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はてなキーワード: 解決とは

2024-10-14

anond:20241014145116

お、今後も他人名義保険証使える問題解決されないと知らないやつか?

anond:20241014143708

解決策を求めてるのではなく愚痴を言いたいだけだったやつ

昔のネット東宮sage秋篠宮ageだったはずなのに

今じゃ完全に東宮(現・天皇家age秋篠宮sageだよなぁ。

昔のネットは完全に東宮sageで、雅子所作が汚いとか、愛子発達障害とか散々な言われようだった。

今や秋篠宮の方が何をしても批判され、今度は悠仁発達障害とか言われていて笑ってしまう。

結婚騒動を境に風向きが変わった感あるけど、あれに関しては秋篠宮被害者なのにな。

からすると、子供も作らず、鬱病皇后を抱えている天皇家の方がよっぽどダメダメだけどな。

天皇存在すること、将来に渡り天皇を存続させることが仕事なのに、子作りを放棄されちゃ意味がない。

まあ、怠惰で子作りをしてこなかったわけではなく、鬱病から仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、果たして鬱病皇后皇后として相応しいのか?というのは正直に言って思う。

だって鬱病になったからの顔がずーーーーーーーーーっと作り笑顔なんだもん。

病期になる前の映像を見ると、今と顔・表情が全然違う。

今は笑顔は作っているけれど、感情がこもってない。無理やり筋肉運動させて笑顔のように見える表情を作っているだけ。

はっきり言って、こんな人が国民統合象徴として君臨しておくのは相応しくない。

これに「笑顔ますます素敵になられました!!!」とか好意的な反応してるバカを見ると笑っちゃう普段人とのコミュニケーションしてない無職なんか??

鬱病が治ればいいけど、皇室に入ったこ自体が原因で何十年と治ってないんだから、もう離婚して臣籍降下しない限り治らないでしょ。

作り笑顔皇后に、お妃様がいるのに単独公務をこなす天皇を見てるといたたまれないよ。特に海外公務とかさ。

東宮が子作り放棄して、女の愛子しかまれなくて、仕方なく一念発起して男子を産み当てたのが秋篠宮なんだから日本秋篠宮感謝してもしきれないでしょ。

最も、たった1人の男子に2千年の皇室の命運が託されているのは博打が過ぎるけど。

秋篠宮が一念発起せず、後継者不在となり、日本お家芸で重大な決断(女系女子容認)ができずに解決が図られないまま、そのまま廃れてしまった方が良かったのかもしれない。

[] 『スクールバック』におけるevilとは何か

18話の豊先生の扱いは少し気の毒だったな。決定的にギルティと断じれるほどのことはやってないし、むしろ見方によっては善良な言動しかしていないようにも思えるけれども、作中での評価は「だるい」、「うざい」、「キショい」などと散々だった。挙句に「近寄らんで~きしょ~」と生徒に面と向かって言われる始末である

人情機微を繊細に描く本作において、豊先生に対する生徒たちの態度は多少ゾンザイにみえる。過剰な言葉を投げかける生徒が諫められることもなく朗らかに去っていく構成は、爽やかな描写に反して後味の悪さを感じた。“豊先生はそんな扱われ方するのも仕方ない”という“含意”がなければ成立しないほど雑な扱われ方だ。その“含意”が何かを考察するなら、これは豊先生が“本作におけるevil”に抵触たからだと思う。

まず、本作における“good”とは何かから考える(※ここでいう“good”というのは、界隈が使うevil対義語として私が便宜上使っているだけの胡乱な表現

本作における“good”の象徴伏見さんであることは明らかだろう。けれども作中での伏見さんの活躍実質的には微妙ものが多い。各エピソードの主役たちは何らかの課題や悩みを抱えているけれども、伏見さんは何か直接的にそれらを解決してくれるわけではない。いや、間接的に貢献しているかすら微妙ときもある。

しかし、それでも伏見さんが“good”の象徴たりえるのは、本作の作品紹介を読めば輪郭が見えてくる。

伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感私たちと話をしてくれる。 今、“自分大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

引用の「丁度いい距離感」という所がミソだろう。つまり本作における“good”とは「丁度いい距離感」のこと。逆に言えば「丁度いい距離感ではない」こと、それに類する言動をする者がevilというわけだ。

近すぎるとevilだが、遠すぎるとgoodというわけではない。

以上を踏まえると、本作の1話なんて典型的に思える。本エピソードの生徒は中盤、痴漢被害に遭う。これは犯罪という時点で勿論evilではあるのだけれども、「丁度いい距離感ではない」という点においても本作のevil抵触している。そして被害にあった子に対して、両親たちはデリカシーに欠けた言葉を投げかける。身内関係であるからこその近さ、そこからくる両親なりの慰めの言葉ではあっても、それは当人が求める「丁度いい距離感からくるものではなかった。

そして遠すぎる場合evilとまでいわないがgoodともいえないよね、ということも提示する。被害に遭った生徒は自ら犯人を捕まえたため、その勇気を褒めたたえる人もいた。しかし、それは表面上の言動と態度から逆算したもので、行為のものに対する上澄みの評価だ。痴漢被害者への丁寧な気遣いをする者もいたが、これも紋切型であり寄り添ったものとはいえない。

じゃあ、何て言えばいいの?と思うのだが、当人自身よく分かっていない。当人が本当に悩んでいる核たる部分は、是非善悪とは別のレイヤーにある。しかも極めてプライベートミクロであるため、明確で普遍的な回答がない。だからこそ苦悩の袋小路に入る。

そんな苦悩に対して本作(伏見さん)は「何とも言えない」という選択をした。「何とも言えないこと」に対しての答えが「何とも言えない」というのは逃げというか、そもそも答えになっていない。けれども、その時の生徒にとっては“個”と向き合い「丁度いい距離感」で接してくれた結果、と受け取られた。

先生がキショい(evil)な理由

先生は常にニコニコとしながら、誰にでも分け隔てなく好意的対応をする善良な教師のようにみえる。けれども、これは誰にでも“いい顔”をしつつ、“個”と向き合わない不誠実な人物……という解釈もできる。つまり「丁度いい距離感」に対して無頓着であるため、“本作におけるevil”に抵触しているわけだ。

作中でのやりとりを挙げるならば、豊先生好意を持っている生徒が「(背が高い人が豊先生の好みだったら)牛乳を大量に飲まないとなあ」などといった軽口に対して、豊先生は「今のサイズ感が可愛いから、今のままでいいと思うよ」と返す。「(牛乳を飲みすぎて)お腹こわさないようにね」という気遣いも忘れない。その生徒が自身好意を持っていることを踏まえたうえで軽口に軽口で返した形だ。こんな調子で、豊先生八方美人の節がある。婚約者がいる立場でありながら、自身好意を持っている女生徒への対応は軽薄にみえる。知り合いの異性にも当然のようにプレゼントを贈ったりする。

けれども客観的にみて、それらをギルティとするのは決定打にかける。他人好意に対して毅然とした態度をとらないというのも実際には一長一短で、豊先生個人でどうにかできない範囲も含まれている。豊先生の振る舞いは節々に粘度を感じるよう描写こそされているものの、それでもって悪徳と断じるべきかは疑問が残る。けれども、何度もいうように“本作におけるevil”とは「丁度いい距離感ではない」こと。その点において豊先生無頓着であることは否定できない。なので生徒に「近寄らんで~きしょ~」と言われ、続けて「大人なんやから ちゃんとしいや~」などといわれる。

面と向かって「きしょ~」とか言ってくる若輩に大人としての在り方を説かれる筋合いはないとは思う。ただ、一応これも先ほど引用した作品紹介文から読解できる。

伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感私たちと話をしてくれる。今、自分大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

「“自分大人だ”と思い込んでいる人」とは、つまり理想的ではない大人」と言い換えられる。

本作における「理想的大人」の象徴伏見さんとするならば、その逆のような存在が「理想的ではない大人」といえるだろう。つまり「丁度いい距離感」で私たちと話をしてくれないのはevilから先生はキショいし、「“自分大人だ”と思い込んでいる人」 だからちゃんとしいや~」ってわけである

最終的に「彼女がいるのに生徒や伏見さんに色目使ってた男」と評された豊先生は「エエ~……」と困惑するしかなかったが、仕方ない。豊先生の扱いは、本作の通底するテーマ価値観からみれば筋は一応通っている。それにしたってどうなんだと思わなくもないけれども、それは私の咀嚼と消化の問題でもあるから片隅に置いとく。

余談:伏見さんが理想大人(のように振舞える)構造

伏見さんが“good”の象徴理想大人メンター存在でいることができる理由ってなんだろうか。メタ的な推測になるが、まず「学校の用務員」という立場がある。

学生たちにとって、自身の抱える課題や悩みを打ち明けられる大人は少ない。主に両親や教師になってくるが、両親は身内であり近しい存在からこそ、かえって言えないことや言いにくいこともある。教師あくま仕事の一環として生徒と接するというフィルターがあるし、それも一人や二人ではなく数多ある生徒に対応しなければならない。他にもやらなければいけない仕事だっていから常に全力で応えてくれるかは難しい。

いや、そもそも本作において学生の抱える葛藤は、是非善悪だけでは語りきれないものが多い。そんなことで白黒ハッキリついて解決するのなら悩んでいない。そんな悩みに対して親身になってくれないのは嫌だが、がっぷり四つでも困るのだ。そんな悩みを抱える学生たちにとって丁度いい距離感で接してくれる大人がいたとすれば、それは酷く理想的うつることだろう。そのために学校の用務員という設定にしたのが絶妙だ。学校にいながら、親や教師が取りこぼしがちな生徒の機微個別に拾うことができる。心のケアをする必要のない立場からこそ、それをわざわざやる伏見さんの善性が際立つ。

本作の描き方からくるデメリットとしては「一概にいえない事柄なのに、メンター言動ベストになってしまいがち問題」はある。まあ、これは学園もの教師もの共通デメリットではあるけれども(典型的なのだと『GTO』の主人公とかは解決方法ほとんど破天荒だったり非合法だったりするが、少なくともその作品世界においてはベストとなってしまいがち)。あと伏見さんを理想大人として描写しようとするあまり、それ以外の大人犠牲になってるというか、簡便に描写されている感はある。豊先生もその一人だなって印象。

国民民主党玉木雄一郎批判している左派は現役世代社会保険料が激増している点をどう思ってるのか分からない。

老人の生存権問題から今後とも現役世代が搾り取られるのは妥当と思ってるのか、大企業と金持ちから取れば解決と思ってるのか。

anond:20241013115053

課税弱者男性だけど、あなたロジック同意します。

かに金があるだけで強者男性呼ばわりはおかしい。

茶化して目を背けてる人たちがいるけど、

金があるだけで結婚できるってそれ女性主体性毀損してるミソジニーだし、だったらまとめて弱者にカネ回すだけで弱者男性問題解決となる。

弱者男性問題を何も分かっちゃいない。

はてブは心無い。何が、おもしろカテゴリーだ。当事者たちにとっては、この現状は何も面白くなどない。

なぜか問題解決したくない人たちが良くやる方法

個別事案としてご意見を →個別の事案は事情がそれぞれなので回答できません(超有名事件でない限り)

一般的事柄としてご意見を →仮定出来事お話には回答できません

anond:20241014093103

裏金対策法律って一応は政治資金規正法改正してなかったっけ? 連座制を入れてないのは不十分だと思うので、その観点での怒りは理解できる。

自民党総裁退陣(=総理辞職)は組織としての責任の取り方にならない?

不祥事の起きた企業社長が辞めるってのは、無論それで全部が解決する訳ではないけれど、一応は組織としての責任の取り方の一つじゃないかな。

既婚者会話パターン疲れるよお…

旦那愚痴同調を求められる→でも過度な愚痴にならないように調整→最後にはまあ良いとこもあるんだけどね、しゃあないね

うちの子ほんとどうしようもなくて→周りから擁護、うちの子あんぽんちん→わかるわかる、子どもはそんなもん

これほんと疲れる

既婚者間の会話、家事とか育児のハック交換会になる流れならまだ良いんだけど

愚痴系の流れになるとパターンなんだよね、会話が。

こういうよくある話題に対してよくある打ち返しをしてこういう着地にしてうまくまとまった感出す、みたいな流れの繰り返し。

旧来の友人でもそう

独身の時は仕事の話とか、このままで良いのか?今の会社で状況変えれるように努力すべきか転職したほうが良いか?とか根本的な解決に至るような会話をしてたのに。

諦念みたいなの感じるよ。


旦那愚痴根本的な解決(腹割って話す、内容によっては離婚視野に入れるとか)のための行動の話

にはならない。

まあ、大変よねわかるわかる、うちもさ〜そういうのあるって…みたいな…。

女の話は共感ベースだけど、共感ベースにして解決に向けた会話をしていたはずの人たちが、今では状況を変えるための会話をしようとしない、その方向に持っていきたがらない。

だいたい多くは世間体のためや皆と同じ既婚者というものになりたいという理由婚活しただろうから皆と一緒じゃなくなるのが嫌なんだろうとは思うよ。

でもその「みんながポケモン持ってるから私も欲しい」みたいな理由で手に入れたっていうの、誰だって透けて見えてるやん…。

一人で生きてく胆力も覚悟もないかパートナーいたほうが経済的に〜とか親がうるさくて〜とか言う方便使ってるしそれも事実の一つだけど「みんながポケモン持ってるから私もほしい」みたいな理由が一番じゃん、ぶっちゃけ

そこ正直に「バツイチになりたくない」とか、「周囲からこう見られるのが嫌だ」とか「独り身になった時の経済力不安」とか言うならそこ踏まえてどうするか話していけば良いのに

結局皆と一緒じゃなきゃ嫌だ、他人ストレスのはけ口にして皆と一緒のよくいる既婚者でいたい、そのためにパターンの会話を続けている、が透けて見えてつまんない。

解決する気がないけどとりあえず他人をはけ口にしてストレスは解消したい的な。

独身の友だちの家造りの話とか、

子なし既婚者の家でのパン作り、家でシュトーレンをつくるのが目標みたいな話聞いてるほうが楽しいよお…

[]はっちぽっちぱんち 3巻まで

女子格闘マンガ

はてぶでもちょっとだけばずったかな、とぅぎゃったのまとめが

レイプされかけた女の子覚醒して逆に犯人ボコボコにするみたいなの

女子マンガと言われたぱっと思いつくのはなんといっても鉄風、ついで邪道だけどはぐれアイドル地獄変

それらに比べるとあきらかに鉄風オマージュキャラストーリー

狂気をかかえた女子高生が主人こうってのが

まあ鉄風狂気とはまた違うゆがんだブラコンもあったたんだけどさ

それに比べるとこっちは純粋狂気ではあるんだけど、の割には主人公がなんか弱いんだよなあ

マンガ上のキャラ的にも、ストーリー上の強さ的にもね

まあ素質があるわけじゃなくて単なるメンタル情人離れしてたってだけだからしょうがないけどさ

やっぱり鉄風に比べると主人公活躍のさせ方がいまいち弱くて、話全体をけん引する力が弱いのが気になる

鉄風を打ち切った講談社だしなあ

しかも3巻のラストで次巻のネタバレをもろにカマすのはいただけない

ここまで露骨ネタバレするとかマジでどうかしてる

話もどすと、できるだけ余計な要素はそぎ落として見栄えのする格闘シーン・試合で目を引こうとするのはとてもよくわかる

キャラの掘り下げもマジ最小限だし、主人公動機付け、まわりの環境を力技で解決して、

もともといた友達は完全スルーだしな

ちゃごちゃ脇道にそれて本筋進められずに打ち切りくらうよりはよっぽどいいけども

あと女の子かわいい

ただなー鉄風はまだ主人公が勝ち上がる理由けがあったけど、

こっちはないんだよなあ・・・

どーやったって技術的な差がありすぎる 格闘技の才能があるわけじゃないからなあ

一応3巻で、アドレナリン出してるから(意訳)みたいな軽い解説あったけど、

全然それだけじゃ勝てない世界だってのもわかってるはずだけど原作者・・・

そういや女子格メインじゃないけどオールラウンダー廻女子選手いたし試合あったな

遠藤浩輝にも女子格メインのマンガかいてほしーなー

まあ今男メインの書いてるし、女メインのマンガかける人じゃないしむずかしーかなあ・・・

オールラウンダーのとき女子試合もおもろかったんだけどなー

男とのからみも込みでマンガとしておもろかった感はあるから

いわゆる女子マンガみたいに女子オンリーみたいなのはむずかしそうだなー

anond:20241014091323

自民党裏鉄問題自体が、個人裁量で起こったことではなくて、組織的意志意図で長期に渡って行われているから、chatAIの「組織的問題点を解決すべき」という指摘が出るんだろう。

それを顧みないと、現時点で問題が明るみになっていないだけで、地元自民党議員問題を抱えている可能性や、組織として再度同じような問題引き起こし地元議員がそれを行う可能性は排除されない。

腐ったリンゴの原因が個別リンゴにではなく、箱にあるのだから

anond:20241014083953

この意見はいくつかの問題点があります

1. 責任曖昧化: 裏金問題について、自民党として「よくやっている」という評価をしていますが、処罰派閥解散などの対応が不十分であれば、それは十分な責任果たしていないことを意味します。曖昧評価が、問題解決の進展を阻む原因になりかねません。

2. 司法制度の誤解: 「自民党司法権利を与える」かのような表現がありますが、逮捕捜査独立した司法機関によるべきです。政党が直接関与することは適切ではなく、混同を避けるべきです。

3. 個別対応問題視: 発言の中で「自分投票エリア議員対象でないなら投票先として残る」と述べていますが、裏金問題政党全体の問題であり、特定議員の行動だけで評価するのは本質を見失う可能性があります政党全体のガバナンス倫理観考慮すべきです。

改善施策

• 透明性の向上: 自民党は内部の問題に対して、より透明で徹底した対応を示し、部分的処罰ではなく包括的改革を行うべきです。

独立した調査の推進: 政党問題司法に影響を与えないよう、独立した機関による調査処罰メカニズムを強化することが望まれます

• 党全体の責任を問う姿勢: 個別議員ではなく、政党全体としての責任を追及する姿勢必要です。これにより、ガバナンス改善と信頼の回復が期待できます

きっと私は人を殺してしまうだろう

いつから死にたいと思うようになっただろうか。小学生の時には口をついて出ていたような気がする。

前回の自殺は友人に止められた。なぜ止めたのだろう、なぜ止めてくれたのだろう。「あなたがいなくなると悲しいから」そう言った彼女は翌日家に来てメンクリの予約を私に取らせた。とてもわがままな子だった。私はあり得る可能性を先生客観的に話したつもりだったが、時間解決するかもねと一番弱い薬を処方した。私に必要なのは処方薬ではないことだけはわかっていた。

寝れないと言って貰った睡眠薬は翌日の眠気に耐えられず全て溜めている。

ODで死なないことも知っていた。多くの人間を見た。救急先生面白半分で胃洗浄に用いる活性炭をかき混ぜさせたことがある。私はODで運ばれた患者さんを哀れに思っていた。私なら確実に死ね方法を教えられるのに、この病院には確実に人を殺せる薬がいっぱいあるのに。ICUにいる患者さんのもとへ行って、方法はいくらでもあると教えてあげたくなった。生かされなくていい自由私たちにはあるのではないか

私が一人前の医師になったら、きっと独立して、死にたい人を楽に死なせてあげたい。

2024-10-13

増田文学勝手添削Yahoo!チャットって場所があったんだよ』

 まずは2015から

https://anond.hatelabo.jp/20150625153718

 ↑これをやってみる。

(最終的な文章最後のほうに書きます。)

総評

 まず語り手がそのまま物語主人公なわけですが、オナニーできずに終わるというのが肝なわけです。ですから主人公からすれば失敗談なのです。まあブログなのであたりまえですが、失敗談にも関わらず主人公と語り手が同一人物であるということはおかしいです。(だってじぶんのミスを喋りたがる人はいないし)

 ここから、このブログがいったいどんな意味を持つのか導き出すことができます簡単にいうと、『失敗とともにほんのりと脳に結びつけられている昔の思い出』ということです。

 このノスタルジーは、本文の下ネタ中心の話とのミスマッチを引き起こすことで、人々の記憶に残ります

 ここから問題ミスマッチによる作用というのは使い古された手であり、読者がそれに気付いた場合、とっても冷めてしまます。おおくの読者はバカなのでそれに気付かないかもしれませんが、ちょっとした意図的ものぐらいは感じるんじゃないでしょうか。たとえば、明らかに慣れていない口語体(それも下層階級口語)を使っています下ネタの話なのでそっちのほうがいいとおもったのでしょうが、それも意図的ものを感じさせてしま可能性があります

 最後解決策を書きます。このブログ根本的な構造上の欠陥、『失敗談を語っている』という形式を変える必要があるので、それをいくつか。

 その1、会話形式で昔話をする。

よく映画であるやつ。話をしながらだんだん昔に入っていく。こうすることで、その話を聞いている人が文章なかに登場し、昔の失敗談をしてもオーケーになります

 その2、語り手を色情狂にする。

本人が失敗談だとおもっていなければ、それは失敗談だと読者もおもいません。語り手がキャラクター兼任されている場合、語り手が客観的物事を把握していてはだめなのです。それは筆者がでてきてしまっているからです。まあブログからそれでいいんだろうけど。

じゃあ最後の方の文章を書き直したのを貼っておきます

ーーーーー

祈るような気持ちチャット画面を見た。頼むよ、援護書き込みコピーされていてくれー!頼むー!恐る恐る自分発言視線を移した。画面には「カマキリ」という文字が映っていた。

ああクソ。なんで俺はこんなもんコピーしてんだ。いつだ、いつだよ。いつコピーした。チンポコ野郎。アホ。オナニーマン

静寂の中、チャット画面に燦然と輝くカマキリ文字。いったいなんだ? こりゃ。

しばらくして、先に沈黙を破ったのは女だった。

カマキリってなんですか?」

タイプミスじゃないかなあ」とブラッドレイン

「 私がカマキリみたいな声ってことですか?」

カマキリみたいな声?」とブラッドレイン。「ちょっと待ってくれよ。たぶんこの人も興奮してただけでさ――」

「失礼な人ですね。気持ち悪い」

カマキリ女はそういった。その声からは深い怒りが感じ取れた。カマキリ

無慈悲システムメッセージが少し薄いグレーの文字で表示される。オナニー寸前だったカマキリが怒って帰ってしまたことを指し示していた。

これに怒ったのはブラッディレインと97名のガヤたちだ。彼らはおれに対して文句を言ってきた。

死ね

「お前マジで殺すぞ」

「ここまで頑張ったブラッディレインさんに謝れ」

「アホ」

 こいつらはただのバカだ。画素数の荒いモニターの前でチンポコをいじってるキチガイだ。

「なんでカマキリとか書き込んでんだよ!」

キレてるブラッディレインの問いに、おれは

「すいません、パソコンスペックが低くて誤作動しました。変な文字ペーストされました。本当は援護するつもりだったんです」

パソコンのせいにした。

「はあ、スペックが低くて誤作動?あるわけねーだろ、スペック書いてみろ」

CPUPentiumIIの350MHzです」

「じゅうぶんじゃねーか、俺なんかPentium133だぞ」

ここからはみんなパソコンスペックの申告会だ。みんなスペックを書きたがったんだ。そういう時代だ。今よりほんのちょっと昔の話だよ。

anond:20241013110516

ワンセンテンス切り取りの批判辞めません?

これやりだすとなにも言えなくなる

政治家抽象曖昧言葉しか発せなくなる、実際そうなってる。

批判するならせめて国民民主党ホムペくらいは見ましょうよ

動画ざっと見で切り取って批判って卑怯だよ。

 

国民民主党政策各論を見ればキミが提唱してる医療制度改革はほぼ網羅して謳っている。

終末期医療一つを改革すれば医療問題すべてがまるっと解決するなど一言も言ってないし書いてもない。

OKOKOKわかるよー「だけどそう解釈されるような発言をするのが悪い」だろ?

 

それだと政治家はなにも言えなくなる。

「頑張ります!」「改革します!」だけ言うてりゃいい

そういうのがお望みか?

 

日本の過剰医療象徴が終末期医療だよ、そこに言及してなにが悪いのか。

 

すこし話しを変えよう

アメリカでは臓器移植を活発に実施してる。

さて、皆保険制度日本で同じくらい臓器移植を行ったらどうなるか?

医療制度破綻さらに深刻に進むだろう。

ありゃめちゃくちゃ医療リソースを食うのだ

仮にそういう社会、救える命は採算度外視で救うべきだ、最高の医療を全ての国民に施す。

日本がそういう社会だとしよう

で、だ、どこぞの野党

臓器移植医療の分配性が悪い、リソース効率が悪い、辞めるべきだ」

発言したとする

国民は大反発するだろう、「国民を殺すのか」「救える命を見殺しにするのか」ってね

 

しかし今現在日本医療リソース最適化を図り臓器移植をそれほど行っていない。

不思議もの

国民からもっと臓器移植を推進しろ」「国民を殺している」「救える命を救っていない」とはそれほど大きな声にはなってない。

変化を起こして進むのと、既にあるものを後退させるのとでは人々の捉え方が変わる

 

端的に言えば過去自民党が票欲しさポピュリズムに乗っかり過剰医療を推進し医療制度が瓦解しかけている、当の自民党は巻き戻すつもりはない

野党が言わなくてどうする?

その一つのアイコンが終末期医療なのだ

こんなアホな事を皆保険国民全員にやっている国は日本しかない。

anond:20241013151815

自分感情他人押し付けている

母親葬式で「寂しいのは自分だ」と主張しているが、感情個人ごとに異なるものであり、義姉の悲しみを無視して自分感情を優先している。これでは、他人感情を一切尊重していないに等しい。自分が寂しいからといって、他人が同じように感じるべきだという考えは傲慢まりない。

義姉の行動を悪意として捉えすぎている

義姉の行動をすべて悪意的に解釈し、否定しているが、それには根拠がない。結婚式での号泣20歳誕生日プレゼントの件も、全て「わざとやっている」と思い込んでいるが、証拠もなく悪意を決めつけている。こうした思い込みは、冷静な判断を欠いており、客観性がまるでない。

兄との関係性における自己矛盾

兄を「頼りになる自慢の兄」と持ち上げておきながら、義姉と結婚してから「妻>>>妹」という状況に対して不満を抱く。これは、兄が結婚という人生ステージに進んだことに対する嫉妬だ。兄が成長した結果、自分がその影響を受けたことに不満を感じているだけであり、単なる自己中心的な態度に過ぎない。

年齢差による過剰な期待

義姉との年齢差を強調し、「気を遣うべき」と考えているが、そんなものはただの幻想だ。年齢差を理由に義姉が特定の行動を取るべきだという考えは、現実からかけ離れている。人は年齢に関係くそれぞれの価値観や行動原則に従って生きている。13歳差があるからといって、何か特別配慮を期待するのは幼稚だ。

「仲良くしたい」との矛盾

「仲良くしたい」と言いながらも、義姉に対して非常に否定的な感情を抱いており、実際には歩み寄る気は全くない。口先だけで「仲良くしたい」と言う一方で、心の中では義姉を拒絶している。こんな矛盾した姿勢では、問題解決するはずがない。

メンヘラと縁を切る方法

※この日記では「やたらと特定人間に執着し、その人が他の人と2人で遊んでいるのが許せなくておかしくなってしまった人」などのことを便宜上"メンヘラ"と呼称している。

この日記は、現在進行系でメンヘラに付きまとわれていて縁を切りたい人向けに、本当に自分が行ったことを経験談として書いている。先に言っておくと、私がはじめに「こいつとは縁を切ろう」と考えてから1年以上かかっている。今もTwitterアカウントブロックなどはできていないため、本当に縁を切れているかというと微妙である

一応順を追って説明していくため、手っ取り早く方法だけ読みたい方は見出しを見て読み飛ばしてほしい。


〇状況:メンヘラAについて

Aと私はインターネット上でTRPGをする仲だった。わからない人向けに言えば、「通話しながら自分たちのキャラクター操作して遊ぶ」ということだ。この遊びにはもちろん、Aと私以外にたくさん共通の友人が関わっている。

まだ縁を切ろうと思っていなかった時、私の方からたくさん「一緒に遊ぼう」と誘ってしまい、今でも(放置されているものの)約束として残っているものがいくつかある。

そんな中、私がどうやって縁を切ったか説明する。


〇まずは:自分精神を守る方法

メンヘラと接しているうち、自身精神を病んでいくことがある。特にメンヘラ依存されるような人間共感性が高く、人を思いやれるような人間のためそういう事象に陥りやすい。(思ったことを書いたのだが、これだと"私は良い人です"と自慢しているようなものだ。実際そうなのだが)

敵を排除するのも大切だが、まずは自分を大切にしてほしい。

相談する

第一として、メンヘラ相手をひとりでしてはいけない。ひとりであれこれ考えていると、段々「考えすぎかも」「悪いのは自分なのかも」と思うようになる。友人に話すには重すぎる話題に感じてしまった私が相談相手として選んだのは、母親だ。

母親は一貫して「そいつヤバい」「縁を切りなさい」「連絡を取るな」と主張してくれた。この言葉が無ければ、私はきっと今も嫌々ながら関係を続けていたと思う。相談相手には意思がはっきりしている人間を選ぶと良い。

相手アカウントを見ない

自分相手になんと言われているか悪口を言われていないかと気になってしょうがないと思うが、頑張って我慢しよう。

例えば相手が「貴方はこんなに酷いことをした」というような書き込みをしていれば、当然貴方はショックを受けるだろう。

SNSなんか見なくても死なないか大丈夫だ。

相手が見つけられないようなアカウントを作り、愚痴

実際私が行ったのは「今まで使ったことのないプラットフォームアカウントを作る」ことだ。MisskeyやBluesky、タイッツーでもいい。IDも今まで使ったことのないような言葉で作る。

そこで、今までの人間関係を全てリセットする。フォローフォロワー0人の状態で、メンヘラ被害愚痴を書き込む。良くないことかもしれないが、私はこれで大層気が楽になった。

他のやり方なら、鍵垢でも捨て垢でもいいし、紙に書き殴ってそれをビリビリに破いて捨てるでもいい。私は他人に見られる状態悪口を言うのが一番スッキリした。(それが目に入った人には申し訳ないが)

相談相手愚痴れるならそれでもいい。文字を打つのと書くのと、口に出すことではまた感覚が違う。もちろんそれが苦手な人もいるだろうから自身にあったストレス発散をしよう。

〇本題:メンヘラと縁を切る方法

自分から連絡を取らない、返信しない

当然だと思うかもしれないが、まずは当然のことから始める。今まで友人として接していた人間アカウントを突然ブロックするのは難しい。だからこそ私は1年以上かかった。

相手の方から連絡が来た場合は当然無視する。既読もつけない方が良い。何を言っているか気になるかもしれないが、前述した通り気にしてはいけない。見て良いことなんかひとつもないのだ。

無視ハードルが高い、もしくはどうしても返信しなくてはならない場合は、即返信をやめるところから始めよう。最初は数時間、そのうち数日放置し、「トイレ行ってた」とか「気付かなかった」とか言っていればいい。とにかく、"自分はもう貴方相手をしてくれませんよ"とアピールすることが大事だ。

もしこれで別の友人の方が反応が良いとわかれば、標的がそちらに向く可能性がある。よくないことに見えるかもしれないが、自分が助かればそれでいい。私はそう信じ込んだ。

ちなみに、結局Aが依存相手を変えたかは知らない。もう関係の無い相手なのだから当然だが、情報として記せないことは申し訳ない。

最後に、いわゆる「作業通話」へ行くのも控えた方がいい。別の友人と喋る予定でも、貴方ボイスチャットにいることにメンヘラが気付けば、乱入してくる可能性がある。そうなると今後の予定を取り付けられたりして大変だ。辛いかもしれないが、メンヘラ共通の友人との公開通話は控えよう。

逆に言えば、メンヘラの知らない人、知り得ない場所での通話大丈夫だ。

②信頼できる友人に説明する

私の場合TRPGという他人も関わる遊びをしていた。だからこそ自分の一存で「やめます」というのは難しい。

まずは「諸事情でAとは距離を取っている」というような連絡をしよう。ここでは「あいつはメンヘラで、今までこんなことがあった」とかそんなことまで書かなくていい。大抵の人間は"諸事情"と聞けば納得してくれる。あとから共有する勇気が出れば、また話せばいい。

私は「今すぐに予定を取り消すという連絡をするのは難しいから、とりあえずこのまま予定の話を進めないでほしい」と個人的にお願いした。メンヘラ自身にはしばらく忙しいから日程は決められないとか、そういう理由いくらでも誤魔化せる。例えメンヘラが「本当か?避けているのでは?」と思っていたとしてもそれでいい。避けているのだし。

相手とのアカウントの繋がりを減らす/連絡を取れないようにする

これを完全にこなすのは難しいので、できる限りでいい。詳細は後述する。

例として私は、まずスマホアプリSwitchなどのフレンドを解除・ブロックしていった。段階として、「しばらくログインしてないな」というようなものから始めるといい。

ここでの注意点として、できるならSNS投稿したフレンドになれる書き込み(IDの貼り付けや、QRコードなど)を削除しておくこと。また、ゲームアカウントIDを変えたりもしたほうがいい。こちからフレンドを解除しても、相手の方から申請される可能性があるからだ。そういったところまで潰しておくと、自身も「ここまでやれば大丈夫だろう」という安心感が持てるので良い。

私の場合、このあたりまで来るとほとんど関係を断てていた(相手から連絡が来なくなった)ため、Discordアカウントブロックしても問題無いと感じられている。このあたりは完全に人によるから相談できる人がいるなら相談しながらやるといい。

④遊ぶ約束を無くす

これが一番難しい。

まず、私は「縁を切ろう」と決めてからもAと何回か遊んでいた。関係の無い第三者もいる中で、遊ぶ日付が決まっていたからだ。

TRPGという遊びには社会人も多い。有給を取ったり他の予定を諦めたりして、優先して私と遊ぶ約束を取り付けてくれている。

できるのなら、その約束を破ってもいい。だが私にはできなかった。

から、「今決まっているもの最後にする」と決めた。以降約束さえ取り付けなければ、少なくともこれからずっと遊ぶことはなくなる。「この日遊ぼうよ」と誘われても、「ごめん予定があって」などと言って断ればいい。

私にとっては、それが最後約束まで頑張る理由になった。ゴールが見えていれば人間、頑張れるものだ。

私は約束を果たすことで、約束を無くした。

実際、メンヘラ一般人擬態するのが上手い。だから私は数年間Aと遊んでいてなにも疑問に思わなかったし、傍から見ても誰も指摘しなかった。だからこそ、第三者を交えた遊びの場合普通にできがちだ。「なんだかんだ楽しかったな」と思える。

ここで勘違いしてはいけないのが、「ならこのまま友達でもいいか」なんてことは無いということ。今まで自分が被ったことを、感じた不快感を忘れてはいけない。

メンヘラは、一般人のフリが上手なだけだ。


〇注意・問題

私の話はあくまでも一例である。もちろん全てのメンヘラ被害者がこれで助かるわけではないだろう。

私が、今のところ懸念している点をあげる。

・X(旧Twitter)での関係

メンヘラと縁を切る方法』と題しておきながら、冒頭で「本当に縁を切れるかというと微妙」と言ったのはこれが原因である

Xにはブロック機能があるが、アカウントなどいくらでも作れる。鍵垢にしない限り、本当にメンヘラの目を逃れることはほぼ不可能と言っていいだろう。

私は「みんな私のツイートRTしたいだろうしな」と思って鍵をかけていないアカウントがある。見られていても、それはもう仕方ないと諦めている。

鍵垢にせずメンヘラから逃げるなら、「新しいアカウントを作る」しか無いだろう。しかし、これも完璧とは言い難い。大抵の場合、前まで関係のあった人達とは変わらず友人でいたいはずだ。となると、フォローフォロワーは以前のアカウントと大して変わらなくなる。IDを変えアカウント名を変えても、メンツでバレる可能性がある。

また、貴方が絵を描く人間だった場合、高確率で絵柄でバレる。例えば貴方イラストでバズったとしたら、絶対メンヘラに気付かれる。もう、そうなる。

まり、Xで完全にメンヘラの目から逃れるには、「人間関係を捨てて完全に新しいアカウントを作る」か、「全て鍵垢にする」しか無いと考えられる。

私はそれを諦めた。

メンヘラに行動力があった場合

私が縁を切ったメンヘラAは、学生時代からの付き合いである。お互いに家を知っているし、電話番号本名も知っている。つまり、アイツは来ようと思えばいつでもうちに来れるのだ。

私はそれがいつまでも怖い。同じ状況の人がいるなら、引っ越すしかないだろう。

そして、これは私の友人から聞いた話だが"自殺未遂"をするメンヘラがいる。

リストカットなどの自傷行為は恐らくメンヘラたちにとって日常茶飯事だが、「貴方が構ってくれないなら、私は今から死にますよ」と脅すような奴がいるのだ。

この場合はまず、第三者に連絡すべきだと思う。例えばそのメンヘラ家族などだが、大抵私たちインターネット上での関係にすぎない。相手がどこに住んでいるのか、本名もなにも知らない場合があるだろう。

私には経験が無いので今調べたが、出来ることは110番通報しか無いように思う。

万一相手が本当に自殺したとしても、貴方に罪は無い。しかし罪の意識は確実に生まれしまう。そうなったら貴方被害者だ。できる限り未然に防ぎたい。

行うべきは措置入院だが、恐らく現実的ではないだろう。本当に警察に連絡しただけでメンヘラ入院できるとは思えない。

結論として、私が提示できる解決策は無い。誰か相談できる人がいれば、その人に相談してみてほしい。投げやりで申し訳ない。


それから:今の私とA

実際に縁を切った場合どうなるかの説明をする。

まず、会話をしなくなった。私の方から避けているし、相手からも連絡が来なくなった。そもそも連絡手段を減らしているし、連絡が来ても断るか無視する。

実は縁を切って数カ月後に「遊ぼうよ」と連絡を受けたが、もちろん断っている。これからも断り続けることが、自分相手のためになるのだ。

そして、Aは私と繋がっていたXアカウントを消去、あるいは使用しなくなった。それが私と縁を切ったからかはわからないが、少なくともそこから連絡が来ることは無い。しかし、捨て垢IDメンションとかすればAはいつでも私とコンタクトを取れる。だから、完全に縁を切ったとは言えないのだ。

私はというと、すっかり元気になったというわけではなく、今でも定期的に悪夢を見る。具体的には「誤ってAとの約束を取り付けてしまった」とか「Aと通話してしまった」とか、そういう夢だ。それでも、全くAのことを考えずに済む時間は圧倒的に増えた。メンヘラのことで悩んでいた時期とは1年以上かけておさらばしたのだ。


最後

これを読んでいる、実際にメンヘラ被害にあっている人に向けて綴る。

私は自分でも「縁を切るために頑張った」と思っている。自分のことを被害者だと思っているが、それでも自分が頑張らなくてはならないのは、「暴漢に襲われたら逃げよう」とか、そういうことだ。

なんで私がこんなに気を使って人に連絡しなきゃいけないんだと、何度も思った。でも仕方ない。自分の身は自分で守るしかない。

メンヘラと言うが、実際は病気なのである病院を頼れよと思うが、人間への依存を解消させるのは難しい。だからこそ互いに頑張らなくてはならない。私が健康であるために、Aが私無しで生きられるように。

メンヘラと付き合うのが疲れたから縁を切ろうと思うのは、全く悪いことではない。メンヘラなしで人と遊ぶことは、貴方にある当然の権利だ。

人との関係はいだって断っていいし、いつだって戻していい。

少なくとも私は、今後10年Aと関わるつもりはない。

anond:20241013065834

まとめ

  1. ベジファースト食事摂取基準から削除された理由は「栄養摂取に関連するものではないことから」だと、検討資料にはっきり明示してある。よって筋肉博士医師の主張は誤り。そもそも論として、法が定める食事摂取基準目的栄養素の基準値を定めることであるから野菜先食べは範囲外の論点であった。
  2. 範囲とはいえ一度は含めたものを削除した背景には、食事摂取基準がどんどん肥大化しているので、書き手側は編纂人材の不足で悲鳴をあげているし、読み手もついていくのが大変という課題が生じていたから。
  3. この課題解決すべく 、他の診療ガイドラインとの連携強化という形で、互いのガイドライン責任領域明確化が行われたようだ。野菜先食べは糖尿病対策メソッドなので、糖尿病診療ガイドラインに書くのが妥当ということになったのだろう。
  4. しかし、野菜先食べは糖尿病診療ガイドライン改訂でも削除されている。これは理由がはっきりしない。筋肉博士医師の言うとおり、「エビデンス不足がようやく露呈したから」かもしれない。
  5. だが、さら不可思議なのは改訂された新ガイドラインについての一般向け解説記事で、糖尿病診療ガイドライン策定委員が、野菜先食べの案内をしていることだ。これ見るに、「野菜先食べなんて意味いから削除した」という線はズレてそうに見える。
  6. ここで手がかりになるのは、糖尿病診療ガイドライン改訂方針として、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」への準拠度を上げること、ここに力が注がれているように見えることだ。
  7. 野菜先食べに関する記述は、改定前でも単独では立項されていない。旧版ガイドラインでは「食事の摂り方」というテーマで括って立項することで、野菜先食べを含む3つの異なる論点が一緒にされている。しかし、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に準拠するには、これらはきちんと分割し、一つ一つ立項する必要がある。
  8. 糖尿病診療ガイドラインからの削除の理由に関する増田説は、「野菜先食べ単独だけで立項するにはバリューが足らないと判断されたのでは? 臨床課題であっても重要臨床課題ではないということで不採用になったのでは?」というものである
  9. 野菜先食べに関する個人的意見としては、「食事の楽しみを損なわない範囲で、炭水化物系を食べるのを後回しにするのは、それなりに有望な心がけだろう」

ベジファースト食事摂取基準から削除されたのは「エビデンス不足がようやく露呈」したからではない

まとめ

から読み返したら、自分文章かなり読みづらかったので、

https://anond.hatelabo.jp/20241013084419

に要点をまとめておきました(文字数制限に引っかかったので分割)。

本文

厚労省より昨日公表された日本人食事摂取基準2025年版)について、ある糖尿病専門医解説ツイートが一時のトレンドになるレベルでバズっていた。

Xユーザー筋肉博士💪Takafumi Osakaさん:

日本人食事摂取基準2020→2025で食べる順番(ベジファースト/カーボラスト)が削除されておる!!!!!


やっぱりエビデンス不足がようやく露呈してきたか。。。

https://x.com/muscle_penguin_/status/1844746672544547147

はてなブックマークでもこの件に関するTogetterまとめについてそこそこブクマがついて、ホットエントリーに上昇している。

[B! 健康] 「今まで頑張ってお野菜から食べてたのに...」炭水化物より先に野菜などを食べることで食後の血糖値を抑制するという食べ方が厚労省『日本人の食事摂取基準』から削除される

しかし、筋肉博士医師の主張は真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリードである

食事摂取基準は国の作るガイドラインであるから改訂方針やら策定検討会議事録やらは誰でも読める形で公開されている。

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定検討会|厚生労働省

私は医師でも医療関係者でも栄養士でもないが、証拠があるので安心して医師の誤りを指摘できるというわけだ。

ベジファースト食事摂取基準から削除された本当の理由

実のところ、ベジファースト食事摂取基準から削除されたというのは正確な表現ではない。

2020年度版では、ベジファーストについて一文取り上げていた「食事摂取パターン (eating pattern)とシフトワーカー」という節が糖尿病対策の章からまるごと削除されたのである

節が削除された理由検討会の資料にはっきりと書いてある。

栄養摂取に関連するものではないことから、章立てとして削除。

https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/001177715.pdf

食事摂取基準策定根拠健康増進法である。法に定められた食事摂取基準の取り扱う事項は以下の通り。

1. 国民がその健康の保持増進を図る上で摂取することが望ましい熱量に関する事項

2. 国民がその健康の保持増進を図る上で摂取することが望ましい次に掲げる栄養素の量に関する事項

栄養素というのは、もちろんたんぱく質とかビタミンとかミネラルかのことを指すので、野菜の食べ順なるものOut of Scopeなのだ。だから削除されたそれだけである

真偽の話でいうならば、これで筋肉博士医師への論破完了だ。ただこれだけで話を終えるのはおもしろくないので、もう少し深い背景を見てみよう。

食事摂取基準が抱える問題点

「人に栄養指導するプロならば、ただ基準値を参照するのではなく、策定根拠である本文を読んでくれ。基準値は妥協産物でもあるのだからそれに縛られず、患者一人ひとりに合わせて柔軟に対応してくれ」

食事摂取基準策定する側の偉い先生は、「基準値より本文だ!」という想いをよく語っておられます

なんでそんなこと言わなきゃいけないのかというと、ぜんぜん読んでなさそうなプロ栄養士がそこそこいる現実があるからですわ。

でも、それもある程度は仕方ない。2020年版で494ページですからね。鈍器本のページ数です。忙しい栄養士が横着して基準値だけ見る、そして基準値が独り歩きしだす。偉い先生はこれがホント嫌なわけです。

しかエビデンスというのは毎年増えていくわけで、理屈で言えば毎改訂ごとにページ数は増加します。今でさえガイドラインを読むのは大変なのに、これ以上!となるのは大変ですよね。

そして読む人が大変なら、作る人はもっともっと大変です。食事摂取基準2020年度版には以下の記述があります

食事摂取基準が参照すべき該当分野の研究論文数は、増加の一途をたどっている。5年に一度の策定では、策定作業に十分な時間を費やすことが難しく、作業負担も大きいため、策定体制の強化や策定プロセスの効率化に向けた方策を講じなければ、将来の食事摂取基準策定に支障をきたすおそれがある

実際、2025年度の検討資料を読み込んでいると「人手不足でもはや持続困難だ」っていう研究者の悲鳴がかなり伝わってきます

そんなこんなで食事摂取基準をこれ以上肥大化させることは避けねばならないってのが2025年改訂問題意識の1つだったわけですわ。

解決策:診療ガイドライン策定者との連携情報交換の強化

日本では、政府の作る食事摂取基準以外にも、EBMエビデンスベースメディシン)に基づく多種多様診療ガイドライン存在します。これらは専門の学会が作っとるわけですが、ここにも「食事療法」という節はあるわけですね。

栄養素の基準策定と、食事療法。かなりカバー範囲が重なり合っています政府と学会、お互い独立に作っているものですから、似たような記述がお互いのガイドライン執筆されるという無駄が生じますさらに悪いことに、違う人が作っているわけだから食事摂取基準診療ガイドライン矛盾が生じるという事例もありました。当然、現場は混乱しますね。

食事摂取基準診療ガイドライン連携して、お互いの責任範囲排他な形で定めよう、縄張りを線引きしよう。そうすれば読み手負担書き手負担も軽くなる。そういうことになったんですね。

糖尿病診療ガイドライン2024年度版の改訂

偶然、糖尿病診療ガイドライン改訂作業は、食事摂取基準2025年度版と同時期に行われていました。糖尿病診療ガイドライン食事療法を2024年度版と2019年度版とで比較してみましょう。

2019年には13あったQ&Aが2024年には8に減っています

2019年にはあった、栄養素絡みのQ&Aが軒並み削除されています

理由はここまでの説明で明らかですね。食事摂取基準縄張り尊重したのです(正確に言えば、「総エネルギー摂取量」の記述はまだ問題が残っているのですが……)。

さて大いに脱線した話を戻しましょう。食事摂取基準糖尿病に関する記述から、ベジファーストから削除されたのはOut of Scope範囲であるためでした。となると、執筆責任糖尿病診療ガイドライン食事療法にあるはずです。

あれ? 2019年にはあったベジファーストが、2024年糖尿病診断ガイドラインでも消えてるぞ? なんでやねん

ベジファースト糖尿病診断ガイドラインから消えたのは、「エビデンス不足がようやく露呈」したからか?

最初筋肉博士医師ツイートは、「真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリード」と書きました。「好意的に読んでも」と書いたときに想定していたのは、「食事摂取基準」を「日本糖尿病ガイドライン」と読み替えれば仮説としてはありうるだろう、という意味でした。

しかし読み替えたとしても、「エビデンス不足がようやく露呈」というのはミスリード表現だと私は考えます

糖尿病診断ガイドライン食事摂取基準と違って、学会で作られているので改訂方針について外部の人間アクセスできる情報がありません。どういう意図情報が削除されたのかさっぱりわからないんですね。削除の理由をすぐに「エビデンス不足」に断定するのは証拠がありません。

しかも、糖尿病診断ガイドライン2024年版で検索すると出てくるニュース記事

を読むとですね、副題が「糖尿病の新診療ガイドラインに見る食事ポイント」で、解説者がガイドライン策定委員会所属する食事療法の専門家京大教授であるにも関わらず、新ガイドラインでは記述が削除されたはずのベジファースト/カーボンラストについて解説が行われているんですね。

内容は「世間で言われるベジファーストには誤解がある」というものですが、大雑把に言えば食べ順を考慮して食べることを推奨する解説で、2019年の旧ガイドライン準拠していると読めます。つまり「ベジファーストが誤りだったから削除された」わけではないことを示唆しています

ベジファースト糖尿病の新診療ガイドラインから削除された真の理由

じゃあなんで削除されたのか? 私は別の仮説を提示したいと思います。  

2019年ガイドライン2024年ガイドラインを交互にじっくり眺める見てください。

2024年版の方が、Q&Aの問いの文が相当洗練されているんですよね。

  1. 「総エネルギー摂取量をどのように定めるか?」 → 「糖尿病の血糖コントロールのためにエネルギー摂取量の制限を推奨すべきか?」
  2. 炭水化物摂取量が糖尿病管理に与える影響は?」→「 糖尿病の血糖コントロールのために炭水化物制限有効か?」
  3. 食物繊維摂取量は糖尿病管理にどう影響するか?」→「糖尿病の血糖コントロールのために食物繊維摂取有効か?」
  4. 甘味料の摂取量は糖尿病管理にどう影響するか?」→「糖尿病の血糖コントロールのために非栄養甘味料を使用すべきか?」

これらは2019年から2024年で変更された疑問文です。

診療ガイドラインというのは、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」という規範となる規格がありまして、Q&Aをどう書くべきかというのも死ぬほど細かく厳密に定められています

かい事抜きに、マニュアルにどういう要件が書かれているかということを超雑に述べると、まず問いは「臨床上生じる意思決定に関する疑問」でなければなりません、そして回答はガイドライン策定自身実施するシステマティックレビューに基づくものでなければなりません。

これ前提に2019年版の問いを見返してみると「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に明確に非準拠ですね。「〇〇はどう影響するか」系の問いはどう見ても意思決定に関わるものと言えません。

そんなわけで、2019年から2024年改訂方針には、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」への準拠度を高めるという意図があったと見て取れます

次に、2024年版で削除された、2019年版のベジファーストに関するQ&Aを見てみましょう。

食事の摂り方は糖尿病管理にどう影響するか?

これベジファーストだけに関するQ&Aではないんですよね。小ネタアラカルト的な回答で、複数問題をごちゃまぜにしているという印象を受けます

そんだけ2019年自由にやっていたというわけですが、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に準拠するかたちで、問いを書き直そうとするならば、問題を分割する必要があるでしょう。

試しに書き直してみると、こんな感じでしょうか。

  1. 糖尿病の血糖コントロールのために、Healthy Eating Indexの高い食事を推奨すべきか?
  2. 糖尿病の血糖コントロールのために、主食炭水化物最後に食べることを推奨すべきか?
  3. 糖尿病の血糖コントロールのために、規則正しい時間に3食を食べることを推奨すべきか?

ただ、2019年版のガイドラインでは、小ネタアラカルトとして立項のバリューを出したわけで、わざわざ3つに分割して3つとも立項するだけの意味があるかというのは難しい問題です。

「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」にもこう書かれています

日常診療において医療行為選択する意思決定の場面は数多くあるが, その全てについてシステマティックレビュー実施し, 推奨を作成するのは非常に多くの労力を要するため,現実的ではない。そのため,診療ガイドラインでは実臨床における問題に対する回答を導き出したいものを厳選して重要臨床課題として取り上げることが望まれる。

3つともに、「炭水化物制限の推奨」とか「食物繊維摂取の推奨」とかに比べれば、超小ネタですので、臨床課題であっても重要臨床課題ではない、というところで落とされたのでは?、などと私は想像しています

で、結局ベジファーストすべきなの?

書籍佐々木敏データ栄養学のすすめ』などでも解説されていますけど、野菜先食べを厳密に実行するべきとするエビデンスは、おそらくまだ存在していないと思われます

ただ、食事の楽しみを損なわない範囲で、炭水化物系を食べるのを後回しにするのは、それなりに有望な心がけと言ってもいいじゃないでしょうか。また野菜先食べである必要はなくて、たんぱく質先食べでもいいという論文もあります

参考: A Review of Recent Findings on Meal Sequence: An Attractive Dietary Approach to Prevention and Management of Type 2 Diabetes

2024-10-12

なんっっなんクソ同僚

自分解決出来ますみてぇなツラしてしゃしゃってくるんじゃねーーよ

こっちはオメーより在籍長いんだよ、オメーが分かることなら全部分かっとるわ マジ余計なお世話

あいつのせいでイライラしっぱなしで生産性ダダ下がる

視界から消えてほしい

次の異動でどっか行ってくれ

anond:20241012223727

ITシステム設計書が無い、若しくは当初の設計から更新されておらず設計書と実機は異なるというのも普通にある。

運用設計、実運用でも手順書なり作っていくがこれも最新化されていなかったり、非効率運用普通にある。

嘆いていても解決にはならないから、自分ならまずはシステム全体像を紙一枚に整理し直して、理解した上で

問題点(あるべき姿との乖離)と対策費用対効果(工数効率)をまとめていって、こんな改善しませんか!って

上司提案していけばいいんじゃないの。自分が全てをやる必要もないし、改善策を出せば聞いてくれるでしょうよ。

分断された世界ディスコミュニケーション

概要

現代コミュニケーション浅薄になりがちです。

他者を助けようとすることと

それが押しつけや決めつけと思われることについて考えています

この日記では、コミュニケーション限界共感の難しさについて考察していきます

また、心の安寧を保ちつつ、他者視点理解共存するためにできることを考えたい。

コミュニケーションについて

SNS日常会話の中で、感想や助言、事実提示

まれもしない意見アドバイスといった押しつけと受け取られることがあります

どのような環境で育ち、どのような情報を見て・聞いて・経験してきたかが違えば、人それぞれ最終的に至る考えも変わる。

オンライン上のコミュニケーションに関する研究では

お互いの一部しか見えない為に

他者経験の「完全な文脈を把握する」ことが難しいと考えられています

窮地にいる人に対し、安易言葉をかけづらいのはこの為です。

個人としてできることとは

「黙って見守る」ことがいいのか

「求められたときだけ支援する」のがいいのか…

●無関心について

困っている他人問題に介入しないという選択

一見すれば冷たい人のように思えるが、もしかすると過去の失敗の結果なのかもしれない。

行動心理学によれば

「関わりを控える人の多くは、判断対立を避けたり、さらなる危害を加えたりすることを避けるためにそうする」のだそう。

一方で、自己保身や嫌われたくないという理由であることも少なくないのかもしれない。

情報の取捨選択

受け取る情報自分で選ぶ(SNSであれば、ミュートする)ことができるのが当たり前の世の中で

助言や支援ノイズに感じることがあります

経学研究では

苦悩に陥った人々は前頭前野扁桃体機能が低下し、肯定的メッセージを受け入れづらくなると指摘されているそうです。

私自身、精神的に苦しい時期がありましたが

他者に助けを求めることは状況・気質的にできませんでした。

その為、救済ストーリーに触れる度に「綺麗事だ」と若干の嫌悪を感じてしまうこともあり、他者の助けや言葉を拒絶する人の気持ちも分かります

しかし、私たちが「理解しようとすること」をやめてしまうと

相手一方的に「頭がおかしい敵」と決めつけ、和解不可能となり

(良/悪、正解/不正解、優/劣)として分断することになります

これでは、誰も幸せになれないのではないでしょうか。

受け入れずとも、存在のもの否定をするということは

自分ひとりきりで生きている世界ではない為、解決にはつながりません。

対話と傾聴

どれだけ仲が良くても、すべてを話せばどこかで衝突すると思う。

(有名なのは野球政治宗教

そこで解決策としては

極力"傾聴する"ことが大事なのではないでしょうか?

紛争解決研究では、対話には積極的な傾聴が必要であり

相違点を尊重しながら関係を構築していくことが重要とされています

自分平和が保たれている間は、全ての問題解決しようとする必要はありません。

しかし、何もせずに黙っていれば、その平和がいつ崩れるかわからないし、何かが起こった場合でも受け入れる覚悟必要です。

利他主義であり続けることは理想論かもしれないし

人それぞれのキャパティがある為

自分のできる範囲他者を助けるだけで十分なのだと思います

互恵利他主義について

利己主義と、利他主義の他に、互恵利他主義(ごけいてきりたしゅぎ)という概念があります

利他行動の一形態

生物学者の「ロバート・トリヴァース」によって提唱された概念です。

動物が他の個体を助けることで、後に自分が困った時に助けてもらう可能性が高まる、という行動のことで

「お互い助け合うことで、みんなが利益を得られる」という考え方です。

完全な利他行動で与え続けるのみでは、自分が潰れてしまうかもしれませんが

無理なく互いに助け合うことで、みんなが幸福になるという理論です。

例えば現在支援を受けている立場であったとしても

長期的に見ると自分存在自体が社会改善につながるかもしれません。

短期ではなく、長期的な目線物事を考えるということが重要です。

他人事でも綺麗事でもなく、自分が苦しい状況に陥った時に、助けてもらえる社会であってほしいと思いませんか?

希望結論

最終的な結論としては

理解共存は、言葉で話すだけではなく、他者尊重する沈黙祈り)にもかかっている。

対立意見の違いを避けるのではなく、「違い」を尊重し合うことが、共存の為の第一なのだと思う。

2024.10.12

↓↓ カラパイア「人は自分と違う意見を持つ人たちの考えを自信たっぷりに誤解していることが判明」

https://karapaia.com/archives/456027.html

anond:20241012205630

ペニン原人たちがイケメンになれば全て解決するぞがんばれ

リスク選好」「冒険選好」という概念を広めたい

確信してるんだけど、あまり丁度いい言葉がないんだよね

その人が「どれだけリスクを好むか」という変数、確実にあると思う

 

例えば、次のような期待値が同じくじ引きがあったらどれをやるか?

A. 100%確率100万円がもらえるクジ

B. 10%の確率1000万円がもらえるクジ

C. 1%の確率で1億円がもらえるクジ

 

Aがリスク選好小、Cがリスク選好大

もっと言えば、リスク選好が大きい人は期待値が減ったとしてもリターンが大きい選択をする)

 

このリスク選好って大人なら誰しも「自分はこんくらい」っていうの分かってると思うんだけどどうなんだろう?

例えば、リスク選好が大きい人の特徴

チャレンジするのが好き

芸能界創作Youtuberなど、極一部の人しか成功しない仕事でもチャレンジする

ギャンブルが好き(やるかどうかは別で)

・夢見がち

会社を立ち上げたりする

犯罪を犯しがち

自分論理で動いている、協調性がない

・誰もやってない→チャンスと考える

 

リスク選好が小さい人の特徴(リスク回避な人)

・安定志向現実的

・確実なことが好き

公務員とかサラリーマンとかを好む(相対的独立するよりはいいと思っている)

チャレンジをしない

・真面目でルールを守る

貯金好き

価値観世間に合わせる

協調性がある

・誰もやってない→危険と考える

 

どっちが人として優れているかというのはない、どっちも必要なんだと思う

 

あと男女でリスク選好は明らかに異なってると思う

もちろん男がリスク選好大で、女がリスク選好小

から結果的会社創業者発明家前人未到なことをする人なんかは男ばっかりになる

代わりにルールを守ったり、今あるものアップデートしたりするのが得意な人に女が多くなる

 

たまに、この発想があるだけで解決する疑問を抱いてる人が居てモヤモヤする

 

蛇足だけど、自分リスク選好が大きい方だと自覚している

フリーランスになったとき、皆も同じようになるんだろうなと思って調べたら、同業者でさえたった10しか居なくて驚いた

かといって小説家になろうとも思わないし、前人未到の山に登ろうとか、バックパッカーの旅に出ようとかは思わないから、彼らほどではないなという感じもしている

大抵リスク選好小から大をみると「こいつ馬鹿じゃねーか?」と思っちゃうんだよね、同時に嫉妬もするけど

しかにただのバカリスク選好大は見分けがつかない

例えば次のくじ引きのうち一つを選ぶとする

 

A. 100%確率100万円がもらえるクジ(期待値100万円)

B. 1%の確率1000万円がもらえるクジ(期待値10万円)

C. 0.01%の確率で1億円がもらえるクジ(期待値1万円)

お金に困ってない人は別の何かで読み替えてほしい

 

これでCを選ぶのはバカだと思うけど、期待値を分かった上で選んでるめっちゃリスク選好大なギャンブラーか、単に期待値計算できてないかがわからないんだよね

今は期待値がわかりやすいけど、世の中の事象、例えば独立するべきか否かとかは複雑すぎて読めないじゃん?

から一応いろいろ考えて選択はするんだけど、自分がただのバカなのかリスク選好が大きいのかわかんないことあるよね

犯罪者とかは大抵バカ寄りなんだけど

まあリスク選好が小さい人はそもそも選択から外すんだけどね、チャレンジ選択肢に入れてる時点でリスク選好は高い方

例えば「銀行強盗をするべきか否か」を検討してる時点でちょっとアレでしょ?俺は昔したことあるけどね、子供の頃、びっくりするくらい割に合わなくて現代社会の完成度の高さに感心した

 

あと面白いのが、リスク選好が大きい人は、自分でよく考えて自分ルールで生きてるから、小さい人を見下してるよね

「なんでYoutubeやらないの?儲かるのに」みたいなセリフ、真顔で言ってる人いるけどリスク選好が高いんだ

逆にリスク選好が小さい人は、リスク選好が大きい人を「考えなしのバカ」と見下してるよね

お互いがお互いをバカにしてるの面白い

 

そういえば「やらずに後悔するより、やって後悔するほうがいい」みたいなセリフ受け入れられがちだけど、これ賛成できる人実は少数派なのではと思う

漫画家は賛成だろうけどさ

アンチ村上春樹による「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」のレビュー

アンチ村上春樹です。

万が一傑作である可能性に賭けて一応読みましたが、そのギャンブルは失敗に終わりました。よくこんな話を恥ずかしげもなく世に出せたものだ、というのが率直な感想です。

以下ネタバレあり】

あらすじは「高校時代にできた男3女2の仲良しグループからあるとき絶縁された男がずっと鬱々と暮らしていたが、36歳になってやっと気が合うセフレめぐり逢い、昔のトラウマ解決するよう言われ渋々腰を上げたと思ったら全員にノーアポで会いに行き近況と当時の真相を聞いてまわる話」。

電話メールFacebookであらかじめ連絡を取れや何を眠たいことやってんねん阿呆か、と思うタイプの人にはこの小話はまったく向いていません。

鬱々とした心情描写が延々と続き、全然ストーリーが進まないため5ページ読み進めるごとに強烈な眠気との戦いに都度勝利する必要があります

以下、特に気に食わなかったことを記します。

"ディジタルウォッチ"

のような英語ネイティブかぶれの呼称

"「こんな時間に本当に申し訳ないと思う」

「こんな時間って、いったいどんな時間?」

「午前四時前だよ」

やれやれ、そんな時間が実際にあったことすら知らなかったな」"

といった気が利いてる風の間抜けな会話

"「フィンランドにいったい何があるんだ?」と上司は尋ねた。

シベリウスアキ・カウリスマキ映画マリメッコノキアムーミン」とつくるは思いついたことを並べた。"

この、「俗物の非インテリである貴様には知りもしない文化的なことがフィンランドにはこんなにあるし、それを当然俺は知っているし、さらもっと深遠な目的が俺にはあるのだが貴様には到底理解できんだろう」という衒学趣味の受け答え

悩み事があるからと、それが無上の理由であるかのように罪悪感の描写もなく自分で注文した料理をしゃあしゃあと残す思い上がり

…全編このような愚にもつかない内容で構成されておりいちいち上げつらうと宇治十帖よりも長くなってしまうのでこのあたりで切り上げるとして、根本的に気に入らないのは、自分の力で人生を切り開く気概主人公に無いことです。

改めてネタバレを含めてストーリーかいつまんで言うと以下の通りになるわけです。

1.仲良しグループ(男3女2)からハブられたか死にたい

2.でもなんとなく死ねなかった

3.孤独ぶってたら妙に男の後輩Zに懐かれ仲良くなるがある日急に去られて寂しい

4.幸運にも向こうからグイグイくるセフレXができて人生がマシになった

5.セフレXに「昔のトラウマにきちんとケリをつけてから改めて私との関係を構築せよ」と言われ旧友たちの連絡先を取りまとめて渡されて初めてやっと重い腰を上げる

6.「そうした方がいいと思った」という曖昧理由によりノーアポで旧友男A.男Bを尋ねてまわるが、かつて若々しい夢にあふれていた彼らも今やくだらない仕事をしており無常を感じる

7.なんとなくの想い人だった旧友女Cが主人公レイプされたと虚言を吹聴していたことが主人公が絶縁された理由であったことを知る

8.その旧友女Cは何者かに殺害されもうこの世に居ないことを知る

9.旧友を訪ねてまわる最中セフレXが別の男と心底楽しそうに街を歩いてるのを見かける

10.主人公のことをなんとなく好きだった旧友女D(人妻)にフィンランドまで出掛けて行って会い、改めて事件の内幕を聞き、さらに昔は好きだった的なことを言われて恥ずかしげもなくハグしてエモい気持ちになる

11.過去の話に一応ケリがついたので改めてセフレXが寝盗られてたことを思い出し「とくに理由はないけどほかに好きな人がいるんじゃない?」という声の震え丸出しクソダサ詰問を朝四時に電話で仕掛けるも「いやお前、いま早朝だし後日な」ともっともな事を言われて訳知り顔で引き下がる

12.特にオチはなく以上

ね?わかるでしょ?

IQが3ポイント以上ある人ならどなたでもお分かりだと思いますがこの本、最初から最後までクソダサ男のヘナヘナ日記帳しかありません。この本を読んで得られる人生真実は何一つありませんし、後に残る感想といえば「だから何?」に尽きるというものです。この文章を参考にして青春時代を過ごそうという若者が居たら絶対に制止したほうがよろしい。この主人公のような受け身精神性では、貴重な若い日々を無駄にすること請け合いからです。友達に絶交されて酒飲んで寝て起きてなんとなく暮らしてたらワンルームマンションと都合のいいセックスフレンド(EDでもまったく気にせず優しくヨシヨシしてくれる)が手に入っていた、なんてことは通常起こりません。「押し入れから巨乳美少女が出てこねえかなあ…」というニート妄想レベルが同じです。かかる程度の低い思考回路をさも深遠高尚であるかのような描写に仕立てて凡人の無能さ・非積極性肯定し甘やかすことは若者を含めたほとんどの人間に対し悪影響であり、社会経済上、および文化芸術の発展からして害悪であると言わざるを得ません。

以上の理由により本来は星0つですが、言論出版の自由、また「くだらない内容であるにも関わらずレビューは高評価である」という事実から導き出される「人間雰囲気物事判断している」という気付きを与えてくれたことに敬意を表して星1つです。

しか最後になりますが作者の翻訳したほかの作品群は本当に素晴らしい。それらを見るに作者は読解力と文章力は抜きん出た人物であると見受けられます。したがって、本当は彼には物事真実を見抜くセンスがあるはずです。いつの日かこのような茶番自己承認と小銭を稼ぐのをやめ、今の自分の軛を脱し、人生真実を描き出す傑作を上梓してくれることを願ってやみません。

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