はてなキーワード: ファンタジア大賞とは
http://anond.hatelabo.jp/20170202144732
元増田があんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。
これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。
「ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田のブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。
小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については
http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000
http://anond.hatelabo.jp/20170203190941
この批判が当たっていると思う。
とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。
さて。
漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。
と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと、普通っぽい奴を見繕いたいところ。
例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界の作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋でラノベ棚を見てたら『勇者のセガレ』((アニメ化作品『はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である。
http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8
http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/
http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/
三作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから。
一見して『勇者のセガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。
説明する。
小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的なエンタメ小説(多くのライトノベルは一般的なエンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的なエンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能性はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的なエンタメ小説志向なので大丈夫。
『勇者のセガレ』なら、父親に異世界を救った勇者の過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれるお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPGの世界にダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。
んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報の無駄のなさを見てほしい。
『勇者のセガレ』は単刀直入にお話の全体像(テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識を提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。
『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係の物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。
『クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。
そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララにソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通の男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。
ここには多分、ライトノベルがキャラクター小説である、という誤解がある。
商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマや登場人物の関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公の人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公の人物像を描いてはいけない、のではない。主人公の人物像は、この際テーマや関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。
ライトノベルはキャラクター小説だと早合点していると、主人公のキャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前をからかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。
そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。
そもそも、ソシャゲシナリオの仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。
ソシャゲシナリオの仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公は脚本科の学生なんだから、ゲームであれシナリオの仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビューの王道と言ってもいい。
どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公がソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。
これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲと主人公の関係をちゃんと設定していないから、こうなる。
ソシャゲマニアが制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係な主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。
半端にクリエイター志望でソシャゲに特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。
テーマ、関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分の異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンにハルヒは普通の少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララがタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。
あとがきにラノベ200作品を勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。
ライトノベルはキャラクター小説だ、とか、男オタク向けの作品は関係性萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。
結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。
なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作『初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。