2021-03-29

デザインから逃げ続けていた元銀行員の話

ふつう」の道を歩いていきたい。

具体的に言うと、家族関係が良好な幼少期を過ごし、中学高校部活に明け暮れ、初めての恋人ができ、それなりの偏差値大学に入り、後に結婚することになる恋人ができ、それなりの安定した企業に入り、30歳までに結婚出産がしたい。

私の場合はどうだったか。 父はマルチ商法にどっぷり浸かり数百万円の借金をこさえたまま自殺運動が嫌いだったので部活に明け暮れることもなく、その上アホ大学入学することとなった。

努力でなんとかすることを覚えたのが20歳を過ぎてからのことだった。 21歳で死ぬほど就活を頑張りメガバンクから内定いただき、22歳で男性と全く縁のなかった喪女の私は、ホステスになり男慣れすることで初めての恋人もゲットした。

これで「ふつうの人」に近づいたと思えて、すごく嬉しかった。 ふつうの人=幸せだと思い込んでいた。 新卒1年目、メガバンクボコボコいじめられた。

ふつうの人は3年は会社に勤めるのが当たり前」と思い込んで耐えた。

当時の彼氏理解のある彼くん的な感じではなかったため「辞めるなよ」と念を押された。

結果、半年持たずに辞めてしまった。 不眠症のおまけ付きで。

ここで改めて、ふつうの人=幸せか?という疑問が湧いた。

就活せず夢を追う同級生を内心バカにしていた。

彼氏いたことない友達を哀れんだこともあった。

でも彼らは、確実に私より幸せそうに見える。


ずっと怖くて言えなかったけど、私が本当にやりたいことはデザインだった。

にわかやすくきれい物事を伝えられるデザインが好きだった。

高校大学デザイン科を受けたかった。 でもそんなのふつうじゃないし安定した道を選びたかった。

実務も知識もない中で、デザイナーを目指すことはできるだろうか。かなり難しいと思う。


2回目の就活をした。かなり頑張った。 未経験者を雇ってくれるところは無かった。 だから自分で作ったポートフォリオを持って、印刷会社広告代理店の人事に営業をかけにいった。



その結果、ド田舎でのデザイナー採用が決まった。 家賃2万5千円、最寄りのコンビニまで徒歩30分のところに住んだ。 1年半修行したところで心身の限界が来て、うつ病になった。全く迷惑社員だと思う。



退職して、地元に戻り3回目の就活をした。 地元ベンチャー企業デザイナーとして採用してくれた。 色々あったけどデザイナーになれて良かったなあと思っている。



そんな感じの人生です。 今日体調不良会社を休んだので自分語りしてみました。

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