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はてなキーワード: 自尊心とは

2020-11-12

anond:20201112204104

自己実現って意味では絶望する場合もあるだろうけど

自尊心が削られたり常に自分が掲げた目標に追われて生きることもないし、

ゴール地点が決まってるから教育ぶれることもない。

今の日本て15、16でやりたいこと見つけて進路の準備する程度でも早熟な方でしょ?

で、利発だったり家庭環境うまいこと影響受けたりで、10歳にもならないうちから方針定まってた子がのちのちその分野のトップランナーになる。

正直物心ついたときから「お前はこれになるんだ」って言い聞かせながら育った方が良かったんじゃないかって奴いっぱいいると思うわ。

なんとなく大学いってなんとなく存在しなくても困らないような会社で働いてる奴ばっかじゃん

実は地方だとそういう感覚ちょっとあったりして、それに馴染めなかった奴が東京なり大阪なりに出てくるってパターンも少なからずある。

現代日本人にとってアンチ階級モデル東京なんだろうね

つーか人生敗戦処理みたいになるレベルで荒んだ家庭は現状の日本でも全く救われてないと思うぜ

anond:20201111124055

トラバブコメも「なんだ偉そうに」的な反応が目立つけど、増田はこういう職種従事者を劣った人間だとは言っていない。

世間から軽んじられている人々を憐れみ、それに気疲れしてるということが増田からは読み取れる。

もし今後増田自身がそういった生活余儀なくされても同じトーンで「模範的な”一般市民からうっすら侮蔑を向けられているのがつらい」と愚痴るんだろう。

おそらく地位や名声、収入格差QOL、交友関係といった格差にまつわる事柄が、

生い立ちや個人資質、今までかけてきた労力の差といったパーソナリティに集約されるのが、増田にとって不快なのだと思う。

僕は小売店でずるずるバイトを続けている身分だけど、誰と話しても「こんなとこでフリーターに甘んじてるような奴は思慮も複雑な感情もないただのでくの坊だろう」という前提で会話は進む。

大学院に通うバイト仲間もパートのおばちゃん毎日午後8時に同じものを買って帰るリーマン子連れ主婦徘徊する老人も毎日へとへとな店長も近所に住むが疎遠になってしまった幼馴染も、

みんな自分生活はだれにでも代替えできるものではないと思っている。

みんな「まああなたにはわからないでしょうけど」というものアイデンティティに組み込まれている。

でも実質的には障碍者でもないなら人間社会なんていくらでも配置転換可能だろう。

教育さえ施して周囲がそれ相応の扱いをするならば、

パートのおばちゃん大学院研究漬けになって若妻が企業戦士になりしなびたおっさん子どもを連れた主夫になり俺がへとへとな店長で幼馴染が孤独に惨めにずっとフリーターってこともあり得るはずなんだ。

各々人間の間に蔑みが生まれるほどの能力差なんてあるのだろうか。

でも今の生活が崩れるはずがないという安心を得るため、自尊心を埋めるために、人はそれを人間としての程度の違いとして扱っているんじゃないのか。

公権として格差規定して人を縛れば、それを個人パーソナリティと紐付ける余地はなくなる。

魚屋の息子だから魚屋になるしかないような社会なら、あんたは馬鹿から東大に進学できないのだというような発想はどこからも生まれない。

人として程度が低いかコンビニバイトしてるしかないのかと打ちひしがれるか、コンビニバイトするような身分じゃなければあれができたと空しく妄想してるか、

どっちがマシなんだってことが増田の言いたかたことなんじゃないの?

カーストでがちがちに決められているよりこの世界のほうが絶対的に良いって言える根拠ってどこにあるの?ってことでしょこれ。

2020-11-09

愛知県知事リコール署名半笑いでおちょくっていて背筋が冷えた話

愛知県知事リコールするための署名運動が、86万筆を必要としたものの43万までしかまらず、思いっきり失敗して頓挫した。

43万というのはなかなか不思議数字で、運動音頭を取っていた高須院長の以前から言動比較すると、「全然足りてねえじゃねえか」という気もするし、純粋に数だけみれば、かなり集まったな、という気もする。

俺は高須院長とその界隈がハラワタの底から嫌いなので、高須氏本人とサポーターであるジャーナリストの門田氏のtwitterに、次のようなリプライを送った。

必要な数には届かなかったが、43万というのは本当に立派な数。正式手続とはならない以上、本来不要検証ではあるが、ぜひ中身を精査し、43万人分の民意実在することを堂々と知らしめて欲しい

・ところで、今回の運動のさ中、事務所に盗聴器が設置されたり、乗用車工作の形跡が確認され被害届が出された経緯があったと思う。これは、命を脅かす危険さえはらんだ卑劣行為。ぜひ調査の進捗を教えてほしい。ジャーナリストたる門田氏にも真相を究明して欲しい

この文言は、当然というべきか俺のねじ曲がった性格からまれている。

今回の署名の中に出どころの怪しいものが紛れ込んでいるという情報散見されることをふまえ、「43万筆集まったけど、検証した結果、一部は捏造して膨らませたものでした、なんて格好のつかないこと、後から言ったりできねえよな?」ということ。

また、「事務所や車への工作活動も、狂言とは言わないけど、勢いで届け出提出したやつを、世間が忘れかけてるからこれ幸いにうやむやにしようって肚だよな?」ということ。

俺はそう思っていながら、これをいかにも高須院長のサポーターです、という体裁で送ったのだった(ところで、悪意で行ったアクションを後から言葉にすると、こんなにうすら寒い気持ちになるんですね)。

このリプライはその後ぽつぽつRTされて、何十件かいいねを集めた。

反応した人たちは高須先生サポーターと思しき憂国烈士の方々で、俺がいかにも先生支援しその体を案じているという風に繕ったので当たり前ではあるのだが、味方によってこうやって退路をふさがれる(ってほど大げさでもないけど)ことがあるのかもなあ、と少し怖い気もした。

話はここから少し変調する。

俺はふと思ったのだが、俺のツイートに反応した人々は、果たして本当に高須院長の心からシンパなんだろうか?

以前から俺は不思議だったのだが、あんなどう考えても常軌明後日の方向に逸して与太を飛ばし続ける人物を、マジメに支援できるものだろうか?

世間では、いわゆるパパ活という遊びの変種として、若い女性に金品を与え続けて当人自尊心を変性させ、その後の人生を狂わせていくのを観察するところからが本番という、色んな意味で俺にはマネできない趣味があるという。

あいつらはもしかしてSNS媒介高須院長相手にそれをやって噴き上がらせて、面白がってるのだろうか。観察の対象若い女じゃなく古希を過ぎたジイサンというだけで、これは一種パパ活なのか?

この想像は、そう考えた方が俺にとってしっくり来るからだが、逆のパターンもあり得る。高須院長の方がパンピーからかってるパターンだ。院長は表面上に反し、リコール真剣でもなんでもなく、美容手術で切り取ったポコチンの皮を片手で優雅にもてあそびながら、大勢のアホを動員して楽しんでいる…これも理解できる。院長とシンパの年齢を考えれば、むしろこっちの方が本来パパ活に近いともいえる。

こうして考えると、愛知県知事リコールは三つの可能性に整理できる。

1. 院長もその取り巻きも大マジ、という優しい世界

2. 院長はマジだが取り巻き半笑い、という70過ぎのジイサン見世物にした構図

3. 院長は半笑い取り巻きがマジ、という大規模なパパ活

あれ、もう一つあるんじゃねえか?

そう思った人は鋭い。

そうだ、 4. 院長も取り巻き半笑いでやっている、というパターンである

院長は多忙だ。そのサポーターだって多忙だろう。したがって、外野から見れば口角泡を飛ばして熱心にやっているようで、実際は片手間にツイートし、片手間にRTし、Twitterの画面上の数字だけを膨らませているに過ぎない。これもあり得る。

その場合、院長とサポーターは誰をおちょくっているんだろうか。

あえて言うなら、「俺」しかいないだろう。俺は、遠目から彼らの界隈を冷笑しているつもりでいて、実はこの状況にもっとも青筋を立てていたのは俺自身であることを暴かれたのかもしれない。俺はここでやや背筋が冷えた。

この話にオチらしいオチはないけども、俺は4番目のパターンが一番怖いわけだが、一番望ましいな、とも思っている。2, 3も怖いが、それでもいい。理解が及ぶからだ。やっぱり俺は、1番目の可能性がもっとも醜怪で、不快で、意味不明だと思うなあ。

同人誌作ったらオン専の人が嫌いになった話

中学の頃から腐女子でずっと二次創作をしており、pixivやらTwitterやらでアカウント転々としつつ、オンライン上のみで活動をしてきた。

描く絵は一枚絵ばかりであり、漫画簡単4コマくらいしか描かなかった。

イベントでは買い専に徹し、自分同人誌を作れるという発想も無く、「漫画や本を作る=とても大変なこと」だと考えていた。

しかし、3年ほど前に某ジャンルに強くハマり、初めて私は「推しカプの本を作りたい」と感じた。

そのジャンル知名度は高いが、女性向けとしてはマイナー寄りであった。

だが、活動している人はそこそこいた。というより想像よりたくさんいて喜んだ覚えがある。

最初は今まで通りオン専で活動するつもりだったが、自分作品が今までより良い反応をもらいやすいとだんだん感じるようになった。

今思えば、手前味噌だが私の画力が当時のジャンルの中でも中の上くらいだったことと、貴重なカプ者としてありがたく思ってくれる人達いたことが理由だと思う。

その時の私は良い評価をたくさん頂けたことで自己評価が高まっていた。

今の自分なら漫画も描けるのではと思って制作した推しカプ漫画も、無事多くのブクマいいねが頂けた。

そこから更に本も作れるだろうという気持ちも出てきた。

丁度ジャンルに来て1年くらいだったと思う。

同人誌の作り方を調べ、とあるイベント目標計画を立てて制作を始めた。

しかし、本の執筆自分想像していたように大変なことだった。

ネットにあげていた漫画所詮1〜2pほどであったが、こちらは一気に10倍のボリュームを描くことになる。

上手くまとめないとページが足らなくなったりグダグタになったりする。話の流れで苦手なアングルも描くことになる。などなど…

描いている最中で何度も「本当に面白いのか」「この絵おかしいけど直せない」と虚無に陥りながらなんとか描き続けていた。

自分の絵が嫌いになりそうにもなった。

一方、私が本を作ろうと思い立った半年ほど前に新規の人がジャンルに来ていた。

その人は私と同じオン専であった。しかTwitterのみでしか活動していない様であった。(以下Aとする)

Aとは私のアカウントフォローしてくれたことをきっかけに相互となり、絵をいいねしあってたまにリプを送るくらいの仲となった。

彼女の描いた絵は私と同じくらいの評価をされていた…と最初は思っていた。

彼女の絵は、私における「今回は特に反応が貰えたな!」と感じる量のいいねRTコンスタントに稼いでいた。

さらフォロワーじわじわ増えていき、いつの間にか私の何倍にもなっていた。

私が思う以上にAは絵が上手かった。

私が苦戦しながら原稿を描いている間もAは絵の投稿を続けていた。

その度に多くのいいねを貰い、フォロワーを増やし続けていた。

最初は私もAの絵をありがたくいいねしていたが、そのうち彼女存在が私の自信に影を落とすようになっていった。

話は戻るが、なんだかんだで原稿は完成し、サークルとしてイベント参加することを達成した。

私の本を買いに来てくれる人がいたこと、今までネット上でしか知らなかった人達と実際にお会いできたこと、差し入れをいただけたことなど、嬉しいことがいくつもあった。

本の感想をくださる方もおり、喜びのあまり何度も読み返した。本をきっかけにフォローしてくれる方もいた。

何もかもが初めての体験であり、イベント後も1人ずっと感動していた。

また、同人誌執筆など自分にはできないと考えていたため、自分やれば出来るじゃん!と自信がもりもり湧き出ていた。

そんな時にふとAのTwitterアカウントが目についた。そのフォロワーいいねRTの数の多さに、途端に自尊心が急降下した。

自分pixivTwitterをまめに更新し、本を作ってイベント参加もした。

なのに彼女Twitterしか活動せず絵を上げるくらいで呟きも少ないのに私よりずっとずっと多くの評価をされている。

そこが私には許せなかった。

私は必死漫画を描いてたのに。特に締め切りのない絵を描き散らしてるだけで。調子に乗ってるんじゃねーぞ。とも感じた。

Aは絵を描いているだけで調子もクソも無いのにそう感じていた。

そのうち、この感情はAだけでなくオンライン上の狭い範囲しか活動していない人全てに向かうようになった。

今まで仲良くしていた人達活動履歴を探り、オフライン活動のある人としか仲良くしないようになった。

自分でもバカなことをしていると思っている。

評価の量は自分技量問題であるし、本を作ろうと思ったのは自分で決めたことで、それで苦労をしたのも自分技量のせいである。

Aを含めた「オンライン上でのみ活動する人々」には何も関係のないことである

なのに私は彼らのことを「オフライン活動をする度胸のない奴ら」だと感じている。

自分の中にこの考えはおかしいと分かっている部分もあるのにやめられない。

これからもAの様なオン専が多くの評価をもらっていることにムカムカしつつ、苦しみながらサークル活動を続けていくだろう。

2020-11-05

anond:20201105011915

女性向けは男も女も描く。男性向けでは男は消える。

かにこの違いは面白い

描かないのはその「彼氏」に固定のイメージを持たせたくない(≒その「彼氏」は自分だと妄想したい)男向けだけ

どうして男女で違ってくるんだろう。女性はなぜ自分だと妄想したくはならないんだろう。

壁になりたい・床になりたいって腐女子の方が言っているのを聞いたことがある。

それは彼女自尊心が低いから? 自分が輪に入ろうとは思えないから?

腐ってる女子、って言い方の自虐的な響きは、この説を裏付けてる。

だけど一般的女性の傾向もそうなら、この仮説は的を外してるってことになるな…

あるプロダクション所属する Vtuber について面白い現象に気づいた。

男性女性コラボする… 同時出演するけど、

女性男性ほとんどコラボしない。

これは男性視聴者を想っての対応だと解説している人がいた。

でも俺は、数少ない男女のコラボ観たんだけど、結構楽しいんだよね。

こういうの、もっとください、って思った。

(俺が特殊で、独占欲? がないだけなんだろうか? 画面の中のアイドルに向かって独占も何もないと思うんだけども…)

anond:20201103224649

https://anond.hatelabo.jp/20201103224649

絵師ファン増田です。

「つらいね」「ファンとして同じ気持ち」「画集/タイツ買って応援だ」等と言ってくれた人達、おかげで気持ちが落ち着きました。ありがとう

うまく伝えられなかったかな?と思ったことのひとつが、私はいタイツユーザーとして、件の企画への違和感があったということです。ファンとして巻き込まれて悲しいってだけじゃなくて。

私はタイツフェチ絵を楽しむ女性ではありますが、同時にタイツ毎日履く女性でもあります。防寒目的だったり、ファッションの一環だったり、セクシーに見せたかったり、露出を抑えたかったりとその動機はいろいろですが、そういう顧客気持ち(要望欲望?)に寄り添った企画ではないと感じました。イラスト自体は好きだけど、「私はこのタイツでこうなりたい」より「タイツ女子いいよね」が起点にある表現だというか、タイツを履く人の目線じゃなくてタイツ女子を愛でる視線が強いというか。具体的にどこがと言われると感覚しかないんですけど……(だから否定もしきれない)。

でも、そう思いつつもいろんなタイツを知るきっかけにはなって、結果として私の購買意欲はあがったんですよ。だから広告として一定の効果はあったんだよねと認めてもいるのです。これがpixivイベント会場での企画展示だったり、アニメイトイラストパッケージ商品販売したり、ということだったら(TPOに即していてターゲット層にバッチリ届くという意味で)成功だったんじゃないかな…と想像せずにはいられません。ここらへんの分析や是非論は広告プロの方に譲りますが。

ここまで、あくま企業広告としてどうなんだろうという顧客目線での違和感の話です。あれらのイラスト女性蔑視で社会的に許されない表現なのかとか、成人向けコンテンツと同様に公共に出してはいけないものだったのかとか、そういう論点であれば私はイラスト擁護しますが、それはまた別の話じゃないかと思います

コメントで腹立たしかったのは、「男オタク趣味しかロリ表現が好きって、性暴力受けたことないの?それとも性暴力追体験したいの?」「もっと酷いことされたいのかも」「ブスで自尊心低いとそうなる」「性を売ってちやほやされるのが好きなんだろう」「年を重ねても頭が弱くて気づけない」ってマジで言われたことです。ツリーにぶらさがってます

創作物の好みによって、こんなこと言われる筋合いは一切ありません。

「男では」とか「名誉男性」とかい言葉もちらほら見かけました。女性が今回のようなイラストを好きだと表明するだけで、こんな言葉をふっかけられるのは異常じゃありませんか。

女性が(男性も)どんな表現を楽しもうがこんな偏見を持たれず、性を主体的謳歌するのが当たり前の社会になってほしいと思います

あと、これはどうでもいいことですが、私に対して「フェミ付け焼刃作品調べて、オタクのふりしてイラスト批判してる」と言う人と、「内部事情に詳しそうだ、これは関係者本人がフェミのふりをして企画擁護してる」と言う人が両方いたのにちょっと笑いました。

さて、いろいろ書いてきましたが、一番いたたまれ心配しているのが、関係者罵詈雑言が浴びせられている現状があることです。全体的には「広告としてはね」という穏健な意見が多い?と私は思ってるんですが(たぶん…)、中には関係者に対して「死ねばいい」とすら書く人も本当にいるんです(見ました)。

もちろん逆に、私は見ていませんが、企画が嫌だなってコメントしただけなのに罵詈雑言を浴びせられた人もいると思います

炎上させるつもりがなくても、何気ない意見表明が数十万数百万と一気に積み重なった時、その総体は誰にどのような影響を及ぼすのか、なにが起こるのか……。叩けるものが現れたって意気揚々としてしまうことはありませんか?傷つけられた側なのに配慮を求められるのはおかしいっていうのもわかるんですが、どの立場の人も、意見表明のしかた、加減、タイミング意識すると、もうちょっといい社会になるかも……なんて昨今の繰り返される炎上劇を見ていてよく思います

2020-11-04

可愛い息子がお調子者になっていくのがつらい

タイトルそのまま。

可愛い可愛い息子が、幼稚園児らしくどんどんお調子者になっていくのが辛くてたまらない。

子ども面白いと思ってやることって大人からしたら馬鹿げてることが多くて、

でもそれが成長に繋がるのはわかるんだけど

現在進行系でお調子者っぷりを見せつけられるのが辛い。

女の子信仰はまったくなかったけど、ここにきて女の子調子に乗らずに先生の言うことちゃんと聞いてるのとか見ると羨ましくて辛い。

頭の回転が早くない野原しんのすけみたいになっててまじで辛い。

相手をするのが大変すぎる。自尊心削っちゃダメだと思ってても馬鹿じゃね…みたいな気持ちが前面に出てしまう。

夫に相談したら高校生くらいまでこんな感じだよって言われて絶望している。

2020-11-03

鬼滅の刃がヒットした本当のところ

鬼滅の刃が爆売れしているのはなぜか?というのを論じる記事をたまに見るが、どれも本質的ではない。惜しいものならあるのだが。

今回は、ヒットした理由の本当のところを述べてみたい。

結論から言うと、愛や憎しみの表現が上手いからだ。

鬼滅の刃は、他のジャンプ作品に比べて愛憎や人間同士の繋がりを描いた場面が多い。

そのうえで、キャラクターが魅力的であり、バトル描写があり、一応は恋愛要素もある。

これでウケないはずがない。

私の意見だけでは根拠に乏しいので、引用をさせてほしい。

ベストセラーコード』という、アメリカ言語学者フリージャーナリストによる共著だ。テキストマイニングという数学アプローチにより、実際に世にウケる作品パターンについて記した本だ。1万冊以上の小説スキャンして機械分析にかけている。

少し長い。結論最後の方にある。

 しかし、このふたり(注:書中で紹介されているベストセラー作家のうち2名)の共通点のうちもっとも興味深いのは、彼らが上位で使っているトピックが、ベストセラー予測するにあたって決め手になるとモデル判断したトピックに一致することだ。といっても、ベストセラー作家特有トピックという意味ではない。売れない作家もよく使うトピックからだ。しかし、非ベストセラーにくらべると、ベストセラーに出てくる率が高いので、予測するときには威力を発揮する。書き手にとっては無視できないトピックといっていいだろう。セックス犯罪といった人目をひくものにくらべると、驚くほど平凡なそのトピックは、人と人との交流関係を示すものである。だが、人間関係といっても、ロマンチック恋愛情熱といった激しい感情を伴うものではないし、先生と生徒、社員上司といった型どおりな関係でもない。それは人間同士のつながりを感じさせる近しい関係だ。予測するにあたってもっと重要なこのトピックが出てくるシーンには、互いに親しみや愛情を感じ、絆で結ばれている人々が登場する。

 【ベストセラーコード「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム】 p.89~p.90


著者は、これ以降の章においても、ベストセラーになる作品の傾向を繰り返し述べている。人間同士の温かい関係性という要素が、作品がヒットする最大の要因であると。

同感だ。これまで多くの漫画アニメ映画小説を嗜んできたが、面白かった作品というのは、どれもみな人の繋がりの描き方に重点を置いている。

それに比べれば、作画が美しいとか、戦闘シーンに迫力があるとか、性的描写というのはおまけに過ぎない。

もう一点だけ述べるとしたら、「感情」だろうか。鬼滅の刃は、とにかく感情が動かされる。ページを捲りながら、複雑な気分になって悶えたりすることが私の場合はよくある。

あとひとつだけ引用させてほしい。こういうのは客観性大事だ。

 脚本の基礎を学ぶ時間はそろそろ終わりにしよう。今から脚本執筆術で本当に大事なことに焦点を当てよう。本当に大事なこと、それは脚本を読む人に感情的な体験提供するということなのだ。読んだ人の心がいろいろと感じたから、それを良く書けた脚本と呼ぶのだ。

 【「感情から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方】 p.14


先に挙げた本は科学者寄りの人が書いたもので、こちらは実際の脚本家が執筆した本になる。

こちらの著者は、感情を揺さぶものこそが良いストーリーであると、本書の中で繰り返し述べている。

例えば、『鬼』の描き方がそうだ。鬼滅の刃に出てくる鬼のほとんどに過去がある。凡百の作品では、敵は倒しておしまいであり、過去が用意されるのは重要キャラクターに限られる。

でも、この作品では、鬼と戦っている最中モノローグが流れ、敵が歩んできた道のりや、鬼になった理由や、鬼になってからの労苦が描かれる。こんな作品は今までにあっただろうか。いや、ない(反語)。

鬼滅の刃の冒頭は退屈だ。地味な情景からスタートする。

山に住んでいる少年が炭を売りに出るところから始まって、売りに出た先の町では可愛がられていて、炭治郎の人柄ゆえに炭は無事に売れて、帰る頃には暗くなっていて、山に登ろうとしたところで〇〇に泊まっていくように言われ…その夜、家に男が2人、何も起きないはずがなく…

修行シーンも長々と描かれて退屈に感じることもある。それでも、上に挙げた名作の条件をばっちり満たしているからこそ、ジャンプで生き残ることができた。

世でいうところの、売れる要素、売れない要素というのは上っ面でしかない。連載当時の編集者や読者は『本物』を見抜くことができた。だから、同じくこれが本物であることを見抜いたアニメプロデューサーによって、潤沢な予算スケジュールをもってアニメ化されたのだ。

鬼滅の刃評価については、当記事のほかにはてな匿名ダイアリーや、note記事や、個人ブログなどをいろいろ読んでみるといい。

個人的には、Amazonカスタマーレビューが一番参考になった。以下のURLを載せて終わりにする。

漫画

ブルーレイディスク

プライムビデオ

なお、漫画版において低評価レビューが顕著であるが、彼らの正体は売れない漫画家かアマチュア作家だ。

自分作品が世に評価されないので、人気作品の粗を探して叩くことで自尊心を保っている。

魔法科高校の劣等生』など、アマチュア作家出世作ありがちな現象だ。目にはつくが気にする価値はない。

潔癖グロ

広告創作物などの表現に対し、

「これは性的表現から公的な場では取り下げろ」

「こんなに胸が強調されている、これは女性性の搾取だ」

気持ちを表明するする方が多くいらっしゃるようです。

そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者

自分意見は正当である、その表現を取り下げろ」

と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。



この内容の言動を唱えている方の大半は、

その表現の印象が過激だとして変更を迫りますが、

人により性的であると感じる度合いは様々であり、

制作側の、どの程度の表現規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、

徐々に該当する表現であるものを増やすことで、

結果的に世に出る表現の幅を狭めてしまっています

このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、

「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、

「わかってくれないあなたたちが悪い、理解不足である

として、放暴的に意見押し付けている状況である理解しています



論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います

私たちはこの性的表現によって傷ついたんだ、私たち被害者だ」

このように気持ち表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります

ですが、この表現論理性を持たないものであり、

現に一般創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。




私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。




この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまりエロ表現」ですが、

現在では、エロ表現は、年齢的な制限場所制限等、

またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、

様々な”ゾーニング”がなされており、

こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています



エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、

同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います

私たち意見は正当だからそんなことはしなくてもよい」

と感じる方もいらっしゃるかと思いますが、

正当性を持たせるためには、そこに論理整合がなくてはなりません。

論理整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。



性的表現は苦手」だと感じる人は、

社会において一定存在することは私は認めます

ですが、論理性を持たない、個人感情である一介の表現ですので、

それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。



人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。

少なくとも哺乳類一種であるホモ・サピエンスという種として生まれ私たちは、

生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます

私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます

生殖機能から発出する性意識衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います

更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます

社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当ものであるとして端に追いやられてきました。

しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するもの蔑ろにされるべきではないと考えます

表現は、苦手な人がいるのは承知し、配慮しつつも、

表現自体が蔑まれ排斥されるようなものではないと考えます



細胞を分裂させて、自分クローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか

私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか

そのどちらかの当事者であれば、この性表現排斥しようという意見は飲み込むことはできます

しか私たち人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。

そこからまれる性表現も、大切にされるものであると考えます

上記理由から、私は性表現排斥という言動について、正当性はないと考えます




上記人間が、排斥標榜する言動に至るようになったのは、

一重に、その社会において、社会という基準において

正当性がないと言っているのだろうと考えます

これは、私たち生活している中で動いているその社会自体が、

まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、

生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います

私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。

そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、

理性で性的衝動を抑え込むことで、生物社会を回すことに成功しているのだといえます

忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。

上記言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます

からこそ、このような言動が出てくるのだと考えます


「性表現は女を搾取している」

というのは、その性表現の中に、

現在社会的な価値観内包されており、

実際に、

活動がどのようなもの理解できず、負担をかけてしまうことであったり、

双方の意思なしに快感一方的に感じていることであったり、

それによって心理的ストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います

しかし、この論理で話を進めると、

そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現ゾーニングされるべきであり、

ただ身体を魅力的に表現することや、生殖器の描写

双方の同意があって、適切に性行動が行われている表現

加虐側がそれをしたことにより不利益を被る表現も同時に組み合わせた表現

については、本来ゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。



また、ゾーニング排斥排除意味で使われている方が多く散見されます

https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582

ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、

派生してゲーム等でのレーティングでは、表現過激からスコア付与し、

あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、

その表現自体排除排斥するためにレーティングを行え、というのは、

レーティングを行うのではなく、気に入らないもの検閲を行えと言っているのと同義であり、

検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています

排斥排除しろ表現するのはヘイトスピーチに当たります

また、ゾーニング言葉より、

「この表現過激から、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」

というのであれば理解できます

しかし、表現自体を憎む方は、

製作者が別のプラットフォーム等に表現を表したとしても、

自身がそのプラットフォーム自体管理者ではなかったとしても、

どこまでも製作者を追い続け、「不適切から取り下げろ」と迫ります

プラットフォームが認めている表現であれば、本来意味からゾーニングは適切になされているのであり、

不快である表現する側がゾーンから異端であるのだと思います

たとえ表現者が、

ただ身体を魅力的に表現することや、生殖器の描写

双方の同意があって、適切に性行動が行われている表現

加虐側がそれをしたことにより不利益を被る表現も同時に組み合わせた表現

から外れた社会的に逸脱した過激描写をしていたとしても、

プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています

その表現を現世から消し去ろうという目的

表現製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為

表現の自由を脅かす行動で咎められるべきです。

表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)

このような排斥言動も、上記理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。

女性から男性から、その他の性だから、何かの加害者から被害者から言ってもいいんだ、という理由にはなりません。




私は、現状のような、

潔癖であることが何よりも是であり、性的表現一般社会に全く表出されるべきではない

という今の社会規範には些かの疑問を覚えます

私は、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部であり、

そこからまれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。

ただし、性的表現が苦手という人の立場にも配慮し、

潔癖すぎる表現と、性的すぎる表現の、中間の均衡を狙う表現

一般社会において普遍的に用いられるのが望ましいと思います

社会的に上だ、下だ、どの程度お金を稼いだか、貧乏

そんな金銭中心の表現が氾濫している昨今ですが、

大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか

恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか

社会的な規範でいえば

どうすれば相手気持ちを考えられるか、ですとか

気持ちを伝えて仲良くなる方法、ですとか

どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか

もっと性を身近なものとして取り上げてもいいと思いますし、

それに付随する性交表現や、性器表現も直接的でいいと思います

私たち本来有する機能であり、大半の方は性行為経験することになるからです。

もっと社会が性に寄り添ってもよいのではないかと考えます



子どもが見たらどうするのだ、という意見もありますが、

子ども大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、

低年齢の時から、しっかりと、まずは”自尊心”の育みと、

段階的に性の知識を育んでいき、人とのコミュニケーション

思った感情相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、

そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、

性的ものに触れるというのが望ましいと考えています

ですから社会的に逸脱した行為社会ゾーニングを行うとして、

一般社会では適切に性的表現咎められるべきではないと考えますが、

場所的に小学校の周り等には、

小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板

ドンと建てられるのは私でも少し抵抗があるので)

周りから一定範囲にはそういったもの掲載しない等の規則が出来ればと思います

子ども学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、

性というもの抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います




翻って、

「これは性的表現から公的な場では取り下げろ」

「こんなに胸が強調されている、これは女性性の搾取だ」

このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます

この表現により傷ついた、不利益を被った方は沢山います

現在の「エロ表現」と同様な、年齢の閲覧制限場所による制限必要なのではないでしょうか。

一方的ヘイトに私は耐えられません。多くの創作者も同じ思いだと思います

anond:20201102130012

話を聞く限り、まず自分尊大すぎる自尊心と向き合うようでないとどうにもならんな

望む結果を出すためになんにもしてないのだから、なんにも起こらないのは当然ですらある

対人関係の深化を目指すなら、誰だって挑んで負けてを繰り返すもんだ、必ず勝てる手はない

anond:20201102130012

現代山月記か?

己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、

又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった

...を仕事恋愛で語るとこうなるのかなって思う。

極めるまで勉強仕事に専念していた人にしては年収なすぎだし、

かといって恋愛に没頭して異性に選ばれる自分という選択もできなかったという話でしょ。

臆病な自尊心と、尊大羞恥心が透けて見えるよ。

小説家になろう」で売るための(間違った)努力をした人々

君がダサいと思っているのは多分「長文タイトル」じゃない気がするんだ|clock96|note

https://note.com/you96/n/ncc262b326f82

 上記noteでは『アマチュア──悪い言い方をすれば趣味素人──たちが、みんながみんな「売る」ためのことをやっていると思うのは、少し早計過ぎないだろうか?』と疑問を呈している。

 答えは否だ。投稿者特に日間ランキングへの掲載を狙う人たちの多くは『ただの趣味で終わらせたくない人』であり、少しでも有利になるようSEO対策に余念がない。よく話題になる長文タイトルも『当たり判定を最大化』『スマホの画面を占有する』『あらすじを読まない人に内容をアピールする』といったなろうの不出来なUI最適化した結果である

 5chの作者向けスレッドでは需要のある要素やテーマ更新時間、一話の長さ、タイトルタグの付けかた等々、ちょっとでもポイントを稼ぐための長々としたアドバイステンプレが埋まっている。

 これらの作品面白さとは無関係な小技は、少々姑息ではあるものルールの中に収まった正々堂々としたテクニックと言える。しかし皆がやってる努力だけではライバルを出し抜くのは難しい。

 そこでチートである。ここでの意味はなろう小説に登場するチートスキルと違ってただの規約違反のことだ。以下で紹介するのは先人たちの間違った努力歴史である

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

複数アカウント

 アカウント複数作り自分ポイントを入れる、王道である

 当初は「やってるやつもいるだろう」くらいの認識だったが、今では突然人気ランカーがアカウントBANされ消滅するのが風物詩である。バレると一発BANなため唐突強制退会された作者は複アカ使いだったと見て間違いない。この場合作者ページには規約違反のため退会と表示される。

 とある作者A氏は書籍化企画も進行しそろそろ発売日が発表かというタイミングでBANされ話題となった。有志がキャッシュなどから調べたところ『ほぼ同じ期間に作られ一斉に同作品ポイントを入れ、それ以降活動実態がないアカウント』が三十数個見つかり、当時は異例の規模だったこからプロ業者かよw」「必死すぎる」などと揶揄された。

 その後A氏は別サイト活動の場を移し元気に連載を続けている、もちろん書籍化はしていない。

□□□□□□□□□□□□

互助会

 王道であるはてなではおなじみのアレである。当初は都市伝説めいていたが、加入を誘うメール参加者暴露が相次ぎ実在確認された。

 行為としては互助会参加者達がメンバーの新作に一斉にポイントを入れる。複アカもそうだが短時間で大量のポイントが入ると日間ランキングに載る可能性が高く、非常に有利になる。

 本人達は人目にさえつけば正当な評価が得られると思っているらしい。

 最近露骨勧誘は減り、なろう投稿者Twitterへ「作家同士で繋がらないか?」「お互い作品批評して高め合おう!」など、具体的に言わないけど察してくれ的な誘い方に変化している。評価依頼は口に出さなければ規約違反ではないという理屈だ。

□□□□□□□□□□□□

5chで作品公開し自作自演

 一昔前の5chのなろう系スレッドでは自作晒し感想を求めるのが盛んだった。投稿しても埋もれてしま感想ゼロなんてのはあたりまえなので、同じ投稿者に見せてアドバイスをもらうのは理にかなっている。自分じゃ悪いとこはわからないものである

 とある作者向けスレッドで自晒しされた作品が、スレッド住民から非常に高評価された。普段と比べればちょっと自然なくらいだったが、まあ有望な新人が出るのは良いことだ。

 しかスレの中盤になって「スレ序盤に晒したやつ、持ち上げ方おかしくない?」と疑問を持つものが出る。よく書き込みを見ると『褒めつつも文章が固い』と指摘するレスとそれに反論するレスが同一IDだった。

 最終的には『絶賛し評価ポイントを入れたと主張』『ブックマークを促す』『他のなろう系スレッドで、今〇〇で晒してる作品がすごいと宣伝』『有名作者を匂わせ褒める』『懐疑を表明する者に、実力が伴わないと自作自演効果などないか問題ないと反論する』等々の大量の書き込みが、おそらく同一人物と断定された。

 ところどころIDチェンジに失敗してたり、書き込み共通する癖が明確だったのだ。指摘されて以降IDコロコロ君はプツリと消え去り、散々宣伝した作品ランキングに載ったもののじきに削除された。

 当時スレッドで自晒しした作品がその影響でポイントを稼ぐことが多かったので徹底的に自作自演してみたのだろう。

 作品の発掘を5chに頼っている層が意外と多いことを証明した(今はすっかり下火だが)。

□□□□□□□□□□□□

感想爆撃

 感想評価なんて一個もつかないような作品好意的感想を書きポイントを入れたと宣言する、お返しでポイントをくれるのに期待する定置網漁のような戦法。

 これをやったやつは物量がすごかった、たった数日で2千件以上である。当然感想コピペだ!

 感想をもらった方は大抵反応に飢えた無邪気な素人である。深く考えずお返しする人も多く一瞬でランキングに登り、数日後に規約違反でBANされた。バカバカいくらいの規模だったからあっさり消されたが、お礼目当ての感想(作者アピールポイント入れました宣言必須)は有効であることが証明された。

 爆撃して駆け抜けた作者B氏はコピペの中で元プロを名乗っていたので、感想をもらった方はよけい自尊心をくすぐられたのだろう。

 B氏のいうプロとは、メールゲーム運営に参加してプレイヤーへの返信用テキストを書いた経験のことだ。

 彼は小説家として成功し、アニメ化し、その伝で声優アニソン歌手になることを夢見て動画サイトなどに下手な歌をアップしていた。

 運営するHPは当初創作のことやメールゲーム経験が語られていた。しかし、しだいに怪しげなビジネスを語るようになる。

 しばらくすると突然旅行代理店社員募集を始める、なにやら少人数の社員運営する画期的格安代理店らしい。募集形態HPの内容から、おそらく実態存在しないだろうことが察せられた。

 またしばらくすると過去動画HPSNS、色々なサイト投稿していた創作物などが一斉に削除された。ペンネーム検索するとフリマサイトの出品記録が見つかる。各種オタクグッツを売っており、コメントを見ると詐欺あい生活費が底をついた、などと書かれていた。

 出品記録も消えたころ同サイトブログ発見する。詐欺被害にあった経験執筆サイト有料配信したいという内容だ。第一回の配信後すぐに『廃刊』表示で購読不能となり、以後B氏はネットから消え足取りは追えなくなった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 まあそんなわけで、小説家になろうでは日夜ランキングに載るための仁義なき戦いが繰り広げられているのである

 みんなも読もう! 小説家になろう!!

2020-11-02

anond:20201102165152

うーん、元増田恋愛は嫌だが告白だけされたいって事なので告白だけされりゃ満足なんでない?

んでさっさと振ってしまいさえすれば「恋愛出来ないのではなくしないだけ」という事に出来てとりあえずは満足しそう

もっと年食ったらまた勝手劣等感感じそうだが

でも学生ならともかく周りが結婚するような歳になって

自分自尊心を満足させる為に恋愛したくもないけど誰か告白して来て欲しい、と思ってたって誰も来ないよなあ

不倫おっさんかにとっては都合良さそうだけど、そっち行かないといいけど

anond:20201102130012

ちょっと分かる、というか若気の至りの時の自分がそうだったのでマジレスする

断言できるけど、仮に告白されて恋人ができたという結果が手に入ったとしても、今度は仕事と両立しながら恋愛をうまくやってる自分という結果が欲しくなる

一方で、元増田が彼/彼女特に興味がないことがバレて(またはやたら焼け石に触るような丁寧な扱いにうんざりして)せっかくできた恋人はさっさと離れてしま

そうすると元増田は、今度は必要以上に打ちのめされて自虐に走り、実は心底欲しがっている恋愛を馬の糞と罵り

硬派を気取らないと自尊心が保てないので、せっかく誘ってもらった飲み会でも異性とワイワイしている連中を嘲るような目で見て輪に入れない仕舞いで終わる

気づけば手遅れなんだけど救いがあるかというと救いはない

元増田繁殖用と罵っている普通の方々は、この辺の惚れた腫れたを少なくとも大学生くらいまでに何度も繰り返して恋愛への価値観を微調整し続けてるわけで

言うなれば人間関係プロなんだけど、そのへんの経験を全く積んでおらず努力をしようともしてない元増田競争どころか同じ土俵に立てるわけがない

恋愛というのはちゃん努力した人間のみに許されたスキルの一つなんだと理解して、スキルを身に着けられなかった自分を責めるなら責めて

後は虚無僧のように静かに他の趣味を見つけて生きるしかない

anond:20201102130012

職場アシスタントが、高い能力をもち献身的&自己犠牲的ではあるが、自尊心が低く(誰にでもできる仕事ですといつもいう)、その実、誰よりもプライド高くみえる(別の人に仕事ふるとたいへんに機嫌悪くなる)。

本人の自認ではプライド高くないというか、自分が一番誰よりも能力低い、くらいに思ってるんだろうな、と増田みて思った。

2020-11-01

全日本人を精神科に連れて行ってほしい

精神科必要なのはうつ障害者だけじゃない

全日本人に必要

マウント誹謗中傷差別自分への自信のなさからくる、いわば弱さによる行動だ

この弱さによる行動が巡り巡って他人を傷つけ、他人自尊心や自信を奪う

そうして弱さが連鎖する

自分に自信がないと評価他者依存になり、他者から評価に敏感ゆえ、他者への評価も厳しくなり、ひいては評価評価される窮屈な監視社会形成に至る

同調圧力全体主義他人への不寛容さこうした相互監視社会が原因である

国民精神科にかかって、こうした己の心の弱さを自覚し、治療し、他害しないようにすべきだ

anond:20201101132543

自尊心が低い女の前で横暴な振る舞いをして強い雄であるように錯覚させましょう。

って恋愛というより詐欺レイプテクニックだよね。

2020-10-31

潔癖グロ

広告創作物などの表現に対し、

「これは性的表現から公的な場では取り下げろ」

「こんなに胸が強調されている、これは女性性の搾取だ」

気持ちを表明するする方が多くいらっしゃるようです。

そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者

自分意見は正当である、その表現を取り下げろ」

と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。



この内容の言動を唱えている方の大半は、

その表現の印象が過激だとして変更を迫りますが、

人により性的であると感じる度合いは様々であり、

制作側の、どの程度の表現規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、

徐々に該当する表現であるものを増やすことで、

結果的に世に出る表現の幅を狭めてしまっています

このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、

「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、

「わかってくれないあなたたちが悪い、理解不足である

として、放暴的に意見押し付けている状況である理解しています



論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います

私たちはこの性的表現によって傷ついたんだ、私たち被害者だ」

このように気持ち表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります

ですが、この表現論理性を持たないものであり、

現に一般創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。




私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。




この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまりエロ表現」ですが、

現在では、エロ表現は、年齢的な制限場所制限等、

またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、

様々な”ゾーニング”がなされており、

こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています



エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、

同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います

私たち意見は正当だからそんなことはしなくてもよい」

と感じる方もいらっしゃるかと思いますが、

正当性を持たせるためには、そこに論理整合がなくてはなりません。

論理整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。



性的表現は苦手」だと感じる人は、

社会において一定存在することは私は認めます

ですが、論理性を持たない、個人感情である一介の表現ですので、

それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。



人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。

少なくとも哺乳類一種であるホモ・サピエンスという種として生まれ私たちは、

生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます

私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます

生殖機能から発出する性意識衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います

更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます

社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当ものであるとして端に追いやられてきました。

しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するもの蔑ろにされるべきではないと考えます

表現は、苦手な人がいるのは承知し、配慮しつつも、

表現自体が蔑まれ排斥されるようなものではないと考えます



細胞を分裂させて、自分クローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか

私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか

そのどちらかの当事者であれば、この性表現排斥しようという意見は飲み込むことはできます

しか私たち人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。

そこからまれる性表現も、大切にされるものであると考えます

上記理由から、私は性表現排斥という言動について、正当性はないと考えます




上記人間が、排斥標榜する言動に至るようになったのは、

一重に、その社会において、社会という基準において

正当性がないと言っているのだろうと考えます

これは、私たち生活している中で動いているその社会自体が、

まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、

生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います

私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。

そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、

理性で性的衝動を抑え込むことで、生物社会を回すことに成功しているのだといえます

忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。

上記言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます

からこそ、このような言動が出てくるのだと考えます


「性表現は女を搾取している」

というのは、その性表現の中に、

現在社会的な価値観内包されており、

実際に、

活動がどのようなもの理解できず、負担をかけてしまうことであったり、

双方の意思なしに快感一方的に感じていることであったり、

それによって心理的ストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います

しかし、この論理で話を進めると、

そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現ゾーニングされるべきであり、

ただ身体を魅力的に表現することや、生殖器の描写

双方の同意があって、適切に性行動が行われている表現

加虐側がそれをしたことにより不利益を被る表現も同時に組み合わせた表現

については、本来ゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。



また、ゾーニング排斥排除意味で使われている方が多く散見されます

https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582

ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、

派生してゲーム等でのレーティングでは、表現過激からスコア付与し、

あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、

その表現自体排除排斥するためにレーティングを行え、というのは、

レーティングを行うのではなく、気に入らないもの検閲を行えと言っているのと同義であり、

検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています

排斥排除しろ表現するのはヘイトスピーチに当たります

また、ゾーニング言葉より、

「この表現過激から、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」

というのであれば理解できます

しかし、表現自体を憎む方は、

製作者が別のプラットフォーム等に表現を表したとしても、

自身がそのプラットフォーム自体管理者ではなかったとしても、

どこまでも製作者を追い続け、「不適切から取り下げろ」と迫ります

プラットフォームが認めている表現であれば、本来意味からゾーニングは適切になされているのであり、

不快である表現する側がゾーンから異端であるのだと思います

たとえ表現者が、

ただ身体を魅力的に表現することや、生殖器の描写

双方の同意があって、適切に性行動が行われている表現

加虐側がそれをしたことにより不利益を被る表現も同時に組み合わせた表現

から外れた社会的に逸脱した過激描写をしていたとしても、

プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています

その表現を現世から消し去ろうという目的

表現製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為

表現の自由を脅かす行動で咎められるべきです。

表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)

このような排斥言動も、上記理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。

女性から男性から、その他の性だから、何かの加害者から被害者から言ってもいいんだ、という理由にはなりません。




私は、現状のような、

潔癖であることが何よりも是であり、性的表現一般社会に全く表出されるべきではない

という今の社会規範には些かの疑問を覚えます

私は、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部であり、

そこからまれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。

ただし、性的表現が苦手という人の立場にも配慮し、

潔癖すぎる表現と、性的すぎる表現の、中間の均衡を狙う表現

一般社会において普遍的に用いられるのが望ましいと思います

社会的に上だ、下だ、どの程度お金を稼いだか、貧乏

そんな金銭中心の表現が氾濫している昨今ですが、

大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか

恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか

社会的な規範でいえば

どうすれば相手気持ちを考えられるか、ですとか

気持ちを伝えて仲良くなる方法、ですとか

どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか

もっと性を身近なものとして取り上げてもいいと思いますし、

それに付随する性交表現や、性器表現も直接的でいいと思います

私たち本来有する機能であり、大半の方は性行為経験することになるからです。

もっと社会が性に寄り添ってもよいのではないかと考えます



子どもが見たらどうするのだ、という意見もありますが、

子ども大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、

低年齢の時から、しっかりと、まずは”自尊心”の育みと、

段階的に性の知識を育んでいき、人とのコミュニケーション

思った感情相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、

そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、

性的ものに触れるというのが望ましいと考えています

ですから社会的に逸脱した行為社会ゾーニングを行うとして、

一般社会では適切に性的表現咎められるべきではないと考えますが、

場所的に小学校の周り等には、

小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板

ドンと建てられるのは私でも少し抵抗があるので)

周りから一定範囲にはそういったもの掲載しない等の規則が出来ればと思います

子ども学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、

性というもの抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います




翻って、

「これは性的表現から公的な場では取り下げろ」

「こんなに胸が強調されている、これは女性性の搾取だ」

このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます

この表現により傷ついた、不利益を被った方は沢山います

現在の「エロ表現」と同様な、年齢の閲覧制限場所による制限必要なのではないでしょうか。

一方的ヘイトに私は耐えられません。多くの創作者も同じ思いだと思います

2020-10-29

若い女インキャやブ男をバカにするから

いざ女が結婚しようと思うと、高所得者となった彼らがとっくに婚活市場から降りてて苦労するんだぞ

もっと若い男を大事にしてやれよ

若い時は、女は彼氏作るのに苦労せず、男に彼女いる人は少数派みたいな非対称性があった

そこであまりに女に相手にされないような、見た目に少し難がある男はすっかりこじらせてしま

その結果彼らは非婚に流れてしまい、結婚そもそも考えなくなる

でもさ、30代も半ばになると、彼らはなかなかの立場になってるんよ

俺の友達ジャズ奏者になったり官僚になったりしてる

なのに彼らは結婚しようとも彼女作ろうともしないんだよね


20代半ばまでは、彼女ができない男の悩みの方が聞く機会が多かったけど、30なると、結婚できない女の悩みばかり聞くようになった

結婚する人は男も女もしているし、なんで女ばかり悩む非対称性が生まれるのかというと、男は悩まずに降りてるから

ちょっと太ってるだけで、いいやつで官僚だったら本気で婚活すればすぐにできるはずじゃん

そんな男がなぜ婚活市場に出てこないかというと、若い時に女たちがバカしまくったからだよ

その結果が結婚できないという未来につながっている


若い時に性的自尊心を折るのは決してやってはいけないことだよ

いいね

自己レス:自動要約サービス使ってみた

ーーーー 自動要約サービス ーーーーー

 当然電車なんて走っていない。、ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。

周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

 運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BS でやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。

 って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。

 ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。

 発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。

 あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。

 もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。

 でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

 追記1、めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。

ーーーー こ こ ま で ーーーーー

 

  

はてなーこと増田ブクマカ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201026003439)の知能ってほんとどうなってるんでしょうね

 

なによりの人生の山場が大学受験や専門・大学に在学中のお勉強ってほんと言葉を失う

低所得会社行きたくない病なのってマジでなるべくしてなった結果だよなって

年がら年中まとめサイトが喜びそうなネタにしがみついて消耗しているのも

そらそうでしょうねとしか

びっくりするくらいステレオタイプそのまま

この人らはどうしてこんなにも自分人生自分で切り開く気がないのでしょうね?

ボンクラボンボンとっとこハム太郎から

でもこれこそが多様性なのか?弱き命も豊かさで守られた的な?

しろまだ溢れる命があるから更に保護出来るなら保護しましょう的な?

 

今の自分自身があるのは考えれば考えるほど運であるって結論しかならないけど

こういう嘘増田共感ブクマカ見てるとやっぱ今の自分があるのは運では無いのでは?他がやることやってないだけなのでは?って呆れ果ててしま

いやまぁ呆れ果てようがどう考えても自分100%運なんだけどもさ

 

どうでもいいけどお前らオタクじゃん?

松たか子声優やった劇場アニメブレイブ・ストーリー」の主題歌「決意の朝 (Aqua Timez)」って知ってる?

自分アニメは未視聴だけどめっちゃ売れた曲だから曲だけ知っている

そんでいろんな人が 商業・YOUTUB でカバーしていて SAO の ReoNa もカバーしているんだけど

歌詞がまさに 増田ブクマカから聴いてみると良いと思う

 

他人の痛みには無関心

そのくせ自分の事となると不安になって

人間を嫌って

不幸なのは自分だけって思ったり

与えられない事をただ嘆いて

三歳児のようにわめいて

愛という名のおやつを座って待ってる僕は

アスファルトの照り返しにも負けずに

自分の足で歩いてく人達を見て思った

動かせる足があるなら

かいたい場所があるなら

この足で歩いてゆこう

 

https://youtu.be/XI_G6vMD1KY?t=1m24s

2020-10-28

anond:20201028180100

昔の女性低能だろうが低能じゃなかろうが「夫に殴られるのは自分が悪いから」と思い込んでた(思い込まされていた)し

それ以外に「女」としての価値(顔身体男のご機嫌取りの上手さetcといったメスとしての能力家事育児家の切り盛りetcと言った主婦能力)では

有能低能区別もはっきりつけられていたし、で

低能女性女性差別を悪者にして自尊心を守れてた時代なんてないと思う

メス力はともかく、主婦能力仕事能力と繋がってる所もあるしね

仕事出来ない女は昔に生まれても家事育児出来なくて低能扱いだっただろうよ

ナチュラルに揚げ足を取る系のヤバさ

たぶん本人は無意識なんだろうけど、ナチュラルに揚げ足取るのが当たり前になってるヤバい奴。

最近は叱られたり怒られたりがハラスメントを盾に避けられまくってる事もあり、特に若い奴に多い印象。

誉められまくって育てられて自尊心K点突破してる上にコミュ力が不足してる奴に多い。

接客でも一番ヤバいクレーマーバカとかシネとか言ってくるネジが飛んでるタイプではなく、このナチュラルに揚げ足取ってくる奴。

会話の返しが全部「でも」、そして自分の話でマウント

相手の話をよく聞きなさい=相手の話を聞いてからもっと凄い僕の話をするor相手欠点を指摘してあげる

が「とってもいいコミュニケーション」だと思ってるから相手には呆れと怒りの感情しかさない。

婚活で売れ残ってるオッサンや「友達ができない」って精神内科通う高学歴新卒ってみんなこれ。

マジで気をつけな。

2020-10-27

2次元になりたい

2次元になりたい

かわいかったりかっこいいデザインキャラアバターが欲しい

動画とか上げて沢山コメント欲しい

当たってるのか間違ってるのかみたいな人格考察ツイートエゴサしたい

自分自分の仲いい人のpixiv百科事典とかニコニコ大百科のページ作ってもらいたい

〇〇組とかのグループファン勝手命名されて記事作って欲しい

捏造のかっこいいFAとか手描き動画とか人力作ってもらいたい

2次元キャラが好かれるのはいい部分しか公式で描かれないか

悪い部分も理由があるなら描かれるから

どうしようもないクズでもなぜか好かれるのは自分とは関係いか

自分無駄自尊心が周りの評価と反対にどんどん大きくなっていくのは 自分しか知らない自分のいい所を皆に描写して見せられないからで

自分自己肯定感が周りの評価に関わらずどんどん低くなるのは 自分しか知らない自分の悪い所がみんなに描写されないか

いい所だけ見て 悪い所の理由勝手考察して深堀りして エモい物語勝手創作して 輝く中で私を生きさせてくれる都合のいいファンが欲しい

自分の周りにいい人がいるとみんなに教えたくなる だからpixiv百科事典作ってほしい 魅力的な人をもっと広めたい 楽しい日々を記録したい pixiv百科事典エピソードとか書いてほしい

現実楽しい日々があっても長くは続かないし 信頼関係永遠じゃない でも二次創作してもらえたらそれは永遠になれる そういう幻を見れる

2次元になりたい

2020-10-26

Twitter適応しつつあるオタクの進捗

はじめに

前回、Twitter適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。

前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近オタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。

書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。

本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的ものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。

定点観測限界

具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。

過剰消費による虚無

前回述べたように、俺はtwitter検索エンジンとして活用し、気に入った作品二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的評価、消化しかしなかった事が自身完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。

とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。

どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれSNSタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)

常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。

これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。

巡回サービスの変化

Twitterをメインにした定点観測はいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterタイムラインは9割以上ノイズからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズノイズノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)

で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)

これらの主な利用方法としては、該当ツイート巡回検索だった。IFTTTツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイート巡回を諦めることになる。

(IFTTT有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )

(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)

結局は無料サービスフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTT依存しない情報収集を考える事はいきっかけだったのかもしれない。

Twitterで某界隈に入るまで

こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいか交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しアイコンを用意し、無難プロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間ツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである

ツイートいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字フォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムライン自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新シークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。

あたふたした俺はくそまらない無難ツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートいいねリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。

快適なTLは互助会のものである

定点観測時代推し関連のタグツイート巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句互助会みたい」

はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイート巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。

しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねRTを送り、また自身ツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである

互助会が嫌われる訳-当事者観測

俺ははてブ互助会擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。

評価指標となるいいねブクマといったものは、当事者間ではカジュアル肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪である糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。

それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会文化に、それも破壊されることになる。

互助会文化との遭遇-おはツイの洗礼

ここで述べる"互助会文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。

それは決まって形式的挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的挨拶ツイートと、それにつくいいねインフレツイートに付けられるタグ画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲ推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?

とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。

そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さなフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない

俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである

先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。

自分はつまらない」を許容するために

ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い

しかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。

前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。

だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑タイムラインを受け入れた時、自分煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。

定点観測だと分からないこと

ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的評価したり、ノイズイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。

本当に好きなコンテンツ摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。

先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。

ここまで長い文になってしまった。読んでくれてありがとう

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