「部活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 部活とは

2021-03-16

30代からストレッチ

30代半ばでストレッチを始めたら身体の不調が大幅に改善された。

数ヶ月ごとに首が回らなくなり整骨院で治してもらうというサイクルを続けて早数年。

昨年の夏頃にはついに朝起きるときに首から背中ガチガチに固まって起き上がれなくなってしまった。

耐えきれず近くに開業した整骨院治療してもらったところ先生

「一番の治療セルフケア

と言われ、帰宅しても頭に引っかかり、その日からストレッチを始めることにした。

肩甲骨回しや学生の頃に部活や体育でやっていたようなストレッチ、あとはネットで調べたやつ。首〜上半身を多めに集めた。

毎日、寝る前に5分くらいストレッチ

始めて数日で何だか体調が良いことに気づく。一ヶ月経つ頃には体も柔らかくなり、全く不調が起こらないことに驚く。ただのストレッチだけで??

今では半年以上経つだろうか、たまにやらずに寝てしまうこともあるけど習慣化した。やらない日が3日くらい続くと調子が悪くなるのでやめられない。

寝る前のストレッチしかしてないのになぜか少し痩せた。

学生の頃にはなんの効果も感じられなかったストレッチが30代半ばの今ではものすごい効果を発揮している。

ストレッチ、素晴らしい、ストレッチ

30代こそストレッチしよう。

anond:20210315233217

学生時代部活夜遅くまで残った時に、よく食べに行ったラーメンと似ていて、

今の学生たちが不憫でならない

この経験できる機会が減ってるわけだから

2021-03-15

夜食べたラーメンに涙が溢れてきた

仕事家族もいろいろと限界に近かった。

 

今日家族が所用でいない。自分、一人だ。仕事から帰ってきて、適当に夕食作って、チューハイの蓋を開けようと思った時に、そうだ飯食ったらどっか行こうと思いついた。ストゼロをそのまま冷蔵庫に戻した。

飯食べたら、着替えだけもって自転車スーパー銭湯へ向かった。家族が車使っているので、クロスバイクしかない。

数年前にできたスーパー銭湯入り口前で案内を見ると、岩盤浴プランだとリクライニングコーナーでゆっくりできるらしい。クーポンだと1,500円ぐらいなので、ちょっと贅沢してみることにした。岩盤浴は初めてだ。

 

風呂に軽く入って、館内着に着替えて岩盤浴コーナーへ。おっさん一人で浮かないだろうかと心配したが、老若男女、そして家族から一人からカップルから友達までと色々な人がいて、おっさん一人でも問題なさそうだ。

とりあえず眠いので、リクライニングで一時間ほど仮眠する。さて初めての岩盤浴へ。見様見真似でスタートする。徐々に温まってくる。15分ぐらいすると汗びっしょりである。そしたら涼しい部屋へ直行する。

あーなんか気持ちいい。またリクライニングで仮眠して、今度はロウリュウなるものすごい温かい風が当たるのを体験。お兄さんが暖かい風を当ててくれる。皆で拍手して、なんか一体感あっていいな。

岩盤浴しかった。なんか疲れがだいぶ取れた気がする。

 

さて帰ろうかと思ったが、腹が若干減ってきた。帰って、インスタント食品でも食べようかと思ったが、緊急事態宣言も終わったし夜のラーメン屋も悪くないなと思って、Googlemapで検索すると幹線道路沿いに行けば夜遅い時間でもあいている。

さっそく直行する。こんな時間だが、会社帰りのスーツ姿のリーマン若いカップル、よく分からんおっさんと繁盛している。

ラーメン。美味しい。学生時代部活夜遅くまで残った時に、よく食べに行ったラーメンと似ていて、なんか懐かしい気分になった。もう戻れない日々だけど、本当に楽しかった。

毎日あーだこーだ集まってたのに、もう集まることは人生で一回もないんだもんあ。懐かしいな。完全にウルウルきてしまった。

780円のラーメン。すんげー美味しいっていうわけでもないけど、なんか幸せな気分にさせてくれるラーメンだった。有難う。

 

明日からもがんばります。何ヶ月分かのエネルギーは充電できた気がする。

帰りにハーゲンダッツ買って食べています。2500円ぐらいで、久々に幸せを感じれました。

2021-03-14

父に母との仲を取り持つように頼まれたが無理だと断った話

これでおそらく私の育った実家はめちゃくちゃになるのだろうなと予想している。

 

母は敵がなければ生きていけない人だった。

母の幼い頃は、それは妹である私の伯母だったという。二つ年上の伯母は母とは折り合いが悪い。私が見ていても顔を合わせるたびによそよそしさがあったし、ごく最近あった親戚の葬式で同じ場所にいたときほとんど顔も合わせず会話もしなかった。

叔母は要領が良いため、母は自分が使われているように思えたのだろう。

 

私が小学校低学年の頃は、母の敵は私だった。

ちょっとしたことで怒られて家の外に出された。

うちは東北の雪深い地方だ。寝ずに外で反省していろと言われ、ダウンジャケット一枚で外に出て立たされた。アパートの他の階の人たちが憐れむような目を向けてきていた。翌朝は足の爪の色がおかしくなった。

かになにか言われたのかベランダに出されるようになった。寒さで足踏みをするとうるさいといわれた。

 

私が小学生高学年の頃は、母の敵は同じアパートの上の階の人だった。

洗濯機の水を溢れさせて我が家にこぼしたその人を、母は何度も責め立てた。傍から見ていてどちらが被害者でどちらが加害者かわからないほどに責め立てていた。我が家アパートの二階で、母の声は大きい。そのため母が玄関先でその人を責め立てるたびに上の階へ行く人が気まずそうに階段を昇っていくのを見ていた。

とはいえ、その人は二回洗濯機の水を溢れさせた。しかも初回の一ヶ月後だった。

 

私が中学生になった頃は、母の敵はまた私に移った。

理由は何だったのか覚えていないが母は私を無視し始めた。

なにか話しかけても無視される。食事は出してもらったし洗濯もしてもらった、ごく一般の家庭である世話はしてもらったが、会話だけは完全に無視された。何を話しかけても無視された。そのくせ授業参観の提出物などを出さずにいれば独り言の体をとりながら文句を言われた。しか文句いくらこちらが否定理由を口にしても無視された。一方的文句を言い、気が済んだら母は自室のドアを閉めた。

 

そして私が大学生になった頃から今まで、母の敵は父だ。

何が原因だったのかは知らないが、母は父を無視し始めた。具体的な内容は、私に行った会話無視食事を作らない、洗濯をしないなど一切の父に関するあれこれをしなくなった。父は自分シャツアイロンを掛け、食事を作り、洗濯をするようになった。

母は父がいる部屋に立ち入らない。父が居間にいるとき自分は不機嫌ですよと伝えるように勢いよく自室のドアを閉め、なかでわざとらしくこちらに聞こえるように邪魔者がいると言う。他人不快感を持たせたいのだろう。

 

こんな母との仲を取り持つように父にいわれた。

父は、私が大学生になって二年目ぐらいで単身赴任をしていた。それが3月定年退職となり、実家に帰ってくる。今までは単身赴任からこの程度で済んでいたし父がなるべく母を怒らせないようにしていたし長時間いなかったからなんとかなったが、実家に戻ってくれば今度こそ真正から激突するのは間違いないだろう。

 

正直に言って、無理だと思う。

母親性格上誰か敵がいないと生きていけない。この先も新たな敵が現れない限り、父が敵と認定され続けるだろう。

しかし、私が見ていて母は一体誰の稼ぎで暮らしているつもりなのだろうと思う。こういう言い方はいろんな箇所から怒られそうだが母は養われている立場だ。私の記憶にある限り四半世紀専業主婦をしてきた。最近では自分趣味活動費を稼ぐためにパートをしているが、少なくとも四半世紀はただの専業主婦だ。

ネットの言説を受けて専業主婦給料をもらうべきものすごい金額分を働いていると言っているが、母は高卒専業主婦である

物事に順番がつけられず、私が夕食を完成させるのと母が回していた洗濯機が止まるのが同時だった場合洗濯を干すのを優先して「人のために働いていたら夕食が冷めていた」と恨みがましく言う人である。だったら洗濯物後に回せよ、そのなかみシーツと枕カバーじゃねえか。朝までに乾かなきゃならないものですらないだろ。しかも飯食うの早いから後回しにしても全然濡れたままだろ。ていうかそのぐらいなら全然良いんだけど、掃除機かけるのが忙しいから飯はあとにした、冷めてるって言われたときは流石にムカついた。掃除機こそあとでもいいだろ。今住んでるの一軒家だし時間まだ19時代だが?

基本的にごめんなさいが言えず、外面はある程度良いらしいが、私の弟とは年に一度程度つかみ合いの喧嘩を起こす母である。弟は部活サッカーしてる身長180overなんだがお前は自分の体格を理解してるのか?

離婚するなら自分慰謝料をもらうほうだと豪語する母である伝説92ほどじゃないがどう考えても夫婦生活破綻させてるのはお前なのに慰謝料をもらうと言い張っている。

こんな人が反省するのは無理だし、仲を取り持つの不可能だろうし、性格が今更矯正されることもないだろう。

 

私は確実に実家のなかがひどい具合になるのが想定できていたので半年前に実家を出ている。こんな私に言わないでほしい。

一年から父にはもっと母と話をしろと言ったが母が父を無視している状況のため話し合いはできず、その実家の状況と一年後の状況を想像した私は体調を崩し、体重が約10キロ落ち、このままだと確実に精神と肉体両方を壊すと思い実家を出た。この状況下でも転職先が見つかったのが僥倖だった。

ついでにいうなら涙が止まらなくなる・食事に興味を持てなくなる・趣味が一切楽しめなくなると典型的な鬱の症状が出ている私に、母との橋渡しを頼み、母の住民票を撮ってきてくれと頼むのが父である。私は仕事してるんだが。どうやって区役所に行けっていうんだ? 昼休みに行ける距離じゃないんだが?

そもそも実家を出ている私がどうやって取り持つんだ。

 

せめてまだ実家にいる弟に言ってほしいが、弟は弟で親のどちらとも口をきかない。父の入った後の風呂には入りたがらず、父と一緒に洗濯物を洗わないでほしいという思春期女子中学生のような可愛い可愛いである。私とは年が離れているため目に入れても痛くないし、弟が実家にいたくないというなら私も手取り18万だが弟をこっちに呼び寄せてもいいと思っているぐらいに可愛い可愛いである

とはいえ、この家のなかで母と一番気性が似ているのも弟だ。母とつかみ合いの喧嘩を起こすぐらいにぶつかったら面倒になる。仲を取り持つどころではなくなるだろう。

弟は母と気性が似ていながらもそれを抑え込む術を理解しているので基本的に親とは口を利かないのだ。賢い。家の中でどうすればつかみ合い殴り合い怒鳴り合いの無駄なやりあいをしないか理解している。忍耐力もある。可愛い

  

正直もう実家に関わりたくないんだが、でも親が熟年離婚して実家がなくなるのも嫌なんだよな。これは完全に自己中心的な考えだけど帰る場所ってあってほしいというか、うまく説明できないんだけど実家存在しててほしいし、もし離婚された場合建物がどうなるのかとかそこらへんの面倒くさいのに絶対私が呼ばれる。面倒なので上辺だけでもいいからなんとか暮らして欲しさがある。

父はどうせだったら定年退職後の再雇用単身赴任をするつもりだったらしいが金銭的に無理だろうと諭したのが私なので一応責任はあるといえばある。精神の安定か、金銭的な安定か、そのどちらかを天秤にかけさせて金銭の安定をとらせたわけだ、私が。

つーか金はあるんだよなあ、年収1000万ってなんだよ。私が一人暮らしになるとき保証人である父親年収欠かされたんだけど1000万ってなに? 私はその1/3以下なんだけど? それ知ってたら貯蓄もあるんだから単身赴任でもなんでもしてろって言ったかもしれないけど、それにしたって問題先送りしてるだけなんだよな。

 

母親性格が悪い悪いと言っていたが、父も良いわけではない。上記に書いたとおりの私が小学生の頃や中学生の頃に無視されたり何だりあった頃は、父は私を家にいれてくれるわけでもなかったし、母に喋るように働きかけてくれるわけでもなかった。事なかれ主義なのだ

から私が見捨てても問題ないと言えば何も問題ないんだけど、どうしたらいいんだろうな。

 

かいてみたら少しは頭が整理できるかと思ったが、やっぱ無理だわ。

幼い頃に母から受けたのは教育のためとはいえ虐待だと思っているし、その時に助けてくれなかった父親も恨んでないといえば嘘になる、でも実家は残ってほしい、なんで残ってほしいのか言われてもうまく説明できないかダメなのでここもうちょっと自分でしっかりと掘り起こしたほうがいいんだろうけど、とにかく嫌なんだ。おそらくも間違いなくも自己中心的理由から自分で見つめ直したくなくて逃げてるだけなんだろう。

だとしても仲をとりもちたくないし、でも離婚はしてほしくねーわ。

親のことは親で決めろっていいたいんだけど母親があの調子父親の話全然訊かないままならそれもどうにもならねーし、もうどうしたらいいんだよ。

一回は無理だって断ったんだけど、きっとこのあとまた言われるんだろうな。平然と私に頼んでくる父親性格上そうなると思う。いやだな。

2021-03-13

部活顧問をしたくない

私立非正規身分で5年以上勤務している。

身分に不満はあるが、自身能力がたいして高くないことは理解しているし、

給料待遇正規に劣るものの決して悪くない。

そして何より部活動顧問を勤務校ではしなくて良い。

今年公立採用試験を受けようと思っており、捕らぬ狸の皮算用だが、

本当に公立に行って良いのかずっと迷っている。

身分は確かに安定するが、部活動顧問だけは嫌だ・・・

時間は拘束され、コンビニバイト以下の時給で働き、(個人的に)やりがいも薄い。

迷って何も動けないのが最悪だと理解しているけど、んーー嫌だなあ・・・

2021-03-08

anond:20210308163606

俺は努力したことないぞ

学校も全て推薦や面接で通ったし

内定面接で通った

勉強部活趣味も、色々とやったが

俺の思う「努力」ではないな

2021-03-07

最初アスペ性格悪い人かと思ったけど

元増田が書いたつもりのこととはずれるからトラバはしないんだけどさ、

あれ、元増田運動部でされた事がトラウマなんじゃない?

だって昔の話にしては、運動部での苦しみや暴力を伝える描写が多すぎるし詳し過ぎる。

 

あれ読んで「運動部に入ってない人の言う事は信用ならないな!運動部に入ってた人は信用できるな!」とはならないじゃん。そんな事書いて推敲してる本人が1番わかってるはずじゃん。

 

しろ自分はこんなに嫌な事をされた」って訴えてるように見える。

嫌だと思う気持ちに蓋をしすぎて自分でも気付けなくなっちゃってる感じ。

不幸自慢になってることに気づいてない。

 

自分がされた事を無意味暴力だったと認めるのは辛すぎて「あの暴力には意味があったんだ。あのお陰で自分は肉体的にも精神的にも強くなった」と思い込もうとしてるだけじゃない?

その考えを補強する為に

運動経験がある人とない人は基本的に話が全くかみ合わない」

とか

自分の肉体を追い込んだ経験がないか常識的判断をする経験ベースがない」

って考えたり

「鬼滅の作者(自分にとって凄い or 偉い人)は運動部に入った事がある(自分と同じ経験をした事がある)んじゃないか(だから自分も同じように偉いしあの苦しみには意味があった)」って想像したりするんじゃないか

 

元増田が書いてる

個人的な恨みを地域性に結び付けて晴らしたい話のように見える

これは本当にその通りで私も地域差別には反対。

これに関してはツイート元の弁護士おかしいと思う。

 

でもそれ以上に、元増田個人的トラウマを、ツイート批判という偽装をして吐き出してるように見える。

 

まりにも「運動部経験が無い人は自分より弱くて話が通じない」って考えで人を見下してると、もしも「運動部経験が無いのに話が通じて元増田より強い人」が周りに現れだしたら、それからずっと、「運動部経験が無い人より、自分ダメな奴だ」って見下しながら生きてかなきゃいけないよ。

 

もし元増田尊敬してる人が「部活?いや学生時代帰宅部でしたwwやりたい事あったんでwww」って言ってるのを見たりしたら、自分を恨む事にもなるよ。

 

今は「運動部経験があって強い人」にしか出会った事がないかもしれないけど歳とったらわかんないよ。

 

自分トラウマに気付けないと、同じ事を悪気なく他の人にして不幸の再生産をするので書いておく。

こう書かれても元増田はわからないだろうけど、トラウマに振り回されてる人から迷惑を被った身としては書かずにはいられない。

ネット上で「頑張れ」って言っちゃいけない空気になってるけどさ

ネットもなんも知らん頃、部活ランニングしてたり大会の時とかに「がんばれ~」「がんばって~」とか言われるのすごい嬉しかったんだよね

なんか「心無い言葉」みたいな押印押されようとしてるのが少しさみしいね

別にいいけど

2021-03-06

anond:20210306184607

なるほどね

というか小中高の土日は部活に塾にゲーセン映画カラオケ?あたりで十分忙しいし美術館博物館なんてそりゃ行かないか

国立大学 前期試験不合格

地方国立理系 工学部

センター試験6割ジャスト

二次試験自己採点5割で不合格 

11月半ばに部活引退して二ヶ月で迎えたセンター試験とその後1ヶ月で挑んだ二次試験だったが、思ってた以上にやることができた

後期もあるがそれがダメでも1年という猶予が有ればどれだけ自分が成長できるか楽しみだ

しかし一番の懸念共通テスト

試行調査と全くの別物が出てきたことで、来年も大きく傾向が変わることが非常に怖い

まずは四の五の言わず実力をつけることにする

また勉強の合間、備忘録程度に書き込むことにする

2021-03-05

長崎公立中高、下着「白」の校則について

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210305/k10012898081000.html

 

はてブ話題になっているようだったから書こうと思う。

自分中学高校長崎公立学校に通った。中学高校どちらも下着の色について「白」と指定されていた。白い制服シャツの下に、白以外の下着が透けるのが見苦しいという理由だ。

この下着とは、キャミソールことを差し、一応ブラジャーパンティ(増田表記)の色は自由だった。(しかし、派手な色の肩紐が襟元から見えていると注意された)

高校では、女子生徒は防寒のため、セーラー服の下にセーターやヒートテックシャツを着込むのが一般的だった。このときセーラー服の襟元や袖口から見える防寒具の色が黒以外である校則違反だった。また、セーターについては無地と決まっており、襟から見えずとも検査の時に柄物とバレると校則違反とされた。

 

 

こうした校則違反を取り締まるために、高校(県立だった)では月に一回、「容儀検査」とよばれる検査があった。

容儀検査では、髪、爪、眉、下着スカート丈、靴下検査項目だった。これは月一回程度、多くは定期テストの後に学年集会説教を聞かされた後、男女別々に体育館に一列に並び、順番に回ってくる名簿を持った3〜4名の教員に身嗜みを検査して貰うというシステムだった。

髪の検査では、教員の前でぐるりと一周回り、前髪の長さは適切か、ヘアゴムやヘアピンは派手でないか(黒や紺色の飾りのないものと定められていた)、おくれ毛はヘアピンで止められているかなどを検査された。男子生徒の場合、耳にかからない長さか、毛量は適切か(?)、ツーブロックなど変形カットではないか(?)などが検査されていたらしい。

また、爪や眉の検査では、爪は手を前に、眉は前髪を上げて教員に見せ検査スムーズに行うように言われていた。爪は長さが適切か、眉は手入れされていないか検査項目だった。

下着検査は、夏はセーラー服の下から、 キャミソールを引っ張り出して、教員に見せるようになっていた。冬は、袖口からセーターを引っ張り出し、爪の検査と同時に見せ、またセーラー服をめくってセーターを見せた。

スカートの長さは、膝が見えない丈と決まっており、教員が屈んで膝に目の高さを合わせ検査していた。

靴下は、統一感を出すため白のみ。長さも、くるぶしが隠れる長さと決まっていた。防寒のため、肌色ストッキングのみが許可されていた。黒のタイツ禁止理由は聞いたことがないが、おそらく統一感のためだと思われる。

容儀検査は、多くの場合男性教員男子生徒の検査を、女性教員女子生徒の検査をするように割り振られていたが、人出が足りないと男性教員スカート丈を検査することもあった。下着検査は流石になかったが、同じ体育館男子生徒や男性教員がいる状態で行っていた。

容儀検査が終わると、名簿を持った教員が集まって、学年で何人違反者が出たか集計し、多いと説教された。容儀検査違反者はクラス名前が張り出され、近日の昼休みに再検査合格するまで呼び出されるようになっていた。朝掃除などのペナルティがあることもあった。

クラス部活単位で、違反者が出るかどうかが教員の中で何故か重視されており、クラス担任からクラス違反ゼロを目指そう」などの呼びかけが度々あった。

テスト期間後に容儀検査があるのは、テスト期間で部活動が休みの間に散髪に行けという意図だったようだが、テスト期間には、授業がない午後の居残り自主学習、土日の自主学習強制されており、かえってテスト期間よりも散髪に行くような暇はなかった。

集会の後の容儀検査以外にも、朝から係の生徒と教員による持ち回りの挨拶運動があり、この時「指定鞄を携帯しているか、身嗜みは正しいか、防寒具は適切か」などのチェックがあり、違反者は注意されていた。

 

容儀の他にもを学校に持ってくることは禁止されていたが、「帰りが遅くなるときに連絡が必要」「部活帰りに迎えを頼むため」などの理由マナーモードにしてカバンの底に隠し持ってくる生徒もよくいた。駅などで教員が見回っており、このときスマホがバレるとかなり厳しい指導がなされた。

このようなスマホの校内への持ち込み原則禁止は、条例で定められていた。

ウマ娘に触れたアラフォーおっさんの話

あちこちゲームウマ娘話題を見てるとサイレンススズカ天皇賞秋のトラウマを思い出して胸が痛くなる

でもふと、そもそもなんでこんなに、いうても馬ごとき(失礼)でトラウマになるんだろうと思い、考えてみた

当時学生だった私は結構忙しい部活に入ってた

そして天皇賞秋は忙しさの中でもトップクラス学祭の当日

サイレンススズカに惚れ込んでた私や同じクラブの友人達は、当日のあの時間を無理言って空けさせてもらい、10分~15分だけラジオを持って集まって実況を聞くことにしてた

そしてあの不調、予後不良

マジで泣いてたしその日の中打ち上げすら参加出来なかった

と当時こんな状態だったのを思い出した

これ、社会人の今で考えると、頑張って仕事を一日だけ空けて好きなアイドルなりアーティストなりのライブに、久しぶりに会う趣味仲間と一緒に参加したら、その場でメンバーの一人が倒れてそのまま亡くなったというのに近いんだなと

そりゃトラウマになるわ

とりあえずウマ娘自体は始めてみてる

かによく出来てて本当に面白い

G1ロゴアニメーション解説も素晴らしい

ハルウララストーリーは少し泣いた

まだサイレンススズカライスシャワーも手元には来てないので、実際に彼らを育てることになったとき自分がどうなるか分からない

しかし、あまりに昔のトラウマに囚われて新しいものに触れられないのはもったいないので、もし手元に来たら、ゆっくり進めてみたいなと思う

2021-03-04

生理の話

生理から生理の話しようと思う。

専門家じゃないので授業で習ったり友達同士で話したりTwitterで得た情報とか個人体験などが元です。個人差があります

超前提として、生理コントロールできるものではありません。低用量ピルとかで生理を軽くしたり時期をずらすことはできても来ないようにしたり失くしたりすることはできないです。

そして一回生理が始まると途中で止めることもできません。ある一定の期間(5日〜7日がスタンダード)ずっと毎日日中経血が出続けます

大体1日目〜4日目くらいはたくさんの量が出て、5日目〜7日目にかけてだんだん少なくなっていくっていう感じ。(個人差あり)当たり前だけどこの期間ずっと生理ナプキンつけてます

生理前はおりものが出るっていうけど私はあんまりアテにしてない。生理の周期は大体把握してるけどずれることもあるので生理が来る時は本当にわからないです急にくる。完全に把握してる人もいるのかな?

そしてさっき低用量ピルのところで生理を“軽くする“ことができるって書いたけど、生理は程度が重かったり軽かったりします。この重い軽いは重症軽症って意味だと思う。これは人によって全く違う。体質もあるし遺伝だっていう子もいた。

生理が重い人は体調が悪くて一日中ベットから起き上がれなかったり、腹部の痛み、吐き気頭痛、腰の痛みなど症状も様々でこの症状が全部ある人もいる。薬を服用しないと立てないって友達もいた。

対して軽い人は本当に軽い。私も軽い方だけど生理中でもジョギングとか筋トレとかできるし生理じゃない日と同じくらいの生活が送れる。症状としては腹部に軽い痛みがあるくらい。

私の経験生理が重い人の方が多かった。生理中は腹部を冷やさないように貼るカイロをつけたりその上から腹巻してる子もいた。市販の薬を常備してる子もいて、生理重くて気持ち悪いしんどいっていう子がいたらその薬をあげてたりもした。

中学生の時に、親しい子が生理が重くて学校を休んだことがあって学校帰りにお見舞いに行ったら一日中ベットから起き上がれないでうずくまった格好で安静にしてたとその子のお母さんから聞いた。

上記の通り、同じ女でも生理の重い軽いで見える世界が全く違う。女同士でも重い子の辛さをわかることは難しいことなんだよね。言っちゃあ全くの別物って感じ。体験できないんだもん。

私も生理が軽いか中学の時重い人の辛さを理解できなくて部活中に休ませてあげなかったことがある。本当に申し訳ないことをしたなと思う。(超個人的な意見だけど体育教師部活部長生理軽い人が多い)

からといって重い人の生理中の辛さを理解できないなんてことはなく、考えを巡らせて申し訳程度にサポートするなど。

次は生理前の話。生理前も生理の一環なので書く。生理前の症状も人それぞれ。食欲が異常に高まったり普段より眠くなったり、イライラしたり、胸が張ったりする。これはホルモンバランスの乱れなのでコントロール不可能。争うこともできません。私は月1ランダムで2つの症状が合併して起こる。ある時は食欲とイライラ。またある時は眠気と食欲、イライラと胸の張り的な感じ。今回の生理前の症状としては眠気と胸の張りだったんだけど、ここ1週間12時間ぶっ通しで寝てた。寝ても寝ても眠いしどうしようも無い。中高では授業中本当に眠くて寝てたし。胸の張りは張りすぎてうつ伏せになると痛いくらい張る時もある。

食欲は本当に止められなくてお腹いっぱいなのに食べたくなるし食べれちゃうし。イライラ個人的には一番嫌かな。思い通りにいかないとすぐイラついてモノにあたっちゃうし対人関係とか今までなんとも思ってなかった友達の行動に無性に腹が立ったりしてストレスも溜まる。もちろんこれも個人差あり。生理前の症状に重い軽いはあんまりいたことないけどどうなんだろう?あるのかな?

生理用品の話もするか。

生理ナプキンは昼用と夜用があって、その中にも32cm〜40cmくらいまでのサイズと羽付き、羽なしがある。今は羽付きがスタンダードだと思う。羽なしはずれるから嫌なんだよね。まあ羽付きもずれる時あるけど。

そして昼用は多い時用と普通用があって、多い時用は普通用よりも多く吸収する。

ナプキン付けてる時は蒸れるしズレが気になるし長時間交換ができない時は溢れてパンツに着いちゃってないかとか不快感不安がつきもの

タンポンっていうのもあるけど私の周りではあんまり使ってる人いなかったな。(言わないだけで使ってる子もいたかも)私は小学生の時に水泳やってたから1年くらい使ったけど結構痛くてつけたくなかった。痛いっていうのもあるけど膣内に入れるっていうので抵抗ある子もいた。

そして今は生理パンツ生理カップっていう新しい生理用品が出てきてる。生理パンツ特殊な素材で出来ててナプキンを付けなくてもパンツ自体ナプキン役割をしてくれるという優れもの。だけど生理期間は必ずナプキンをつけることが当たり前なのでナプキンを付けないことが経血が漏れるのではないかという不安になっているよう。

次に生理カップ。これはシリコンでできたカップを膣内に入れて剥がれ落ちてくる経血を受け止めるっていう感じだと思う。私もあまり知らないのでどうやって捨てるかとか交換はどうするのかとかわからないので気になる人はYouTube生理カップって調べると出ると思います。(人任せ)

上記2つとも洗うことで繰り返し使用可能で今まで使い捨てだったナプキンと比べると(生涯計算で)安く済むというものです。日本ではあまり普及してないけど海外では結構使われているらしいです。

最後に、女性生理は人によって症状が様々なので女性と付き合う方は元カノや周りの女性生理が軽かったからといって生理の症状が重くてしんどい人のことをないがしろにしたり仮病とかひどいこと言わないでください。

anond:20210304061158

てさぐれ部活ものは良かった。とても良かった。

2021-03-03

anond:20210303134910

知り合いの女の子巨乳過ぎてサイズが合うスポブラがなくて、仕方なく部活とき普通のブラでやってた子いたよ

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なのでこの場合優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかに危険行為をしていた。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルーム危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子そばで震えていた。

すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。

「諦めないでくれてありがとう」って。

anond:20210301090318

自分クラスでは一切会話できない一方で部活では普通に会話してたし

プログラマ集団仕事の話限定でするぐらいなら行けないかなって思っててたけど、それもやっぱ甘いんかな・・

2021-02-28

今年、大嫌いな女に勝った(と思いたいだけだけど)

今年のバレンタインに、大嫌いな女より早く結婚した。嫌いな女とは小学校中学校が同じだった。眼鏡をかけた頭のいい女で、いつも先生に褒められていた。でも、同級生から嫌われるタイプではなかった。

その女のロッカーはいつも数冊本が入っていて、朝読書時間、読むものがない同級生に本を貸してくれた。彼女が勧める本にはハズレがなかった。私も彼女から何度か本を借りたことがある。これはどう?と言って貸してくれたさくらももこエッセイ自分でも買って、今でも読み返すことがある。

当時クラスはいくつかのグループがあったが、彼女はいつもあぶれていた。でも、何かのイベントがあると、彼女は色んなグループから声をかけられた。彼女がいると、イベントごとがスムーズに進むし、諍いがなくなって楽だったからかもしれない。

勉強ができて、先生から可愛がられていて、地味で、それなのに彼女を嫌う人はほとんどいなかった。優等生だけど、頼めば宿題を見せてくれたし、勉強を教えてくれることもあった。まだ彼女のことを嫌いでなかった頃、宿題を写されるのは嫌じゃないのと尋ねたら、みんなに嫌われないようにしてるだけだよと流された。

彼女のことを嫌いになったのは、中学3年生の冬だ。彼女は1組、私は2組だった。私は1年以上片想いしていたバスケ部男子と、やっと付き合うことができて、3ヶ月経った頃だった。まだお互いの家に行ったことはなかった。

そんなとき友達からあんたの彼氏からMさんの夢を見たって相談を受けたけど、別れたの?」と聞かれた。喧嘩すらしたことがなかったし、3ヶ月記念日を祝う手紙を贈ったばかりだったから、間違いだろうと思った。それに、彼女と私の彼氏とはあまりにも釣り合わないように思えた。確かにクラスは同じだった。でも、勉強なんか全くしないでバカなことばかりしている彼氏は、彼女と仲良くなるようなタイプではなかった。それに、彼女には生徒会長と付き合っているという噂もあった。

少し経った後、別の男子から私の彼氏が「彼女の家に遊びに行ったらしい」という話を聞いた。付き合っていることはごく一部の友達しか言っていなかったから、興味を持ってるふりをして詳しく聞くと「勉強を教えてもらうって口実で日曜に押しかけたらしいよ、勇気あるよな」と教えられた。授業中、彼に手紙を書いた。あの女の家に行ったって本当?と書きたかったけど、放課後聞きたいことがある、というような文言にした。

休み手紙を渡すと、彼氏はあー、いいよ、と珍しく険しい顔で言った。私はああ、たぶん本当なんだな、と思った。噂について尋ねると、彼は「彼女のことが好きと言い切ることはできないが、私のことを好きということもできない。別れるというならそうする」と言った。私は無責任だ、あの女が告白してきたのか、と言ったけど、「彼女は何も言ってないし、誘ってもきていない。俺が勝手に家に押しかけただけ」と言われて、耐えきれずに待っていてもらった友達のところに逃げ帰った。同じ部活女友達ほとんどみんな私の味方をしてくれたけど、最初に夢の話を教えてくれたひとりだけは「ムカつくのはわかるけど、あの子も悪くなくない?」と言っていた。

受験間際だったし、クラスの違う彼女と会うことはほとんどない。でも、先生休みとかなんとかで、1組と合同の体育の授業があった。彼女がひとりでネットの片付けをしていた。私は手伝うふりをしながら「◯◯のこと好きって本当?」と聞いた。彼女は「なんで?ただのクラスメイトだよ〜」とことも無げに答えた。彼女の手がちょっとだけ強張ったように見えたけど、ほとんど「シロ」っぽいふるまいだった。

彼氏とは、別れなかった。1年以上好きだったし、彼はあの女を好きとは言わなかったし、彼女も彼を好きじゃないという以上、私が正しい彼女だと思っていた。

卒業式の後、地元公立高校合格発表があった。私はすでに決まっていたけど、違う高校に行く彼氏の発表を一緒に見に行く約束をしていた。合格の番号を見つけた後、彼は写真を撮って、誰かにメールしていた。こっそり横目でのぞくと、相手はあの女だった。「勉強教えてくれてありがとうちゃんとお礼させてください。」という文章と、番号の写真を送っていた。私はサッと血の気が引くのを感じて、「結局あの子が好きなんでしょ」と言った。彼は一瞬うろたえて、「でも、付き合っているのは君だから」と言った。結局、別れたくないと思っているのは私だけだってことだった。

しばらくその話を巡って喧嘩したり、冷却期間を置いたりしたけれど、やっぱり彼の気持ちは戻らなかった。最後は私がキレて、「もう好きにしろよ」と怒鳴って終わった。

彼女は頼むとなんでもしてくれたけど、テストの点数や好きな人志望校とかのプライベートなことを誰かに教えることはなかった。でも、頭がいいのはわかりきってるし、県内トップ校に行くんだと思ってた。でも、彼女東京高校を受けて、さっさと地元を出て行った。

彼女最後にあったのは成人式の日だ。成人式二次会で、女子はみんなちょっとよそ行きのワンピースとかセットアップを着ている中、彼女は高そうな赤いドレスで現れた。昼間の着物の時とは違う髪形だった。私の元彼が、彼女の手を引いていた。みんながあんたら付き合ってんの!?優等生ちゃんめっちゃ綺麗になったじゃん!と騒ぐ中、元彼は「付き合ってないよ、親友っすわw」と言っていたから、結局付き合ってはいないようだった。ひどい別れ方をしてるし、当然というべきか、彼は私のところになんか一度も来なかった。東京の有名な大学に進学して、綺麗になった彼女を自慢する元彼の姿はバカップルよりひどいと思った。そして、イオンで買った黒いワンピースを着て、着物の時と同じ髪形で、彼が私のことを惜しいと思うんじゃないかなんて思ってた自分が惨めだった。

私は働き始めてから付き合った人から去年の誕生日プロポーズされて、今年のバレンタインデーに結婚式を挙げた。コロナのこともあったけど、田舎から式ができた。でも、ひとりだけ彼女の味方をして、夢の話を教えてくれた友達は、結婚式に呼ばなかった。

繋がっていないFacebookと、繋がっていないInstagram情報から察するに、彼女独身らしい。彼氏がいるとも書いていない。だから、私は少なくとも愛されてプロポーズされたという点においては、彼女に勝ったんだ。馬鹿みたいだけど、私はそれだけで、少しは自分に自信が持てる。大嫌いな女より早く結婚した。子供の頃のことを引きずって、自分に酔っているだけなんだと思う。相手にされてすらないかもしれないし、こんなの無駄だとわかってるけど、こうして書いて忘れたかった。ああ、本当に勝てたらいいのに。

いい子を演じた結果どす黒い感情が生まれた。

いい子を演じた結果どす黒い感情が生まれた。

今は31男子校中高一貫校に通っていた。

中高ではいい奴だと言われてきた。演じてきたからだ。

退学が怖かったか校則は守ったし、いじめが怖いかポジションを得るために大嫌いだった部活をまじめにやった。

発言は正解を探した。好きなもの馬鹿にされても自分ポジションとしてちょうどいい正解の返しをしていた。

相当無理をしていた。嫌な感情も抑えて押さえて押さえていた。

その結果、周りからはいい奴だと言われ、大嫌いだった部活では部長になった。

仲のいいグループでは「お前が一番先に結婚するだろうな」と言われた。

大学地方国立に入った。入ってしばらくして、うまいこと学校に行けなくなった。半分引きこもりになっていた。ここで社会全体に対する恨みつらみが膨らんだ。ガタが来たんだと思う。

留年を重ねて、やっとのこと卒業することが出来た。

大学の間も中高の仲のいいグループと会ったが、「この半引きこもり状態の奴をどうやって立ち直らせようか」みたいな空気になっていたのが辛かった。友達は楽しそうだった。楽しそうな高校生活を過ごしていたやつが、大学でも楽しそうにしていて、社会人になってすぐ結婚したやつもいた。その事実が辛かった。酔った勢いで泣きわめきながら暴言を吐いたこともある。

今は31だ。そのグループは全員結婚している。数年ぶりに会った際「人を殺しているかと思った」と言われたことは忘れられない。

自分の中のどす黒い感情コントロールできない

正確にいうとコントロールするのに疲れている。

つらい。ひたすらに寂しい。

2021-02-27

anond:20210227212541

長万部地名と気づくまで部活かなにかと思って考え込んでしまった

駅前のベンチに座って土曜日の夕日とか部活帰りの中学生とか黄色い壁のアパートとか眺めてたら人生やめたい邪馬台国になった

2021-02-26

「あたたかくなってきたので人が死ぬ話をしよう」

記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます

その日は、自動車教習の実技最終試験の日でした。

から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります

「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。

ちなみに実技試験ちゃん合格していました。

合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。

「■■(弟)、死んじゃった」

涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において

「え??????????本当????????マジで????????????????????」

ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。

弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。

自殺未遂をしていたこから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。

なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。

親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。

薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。

お昼を食べたあとは、前からたかった時をかける少女アニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。

(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白作品を摂ることも、生きている人間特権です。

実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。

ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。

ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せ放棄しているから。

ただまぁ、私はまだ人生幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。

から、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています

から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います

親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しか感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。

仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでから洒落しても何もないです。

親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。

整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまりきじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれしかも折り目つけて返されたり、DSソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。

ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。

それももったいないな、と思います

遺書はなく、スマホデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。

それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。

独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方自分もするのでしょうがさらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。

弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います事故物件作りやがって……と私は思いました。

しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。

私が教官監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。

もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。

葬儀家族葬で、これは本当に何も覚えていません。

あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。

火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。

いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。

結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。

ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。

友達おかし

小学生の頃から友達がいるんだけど、ここ数年彼女恋愛の話をするたびにどんどん彼女に対する違和感が大きくなってきている。

具体的に言うと、友達が異性を急にサシご飯に誘う→最初OKされて何回か遊びに行く→私に報告し、相手のことを褒めちぎる→だんだん相手から断られるようになる→相手を悪く言うようになる→重いラインを送り、相手から連絡を絶たれる→相手ネトストして一挙手一投足に悪口を言う。

この流れを、友達は3年間で4回やってる。

1回目の時は、お相手の方も無神経な発言が多くて、まあフラれたら逆恨みする気持ちが沸くこともあるよね〜と思っていたけど、2回目・3回目は、相手の人は彼女の連絡を無視する以外は特に何もしていないのに、相手バイトや昔の部活趣味のことや、ありとあらゆることを論ってクソ男呼ばわりする友達に正直ひいた。

4回目の時は、ご飯に誘っている最中相手彼女持ちであることが判明して、彼女いるのに思わせぶりな態度をとるゴミ野郎だ!って怒る友達が怖かった。女子なら高確率で急にグイグイくる男の被害に遭ったことがあると思うけど、友達思考回路がそういう男たちと全く一緒だったから。

さらにしんどいのは、この4人の男たちのSNS監視をずっと続けていて、何かトピックがあるたびに私を相手に怒涛のいちゃもん大会を開催すること。知らない人の悪口を聞かされ続けるのは単純につまらないし、私が知っている努力家で好奇心旺盛で面白い彼女が惨めで理不尽な恨み言を言っているのを見るのが嫌だ。しかも、彼女SEなので他の職種を見下しているところがあって、男たちの職業年収をすごく悪く言うんだけど、それが一般職事務員の私に思いっきり刺さるからそれも辛い。

友達なら本当のことを言うべきかなと思いつつ、失恋しているところにきついことを言って追い詰めたくない気持ちもあり、もうどうしたらいいんでしょうね。

2021-02-25

給料の一部をどこかに寄付したい

最近東日本大震災から10年、コロナから1年、そのような話題をよく目にする。

東日本大震災とき自分中学3年生で震度6くらいにびっくりしたものの、そんなに直接影響を受けた記憶がない。

計画停電も近所に大学があるおかげで免れたし、食料などもちゃんとあった。断水もしていない。

この先どうなっちゃうんだろう?とは思ったけど、普通に生活できたし、原発水素爆発なんて実感がわかなかった。

正直、当事者意識なんか何もなかったし、普通に高校に進学した。

コロナショックが昨年起きた。

自分は今とある大企業に勤めていて、コロナの影響で飲み会はなくなるし、会社からテレワーク補助はたくさん出るし、業績も非常に好調だ。

そのおかげで給料は非常に増えたし、新卒3年目に見合わない給料をもらっている。

けれど、東日本大震災と違ってコロナショックは世間とのギャップ毎日が苦しく、なんだか辛かった。

なぜ、自分はこんなにも安定した生活を送れているのだろう?このお金は本当にもらっていいのだろうか?

悶々としている中、会社から補助や特別加算された最高のボーナス支給されるという通知を見て、同僚や上司ものすごく喜んでいた。

きっと中学生や高校生や大学生の頃の自分だったら「すべては自己責任、だめな人は努力不足だろう」と言い放っていたと思う。

東日本大震災ボランティアに行く大学生とかを見て、部活に打ち込むのが嫌な、東日本大震災被災者を利用してサークルのみんなで思い出作りかなとか嫌味なことも思っていた。

けれど、世の中にはどうにもならないことがあることを知り、途端に辛くなった。

東日本大震災当時には湧かなかった感情がこの1年こみ上げるようになった。

当時の自分の浅はかさを恥じている。

給料の一部を寄付したいと思っているが、人生で一度も寄付したことがなく、どこがいいかからない。

正直、偽善だし、どちらかというと贖罪意識だと思う。でもそれでも良い。

本題からだいぶそれた。

あしなが育英会みたいな大きい所が良いのか、はたまた小さなところに寄付して浸透しやすくしたほうがよいのか、どちらか、増田の皆様に聞きたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん