はてなキーワード: 文学とは
https://read.amazon.com/kp/kshare?asin=B08W4YTZ8P
って本で、以下のようなことが書かれてたよ。
上の、文化を守るためって流れに沿うものだと思う。私としては割と賛同している。ちなみに、各抜粋の順番は、本の順番から入れ替えてます。
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抜粋:…すべての国民に、英語を読む能力の最初のとっかかりは与える。…「もっと英語を」という強迫観念にかられざるをえない時代…だからこそ…必修科目としての英語は、「ここまで」という線をはっきり打ち立てる。…〈国語〉こそ可能な限り格差をなくすべきなのである。
抜粋:日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである。 …「出版語」が確立されたときの文章だから…漱石がいう「曲折」から生まれた文学だからである。…日本近代文学を読む習慣さえつければ、近代以 前の日本語へさえも朧気に通じる。
抜粋:教育の理想を…国民全員を〈書く主体〉 にしようとした…ところが…〈読まれるべき言葉〉がどのような言葉であるかは時代によって異なるであろうが、それにもかかわらず、どの時代にも、引きつがれて読まれるべき言葉がある。 そして、それを読みつぐのが文化なのである
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https://togetter.com/li/2323531
これのブコメのダイジェストみて思ったけど、そんなボコボコに言われるん?って思ったわ
まぁたしかに元の内容についてはテストの答えとしてどうなんってツッコミがあるのはわかるけど、でもAIとか発達していく未来で役に立つ立たないを追求したとするやん?
そしたらもうコンピューターに合理的な判断やらせるのが一番になっちゃうわけやん。正解をもとめるなら。
でも私等人間はコンピューターではないわけで、個人として感じることがあるわけで、
エモというかセンスというか感覚的な部分が人間として残っていくわけで、
そこに人間というか、もっと狭めて言うと自分としてはどう感じるかって話になって、
その感覚を感じることが文化になり流行になり振り返って見たときに人生の根源じゃないかなと思ったんですよ。
だからロジックじゃないところで感じたことをどう表現するかってとこに個性があってそれが自分を構築する要素になるってところを大事にしたいなって思いました。
まずSNSで投稿されてるイラストの多くは消耗品や製品ではなくそこに展示されている作品みたいなもんだから、消耗品や情報サービスなんかと比較するのは少々ナンセンスな気がするけど…
それまでの技術より格段に良くなった、出来ないことが出来るようになった、とかならまだ分かる。
でも実際そういう訳ではなくないか?
大方今までいた絵描きさんの劣化やパクリみたいなありきたりなものしかない訳で、それならちゃんと描いている方を評価しなよと思う。
イラストやアニメに親しんでいない人なら仕方ないと思う。私も手縫いの高い服とguの服ならguで良い。
でも今まで散々イラストだアニメだを見てきた「オタク」が生成AIで良いと言うのは違うでしょうよ。
食通が手軽で上手いからとカップ麺ばっか食べてたらおかしいでしょ。
海外文学好きが翻訳なんて機械で良いとか言ってたら同じくどうかと思うし、服飾系に強い人が全部ミシンで良いとか言っていたらちょっと引く。
百科事典で井原西鶴の作品の解決を見ると、封建制に対する人間性の回復を主張した文学だみたいにもっともらしく書いてあるけどさ。
封建制はともかく「人間性の回復」だから文学っていうならフランス書院だってジュブナイルポルノ(ノクターンとか)だって別に文学でよくね?
ようはエロいこと書きゃ全部野生への回帰であり人間性の回復っていえるでしょ。そこにいえるとかいえないとかいうのは恣意的で、自分のひいきするジャンルの箔を上げたりするための策略としか思えない。
俺はむしろ自分が娯楽に読んでるエロの箔ををあげたいとか思ってなくて、そんなのは性欲ドリブンでしかないのわかってるわけで、むしろ今まで文学扱いされてるのに対して「そんな箔つける必要ある?」ともっと整理した方がいいんじゃないのかなと思える。
ひと、いやふた昔前の「思想家なる」学力的な意味での賢い人間やその言が偉く権威のある主張とされてた構造と近いものを感じるよ。勉強した人の言の「勉強した事実」だけで箔をつけるのやめてほしいわ。
これ面白くて、未来が自分の後ろ側にあった時代には矛盾がなかったんですよ
我々現代人は普通「未来が前、過去が後ろ」なのが当たり前だと思ってますが、昔は過去が前、未来が後ろにあったんです
全く日本独自のことではなく、古代ギリシャやソマリ語など世界の地域/言語であった/あることらしいですが https://t.co/3iG9Uaqgae pic.twitter.com/hkoAEAJjB0— 重藤小藤太 (@Kotouta_Sige1) February 18, 2024
この言説は正しいのだろうか。この場合、過去に書かれた文学などにおいてどのような用法があったかを確認すればいいだろう。というわけで『源氏物語』から「先」が未来をあらわしている箇所を引用する。
わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ。
「私の治世もいつまで続くかわからないのだから、(光源氏が)臣下として朝廷の後見をすれば、この先も頼もしいだろうと考えて、さまざまな学問を習わせた」といったところだろうか。この「行く先」は未来を指している。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。
「その中で、十歳くらいに見えて、白い衣に山吹襲の着慣れた上着で走ってくる女の子は、その他の多くの子供とは違って、将来が楽しみな可愛らしい容姿をしている」といったところだろうか。この「生ひ先」も未来を指している。
我が心ながら、かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに、かく、来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり
「自分のことながら、このような身の程知らずのあってはならない恋の報いとして、このように後にも先にも例になりそうなことが起きたのだろう」といったところだろうか。「来し方」は過去、「行く先」は未来、という時間の感覚がよく分かる。
一方で、もちろん「先」と書いて過去を指している箇所もある。
あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頚細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ
「おまえは知らないのだろう。(姉君と私は)その伊予の老人よりも先に会っていたのだ。けれど、(姉君は私のことを)頼りなく弱々しいと思って、あのどっしりとした男を夫として、このように(私を)馬鹿にしているらしい。とはいえ、おまえは私の子でいてくれよ。あの頼もしい人は老い先短いだろうから」といったところだろうか。この箇所には二つの「先」があるが、「先に見し」は過去、「行く先」は未来を指しているのが面白い。
このあたりを見るかぎり、単に「先」といえば「過去」あるいは順序的な「前」を指しているが、「行く先」のような言い方だと「未来」になるようだ。これは現代的な感覚としてもわかるのではないだろうか。「先に〜〜する」と「この先、〜〜する」の違いだ。
ではさらに遡って中国では「先」という漢字はどのように使われてきたのだろうか。
先(拼音:xiān)是汉语一级通用规范汉字(常用字) 。此字初文始见于商代甲骨文及商代金文,古字形从止(指脚)从人,人举足则前进,表示在前面的意思。 先的基本义是走在前面,引申为时间或空间的次序在先。引申用作名词,特指祖先,又指过世的,多指长辈。
先(拼音:xiān)は、中国語の一級通用規範漢字(常用字)です。この字は商代の甲骨文と商代の金文で初めて見られ、古い字形は「止」(足を指す)と「人」から成り立っています。人が足を上げると前進することから、先は前にあることを示しています。先の基本的な意味は先頭を歩くことであり、時間や空間の順序が先にあることを意味します。名詞としても使われ、特に祖先を指し、また亡くなった人々、特に長老を指すことが多いです。
意味などを調べてみたかぎり、どうも中国語では「先」が「未来」を表すことはなさそうだ。空間的な順序では「前方」側、時間的な順序では「過去」側、で統一されているらしい。このあたりは中国語に詳しい人の解説を求む。
原義が「先頭を歩く人」で、時間的には「過去」を表すというのは、どう考えればいいだろう。イメージとしては、人々が一列に並んでいて、自分はその真ん中あたりにいる。空間的には、列の先頭の人は、自分の前方にいる。しかし、時間的には、先頭の人が先に動き、自分はその後に付いていくことになる。先祖代々が一列に並んでいるところを想像すると、その「先頭」はいちばん古い人だと考えるのが自然だろう……ということではないか。
精選版 日本国語大辞典
先・前(読み)さき
日本語の「先」には「目的地」という意味がある。たとえば「出掛け先」だとか「勤務先」のような言い方である。そして先ほどの「行く先」はまさにこの用法だろう。つまり「先」という漢字から、まず「目的地」用法が生まれ、それから「目的の地点」を「時点」にするイメージで「未来」用法が生まれた、と考えるべきかもしれない。
まとめ。
1. 日本語では「先」が「過去」を意味したり「未来」を意味したりする
3. 中国語では今でも「先」といえば「過去」だけを意味するらしい
残りの課題。
もうまともに反論してやる気にもなれないから、代わりに君みたいなのもまともに相手してくれてるブコメ貼っとくわ…
よく読んどけ
「批評という表現」全般を規制したくてたまらない人たち。ゲーム雑誌が業界ヨイショの広告メディアから始まったため、『オタクとは評論を好まないものだ』というビジネス規範を内面化した末に、表現の幅を狭める
フェミニズム批評についてなにかまともな本なり読んだ事絶対無いだろこいつ(笑)トラバでは女向けコンテンツは規制対象にならないとか放言してるが、BL規制(有害図書指定)はどう整合するんだ?(しない)
「〜文学批評の中でも特にカスみたいな評論の分野」萌え絵とかいうイラストの中でも特にカスみたいな分野。こういうイラストがまかり通ってしまうと〜という話に聞く価値があると思う?
まあどうせ批評とはなにかという事も分からないバカがイキってるだけで内容無いんだろと思ったらホントにその通りでワロタ/↓尤もらしい事言ってもこの手の奴に内在批評する能力なんて欠片も無いんだよな
長生きした上に名前も残して、しかも自らが考案した看護師育成システムや病院運営、看護システムが現代にも形や技術は変わりつつ残ってるとか羨ましすぎる。
あと数百年は忘れられないだろ。
つまりそれだけ生きた証を残したってこと。
俺が育った町はイギリスと何も関係ない海沿いの片田舎だったけど、その近くにある看護学校にもナイチンゲールの像があった。
羨ましい…
羨ましい…
ああ、羨ましい…
対比して俺の人生は…
悔しい…
悲しい…
虚しい…
ああ!!!!!
はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!
日本学士院賞受賞
第〇〇代内閣総理大臣
第〇〇代合衆国大統領
〇年〜〇年の間、世界で一番の億万長者であった(Forbes)
こういう誰にも忘れられない、何かしらの記録に残るであろう称号が欲しい!!!!!!!
死んだらそこで終わり!!!!
俺「死が怖いです。どうすれば生きた証をこの世界に残して後悔しない人生を送れますか?」
馬鹿「旅行行って良い温泉入って良い焼肉食べなさい。幸せになれるから」
はぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????
いや、旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのが嫌なわけではないよ。
それが人類史に刻み込まれて、俺が死んでも俺の生の証がこの世から失われないってなら旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのだって十分幸福だと思う。
でも実際死ぬ前に俺が旅行行って温泉入って美味い焼肉食ってもこの世界の誰の心にも残らないじゃないか。
だから旅行と温泉と焼肉じゃどうやっても幸福にはなれないんだよ。
医師から冷徹に「あなたの状態だと平均余命は〇〇ヶ月ですね」って言われても「我が人生に一片の悔いなし!」ってその場で自害できるくらい満足できるにはどうすればいいかって聞いとんじゃボケ。
どうやったら「自分の生きた証」や「人生のモニュメント」を築けるかって聞いてんだよ。
集積回路発明、重力波観測、免疫チェックポイント阻害因子の発見に並ぶような功績をどうやってこの世に残すことができるかって聞いてんだよ。
俺は何人にも俺の人生を忘れて欲しくないんだ。
結局フォーカスゴールド2Bに挫折してMARCH法学部から地方公務員になった俺みたいな人間は病気になって死んだらすぐにこの世から忘れられてしまうのか?
もしもニュートンやアインシュタインや大隅良典先生のような能力と功績がが手に入って歴史に名前を刻めるなら、焼肉も旅行も温泉も含めこの世のありとあらゆる娯楽や享楽や快楽を一生禁止されたって構わない。
この世に生きた証が欲しい。
確かに今の職場で仕事を頑張って区長や局長、さらに進んで副市長になって、定年後は外郭団体の理事や代表になることができれば葬式には沢山の人が来てくれるだろう。
婚活して結婚して子供を持てば子孫は受け継がれるし子育てに間違いがなければ子供や孫が墓参りにも来てくれるかもしれない。
でもそれじゃダメなんだ。
途中で俺がこの世で何よりも恐れる癌になったら?
行政官として名前を残したり孫の顔を見るなど「一般的な幸せ」を手に入れるには時間がかかり過ぎるし癌というはずれくじを引かずに長生きする必要がある。
途中で死んだら何も残すことができないままこの世から消えてしまう。
最後まで頑張れたって次の世紀には誰にも覚えられていない。
そもそも、お前らはもう小松法制局長や香川財務事務次官のこと殆ど覚えてないだろ?
それじゃダメなんだ。
ニュートン、アインシュタイン、ガンジー、マロリー、ナイチンゲール、キング牧師…
彼らのような自分の生の証をこの世に残してモニュメントを築いて名前を残さなきゃ生まれた意味がないんだ…
郵便局を定年退職して一日中刑事ドラマ見て脳梗塞で死んで葬式には家族と友人と元同僚しか来てない父親のようになったら怖いんだ…
白血病でこの世で何も為さないまま大学時代に死んだ従兄のようになったら怖いんだ…
ああ…
怖い…
癌は怖い…
脳梗塞も怖い…
病気が怖い…
事故も怖い…
死が怖い…
いや、ただ単に死が怖いんじゃない…
「この世で何も為さないうちに訪れる死」が怖いんだ…
定年して刑事ドラマ見てたまにゴルフして誰にも知られず90歳で心不全も怖い…
ノイマンやマロリーのように世界に名を残してからなら逆に早死にも怖くない
忘れられたくない
消えたくない
なんでも、過去の名作ラノベを復刊させたり、ラノベ図書館?を作ったりする計画が進んでいるらしい。
まず第一弾として予定されてる作品は、蓬莱学園シリーズ。それから、ザンヤルマ、カイルロッドあたりも視野に入っているようだ。
いずれも現在は絶版で電書化もされておらず、読み直そうと思ってもそこそこ高い中古品を漁るしかないシリーズだ。そういう作品が容易に手に取れるようになり、かつ作者に利益が還元されるようになるのであれば、それは素直に喜ばしい。
特に、未完のシリーズである蓬莱学園は単なる復刊だけではなく、1巻が出たきりで中断されている「革命」の続きも上手くいけば出せるかもしれないそうなので、是非とも成功させてほしい。
ただ、この事業の立ち上げ人?だという人物の発言を見ていて、少し違和感を覚えるところがあった。
twitter.com/nakatsu_s/status/1759434045719560485
ライトノベルが「独自の文学ジャンル」として認められるか否か、みたいなのが関わってくるんでしょうね。売れ数とは違う価値判断基準がないと、文芸は単なる「商品」に堕してしまうので。ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります。
twitter.com/nakatsu_s/status/1759434645471690948
世界のあらゆるコンテンツには、「商品」の側面と「芸術作品」の側面があって、これがバランスが取れていると、大衆文化の寿命である半世紀を超え、文化として生き残っていく。ライトノベルは、やや商品(売れ部数、覇権とかのモノ言い)側面が強すぎるので、芸術的な評価を高めないと残っていかない。
辞書的な意味では当然ラノベも芸術であり文学だけど、ここで言われてるのはもっと日常的な用法としての、いわゆる「芸術」、いわゆる「文学」だと思われる。
うーん……
なんだろう。文化として残るためには芸術・文学でなくてはいけないと言われると、それは本末転倒ではないかと思ってしまう。小説は「文学」ではなくてはいけないという思い込みから自由だったからこそ、ラノベは読者に支持されたのではないか。
こういう姿勢で、たとえば(「芸術」「文学」に位置付けるのは極めて難しそうな)あかほりさとる作品なんかを残すべき文化に含めることができるのだろうか?
(検索してみたところ、あのあかほり作品も現在はセイバーマリオネット以外電書化されてないっぽい。ショッギョムッジョ…)
NPOとして国会議員すら巻き込んで(本人のツイートにそう書いてた)活動していくためには必要な方便なのかもしれない。それでも、本当に主張すべきなのは、(いわゆる)芸術・文学ではなくても文化であるし残す価値がある、ということの方だと思う。
繰り返すが、復刊・図書館計画自体はたいへん意義のあることであり、応援していきたい。それだけに、できれば価値観的にはもう少しだけニュートラル寄りに修正してほしいな、と思う。
(追記)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749545057711008128/comment/otokinoki
「文化として残していく価値はあるの?」というのは、後代にならないとわからないので、まだ50年という若いジャンルでは全部残していくしか無いのよ。
うーん…
誰にとっても、現在の評価を問わず一律に「全部残していく」ことができるならもちろん理想的だが、そちらの発言(「ライトノベルにも「芸術品としての価値」を認められていく必要があります」とか「芸術的な評価を高めないと」とか)を見ていると、むしろその逆の思想のように見えて不安である、という話なんだが……
なんか余計に心配になってきた。
俺にとって村上春樹はなんだか面白い話をしてくれるおじさんだったんだよ。
難しそうなブラームスだとかヤナーチェックみたいなクラシックとか、ボブ・ディランとかジャズとかを教えてくれたり、ゴダールみたいな聞いたことのないフランス映画について話してくれたり、戦時中からつながる日本政治の暗部についてノモンハン事件にからめて「ねじまき鳥クロニクル」で示唆してくれたり、知り合った女性と突然やたらとエロい経験をしたことを話してくれたりする、親戚の集まりにいる何してるかわかんないおじさんだったんだよ。
きれいな女性とバーで仲良くなってすぐに寝ちゃったり、ホイホイとセックスに誘われたり、野外でフェラされたり、そんなことが本当にあるはずがないってわかってたけど、高校生がそれくらい空想したっていいじゃないか。「ノルウェイの森」みたいに幼馴染がいて日常的にセックスしまくるという空想に悶々とする年ごろだよ。
「海辺のカフカ」でおねショタに目覚めたりして性癖も歪んじゃったよ。俺、「国境の南、太陽の西」みたいに先に裸にされる性癖まであるんだよ。
大学生になったら女の子とセックスできるんじゃないかって期待させてくれたし、セックスなんて大したことじゃなくてよくあることなんだって振りをするのに憧れたんだよ。でも俺は酒も飲めないし煙草のにおいで気持ち悪くなるんだよ。
大学時代はしょっちゅう歯噛みさせられる経験をしてきたんだよ。今でもときどき思い出して悔しくなるよ。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」みたく図書館の司書さんと仲良くなって当日セックスみたいなことはないよ、レイモンド・チャンドラーの読み過ぎだよ。
村上春樹が全レスするみたいなサイトで、モテない男の子にちょっと辛辣だった村上春樹を見て寂しかったよ。あんたの言っていることはわかるけどそれは恵まれてる側からの意見、上から目線だよなって思ったよ。いつもの他人の気持ちを慮るもののわかったような言い方はどこに行ったんだよって悲しくなったよ。
でもやっぱり俺の感性には影響を与えまくってるんだよ。
感性以外にも倫理観を形作ってるよ。村上春樹の小説で示された倫理基準に村上春樹自身が従っていないことだってあるし、早稲田に記念館が出来ちゃってすっかり体制側のおじさんになっちゃったけど、やっぱり面白かったんだよ村上春樹。俺の各文章のリズムに影響を与えているし、俺の読んだ本も見た映画もおじさんが教えてくれたものがいっぱいあるんだよ。
それに話し方が村上春樹っぽいって言われちまったことだってあるんだよ。
最近は小説よりも随筆や翻訳のほうが好きになっちゃったんだよ、なんでなんだよ。
なんだよ、わけがわかんないよ。
新刊を読みたいんだか読みたくないんだかわかんないよ。
俺にとって村上春樹は真面目な顔してセックスについて読める場所だったんだよ。真面目さしか取り柄が無かった俺なりの叛逆だったんだよ。だから体制側になってみんなから持ち上げられているのを見ると、逆張りしたくなるんだよ。