二次元でもいい
とにかく執着心を分散させるんだ。そうするとだんだん意地をはってるのがバカバカしくなってくる
同棲を始めて半年が過ぎた今、家での暇つぶしを目的に久々に漫画をいくつか買った。
そのうちのひとつが「東京タラレバ娘」だったわけであるが、この漫画、ひどく情緒不安定にさせられる。しかし、中毒性があって、読むのを、考えるのをやめられない。恐ろしい漫画である。
二十代前半の頃、足を使った芸能人の追っかけをしていたわたしは、時折ふと自分の未来に不安を感じて、アラサーの友達と集まるたびに将来どうするのかということを話していた。
とてもかわいくて、若い頃に、そのかわいさを使って当時の推しの関係者と身体を張って繋がり、なんかうっかり付き合ってしまったY子ちゃんから、言われた一言が印象深い。
「わたしも25くらいからすごく悩み出したよ。そういう年なんだよね。もうおたく辞めようと思って現場控えたこともあるし、彼氏も何人か作ったよ。けど結局今ここにいるから、もう諦めてるかな」
Y子ちゃんとは水面下で繋がり、業界人的な芸能人的な人たちの集まりなどにたまに一緒に行ったりする仲だった。
普通にご飯を食べたり家で遊んだりしたこともあるが、当時はお互いに、このコネを使ってなんとかもっと状況を改善できないか(繋がり的な意味で)と必死だったので、どこか浮ついた心でそんな話をしていた。
当時まだ二十代前半だったわたしの漠然とした不安はぽっかりと宙に浮いて、「誰しもそろそろそんな不安を抱える年頃なのだな」という程度に、結論を伴わず据え置きとなった。
ぼんやりと生きている人にも、堅実に生きている人にも、平等に時間は過ぎる。
その頃と状況はうってかわって、わたしはもうレコーディングスタジオやリハーサルスタジオの前で立ち続けることをかなり前に辞めていた。
あまりにも辞められなくて一時期は、当人に「好き過ぎてやめられない、つらい、もう辞めたい」とメンヘラ気味に相談したこともあったが、ふとしたきっかけにダメ男に引っかかり、そのダメ男から立ち直るためにまた別のダメ男に引っかかり、今に至る。
趣味に思い詰め過ぎて、恋愛ごっこ以下の付き合いばかりになっていたわたしにはそれはちょうどいい荒療治で、すっかりほとんどおたくからは足を洗って、澄まし顔で二人暮らしのマンションと職場の往復の毎日を送っている。
けれど、今後の数十年、もとい生きている間の時間の方向性を決定するには、わたしの中身は子供過ぎた。
内申点が足りないから適当な私立高校に進学する、三年先までの未来を決めた。
特に就きたい仕事がないから通える範囲で一番偏差値の高い大学に進学する、四年先までの未来を決めた。
転勤なく関東圏で就職して職歴をつけたいから、とりあえず社会人スタート地点という数年分の未来を決めた。
たまたま就職に関しては特に問題もなかったので定年まで勤めようと考えているが、それは今の日本を考えれば本当に運が良かっただけだと思う。
わたしはたった26年生きてきた人生の中の経験だけでは、どれだけ振り絞っても、結婚するという未来に向かって大ジャンプを決められない。
一方で、この26という数字が28、30、そして、33になったところで、特に何か特記するような経験を得られるわけでもなく、それこそ「タラレバ」のように、26のあのとき決断していれば、28のあのとき、30のあのとき、というふうに、得られるのは、数年先の未来からの後悔だけだということはなんとなくわかっている。
特に彼氏になにか大きな問題があるわけでもないが、特別「このひととなら絶対に幸せになれる」という保証があるわけでもなかった。
そんなの当たり前である。そんな人間はどこにも存在しないのである。
しかし、大義名分のようなものをもって、結婚するカップルもいる。
初恋同士の結婚は、結局旦那に社会的地位や年収がそれほどなくても「やっぱり二人は結婚しなきゃね!」と持て囃される。
当人同士だって、今更別れて条件のいい相手と結婚しても絶対死ぬまでに数えきれないほど「やっぱりあのとき初恋の人と結婚していたら」とタラレバするだろう。
「堅実ね」と親世代から大プッシュな上に「公務員か〜、安定してていいね」と女友達からも絶賛である。
こういう客観的な要素で他人からプッシュしてもらえる結婚を少し羨ましいなと思った。
もう26されど26である。
大卒だとまだあまり結婚している友達は少ない。SNSを見れば飲み歩く女友達に溢れている。みんなきらきらした独身を謳歌している。
幼稚園の頃のように無垢ではないから、「結婚してお嫁さんになる」ということを「幸せ」とまっすぐ結びつけられない。
結婚して、子供を産んで、子供が大人になって、結婚して、孫が産まれてという当たり前の幸せを送ることがどれだけ困難なことか、知識だけでは知り過ぎていた。
何組に1組が離婚する世の中だとか、統計上では、片手で数字を数えられる子供ならわかるような算数なのに、
その原因は十人十色で、こうがこうである、ゆえにこうである、というような明確な条件下に成立する結果ではない。
それなのにまわりは、アラサー女子に「次はあなたの番ね」などと軽々しく声をかける。
二十代前半の頃に、鼻で笑ってかわしていた言葉となんら違いはないはずなのに、もうあの頃のように軽やかにかわせない。
それほどまでにわたしの背中には、知らない間に、生きていくには無駄ないろんなもの(一種の保身のようなもの)が住み着いていた。
最近結婚したアラサーの事務さんに結婚するのか、と聞かれて、「しようって話になってるし、するんだろうと思うんですけど、漠然とこれでいいのかなって不安です」みたいな話をしていたときに、
「結婚ってまわりに言われたからするもんじゃないよ、自分たちで決めてしなきゃ」と言われた。
たしかにきっとその人はまわりに結婚を急かされても大事に大事に愛を育んで、自分たちのタイミングで結婚したに違いなかった。
「どうして結婚しようと思ったんですか」と聞いたときに、「ずっと同棲してたからこの人とするんだろうなと思ってた」と言われた返事がわたしには眩しかった。
わたしは、すぐ結婚してくれない彼氏と同棲し続けていたらメンヘラ拗らせて酒飲んで泣いて吐いてを周期的に繰り返すくらいには弱いだろうし、たぶん別れて婚活する選択をとるだろうと思う。
そのひとはわたしにはない強さを持っていた。
わたしは今、そんな強さを持ち合わせていない。
好きだからずっと一緒にいたい、という気持ちと、結婚するということとの間に乖離があって、その重さの違いに戸惑う。
家族になる、ということはわたし一人が失敗しないようにコントロールできる範囲を超えていて、絶対的な自信を持てない。
けれど、持たなければいけないのだ、きっと。
もしこの人と結婚したら、とか、結婚しなければとか言っている場合ではないのだ。
制服を着ていた頃、「マリッジブルー」という言葉の意味を理解できなかった。
きっとつらつらと書き連ねた言葉たちは、一言でいうと、一種のマリッジブルーなのだろう。
けれど、16の頃のわたしは知らなかった。
オンラインゲームの顔を合わせない相手向けに自分の設定を考えている
[
英語がそれなりに得意
飛行機の操縦とかもできる
柔道初段
合気道初段
[
いい年して未婚なのには訳がある。
長く付き合った初恋の相手がいたが、当時25歳のアメリカ留学中に「日本へ帰ったらプロポーズするんだ」と
フラグを立ててしまったために、オレが帰国する前にその人は死んでしまった。
それ以来誰も本気で好きになったことがない。
[
設定なら女子大生とかにした方が楽しそうな気もするがネカマは無理だった。自分が混乱して疲れるだけだ。
なんかトラックバックが付いてる. . 。そういうときは追記でいいのかな?
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この設定をそのまま話そうとは思ってなくて、こういう背景で話をするのですよ。
ファンタジー抜きの、物理的に可能な中二病的願望を追求したらこんな感じになった。
ボロを出さず、照れもしない自信あり!
たまの休日。少しでも外に出ないと気が滅入る。平日は仕事が忙しくて外の空気すら吸えない。本音を言うとぐったりと寝ていたいのだけれど、休みすら壁の内側にいると、人生がすり潰されていく焦燥感や仕事の辛さ、コミュ障ゆえの寂しさに耐えられなくなってしまう。だから外に出るのだ。
その日はとくに行きたい場所もなく、ただ食事と買い出しをするためだけの予定でショッピングモールに寄った。ふと目についたのは、閉店セールをしている中堅家具屋。移転のため在庫をゼロにしたいらしく、いつも広い売り場いっぱいに家具が置かれていたはずのスペースはがらんどうになっており数点の家具が残るのみだった。そのうちの一つが今回のソファ。通常数十万円の品だが閉店まであと数日というところで70%引きと破格の値になっていた。
ひと目見て気に入り、ぼんやりと目分量で自分の部屋に入りそうだったので契約してしまった。家の中は足の踏み場もないほぼゴミ屋敷だが、なんとかなるだろうと思った。とにかく環境を変えたかったのだ。配送は翌週末である。
翌日の月曜日。仕事はいつもと同じく、とても辛かった。ただ帰ってきてソファのことに思いを馳せたときに少し変化があった。メモしてきた寸法をもとに配置を考えて、酷い環境の家をどう変え、どういう間取りにするか考える。それが楽しかった。
その次の日、仕事中ソファのことで頭がいっぱいになった。職場のメモを使って家具のテトリスゲームをして、ハッと我に返り早く帰るために仕事を頑張った。帰宅後、テトリスの結果ここだと思った場所を空ける。ゴミを集め袋に詰め、下にたまったホコリを取る。いつもはとても平日になんかできない掃除が、ソファという目的を持ったことで楽しいものになった。
それからの日々、仕事が、いや世界の景色が一変した。ソファ、早くこないかな。そんな思いを中心に仕事も買い物も、そして家の掃除や洗濯もすべて楽しいものになった。窓や水回り、そして玄関までピカピカにした。買い物一つでここまで変わるのかと自分でも驚いた。早く逃げ出したいと思っていた仕事に身が入り、どこか遠くに引っ越したいと思っていた空間がまるで新居のようになった。そしてぽっかりと開いているソファの予定位置。今週末ここにソファが来るんだ。そんな初恋にも似たドキドキする感情が僕を突き動かした。
今日ソファをお迎えした。結局、テトリスゲームで予定していた場所では座りが悪く違う位置に移動したけど、そうしたハプニングさえ心地よいものに思えた。ソファの上で本を読み、そして増田を書く。漏らした話とかくだらない煽り合いとかを投稿していた増田に、こんな明るい話題を書く日が来るとは思わなかった。
少し高いソファを買った。そしたら人生が楽しくなった。これからしばらく節約生活をしないといけないけど、でもそれも楽しいひとときとして生きていきたいと思う。
そうだ、転職もしよう。
事件です。
今までは、よく知りもしない人と2人っきりで何時間も過ごすなんて苦痛以外の何物でもなかったけれど、
生まれて初めて、何時間も一緒にいても悪い気持ちが起こらなかった。
今までは、そんな思いだったから2度目のデートにかこつけることもなかったし、
物好きさんと2回くらいデートしてもこちらが限界だったりしたのに、
そのどちらにもならずに数回のデートを重ねられたのは、生まれて初めてだった。
私史上で言ったらもはや奇跡レベル。ツチノコと出会ったと思った。
でも結局自分は自分でしかなくて、やはり今回も“選ばれる”経験まではできなかった。ツチノコゲットならず。残念。
事件じゃなかった。
さすがにもうそれなりの時間が経ったので復活はしたものの、やっぱり自分は“選ばれない”タイプの存在なんだなって思い知ったし、
さて改めてこれからどう生きていこうかと思案を新たにし始めた最近です。
でも良かったと思えることはいくつかある。
メッセージのやりとりが、こんなにどきどきわくわくするものだとは知らなかった。
体力的にしんどくても、それを越えて会いたいと思えることが確かにあるとは知らなかった。
会うために服を新調することがわりと楽しいとは知らなかった。
思い出すだけで、にやにやしちゃう会話があるなんて知らなかった。
会ってないときは会いたくて、会ってるときはもっと一緒にいたいと思うなんて、知らなかった。
何も知らなかった。
知らなかった感情を知っていくことはとても楽しかったし、とても有意義だったと思っている。
やっぱり事件です。
今までは楽しいと思えるデートなんてしたことなくて(それは相手のせいではなく、相性の問題か私の問題)、
だから恋人を作って忙しい合間を縫ってデートしたりメッセージのやりとりをしたりすることの面白さがまったく理解できなくて、
恋人を作るなんてことは、私にはまったく向いていない、優先順位最下位の話だと思っていた。
けれども今回の事件で、この世に生を受けて○十年、恋愛に関するセンスが微量ながら検出されました。
ひっくり返ったのは心だけで、人生はまったくひっくり返らないかもしれないけれど。……それって、何も知らなかったころより辛くね?
でも、悪くない事件だったと、悪くない出会いだったと思いたい。
何があったわけでもないし、自分は物理的に一切損をしていないので、あとは自身の心持ち。
初恋かもしれなかった話。
これを恋にカウントするかは、もう何年か後に決める。
別れてから5〜6年経って もう受験生だから会う回数も減るだろうと思う。
ついったとかでリア友にも言えない。
当時は割と本気で付き合ってた。顔はイケメン、スポーツ万能でモテモテだがナルシスト。
別れたのは仲良くしてた同級生に寝取られたからであった。( しかも何ヶ月も知らなかった。ギャハハ!)
しばらく経ってから元カノとして帰り道に今付き合っている彼女の愚痴を聞いたりする程度だったのがいつの間にか体関係になってた。
性格が悪いわけでもなく嫌われたくもないからと色々聞いてあげた自分の優柔不断さもいけなかったと思う。
縁を戻そうと冗談で言っても、彼はそれはないと普通に笑って答える。 お前とは仲のいい友達でいたい、友達以上だけどそれ以上は絶対にないと。私はそれでも普通の友人として愚痴相手として時に惚気相手として純粋に仲良くしたいと思っていたので納得していた。
それなのに帰り道に会うとすぐに付き合っていた頃のように手を強く握る、人がいなくなる場所ではすぐ抱きついてきて、そのような雰囲気になる。
自分自身体関係には抵抗がなくなってしまい、その場では性処理班でも別にいいと思ってしまう。
何度か「こういうことは"今付き合っている"彼女とてあげて」と言っても恥ずかしいからとはぐらかされていたが、新しく彼女ができてから会ったこの間は少し違い、
「彼女とはそういう事がしたくない 情けなくなってしまう だから、お願い」と言われた。
子供の頃の夢は研究者で、大学院で色々研究してたけど、実験が全然うまく行かなくなってメンタル壊して色々放棄して留年三年目。今年27歳。
そろそろ就職しねーとやべーよなと思ってるけど、年収低くていいならフリーターで良くね?って最近思ってる。大学院やめてフリーターになりたい。
野球観戦が大好きだから、お金より野球を自由に見れる時間のが欲しい。
この年になって未だに初恋すらしたことないくらい恋愛に興味ないから結婚するつもりないし
自分の事が大嫌いで、こんな私を好きになってくれる人なんていないと思う
だからか人を好きになれない
芸能人とかは好きになれるけど、それはリアルで会う事はないから
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。
閉じられた学校空間、たまたま席が近くて、気がつけば互いが好きだったらしくて、
共通の友人からそれを聞いて、両片思いから付き合い始めて、一緒に遊んで、ただそれだけで楽しくて、
でも彼女の親は不倫が露呈し離婚して、転校し、目の前から突然消えて、離れるしかなくて、ショックで、
しかし家族に裏切られて家庭が崩壊した彼女はそれ以上にショックだろうに自分は何もできず、何も言えず、
無力感と不信と、性と性欲への嫌悪感だけが今でもきっと拭い去れていないのだと思う
こうしてあの記憶を鮮明に追体験させてくる夢は、おっさんになってしまった今には完全に毒