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特殊慰安施設協会で日本政府がやった事を考えるととても信じられない。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/特殊慰安施設協会
戦後に占領に来た多くの海外の軍人の相手をさせる為の慰安所を日本は作った。
その際に広告の内容では外人相手のセックスが仕事だとは伏せられていた。
日本人相手に実態を隠した求人や強要をしたのに、韓国人相手にはきちんと求人をし強要をしなかった訳がないと思う。
↓コピペ
急告−特別女子従業員募集、衣食住及高給支給、前借ニモ応ズ、地方ヨリノ応募者ニハ旅費ヲ支給ス
東京新聞同日には
キャバレー・カフェー・バー ダンサーヲ求ム 経験の有無ヲ問ハズ国家的事業ニ挺身セントスル大和撫子ノ奮起ヲ確ム最高収入
RAAの基本的な発想は戦時中の慰安所施設だが、戦時中の慰安婦と違う点は、仲介業者を通さずに、広告に応じてきた一般女性たちを使ったことである[16]。当初は水商売の者を雇う予定であったが、思うように人数が集まらなかった[16]。戦時中に青線売春で検挙した者へ、慰安婦になるよう警察が要請した例すらあった[32]。戦時中にあった女子青年団が終戦後、半ば強制的に集められたケースもあるとされる[33]。
ドリフはもともと在日米軍相手のキャバレーに出てたバンドマンで作ったグループだろ?
そんなとこに出入りする女はパンパンしかいないから当然バンドは男ばかりになるわな。
志村けんは加藤茶の付き人でその縁でドリフに入った。もしかすればそのポジションが女性だった可能性もある……
ドリフのバックダンサーが女ばっかって、「ドリフの大爆笑」のスクールメイツのこと言ってるんだろうけど、
あの当時ジャニーズが力をつけてきたこともあってスクールメイツの男女比は女性に偏ってたんじゃねえの?
タイトルのようなことを思ったんですが。
旅行や不動産のように取引が難しい財は一般的に登録や免許(資格)が必要。
それと同じように、「人の魅力」を取り扱う産業にも一定の規範やモラルが必要だと思う。
産業特性上、電波を利用したメディアとの取引が多くなることで、
独占・寡占的になりがち。
同時に、出演者側にも必要な知識を十分に提供することも必要だと思う。
食品衛生責任者?みたいに、適切な芸能の提供に必要な法的知識を講習会で教えていくと良いと思う。
日本のJKビジネス「売春の温床に」 イバンカ氏ら発表:朝日新聞デジタル
そうやって適切な規制をかけていけば、AV出演強要問題とか改善するといいなと思う。
http://www.j-cast.com/2017/04/02294427.html
確かに減少している業種もありますが、これは法律的に新規届け出が難しい(出来ない)ような業種がほとんどです。
2016年には6万4599店と約4000店が消えた(以下、数字はいずれも年末時点)。
ここで実際の警視庁の発表をみてみましょう。
https://www.npa.go.jp/news/release/2016/20170309_02.html
確かに2012年と2016年を比べると4000店減となっていますが、2012年はダンスホール(旧3号&旧4号)を含んでいます。
2016年はこれが含まれません。要は比較する業種が統一されていない訳です。
それにもう一つ注意してほしいのが、
飲食関係の雑誌記者は、「飲食業は、景気の影響を受けやすい業種の一つ。
この文章を見ると「キャバクラやクラブも店舗数が減っているんだ~」
と強い印象を与えると思います。
ところが実際はそれほど減少はしていません。ではキャバクラやクラブの届け出数はどうなっているかというと
2012年…(旧2号のその他の設備)52,804件+旧1号のグランドキャバレー2,774件=55,578件
2016年… 54,463件(旧1号+旧2号のその他設備の合算)
と、1,100件の減少となっています。
ここで旧1号のキャバレーの減少具合は2,774→2,602→2,463→2,270 と
直線的な減少となっていますので、2016年の旧1号の件数を推測してみます。するとおよそ2100件位と推定されます。
なので、キャバクラやクラブのカテゴリーである、旧2号の件数はというと 54,463 - 2,100 = 52,363件 となります。
では、2012年から2016年の キャバクラやクラブの件数を比較してみましょう。
2012年… 52,804
2014年… 52,931
2015年… 52,539
2016年… 52,363
はい、どの年も52,000件台です。 2012年から比べても440件の減少に留まっています。これは約1%以下の減少になっています。
「風俗産業」 というとどのような業種を思い浮かべますか? というところです。
で、ヌキ系のデリヘルは件数が増えています。(上記PDFの8ページ参照)
店舗型は今は届け出がかなり難しい状態です。無店舗型(デリヘル)はかなりの伸びですね。
という事で、この記事を鵜呑みにしてしまうのは非常に危険です。
女だけど立ち飲み屋で一人で飲むのが好きだ。
最近は節約のために控えていたけれど、今日はふと思い立って以前良く行っていた、いわゆるせんべろの名店に行ってみた。
3杯くらい飲んでいい感じに出来上がって来た時、
カウンターで飲んでいたおっちゃんに話しかけられて、一緒に飲むことになった。
そのおっちゃんもこの店が好きらしく、
おっちゃん「前のマスターはちょっとヤクザぽかったが腕が良かった、
私「その時裏方で手伝っていた彼女が今は厨房を仕切っていますよね〜」
などと、店の懐かしい話で盛り上がった。
そのおっちゃんは競艇帰りらしく、普段は雀荘を経営しているらしい。
などと盛り上がった。
私なんてもうすぐ40なのに一度も結婚したことがないぞ。
そのおっちゃんは21歳が初婚で、その時の奥さんとは結婚してから5年間まったく性生活が無かったらしい。
私も彼氏とセックスレス、というか、今の彼氏と出会って三年くらいになるが、まだ一度も体の関係になっていない。
なので、結婚までしたのに拒み続けた奥さんの事情が、気になって気になって仕方なかった。
「どうして一つ屋根の下で暮らしながら、何も無かったんですか?」
と聞いたら、奥さんは学生時代男性に襲われたことがあり、それ以来男性が怖くて怖くて仕方なかったらしい。
以降、3人の子宝に恵まれたが、性の価値観がどうしても合わず、離婚することになったらしい。
それからおっちゃんは事業が上手くいかず、東京へ夜逃げしてきたらしい。
その頃は2番目の奥さん(外国人だったらしい)と一緒だったとのこと。
美人を7〜8人雇ったって言っていたから、キャバレーか何かだったのかな。
そこで3人目の奥さんと出会った、みたいな事を言っていた。
おっちゃんとは楽しく飲んで、私の飲み代も全部払ってくれた。
73歳のおっちゃんは、もうバイアグラを飲んでもセックスが出来ないらしく、
もっと若かったらこの後ホテルにでも連れて行ったのに、みたいな冗談を言ってくれた。
もう何年もセックスとは縁の無い私にとって、おっちゃんの冗談にとても救われて癒されたが、
バイアグラは1錠1500円くらいするらしく、
高いなあと思った。
819 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:17:19.97 ID:cdCbu3RK [6/6]
個人的には一番上の2つがオススメだがミュージカルと言える部分は少ない
820 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:17:58.83 ID:bGgtTwRi [5/5]
822 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:22:15.29 ID:AZHl3Z4B
823 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:23:25.15 ID:+okylYFr [2/2]
古いけどサウンド・オブ・ミュージック
傑作だよ!
824 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:24:06.02 ID:heyiXHX8 [4/4]
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
力尽きたので、つづく。
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(0) | 11:26
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(1) | 11:25
外国人キャバレーみたいなところに行った。そういうところはめったに行くことはないのだが、そういうのが好きな取引先の人がいて、おつきあいすることになった。
白人さんやらなんやらが一人に一人ついて、カタコトで接待してくれる。おもしろいわけではない。退屈だ、早く帰りたいと思っていると、ショータイムになった。
フィリピン人の女2人のボーカル。バックに男1人がキーボード。「君の瞳に恋してる」とかの古い有名曲をやってる。ただのカラオケのショーだろうと思っていたのだが、たしかにリズムはリズムボックスで出してるものの、男が一人でリズムマシーンとキーボードを操作して弾きまくってるのだと気づいた。すごい腕だ。カバー曲とはいえ、本物の音楽を感じた。それに気づいたとき、なんか目から水が出てきて止まらなくなった。こんなすごい腕のミュージシャンが、こんな店で音楽なんか聞く気のない客相手にがんばっているなんてなあ。
(書き捨てなんだけどちょっとだけ追記)
書きかた悪くてうまく表現できなかったけど、泣けたのは場末のミュージシャンがかわいそうとかそういうんじゃなくて、音楽そのものっていうか、彼の自分なりの工夫とかがよくて、あと有名曲や好きな音楽は世界中どこでもいっしょなんだな、みたいな感じだった気がする。こういう外人パブみたいなところでいろんな国の人間が集まってるけど、音楽はいっしょだ。それがいいことなんかそうでないかわからないけど、世界はもうすごく狭いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140701122439
読んで思った。
めちゃイケ世代だってこともありたまに極楽山本のことを話すこともある。
未だにあいつはダメって話をしている人はもうほとんどいないだろうよ。
肉巻きおにぎりもサーフィンのインストラクターもそれなりに話題になった。
寺にこもっていることもそれなりに前向きに捉えている人も多い。
かわいそうだしそろそろチャンスを上げてもいいんじゃないかという人も世間には多い。
テレビにとって決定的なのはスポンサーのコンプライアンスとイメージ。
テレビタレントってのは企業の広告塔だから顧客に子供がいる企業は極楽山本を使いたくない。
テレビのスポンサーは犯罪スレスレの行為で謹慎した、しかも未成年に対する破廉恥な行為をした人間の復帰なんていう博打は普通は打たないよ。
だから自社が提供する番組に積極的に出したくないし、出ていたら広告を下げざるを得なくなる。
テレビがスポンサーのお金で出来ているという仕組みが変わらない限りテレビでの復帰は限りなく難しいと思う。
パチンコや消費者金融や美容整形なんかが提供する深夜番組なら可能性はないとは言わないけど、スポンサーの強い意向でもない限り普通は別の人を使うだろう。
ただ、芸能人として復帰できないわけではない。
芸人にはライブという舞台があるし、それをDVDにして売ることもできる。
実際にライブチケットやDVDが売れて客が入るなら芸人として生活できる。
それで極楽山本に人気が出て余人に代えがたい視聴率がついたらテレビ復帰の目もあるだろうよ。
山ごもりしている場合じゃないと思うのよ。
まずはキャバレーでもストリップでもいいから客の前に出て笑わせてみればいい。
業界人なら絶対に見に行く。
極楽山本は今でも人を笑わせられるんだという実力を業界人に見せつけろ。
それができないなら復帰したいとか言うな。
「宮城エリアで、半澤直樹を始めとして、ドラマの視聴率が軒並みダウンしてる」というネタがあった。
仮にそうなら、「震災以降、不急不要の視聴を控え、選別視聴してるから」の仮説成り立つと思う。
要は「有限の可処分時間の配分」の中で、ドラマは「視聴リストラ」の第一候補となる(ニュースや情報番組より優先度低い)ということじゃないかと思う。
現代人は多忙で、多量の情報を高速処理する必要に迫られてるから、「情報摂取を最大限に効率的にしたい」。
だからいわゆる「フィクションの消費量」(ドラマ視聴率・映画視聴回数・小説読書量)は
10年20年のロングスパンで眺めたら、被災地に限らず全国的に低下してるんじゃないか?と思う。
バラエティー番組、雛壇芸人番組も、情報の質としてはジャンクフードみたいな情報でしかないし、
時に「ヤラセ」も混じってるが、一応は「情報」の一種ではある。
適当に2倍速・10倍速でスキップ視聴すれば、まあ役に立つと言えば役に立つ。
※「ドラマには情報がない」と書いたが、変な話だが数十年前のドラマを視聴するなら「情報」は取れる。
先日社内旅行で植木等の昭和30年代ドラマをバス内視聴したが、
「当時はキャバレーが流行ってた」「当時はサラリーマンもビル屋上で昼休みにバレーボールしてた」と言う「情報」が取れた
そもそも、日本のテレビ局は、相変わらずドラマを製作し過ぎているのではないか?
ドラマが本格化して既に30年、40年経過しているのに、過去の膨大なドラマストックを有効活用する、という発想もない。
自分に言わせれば、1局について「1シーズンに1本だけ制作」して、
他は5年前・10年前・20年前・30年前のドラマをゴールデンタイムに堂々と再放送したら、
今はどの企業も「投下資本に対する利益回転率」を要求されるから、
一からドラマ制作しても、25年前のドラマを再放送しても、同じ利潤を得られるのなら、
それとも、ドラマ製作部門の首切りになるから、そこまで出来ないのか?
テレビ局はいわゆるF1層をメーンターゲットにしてるが、F1層にとって、25年前のドラマは「産まれてないか、記憶にない」。
だからF1層をターゲットに25年前ドラマを放映しても「既にこれ見た」とクレーム受けることなく、初モノ扱いしてもらえる
植木等時代のドラマは、まだ高度成長前だったから、画面に描かれてる生活は今より明らかに貧しい。
だが25年前ドラマなら、今との違いは「ネットやスマホがあるかないか」の違いだけで、他は現代とほぼ同じだから、
ということで、日本のテレビ局は「ドラマは新作を作り続けなきゃならない」というナゾの思い込みがあるようだが、
他にも日本のキー局のゴールデンタイムの編成には、目に見えないルールのようなものが存在する。
例えば「20:30スタート」「21:30スタート」の番組はない。
「何を当たり前のことを?」と思われそうだが、韓国ではドラマを「火曜日の夜に放映、次回作を木曜日の夜に放映」と
週2回ペースで放映するらしい。
なので日本も「番組はウィークリーが常識」の思い込みは捨てた方がいい
30年前は「ゴールデンタイムの番組は、いわゆる「ジャストタイム」、21:00や22:00にスタートする」が不文律だったが、
ニュースステーションが21:54開始で不文律破ったため、なし崩し的にジャストタイムルールはなくなった。
なんか変なメールが来た!
サウンドノベル「かまいたちの夜」の電波文的な怖さがあるが、ネットで検索掛けてもあまり情報が得られなかった。誰か知ってる人いるかな?
以下、引用。
※メールアドレスやURL、個人情報と思われる部分は引用者によって伏字にしています。
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Subject: NEVER GIVE UP HUMAN.命育むピストル9千兆円収入ある
NEVER GIVE UP HUMAN.命育むピストル9千兆円収入ある。
日本行政側の生活保護「持ち家なら一律家賃なし。住宅扶助4万1千円も未払い。」の規定及び、「一時扶助生業15万円以上未払い」の規定について。
私は23年前から両親に対して、家賃6万円(光熱費込み)を手渡していました。理由は、ほんみち宗教内に親の個室レンタルがあり、60年間の両親の宗教信仰に対して、私の信仰の反対や反発がある。しかし私も日本国及び公務員が、100年ほど前に国民を戦争のために、ろうごくや差別や処刑した過ち犯罪の手助けになれば良いと考えます。又ほんみち宗教の両親への愛着と重なり、家賃6万円(光熱費込み)を支払っている。
行政側が生活保護に対して、「持ち家ありき」を無条件で無許可で定義する事が証拠となっている。両親の様に「人助け教育や人生」だけしかできない国民がいる事を知りながら、又、私の「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」、「両親の宗教信仰関係者」、「左右両きき手」で脳神経シナプス電子の発達者の国民がいる事を知りながら、日本国及び公務員が、わざと私の生前からの徳育詐欺、脳波詐欺、精神詐欺の組織的犯行を繰り返して、私の「人徳の実例8項目」金銭価値を評価せずに、わざと私(長男)の人間や人生を亡き者にした。これは野田総理の「光と影の部分や」発言でも証明や証拠になる。
つまり、日本国及び公務員は、はじめから私の金銭性生活の取得が全く不当不可能になる様に、組織的計画的に犯罪を犯したため、私に民間人の生涯平均収入の相当額1億5千万円を支払う義務や責任がある。したがって、分割支払い給付の一時扶助生業では月額15万円以上の給付が当然になる。
「方針ありきでお金が動く?」とぼけてわからない?。時間がない??。裁判したらどう??京都府知事に言ったらどう??警察も私を捕まえないから犯罪ではないでしょ??資料なんか知らないよ??絶対に追加の給付金を払わないからな!!お引取りください!!君が何を言っても何をしても「わからない」「しらない」で通せば良い。「戦争ありき」とは何??「お金が動く」とはどういう事??どの法律かわからない??「気持ちを動かさずにワープしてみろ!」で黙る。「命育むピストルは、日本人なら月額100万円を自力で稼げて、子供でも月額10万円を自力で稼げる品物がある。」というと、「はぁ~何それ??」。公務員主権ではない??ほぉ~。そんなぁ~。
今の全日本人は、小さい頃から「あなたは神様信じますか??」のエホバの商人に大反発して、ちゃかして、「わかわからん」、「おもんない」、「かんけいない」、「あっち行って」、「じかんない」、「お引取りください」と今でも公務員が通用すると考えている。今後の公務員は、もしこれらの言葉を言えば、人間否定や人間殺害をしていると認定する。「不当な誓約書5時間事件」も宇治市役所で発生していて、「時間がなくどっかへ行け!」は通用しない。(2012年07月14日土テレビ)でも公務員給与が高すぎて、個人優先になっている。という発言ばかりだ。
私は全国たらいまわしにされて、司法、立法、行政も「私の体にお金がついて来る」という日本女性の言葉に、グループで便乗してあやかり、「方針ありきでお金が動く」の方針の私を人間否定し人間殺害しまくっている。「戦争体験者の方針」がそのまま「持ち家ありき」の定義になってしまい、私の住宅扶助4万1千円等も公務員がピンハネ詐欺をしている。
もし浜岡公務員も「何事もわからない」や「何事もしらない」等とはぐらかして、とぼけるならば、あなたは、他人に人間否定や人間殺害をしてしまう動物であり、今後は何をされても良いですね!!。
私の10年前の精神病院への拉致監禁からさかのぼって、住宅扶助4万1千円の追加給付及び、一時扶助生業15万円以上を追加給付してください。私に正しくすぐに追加給付をして、国民の目印にしてください。
(1)持ち家でありながら、私が家賃6万円(光熱費込み)を両親に対して支払っている。
(2)私が「おめくらさんの孫」で、戦争体験者の方針が通用しない。はじめから私が命育むピストル屋さんの方針を持ち、全て不正不当な自己都合退社にされて、収入が不正にない。
(3)行政側が一方的に、持ち家が人徳ではない事を、規則や定義している。
(4)行政側が一方的に、持ち家や国民を公務員の持ち物に定義している。
(5)行政側が一方的に、徳育詐欺、脳波詐欺、精神詐欺の組織的な犯罪をしている。
(6)行政側が一方的に、肉体自身だけがお金になる事を思い込む。精神自身がお金にならない事を思い込む。公務員が強制的に「精神自身がお金」のタブーな日本社会を作り出している。
(7)昔の間違った「ことわざ」を修正せずに、インターネット社会において5京円貧乏性になっている事に気づけない。
<<一番つらく厳しく価値ある方針に金銭価値をわざと与えない事が、公務員犯罪となる>>
日本公務員が、私の人間の方針(命育むピストル方針)を認めて生涯平均収入の相当額を支払う義務がある。
<人間の暗黙の法案>
基本的に徳育や人徳が、自発的な金銭の支払いをさせる能力として、一番お金になり優れている。又、脳波シナプス電子の「精神自身がお金」の方針も、同様に一番お金になり優れている。宇治警察(くぼた所長)も、これが一番強くてリッチでお金持ちになる事を認めている。
しかし現状では、公務員先頭に徳育詐欺、精神詐欺、脳波詐欺をして円高になり、日本人の命だけが犠牲となっている。公務員は、「脳波シナプスがお金」の法案も決めずに、一番つらく厳しく価値ある方針に金銭価値をせずに、国民の脳波を出し抜く大犯罪を繰り返すので、本末転倒になる。公務員は、一番つらく厳しく多額な価値ある方針の「命育むピストル方針」から逃げてはならない。現状では、女性や権力者だけを金銭化しすぎている。
(2012年7月6日金テレビ)昔から日本のお金儲けの方法としては、「公共儲け」、「客儲け」、「店儲け」の3種類ある。今は徳育や人徳の「公共儲け」を隠して、組織的な犯罪をしている。男性は家畜を抱いて、「家畜犯罪の付け金払い」だけをさせて、他人にお金儲けをさせないようにしている。(戦争ありきの方針の思い込み犯罪とも言う)。
(2012年7月2日月テレビタックル)イギリスでは、就業不可能給付があり、年間105万円、合計600万円、子供6人、妻、祖母、本人の事例紹介がある。サラリーマンの平均収入350万円よりも多い。
(2012年7月4日水テレビ)肉眼に見えない粒(ヒッグス粒子)がお金になる事を立証される。このために脳神経シナプス電子もお金になる。精神自信もお金になる。「人間は脈2つ(脳波と心臓)で空間物質が有り」の私の方針もお金になる。
一番強くてリッチな言葉としては、「永久不滅」よりも「絶対皆無」の方針がお金になる。肉眼やきれいかわいいや物体にとらわれて、他人の否定に走る者が「永久不滅」を選ぶ。これは「戦争ありきの方針」、「人殺しピストル屋さん」、「家畜セックス依存症」を意味する。
私は、おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)だけで、全て不正不当な自己都合解雇の退社をされる。(IT業界100%)したがって、公務員が私に社会的なわな(トラップ)の代償や給付金として、人生や人間の生涯平均収入の相当額1億5千万円をすぐに支払う義務がある。年間350万円の30年間でも1億円で少なすぎる。当然公務員の生涯平均収入の相当額よりも多額な給付金が必要になる。
7月3日藤井公務員も私のおめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)を信じないレベルの電話をしている。日本社会が私に対して、生まれる前からのわな(トラップ)の方針をしている事を信じないレベルの電話をしている。本来、私の方針の可能性を否定できない以上、生活支援の最後のとりでの公務員は、私の置かれる「方針反対運動」に対して、給付金を支払う義務や責任のある仕事になる。公務員は、「脳波シナプスがお金」や「精神自身がお金」の方針を信じないレベルで生存する事が許されない。私のおめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)のために、不正不当に金銭性生活を完全破壊される人間が生存している。
日本は非常につらくかなしい人事システムになる。なぜ日本は、生活支援の最後のとりでの公務員に、最優良な方針になる「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」を給付依頼するしか方法がないのだろうか??なぜ他の投資会社レベルで、最優良な方針になる「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」を採用してお金を全く与えようとはしないのか??この理由も「戦争ありきの方針」のたくらみや陰謀で、他の方針を軽視させて、方針ではお金が動かないような暗示や催眠術になっている。「戦争ありきの方針」の力量が不当不正に強すぎるだけだ。逆に今の日本人全員が方針者として弱虫過ぎて「思い込み犯罪」や「便乗犯罪」を保身のために平気でやっているだけになる。
現在も本当に「方針ありきでお金が動く」という人間社会なのだから、「人間の暗黙の法案」が成立している。「私の体があるからお金がついて来る」という女性の言葉に、全男性が便乗犯罪をしてはならない。最優良な方針になる「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」を採用して、私に給付金1億5千万円をすぐに支払う義務がある。生活保護の住宅扶助の4万1千円及び、一時扶助の生業として月額15万円の給付をしなければならない。私が不正不当な組織的犯行の方針のために、不正不当に資金を絶たれている。当然公務員の生涯平均収入の相当額よりも多額な給付金が必要になる。
今の日本は、どうしても新しく優れた方針に対しての出費や給付支援において、残念ながら各自各個人的にも、利益確保の脳波の発達が全くなくて、全日本人の特に権力者や女性が発達障害の統合失調症や誇大妄想病になる。でも、私が最優良な方針で存在するので、公務員は正当な給付をしなければならない。
NEVER GIVE UP HUMAN.命育むピストル9千兆円収入ある。
<<日本の労働市場縮小や少子高齢化促進事業を71年間もするな!やめろ!>>
私がアメリカFBI等に電子メールをした直後に、(1)警察も自殺防止対策本部を公表する。(2)自衛隊も東京の街中に緑の顔の自衛隊員を見せて反感を呼ぶ。(3)厚生労働省も生肉の禁止をいやがらせで発表する。等の確実な反応があった。又6月10日(日)総理大臣も「精神論だけではどうにも成らない。」と発言をした。しかし人間は、肉体論だけの公務員や富裕層では、減収減益であり生活できません。人間の精神や肉体の両方共の物質化が必要であり、特に精神社会においては、90%以上のお金になる精神の物質化(シナプスがお金の意識)が最重要課題になる。
インターネット社会では、脳波、方針、精神自信が、経済的な原動力になる。にも関わらず、昔以上にこれをピンハネ詐欺犯罪して、減収減益に導きごまかしている者が、日本公務員や富裕層である。日本公務員や富裕層が、世界中の正義、誠、真実を精神詐欺して吸い取り、世界戦争へ再度導いている完全犯罪者になる。
つまり、今の日本人が肉眼に頼り、肉体(オッパイ)がお金の普通意識を持ち、戦争ありきの方針を当然で当たり前の様に持っている。このために残酷で残忍なリストラをする上司や組織を見逃して、71年間も肉眼家畜の神様や人殺しピストル屋さんの方針で労働市場を縮小方向に荒らされた。
例えば、自動車部品の100人の従業員の社長が、昼は取引契約交渉で、夜はキャバレーかわい子ちゃんと一緒にいるとします。車の部品会社でお客に販売される時に、お客がその社長の資金や体質を見るなり、社員の性格を判断する事は、十分お客自信の労働市場の継続に関係する物事であり、購入の決定に十分反映されるはずです。しかし現在は、購入物品だけに心を奪われて、お客自信の収入源になる自分の労働市場を100%犠牲にしながら、車の購入をしてしまう。これは弱く貧乏な日本人になるだけです。
経営者の意識は、「レベルの高い製品だけを納品するだけで良いんでしょ!。」「精度の高い製品の納品だけなら、任して下さい。日本株式会社より。」だってこの理由は、技術開発者の1年経過した社員ならば、アイデアの絞れて組織の不正なリストラで退社させればいい。「このばあちゃん抱いて来い。」とか「電車に乗って痴漢して来い。」と言って、出来なければリストラ退社をさせて、自己都合の退社にして、ウソの女嫌いやウソの障害者を作り出しても良いんでしょ!。労働市場の縮小や少子高齢化の促進事業をさせてもらっても、犯罪にならないから良いんでしょ!!。
経営者の意識は、「夜になったらキャバレーかわい子ちゃんに通って、昼は綺麗かわいい物事だけを見張っていれば、仕事もしなくても良いし、ええ思いできています。さすが戦争ありきの方針であり、「オッパイ(肉体)がお金」の方針が、こんなにすごくおいしいなんて、夢にも考えていませんでした。」と日本全体が成っている。
本来は、日本人が脳波に頼り、「シナプス(脳神経)がお金」や「精神自身がお金」の普通意識を持って、「命育むピストル屋さん」が当たり前に成るならば、現在のような状況まで、悪い労働収入や市場にはならない。
日本のコンテンツ産業は、壊滅的な打撃を受けている。500業種、500万人の雇用や収入が無い状況だ。日本人だけが人助けの神様を強力に退けて、人助けの力量の収益が全部無い。アメリカやイギリスの様な利益の半分を公表的な寄付金に回す日本組織が、全部無い。日本人は、自分の労働市場の衰退を笑顔で71年間も100%の力量で、今もがんばっている。
<<再度の結論>>
日本公務員や富裕層は、「オッパイ(肉体)がお金」の戦争ありきの方針で、人間を人間とみなさない事業だけをしては成らない。インターネット社会では、完全にお金の先取りが出来ない方針になっていて、外国人に出し抜かれている。
生活保護者の私が、本当の仕事をしているだけです。日本公務員や富裕層は、仕事をしていない。このため、私が日本公務員に対して「早く仕事をしろ!」「本来の方針に沿え!」といわなければならない。私が社長として、人生丸ごともらっていないお金を、今やっと動かして生きていかなければ、成り立たない日本社会や世間一般になっている。つまり、日本公務員が私に現金を早急に動かして、方針の切り替えをしなければならない。人間社会の鉄則としては、(方針>お金)で方針ありきでお金が動く物事にある。お金の先取りにおいて、私の方針が最有力であり、絶対皆無なので、人間を人間と認めるためにも、先ず日本公務員が私に現金を支払う必要がある。(1)生活保護の住宅扶助41000円の支払い決定通知書。(2)最小指定金額1億1千8百5万円(100億円の人徳分よりも安い:人徳とは、人権よりも義務を先に実行する事)をただちに支払わなければならない。
私の提唱する実物案件「命育むピストル9千兆円収入」は不変の原理や原則であり、対応が遅れる程、日本公務員や富裕層のポケットマネーどころか、人生において日本人が各自10億円を大損する「人生の落ち」になっている。
私の100億円の人徳分は、今も300円の円高レートの1ドル60円の提示メールを多数する。なおかつ「戦争ありきの方針者のヘッド」を手紙等で自殺させまくり、日本公務員や富裕層の資金や財産を根こそぎ消滅させている。
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うちのブログに載せたので、興味ある方はどうぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20120531114646
今回の騒動を周回遅れでざっと目で追ってきて、何よりも驚いたのは
クラブの存在自体が非クラブ愛好者から見たら「パブリックエネミー」そのものだったという事実。
自分は数ヶ月に一度、友人のイベントに行く程度の愛好者だけど、外から社会悪と思われているとは露程も知らなかった。
当たり前だけどのりぴーの元旦那みたいな薬キメに来るようなアホはもちろん見たことない(ものすごく迷惑しているので本当にやめてほしい)。
確かに暗いし退廃的なイメージはあるけど、それはネタとして消費されているにすぎず、
ほとんどの人は友人とテーマ縛りのカラオケに行くような感覚だと思う。
小箱の営業が法律上認められないとこれだけ話題になってもなお知らない人も多いんじゃないか。
健全とはいえないまでも、キャバレーやゲーセン以上の社会悪とまで言われる程とは思わなかった。
渋谷系以降のDJや客は今や30代以上で、昼間は普通に働いている社会人が殆どだろうし。
だから「夜暗い所で踊るだけで十分『いかがわしい』」という意見を見た時は目から鱗だった。
(余談。「リア充ざまあwww」との声も目にしたがDJや客は基本ヲタなので、レコード買うために生活費や交際費を切り詰め質素な生活をしており
今回の騒動で「クラブは治安悪化させ『そう』」「薬やって『そう』」といろいろ言われてはじめて
「キモイ」「性犯罪助長」と云われなき中傷を受けるアニヲタ各位の気持ちが自分達の痛みとして理解できた。
(もちろん自分はヲタまでいかないがアニメや初音ミク好きだし、アニヲタをキモイなどと思ったことはない。
むしろ同じヲタ属性として共感を覚える。最近はアニソンかけるDJも増えているし、概ね自分の周りのDJはアニメ好き。念の為)
「法律変えたきゃクラブは犯罪の温床でないと証明をしろ」という悪魔の証明のようなものを迫る言論を目にした時に
(赤の他人であるどこかのクラブ愛好者が犯罪起こさないなどとどうして保障できる?)
非実在青少年規制問題に直面したアニヲタさん達の厳しい状況を自分達の状況として理解できた。
サブカルの宿命かもしれないけど、元々少数派であり敵意に晒される中で民主的解決(法改正)なんて絶対無理だろ。
迷惑かけなくても目障りだから、社会的に有用じゃないからイラネと言われる殺伐とした世界に生きる厳しさをこれほど感じたことはない。
オーガナイザーやハコのオーナーが何故声を上げない?という意見もあったけど
その意味では現状適法の非実在青少年問題より解決困難かも知れない。
みんなもう若くないし社会と闘ったり説得する元気もないし
諦めて踊ることにこだわらず純粋なDJ Barでまったりやるしかないのかも知れない。
善良な風俗怖い。