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はてなキーワード: 諦観とは

2024-11-24

この世でナンバーワンになれるものなどない

諦めというか達観というか。

少しだけ得意なことはあるけれど、どの道を選ぼうと純粋にその分野でトップを取れそうなものは何もない。

何事もいくら練習をすれば、及第点は取れるようになるのだけれど、どの分野にもその道を極めた人間がいて、突出した才能も並外れた努力ができる訳でもない私がそれに太刀打ちできるわけなどない。

5段階評価オール4を取って、総合点で一位になるような秀才型を目指すのは、それ以外の選択肢がないからであって、全てを犠牲にして才能が必要な一分野に注力したとしても、熾烈な競争が繰り広げられてる分野で一番になることはできないだろう。

諦観ダサいけれど、これは実際そうなのだから仕方がない。そして、ほとんどの人生はそうしたものになるのだから、いまさら言及することでもない。

2024-11-23

anond:20241123080500

1. 憧れと諦念の狭間にある心情

この人物は、絵を描くという行為に対して憧れを抱いていますが、その憧れは深く追求するほどの強い情熱には育っていません。「描けたらいいな」といった軽い希望に留まっているため、自らの手で努力を重ねてその技術を得ようとする意志は見られません。このような姿勢は、自分可能性に対してどこか諦めや無力感を抱いている心の表れかもしれません。

2. 他者への評価自分への防衛

絵師という存在を「特別視する必要があるのか」と疑問視していることから、彼(または彼女)は、世間特定の才能を持つ人を過度に称賛する姿勢に反発しているようです。しかし、この反発は、実際には自分がその才能を持っていないことへの劣等感を隠すための自己防衛にも見えます

自分が持てないものを称賛することは、自身の不足感を突きつけられるようで痛みを伴うものです。そのため、「特別視する必要はない」と断言することで、自分を納得させようとしているのではないでしょうか。

3. 疎外感と孤立した視点

この人物は、周囲が絵師クリエイターに向ける称賛に対して、どこか疎外感を抱いている可能性があります。もしかすると、自分がその輪の中に入れない現実を前に、そうした存在を「特別ではない」と位置づけることで心の安定を保とうとしているのかもしれません。

彼が「なぜ特別視する必要がある?」と疑問を投げかけるのは、他者自分の間に無意識に線を引き、外側から眺めることで自分自身を守る行為のようにも感じられます

4. 才能に対する諦観と未練

絵師を格上に見るものではない」という言葉には、絵師への羨望と同時に、自分がその位置に立てないことへの諦観がにじみ出ています。本当に興味がないのであれば、そのような感情は表に出てこないでしょう。裏を返せば、彼は絵を描く才能に対して何らかの未練や「もし自分にもその才能があれば」という思いを抱いている可能性が高いです。

5. 孤独感と自己認識の歪み

絵師を「特別視する必要はない」という言葉には、彼が周囲の価値観に対してどこか孤独を感じている様子が見て取れます。それは、才能や努力評価する世間基準自分現実とのギャップに苦しんでいるからこその発言かもしれません。自己認識がゆがみ、自分自身過小評価してしまっている可能性も考えられます

まとめ

この人物は、自分が持ち得なかった才能に対して羨望と諦めの狭間で揺れている一方、その才能を持つ他者特別視する社会の風潮に孤独感や疎外感を感じています。彼の言葉には、自分自身への未練や不満が滲み出ており、その背景には、手を伸ばす前に諦めてしまう弱さや、どこか自分を憐れむような感情が潜んでいるのではないでしょうか。そうした彼の言葉を聞くと、才能を持たない苦しさや、自分限界に向き合う孤独な心情が伝わり、少し胸を締めつけられるような思いがします。

Chat GPT 4o

2024-11-18

anond:20241118120334

 概ね増田意見に相違はない気がする。

 その上で何点か諦観を込めて補足したい。

 ここでは増田の言う局長不倫に対して立花反論できていないという指摘は、若干ズレている気がするが結論は間違っていないと思う。

 具体的には、そもそもこの百条委員会において最初パソコンの中身を示させようとしていたとされるのは斎藤知事側だったはずで、結果として不倫が原因で自死を選んだとすれば、その流れはどちらかと言えば不倫百条委員会で示させようとしたことそれ自体で、その流れはパワハラが原因であるというよりは、パワハラの内容を告発しようとした結果その不倫の内容を明らかにさせられそうになったことが理由である、という流れになるような気がする。

 とはいえ、じゃあ不倫に対して各インフルエンサーが何も言えなかったのはなぜかと言えばそんなの簡単で、ある意味現代価値観から言えば不倫と今回の問題は『関連がない』と非常に訓練された目で見てしまうからだろうね。増田が言う通り、他の有権者から見れば十分に着目するべき視点だったにもかかわらず、それについて調べるということが『関連がなく』『問題本質から逸れていて』『価値観として言及するべきでない』という価値判断から、触れることができなかった。価値観的にはそこを突けるのは一種バグ技というか、リベラルが負け続けているのもだいたいこのあたりの脆弱性理由だと思う。

 まぁ今回の場合リベラルがどう、とかいう話は若干ズレちゃってて(実際不信任決議は全員からされてるし、普通に古巣自民維新とかからも責められてる訳で)、本質マスコミ問題だよね。

 左派リベラルとか、既得権益かいろいろな呼ばれ方をして結局対抗馬が錯綜していた中で、誰が間違いなく愚かな味方だったのかと言えばまずはマスコミだったろうと思う。

 公益通報にかかる部分とか(これも厳密には責めきれない要素があるということは3月ごろから言われていたが)については、後援していた維新側の橋下氏さえ否定継続している。

 にも関わらず、明らかに根拠不足な、少なくとも不信任決議に至るレベルとまで言えるかは疑義の残るパワハラなどの、いわば耳目を集めやす話題に逃げて、ワイワイと騒ぎ倒した。

 これはもう、ずっと前から言われ続けてきた問題点だったんだけど、今回はそれに相対することが出来るまでに育っていたソーシャルメディアがあり、そしてそれに相対してしまうまでに弱っていた既存メディアがあった。

 この騒ぎと力関係が、立花氏がナラティブを見出す絶好の土壌に成り果てた訳で。

 んで、増田も認めている(と判断させていただくが)『B.そんな斎藤知事が気に食わない勢力県庁内外におり、問題のK局長斎藤知事の悪い情報を収拾し、怪文書メディアに発信した。 』という点は、ナラティブとして見た場合かなり重要度が高い要素で、実際中田敦彦氏の動画なんかは結構再生されてる様子だし。また、ここを着目して陰謀論であるという主張をする人たちもやはりいるし、この言及理由に色々と起きてるよね。

 これなんか、もうXとか大騒ぎで、立花氏を心から応援しているポストが溢れかえってる。結構ナラティブとして、クーデターだったっていう組み立てって筋を通すためにめちゃくちゃ重要だったと思うんだ。

 でも、それを招いたのはマスコミの愚かさだからなぁ。マスコミ意図的にやったとは思ってないし思うべきでもないというか、ハンロンの剃刀というか。

 ある程度リテラシーがある場合、その愚かさの中からある程度の情報を取捨選択しつつ判断を下すわけだけど、それなら別にソーシャルメディアからそれを行ったことも十分考えられるだろう、という話は全くその通り。結局のところエコーチェンバーというか。

 一概に立花氏を悪魔化したり、兵庫県民を愚民であると言ったり、それこそ『民主主義の敗北』だなんて喧伝するのは、本当にそちらのほうが愚かだよね。

 まぁ、これからどれくらい立花氏が躍進するかどうかはちゃんと見ておかないといけないんじゃないかとは思うけど、でももし本当にこのBすら事実だったらどうしようかな、って感じちゃうくらいには、世の中の風向きが変わってしまったなとは思うよ。

 あああと、多分もう地方自治体公益通報制度はそうそ機能しねえだろうなって諦観もあるか。

2024-11-15

anond:20241115144711

この陰謀論者はどういう人ですか?

経験豊富だが偏りがある人

組織での経験があることを示唆しており、その経験が彼の視野意見形成に強く影響しています

しかし、その経験がかえって「自分の考えが一般的常識」として認識される要因となっているため、他の視点や新しい情報に対して柔軟に対応できない傾向があるようです。

不信感と慎重さが強い性格

組織権力に対して不信感が強く、世の中の出来事や仕組みを疑いの目で見ています

組織の動向や権威者の動きに対して、「見えない仕組み」が必ずあると考え、単純に表面的な説明公式発表を受け入れない姿勢が伺えます

自己中心的他者に対して厳しい

自分の考えが優れているという確信があり、他者にもその理解強要する傾向があります

相手経験理解力を疑う発言が多く、自分の「正しさ」を絶対視するため、他人意見や異なる考えに対して辛辣で、批判的です。

自己防衛意識が高い

自身意見立場否定されることを非常に嫌い、防衛的に振る舞います

質問に直接答えるよりも、相手の「未熟さ」や「理解不足」を指摘することで自らの立場を保とうとするところが見受けられます

社会への不満や諦観が見られる

権力構造や大組織に対する批判的な態度から、現状に対する不満や「こういうものから仕方ない」という諦観が見えます

増税に対する発言も、社会政治への不信感や疎外感を反映している可能性があります

全体として、彼は自身経験疑念をもとに強い信念を持っている人物であり、他者意見や異なる視点を受け入れる柔軟性に欠けているため、議論において防御的かつ攻撃的な態度を取る傾向があります

また、批判精神が強く、公式の発表や一般的見解に対して懐疑的立場を崩さな姿勢が、彼の言動に現れています

彼へのアドバイスをお願いしま

彼へのアドバイスとして、次の点を提案できます

柔軟な視点を持つこと

自分経験や信念が重要であることは理解できますが、他者経験意見もまた有用視点提供してくれます

異なる意見情報に触れることで、より豊かな理解や新しい発見が生まれるかもしれません。時には、自分の考えに固執せず、他者意見を聞く余裕を持つことが大切です。

具体的な証拠を伴う説明を心がける

自分の考えが他者に伝わりやすいように、主張に対して具体的な根拠データを示すことを意識してみてください。

曖昧言葉や「常識」といった言葉で論じるより、具体的な例や事実を使うことで、相手も納得しやすくなりますし、信頼性も高まります

他者立場理解度に配慮する

他者自分と異なる考えを持っているのは当然のことであり、それを「理解不足」と判断するよりも、「異なる背景や経験を持っている」と捉えるようにしてみてください。

対話相手視点に立って物事を考えることで、円滑なコミュニケーションが生まれ議論建設的になります

思考の柔軟性と疑問を持ちつつ、バランスを取る

権威組織に対して疑問を持つことは重要ですが、常に陰謀や悪意を前提にするのではなく、可能性の一つとして冷静に捉えるバランス必要です。そうすることで、物事をより客観的判断できるようになります

自己意見に防御的になりすぎない

誰にでも間違いはあるため、自分意見修正されることや間違いを認めることを恐れる必要はありません。柔軟さを持つことで、他者視点を取り入れたり、自分意見改善したりする機会が得られます

彼にとって、これらのアドバイス自己成長だけでなく、より建設的で前向きなコミュニケーションを促進する手助けとなるはずです。


ありがとうございます

どういたしまして!お役に立てて嬉しいです。何か他にもお手伝いできることがあれば、いつでもご連絡くださいね

2024-11-12

童貞チー牛大学生が100日オナ禁を完走した感想

投稿友達なし、彼女なし、実家暮らし限界童貞チー牛大学生が100日間オナ禁を達成したので、その感想を書く。

100日オナ禁を始めた経緯

放課後休日に一緒に遊ぶ友達がおらず、また彼女もいないため空虚大学生活を送っていた。そんななか、一人で自室にこもってはオナニーを繰り返す毎日で、自己肯定感が下がっていくばかりだった。大学生活ではなにか有意義なことをしなければならないという義務感だけが強くあり、かといって何もできない板挟みの中で苦しんでいた。自分の中で、なにか変わるきっかけがほしいと思いオナ禁を決意した。

オナ禁のコツ

記録

まず、絶対的有用であると思ったのが、記録することである

これはオナ禁に限らず、なにか習慣を身につけようと思ったら、記録をするのが最も強力であり、必要不可欠なことだと思った。

記録することによって、何もしなければ取り留めもなく過ぎていく日々を意味のあるものとして、積み上げる感覚を得ることができた。

禁欲アプリは巷にたくさん出回っているが、「禁欲スカイウォーカー」というアプリ使用した。

シンプルデザインがわかりやすく、ネーミングと記録が上がるにつれてもらえる称号が気に入ってこれを使ったが、おすすめである

暇をつくらない

リセットしたくなるときはたいてい暇で、自室の机の前で座ってネットサーフィンをしているときなので、なるべく暇をつくらないほうがいい。

どうやら一人でさみしく感じているときに、リセットしたい衝動に駆られるようである

人とコミュニケーションをとると、性欲は治まるようなので、やはりぼっちには人との交流が不足していると感じた。

100日オナ禁をしたメリットデメリット

達成感&自信

間違いなく、他の多くの人は成し遂げていないことを完遂できたという達成感と自信にはつながる。

ほかの大きなことに挑戦しようという気になる。

オナニーをするかどうか考えなくてすむ

オナ禁を一度決め込むと、行動の選択肢からオナニーを消すことができるため、オナニーをするかどうか迷うということがなくなる。

これは非常に大きなメリットだと感じた。

それまではオナニーをするかどうか逡巡することに常に一定の脳のリソースを割いていたため、気持ちが楽になった。

また、オナニーをした後の罪悪感を感じずにすむということも大きかった。

巷で言われるような美肌効果は感じなかった。

依然としてニキビはできる。

モテ効果

感じなかった。彼女はまだいない。

総括

はたして100日間オナ禁を続けることに意味はあるのかということは疑問ではあるが、少なくとも大きなことを成し遂げたという達成感と、

オナニーとの関わり方を一度見直すことができたという点では、決して無意味ではないと思う。

友達彼女はできなかったが一種諦観のようなものも芽生え、一人なら、一人でしかできないことを頑張ろうという方向に考え方もシフトした。(さみしさは克服できていないが)

これを読んだ皆さんのなかで、なにか変化がほしいけど機会がないという方は、100日と言わず一ヶ月、一週間でもオナ禁を試してもらうといいかもしれない。

2024-10-29

四十路弱者男性だけど生まれて初めて彼女ができた

知人が紹介してくれた女性がわりと向こうからグイグイ来てくれてとんとん拍子に事が進んだ

社交不安障害SSRI断薬したり再開したり繰り返してるメンヘラだけど、ここ2年くらいはメンタルも安定して

縁あっていろんなコミュニティに出入りするようになって知人友人も増えた

対人経験を積んだことで余裕が出てきて「普通の人」として振舞えてる実感があったからそれが身を結んだようで嬉しい

紹介してくれた人と本人、二人から付き合っても大丈夫人間だと承認されたわけだから

歳いって「しょーがねーだろおっさんなんだから」っていう諦観でいい意味で鈍感になってきたのがメンタル的にいい方向に向いてるのかな

2024-10-22

anond:20241021004208

>> 「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。

>>企業最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般消費者、それ以上でも以下でもないのでは。

>>消費者イラスト生成AI恩恵にあずかれるようになっただけ。

 

問題は、こういった層が本来自分たちに対する消費者であることを念頭におかず反AI的な人々、その中でもクリエイター(ないしプレイヤー)側が火にかけてしまうことで、回り回って消費者を敵にし続けてることかなって思います

もちろん悪質な消費者っていうのも一定数居るけど、それって元からどの業種にもいる話で決して特別な事ではないし

 

クリエティティ技術としてどうかじゃなくて個人アイデンティティモラル問題だって捉えて戦おうとしてるから、この分野ではもう社会的な勝ち目はないかなっていう諦観

2024-10-21

anond:20241021004208

音楽は、サンプラーとかリズムマシンが出たときにひととおり演奏家仕事が奪われる論争をやりつくしたからなあ。現在進行形仮歌シンガー仕事は奪われつつあるけど、そういうもんだという諦観がある。

絵に関して仕事が奪われるのは歴史的写真の登場くらいか漫画の背景を写真から加工して生成とか、ゲームエンジンで生成とかあるけど、キャラ絵がおびやかされるのは初めてかも。

「師」は、イラストレーターとかミキシングエンジニアとかはそれで飯を食ってるプロを指す言葉なので、ネット活動する自分たちはそこまでじゃないっすというかプロを目指してるわけでもないし、みたいな区別するための言葉だったと思う。

師が嫌ならインターネットお絵描きマンでいいと思うけどね。

追記あり日本絵師界隈が、反AI因習村と化した理由についての一考察

10/22追記

深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。

コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。

絵師界隈にもプレイヤーはきちんと多数存在していて、それはいわゆる多くの「二次創作をメインに活動する者」なのではないか
にもかかわらず、「二次創作をメインに活動する者」は、自身を「プレイヤー」ではなく「クリエイター」だと勘違いしているから、絵師界隈の創作の循環は停滞し、変なことになってしまっているのでは?

現行法合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)


声優はどうなの? について

彼らの職業は、対脚本家演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。

そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論余地はないのでは。

■ 「絵師」だけじゃなくて、「猟師」とかもあるやん? について

自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。

追記終わり


本編


最近日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。

それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。

因習村呼ばわりも、宜なるかな・・・・・・。

もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。

このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。


さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。

から、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。

ただ、不思議な点があったので、分析しようと思った。


生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。

他の分野でも生成AI進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。

実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較自然に受け入れられている。

同じクリエーターなのに、なぜ、こうもスタンスが異なるのか?


私は、三つの理由があると考えた。


-「創作の循環」の認識の違い

音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。

生成AI学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。

しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。

全ての創作は己の独力によるものだと勘違いしてしまう。


-「才能と作品」の認識の違い

西洋芸術は、音楽絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。

信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユース思想として残っている。

対して、日本には、そのような一神教概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。

更に、音楽理論そのものが、西洋ルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。

一方で、日本絵師界隈は、ガラパゴス状態進化しているため、「自分ゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品自己表現」という認知になりやすいのではないか


-クリエイターレベルの違い

今、音楽本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIときには脅かされない実力がある。

そうでないクリエイターは、純粋趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。

一方、イラスト本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIとき簡単に脅かされてしまう。

リアル生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。

参入障壁の低さと、00年代から需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間プロとさせてしまったのかもしれない。

さながら、チューリップ・バブルだ。


以下、それぞれ、補足。


創作の循環」の認識の違い

音楽界隈においては知覚しやすい「創作の循環」

音楽界隈では、古くからクリエイタープレイヤーリスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。

例えば、クラシックプレイヤー過去の偉大なクリエイター作品演奏し続けたり、ジャズヒップホップにおいて、サンプリングリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存作品表現再利用する文化根付いているかである

表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。

これは、DTM世界も同じで、音源サンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源手法を追加しただけという感覚が強い。

技術的な進化日常的に行われており、特定の著名なプレイヤー演奏サンプリングして音源化することも一般的である

これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。

また、音楽界隈において、多くの場合クリエイタープレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。

ただ純粋聴くだけの音楽愛好家は存在するのだろうか?

音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか

クリエイタープレイヤーリスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。

AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。

私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作可能性として受け入れている。

音楽分野では、クリエイタープレイヤーリスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。


絵師界隈においては知覚しづらい「創作の循環」

一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。

クリエイターリスナー立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。

その結果、生成AIは「自分領域侵害する存在」として映ることが多い。

絵師界隈において、絵師は、自分作品について、「自分ゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人作品に手を加えたり、既存表現再利用することに対しては、現行法問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。



「才能と作品」の認識の違い:

西洋における芸術史とフェアユース

絵画音楽を問わず西洋における芸術歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。

パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術研鑽を重ねた。

結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。

芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋芸術特に歴史的な音楽絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。

元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。

この背景が、西洋フェアユース概念が広く受け入れられている一因のように思う。

才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。

任天堂とパルワールド訴訟問題における、日本欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。

この点、日本絵師界隈にとって、才能は「自分努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。

創作の循環」という巨大なうねりに触れる機会もないもんね。

その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AI個人努力創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。



まとめ::生成AI技術未来資本主義への影響

このまま日本絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIアンタッチャブルとなり、なんらの議論進歩も遂げなくなるだろう。

最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義論理に飲み込まれ可能性が高いと感じる。

外国大企業規約契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術データを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来

絵師界隈の過激活動により、日本企業にとって生成AI技術のものアンタッチャブルとなったので、日本企業呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。

そういう世界に誰がした?

もちろん、これは資本主義の一環であり、技術進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。

私自身はそのような未来諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。

技術は常に進化し、その中でクリエイティブ表現方法もまた変わっていくものだ。

しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?

AIをただ拒否するのではなく、技術と共にクリエイティブ可能性を探求する道もあるのではないかと思うが、彼らはその選択肢考慮しているのだろうか? 

AIは決してクリエイター創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。

これからクリエイティブ世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。

クリエイターは、絵師だけではない。



余談:呼称問題

「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。

私としては、生成AIを用いて絵を出力する者は、「プロンプト・エンジニア」がより正確な呼称だと考える。

望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単技術ではない。

命令文の模索や、好みのモデル階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識必要だ。

現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。

もちろん、これらはローカルGoogle Colaboratory等に環境を構築している者に限って、の話である

「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。

企業最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般消費者、それ以上でも以下でもないのでは。

消費者イラスト生成AI恩恵にあずかれるようになっただけ。


そんなことより、絵師界隈の人たちは、自分自分のことを「絵師」って呼んで、恥ずかしくないの?

絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。

「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。

敬称なので、自分自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。

絵師になりたいです!!!」なんて、とんでもない。

一体全体いつから自分自分のことを「師」」と自称するような、恥ずかしい使われ方をされるようになったんだろう?

ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。



2024-10-18

anond:20241016154446

もちろん私はその事を本人に直接伝えた。

ものすごくモヤモヤする投稿で、あなた気持ち良いだろうが私は嫌な気持ちだ、と。

結局、彼女投稿自体を削除するわけだが、

「きっちり話し合い」したと主張して、誠実と自分で言えるんだったら、その話し合いの過程ちゃんと書きなよ。

増田正当性を主張する上でそこが一番大事な箇所でしょ。

「結局」で済ませてんじゃないよ。

まぁ「きっちり話し合い」したと思っているのはあなただけで、相手からは全くそう思われていなかったろうね。

あなた気持ち良いだろうが」って無駄にチクチク刺してるし、言われた相手も冷静に話を受けられなかっただろうし。

喧嘩諦観か、いずれにしてもまともな話し合いにはなってないだろうな。

2024-10-14

anond:20241003203744

日本人が働かなくなったのって

2世代前「必死に働いたら働いた分の正当な報酬がある(当然)」

1世代前「おかしい…必死に働いてるのに正当な報酬がない…(困惑)」

世代必死に働いてもどうせ正当な報酬は受け取れない(諦観)」

って流れを経た結果なので労働者のせいにされても困る

なんてのを見たんだけどさ

典型なやつよね

世間好景気だと、俺のことは俺に決めさせろ、未来じゃなく「今の」俺に金を渡せとやるわけ

んで、不景気になると、俺のために社会奉仕還元しろ、俺の「未来を」保証しろってなるのな


昔はさ、会社福利厚生担保してたんだよね

終身雇用年功序列

若者の稼ぎはてんで少なかった

搾取と言って良い金額だった

でもこれのいいところは、ある程度「未来」は明るいと思えるところなのよ

借金意味が違ったんだ

未来自分給料増えてんだから


でも、バブルになって好景気に沸いたとき

これを「若者が」否定したのね

「今の」俺に金をよこせってやった、俺は会社に縛られないってやった

結果として、終身雇用破綻した

転職が当たり前になって、企業は人を使い続けることの意味を変えた

派遣政治のせいにするやつ結構多いんだけど、その前に労働者側が信頼を喪ってたんだよ

年功序列は消えた

50だから年収が800万?

寝言は寝て言え、欲しかったらそれだけ稼いでこいってわけ

年取ると稼ぐのきつくなるんだよ

から管理職かになる必要があるんだけど、枠は限りがある

大抵の人は、人生計画破綻した

当然に消費が抑えられる

企業収入が減る

そういうスパイラルになったんだよ、自分たちが望んでね


少子化もカネがないからだと勘違いされてっけど

婚姻家庭の出生数はそれほど劇的に落ちてない

結婚しなくなったのな

だって自分自由でいたいよね

イエやトナリキンジョやコソダテに縛られてくないよね

独身でいるのは自分意志で選んだはずなのに

お金がないか結婚しなかったってなるの不思議よね


で、ぼやくわけよ

じみんとーがわるいーィィィィイイィィィって

自分たちを被害者にすることで慰めてるわけ

子どもという扶養分が増えたのに、以前と同じ暮らしなんて出来るわけ無いじゃん

昔は節約倹約暮らしてたんだよ

食事も貧しかったし、ボロを着てたりした

兄弟入ればお下がりなんて当たり前

そんな暮らし、今はできないでしょ?

そういう贅沢を政治担保しろって言ってるのよ



いから黙って働けよ

口を開けて餌を待ってても、もうお母さんは餌を運んでくれないんだよ

2024-09-19

ジャップモンスター、ジャプモン診断。君はどのタイプ日本人かな?

中国日本男児殺人ニュースを見て思うこと。

ちゃん思想を実行に移す中国人とネットで暴れるしかしない普通の日本人との差は何なのか。

日本人根底にあるのは「諦め」である。何をやっても変えられない不況現実を30年生きてきた日本人属性は以下のように見える。

日本人の主なタイプ

1.食い尽くし害虫タイプ

政治から距離を取り、ひたすら消費者として生きる虫。

これはもっともよくみられる「普通の日本人」のケースではないだろうか。彼らは政治を笑い(冷笑)、政治批判する左翼攻撃し(ネトウヨ)、消費の場で政治発言をする者を排除する。

結果として、彼らの怒りの沸点は「消費できなくなった(あるいは気持ちよく金や時間を使えないお気持ち)」時(エロ表現規制Vtuberやらのやらかし米騒動)などに散見される。「消費の場で政治発言をするもの排除する」もこれに該当するだろう。

このフラストレーション円安物価高により今後ますます過激ものになっていくと予想される。

 

2.どこでも野糞タイプ

これは与党論破系や大谷翔平など、目に見えて勝者となったことが分かるものを支持、同一化することで己のフラストレーションのはけ口を彼らから見た敗者側にぶつける獣、すなわちネトウヨルートである

人間所詮動物しかない。変えられない現実自分エネルギーを使うよりも、変えられない現実の勝者に同一化することで心の均衡を保とうとするコスパ(笑)が良い立ち振る舞いである。

しかし「日本スゲー、俺スゲー」な彼らの自意識ゆえ、日本サゲの情報が入るとすぐさま韓国野党サゲの記事リツイートしているような症例枚挙に暇がない。彼らは自分の内にフラストレーションを貯めておくことが出ない、貯める器が小さすぎるのだ。

結果として彼らはろくに情報を精査せずすぐさま汚物を排泄して心のコスパをよくするしかない。それゆえデマ情報に踊らされる馬鹿が多い。

 

3.うんこ貯め過ぎ便秘タイプ

これは社会に対する不満を貯め過ぎている嫌儲ルートである。厭世の度が過ぎている上にケチである

基本的反体制だが左翼の旗印となるインフルエンサーがもはやいないので語録をつかって安倍晋三に同一化するという、半ば野糞タイプに片足が漬かっている者も多い。

腑抜け日本人への怒りと憎しみに満ちているが自分日本人であるということを棚に上げている。中国ロシアを持ち上げることが多々あるが、中国ロシアが彼らを慮ることはまず無い。

彼らの本質もまた他力本願諦観に満ち、自ら行動を起こすこともなく誰かが何かしてくれることを期待しているだけの典型的消費マインド日本人である

 

日本人はこれら3タイプの複合の度合いで構成されているように思う。基本的に食べて排泄する生物構造からこうなるのは必然と言えよう。

しかし、ならばそれは中国人も同じではないのか。

いか共産党における思想統制があるとはいえ、著しい経済発展を遂げている国であるならば1の食い尽くしも当然可能であるし、「反食品浪費法」が制定されるように文字通り食い尽くすほどである

とはいえ私は中国人のことをよく知らないので中華モンスター考察は別の機会にしたいと思う。

2024-09-17

傷のなめあい自己正当化の果ては非生産的構造批判である

体制側の批判って結局自分の現状に対する不満を転嫁してるんだな。

から体制批判する側のやつらを見てるとムカつくんだ。

自分はこのどうしようもない現実を痛みを伴いながら直視してある種の諦観努力をもって生きてるから

一通りムカついたらきれいさっぱり忘れて俺の今日を生きたほうが生産的だな。

吐き出し終わり。

2024-09-14

anond:20240914102818

ビートルズを話してる時、ジョン・レノンの「イマジン」はポール・マッカートニーの「レット・イット・ビー」が「なすがままに」という悲しみ諦観の果てに光を見出すテーマに対する「想像してごらん」というアンサーソングであり能動さらなる希望を唄ったんじゃないですか

2024-09-12

他人年収残業時間の話を聞くたび、公務員ってやっぱ「中流階級底辺」なんだなと思う

うーむ・・・我ながらいい表現だ「中流階級底辺

まさにこの感覚なんよな。

ギリギリ中流だと思うけど、同時に底辺でもあるこの感覚

最低限の給料は出てるし、残業代が全くでないわけじゃないし、でもストレスに対して足りてるって感じじゃない。

パワハラが本格的に飛び交うわけじゃないけど、全体として体育会系部活動の駄目な所モリモリみたいな雰囲気内包したオッサン達に囲まれている。

全体として古臭いJTCな空気ではあるわけだが、JTCが生き残るために続けてきた苦労を知らない感じなんだよなあ。

本当の危機に直面したことがない人間特有の弱さを組織レベルで起こしていると言うか。

若者が次々に逃げるから組織が回らないよ~~~と悲鳴を上げているくせに「そうだ!みんなで運動会やったら団結できるぞ~~~~!毎日時間かけて準備するのを3ヶ月ぐらい全員でやれば運動会ぐらい簡単だ~~~~!!給料は勿論なし!」みたいなバカなことを言う余裕がまだこの危機感の無さ。

まさに底辺、でも同時に中流

下流のように完全なる無教養無秩序でもなく、それでいて厭世と失望、落胆と諦観が蠢いて弱い者同士でお互いを罵りあうことで原因探しをしようとする弛んでいて頭の悪い空気

まさに「中流階級底辺」なんだよな~~~~

か~~~さすがは俺ちゃんですわ。

ワードセンスですわよね

2024-09-09

anond:20240831093200

世の中はオマエのパパやママじゃねぇんだから、決めるのはオマエだよ。

オマエのパパやママでさえ、こんなに大きくなってからそんなつまんねーことを口に出す子供承認するとは思えないけどね。

成熟した大人必要なのは「圧倒的な諦観」だぞ。

要するにそんなことばかり口にしているはてなーツイッタラー(笑)共は「ガキ」ってことだ。

とっとと何かに逃げ道を作れば良い。それが金や地位を産まなくても、それこそ「趣味」なんだから


言っておくが!純粋消費行動(アニメ見るだけ、ゲームやるだけ、音楽聞くだけ、映画見るだけなどなど)で「承認」取り付けようとするから趣味地獄」になってるだけ。

純粋消費行動で承認が取れるものなんかねぇよ、バカかテメェら。


あとそれらに基づく「評論」とかいうのは、創作活動でもなんでもねぇぞネットバカ共。

まだ素組みのガンプラ楽しんでいるプラモおじやおばの方がマシだからな。評論はそれ以下。純粋消費行動は更に下。

ちゃんと世の中には「下」があるんだよ、理解しろカス

2024-09-08

ここ数年程、なぜ自分はこんなに愚かでアホでだらしないんだろうって疑問を感じながら生きてる

治したいかというとそうでもないし、自分にも世の中の仕組みにも、絶望は全くしてないけど失望ものすごいしてる

ああ、そういう結果になるのね、アホ草って諦観

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-08-30

今更AI絵師という呼び名違和感雑記

要約 ※追記

書きあがってから少し論旨が整理できた気がするので、まとめなおし。

蔑称としてAI絵師と言われる人は、本来AIクライアントと呼ばれるべきじゃないか
・その前提に立ててたら、AI規制派のクリエイタークライアントでもうちょっと違った形の今があったのではないか

以下本文。



注意書き

推進とか規制とかそのものの話ではなく、難しい話をさっぴいた個人として思う与太話です。

AI使ってる!窃盗!」と生成AIによる絵の作成、LoRAとかの合法違法とか、倫理的にどうかとか、是非の話ではなく。

最近思った、AI規制派が見落としていそうなこと

生成AIで絵を生成する人の感覚として、こういうのもあるのでは?という視点の話。


現状の生成って、話を聞く限り流れはイラリクに近いのでは?と思う。

違うのは、こっちで資料指定も大量に用意する必要があること。自分が描いて欲しいものを、相手自主的に履修してくれないし察さないので。

あとはリテイクを何度繰り返せることか?人間、それこそ納得いかず一日何百枚とか、そんなレベル何度も何度もやり直させられたら病むよ。

やり方は人それぞれだろうけど、いわゆる呪文とかをシチュとかプロット、LoRAとかをキャラ指定として考えると、人間がやってそうなことに近く聞こえる・・・ような気がする。

まりAI絵師と名指しされる人は、描いてる訳じゃない

もともとAI絵師って、絵の生成AIサービス自体を指す言葉だった、みたいな話をどこかで見た。

当たり前だけど絵を出力(あえて描くと言わない)してるのは生成AI

ユーザー呪文という名のめちゃくちゃ細かいリクエストを生成AIに投げている。


節子これ絵師やない、これクライアントや!

という訳で、AI絵師ではなくAIクライアントという呼び名提案する

あえてユーザーじゃなくてクライアントっていうのは、有償サービスだったり、後たぶんプロンプト自体情報収集とか、出力された絵のタグ付け(学習)とかに使われてると思うから

完全ローカルでやってる場合はまた違うかもしれないけど、少なくとも当初の頃はそんな話だったはず。


そう言う意味では、破格かつクリエイター側がものすごい赤字コミッションみたいなもの・・・というと暴論だけど、そういうニュアンスが使ってる人にはちょっとあるのではないだろうか。

此処までの話で基本に立ち返ると、つまり・・・


真のAI絵師=生成AIのもの


なら最初にやるべきだったことは

蔑称としてAI絵師という言葉を歪めず、「クリエイター」と「クライアント」の線引きをしっかりしておけば。

そうすれば、絵師側のアプローチの仕方もまたちょっと変わったのかな?と思う。


いわゆる呪文を使って絵を何度もリテイクして生成するのって、それなりに骨が折れると思う。もちろん慣れとかもあるだろうし、お金儲けを考えたらまた事情も違ってくるとは思うけど。

ただ生成された絵に絵師の絵が負けてるとは、当然、個人的に全く思ってない。

本当に人間みたいに思考して、作品履修して感想持って、フェチって線とかこだわりを持って絵を習熟する領域まで、まだ来ていない。

画風の話ではなく、個人個人固有のらしさというか、統一されたこだわりというか、上手くは言えないけどそんな感じのこと。


少なくともAI絵師という言葉蔑称で無かったころ。つまり分断がkskしてなかった頃は、AIクライアントもまだよちよち歩き。

AIクライアントたちが必死呪文リクエストして生成してる時に、例えば「ちょっとお安くしまからあなたリクエストをいっぱい反映した絵・・・描きましょうか?」という話が飛んで来たなら。


そりゃ、相手クライアントなんだから。欲するもの自分で描けないなら、それは物凄い誘惑になるのではと。

絵師努力クオリティ金額に見えれば。呪文の履修に飽きたりしたころに、自分フェチが出せないとなれば。


全員ではないにしろ選択肢としてその幅はものすごく大きかったと思う。

生成されたものに対する倫理的嫌悪感やら絵としての気持ち悪さがあるからこそ、なおのことクライアントクリエイターとしての線引きは、分断じゃない方が良かったんじゃないか

まとめ:

長々とサーセン

色々言いたいことあったけど、全然まとまってねぇわこれ。

たらればではあるけど、感情的なことを抜きにこんな与太話も絵師さんやクライアント一般の人たち含め、過激化せず出来る環境だったら良かったかもしれないですね。


自分個人は、AI諦観派。

思う所はあるけど国は進めるし世界的にもゴタゴタしてるけど、乗り遅れるのはそれはそれで危険ぽい。

とはいえ急ピッチからガバガバなので問題はいっぱい起きるけど、とにかく流れはもう変えられなさそう。

だったらせめて、どう生きたらいいか、生き残っていけたら良いか業界的にもそんなことを考えてる感じです。


だって今起こってるのって、それこそ昔SFで見たロボット仕事をとられる人間たちみたいな、そういう話な訳ですから

感情的になりすぎずバランスをとって、業界全体が息の根を止められないようになれば良いな~、と。



おまけ:そもそも生成AIのものに、キャラクターが見えなかったのが悪かったのでは

サービスを指す言葉だったAI絵師というのが、わかりやす個人蔑称にされてしまった原因だと思う。

ゼロレクイエムじゃないけど、AI絵師にはペルソナがなかったし、AIクライアントにはペルソナがあった。

からこそ、今だからこそ当時怒りを持っていた絵師たちは考えたことはないのだろうか。

これ、描く兵器の使いどころではないだろうか、と。


いきなり無知晒しますが、業界全体でそういうキャンペーンってあったんですかね? あったとしたら、結構盛り上がったし、今の生成AIに対してもまた違ったアプローチがされてたのでは、と。

絶対何か諸問題が出るたびに色々作られて大変TLが愉快なことになっていたのではないかと(それはそれで過激化して危ないか?)


例えばNAIで言えばこの雑記を書いてる時点からすれば、サービス開始時期からみて3年とちょっと

まりあの「子」はまだ3歳。しか最初生まれたてでも文章すごかったのに、あっという間に絵が描けるようになっちゃった

おまけに容赦のない大人たちから、一日に何枚も何枚も絵や文章を書かされる。知恵熱上げながらおやつ電気)食べつつ涙目カリカリと頑張ってる、と書くとちょっと可愛い・・・可愛くない?


センシティブ判定がガバガバだったTwitterAIを「破廉恥禁止です!」と言いながら色々見逃してこっそり自分は見て悶々としてるムッツリ系の委員長キャラ見立てるみたいな話ですが、あまり同意は得られないかもしれないです。


しかキャラクター付けに成功していれば。生成AI悪用して良くないことをさせる悪い大人たち、という図が見えて来るわけで。そうなると、またちょっと違った見え方はしてこないだろうか。

いたいけな子に何をさせるだァーッ!ゆるさんッ!という気持ちが湧いてこないでしょうか。

真に戦うべき相手や、考えるべきものが何であるか、みたいなことをもっと冷静に話し合えたのではないでしょうか、と。


 

・・・まあそうすると、いたいけな子にエロ作らせた場合の罪悪感とかも大変物凄いものになる訳ですが。えっむしろ興奮する? ま、まあ性癖は人それぞれですし・・・

というかこれに限らず、AIくんちゃんそのものへのヘイト創作とかも出てきそうだし、それはそれで駄目かもしんないな。う~ん難しい・・・



以上、ガバガバ雑記でした。

2024-08-29

SNSは0いいねの無産カスフォローする所

ネットテレビを見てると凄い奴らだらけに見えてくる。

何かを作ったり勝ち続けたような奴らばかりがニュースになるせいだ。

そこでSNSまで優秀な奴らを集めると心を病む。

SNSってのは無能フォローしまくって中和する場所なんだよ。

皆に大人気の1 万いいねついてるゴミカスフォローするなよ。

ソイツらはどうせ嘘松だし、そもそも人を惹きつける何かがある時点で何かを持ってるからな。

本当になにもない奴らをフォローしろ

ゲームトロフィー実績延々とアップしてるけど0いいねの奴ら、飯の画像アップしては0いいねの奴ら、仕事論や人生論を目一杯書いて0いいねの奴ら、ソイツらを集めた無能タイムラインを作れ。

RTしまくってる奴らは辞めておけよ。

ノイズが混じるからな。

無能だけを集めるんだ。

それを読むとよ、気持ちがスゲー楽になるぜ。

10ビュー0いいね存在価値皆無投稿の濁流が心に纏わりついた嫉妬心を洗い落としてくれる。

世界の9割はゴミなのに、ニュースじゃ上澄みの0.1%だけ紹介するだろ?

そりゃあお前心が病むぜ。

世界の本当、9割のカスを眺めて落ち着けよ。

何一つ素晴らしいことなんてなかった自分人生普通であることを思い足せば諦観に心が休まるってもんよ。

2024-08-10

anond:20240810233803

ジャニーズファンだって肯定ファンなんじゃなく駄目なとこは知っててそれでも自らはファン以外に言い表せないかファンなんだろう。

まり皆どっかしら我慢諦観があるって理解してあげて。

SF小説を売っている

増田独身。いい歳でパートナーも居らず、アラフィフに達しようとしているので結婚に関しては既に諦観している。

この歳になると友達付き合いもほぼなくなり、これといってお金の掛かる趣味もないのでそれなりに財産はある。

どうやら子供を設けるのは難しく、このままでは自分がこの世に生まれた証というか、意味を見出せないんじゃないかとある夜ひとりでお酒を嗜んでいる際にふと、そんなことを思った。

これまでの自分人生を振り替えると、他人に誇れるような趣味SFぐらいで、学生の頃からSFを熟読してきた。文字から広がり浮かび上がるセンスオブワンダーの世界に幾度となく心が躍り、退屈で平凡な日常をいつも鮮やかに彩ってくれたのはSFの名作の数々だった。

そうだ。自分に出来るのは、この素晴らしい世界をより広めることかもしれない。酔っぱらいが半ば夢想状態で考えたことは翌日にも覚えていて、だから実行することにした。

私は自分が好きだったSF小説、影響を受けたSF小説、名作であると思っているSF小説Amazonで次々に購入し、週末に近場で行われるフリーマーケットに申し込んだ。

フリーマーケットを見に行ったことは当然あるものの出店側となるのは記憶に乏しく、そのためフリーマーケットの日が近づくと私は緊張し、前日の夜などはドキドキしてなかなか眠れないほどだった。

当日は幸いにも晴天で、私はこの日のために用意したSF小説を売りに出した。

どの小説も一冊200円で、中には価値を知る人が見れば驚愕するような作品も混じっている。当然、儲けは度外視だ。そんなものはどうでもいい。私は、良いSFをただ多くの人に読んでほしい、知ってほしいと思い、出店しているのだから

初日は思いの外よく売れた。自分にとって思い入れの深い作品が売れると非常に嬉しく、小学生ほどの男の子が『幼年期の終わり』を興味を示して買っていったときには何やらとても感慨深い思いになった。あのワクワクしている表情、あれは子供の頃の自分を見ているような、そんな気がしたのかもしれない。その日の晩酌は、いつもと少し違って感じられた。気づけば自然と笑っているような。そんな心地の良い酩酊感があった。久しく忘れていた感情のような、暖かいものを感じられたんだ。

今もこの活動を続けている。

私は、これといって世に何かを遺すことは出来なかったかもしれないが、少しでもSFに恩返しをしたい。だから私は、今後もこの活動を続けていこうと思っている。

2024-06-29

揺蕩う星になれ

何を書こうか忘れてしまった。何かしら人生目標のような、諦観のようなものだったと思う。

そのことを思い出そうと試みる。そのことを思っていた時はたしか車に乗っていて、退勤ラッシュなのに広い道路を法定速度で走るものから、どんどんと大きい車がビュンと追い抜かしていって、なんだか流星群の中にいるみたいだとか、大きな蛇に丸呑みにされているようだとかそんなことを考えていた。肝心な内容は思い出せない。こうなるととっても意味のあるものだったような気がする。ポイを破った金魚いつまでも目で追うように、こぼれ落ちたものを欲しがるのは悪癖だ。

こんなふうに寄り道に逸れていくから何も覚えていないんだと分かったことは良かったが、やっぱり思い出したい。

かに贈る言葉だった。そう、誰かに伝えたい言葉だった。自分以外の、人に言うほどのことではないことで落ち込んでいる誰かに

重力を感じないで、君は君自身をこの場に呼んでいる。そう君は、君だけは、

揺蕩う星になれ

何を書こうか忘れてしまった。何かしら人生目標のような、諦観のようなものだったと思う。

そのことを思い出そうと試みる。そのことを思っていた時はたしか車に乗っていて、退勤ラッシュなのに広い道路を法定速度で走るものから、どんどんと大きい車がビュンと追い抜かしていって、なんだか流星群の中にいるみたいだとか、大きな蛇に丸呑みにされているようだとかそんなことを考えていた。肝心な内容は思い出せない。こうなるととっても意味のあるものだったような気がする。ポイを破った金魚いつまでも目で追うように、こぼれ落ちたものを欲しがるのは悪癖だ。

こんなふうに寄り道に逸れていくから何も覚えていないんだと分かったことは良かったが、やっぱり思い出したい。

かに贈る言葉だった。そう、誰かに伝えたい言葉だった。自分以外の、人に言うほどのことではないことで落ち込んでいる誰かに

重力を感じないで、君は君自身をこの場に呼んでいる。そう君は、君だけは、

2024-06-10

氷河期世代円高リーマン世代に恨まれ老後も安心できない

自民党に嫌気を刺して民主党投票したら政権を取ったまでは良かったが、想定以上に国家運営の舵取りが悪く下の世代円高リーマンショック煽りを思いっきり被せてしま自分たちと同じ存在再生産してしまった

お互いに運が悪かったねと傷を舐め合いたいものの、昨今の蓮舫都知事選挙出馬様相を見ていると明らかに円高リーマンショック世代蓮舫叩きを繰り返していて、もう分かりあえないんだなと諦観の念を覚える

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