はてなキーワード: 部活とは
地方私文(1敗)
浪人(2敗)
コミュ障(3敗)
クソ雑魚国家資格は持ってるけどその資格を使う職には就きたくない(4敗)
競争が苦手(5敗)
そもそもやりたいことがない(6敗)
バイトリーダーじゃない(7敗)
3月はゼミの教授の言うことに従って資格関連の業界のES出してSPI受けて面接行ったけどさぁ、資格持ってても普通に意味ねえんだわ。やっぱ"人間力"よなぁ。5社受けて全部1次面接で落ちたわ。特に大企業ってわけでもないのにな。向いてないのはわかってんだから適性検査で弾いてくれや。
ゼミの教授にもキャリセンの職員にも〇〇さんはやればできる的な扱いされるけどさぁ、二十数年生きてきたら自分では分かる通り、やってこれやねんな。
そりゃこの地域では頭良い高校卒だし資格とかTOEICスコアとかまあそこそこ持ってるしGPAも高えのは確かだけど、そんなのマジでクソほども自慢にならんし、結局F欄やし、まずやればできる子は浪人なんかしねぇし3年の3月から就活始めたりもしねぇんよな。
分かってることは自己肯定感の低さとかやる気のなさとか自分の立場を踏まえてない冷笑的なスタンスとか自分自身の人生なのになぜか客観視してしまっていることとかで、それただの怠け癖のある社会不適合者なんよなーって。これが自己分析か?
自己肯定感の低さとかやる気のなさはまあ昔からなんで変えられないわな。
小中高と同じ部活やってたけどほぼほぼベンチだったんよな。まあ実際普通に下手だったんだろうけど、監督やらコーチやら同輩から決まって言われる「お前はやればできるのにな〜」というお言葉。
やってこれやねんな。
元々の能力値が低いんだよ。
まあ部活で言えば周りの自分と同じ状況の奴は必死になって監督にゴマすって試合に出ようとしてたけど。
それが「やる」ってことなんだろうかね〜とか、まず俗に言うエンジョイ勢だから試合出なくたって良いよなぁとか考えちゃってなんもせんかったな。
練習に監督が来たときだけ動きが1.5倍になる他の部員見てキモって思ってな。
そういうお前が一番キモいって話。それも分かってる(と言いながら多分分かっていないんだろう)。
「お前はもう少し媚びを売るようにしたら人生楽になると思うよ」っていつか友人に言われたな。
まあその通りだと思う。それすらも面倒くさいからやらんのやけど。
自己肯定感のなさは成功体験のなさ由縁とか言うけど、今のところ何したって成功って感じないしよく言われるたとえみたいに、朝起きれた偉い!とはならんのよな。
部活10年続けました!バイト3年間続けてます!←続けてるだけじゃん。惰性でしょ?
年間GPA4.0でした!←でもお前勉強してないしF欄じゃん?
資格一発合格しました!←特に本気になって取り組んだわけじゃないやん。クソ楽テスト受かって何になるの?
テストとかなら結果出て5秒間くらいは嬉しいけど、その後は自分にツッこまれて「ま、こんなもんだろうな」って気持ちになってしまうんよな。みんなそうかもしれないけれど。
こういうの見ると自虐風自慢というか、自己肯定感ないって言う割に自分のことを高評価しすぎてる奴に見えるかもしれないけど、そこんところはよくわからんのよな。
とまあ、話は逸れるわ就活には関係ないわ、クソみたいな駄文書いてる暇なんてねえんだし、とにかく考えたってどうにもならんのだから早く必死になれって話なんよな。
必死になれないのはクズだから。まず必死になるってなんなん?根性論じゃなくてやり方を教えてほしいんだよな。
まあでも、そんなすぐに人に頼ろうとするクズに就職先はありませーん。
どうしたらいいんだろう?わからん。誰か教えてくれ。
現状、部活がなくても教員の業務は定時を超えます。部活があると定時を遥かに超え休日も休めません。生徒が通常部活をしている時間は教員の勤務時間の外にあります。しかも平日は無給、休日は「割安賃金」です。労働法上の違法が黙認されている状況は改めなければなりません。過労死する教員もいます。お金の問題もありますがまず第一に、これは命と健康の問題だということを認識しなければなりません。
次に生徒の安全の問題があります。教員の勤務時間外に部活の時間の大部分が設定されています。その状態で生徒の安全配慮義務を果たすことができるでしょうか。しかも、部活顧問の約半数は素人です。放課後には課外や補習、校務分掌業務、授業準備があります。本当は部活に顔を出すのは無理なのです。「事故が起こりませんように」と祈りながら、職員室で業務をしている状態です。安全配慮義務を果たすことができない仕組みになっています。教員の業務に部活を組み込むことは無理があります。部活は安全配慮義務に気を配らなくてよかった頃の風習が今も続いているものなのです。
生徒の学力の問題もあります。教員が多忙になるとまっさきに削られるのが授業準備の時間です。授業準備の時間が取れないと授業の質が落ちます。当然、生徒の成績も落ちます。以前、東北6県の中学校部活強制率と各種データで相関をとってみたのですが、部活強制率と中学生の成績には強い負の相関があるようです。
https://drive.google.com/file/d/1iEAUA_jutBaf2RArhmuQq0CRcYa9nIUZ/view?usp=sharing
「ふつう」の道を歩いていきたい。
具体的に言うと、家族関係が良好な幼少期を過ごし、中学高校は部活に明け暮れ、初めての恋人ができ、それなりの偏差値の大学に入り、後に結婚することになる恋人ができ、それなりの安定した企業に入り、30歳までに結婚と出産がしたい。
私の場合はどうだったか。 父はマルチ商法にどっぷり浸かり数百万円の借金をこさえたまま自殺、運動が嫌いだったので部活に明け暮れることもなく、その上アホ大学に入学することとなった。
努力でなんとかすることを覚えたのが20歳を過ぎてからのことだった。 21歳で死ぬほど就活を頑張りメガバンクから内定をいただき、22歳で男性と全く縁のなかった喪女の私は、ホステスになり男慣れすることで初めての恋人もゲットした。
これで「ふつうの人」に近づいたと思えて、すごく嬉しかった。 ふつうの人=幸せだと思い込んでいた。 新卒1年目、メガバンクでボコボコにいじめられた。
「ふつうの人は3年は会社に勤めるのが当たり前」と思い込んで耐えた。
当時の彼氏は理解のある彼くん的な感じではなかったため「辞めるなよ」と念を押された。
でも彼らは、確実に私より幸せそうに見える。
ずっと怖くて言えなかったけど、私が本当にやりたいことはデザインだった。
人にわかりやすくきれいに物事を伝えられるデザインが好きだった。
高校も大学もデザイン科を受けたかった。 でもそんなのふつうじゃないし安定した道を選びたかった。
実務も知識もない中で、デザイナーを目指すことはできるだろうか。かなり難しいと思う。
2回目の就活をした。かなり頑張った。 未経験者を雇ってくれるところは無かった。 だから、自分で作ったポートフォリオを持って、印刷会社や広告代理店の人事に営業をかけにいった。
その結果、ド田舎でのデザイナー採用が決まった。 家賃2万5千円、最寄りのコンビニまで徒歩30分のところに住んだ。 1年半修行したところで心身の限界が来て、うつ病になった。全く迷惑な社員だと思う。
退職して、地元に戻り3回目の就活をした。 地元のベンチャー企業がデザイナーとして採用してくれた。 色々あったけどデザイナーになれて良かったなあと思っている。
(長い)
私には発達障害の傾向があると思う。YouTubeとかでADHDかアスペルガーの行動や特徴の動画を見ると自分を見ているようだ。
そんな私は高校で吹奏楽に入ってしまった。元々音楽ができる人に憧れがあって、自分も何か弾けるようになりたいとずっと思っていた。それに、入学して初めて話した、吹奏楽ガチ勢の中学から来た友達が吹奏楽をすごく勧めてきたからでもある。
浅はかな私は、楽器は練習すれば誰でも吹けるようになるものだと思っていた。それにパートの人とさえ仲が良ければなんとかなると思って、その最初に話した友達と二人きりのパートに入ってしまったのである。
同じパートの友達をAと呼ぶ。私はコミュ障だし、話しかけられても自分の話しかできない。Aもあまり積極的に人に話しかけに行くような人間ではなかった。最初の一年は用がある時以外は本当にAとパートの先輩以外の人と話さなかった。部内の恋愛事情も人間関係も何もかも知らなかった。しかも楽器もまともに吹けなかった。初心者で入った人の中ではダントツに下手だった。少なくとも他の人にはコミュ力や愛嬌があった。そんな状況でも欠かさず部活に行ってはいた。いいのか迷惑になっているのかわからない。
二年の時は後輩が神のようにいい人だったのが救いだった。でも、本当に迷惑な人間だったと思う。人間的にも技術的にも。
こうして書いていると辞めない方が不思議に思えてくる。でも当時の私は今ある生活を変える方が面倒だった。面倒というより怖かったのかも知れない。そうして定演まで部活をずるずると続けてしまった。
しかし、定演はコロナによる休校で無くなってしまった。正直ホッとした。クソみたいな自分の演奏に舞台上で披露して、誰も何も言わないけど自分だけが自分を責め続けることが避けられてよかったと思った。一方で一生懸命に準備してきた人たちもいるわけで、自分をクソだと思った。
今思い返すと、どうして吹奏楽に入ってしまったんだろうと浅はかな当時の自分に後悔しかない。迷惑しかかけてないし、誰にとってもマイナスな選択だったのではないかと思えてくる。
吹奏楽と自分の楽器自体は好きだ。でも自分には絶対に合わないものだとわかった。二年の部活で得た学びはそれだけだ。Aも私じゃない人が同じパートだったらもっと吹奏楽を楽しめたのではないかと思えてくる。本当に申し訳ないと思う。
ぷよぷよチーズ牛丼騒動の時のように天パを馬鹿にしていい風土がこういう事件を引き起こす
ぷよぷよは発禁にしろよレイプレイや児童ポルノは発禁にできただろ
https://news.yahoo.co.jp/articles/82a3f9790c2e2f9da764b931324f92dd5831332c
「お前のいい所……一晩考えたけど『体が大きいこと』か『毎日風呂に入ってること』ぐらいだな」
まあ5年も前のことなんですけどね。
今は普通に就職して普通に年収400万で東京で一人暮らししてる。
当時、自分は社会学系の大学生で大学ではいわゆる真面目系クズをしてた。
自分の志望校に入れず滑り止めの滑り止めに入学することになった理由を『高校時代に部活で遊びすぎたせい』と決めつけ、大学では交友関係を狭めて勉学に励もう、そう考えていたが上手く行ったのは最初の1年半だけ。
2回生の夏休み明けぐらいから自分はひたすら引き篭もって遊んでばかりいた。
バイトをするのは学費を無駄にしてるだけだとバイトもせず家に籠もって、結局その時間は全部ネットゲームに消えていった。
レポートもテストも適当に赤点スレスレをすり抜けるだけだったし、ほとんど出席点だけで単位を集め4回生になった。
そして大学時代の思い出も、学力も、得意なことも、バイトの経験もないまま、就活が始まった。
本当になにもなかった。
「学生時代に力を入れたことはなんですか?」という在り来たりなフレーズが、一時期有名になった麻生太郎の「お前、今まで何してたんだ?」という恫喝まがいの嫌味としてしか頭に入ってこなかった。
就活本を読んでも「バイトリーダーを~~「サークルリーダーを~~「理系の大学で立派な研究を~~「立派な趣味があって~~「友達からは~~」と自分とは全く無関係な言葉がかりが並んでいて、参考にできるのは「カジュアルな服装と指定されてもスーツで行ったほうが無難ですね」といった就活クソトンチの模範解答集ぐらいで終わった。
今になって思えば、『とにかく自己分析が完全に詰んでいる』という事実を直視せざるを得なくなったこと自体が収穫ではあったのやも知れない。
とにかく身近な人間に聞いてみれば『自分で気づかない自分の強み』とやらが見つかるかも知れないと思い立って、親に相談した結果が、この増田の1行目である。
「お前のいい所……一晩考えたけど『体が大きいこと』か『毎日風呂に入ってること』ぐらいだな」
「体が大きいのは実際便利だよ。とっさの時に倉庫の荷物運びとかゴミ出しとかで戦力になるしな」
「風呂入ってない奴と一緒に仕事するのは無理だから。そうじゃないってのはアピールになるんじゃないか」
本当にショックだったよ。
20年同じ屋根の下で暮らした相手に、「お前は体がデカくて風呂嫌いでないことしか取り柄がない」とハッキリ言われるのは。
泣きそうだった。
自分だって高校時代の友人達に対して強みがとっさにポンポン思いつくかと言われれば難しいのかも知れないけど、それにしたって親が子供に対して思っていたことがこれかよ、と。
それにしたって、外見的特徴と風呂嫌いじゃないことしか思いつかなかったって……愛情を持たずに育てられているペットだってもうちょいマシな評価が貰えるんじゃないのか?
駄目だ。
この増田を書く前は「いっちょ過去の思い出を整理して完全に乗り越えたアピールしたろ」と思っていたけど、乗り越えられてないな。
今でも傷口が膿んでいるのがよく分かった。
20年食卓を囲んできた相手が自分の内面や後天的な能力について何のプラス評価も持っていなかったという事実はデカすぎる。
これは一生引きずりかねないな。
とりあえずこの経験から学ぶべきは、「親は子供なんてロクに見てなくても子供は育つから子作りは金以外の面でそんなにビビるな」「こういう相談を受けたら嘘でもいいから『センス、いいぜ、服とか、効いてる音楽とか』適当に抜かして返すのがいくらかベター」ってことだな。
いやー他山の石ってなあどこにでも転がってるなあ。
BSで日本リーグやってたから気まぐれで録画して見たら面白いんだよね
久しぶりにやってみたくなった
いっこしたのやつがキャプテンやっててマジびびる
勉強しなさいと言われ育ってきた。
ゲームもダメ、テレビもダメ、部活も「プロになるわけでもないのにやる意味あるのか」と否定されてきた。
勉強は頑張ったが自頭が悪く、ようやっとmarchに滑り込んだ。
趣味も無ければ、特技もない。やってきたことと言えば勉強だけ。それでも東大じゃない。
地元の知り合いは高卒で海外に出て働いたりしている人もいれば専門学校にいって専門性を身に付けて働いてる人もいて、皆楽しく生きている。
なにが楽しくて生きているのか自分でも分からない。内定が取れる気もしない。
超売り手市場の時に就活した親は「内定なんて楽勝でしょ」というテンション。
ポテンシャル採用というのは、お勉強ばかりのツマラナイ人間は要らないよということ。
自分がツマラナイ人間だということはイヤというほど分かっているから、アピールなんてできっこないよ。
甘いのは分かってるけどこのまま消えてしまいたい
決めごとで、部活が終わってみんな帰った後、音楽教室で部長の男子と二人きりで話してた。土曜日のお昼過ぎ。
会話の間に、部長が突然「パンツ見えてる」 と言った。ハッとして、立て膝を下ろした。ブラバンで女子ばかりで、いつもは下に短パン履いてるから油断してた。この部長も男子男子してなくて、いる時でも「生理痛い」と言ってる。
二人きりだし揶揄ってもいい部長なので、わざと(・∀・)ニヤニヤ した顔で「エッチ。勃起した?」と言っでみた。二次元キャラ反応の「し、してないよ!//」を予想してたけど、「…少し」と言われて、思わずもっこりしてるのか、見てしまった。分からない。なんか会話の恥ずかしさを誤魔化すために、「今のでおかずにして、オナニーとかするの?」と、恥ずかしいことをわざと言って、なんでもないことにしようと思った。そうしたら「もう、毛って生えてる?」と聞かれた。中2だから生えてた。だけど自分が早いのか遅いのか、分からなかった。女子の中でそんな話しない。生えてるけど答えたくなかったから、「部長は生えてんの?」と聞いたら、「うん、少し」と言った。何でも言いそう。
「見せて」って言って、嫌がったら冗談にしようと思ったら、立ち上がってベルトをカチャカチャ外して、チャックを下ろして前を開けて、パンツを腰から下に下ろして、ちんこをポロんと出した。毛は大人みたいに生えててた。
「副部長(私)も生えてるの?」「ふつーに生えてるよ。生理もある。女子は早いか…。動画撮っていい?」と私はスマホで部長のちんこを撮った。「顔は撮らないでおいて…」と言われたとき、「分かったるって」とわざと一瞬、顔を撮ったった。「14歳男子中学校のおちんちんでーす。ちん毛生えてて、少し勃起してまーす」とナレーションを面白おかしくしようと喋ってたら、「さっき副部長だって、パンツから毛が出てたし」と言う。言われて悔しくて言い返したの分かるけど、私も恥ずかしくて「生えてるからはみ出るもん」と、当たり前に言い返したけど、ちょっと熱は入った。
「見たい」「無理だって」「じゃあパンツ」「なんで」「見たから」「見せたんじゃん」「動画撮ってる」「後で消すし」「家で思い出してオナニーするから」「私のこと考えてオナニーするの?」「うん」。
「私のこと好きなの?」「うん」「M子ちゃんは?」「最初好きだたけど、今は…」「ふーん」。初めてそんなこと言われて良い気分だし、男子は好きな女子でエロくなると「知ってた」から、「一瞬ね」とスカートを上に上げて下ろした。部長の髪がフワッとなった。「もう少し、ちゃんと見たい…さっきパンツ見えてたのが」と言うから、パンツなんて水着と同じだし、また平気な振りを装う作戦で、「はい」って立て膝して、正面からは丸見えだろうなと思った。正面には部長が見てる。なんか股間は触られてなくて見られてるだけなのに動いてる感じがして、部長を見てるのは恥ずかしいから、横を向いてたけど、前を見たら部長の顔が股間に近くて、(あっ)と思い出して、自分で自分の股間を見て、毛がはみ出てないか、少しはみ出てたから、少しパンツを浮かして指で中に押し込んだ。その時「見えちゃった」と言われて、カーッと顔が熱くなった。「横に、ずらして、ちょっと」と言われて、なんかもういいや、と思って「はい」と、グイッとパンツを横に引っ張って、丸見えにしたった。こんなことをしたのは、初めてだった。「動画撮ってい…」「ダメに決まってんじゃん!」「じゃあちゃんと見て、覚えとく」。部長に自分の恥ずかしいところ、ちゃんと見られてる。「まだ?」「もう少し…」で、クリトリスに触らられて「ひゃんっ」となった。部長は右手を自分のパンツの中に入れて、もぞもぞ動かしてた。「いまオナニー…」と言ったら、「ごめんね…」と言って、ズボンとパンツを膝まで下ろして、チラッと見たちんこは完全に勃起してて、部長は私の股間見てて、ちんこをしごいてて、あっ、うっ、って言った後、「ごめんっ」って言って、私の右おっぱいをふみゅうっと触って揉んで、「うっ」って言って、ちんこの先から白い精液がマンガみたいに「どぴゅっ、どぴゅっ、どぴゅ」と、私の股間の手前の、音楽教室の青い絨毯床に出た。白くて透明でトローっとしてて、プールの更衣室の塩素のツンとした臭いがした。
部長はちんこを握ったまましゃがんだ。部長のちんこは小さくしわしわになってて、先っぽから透明な液が出てた。あそこからおしっこも出るんだ。
「部長、私の前でオナニーしたw気持ち良かった?」「うん」。部長はポケットのポケットティッシュを出して、ちんこの拭いて、床の精液を拭いた。床は湿って色が変わってた。そこを指で少し触れて、「汚い」と言った。部長が横を向いてる時、素早く指の臭いを嗅いだけど、何もだった。
「どさくさに紛れて胸揉んだでしょ!」と急に思い出して、ムカついてきた。「おっぱい揉んじゃった」と悪びれなく嬉しそうにしてて、もっとムカついた。
あの白い精液が私の膣の中に出されると、受精して赤ちゃんができるん。私のお腹中に卵子があって、精子と受精して、私のこの穴に勃起したちんこを入れられて、そのまま中で精液を出される。生で中出し。赤ちゃんができる。
端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。
穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。
新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生。同級生はみんな、自分の居場所がリセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。
一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。
それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係の階層構造が強まった。
勉強のできる学校、地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識の豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった
当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。
ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。
プライドが高かったのだと思う。
階層トップの不良グループはクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。
イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。
お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。
昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループに所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。
そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。
カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。
こんな感じで、安心できる場所は学校には一切なかった。毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。
その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器でおしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。
学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。
年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。
うちの中学校では、この県大会の大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。
僕はどの競技の選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。
小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。
知らないメンバーのために、部活だからとサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事な大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。
陸上そのものを楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所を自分から閉じてしまった。
部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCでインターネットを利用した。
Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。
オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド(所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。
ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームにお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。
それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに居場所を求めた。
ここまでがだいたい中学1年生。
2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。
小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。
修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子を暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。
僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子からも男子からも人気のあったイケてるグループのメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。
事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。
そして、ちゃんと好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。
好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。
ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。
この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。
小学6年生の遠足の時、移動までのバスでカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。
歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。
小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。
中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。
そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有の自意識過剰から、まともに話すことができなかった。
そしてそのまま、拒否された。
一方的に彼女に好意を伝え、呼び出した複数人の男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。
個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。
自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループに嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと、自分のことが嫌になった。
体育の授業で複数人でグループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。
ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族でゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。
結果、見事にハマった。
戦闘シーンやメカニクスの描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳のシンジや他のキャラの内面の描写に、自分を重ね合わせて見ていた。
中でも人類補完計画やセカンドインパクトは、思春期の想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。
意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループや階層といった構造になると、途端に他人に攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしまう意識があることを知った。
何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。
他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。
人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。
でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァの世界から抜け出さないようにした。
繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジは人間がひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカは気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?
これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。
その後、県内では進学校だった高校に入学し、校内の暴力的な上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。
大学は第一志望には落ちたけれど、都内の学校に進学でき、希望していた地元からの脱出は叶った。
だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。
大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。
また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。
いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。
それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。
この時に身に付けた自信から、就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。
今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。
誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。
できることが増えて、自分の人生も俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。
日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。
そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。
なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去に集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失をちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァと対峙することで、確認したかったのだと思う。
僕はとても救われた気持ちになった。
今回の物語では、シンジ、ミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。
第3村のトウジとヒカリ、レイの田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。
劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。
本当に良かった。ああ、これでいいんだね。
その恋愛感情は私が見たそれの中でも1、2を争うほど強いものであった。
彼女のことを漠然と良いなとは思っていたが、その業火のような恋愛感情に驚き引いてしまった。
初恋と呼べるものすらなかった私にそれはあまりにも激しいものであった。
「好きです」
振ったつもりはないが振ったような言葉を言ったそうだ。正直、覚えていない。
そしてやはりと言うべきだろう。結局付き合うことはなかった。
その後、業火の彼女が鬱屈した20代を送ったことは知っている。
そこに罪悪感は無論ある。償うことはできないけれど。
以降、となると生まれてからずっときちんとした恋人はいない。すでに 30 代である。
仄かな想いを寄せてくれる女性がいなかった訳ではないが、その誰ともどうにも上手くいかなかった。
単純に臆病だったからでもあるし、仄かな気持ちを生育する能力も私にはなかった。
初恋以前に業火のような恋愛感情にさらされた私は、恋愛感情というものがどうにも分からないできた。
業火のようなものでなくとも恋愛感情と呼んでいいことを理解できたのが本日の夕方である。
もちろんその勘違いは業火の彼女のせいではない。完全に私の責任だ。
そして今、創作作品を作っている。異性とパートナーを組んでいる。
あくまでも創作パートナーであって、それ以外では断じてないし、それ以外へと向かう気もない。
また、これまでずっと一人で作ってきた私はパートナーが出来たことにとても喜んだ。
ただ創作パートナーというものは生の感情のぶつけあいでそれこそ心の奥底まで覗き込む必要がある。
そして私の乏しい女性経験では、それが偶然なのかどうか全く分からないが創作パートナーも業火のような恋愛感情を抱く人だった。
現在も彼氏はいるそうだが、その大恋愛が今でも胸にあるということは明らかでむしろ彼女自身がそう認めている。
「今でも完全に好きだよ」
と真顔で言いきった。
私は単純に「キモチワルイ」と思った。その有名な台詞の背後の感情そのものを心に抱いた。
業火のようなその恋愛感情そのものがキモチワルイと思ったのだ。
かなり辛い、これは確かな感情だ。そして嘘偽りのない私の中の感情だ。
私は男女問わず恋愛感情を抱く人物そのものにトラウマがあると悟った。
考えてみると、親友が彼女と手を繋いでいるところを見かけることすらキツいと思うのはおかしい。
そして今は辛いけど思う。
今の創作パートナーは、業火の彼女の有り得た姿かも知れないとすら思うのだ。
そして勝手ながら願う。
そして私も幸せであろうと決心できることを。
俺の試合を応援してその後少し話して別れたがその時は部活引退してもまだこのスポーツ好きなんだなぁと思ってたんだがよくよく考えれば、なんで俺の試合だけを応援して試合の後話しかけて来たのか考えれば、LINEか連絡先でも聞いて飯でも行けば良かったのかなぁと。
3歳からある運動系の習い事はやっていたけど、部活でやるような筋トレ、走り込みはやってこなかった。
その結果、見事なまでに全く筋肉がついていない体になった。
柔軟体操は毎日欠かさずやっていたから、すごく体は柔らかい。だが、それだけだ。
部活やっているときはキツいだろうけど、やっぱり10代の内から筋トレやってれば筋肉がつきやすい体になっていただろうなと思う。悔しいが、今の自分には効率よく筋肉を付ける方法も分からないし、何よりトレーニングをサボらないように見ていてくれる監督や仲間たちもいない。
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
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影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。
たまに弟がその友達を家に連れてきた時などは増田も彼と直接会話することがあるのだが、先日の話。(ちなみに弟は買い物のため外出中)
友「この前、高校に顔出してきたんですけど、その時に部活の後輩と勉強の話になって、彼が『高校レベル以上のことを知りたいと思った時、専門書を買うのはコスパが悪い』って言ってたんですよ」
友「ゆとりか! と思って詳しく聞いてみたらですね。そいつに言わせると『専門書を買うよりもコスパが良い方法は、教師を問い詰めて専門知識を吐き出させることだ』って」
俺「そうなの?」
友「授業が上手いかどうかは別として、開成の教師なら誰でも何かしらの専門知識は持ってるし、物理の先生なら物理、数学の先生なら数学で本人の専門以外の分野についても教養学部レベル(←東大的な表現だなと思うby増田)の幅広い知識は持ってるから、まずひたすら質問すれば良い。すぐ答えが返ってくるし、『僕がどこが分かっていないか』もある程度把握してくれるし、タダだしって」
俺「さすがは開成だなあ(というか正しく予想の上を行かれた!)」
友「だから時間的にもお金的にもその方が効率が良いし、それで先生でも分からないレベルだったらその時に初めて専門書を買うなりすればいいって。言われてみたらその通りだな、って」
地元の同級生のインスタを見ていたらフォローの中に初恋の女の子がいた。
鍵もかかっていなかったので気になってのぞいてみると、よほど稼ぎのいい男を捕まえたのか、ずいぶん派手な生活を送っているようだ。
1人あたりゆうに1万円を超えるようなレストランにたびたび行っていたり、1泊10万円するようなリゾートコテージに泊まったりしているらしい。記念日らしき日の投稿にはレストランのテーブルの上にエルメスやルイヴィトンのショッパーが並んでいた。
彼氏か夫らしき男は左ハンドルの車に乗っていた。サングラスで顔ははっきりわからないが、シュッとして体格もよく、いかにもガツガツしてそうな男だ。
現実問題として、彼女と特別に仲がよかったわけではないし、いい雰囲気になったりしたことがあるわけではない。
小学生の時にたまたま隣の席になってちょっと話が弾んで、かわいいなと思っていたくらいだったし、学年が上がって別のクラスになってしまうと接点なんてほとんどなかった。
中学に上がっても憧れてはいたが、一度も同じクラスにはならなかったし、部活や委員会などでも接点はなかった。なにより彼女はいわゆるギャルっぽくなっていった。Popteenとか、そういった文脈に生きていた。
彼女は地元の高校に進み、僕は都会の高校に進んだ。地元は近隣の地域を含めてもせいぜい数万人しかいないような田舎で、人間関係はだいたい持ち上がりだ。僕は都会の高校に進むために家を出てしまったので、そうした人間関係からはほとんど弾き出されてしまった。
次に彼女の噂を聞いたのは大学生になってからだった。僕は東京の大学に通っていて、正月の帰省で地元の友人数人で遊んでいたときに、友人の1人から彼女の話が出た。高校時代に彼女と付き合っていて、初体験の相手だったらしい。彼女は地方都市で専門学校に通っているらしいという話だった。
その友人は僕の初恋なんてたぶん知らなかっただろうし、なんとなくその場の話の流れで過去の恋愛やセックスについて話しただけだったんだろうと思う。それでも僕は妙にむしゃくしゃして、表には出さないようにしていたが内心では落ち着かない気持ちになっていた。
成人式で帰省した時にも彼女のことを見かけたが、やはり派手目なグループの中にいて話すようなことはなかった。
たまにFacebookの「知り合いかも」に彼女が表示されることはあったが、申請を送ることはなかった。投稿は公開範囲を友達だけにしてようだったし、いくつか表示された写真も数年前のものだった。
そんな感じで中学を出てから十数年間、たまに思い出す苦い初恋の思い出という感じで過ごしてきた。たまに会った地元の友達から、専門学校時代を過ごした地方都市で暮らしてるらしいと風の噂に聞くくらいだった。
そんなふうに思って遠い話にしていたなかで彼女のインスタを見つけてしまった。
僕はそのまま東京で就職して、それなりにお金をもらえる仕事に就いたが、それでも1人1万円を超えるようなレストランにはまず行けないし、1泊10万円するようなホテルにも泊まれない。エルメスやルイヴィトンのバッグも買えないだろう。
少し見栄を張って言うと、そうしたレストランやホテルに行けないことはないし、ブランドもののバッグを買えないこともないと思う。ただ、それを常にはできないだろうな、と思うのだ。
恥ずかしい話、田舎から都会に出てそれなりに身を立てた自分と地方都市で気ままに暮らしているであろう初恋の相手と、アリとキリギリス的な単純な対比に落とし込むことでうまくいかなかった初恋を消化していたところがあった。そうしたところを彼女のインスタにあっさり突き崩されてしまったのだ。
彼女は今でも美人だと思うが、もはや僕と彼女の人生は交わらないだろう。
勝手に憧れていた女の子が、全然別の世界で、全く手の届かない相手になったんだなと改めて認識して、勝手に悲しいような泣きたいような、よくわからない気持ちになっている。彼女にしてみればいい迷惑だと思うが、この気持ちの墓標として増田に吐き出した。情緒が落ち着かない。
※ちょっとだけフェイクを入れてます。衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。
何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束の時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。
ADHDの特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身がADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳を相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそも、こちらから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である。内密な話を勝手に打ち明けた担任も担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。
我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に。
父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。
自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。
これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生は自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。
どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。
ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身のADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないからダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。
ADHDというのは脳の障害の一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害である。ドラえもんにおけるジャイアンとのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。
ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。
「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。
「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10倍努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。
母から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分で朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活でクタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。
それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。
「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活で活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。
父は「その経験も大人になれば必要なスキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。
学校の宿題を終わらせても、自分の時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強を強要された。
この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明したかった。
虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれば自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽極まりなかった。
「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。
しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。
思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。
少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。
母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分の命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。
そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。
父と母はよく喧嘩していた。
変な始まり方から喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。
見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。
母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。
私は子供に喧嘩の責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。
父は「お前の教育(しつけ)がなってないから子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。
しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ。
おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。
そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。
母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉の暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。
正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたから20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。
母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。
父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。
おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。
暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。
他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。
「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。
私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的に押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。
今なお人生の目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人に迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってからは迷惑をかけっぱなしで自分の能力の低さに愕然とした。
母からはいつも努力の過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。
むしろ店長からは憐れみと嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。
いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るものは勝手に出るし、出ないものは努力しても全く出ない。
私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。
「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活は楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。
馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。
ひたすら耐えるだけの人生だった。
こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。
もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてももう頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。
どうせ何やっても失敗するというのに。
https://twitter.com/AngryYellowCat/status/1372105401534013440
かわいそうなのは、
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81212
こういう記事に出てくる人たち。
しかし、現状、フラフラしていると碌でもないことを始めだすルンペンプロレタリアートと
罪なき市民を区別するすべはないし、ガチの差別になって「誰が鈴をつけに行くんだ」という話になるので
なら「仕事」じゃなくて「収容所」だろ、と思えるだろうが、これは悪平等につながってしまう。
綺麗でおしゃれで見晴らしが良い収容所のほう良いに決まっていて、
ルンペンプロレタリアートたちが「俺もきれいな収容所に入れろ」と騒ぎ始めるので
でも、クソどうでもいい仕事の主犯はルンペンプロレタリアートじゃなくて
人を食い物にする一枚上手な悪い連中。
もちろんコイツラは、きれいな収容所にもぐりこんで快適な生活を送ってる。
その上、そいつらが手柄を上げて自分の快適な城を作ってのさばって、
それを清掃したり、隠したり、身代わりになったりという「クソどうでもいい仕事」を
さらに積み上げていく。
まぁしばしば内部の裏切りで表沙汰になることもあるが、火消しするブルシットジョブが生まれるだけ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210318/k10012921051000.html
中学生の頃からパソコンいじりが趣味になった。高校生の時はかなりの劣等生で、趣味に没頭しまくったせいで成績も最悪だった。成績不振すぎて退学を打診されたこともある。半ばお情けでギリギリ回避したけど。
それから大学に進学したが、改心して勉強に打ち込んだわけでもなく、PC関連に没頭する生活が続いていた。少なくとも進学の時点ではPCはただの趣味で、特にエンジニアになる気はなかったので情報系の学部でもなんでもないところにいた。
大学は高校よりも単位を取るのが楽だったこともあり、幸い留年レベルにはならなかったが、成績は悪い方だった。
それでも紆余曲折あり、今はいわゆる"ホワイト"な職場でエンジニア職をしている。待遇も良いし、コロナ禍ではもちろんテレワークが出来ており、ハンコ出社なんてのもない。細かい不満は多少あるが、総合的に見れば良いところで働けていると思う。
この自分語りを見てもわかるが、Twitterでよく見る「でも私には理解のある彼くんが……」状態になってるんじゃないのかと思うことがよくある。「学業を放り投げて遊びまくっていた。でも幸い俺には理解のあるプログラミングくんが……」とでも言おうか。
学生が打ち込む趣味は色々あると思う。たとえば部活として存在するものだけでもスポーツ、囲碁将棋、演劇、美術などがあるだろう。だが、これらに没頭していた場合はそれが進路・就職・転職に結びつくかというと難しい気がしている。
もちろんこれらの中のトップ選手がそれをライフワークにした例だってある。ただ、それらは一握りじゃないか。仮に将棋で食っていくと言ったって、藤井聡太レベルじゃないと食っていけない。スポーツ、演劇、美術などでも同様だろう。
結果的に、大半の学生は趣味を我慢して勉強を真面目にやることで、ちゃんとした進路を確保する羽目になるんだと思う。医者になるために高校時代から死にものぐるいで受験勉強に打ち込むケースなんかもそうだろう。
一方でPC関係はどうだ。もちろん全員とは言わないが、趣味が高じてこの仕事に就いている連中が比較的多いように思う。
それに待遇も他の職種と比べると良い事が多い。最近話題になっていただけでもアニメーターのように、やりがい搾取と批判される構造の職種もあるが、それと比べるとエンジニアは幸運な方なんだと思う。
更に、DXだのプログラミングの時代だの、世間的にもエンジニアが良い職種として評価されているようである。
「汚い手段で金を稼いでいる」みたいな批判に晒されるわけでもなく、これからの「デジタル社会」とやらでの理想像として捉えられている節すらある。
ただパソコンオタクやっていただけで、向いている仕事がこれしかないというのに。自分も「○○さんはどうしてエンジニアになられたんですか?どうやって技術を身に着けたんですか?」と聞かれることが偶にあるが、結構しんどくなる。
当に趣味をやっていたらそれが偶然社会の需要に合致しただけで、全部運のおかげなんじゃないか。
こう書くと運が良かった自慢みたいなんだよな、そうじゃないんだよ。まあどう思われてもいいけどさ。
一方でTwitterを見れば「趣味でもプログラミングできないやつはダメ」という、どちらかというと偉そうなエンジニアが多い気がする。
もちろん、趣味もプログラミングの人のほうが習得や理解は早いと思うし、総じてそういう人のほうが優秀であることについては同意する。採用面接なんかでもだいたいそう。
でも趣味がそうじゃないやつはダメとまで言えるか?自分の境遇を理解してないというか、偉そうじゃないか?
自分がプログラミングを趣味にできたことは偶然である。趣味を仕事にしている、自分と同類のエンジニアもそうじゃないのか。
もし同じタイミングで別の趣味に打ち込んでいれば、自分は今頃どんな生活になっていたんだろうか。良い給料を貰えるレベルで仕事できていたとは思えないし、メンタルも体もボロボロだったと思う。
でもエンジニア以外、あるいは趣味じゃないけどエンジニアをやっている人を見ると、そんな人のほうが多いかもしれないわけで。どう捉えればいいんだろうな。
趣味も仕事もエンジニアの連中はみんな「俺らの趣味は偉い」と思っているのか?同じ気持ちになったエンジニアはいないのだろうか。