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本好きはリアル書店で本を買うべきか?
まあ、本好きの人なら、「リアル書店で買うべきだ」って胸を張って言うんだろうけど。
便利で手軽な電子書籍やネットショッピングの時代に、わざわざリアル書店に行くのは、どうなのよ?確かに、紙の本には独特の匂いとか、ページをめくる感触とか、いろいろ情緒的な要素があるってのは認めるよ。でも、それってただの懐古主義じゃない?
「いや、リアル書店の雰囲気がいいんだ」「本との偶然の出会いが大事だ」とか、ロマンチストたちが言いそうだけど、現実を見ろよ。リアル書店での品揃えは限られてるし、欲しい本がないこともある。その点、ネットなら何でもすぐ手に入るし、サンプルやレビューも見放題。時間も節約できるから積読も減らせる。そんな時代に、わざわざ足を運んでまでリアル書店で買う必要があるのか?って疑問は、どうしても湧いてくるよね。
「でも、リアル書店がなくなったら文化が廃れる」とか言う声もあるだろう。それはわかるよ。文化的な拠点として書店が機能しているのは事実だし、独特の空間を提供している場所もある。でも、文化の保存ってのは、個々の本好きが肩に背負うべき義務じゃないんじゃない?書店が潰れたら困るなら、経営者がもっと工夫しろって話だろ。なぜ消費者が罪悪感を抱えながら「リアル書店で買うべきだ」って思わなきゃいけないのか。
結局、本好きがどこで本を買おうと、その本を大切に読むことが大事であって、リアル書店で買うかどうかなんて、ただの手段の違いでしかない。
保守というのはリベラルと同様に自称であり僭称であって本来もっと適当な呼び方を考えるべきではある。とりあえず「情緒的」をつけてみたらそこにだけかみつくのもおる
ひとくちに右翼といっても旧来のゴリゴリの教条的なやつから最近の参政党や日本保守党ファンみたいなフワフワした空気で動く情緒的保守層までいるわけだ。
「旧来のゴリゴリの」が親イスラエルというか、はっきりと反パレスチナなのは不思議という方が不思議ではないだろうか? 重信房子とかテルアビブ空港乱射事件の歴史的インパクトに照らせば。
一方の「最近の情緒的保守層」は妙にトランプを慕っている。アメリカの宗教保守にもどちらかといえばシンパシーを持っているだろう。シオニストも友達の友達の友達というわけだ。そこにはやや飛躍があるが、それは本邦ネトウヨの発想が飛躍してると言うより、アメリカ国内でのキリスト教右派とシオニズムの結びつきにそもそもギャップを無理やり繋ぐ飛躍があるというべきだろう。
しかし彼ら情緒的保守層が何を支持するかの選択を誘導してるのは「〇〇が好きだから応援したい!」というプラスのインセンティブより強く「✕✕なんかとつるんでるやつはどうせろくでもない」といった負の感情だろう。
そこでは「バカな右翼の考えることはわけがわかりませんなぁ〜」という蔑視の目が重要な役割を果たしている。
百田とかがテキトーに示した道筋の沿道両脇を和式リベラルが固めてコースを逸れないようにがっちり協力しているのだ。
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福音派とシオニズムの結びつきのシリアスさについての理解も肌感覚も当方持ち合わせない。それは日本人がキビヤックの作法に通じないくらい本来アタリメエのことだが、「なんで欧米がああまでユダヤーイスラエルにキンタマ握られてるのか」不思議に思うならそこは調べないといけないだろうな。とはいえ表面的な記述をなぞっても意味なさげ
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彼女自身に「親とはしっかり距離を取って増田と新しい人生を歩むぞ」という確固たる決意がないと絶対に上手くいかない。
正直実家と縁を切ること自体は成人男女のカップルなら簡単。入籍すれば生まれた家の戸籍からは勝手に抜けられるから、あとはどれだけ強い意志を持って引越すなり連絡を断つなりで実家と距離を取るか。
ただ「もう二度とこの家には帰らん!」くらいのつもりで出てきた自分も、最初の2、3年はかなり情緒が不安定で気持ちのブレがすごかった。
そういう状態になったときに、彼女に積極的に親への気持ちを整理したり毒親との関わり方を勉強する気持ちがあるか、カウンセリングを受けて向き合うことなんかも考えられるかは大事だと思う。増田もそれに付き合う覚悟が必要だよ。
増田は彼女に対して「周りや親が何を言ってきても自分は君の味方になる、だから君もきっぱり実家とは縁を切ってくれ」くらいのことは言える?
それを真剣に彼女に伝えることができて、彼女もそれに応えてくれるなら先々大変だけど一緒にやっていくことはできると思うよ。
お互いにそれが難しいならおそらく苦しい未来になるだろうから、お別れも考える必要があると思う。
増田がどれだけ彼女の味方になって実家から守ろうとしても、彼女が娘としての罪悪感に負けて親とコンタクト取ってる……とかだとやってられなくなっちゃうよ。
毒親持ちが幸せになるには、毒親持ちを幸せにするには相当な努力が必要です。
ひとつ希望のあることを言えるとしたら、実家の人間を全員切って、住んでる場所も子供が生まれたことも知らせず、結婚式以降一切親と連絡取ってない自分は今とても穏やかに夫と子供と暮らせています。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
目次
タイトル | シェーラひめのぼうけん |
作者 | 村山早紀 |
挿絵 | 佐竹美帆 |
筆者と同世代か、もう少し下ならば読んだことがあるかもしれない児童文学。たぶん、自分の記憶の最も深くにある恋愛観についての思い出は、このシリーズのとあるシーン。
当時、筆者はたぶんまだ小学生。隣町の図書館に足しげく通う図書館っ子でまだまだ児童向け書架の常連だった頃だと思う。ローワンシリーズや、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの魔法使いシリーズやハウルの動く城シリーズなどにハマっていた。佐竹美帆さんの挿絵が好きだったので、シェーラひめのぼうけんを手にとったのも、挿絵繋がりだったかもしれない(正直まったく覚えていない)。その中で、胸に響くロマンス表現に出会った。
シェーラひめのぼうけんは、主人公の少女シェーラが幼馴染でお供で子分の少年ファリードを怪力で振り回しながら、大人でも解決が難しい問題を剛腕で切り開いていくような物語。世界のあちこちへ旅をして、仲間たちとワクワクドキドキの冒険をしながら、悪い魔術師に石にされてしまった故郷の王国を復活させる方法を探し出すシェーラたちの話が紡がれる。
恋愛表現に疎かった当時の自分にとって、魔法が使えるけどひ弱なファリードがひめさまとシェーラを慕い、シェーラは幼馴染の兄貴分として彼の面倒を見るという二人の関係性は友情のものとして好ましく感じられた。もちろん男女の恋愛はちびっこが見るディズニー映画の中でも散々と描写されていたので、なんか男の子と女の子は仲良くなったらキスするんだ〜程度の認識はあった。だけどそれは「そうなるもの」であり、自分の中で情緒に紐づいて腑に落ちる描写ではなかった。だから、当時は恋愛でキャッキャするよりも、男女の友情関係の方がずっと自然に思えていた。ウブなボーイだったからね。(今から考えたら、ハイルとミリアム辺りとかは恋愛描写があった気がするけど)。
そんな中で胸がドキッとするような出会いがあったのが、最終巻近く。記憶だけを頼りに書いているので、間違っているかもしれないけど、確か、最終巻の一つ前の巻で、それまで一緒に旅をしてきたファリードが、実はシェーラの王国を崩壊に導いた邪悪な魔法使いの血筋で、彼もその強大で忌まわしき力を宿していると判明する展開がある。この時、確か、ファリードが敬愛するひめさまをその力で傷つけてしまい、自分の力に絶望して力を開放してドラゴンとなって空の彼方へ消え去ろうとするけど、当のひめさまからあなたが必要だと説得され、再び仲間になる的なエピソードがあった(はず)。
シェーラの目の前でドラゴンから人間の姿に戻った幼馴染のファリード。旅に出る前は少女の自分より身体が小さくてひょろひょろしていたのに、旅の終わりに近づいた今では、自分の方が彼を見上げるくらいに彼が成長していたことに気が付く。その時、シェーラのなかで、ファリードが頼りなくて守ってあげなければならない幼馴染ではなくなった……的な描写がある(ったはず)。
これがクリーンヒットだった。ここで以後の人生に永劫に刻まれる体格差萌えを発症してしまった。挿絵があったかは忘れたけど、自分の心の奥底には、ファリードと彼を見上げるシェーラの二人の姿が佐竹絵で深く刻まれている。
その後、図書館のティーンズコーナーで少女小説(主に小林深雪先生)にハマったり、同時進行で大人向けの棚の新宿鮫などのサスペンスやあとがきでいつも自作を傑作と書く夢枕獏の作品(闇狩り師とか陰陽師)を開拓していったりした。
実はシェーラひめのぼうけん2は途中までしか読んでいなんだよな〜。これを書いている今、サウードおじさまの便利キャラっぷりを最後まで確かめたくなってきてしまった。
自分のチンチンが「小さい」とか、身長・年収等が「低い」という、コンプレックス感情を貧乳に投影させているのであって、女体化した中年男性っぽさがある
BLの受けがやけに不安が強く描かれて、受けが抱いた主観的不安感の「解消の責任」をなぜか攻めに求める描写は、生理周期の影響等で情緒が不安定になった女性にしか見えないのだけど、それに近いものを感じる
男性がすべてを単純な「優劣ランキング」化して雑に処理するのを、貧乳コンプや「ざーこ」と煽る女児等のキャラクターで女体化し(雑魚雑魚と騒がしいのは男児のメンタリティである)、
女性は生理周期による不安の増大による自分の脳内で起きている主観的苦しみの責任を、なぜか適当なポジションにいる他人(責任引き受け装置としての攻め)に求めるお気持ちモンスターを男体化する
どちらも、自分と同じ性格・価値観が、魅力的な異性のガワを持っているというパターンを好むので、実質的な異性嫌悪の異性愛者であると思う
何処かのお店に入店した際、
棚の引き出しの奥にバブ柚子味がったので
バブみをもって家のお風呂でバブを握りしめながら世界を救えなかった感じで手のひらの中で儚く消えていくバブを柚子味堪能したところでしっぽりと温まったところよ。
ものの数が多いことを表す誇張的表現。派生に“65535”, “65536”がある。
いやいや65535も承知の助じゃない。
回文増田の最寄りの駅名。駅前には商店街があり、喫茶店や焼き鳥屋、定食屋、レコード屋などが並んでいる。
なんだかみかんの花咲く丘公園の桜も咲きそうな頃というかもう咲いてる感じがしてるわよ。
そう言えばミカンの花ってどんなんだっけ?って意外と思い出せない感じもするわ。
ねえ聞いて聞いて!
みかんの花咲く丘公園駅前の商店街のくじ引きが当たって2万円の商店街で使える金券がゲットなのよー!
運良くない?凄くよくない?
みかんの花咲く丘公園駅前商店街のレコード屋さんで開催されるフェア。クリスマスの山下達郎フェアが終わると角松敏生フェアがはじまる。
三が日明けると次何やる買ってフェアー楽しみなんだけど。
今は角松敏生フェアーのコーナーが賑わってるわ。
街のレコード屋さんは
ある心情や状況を強調するときに使用される表現。トラックバックへの返信の中で用いられることも多い。
きっと一所懸命塗ったフェスであればあるほど貢献すればするほど勝つることから遠ざかってしまい且つそのためには投票して戦わずいや塗らずにフェスを見守る方が勝つるわってそうかも知れない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃいそうな最近のフェスの仕上がりなのよね。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どうぞよろしく!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
宇宙船育ちの水耕栽培されたなんかハイテクトマトはとても美味しいって噂よ。
はい!
襟裳岬には何もないところだけど、
マドラー要りますかってステアするのにマドラー要らないってイキがっていたときもあったわ。
懐かしい香りがした、
そう大黒摩季さんのようにね。
うふふ。
あ!ここはうふふじゃなくて
らららね。
またはタニコーの五徳の如く
増田でステラーブレイドって検索今は超絶速くなってきたから検索しても誰もそのことを書いている人がいなくて増田で盛り上がっているのは私だけ?って思わざる山の如しって思うほどタニコーの五徳なのよ。
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
テストの「9/0」に「解なし」と回答したらバツを食らった子どもたち
テストの答えは素直に正答を目指すだけでは足らず、「教師が求める答え」を探る高コストな脳活動に疲弊し、拗ねて、よしならば徹底的に理詰めで生きてやる、と決心したにも関わらず
さらなる試練で時には情緒が求められる現実社会の矛盾に疲弊している若者たちだ。
今回の選挙で彼の支持はさほど下がらないだろう
首長選挙は無理、議員では面白くないし目立った活動は出来ず先細りしか無い
恐らくは彼自身も9/0に解なしバッテンを食らい、社会に怨念のある人生だろう
ならば宗教だ
徹底した理論実践を重んじる現代の宗教、冷笑系宗教とでも言うか
既存でクソほどあるが
彼のネームバリューで殴り込みかければそれなりに取れるだろう
石丸の理想や理念は「ロジックを積み上げればユートピアが完成する」であろう
ゼロかイチか、白か黒か、論理的に正義正解を定義しそれを積み上げることが善である
昨今デジタル時代に情緒的な伝統的慣習の板挟みとなり人生に不満を抱えている人にはウケる論理。
バブル崩壊により社会が自信を喪失し新しい価値観を模索していた時
一方でそうした社会の変化を受け入れがたい人たちもいる
世界はふわっとしたもの、アナログ情緒的なのりしろが確保された社会が好き
多少理不尽な事もある、納得できないこともあるが、人生の大勢を揺るがすほどではない
結局それが効率的で、幸福量は最大になるんちゃうの?しらんけど
みたいな一派、だが多数派
俺にはこの対立に見えた
↑数日前の自分。
・私ADHDだと思うんですけど…とは言わない
・薬が欲しくて…とも言わない
・まず休息→だめなら薬に頼る
この方針でいった方が良さそうなんだね。
いや、どうしよう、なんかもうすごく落ち着いてしまった。
今日生理が始まった途端にあの果てしない怒りと悲しみもスッと収まったし。
いつもより情緒不安定な期間が長くてイライラも強くてメンタル終わってたけど、年取っただけかな…?
明日どうしよう。
「仕事中に集中力なくて〜注意力散漫で〜意味不明なミスばっかして〜情緒不安定だし〜最近辛いんです〜」と、スタバで友達に愚痴るみたいな話をお医者さんにしてしまいそうなんだが……
私はこんな話をするために数千円払って医師免許を持つエリートに時間を割いてもらおうとしてるの……
明日わざわざ半休とって病院に行くのにこんなんじゃダメでしょ……
どうしよう。
みんな心療内科で何話すの…?
というかこの程度で心療内科まで行くの私だけ?
よく、発達障害持ちの無職やニートに「それくらいなら働ける。働けよカス」って言う人いるじゃん?
じゃあ、無職やニートが「こういう仕事したいです。研修も受けます」って言ってるのに、「今、その仕事は人手足りてるのでいりません」って言われるのはどうなん?
発達障害って「脳の病気」って認められてんじゃん。だから、障害者手帳とかあるわけで。病気なんだから、それしかできない、できることが少ないのは仕方ないじゃん。だから、健常者は発達障害者のために転職すべきなんよ。他の仕事もできんだから。
で、仮に働き出したとしても、心ないクソが職場にいて、また退場してしまうこともしばしば。目に見えない病気だから軽視されてるけど、病人の1番気にしてる部分に塩塗ってんだよ?小中学生ならまだしも、社会人でこれやるのが軽い犯罪にしかならないのえぐいよ(イジメが軽くみられる日本だし、仕方ない気もするが…)。
バランス調整難しいと思うよ。健常者に何でも我慢しろっていうのもおかしいから。ただ、まだ受け皿ってちゃんと作られてないなと思うわけ。もっとも、発達障害云々が叫ばれるようになったのも近年の話だし、逆に受け皿は整ってる方だとする見方もあると思う。
給料は低くていいよね。流石に。
まあ、発達障害って言ってもピンからキリまであるからね。知的なのか情緒なのか。その中でも特性がさらに分かれるし、発達障害を理解して受け入れることができる人って、健常者の中でも突出して頭のいい人だけだと思うし。
こういうのって自民だろうが民主だろうがれいわ、維新だろうが、なーんにも進歩する気配ないよな。いや、自民は進めてきた方か…?俺、若いから分かんねえや。
近年、発達障害持ちの中年が問題視されつつあるのと、少子高齢化が問題じゃん?でも、驚くことに発達障害児は増えてんだよね(単に、発達障害に対する理解が深まったから増えてるように見えるだけかもしれんが)。
俺の母校(小学校、大体700人くらい?)だと、俺の時は全員合わせて5,6人しかいなかったのが、今は1クラス作れるくらい(30人くらい)いるんだと。そして、教師も足りないから、通常学級の担任をさせれない無能が特別支援級に寄越されて地獄と化してるそうな。
おいおい、これからどうなっちまうんだよ…と、ちょっとだけSF感あって、不安とワクワクが入り乱れてる。
話に終わりが見えないからここで終わる。