その恋愛感情は私が見たそれの中でも1、2を争うほど強いものであった。
彼女のことを漠然と良いなとは思っていたが、その業火のような恋愛感情に驚き引いてしまった。
初恋と呼べるものすらなかった私にそれはあまりにも激しいものであった。
「好きです」
振ったつもりはないが振ったような言葉を言ったそうだ。正直、覚えていない。
そしてやはりと言うべきだろう。結局付き合うことはなかった。
その後、業火の彼女が鬱屈した20代を送ったことは知っている。
そこに罪悪感は無論ある。償うことはできないけれど。
以降、となると生まれてからずっときちんとした恋人はいない。すでに 30 代である。
仄かな想いを寄せてくれる女性がいなかった訳ではないが、その誰ともどうにも上手くいかなかった。
単純に臆病だったからでもあるし、仄かな気持ちを生育する能力も私にはなかった。
初恋以前に業火のような恋愛感情にさらされた私は、恋愛感情というものがどうにも分からないできた。
業火のようなものでなくとも恋愛感情と呼んでいいことを理解できたのが本日の夕方である。
もちろんその勘違いは業火の彼女のせいではない。完全に私の責任だ。
そして今、創作作品を作っている。異性とパートナーを組んでいる。
あくまでも創作パートナーであって、それ以外では断じてないし、それ以外へと向かう気もない。
また、これまでずっと一人で作ってきた私はパートナーが出来たことにとても喜んだ。
ただ創作パートナーというものは生の感情のぶつけあいでそれこそ心の奥底まで覗き込む必要がある。
そして私の乏しい女性経験では、それが偶然なのかどうか全く分からないが創作パートナーも業火のような恋愛感情を抱く人だった。
現在も彼氏はいるそうだが、その大恋愛が今でも胸にあるということは明らかでむしろ彼女自身がそう認めている。
「今でも完全に好きだよ」
と真顔で言いきった。
私は単純に「キモチワルイ」と思った。その有名な台詞の背後の感情そのものを心に抱いた。
業火のようなその恋愛感情そのものがキモチワルイと思ったのだ。
かなり辛い、これは確かな感情だ。そして嘘偽りのない私の中の感情だ。
私は男女問わず恋愛感情を抱く人物そのものにトラウマがあると悟った。
考えてみると、親友が彼女と手を繋いでいるところを見かけることすらキツいと思うのはおかしい。
そして今は辛いけど思う。
今の創作パートナーは、業火の彼女の有り得た姿かも知れないとすら思うのだ。
そして勝手ながら願う。
そして私も幸せであろうと決心できることを。
やーい男のくせにお気持ち長文〜
ビェー
性嫌悪の男版みたいな感じか。男女問わず、顔が整った人にそういう人が多い印象がある。憶測だが、幼い頃にチヤホヤされたことが原因なのかもしれない。 愛情に飢えた人間は増田の...