2020-11-03

潔癖グロ

広告創作物などの表現に対し、

「これは性的表現から公的な場では取り下げろ」

「こんなに胸が強調されている、これは女性性の搾取だ」

気持ちを表明するする方が多くいらっしゃるようです。

そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者

自分意見は正当である、その表現を取り下げろ」

と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。



この内容の言動を唱えている方の大半は、

その表現の印象が過激だとして変更を迫りますが、

人により性的であると感じる度合いは様々であり、

制作側の、どの程度の表現規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、

徐々に該当する表現であるものを増やすことで、

結果的に世に出る表現の幅を狭めてしまっています

このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、

「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、

「わかってくれないあなたたちが悪い、理解不足である

として、放暴的に意見押し付けている状況である理解しています



論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います

私たちはこの性的表現によって傷ついたんだ、私たち被害者だ」

このように気持ち表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります

ですが、この表現論理性を持たないものであり、

現に一般創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。




私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。




この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまりエロ表現」ですが、

現在では、エロ表現は、年齢的な制限場所制限等、

またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、

様々な”ゾーニング”がなされており、

こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています



エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、

同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います

私たち意見は正当だからそんなことはしなくてもよい」

と感じる方もいらっしゃるかと思いますが、

正当性を持たせるためには、そこに論理整合がなくてはなりません。

論理整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。



性的表現は苦手」だと感じる人は、

社会において一定存在することは私は認めます

ですが、論理性を持たない、個人感情である一介の表現ですので、

それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。



人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。

少なくとも哺乳類一種であるホモ・サピエンスという種として生まれ私たちは、

生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます

私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます

生殖機能から発出する性意識衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います

更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます

社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当ものであるとして端に追いやられてきました。

しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するもの蔑ろにされるべきではないと考えます

表現は、苦手な人がいるのは承知し、配慮しつつも、

表現自体が蔑まれ排斥されるようなものではないと考えます



細胞を分裂させて、自分クローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか

私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか

そのどちらかの当事者であれば、この性表現排斥しようという意見は飲み込むことはできます

しか私たち人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。

そこからまれる性表現も、大切にされるものであると考えます

上記理由から、私は性表現排斥という言動について、正当性はないと考えます




上記人間が、排斥標榜する言動に至るようになったのは、

一重に、その社会において、社会という基準において

正当性がないと言っているのだろうと考えます

これは、私たち生活している中で動いているその社会自体が、

まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、

生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います

私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。

そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、

理性で性的衝動を抑え込むことで、生物社会を回すことに成功しているのだといえます

忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。

上記言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます

からこそ、このような言動が出てくるのだと考えます


「性表現は女を搾取している」

というのは、その性表現の中に、

現在社会的な価値観内包されており、

実際に、

活動がどのようなもの理解できず、負担をかけてしまうことであったり、

双方の意思なしに快感一方的に感じていることであったり、

それによって心理的ストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います

しかし、この論理で話を進めると、

そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現ゾーニングされるべきであり、

ただ身体を魅力的に表現することや、生殖器の描写

双方の同意があって、適切に性行動が行われている表現

加虐側がそれをしたことにより不利益を被る表現も同時に組み合わせた表現

については、本来ゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。



また、ゾーニング排斥排除意味で使われている方が多く散見されます

https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582

ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、

派生してゲーム等でのレーティングでは、表現過激からスコア付与し、

あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、

その表現自体排除排斥するためにレーティングを行え、というのは、

レーティングを行うのではなく、気に入らないもの検閲を行えと言っているのと同義であり、

検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています

排斥排除しろ表現するのはヘイトスピーチに当たります

また、ゾーニング言葉より、

「この表現過激から、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」

というのであれば理解できます

しかし、表現自体を憎む方は、

製作者が別のプラットフォーム等に表現を表したとしても、

自身がそのプラットフォーム自体管理者ではなかったとしても、

どこまでも製作者を追い続け、「不適切から取り下げろ」と迫ります

プラットフォームが認めている表現であれば、本来意味からゾーニングは適切になされているのであり、

不快である表現する側がゾーンから異端であるのだと思います

たとえ表現者が、

ただ身体を魅力的に表現することや、生殖器の描写

双方の同意があって、適切に性行動が行われている表現

加虐側がそれをしたことにより不利益を被る表現も同時に組み合わせた表現

から外れた社会的に逸脱した過激描写をしていたとしても、

プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています

その表現を現世から消し去ろうという目的

表現製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為

表現の自由を脅かす行動で咎められるべきです。

表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)

このような排斥言動も、上記理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。

女性から男性から、その他の性だから、何かの加害者から被害者から言ってもいいんだ、という理由にはなりません。




私は、現状のような、

潔癖であることが何よりも是であり、性的表現一般社会に全く表出されるべきではない

という今の社会規範には些かの疑問を覚えます

私は、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部であり、

そこからまれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。

ただし、性的表現が苦手という人の立場にも配慮し、

潔癖すぎる表現と、性的すぎる表現の、中間の均衡を狙う表現

一般社会において普遍的に用いられるのが望ましいと思います

社会的に上だ、下だ、どの程度お金を稼いだか、貧乏

そんな金銭中心の表現が氾濫している昨今ですが、

大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか

恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか

社会的な規範でいえば

どうすれば相手気持ちを考えられるか、ですとか

気持ちを伝えて仲良くなる方法、ですとか

どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか

もっと性を身近なものとして取り上げてもいいと思いますし、

それに付随する性交表現や、性器表現も直接的でいいと思います

私たち本来有する機能であり、大半の方は性行為経験することになるからです。

もっと社会が性に寄り添ってもよいのではないかと考えます



子どもが見たらどうするのだ、という意見もありますが、

子ども大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、

低年齢の時から、しっかりと、まずは”自尊心”の育みと、

段階的に性の知識を育んでいき、人とのコミュニケーション

思った感情相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、

そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、

性的ものに触れるというのが望ましいと考えています

ですから社会的に逸脱した行為社会ゾーニングを行うとして、

一般社会では適切に性的表現咎められるべきではないと考えますが、

場所的に小学校の周り等には、

小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板

ドンと建てられるのは私でも少し抵抗があるので)

周りから一定範囲にはそういったもの掲載しない等の規則が出来ればと思います

子ども学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、

性というもの抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います




翻って、

「これは性的表現から公的な場では取り下げろ」

「こんなに胸が強調されている、これは女性性の搾取だ」

このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます

この表現により傷ついた、不利益を被った方は沢山います

現在の「エロ表現」と同様な、年齢の閲覧制限場所による制限必要なのではないでしょうか。

一方的ヘイトに私は耐えられません。多くの創作者も同じ思いだと思います

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