はてなキーワード: 部活とは
当然反省とか悪いとも思ってない
みたいなことを言い出して、原因はなんだ?ってなったら私だということになったらしい
そして一気に、なんやアイツ 嫌いやわ〜と思った
相手は幼稚園から一緒で、同学年18人の過疎小学校を経て同学年80人の過疎中学校へも一緒にあがった友達だった
家も隣 といっても100mは離れてるけど
違う小学校から来た子も含む同じ部活の子達と普通に仲良くなったし一緒にも帰る
問題にするならここにして欲しい
弟とも殴り合いの喧嘩がよく起こる
気に入らないことを気に入らないって言ってしまう
ちなみにそんな感じなので中学入ってからも何度も先輩にトイレに呼び出されたりしている
私がそれに対して「行かねーよそっちから来いって言っとけ」と言う度に、呼び出し係にされてるバレー部の女子達がキレられているらしく、それもウケる
ちなみに待ち伏せとかあるのかな〜と最初の方は思っていたけど、全くない それもウケる
担任の先生に冗談で、「バレー部3年の内申下げといてよ〜 トイレに呼び出しよ〜?やばくないですか?」と言ってみたけど、まあ何もないでしょう それも別にいい
元々、通える高校がこの地域には3つしかないので内申なんかないのと一緒である
同じ部活の子達と帰るようになってしばらくして、下駄箱に手紙が入っていた
「最近なんで仲良くしてくれないの?」な内容だった
もっと長くて、なんていうかねちっこい感じの
もう私のことなんかどうでもいいんだね みたいな
当然ながら私はこれが気に入らなかった 内容も手法も
なので次の日に即言った
「何アレ?うざいけやめてくれん?直接言えばいいやん」
あの手紙見て、
「ごめんね!また仲良くしよ!」的なことを
こっちから言い出すと思ってないとそんなにビックリできんやん。ってことはそう思ってたんや怖。と思った
そこからまた、別に私的には何事もなく、同じ部活の子達中心に付き合う日々がしばらく続いたという話
それが、相手にとっては何事もなくなかったらしいという話
言い方がキツい、その後無視とかしたんじゃないか、周りの他の子がその流れを見て相手の子を腫れ物のように扱ったんじゃないか くらいかな〜〜〜
まじでそれ以外の心当たりない っていうか厳密には心当たりですらない
相手の言い分として考えられること、だわ
言い方がキツいのは、そうでしょう。そう言われたらそうですねと言えます。しかしそこは謝りません。そもそも手紙が不快だったので。お互い様でしょう。
無視は、そうですね。あっちからも話しかけてきませんしね。こっちから話しかけないかんの?学校って意外に話さない人とは話さないですよね。クラス違うんで班とかで必要なときもないしね。あれば普通に話すつもりだから、むしろ同じクラスだったらいじめだとか言われずにすんだんじゃね?って感じ。
周りに影響の部分は、知るかよって感じですね。
めっちゃ憶測だけど、そもそもあっちが吹奏楽部の子達をちょっと下に見てて、あわよくばこっちに入りたいと思って変な作戦仕掛けてきたのが爆死してどこにも行き場なくなったんでしょ?って思ってる
はーーー 私はいいけど田舎で親が徳が高いとされてる仕事してるから、噂が面倒だなって思って
「気が弱い子を狙って………」って、まあ被害者側からしたらそう見えるだろうし、実際そういうパターンもめっちゃあるんだろうけど、
正直今回の自分のこと、ただの喧嘩で済むはずの話が、相手がしょぼ過ぎて喧嘩にならずにその後勝手に死んでいったとしか思えないんですけど
狙ってるんじゃなく、これまでずっと安定してやばかったキレやすい私の人格とか性格の事を、対戦相手が気が弱い子になってからはじめて見えるようになった人が騒いでるだけで、こっちからしたらいつもの事なのよ
気が弱い方はそのままのあなたでいて、が許されて
こっちは相手の気が強いのか弱いのかで態度変えなきゃいけないのか?
ただの 中学で部活が別れて疎遠になった友達、だったのが、自爆のくせにいじめの主犯扱いしてきた嫌な奴、に勝手に進化したって気分よ
こっから私にもしっぺ返しが来るんじゃないかって思うよね〜〜〜〜〜
なかったよ〜〜〜〜〜 そんなもんよな
スヤスヤ寝てる。
2年の終わりに県トップ高行くとか言ってたから、本気で勉強し出すのかと思って期待したけど、常にヘラヘラ動画見て時間消費してやがる。
ちなみに2年の期末は学年で半分よりちょっと上ぐらいの順位。おそらく偏差値にしたら50近辺だろ。
まあ、俺も中3の夏休みまで部活やって、受験勉強は2学期からやって偏差値60ぐらいの高校には入れたけど、さすがに最難関はそれじゃぁ無理だろ。
とか、俺の思ってるこというと思春期なもんだからいきなりブス暮れて余計に勉強しなくなるから困ったもんだよな。
うん、気持ちはわかる。俺もそうだったわ。
小学校高学年くらいにはすでに入退院を繰り返していて、そのころから妹と一緒に食事や掃除、洗濯などの家事はそれなりにこなしていた記憶がある。
父はいわゆるブルーカラー。日給月給の仕事だから有給なんてなくて、家のことを丁寧にやる暇なんてなかったと思う。
当時は学校に行きながら、部活をしながら、朝や夜の時間で家事をすることが「当たり前」で、知識も情報もなくて、家政婦さんを頼んだりするなんて考えもしなかった。
だけど、今になって振り返ると相当な時間と労力を家事に持ってかれていたと思う。
“家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートを行っている、18歳未満の子ども”
https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html
だそうだ。
つまり自分は「ヤングケアラー」ではなかったわけだけど、ひとり親家庭でも、介護こそなくとも働く親に代わって家事の大部分を引き受けている子どもは今も大勢いるんじゃないかと思う。
昔、デパ地下のショップでアルバイトをしていた。まだ新設したての店舗だったため、主に大学生が在籍する店舗だった。
そこで私は佐々木さん(仮名)というひとつ年下の大学生とよく話すようになる。私が「一人暮らしだから家に帰ってもご飯がない、今月はかなりピンチだ、しばらく小麦粉と水で生き延びなければならない…」なんて冗談を言うと、「何か私の家から食料を持ってきましょうか?」と間に受けたり(もちろん貰っていない)、かと思えばお互い苦手な従業員の悪口をこっそりと言い合ったり。
佐々木さんとは好きなユーチューバーが同じで、その話をしたこともあった。少々下品な企画も多いグループだったため、穏やかな佐々木さんが好んでいるというのは意外だった。佐々木さんは遅番の時間に帰ると、夕飯が用意されていない日もあるだとか、また帰宅する時間は既に家族が寝ているからドライヤーが使えないため髪を乾かさずに寝ているなんて話も聞いた。
佐々木さんの家はもしかしたら複雑な家庭環境なのかも知れないと思った。
彼女は少し天然で穏やかで心優しい、けれど偶には毒づいたり、お家が少し厳しかったり、そんな普通の女の子だった。
話は変わる。私は地方の片田舎から上京した生粋の田舎者である。今でこそ進路は大学進学者が半数を占めるが、高卒・中卒での就職や10代での結婚・妊娠なんてものはザラなどこにでもある地方の寂れた小さな町の生まれだ。
そんな田舎者の私が百貨店に配属されたことが、時にプレッシャーとなった。当たり前に提示される高ランクのクレジットカード。ルイ・ヴィトンやシャネルなんてブランド品は掃いて捨てるほど目にするどころか、バーキンなんかも週に何度も見かけるような店だった。眩しいライトを見ると脳にガツンと響いて目眩がするように、百貨店は常に居心地が悪かった。
佐々木さんへそんな悩みを告げると、
と返してくれた。ああ、佐々木さんも同じように居心地が悪いんだろうなあ。と思った。
佐々木さんが不在のある日、アルバイトの大学生が「佐々木さんが本当に羨ましいです」と言った。唐突だったので何かと聞くと、
「だって○○大学(某お嬢様大学)ですよ?部活も吹奏楽部で、バイオリンをしてるんですって。お父様も会社の社長をされていて、お姉様も△△(某有名銀行)で働いてるんですよ!」
私はきっと引き攣った顔をしていたと思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210412/amp/k10012969771000.html
"内容は、食事の準備や洗濯などの家事が多く、ほかにも、きょうだいを保育園に送迎したり、祖父母の介護や見守りをしたりと多岐にわたっています。"
しかし食事の用意、洗濯などの家事負担が"ケアラー"になるのか?
なぜそう思うのかと言うと、私の中高生時代がこの定義にベストマッチするからだ。
父親はスウェーデンにいるので戦力外。時差もあるから年1で話すかどうかレベル。そして看護師は激務だ。いつ家にいるか正直わからない。
今思い出すと以下のルーティン。
朝:お弁当を3つ作り、昨日の汚れ物が入った食洗機をオン。洗濯機内の洗濯物を乾燥機に入れてから登校。部活の朝練がある日は5時起きだけど、まあ前の日早寝すれば平気。
夕:部活が終わったら妹を迎えに行き、夕飯の買い出しetc。親が作ったデビットカードは履歴見えるしすごく便利だった。
夜:夕飯の用意。お風呂洗って沸かして、幼女にご飯食べさせてお風呂。
まあ気休め程度に勉強したりゲームしたりして、寝る前に洗濯機をタイマーにして寝る。
とまあこんな感じの生活。乾燥機ダメな服や掃除は週末にまとめてやれば良い。
これでもFF10は24時間以上プレイしたし、ブリッツボールやりこんだし、ポケモン図鑑はほぼコンプリートした。
高校卒業して実家を出るときには親と妹の処遇を巡って一悶着あったけど自分のことは自分で出来る女児になっていたから結果的には平穏。
今から考えると世帯年収1500万位だと思うけど、それでも「ケアラー」は発生する可能性がある。
当時、ホームキーパーを雇うか聞かれたことがあるけれど、なんだか気味が悪くて断った覚えがある。(家に他人入れるのって怖くないか?)
あーあー働きたくない。
朝起きたくない、化粧したくない。
マスクもしたくない、耳痛くなるもん
事務なのにさ……今日もくったくた上司も部活も同僚も全部いや……話したくなーい
今も退勤時間に打ってるこんな愚痴の羅列をするんじゃなくて、マッチングアプリでも
使ってみたらどうだってみんな思うでしょ。
使ったよ、色んな所
でもどんなに隠してても、好印象の人でも
専業主婦になりたいってぼそっと軽く言っただけでも引かれてしーんってなる。
顔も十人並、高卒
弱者男性がどーのこーの言われてるけど…
あのさぁ…新卒で入社して速攻辞める奴って、結構いるんだよね。
そういうやつの理由って会社に問題があるのばっかじゃないって理解してるのかなって。
すぐにブラックって言う人いるけど、中身の事情も知らないで辞めた人の意見ばっか聞いてるでしょ。
ブラックであるという事実をまっすぐ伝えているならわかるけど、脚色して自分が被害者のように書いている新卒もいるでしょ。
全部鵜呑みにして、すぐにブラック認定しようとするのは止めたほうが良いと思うけどね。
ゴシップに踊らされている人たちと何ら変わんないよ。
ろくに会話が成立しない奴とかね、コミュニケーションを取ろうとしても「はい…」「いや…」とかしか言わないの。
こっちがどんなに話題を出してもそれじゃ会話が続かないんだよ。
なにか得意な事や好きな事ってある?って聞くとだんまりしちゃうし、プライベートの事は聞かないほうが良いかなって聞かないでおくと放置されたなんて言い始めるし、
そういう奴結構多いんだよ、老若男女問わずでね。むしろ女性の方が気持ちが強い人が多いから会社には残る。
男はダメ。ディスっちゃうけど、まじでダメなんだよ。会話が成立しないどころか目も合わせられない子ばっか。
これに関しては学校にも物申したいんだよね。お決まりのセリフにお決まりの回答をさせるように一羽のオウムを作っちゃうんだ。それじゃいかんでしょと。
もちろん『会社』も問題なんだよ。そういう面接の方式ばっかしてるから、本当に使える子を見つけられてない。とりあえず受け答えがその場で出来たから入れるみたいな感じ。
こういう子もいるし、他にもね。入社してみたら自分の思い通りの仕事が出来ないから辞めるって子もいた。
入社したばっかりのろくに仕事も覚えてない子に好き勝手やらせるわけないだろうって。そもそも会社なんだからワンマンプレイされても困る。
じゃあ、どういう風に仕事したいの?って聞いてみると答えられないんだ、これがまた。
結局『自分の好きな行動が出来ない』だけで嫌になるっていうタイプがコレ。
好きな時間に仕事して、好きな時間に休んで、好きな時間に遊んでって感じで自分が常に中心にいないと嫌だって子ね。
この手の子も面接の時の受け答えだけはできるんだ。前述した子よりも饒舌に語る。それにコロッとだまされるのが会社。愚か。
研修時に逃げる子っていうのもいるね。ほんとの基礎の基礎を教えている時点で逃げる子は少なくない。
で、これに対してブラックだとか教える奴が下手って言う新卒崩れが文句言うんだけど、
仕事の流れをフローチャートで教えるだけで教えるのが下手なら、どうするの?
学校の流れと同じだよ?
『登校して朝礼して授業始めて部活するなり下校するだけ』だよ?
それを『出勤して朝礼して会議して作業して仕事が残ってるなら残業するか翌日に残して定時に帰る』だけ。
この説明しかしてないのに教えるのが下手とか、一体どう説明したら上手なんだろうかね。
『出勤して定時になった終了でーす♪』って言えば上手なの?
学校と同じ流れだよと説明してるだけでも辞めちゃうってのは、そもそも『仕事をしていくという決心』が出来てないんだよ。
中身が『学生気分で遊ぶ事を優先』に考えているから、仕事の話になると気が滅入って出来なくなるの。
遊ぶことを優先に考えるなと言っているのじゃなく、就職したのだから仕事中は仕事と切り分けをしろというだけ。
仕事が終わったら、遊ぶことを優先にしたっていいさ。それがモチベにつながるんだから。
研修中に辞める子ってのは、ホント最初の最初で挫けて即辞めちゃうからね、教え下手とかそれ以前の話なんだよ。
他にも電話が怖くて辞める子がいるね。これは正直時代の流れだよなって感じはする。
メールで済ませればいいのにって言う子もいる。それはそれでありだと思う。
だけどね、取引先とのやりとりはメールで済ませられないものもあるんだよ。
自分らが上の立場にいるのであればメールでやりとりしましょうって言えるよ。だけど、向こうが言ってこなければこちらは電話でやり取りするのが筋なんだよ。
「メールで済ましたいね」って思うことは多々ある。だけど電話は切っても切れない存在なんだよ。
どうしても電話を受けたくないのであれば、自身で会社を作るしかない。
でもね、昔からあるんだけど。新人の子にいきなり電話を取らせるの。あれはいけない。
うちは電話の対応も避けられないから、仕事をある程度覚えてもらって上司が質問して答えられるようになったら電話をとってもらってる。
それまでは取らないで仕事を覚える事に専念してもらってる。
そりゃそうだよ。仕事がわからないのに電話で答えられるわけないものね。
そういうのは会社が新人の事を考えなきゃいけないんだけど、結構一発ぶっつけで取らせようみたいなダメな会社も多いね。
最後に新卒に即戦力は求めてないし、求めているような会社は新卒を取らないで経験者を採用しろと言いたい。
新卒募集かけているのに即戦力求むなんて記載されている会社を見ると鼻で笑うね。
新卒に即戦?何いってるのって感じだよ。
最後に脱線しちゃったけど、新卒が辞める理由に会社がブラックだからなんていう話が出てきても信じ切るのは止めて欲しいかな。
そういう子らは、前述したように『仕事をする気持ちが出来上がってない』コレに尽きるよ。
学生気分でバイト感覚で就職しようとしてるから、ちょっとでも嫌だとすぐに辞めようとする。
『眠い』から辞めるなんて信じられない理由で辞める人だっていたからね。
私はそれなりの有名私大から有名国立大学院に学歴ロンダリングした。
元いた私大の大学院に進んでもよかったが、やはりとりわけ理系では、国立優位なことは認めざるを得ない。
貧乏だった人が裕福になることを目指し、何か問題があるだろうか?
立場が弱かった人が権利を主張し、責められることがあるだろうか?
いや、ない。むしろ何もせず怠惰である方が恥ずかしいとされる世の中だ。
しかし、学部から異なる大学院に進む話になると、学歴ロンダリングだ!!!と喚き出す人間が存在する。
なぜ。。。
どれも努力した (そして今後もするだろう) という点で、本質的には同じはずなのに。
しかも面白いのが、学歴ロンダリングを叩く人々は、中々の割合で地頭信者なのだ。
彼らの言い分は大抵こう。
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
少し自分語りをしたい。私は大学に入るまで、勉強というものが嫌いだった。
多少賢い方だったので、小学生時代に学習塾で受けた模試でよく冊子に名前を連ねていた。中学受験を勧められていたが、家庭の事情で地元の公立中に進んだ。
小中と勉強しなくても学校のテストの点はよかったので、勉強しない癖がついた。好奇心は強い方だったと思うが、私は怠惰な人間なので、目先のゲームの方や部活の方にばかり気持ちが寄った。
その後進学校と自称進学校の半ばくらいの高校に、そして某私大に進学した。私はやはり怠惰だったので、高校受験も大学受験もさして勉強はしなかった。
勉強嫌いは治らなかったが一般受験というものを経験してみたかったので、大学受験は推薦などは取らず一般で受けた。
高校受験は舐めてもなんとかなったが、流石に全国規模の大学受験は思うようにはいかず、諸々の大学に不合格を貰い某私大に進んだ。
勉強関連で大した失敗経験がなかったので、困らないくらいの学歴は手に入るだろうというバカな考えがあった。まあ正直今でもそう思っているし、有難いことに一応はそうなった。
この某私大は一般的に M*RCH と同程度か超えるくらい難しいところだと思う。ネット上では M*RCH は 3 ヶ月!などと暴論をかます人がいるが、私に言わせればまだ甘い。M*RCH も某私大も 0 ヶ月だ。
そしてこの某私大は、私の感覚的に、研究員になれる最低ラインの大学なのである。この大学に合格していなければ、恐らく研究の道に進もうとは思わなかっただろう。
もっとも、出題によっては、M*RCH にも落ちたりした。運のよさだけが取り柄である。
念のため付け加えると、上記をみれば明らかなように、私は学歴などには大して興味はない。大学受験で努力できた人の方が、人として私よりも圧倒的に優れていると思う。努力した人をバカにする意図はない。
また、自分を稀代の天才などと思っているわけではない。だいたい研究の道に進めば自分より優秀な人なんて山ほど出会うし。入試だって東大 0 ヶ月を主張する者さえいる。
この某私大で、転機が訪れた。大学の勉強が楽しいのだ。なんということだろう。
私は情報系の学生である。小学生の頃にゲームを改造するという形で情報技術に興味を抱き、高校まで趣味でプログラムを弄っていた。
高校までの授業は、特に普通科高校などでは、まずやっておけば間違いない (悪く言えば当たり障りのない) 教科ばかりで構成されている。生徒が卒業後どの分野にも進めるように組まれているのだから当然だ。
大学は研究機関であり、かつ専門教育を行なう機関なので、高校までとは毛色が違う。
大学の講義や研究は私の興味に合致した。このまま進みたいと思うようになった。楽しいから仕方ない。この後の進学までの流れはどうでもいいので省略するが、結果、学歴ロンダリングの道を選択した。
自分に限界を感じて諦めるかもしれないが、それならそれでも構わない。ロンダロンダ煩くされるなら、院の名前は出さず某私大の名前だけで生活してみせよう。学歴自体にはさして関心がないのだから。
少し話が逸れてしまったが、したがって、
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
に対する私の答えはこうだ。
「地頭」で能力の伸び方は変わるかもしれないが、上限は関係ないと思う。
現役 MARCH 全落ち 1 浪東大の人とか知ってるし。なんなら多浪高学歴 YouTuber とか何人もいるし。
逆に、浪人して俗に F ランなどと呼ばれる大学に行った人も知っている。でも彼らも伸びが遅いだけで、特別知能で劣っているのではないと思っている。
もちろん言うまでもなく、難関大学に合格する人は凄いです。私にはできなかったことなので、その賢さと努力は素直に尊敬します。
まあ確かに、確かに東大生を主張していた人が学歴ロンダだったら、あれ?って感じるのはわかる。明らかに元いた大学を隠しまくってたら私もうーんって思う。わかる。
全く誰からも批判されない人など居ないので、批判したければ常識の範囲ですればいい。でも、主語を大きくしてロンダは全て悪!は間違っている。
例えば気に入らない中国人がいたとしても、すべての中国人をバカにすべきではないだろう。
中国人は採用しない!とか発言して東大から解雇された某最年少准教授の例とかあったじゃん。
なんだか、人を叩いて気持ちよくなりたいタイプの方々が、若い芽を摘んでいるだけな気がしてならない。
しかもそれが割とスタンダードな考え方なことに、失望を隠せない。
前述の某最年少教授の処分にあたってそれとなくロンダをバカにする反応をしていた東大教授さえいたし。
私は絵を描くのが好きなオタクで、小学生のときから芸術家や漫画家、イラストレーターのようなクリエイティブ職が夢だった。
が、中学生のときに入った美術部で絵が上手い同級生たちや、SNSで年下や同い年で絵が上手い子などに対して一気に劣等感を抱き、その夢は諦めることになった。
それでも絵を描くこと自体は好きだったので、どれだけ下手くそでも部活は続けたし絵を描くことをやめなかった。というか勉強も最底辺で運動も全くできない自分には絵を描くことしかなかった。
ずっと絵を描くことを続けてたおかげか、高校生のころには周りの人より下手でも自分の絵が好きになった。でも絵で食べて行くことは全く考えておらず、進路は悩んだままであった。
高校生の時に転機があった。私は美術部を続けていたので、美術部には学校から美術やデザイン関連の依頼がくることが多かった。(チラシや学校の会報の表紙や挿絵など)
その中で、イラスト系の依頼は全く採用されなかったがある時自分のデザインが採用された。しかも大きい依頼だったようで表彰もされた。初めて自分自身が評価された気持ちになった。
確かに自分を表現することより、依頼を受けて作ることのほうが自分に向いている、これを仕事にしたいと感じた私は、デザイナーを目指すことにした。
デザイナーになれるなら専門学校でも良かったが、大学は卒業しておきなさいと親から言われたので、とりあえず美大を探すことにした。
県内に美大がなかった。実家から通える範囲でないと学費を出してもらえなかったため県内で探すしかなく今の大学に入ったが、大学は自分に合った学びをできたし、全然大学選びを間違えた気は一切しなかった。
就職活動をしなければいけない学年になったため、デザイナー志望で就活を始めた。自己PRや自分の作品にはもちろん自信があったし、自信満々でエントリーした。
まだ数社しかエントリーしていなかったが4月に入った時点での現状は申し込んだ全社書類落ちだった。面接にもたどり着けていない。
コロナ禍で求人や採用枠が減っているのか….はあまり気にしていない。
デザインを学んだとはいえ美大生でないから学歴フィルターで落とされたのか、はたまた履歴書の内容の薄さで落とされたのか、作品(ポートフォリオ)がダメだったのかはわからないが………
このまま内定がもらえなかったらどうしよう?という不安しかない。諦めて一般職に就こうにも勉強ができないのでSPIで落とされるし、デザイナーになれなかった自分の想像がつかない。一般職で楽しく働ける気がしない。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
修学旅行に行かなくて良いなんて、最高じゃないか!って思うんだよね。俺は。
中学の修学旅行で、グループ間の板挟みになって辛くて泣いたことがある。
卒業式に行かなくて良いなんて最高じゃないか!って思うんだよね。俺は。
高校の卒業式は「泣かないと人間じゃない」みたいなことを勝手に思って無理矢理泣いた。
修学旅行に行けなくて、卒業式が出来なくて悔しいと思えるなんて素晴らしいじゃないか。
お前らが得るはずだった幸せは、同じ学年の誰かの苦渋のもとに成り立っているんだ。
コロナがある世界のせいで、お前らはかわいそうだが、お前らが苦渋を味合わせたやつはほんっとうに喜んでると思うぞ。
中学高校がクソだろうが全然いいんだよ。辛かったらほかのところで仲間を見つけるために動けよ。
バカみたいな親の家庭や、クソみたいな顧問の部活に入ると、学校社会からあぶれた人は人間じゃないみたいに考えちゃうかもしれないけど、そんなことはないよ。
そんなことばかりだった。
自分の考えが浮かばない。意見を求められたとき、自分の意見より先に、その場所に適した言葉を出すようになっている。
その時出た言葉は勉強や経験不足のせいで的外れになることが多い。
そのあとに思う感情は「俺の意見、間違っていたのかな?」ではなく、「あっている意見を出せなかった」になる。
高校の時、部活の先輩から、その先輩のお兄さんの卒研のためにインタビューを受けてほしいと頼まれた。
普通に答えていると「なんか、普通過ぎるけどもっと特別なことないの?」と聞かれた。すっごいショックだった。今思い出してもムカつく。
どうでもいい人間のことを書きすぎた。
休日が無い
3000円だよ。時給じゃなくて日給3000円。バイト以下。
指導経験なんかなくても競技経験だけで主顧問を押し付けられる。
主顧問以外に副顧問もいるけど、ぜーーーーんぜん足しになってない。
経験がないからって部活を見てくれないんだもん。そんな副顧問100人いたって一緒。
私だって休日くらい寝坊したい部屋の掃除したい買い物行きたい映画見に行きたい
教諭より給与安いでーす。1年契約で来年も仕事があるかわかりませーん。
顧問不在で活動出来ないっていうみじめな思いを生徒にさせたくない、その一心で耐えてる。
だれかこの地獄をなんとかしてくれ。
今年に入って、わたしの生活に大きな変化が起きた。タイトルからお察しだけど、リングフィットを始めたことだ。
元々出不精なわたしはオタ活するか友達に誘われるかでもしないとなかなか外出しないタイプで、コロナ禍に入ってからはコロナになったら洒落にならない職種のために本当に職場の往復で以外は外出しなくなった。
初めはそれでも構わないって思ってたけど、夜勤が始まってからは疲れが酷いし、階段は疲れるから徹底して避けるようになったし、それでも仕事のストレスは溜まるから仕事の後の糖分摂取量は上がる一方。
そんな生活が続けば当然、丸くなってきた。主に、顔周りが。
やばい、やばいやばいやばい。わたしはまだ若いから、大丈夫!そんなことを思っていたけど、いい加減にそうも言ってられなくなってきた。
そう思ってランニングを始めてみるも、勤務形態が不規則故になかなか安定しない。わたしの性格上、夜勤の後とかはやる気が出ないし、それで途絶えるとやる気がなくなってしまう。その上、休みの日は家から出たくない。結果、三日坊主で終わるのを何回か繰り返した。
そんな中でTwitterのフォロワーにしつこく勧められていたリングフィットが気になった。ただ、わたしは昔、wii fitというフィットネス系のゲームをやっていた過去があり、そこそこやったけど真面目に運動してたのは最初の1ヶ月ぐらいだった。だからずっと尻込みしていたけれど、どうしても欲しい!となる瞬間がやってきた。
というのも、ある日リングフィットを始めてめちゃくちゃ痩せた人のツイートを目にしたのだ。恥ずかしながら、わたしはバズりツイートに流されやすい人種である。
そんなこんなで、年始にとうとう手を出してみたリングフィット。いざ始めてみたら、めちゃくちゃ楽しい。超楽しい!
もう、始めた頃の楽しさは異常だった。わたしは出不精なだけではなく、昔から極度の運動音痴で、運動部に入ったはいいものの部活内で圧倒的クソ雑魚プレイヤーだった。それが理由で運動はめちゃくちゃ嫌いだったんだけど、リングフィットは楽しい。疲れるし動かされるけど、しっかりゲームだからか楽しい。
次の日は酷い筋肉痛になったけど、それさえもなんだか気持ちよかった。わたしが筋肉痛になるなんて、何年ぶりだろう。今思えば、かなりアドレナリンが出てたんだろうなって思う。
それからのわたしはリングフィット脳となり、仕事中も「これを頑張ったら家でリングフィットができる!」という気持ちで頑張り、帰りにはリングフィットのことばかり考えていた。帰って手洗いを済ませた後、すぐにリングフィットを始めるぐらいにはリングフィット脳だった。
初めはしんど過ぎないスキルを中心にやっていたが、少しずつ強いスキルを求めて難しいスキルを使うようになっていった。それ自体は初めはきつかったけど、日に日にそれさえも楽しくなってきた。
変化に気づいたのは始めて丸一ヶ月経ったぐらいの頃。ふと、仕事帰りに気づいた。最近わたし、仕事の行き来で進んで階段を登ってる……?しかも、夜勤帰りがそこまでしんどくなくなってる……?
人から見たら小さな変化かもしれないけど、これが驚くほど嬉しかった。なんせ、階段を登りたくない、登ると息切れを起こしてたわたしが、普通に階段を登るようになっていたのだから!その上、階段を登ってもあまり疲れてない!
体力が上がってると気づいたのは本当に嬉しいことで、そういえば仕事も少し楽になった気がするなって気づいた。QOLがかなり上がってる。
そして、次に気付いた変化は腕の筋肉がついてることだった。ふと、鏡の前で力を入れてみると、力瘤ができている!あんなにもちもちしてたわたしの腕が!なんなら、細くなってる……?
見た目の変化というものはものすごく気持ちが上がるらしく、もうわたしは気分が高揚しきった。気付けば筋肉の為にプロテインに手を出し、睡眠時間も前より気にするようになったぐらいに。
そうすると、栄養も良くなって生活習慣も整ったからか、仕事中の倦怠感や眠気がかなり減った。ああ、めちゃくちゃ生きてるのが楽しくなってくる。そして、低かった自己肯定感も上がりに上がった。だって、あんなに運動不足だったわたしがこんなに続いてるんだから。えらい!すごい!
そうすると更に楽しくなり、運動スキルは鍛えたい部位に合わせてハードなものも増えてきて、そうすると更に自分の身体が強くなってくる。
そして身体が強くなったからか心にも余裕が芽生えてきて、仕事が始まってから全然できなくなっていた創作活動が少しずつできるようになってきた。これは本当に嬉しい変化だった。
こうして、リングフィットを始めて3ヶ月ちょっと。全部がリングフィットのおかげというわけではないかもしれないけど、リングフィットを始めてから毎日が楽しくなったのは事実だと思う。
今日も運動後にザ○スのプロテインを飲み干し、満足感を覚えた。でも、まだ体重や脂肪はそこまで減ってないので、もう少し筋肉がついたらフィットネスボクシングの方も手を出したい。
これからも頑張ろう。
前提としてセックスのみとか逆に結婚までってのをまず切り離して考えて「付き合う」って話のとき。
彼氏に求めるものは優しさ、というアンケート結果に対して嘘だなんだイケメンに限ると言う向きを観測したので、それはそんなことねーと思うな、ってことを書きたい。
まず容姿は入口の難易度を決める。例えば同じ部活サークルなどで否応なしに何度も会う関係ならここはあまり重要にはならない。バスでたまに会うとかだとブサはちと厳しい。そういう意味で、コミュニティへの参加は非常に大事。
優しさってのはマジ回答だとは思うが、これは付き合った後の継続率にかかる部分と考えている。
付き合うにおいて2つ大事なところ、1つ目は尊敬できるところがあること。それが優しさでもいいんだが、なにか特技があるとかそういうことでもよいし、分け隔てないとかでもよい。他にも例えばクラス合唱(今はない?)で男子に対して頑張ろうよ的なアプローチを継続してるとかでもよい。人を動かすような器でなくとも、ひたむきであることは見てくれている。
2つ目は所謂「相手に普通に接する」こと。コンプレックスはあっても良いが(というかあるのが自然)、それで引いたり逆に押しすぎたりしない。緊張しても問題はないが、取繕おうとはしないこと。
結局選んだ者に選ばれるってのは非常に難しい(たまに狙った獲物は逃さない者もいるが、別世界と考えるべき)。選んだ者に選ばれないことについては諦めは必要。彼女が欲しいということを意識しすぎず、一人に固執せず。一人に固執するとどうしても恨みが出る。それは悲しいがマイナスにしかならない。それができれば誰も全く寄ってこないということはないはず。もちろん、そもそも人がいるところには行かなければならないが。
ほぼタイトルがすべてなのだが、10年ちょっと前の日記を見つけたので書きたくなった。
年度初めに移動してきた教師の一人だった。
最初の授業は滞りなく進んだと思う(最初からヤバければ違う印象だっただろう)。
次の日、数学の時間初めに怒鳴られることには、「昨日の授業から誰も質問に来なかった。前の学校では放課後や朝方に生徒が並んでいた」のだそうだ。
母校は当時さほど質問が活発なところではなかった。特に放課後に関しては部活が強制な学校なこともあり、宿題なり自主学習は家に帰ってから、という認識だった。
朝といえば、4月初めは下手をすると雪寄せを終えてから登校する生徒もいた(*1)。
現在どうかはわからないが、バリバリ進学のため勉強する、という空気もない(*2)。
自分の周りだけがそうだったのかは知らないが、そんなわけで誰も質問に行かなかったのだろう(まあ年度始めの授業一発目でそれほどつまずく箇所があっても困る)。
クラスメイトは途方に暮れ、どうやって職員室から彼を連れ戻すかの相談後、説得を重ねどうにか第2回目の授業始めさせた。質問に行く生徒はいなかったが、授業の放棄までされると困るのである。
問題集の中で一つ質問に行く問題を決めて、朝の短い時間で解説を済ませてもらえるように最後の最後で躓いたような計算履歴を装うのだ。
これならいいんじゃないか、と思った問題を皆で解いてたら「解けちゃった…」となり何度か”間違え直し”をしたのを覚えている。今思えば無用な労力だった。
クラス担任や学年主任にも相談はしたはずで、しかしそれほど効果はなかった気がする。
数学教師は苛立つとまず3色ボールペンやチョークを黒板にぶつけ始め、やがて教室を出ていく。質問に行かないかもしれないが、義務教育の内容は全うしたい生徒が追いかける。嫌いな教科ではないはずなのに憂鬱な時間だった。
PTAの力が弱いせいで県内の問題教師の掃き溜めになっているのだ、という噂もある中学校だった。従順でない男子を糾弾するために女子に意見させるが、男子と距離が近い女子生徒は発言の順番を飛ばすような学年主任もいた(この件に関しては後に親に謝罪があったらしい)(当人への謝罪はなかったようだ)。
どうにか1年を耐えきり自分は卒業したが、あの数学教師は今も母校にいるのだろうか。
*1. 年初というと春の印象だが、雪国のど田舎だったためまだ冬の開けきらない頃だった。5月の運動会のため、陽の当たらない校舎裏の雪を溶かしに行った記憶がある
*2. 5科目の実力テストで大体何点ならこの高校、とほぼ受験期前に(教師の間で?)決まっていた。自分は偏差値という概念が実用されているのを高校で知った。それまでドラマやコミックでふんわり出てくる単語程度の認識だった。高校がほぼ決まっている、というのは楽でもあるが、進学させたい教師VS(家業のためもあり)農業科/商業科に行って早くから働き始めたい生徒、のような言い合いも起こる。自分は商業科に行きたかったがレスバに負けて田舎によくあるエセ進学校に行った。結局空気が合わず高卒認定→商業系大学のルートを辿ったのでもっと粘ればよかったなと思っている。
この本を選んだのには理由がある、校内の誰よりも難しい本に挑戦し、書物の一部だけでも
自らの血肉とすることが出来れば今後の人生にも活きようと思ったからだ。
先に結論を述べると分からない、この一言に尽きる。学校の先生達も理解していないのではないかと思えるほどである。
単語の意味がつかめない、困る、読み進めるのに苦労する。そんな中目次を読み込んだり、副読本のようなものをあたりキーワードを集めたり、分からない場所を一旦飛ばして読んだりもした。
そもそも私のように元々哲学のバックグラウンドもなく、そのような授業も受けておらず、ユーチューブの動画すら見たことが無い、そのような者にこの本の読書感想文を書くのには夏休み期間はあまりに短すぎる
結果的に惨敗であったがただ本を開き辞書と格闘し夏休みの大半を部活に費やし時間が取れない中、仲間などと意見交換を活発に行い、本の中身を分かろうとした経験は今後自分の人生において役立つと確信している。
(ナントカ)という概念は勉強や部活にも通じるところもあったが学問の奥深さをおぼろげながら感じている。今年の収穫はそれである。
来年以降も挑戦し、今度はいい結果が出せるように頑張りたいと思った。
なお、本を出来るだけ読み込んだうえで書きたいと思い、感想文を書き始めることがなかなか出来ず、本の内容が頭に入らず、生半可な知識ですら喋ることははばかられるのに、そのようなよくつかめない、宙に浮いたような、抽象的な言葉が飛び交う中、現在期限の日である。かなり混乱しながら書き上げている。
来年は早期に取り掛かりたいと思った。
ところで実は実質的に自分はその本を読んでないのではないかということも考えた。
そう思うと心が暗く、重くなってしまう。
読書感想文というのは読書と感想文に分けられる。読書経験は良かった。先生達で読んだことある人は半分もいないだろう。僕は戦ったのだ。
地方私文(1敗)
浪人(2敗)
コミュ障(3敗)
クソ雑魚国家資格は持ってるけどその資格を使う職には就きたくない(4敗)
競争が苦手(5敗)
そもそもやりたいことがない(6敗)
バイトリーダーじゃない(7敗)
3月はゼミの教授の言うことに従って資格関連の業界のES出してSPI受けて面接行ったけどさぁ、資格持ってても普通に意味ねえんだわ。やっぱ"人間力"よなぁ。5社受けて全部1次面接で落ちたわ。特に大企業ってわけでもないのにな。向いてないのはわかってんだから適性検査で弾いてくれや。
ゼミの教授にもキャリセンの職員にも〇〇さんはやればできる的な扱いされるけどさぁ、二十数年生きてきたら自分では分かる通り、やってこれやねんな。
そりゃこの地域では頭良い高校卒だし資格とかTOEICスコアとかまあそこそこ持ってるしGPAも高えのは確かだけど、そんなのマジでクソほども自慢にならんし、結局F欄やし、まずやればできる子は浪人なんかしねぇし3年の3月から就活始めたりもしねぇんよな。
分かってることは自己肯定感の低さとかやる気のなさとか自分の立場を踏まえてない冷笑的なスタンスとか自分自身の人生なのになぜか客観視してしまっていることとかで、それただの怠け癖のある社会不適合者なんよなーって。これが自己分析か?
自己肯定感の低さとかやる気のなさはまあ昔からなんで変えられないわな。
小中高と同じ部活やってたけどほぼほぼベンチだったんよな。まあ実際普通に下手だったんだろうけど、監督やらコーチやら同輩から決まって言われる「お前はやればできるのにな〜」というお言葉。
やってこれやねんな。
元々の能力値が低いんだよ。
まあ部活で言えば周りの自分と同じ状況の奴は必死になって監督にゴマすって試合に出ようとしてたけど。
それが「やる」ってことなんだろうかね〜とか、まず俗に言うエンジョイ勢だから試合出なくたって良いよなぁとか考えちゃってなんもせんかったな。
練習に監督が来たときだけ動きが1.5倍になる他の部員見てキモって思ってな。
そういうお前が一番キモいって話。それも分かってる(と言いながら多分分かっていないんだろう)。
「お前はもう少し媚びを売るようにしたら人生楽になると思うよ」っていつか友人に言われたな。
まあその通りだと思う。それすらも面倒くさいからやらんのやけど。
自己肯定感のなさは成功体験のなさ由縁とか言うけど、今のところ何したって成功って感じないしよく言われるたとえみたいに、朝起きれた偉い!とはならんのよな。
部活10年続けました!バイト3年間続けてます!←続けてるだけじゃん。惰性でしょ?
年間GPA4.0でした!←でもお前勉強してないしF欄じゃん?
資格一発合格しました!←特に本気になって取り組んだわけじゃないやん。クソ楽テスト受かって何になるの?
テストとかなら結果出て5秒間くらいは嬉しいけど、その後は自分にツッこまれて「ま、こんなもんだろうな」って気持ちになってしまうんよな。みんなそうかもしれないけれど。
こういうの見ると自虐風自慢というか、自己肯定感ないって言う割に自分のことを高評価しすぎてる奴に見えるかもしれないけど、そこんところはよくわからんのよな。
とまあ、話は逸れるわ就活には関係ないわ、クソみたいな駄文書いてる暇なんてねえんだし、とにかく考えたってどうにもならんのだから早く必死になれって話なんよな。
必死になれないのはクズだから。まず必死になるってなんなん?根性論じゃなくてやり方を教えてほしいんだよな。
まあでも、そんなすぐに人に頼ろうとするクズに就職先はありませーん。
どうしたらいいんだろう?わからん。誰か教えてくれ。