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はてなキーワード: 必然とは

2023-10-25

国民の多数を幸せにする自民党政治

所得税4万円減税のニュースを見て、あらたためて思った。

自民党というのは、最大多数の最大幸福を目指す政党なのだな、と。

具体的には有権者のうち6割の人の利害に基づいて行動する。

そして、残り4割は容赦なく切り捨てる。

所得税を年間4万円以上払っている正社員層に4万円減税して、年金暮らし住民税課税世帯には7万円配る。

社会保険料をたんまり手取りで引かれて苦しんでいる、所得税4万円未満の非正規雇用の者については、見なかったことにする。

非正規雇用貧乏人よりも、たくさん稼いでいる正社員優遇される税制というのは、めちゃくちゃだけど、国民の多数の利害を代表するとそうなるのも必然

で、自民党国民の6割に対して幸せをもたらす政治を行っているのだから小選挙区制では圧勝する。

4割のマイノリティ弱者いくら選挙に行ってもまあ無駄だよなあ。

でもこれが議会制民主主義本質なんだろう。

2023-10-22

anond:20231017005537

以前「これから出生率を上げるのはかなり厳しい」という文章を書いたことがあったので、この機会に乗じて投稿します。

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まずは、「何故少子化社会になってしまたか」の考察

まず原因の一つとして、「産業構造の変化」にあると思います

戦時中は全体の半数ほどあった第一次産業が、平成17年では5%、つまり10分の1ほどに減少しています

https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm

農家にとって子供を産むと言うことは明確な動機づけがありました。

それは、産んだ子供はいずれ「労働力」になるということです。

しかも、その労働力は、学力などの「投資」を行う必要がありません。

ですが、現在日本労働構成の多くを占めるサラリーマンにとってみれば、子供を産む動機づけ農家などよりは低いのは否めないかと思います

まり、昔の農村部の人にとって子供は「資産」であったものが、現代の人にとっては「投資対象」になってしまったということであるかと思います

また、そうして第一次産業が減少することで、人々が地元から離れ、都市部に移動します。そうすることで核家族が増えたのも、ひとつの要因かと思います

核家族になる前は、子育て祖父母、近所の親戚、近所の人たち等で負荷して、その負担分散させていましたが、核家族になってその負担が親に集中してしまった。そうなると以前のように多くの子供を育てるのは物理的に困難になるでしょう。

ちなみに、人間は閉経後の寿命が他の哺乳類に比べてかなり長く、「おばあさん」の存在があるのは人間だけだそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B0%E3%81%82%E3%81%95%E3%82%93%E4%BB%AE%E8%AA%AC

次の原因としてあげられるのは、「見合い結婚の減少」ではないかと思う。

https://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/gaiyou15html/NFS15G_html06.html#:~:text=%E8%A6%8B%E5%90%88%E3%81%84%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%AF%E5%85%A8%E4%BD%93%E3%81%AE,%E3%81%A8%E6%AF%94%E7%8E%87%E3%81%8C%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

お見合いが減少した理由として考えられるのは、若者農村部を出ることで、核家族が増え「ご近所付き合い」や「親戚付き合い」等が減少したこと価値観の変化で「自由恋愛」の価値観が向上したことなどがあるかと思われます

では、なぜ「見合いが減ったことで少子化になったか」の理由です。

恋愛結婚は、個人自由意志結婚できると言う側面がありますが、もう一方は「弱肉強食世界であると言う側面を持ちます

https://neputime.com/wp-content/uploads/2020/07/20200722_1.jpg

これはマッチングアプリの縮図を表したものですが、だいたい現実もこんなもんかと...

まり所謂非モテ」の人たちは、ある程度の妥協をしないと結婚することは結構難しくなっている。

しかし、「じゃあ妥協して結婚しよう!」と簡単にそうならないのが現実ではないかと思う。

テクノロジーや娯楽が発達した現在結婚せずとも有意義時間を過ごす方法はたくさんあります

独身貴族」と言う言葉があるように、むしろ結婚しない方が幸せに暮らせると言う考え方も一理あるでしょう。

以上のように、少子化になっていったのは、元は「第一次産業が減少したのがそもそもの始まり」と言えるかもしれません。

しかし、それも元を正せば、18世紀にヨーロッパで起こった産業革命起源と言えるでしょう。

まり少子化世界歴史の流れの中での必然出来事なのかもしれません。

実は少子化日本だけの事ではなく、世界的な傾向です。

それはいわゆる「途上国」でも起きています

https://president.jp/articles/-/49555

この記事によれば、原因のひとつとして「子供の死亡率の改善」を上げています

まり、「子供の死亡という不幸な出来事が減ってきたことが結果的少子化につながった」と言うことです。

幸福を追求した結果、少子化につながった」とは皮肉なことです。

以上、まとめるとこうなります

少子化世界歴史の流れの中での必然出来事

技術進歩や、娯楽の充実、個人尊重の流れが少子化を加速させた

②に関してですが、別に個人尊重否定しているわけではありません。

そもそも価値観絶対は無く、時代文化環境など様々な要因によって変わるということを言っておきたい。

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以上

多くの日本人の意識が「個人尊重より国の発展が大事!」みたいな「そういう空気」になったら少子化は止まる可能性はあると思うよ。よっぽどの事だと思うけど。

2023-10-21

ポロシャツ幼児に着せるのは理にかなってる

アラサー女だが

ポロシャツは胸がでていてウエストくびれがある女性が着こなすのは難しい服であるということがわかった

ゴルフとかテニスとかスポーツをしている場面ではポロシャツは正装だから女性が着てもシチュエーションにあっているのでにあうっちゃにあう

というか、医者看護師病院白衣着ているようなもんで、スポーツときポロシャツ着るのは似合うとかそういうはなしではない

それを着るのが必然って感じだ

ポロシャツ上半身が四角の男性から着こなせるものであって、土偶みたいな体型をしている女性には着こなしが難しい

幼稚園児、小学生制服に白いポロシャツ採用されてることがある

の子供は幼稚園制服が白ポロで、「なんで着こなすのが難しいポロシャツ子供制服採用されてるんだろう」と思ったが

幼児だと女の子はまだまったいらの胸、ウエストくびれてない寸胴体型だからポロシャツが似合うんだとわかった

ポロシャツブラウスに比べたらボタンの数も少ないし

幼児体型にはよくにあう

合理的

2023-10-19

anond:20231019115320

「なぜ焼け野原になったのか」を知ることかな。

大日本帝国軍は多くの情報操作デマの流布をしていたから、古典的な誤解も多い。

731部隊公式文書が見つかったのは、実は、今年のことなんだよね。


話し合いにも応じず、宣戦布告もなしに攻撃を仕掛け、民間人への虐殺レイプを繰り返し、国民は逆らわず、ただ「神の風が吹く我らの勝利必然である」と繰り返し言うだけ

アメリカは多くの戦争経験しているが、原爆を落としたのは後にも先にも日本だけであるベトナム戦争に至っては国民の反対で戦争をやめた。

戦争は確かに誰しもが過ちを犯す恐ろしいものだが、だからこそ為すべきことがある。

原爆は、暴力的で話し合いのできない野蛮軍を多くの民族犠牲の末にようやく止めた正義弾丸であるアメリカ正義をなしとげた!

日本以外の国から見た近代史ですよ。

2023-10-18

おっさんこそアイドリッシュセブンをやるべき

アイドリッシュセブン(アイナナ)を知って今日でちょうど100日経った。

我ながらもの凄いハマりようなので、心が荒んだおっさんにこそアイナナを薦めたい。

アイナナは女の子向けのコンテンツとして男が疎外してしまうのは、非常にもったいない

から、主にこの文章おっさん、そして特に子持ちのおっさんに向けて書くものになる。

何を書けばよいのか全然まとまらないうちに書きはじめたし、そこそこ酔っていることもあり収拾が付かない可能性が高い。先に謝っておく。

自己紹介

まずは簡単自己紹介をしておこう。私は30代の2男1女の子どもを持つマネージャー(アイナナファン通称)だ。

アイナナの存在を知り、メインストーリを6部まですべて読んだ後、アニメを3期(53話)最後までみて、ムビナナ(先日千秋楽を迎えたアイナナの映画劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』)に8回通った。アイナナを知ってから全部一ヵ月以内のことである

もちろん仕事フルタイムだし、土日は家族サービスDayである。なにか狂気的なもの感じるかもしれないが気のせいだ。大したことはない。ムビナナに関してはもっと行っておくべきだったと反省すらしている。

仕事関係者も見ているTwitterで一ヵ月アイナナのことしかツイートしないなど大事故を起こしたのも懐かしい。(今はアカウントわけたよ)

そんな私がなぜアイナナになぜハマったのかを説明する前に、何故アイナナを知ったのか。まずはそこから説明させていただきたい。

邂逅と先輩マネ

今まで私は重課金されるようなゲームを触ったこともなく、重課金税の気持ちがわからないでいた。いわゆる落とし切りのゲームしか知らなかったのである

このままだとなんだかビジネス的にもエンタメ的にも機会損失しているような気がしていたので、何かしらやってみたいとは前々から思っていた。

ウマ娘競馬のことよくわらかんし、とりあえずアイマスは聞いたことがあるからアイマスやってみるか」とアイマスをAppStoreで調べはしたが、アプリ複数出てき、そこで挫折した。まさにおっさん

若いころはOSアップデートなんて嬉々としてやっていたが、年を取った今、OSアップデートなんて恐怖の対象になってしまうようなお年頃なのだから仕方がない。

身近にアイマスのことを聞けば教えてくれる知人は数人思いつくものの、そこまでする必要はないと思い続けてきたからこそ、今まで手を付けられなかったともいえる。


ちょうどそのタイミングで知人同士(この先輩マネ存在ものすごく大きかった)がアイナナの話で盛り上がっていた。「じゃあアイナナにしてみるか」とアイナナを調べたらアプリが一つしか出てこなかった。

これを運命以外表す言葉僕の中にありはしないよ。

さあこれで第一の難関であるインストール」をクリアしたわけだ。


インストールしたはよい。何をやればよいのか。やたらとメニューがあるぞ!これは冷静に考えれば当たり前で、当時は知らなかったがアイナナは8年前にリリースされたアプリだ。

そこで先輩マネージャ達が「とりあえずストーリーをやれ。ただし〇部の前にこのサイドストーリを読め」と初心者が陥りがちな罠をあらかじめ封じてくださったのである。(アイナナはストーリー音ゲー構成されているゲーム

もうここまでお膳立てされたなら走るしかない、見つけ出したチャンス絶対逃せない!

ゲームシステム解説だったり、各種グッズ関連(代行注文してもらったり映画の半券を譲ってもらったり)、過去イベント解説をしてもらったり、過去の8年間と今をつなぐようなフォローをいまだにして頂いている。


まり、よき先輩マネいたことがとても大きかった。これは私の最大の奇跡だったといってよいかもしれない。その二人の存在がなければ私はアイナナを知ることすらなかったし、知っていたとしても挫折していたに違いない。

アイナナ

ストーリー無料最後までフルボイスで読めるので、ぜひお時間がある人には読んで頂きたい。最悪、相性が悪くても溶けるのは自分時間だけである推し活につながるかもしれない期待値に比べればたかが知れている。

掻い摘んで言ってしまうと、16人のアイドル自分過去を乗り越えたり、芸能界の荒波に揉まれながら成長し輝いてく物語である

ストーリ完璧にできているかというと必ずしもそうとは言えないのだが、16人のアイドル個性的で実に良いのである


「16人?多すぎじゃね」と思ったそこのあなた。そう、最初は多く感じる。私もそうだった。名前すら覚えられなかった。しかし、それを乗り越えるための仕掛けが名前音楽記号キャラクター毎に音楽記号が割り当てられている)等にちりばめられている。しか声優仕事が良いことも相まって自然と覚えることができる。おっさんでも覚えられる。心配しなくてよい。ポケモンに比べれば全然少ない。昭和生まれおっさんでも151匹程度は覚えただろ?

1/10だ。


メインとなる16人のアイドルは年齢で言えば高校生20代前半というのも良い。数年後の自分の息子達と重ねてしまうし、新卒入社してくる子たちと大差ない。

まりストーリーを読むということは子どもたちや新卒の子たちのプライベートを見守るのと同義で、荒波に揉まれ過去自分対峙している姿をみれば「頑張れ!」と応援してしまうのは必然なのだ

そして、彼らには我々おっさん仕事で目にする人間の汚さというものが全くない。清いのである。清すぎて尊いと言っても良い。メンバー同士で喧嘩していても名言が出てきてしまうくらいに相思相愛な彼らだ。自分の子どもにもこんなに思いあえる仲間ができてほしいと思ってしまうくらいだ。

そうなると、もう彼らは自分の子どもと見分けがつかないくらいに愛おしく感じてしまうのは時間問題で、かくして私には新しく16人の息子ができたのである。きっとあなたにもできる16人の息子。

ムビナナ狂い

さぁ、そんな各アイドルキャラクターも良いのだが、極めつけがムビナナだ。先日千秋楽を迎えたが、まだ上映している劇場はあるらしい。

あの映画の完成度はおかしい。狂気と言ってよい。千秋楽を迎えた後の今いうべきことではないかもしれないが、絶対に大画面で見るべきだし、欲を言えばドルビーシネマで見てほしい。

映画といってもストーリーなんてほとんどない。16人が歌って踊って合間にちょっとMCはさみながら、ひたすらライブとして彼らがアイドルをしている姿を観る映画だ。後述するが20~30回程度見てからが本番であとは観れば観るほど寿命が延びるようなシステムだ。


子持ちのおっさんなら子ども授業参観というイベントには参加したことがあるだろう。こんな友達とこんな環境勉強をしているのかと色々な発見があって楽しいイベントだ。

では、もし自分の子どもが仕事をはじめたとして、仕事参観ができるとしたら?本当にしっかり仕事できてるの?お前の能力は発揮できてる?授業参観とは比にならないくらい色々と見てしまうはずだ。いろいろと思うところもあるだろう。でも現実的ではないんだよなぁ。


しか!!!それを実現しているのがムビナナだ。おわかりか。子どもたちが目の前で仕事をしているんだよ。それも、とてつもなく素晴らしい仕事を。凄い演出音楽舞台とで。そうなると自分の子どもを引き立ててくれるすべての関係者感謝を覚えるようになり、それが生きとし生けるものすべてに感謝できるだけでなく、それが存在するこの宇宙感謝。そして、それらを育んできた過去の全ての出来事感謝できるようになる。つまりムビナナを見るということはアルファからオメガまで感謝できるようになるということだ。

故に全てのストレスから解放される。だから寿命が延びる。ムビナナおよびアイナナは決して沼なんかではなく名湯であるとここに明記しておこう。


話を戻す。


ムビナナは狂気と言った。どこまでこだわればこんな作品ができるのかいまだに理解できない。

個性的な16人」と前述したが、立ち絵ストーリしか見てないのに、ダンスの動きを見るだけで誰のダンスか見分けることができるほどの個性であることをあなたはまだ知らない。

意味が分からいかもしれない。だがストーリーを読み切った人に「ダンスで一番動きが大きそうなキャラは?」と聞くと多くの人は三月と答えるだろうし「ステージから客席に手を振るときに両手で振ってるのは?」と聞けば環と答えるだろう。

ストーリーダンス描写なんてほとんどないにもかかわらず各キャラクターの「らしさ」がストーリーにはふんだんに埋め込まれている。それをとことん回収していくのがムビナナなのである。モーションつくったソリッドキューブ仕事がマジ凄い。

それを16人やってのけている。驚異的なことだ。あなたは思ったかもしれない「だったら16回見れば良いの?」と。全然違う。違うんだよ。素人は黙っとれ。

私のムビナナの初回の感想は「目が足りない」だった。アイナナだけでも独立する眼球が最低でも7つはないと全く追うことができないなと。

彼ら自身も十分に魅力的ではあるのだが、同時に彼らの「関係性」もまた美しく尊いのだ。


まりムビナナを楽しむためには人類を超越した何かにならないとならない。

しかしそれは叶わない。何かをササゲても叶わない。だから数をこなすしかないのである

故に20回くらいは普通に超えてしまものなのである。むしろ20回を超えたあたりから、ようやく2つの眼球で見るスタート地点に立ったといってもよく、そこから本来のムビナナを楽しめるといっても差し支えない。そこ、脳筋かいうな。


ムビナナに通っていると、自分精神状態を大きく二つに分類することができるようになる。「ムビナナを見ている自分」と「ムビナナを見ていない自分」だ。

ムビナナを見ている自分は大体「尊い」の感情支配されている。そして見ていないときは「ムビナナが見たい」という思いに支配されている。

それに気が付いた私は思った。「あ、自分って単純」と。そう思えると、今の自分の悩みなんて大したことはないんだと、ムビナナのおかげで気が付けるようになる。

完全に依存症患者だ。

だが、寿命が延びるなら治療する必要はあるまい。むしろ大いに歓迎されるべきではないか公衆衛生観点から言えば、ムビナナ鑑賞券は国民皆保険制度適応対象とすべきだろう。厚生労働省仕事しろ

音楽が良いんです

言いはぐっていたが、実はアイナナは音楽もよい。すごくよい。ランティスだ。何十回だって、何万回だって聞ける。

そう、これは単なるアイドルゲームなんかじゃない。

楽曲提供小室哲哉ヒャダインもいるし、先月の新曲はANCHOR、今月は浅倉大介だった。つまりマネージャがお金を落とすサイクルを確立しているコンテンツなので、楽曲にも力が入れられる強者運用をできるのがアイナナだ。

故にストーリーなしで曲だけ聞いても楽しめる。全方向からアプローチを受け止めらるアイナナ凄い。あやかりたい。

このように楽曲にも恵まれ、8年という時間も相まって100曲以上の楽曲リリースしてきたという実績がアイナナなのである

全然時間足らないな?

書きたいことの5%も書いてないし、終始取り留めない文章になってしまったが、時間時間なのでこのあたりで勘弁してやる。いえ、勘弁してください。


何か思うところがあったらアイドリッシュセブンをぜひインストールしていただきたい。掴み取れば明日は何色にも変わることをおっさん達に知ってほしい。

その後の追記

その後はこち

https://sizu.me/yo4raw/posts/xbboxcz1tuvn

2023-10-17

anond:20231017155739

生命さえ生まれればあとは進化してここまで来るのは必然だったのかも

2023-10-16

[] そのはっぴゃくじゅうなな

ハンーッス

 

本日世界食料デー世界脊椎デー、日本においてはリゼクリニックの日、人と色の日、アメリカにおいてはボスの日となっております

ボスって職業になりたいかでいえば責任とか仕事の多さ的にあまりなりたくないよなぁってのが昨今の価値観ですが

まぁ上手いこと人を扱えるならボスとか、上司かになり得るのでしょうけれど

まぁぶっちゃけ人に指示するのにもまた別の思考必要になります

でもそうならなきゃ増えていく人を扱いきれなくなるので働いてる人は必然他人の扱い方を理解しなければならなくなります

から他人の扱い方には気を付けましょう。

上司基本的に最悪は部下に刺されるものだと思いながら仕事してる筈です、きっと。

 

ということで本日は【適切なフォローいか】でいきたいと思います

適切なフォローいか!適切なフォローヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-10-15

人は意識しているものが目に入りやすいという

偶々そこにあったのではなく、

自分にとって求め欲するものから目の前に現れたのだろう

この出会いは偶然ではなく必然

そして私は尿漏れパットを抱えてレジに向かう

2023-10-14

追記あり】「〜なんよ」がとても不快

==== 追記 ====

書いた直後に全然反応がなかったのに、今見たら色々コメントがついていて驚きました。

ブコメを読んだら、結構な数の人が怒っていて、私の中の善良な市民感覚が、「悪いことをしてしまった」という後悔の念を自然と抱かせましたが、落ち着いて考え直してみると、別にそう悪いわけでもないなという気もしています。とりあえず、これが率直なところです。

色々とコメントをもらったので、いくつか返答します。

・「不快」で他人発言を抑圧しようとするのを表現規制って言うんじゃなかったっけ

自分意思にそぐわないからと言って他人言動制限しようという発想かー。上手くいきそう?

自分不快感のために他人自由制限できると思ってるんかな

不快に思うのは勝手だが、人の発話の自由制限しようとするのは何様のつもりだろうと思うし、方言の利用を咎めることも更に最悪って感じがする(私は方言コスプレをポジティブにとらえている)

これらの意見は大きくは、自分不快理由他人の行動を制限するのは駄目だ・許されていないという意見だと理解しています。この「制限」というのが、肉体的な拘束や洗脳のように、相手権利蹂躙するものならば許されないと思いますが、「不快からやめろ」と言ったり、ネットに書いたりするのは全く正当な権利だと思っています(アホとかいうのは良くないですが)。こういう自由はむしろ私たちに与えられている非常に重要権利だと思いますし、これを封じる方がよっぽど表現規制でしょう。一応誤解のないよう言っておくと、私は他人自由規制できるとは思っていません。ただ「やめろ」と言うのはありということです。

「上手くいきそう?」については、無理そうって感じです。本文に書いたように、たまたま「なんよ」に連続で遭遇した勢いで書いたので、見通しは特にありません。

・たった100文字ブコメネイティブの「なんよ」と非ネイティブの「なんよ」の見分けがつくんか!すごいのう〜!うち岡山出身じゃけどようわからんわ〜!!日本人口のほぼ半分は西日本に住んどるって知っとる?

仰る通りで、つきませんね。ただ私の観測してきた「なんよ」使用者からいって、ノンネイティブが使っているのは間違いないと思ったので、それらの人に届けばいいと思いました。誤算としては、私が思っていたより「なんよ」圏が大きかったことです。でも一定数のノンネイティブには届いたと思います

他のブコメも含め、関西全域で使われているみたいな主張もありましたが、流石にそれはないんじゃないのとは思います。私は十年ほど関西に住んでいましたが、ほとんど出会たことがありません。とはいえ私は交友関係が狭いのであれですが。局在しているってのが一番ありそうな気がします。

・「他人言動に無思慮に追従してしま主体性のなさへの嫌悪」「「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ」露骨ブーメランだし釣りなんよな?

これはつまらない意見ですが、トラバにも同様の内容があったので返答しておきます。読めば明らかなように私は不快に思う理由をメインで書いています。そして、他人意見を参照しているのは論理の補強のためです。つまり、他の人たちも嫌悪しているようだから、その嫌悪は必ずしも独りよがりではないはずだという論理です。これは普通に読めばわかることだと思いますし、こんなのは本筋からずれた瑣末な部分です。もうちょっと文章を大局的に捉える訓練をしては?

他者への解像度想像だけで上げようとするとそれは自分投影になると思う。そういう人なのであろうという想像自身内面を紹介するような感じがするので私はしたいとは思わないかな。

これは耳の痛い意見ですね。その通りだと思います

==== 以上追記 ====

から気になっているんだけど、ここ数年「じゃないんよ」とか「違うんよ」とか「必然なんよ」みたいに「〜んよ」と言う語尾(?)を使う人をよく見る。元々は九州とか中国地方あたりの方言なんだろうけど、そうじゃない人も多く使っていると思う。私はこの語尾が嫌いで、見聞きするたびに少しイラっとくるんだけども、今日はてブを見ていたら短時間に三度ほど見てしまって、これは警鐘を鳴らすべきだと思った。

この語尾を使っている人たちが、なんの影響で使い始めたかは知らないけれど(千鳥の影響だと推測しているが)、これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒いネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないか懸念を抱く。

「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい:

1. なぜ自分がそのような言葉遣いを選んでいるのか?

2. どのような人の前でそのような言葉遣いができるか?

1で無意識流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?小中学生の頃に、無意識他人の口調や言葉遣いを真似したり、お笑い芸人ギャグを真似したりする人がいただろう。子供なら無邪気で済むかもしれないが、大人がしていたら見苦しい。あなたがしているのはそういう無分別子供じみた振る舞いだ。

2については、そもそもカジュアル言葉遣いから目上の人には使わないだろうが、ただ、例えば立場としては対等でも、適切に自分評価して欲しいと思う相手に、そのような言葉遣いをするだろうか?ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなた一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?

ここまで書いて思ったけれども、私が「なんよ」を不快に思う理由の根っこは、他人言動に無思慮に追従してしま主体性のなさへの嫌悪感にあるのではないかと思った。同じ特徴的な言葉遣いでも、例えば一人称に「おいら」を使ったり、語尾が「〜なのさ」の人にこれまで出会たことがあるが、全く不快には思わず、単にそういう人なのだと感じた(多少面食らったが)。しかし、「なんよ」は私には同じような特徴としてではなく、自分他人からどう見えるかを認識する能力(メタ認知能力)の欠如、他人自分簡単に同一視してしまう自他の境界曖昧さとして映る。これが一面的見方であることは重々承知しているけれども、限られた情報から他人判断する必要上、一定程度は合理的だとも思う。私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。

2023-10-08

意欲高い者は去り、意欲低い者が残る

これも会社あるあるなのだろうか…。

有能な意欲ある若手・中堅社員を抜擢し、役職を与えると、比較短期間で退職に至ってしまう。

有能で意欲あるゆえに上席から過大な要求を受け、最初のうちは意欲的にこなしていくも、次第に責任ばかりが増え、権限報酬が割に合わないと感じるようになり、ある日突然辞めていく。

他方、上席は単に年功序列役職を与えられた者ばかりのためか、さほど目立った能力も意欲もなく、のらりくらりと責任回避転嫁をしながら、その権限報酬を貪り続けている。

たまたま若手・中堅が辞めずに残存したとしても、上席の姿を見て次第にそちらに寄せていくようになるのはもはや必然の結末。

結果、意欲高い者は去り、意欲低い者が残る。

2023-10-06

anond:20231006180734

自分たちが都合よく他人(特に女と外人日本スゴイ)を消費する時だけは「ちゃん自分のことが理解できてる女の子」と言う

が、自分たちが都合よく消費されたら発狂する

悪い意味オタクの二枚舌、二言目には「オタク経済を回してる(ドヤァ)」

実際には気持ち悪いホモミソジニーヘンタイオタクによる逸失利益はめちゃくちゃ大きいので本当にそうなのかは疑問

アイドルとか芸能はもう倫理観がなくてキモいだけの日本モノは古典の扱い、韓国にとって代わられたし、アニメゲーム中国の方が高クオリティ

必然の理

2023-10-05

anond:20231005222106

稼ぎすぎた上で、一部だけ渡してあとはブラックボックスにしてるとってことかな

しかも男の場合は女側が専業主婦から

その場合個人の稼ぎにはならず、家事をやってもらって2人で協力して得た財産カウントされる

俺の稼いだ金という意識があったら壊れるのは必然かな

anond:20231005143812

とは言え、さすがに何度も「集計APIHTTP POSTでCSVリクエストボディにセットしてリクエストする」という言い方を繰り返すことはないと思うので、なんらかの省略をすることは必然かと。それが更に重なっていくとローカル略称などが発生するのが当然。

2023-10-03

anond:20231003124740

そりゃ人件費デカいからな

コストばっかりかかって収益寄与しない無駄機能を切り捨てつつ、最低限の保守だけに留めれば黒字化は必然

後はどれだけユーザーを維持し続けられるが見物やね

2023-09-26

税務官僚だった頃の思い出 Part3/3


思い出⑤ 転職を決意した時

 40代前半になり、管理職意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。

 そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサル内定を得たという。

 「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。

 私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。

 できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。

 そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。

 数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関事情説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。

 民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。

人事院規則八―一二職員の任免)

(辞職)

第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。

 公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法人事院規則により公法上の契約関係構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員サラリーマンということだ。労基法適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(労働協約締結権があるなど)。

 上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則国家公務員法国会議決から委任を受けているからだ。

 N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職目的としての辞職が認められなかった。

 結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれから転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。

 N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。

 「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから

 当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。



思い出⑥ 転職活動転職した後

 繰り返すが、四十前半であれば課長管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッション遂行しなければならない。

 転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育て不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。

 この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要ドキュメントを作っていった。

 転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所入社時期や休業制度や、もっとかい事項もあったが省略する。



【当時の転職活動方針】 ※やしお氏リスペクト

1 どの業界(会社)に応募するか?

 一 コンサル希望

  ア 今の仕事が「説明」「説得」であるため

  イ 専門性を高められる業界がいい

  ウ パワポ職人としての腕も活かしたい

 二 職務内容に拘らない

  ア どんな仕事でもやっていれば好きになる

  イ それよりもどんな人と働けるかが大事

  ウ 嫌な人と一緒にいるストレス想像以上(仏陀も言ってる)

 三 ベンチャーなどリスク高は除く

  ア 突然の内定取り消しや事業悪化可能

  イ カルチャーフィットしない可能性あり

  ウ これまでの企業文化と合っていない

2 職務概要職務経歴書

 一 徴税吏員としての経験を活かす

  ア 相手企業との折衝

  イ 過去判例を読みつつ方針決定

  ウ 最後正論で押し切る

 二 税制改革企画・調整

  ア 上級行政庁が決めたものをかみ砕いて整理する

  イ 全体向けに説明した後、現場レベル立脚した観点で是非を整理

  ウ 上の人間が本番の会議で話しやす資料作り

 三 新税務システム検討や導入支援

  ア コンサル組織内部と密に打ち合わせしつつ完成→検査検収

  ※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり

   後に、図表を効果的に使ったものに置き換えた

3 会社に求める条件

 一 及第点の実力があれば定時退社できて休日出勤もない

  ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい

  イ 一日にちょっと趣味をやりたい

  ウ この年になるとゆっくりしたいのもある

 二 風通しがいいこと

  ア 息をするように自然議論ができる職場か?

  イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいいか

  ウ 自分が感じたことを素直に言い合える環境か?

 三 評価基準が明確であること

  ア 前の職場不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。

  イ 低い査定でも納得できるだけの客観性を求む

  ウ 低評価社員をすぐに見捨てたりクビにするのはNG

   ※本当に役に立つ人間勤務評定では判別できない

 四 給料度外視

  ア お金にこだわっても仕事は見つからない

  イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい

  イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK



 とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界リーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。

 だが一方では、「上場企業外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。

 こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。

 言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェント転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットからだ。

 かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。

 決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。

 こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。

 次は、どうやって上司転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員退職にあたっての厳密な許可制再就職規制は、当時の私の役職課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。

 「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。

 思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!

 証拠書類として、第二志望だった外資系大手オファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。



 転職成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。

 実際、春先になってすぐ、雇用保険健康保険手続き関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職成功したのだ。

 新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事出会うことができた。

 定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。

 反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分意見として昇華できる。そんな人達だ。

 いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。

 タイトルは、『ちいちゃんかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。

 かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンとき作品だった。増田民にも是非おすすめする。

 晴れ晴れとした気分だった。それからマイホームで羽をのばした。なにしろ毎日が定時帰りなのだから子ども実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。

 暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話CM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後ふたり花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。

 ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。

 私のようなおじさんが楽しめたのだから若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。

 たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。



 ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。

 税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。

 そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子脳裏に浮かんでくる。

 ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。

 長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。

 今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運感謝したい。



(追伸)

 上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。

 N君の転職活動成功する未来を祈っている。彼は独身から、私よりは選ぶ会社自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。

2023-09-25

デカボール

君は成形された段ボールをどのように持つだろうか?

大きさは問わない。小さな段ボールで考えても良いし、大きな段ボールで考えたとしても構わない。

...

さて、今思い浮かべてもらった持ち方は、意外にもこれから述べる「2つの持ち方」のいづれかに該当するはずだ。

1つ目は「両手を段ボールの底に引っ掛けて持つ」という持ち方だ。

クレーンゲームの2本爪アームを思い浮かべると良い。まさしくあの構図である

しかし、あの貧弱さはどこへやら、我々が実践した途端、とても高い安定性を提供してくれる。

「片方の手を手前の底角に引っかけ、もう片方の手を対角線上の底角を引っかける」とより更に安定するが、これはこの持ち方の一派とさせて欲しい。

さて、この持ち方をするまでもない小さな段ボールがあったとする。

それは自然と「小脇に抱えるように持つ」だろう。これが2つ目の持ち方だ。

およそ出回っている段ボールはこの2つの持ち方でなんとかなる。

なんとかなるという表現より、「段ボールを持つ」と心の中で思ったなら、その時既に行動は終わっているという表現が正しい。

思考する間も無く、我々は「2つの持ち方」のいづれかを実践してしまっているはずだからだ。

ん?なんでこんな話をするかって?

そりゃあ、

「この2つの持ち方では持てないほど大きな段ボールの話をするため」だ。

~

中野坂上で借りた特大のハイエースの車高はとても高かった。

彼女の旧邸から荷物を運び出すべく、長い時間運転していたおれは、その車高に慣れてしまったせいか、旧邸に積み上げられていた段ボールの大きさを見誤っていた。

「あっ」

おれが抱えようとした段ボールは、その底面が地面から完全に離れる前に、鈍く沈んでいった。

まるで、装着したロングバレルの重さに耐えきれず、かかとが浮いてしまったバトルビーダマンのように、前傾姿勢になったとき、おれは初めて気付いた。

その段ボールはとてつもなく大きかったのだ。

印字を見るからに、その段ボールは「6ロール入りのティッシュペーパー」を12ロットほど詰める用途で使われていたようだ。

おおかた、近くのドラッグストアなどから拝借したのだろう。こんなにデカ段ボール生活の中では見たことがない。

(この段ボールは以降デカボールと呼ぶ。)

新居には「そのデカボール14個分の衣類」が運び込まれた。

引っ越しは難航した。2人でなければ運べないデカボール。あまりの多さに、1往復で済むはずだった運搬作業は3往復にも及び、東京の端から端へ反復横跳びするような1日だった。

返却期限が迫るハイエース

使わなくなる家電引っ越し当日に引き取りに来た彼女の旧友。

連れ猫もいた。大きくハイエースが揺れるたび、猫を気遣った彼女視線を受けた。

手伝ってもらった友人の機嫌もどんどん悪くなり、23時半まで引っ越し作業が及んだ。

友人が帰った後、「14個てw」と散々弄った。この服の量は明らかにおかしいことに気付いて欲しかった。

弄るたび不機嫌になる彼女は、シーツもかけずに床に直置きしたマットレスの上でいつの間にか寝ていた。よほど疲れていたのだろう。その日はデカボール言及することなく、おれも瞳を閉じた。

...

「いい加減服を捨てろよ!!!

数ヶ月後、新居でデカボールを指差し、おれは怒鳴っていた。

デカボールの中の衣類は、季節毎ではなくアイテム毎に分かれていた。

そのため「積み重ねると取り出すとき利便性を損なう」という理由で、14個のデカボールは積み上げられることなく平置きされていた。

引っ越してきたあの日から、ずっと平置きされてきた。

広い家に、素敵な家具を少しだけ置くことを思い描くおれは、あの日から何度も彼女に伝えてきた。

数を減らしてくれないか

着ないものはないか

この服は最後にきたのいつなのか?

シーズンじゃないものは預けてみないか

分類だけしてみようか?

いずれも聞き入れられず、新居がデカボールに犯されているように見えてならなかった。

新居はなるべく広く間取るために、収納限界まで削られていたワンルームだった。

この物件は駅からも遠かった。最寄駅は職場からも遠かったし、栄えている街でもなかった。

しかし「大好きなインテリアをスペースを取りつつ配置したくて」この部屋にした。

幼少の頃から部屋を与えられなかったおれが、1人暮らしを始めてインテリアに興味を持つの必然だった。

就職してからというもの、100円ローソンのかしわおにぎりセットで飢えを凌いで貯めたお金は、全てインテリアに使うようになった。

美容整形外科で使われていたというAD COREのコーナーソファACME Funitureの木工曲線見事なマガジンラック。綴化に綴化を重ねて要塞のように大きくなったユーフォルビア。

フルーツを置いて楽しむイメージパッケージに印字されたiittalaステンレスプレート。

実家を出てからフルーツなんて買えたことはない。そんなおれだが、インテリアにだけは心血を注いで来た。

このインテリアたちがいつか小さな六畳一間を飛び出して、大きな広い部屋でディスプレイされる日を夢見て。

そんな日々を夢見れば、100円ローソンのかしわおにぎりセットなどいくらでも食べることができた。

しかし今。

おれが掴みかけた夢は、デカボールに押し出され、ヴィンテージソファ彼女の連れ猫に切り裂かれ、集めたインテリアたちはこんなに広い部屋の隅で、暖を取るように固まり、一部はベランダで鯖つくのを待っている状態ですらある。

日々を切り詰めて手に入れたこの広い部屋は、インテリアを配置するための広い部屋は、目を薄めて見ると全て同じに見えるような服をパンパンに孕んだデカボール占領されている。

おれの大切なもの害するデカボールをどうにかしては欲しい。そう伝えても何も行動しない、協力する気もない、そんな彼女にふとしたきっかけで言ってしまった。

「いい加減服を捨てろよ!!!

しまった...と思いきや、彼女は倍の声量で言葉を返した。

「は?なんでそうやってあたしの好きなものを奪うわけ!?絶対捨てないから。服って一期一会から。大体さ、このワンルーム収納がないのがいけないんじゃん!!収納があれば片付けるよ?でも無いじゃん!!そんな中でデカボールのこと言われてもあたしにどうしろっていうわけ!?引っ越す??引っ越そっか!!!でもあたしは1円も出さないからね!!!だいたいs...」

おれは怒りで「口喧嘩がとんでもなく強い彼女」だということを忘れていた。

普段は気さくな彼女だが、いざ衝突するとなると、論理で攻めるときひろゆきのように、論理で攻めあぐねたら田中みなみのように感情で攻めてくる。ディベートケルベロスとでも言おうか。

いくつか火花を散らしたが、そのときは結局捨てさせることができなかった。

おれ自身反省し、捨てろとは言わなくなった。確かに収納があればこのようなことにはなっていないかもしれない。

いくらデカボールがおれが好むインテリアを迎え入れることを拒んだとしても、彼女が既に持っている服を奪う権利はおれにはない。

「初めから独りっきりだったてめーに!!オレの何が分かるんだってんだ!!!アァ!!?つながりがあるこそ苦しいんだ!!それを失うことがどんなもんかお前なんかに・・・!!」

という、とある忍者セリフがある。

これはその通りで、最初から手元にないことと、手元にあるものを失うことはまるで違う。

彼女クリティカルな返しで怒鳴り合いは幕を閉じ、おれは服を捨てさせるのを諦めた。

春が終わるころ、デカボール彼女が新たに迎え入れた夏服を飲み込むために、その体裁を崩し始めていた。

~

冬。

もうデカボールは服にまみれて見えなくなっていた。

東京を知らない若者になら「これが文化服装学院です!」と伝えても納得して貰えるほどの服の要塞が出来上がっていた。

この要塞の基礎工事と成り下がったデカボールだが、「もー、なんで見つからないのー??」という声と共に、その要塞が掘削されるとき、彼らは隙間から顔を覗かせてくれた。

デカボールには服の重圧で紙皺が出来ていた。その紙皺は、インテリアを諦めたおれを憐んでいるようにも見えた。

捨てさせることを諦めたおれは、収納を新たに設ける方針に切り替え、何度か提案をした。

「せめて段ボールはやめてさ、かっこいい収納を買おうよ。」

「着ない分はさ、レンタルスペースとかに出してみようよ。」

ベランダに服の収納作ろっか?そしたら生活空間が少しは確保できるかもよ?」

「ベッド下に収納を作っても良い?引き出し型のやつ、おれが買うからさ」

実家に送るのはどう?おれの実家でも良いよ?」

彼女からおれの痛みを和らげる提案はない。おれだけがおれの痛みを解消できる唯一の存在だった。おれは思いつく限りの提案をした。

しかし、論理的かつ狡猾に、おれが余力を絞って書き連ねる処方箋は破られていく。

この量の服を飲み込みつつも、デザインを維持できるかっこいい収納などなかった。

着たい時に着れない服は持ってないのと同じらしい。レンタルスペースに置く=捨てることだと言う。重ね着のため、シーズンが違うものでも着ることがあるらしい。

ベランダに置くと湿度日光で服がダメになるらしい。

ベッド下の収納は、床が見えなくなるため、家が狭く見えてしまうからダメらしい。おれも同じことは思っていた。その感性が一致しているからこそ余計苦しくなった。

実家にはスペースがなく、おれの実家に送るにしても申し訳ないらしい。

全ての処方箋が破られたころ、おれはもうデザインインテリアはどうでもよくなっていた。

生活スペースにはみ出た服を収納するためだけに、アイリスオーヤマプラボックスを購入した時、これまでに積み上げた感性が死んでいく気がした。

羽立った木材を色も塗らないままDIYを始めた。

しかし、作った収納はすぐに服が食い尽くした。また作る。服が食い尽くす。また作る。服が食い尽くす。希望が見えなくなっていく。

電動ドライバーの矛先を向けるべきなのは果たしてネジなのか、分からなくなってくる。

この間にもベランダ家具は錆びていく。青いスタンドライトには服が、ベルトが掛けられていく。ソファは猫に削られ、ステンレスの棚の上にはZOZO段ボールが積み上がり、靴箱はさんざん揺られた弁当箱具材のようにひしゃげた靴で溢れている。

余白はどんどん服で埋め尽くされる。余白が埋め尽くされるたびに、おれの理想は霧がかってゆく。

好きだった雑誌Casa」を買うのも辞めてしまった。

おれはあの頃から、もうインテリアを買っていない。いつの間にか100円ローソンにも行かなくなった。

 

...

最近は時々夢をみる。

服に火をつける夢を。

デカボールが役目を終え、空は灰となって消えていく夢を。

服が、家が燃え尽きたのちも、 iittalaステンレスプレートだけが、美しく残っているのだろうと思う。

その煤だらけのプレートだけを持って、おれはこの家を出たい。

anond:20230924162115

単純に労働者ボリューム自体団塊の世代の定年で減ってるからね。産業自体が衰退しなくても需要は半減するわけで、よそより早くなっただけで必然ではあった

2023-09-24

日本グランプリ 最後の秋SUZUKA

伝統の、F1日本グランプリ、SUZUKA。

数々の名勝負が繰り広げられ、またシーズン終盤の秋開催ということでチャンピオンシップにおける重要な一戦となることも多かったF1日本グランプリ鈴鹿

しかし、秋の開催は今年で最後となる。

これはF1の年間レース数とサスティナブルに対応するためのものだ。

思い返せば、日本バブル期に訪れたF1ブームの頃には年間のレース開催数は16戦だった。

それが今や年間レース数は24

以前はストーブリーグの名の通り冬にレースはしないのが当たり前だったが、

現代F1では最終レース11月の末、そして開幕は3月の頭。

びっしりと年間のレーススケジュールが組み込まれている。

こうなると如何に効率的世界を転戦していくか?ということも重要問題となる。

そういったこともあって伝統の秋のグランプリ来年からは春へ。

オーストラリアGP中国GPあいだ、4/7の開催となる。

とかく台風の影響を受けやすかった秋開催より、天候面で安定するであろう春の開催は歓迎するべきものなのかもしれない。

しかし、秋といえば日本グランプリ

秋香れば、SUZUKA。

古くは、アイルトン・セナアラン・プロストの戦い思い馳せるときあの日あの時の茫然の秋風感じる世代にとって、

その伝統が終わってしまうのは少し寂しく感じるのは必然とも言える。

最後の秋SUZUKA。

地元HONDAPUを搭載したレッドブルチームのマックス・フェルスタッペン選手は昨日の予選を圧倒的な速さでもって制圧ポールポジションからスタートする。

また今年は車の空力面での性能の低さで苦しむことが多かったアルファタウリチームの角田裕毅選手も予選ではQ3を見事突破、9位のポジションを獲得し決勝に向けても期待が高まる

決勝は14時にスタートを迎える。

「反応がキモイ」のは結果論であって、そもそも記事キモイから反応がキモくなるのは必然というだけの話。

男子校ノリを克服したかったら共学にすりゃいいだろアホくさ。

2023-09-22

IH一口クソ狭シンクだと加熱作業は並行してできない。洗い物もすぐ水がビャーってなってイラつくし必然ワンプレートで済む料理が増える。おれは品数少ない方が好きだからそれは苦じゃないけど。

普通カレー具材を切るのが面倒ですぐやめた。

切ってさえしまえばあとは炒めて煮込むだけなんだけど、冷蔵庫洗濯機の上にまで作業エリア拡張して具材並べて準備をするのが余りにも面倒臭い

マジで終わってる時はたまに素カレーを食べる。水張ったボウルにルーを雑に砕いて投入してレンジトロミがつかなくてシャバしから米を混ぜてごまかす。ちょっとルーの塊が残ってたりもする。

気力があればルーを刻んだ方が良いけど、気力がある時に食べるものではないと思う。

実家からはなぜかミニトマトツナ缶がよく送られてくる。

ツナ缶はいつまでも保つから別に放置してもいい。たまにコショウマヨネーズかけてつまみたくなる事もある。

生モノはそうもいかなくて困る。ミニトマトつまみたくなる気分というのはおれにはまるで訪れなくて、しょっちゅうシナシナになるまで放置する。

捨てるのも何なので、減るより早く増えるツナ缶もろとも処理しようと思った。

ツナトマト……カレーだな!と思った。そんなメニューを食べた事はなかったけれど、直感で。

ツナトマトを炒めて、水足してルー投入。予想通りというか、トマトの酸味と甘さが気になった。

これを消すのにソースを入れてみたりめんつゆ足してみたりしてみたけど、中々上手くまとまらない。

トチ狂って赤玉ワインを入れたら死ぬほど甘くなった。

これはもう強烈な何かで上書きするしかないと思って、鷹の爪ニンニクチップを大量に入れてみた。

これがなかなか良かった。カレーニンニクスパイシーさと鷹の爪の刺激の挟み打ちでご飯が進む。黒コショウを振ると尚良し。

味をごまかす苦肉の策で生まれたけど、変な調味料抜きでもう一度作ってみたら、やっぱり美味しかった。ミニトマトツナ缶は定期的に発生するので、定番メニューと化した。鷹の爪は辛さを許容できる限界まで、ニンニクは入れれば入れるほど美味しい。トマトツナの風味、食感もマッチしてると思う。

ウチにある調味料の中ではニンニク鷹の爪コショウが一番出番も消費量も多い。あらゆるものペペロンチーノ風味にして食ってる。ペペロンチーノの決め手は味の素だったけど。

アパート暮らし始める時にめんつゆ持たされたけど、全然減ってない。うどんじゃなくてペペロンチーノ派だし。

anond:20230922100624

日本人義務教育英語勉強してるのに何でこんなに教養がなくて頭が悪いのかな?英語ニュースや本を読んだら?まともな教養を身につけた方いいよ

差別ミソジニスト放置してる奴が軽蔑されるのは必然人種差別放置してる白人主義者が許されるわけないだろ

サル相手に口汚くなるのは仕方ないよ

2023-09-21

さっきまで聴いてた曲が今つけたカーラジオで流れ出す。懐かしいタイトル漫画を読んだら、翌日近くの席の奴らが示し合わせたようにその作品の話をしている。

ちょっとした偶然というか、シンクロニシティみたいなのって割とあると思う。

おれの中でそれの最大級がある。

高校の頃おれはほとんど本を読まなかったけど、何の気なしに図書室で本をいくつか借りた。小説を5〜6冊。それきりあまり借りてない。

1年か2年後に羽田圭介芥川性を受賞した。又吉とダブル受賞の時だ。

おれが借りた本の中にも羽田圭介作品があった。確か『黒冷水』だったと思う。

それだけならまあ、お〜偶然だな〜くらいだったけど、さらに1,2年後に荻原浩直木賞を受賞した。

こちらもおれが借りた中にあった。何冊か借りたと思う。『砂の王国』は超面白かった。

朝のニュースで受賞を知って、なんか非常にインパクトがあった。

高校図書室だから本も厳選されてて必然的に賞にも近いだとか、本を読まない奴にも興味を惹かせるようなタイトル装丁だったんじゃないかとか、偶然を必然にするつまらない理屈はいくらでもつけられるけど。

それでも気まぐれで借りた本の中から芥川賞と直木賞の二人が出て、非常に印象深かった。

どちらも別に図書室がプッシュしてたとかはなくて、開架をボーっと眺めてフィーリングで手に取ったから。

慧眼というのとは違う。それは数ある作品を読んで、その中から評価されるであろうものを的確に選び抜く事だろうから

そういうのとは別に、なんか持ってんじゃないかって思った。

それが人生トップの偶然で、次点大学生活中で入り用なのにマジで金がない時、あぶく銭が転がり込んできて事なきを得た時。

詳細は忘れたけど、口座にも財布にも誇張抜きで金がない時にそういう事が何度かあった。それがなくて痛い目見てたらもっとしっかり覚えていたかもしれない。

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