はてなキーワード: 量子テレポーテーションとは
ブコメにもちょっと書いたけど、物理学的なところだけ見て考えられそうなことを書いてみるな。
最初に結論を言うと、「もし時間が戻ったら、歴史は同じことを繰り返すか?」と答えは「繰り返す」だろうと思う。量子力学によれば世界は確率的に決まるのだから、そんなことはない、と思うかもしれないが聞いてくれ。あと、「歴史が変わるタイプの時間の戻し方」の説明もする。
そもそも、時間というのは物理学的には一つの「次元」である。縦、横、高さと同じようなもので、我々は実は四次元空間にいるんである。そして、静止する我々は光の速さ(比喩ではなく)で時間次元方向に進んでいる。で、我々の速度はいつでも光の速さで一定。なので、もし縦方向に光の速さの半分で進めばその分時間方向の速度が遅くなる(時間の流れが遅くなる)という相対性理論的不思議現象が起きるのである。
ここで時間の次元を我々にとっての空間の次元のように観察することができる上位存在を仮定しよう。その存在からは世界が時間方向にぶっ飛んでいるように見えるわけだが、その存在がなんらかの力で我々の世界を時間軸方向に動かしたとするとどうなるか?我々の世界で起きた色々な歴史的事象は、「それが未来に起きるポテンシャル状態」に回帰することになる。が、あくまで上位存在からすれば、一つの次元方向に動かしただけなので量子力学的な確率分布の収束が変化する理由がない。我々が空間的に一旦別の場所に置いてから元の位置に戻した時、空間次元の観点からは本質的な変化が一切ないのと同じだ。この場合、歴史は変化しないことになる。
一方で、「時間が戻る」というのが、今この瞬間の宇宙を一旦分解して、例えば1000年前の宇宙と寸分たがわぬ宇宙に再構築する(量子テレポーテーションのようなイメージで、量子レベルで全く同一の宇宙を作る)、もしくは寸分たがわぬ別の宇宙を新しく作る。としたら話は変わる。上述の上位存在的にも、時間次元方向に動いていた世界が突然姿を変えるだけ(新しく生まれるだけ)である。そうすると、今度はそこから時間次元で先に進んだときに、確率分布が前回と同じところに収束する理由がない。なので、こんどは逆にありとあらゆる量子力学的事象が異なる収束先に収束するようになるわけだ(偶然同じところに収束することもあるだろうが)。
こっちのほうが元増田的にはロマンがある「時間の巻き戻し」だと思う。
ちなみに、量子力学的な現象はナノメートルオーダーのミクロでしか起きないので、「歴史を変えるほどの変化が歴史に起きるの?」という疑問を持つ人もいるかもだけど、これは「十分ある」。量子力学が日常スケールに影響を与える簡単な例の一つが、放射性物質の崩壊だ。放射性の原子一個がどのタイミングで崩壊するのかは量子力学的事象なのだけど、その結果出てくる放射線は日常スケールにも影響を与えうるんだよね。つまり、アレキサンダー大王の体内の自然由来の放射性物質が、偶然アレキサンダー大王を癌で早死させるタイミングで放射線を出した結果、アジアとヨーロッパの交流が格段に少ない歴史を歩んだ21世紀が来る可能性も全然あるわけ。早死するのがアレキサンダーでもカエサルでもヒトラーでも良いし、今の歴史で無名の誰かが癌死を免れて長生きした結果歴史が変わるのでも良いんだけどね。そういう現象自体はレアだけど、全人類、全動物で起きるその手のイベントがカオティックに影響し合うので、再構築から100年もすればなかり違う歴史になるんじゃないかなって個人的には思う。
まるわかりノーベル賞2018 においてキズナアイがインタビュアーを務めたことがジェンダーロールの再生産にあたるのではないかと一部の人たちから批判を受けました。私もメディアにおけるジェンダーステレオタイプは気になる方なのですが上記の指摘には首をかしげます。本来この手の指摘例えば
といった形で議論されるべきなのではないでしょうか。N=1 で議論するものではないでしょう。
それにNHKの子供向け番組は私の見る限りにおいてはジェンダーロールによく配慮して作られていると感じています。まるわかりノーベル賞も2017年には鈴木福くんがインタビュアーを務められています。私には特に性役割が偏っているようには感じられません。(ちなみに2016年から始まっているようでなのですが2016年度のインタビュアーは調べられませんでした。)
また、キズナアイさんの受け答えに関しても一部の方から批判を受けていましたが私には彼女はよくやっているように見えました。そもそもノーベル物理学賞は毎回インタビュアーからひどい扱いを受けることが多いです。小林益川の時は特にひどかった覚えがあります。
でもキズナアイさんは違いました。最後まで楽しそうに聞いてくれていました。おそらく量子テレポーテーションのあたりからついてこれていないのですがそれでもなんとか理解しようとして聞いています。もし仮にキズナアイさんが
「えーそんな難しいこといわれても〜〜 アイわかんないよぉ〜〜☆」
みたいな反応をしていたら私もがっかりしたし怒ったかもしれません。でもキズナアイさんは逃げず、最後まで嫌な顔もせず付き合ってくれました。キズナアイさんどうもありがとう。
NHKの特設サイトを見ただけでキズナアイさんを語るのはキズナアイさんにもVtuberファンの人たちにも失礼かな、と思ったので少しみてみました。見たのは人気動画4本です。本来全部見るべきでしょうが時間がなかったのですみません。
特に笑ったのが「体力測定やってみる!」です。体力測定というよりはモーションキャプチャーの限界やモデルと中身の身体バランスが異なる時どう見えるか?みたいな実験になってしまっていますね。中の人は垂直跳びをしているようなのですがキズナアイは飛べずに妙な動きをしています。唐突に「…これ飛んでいますか?」「…わたし飛べないんですか?」「…なんで(垂直跳びを)いれたの…。」と虚空のスタッフと会話を始めてなんとも笑えるし、親近感が湧きます。中の人がなんとなく見えているのがVtuberの魅力の一つなんでしょうね。
感心したのが「あんな声やこんな声で話題の声ゲーに挑戦」です。これは音声入力で遊ぶゲームプレイ動画です。「動物の声」などのお題に合わせて遊んでいきます。動画中程で「セクシー」というお題が出てきました。普通ならここで「男性ファンへのサービスタイムかな」と思うところです。でもキズナアイさんは「なまたまご〜〜♪」「たまごかけごはん〜〜♪」とセクシー台無しなワードで迎え撃ちます。私はこれをみて「なるほど、女性ファンが多いわけだな」と感心しました。おそらくキズナアイさんは抜群のバランス感覚の持ち主なんですね。動画を見ている様々な人たちを配慮していて、笑いとセンスで誰にも嫌な思いをさせないようにしている。ギャグも基本的に一人ボケ一人突っ込みで誰も傷つけない。この辺りが信頼を集めているのかな、と思いました。
動画を見た後はずいぶんイメージが変わりました。キズナアイさんは「熱狂的なファンが多い」というよりは「愛されている」「信頼されている」という表現が似合うように感じました。私が連想したのはTwitterのシャープさんです。ちょっと抜けてて、なんだか中の人が見えていて親近感がわく。いつも全力で楽しんでいるように見えて実はいろんなひとに配慮している。抜群のバランス感覚で踏み越えてはいけない線を絶対に超えない。だから信頼できる。私の抱いた印象はこんなかんじです。
もうひとつ、キズナアイさんはいわゆる「男性に媚びたキャラクター」ではないですね。なんといいますか リナ・インバースを現代風にマイルドにした感じでしょうか。
まず前提として、"重ね合わせ"は基本的に量子レベル、ミクロな世界のものなのです。
クッキーはマクロ世界の存在だから「可能性が重なった状態」にはなってない。
だから割ったクッキーを観測しようがしまいが、割れた断面は確定しているわけです。OK?
それじゃ次は"注意深く条件設定した場合"はどうなるのか話してみよう。
"シュレーディンガーの猫"というのは、放射性元素の崩壊っていうミクロな話を、猫の生死っていうマクロな話に上手いこと連動させた思考実験なのね。
放射性元素の崩壊ってのは確率的な現象で、観測されるまでは"崩壊した/してない"ていう重ね合わせ状態にある。
そこで、十分に少量の放射性物質、ガイガーカウンターとそれに連動したハンマー(放射線検知したら振り下ろされる)、あとは揮発性の毒が入った瓶をハンマーの下に設置して、それら一式を猫と一緒に鉄の箱に入れる。
すると、箱の中が観測されるまで
・ガイガーカウンターは"放射線検知した/してない"って重ね合わせ状態、
・連動ハンマーは"振り下ろされた/されてない"って重ね合わせ状態、
・猫は"(毒で)死んだ/生きている"って重ね合わせ状態
になるわけよ。
「ミクロ世界だけだと思った?残念!実はマクロ世界でもあり得るのでした!」ってのがこの思考実験のキモね。
で、クッキーの話に戻るんだけど、状態が重ね合わさったクッキー自体はシュレーディンガーの猫と同じギミックで作成可能よ。
ガイガーカウンター連動ハンマーで叩き割るのを毒瓶でなくてクッキーそのものにすれば、"割れている/いない"って重ね合い状態が作れるでしょ。
これが"注意深く条件設定"して作成した量子重ね合わせクッキーにあたるのかな。
無理というか私の貧弱な想像力ではクッキーを量子もつれ状態に持っていけるギミックが思いつかないというだけなんだけども。
そういうわけで、"注意深く条件設定した場合"でも"量子もつれクッキー"なんて想定できないから、それをもとに回答なんかできないわけ。
そいで、もし元増田が想定できるんならそれを教えてちょうだいな、というのがブコメ("注意深く条件設定した場合"をまず~)の趣旨だったのね。
でまあ過程とか無視して量子もつれクッキー作ったらどうなるの?っていう卓袱台返しだけど↓
どうにかして「可能性が重なった状態」のふたつに割ったクッキーを作ったら、量子もつれ状態の粒子の代わりに量子テレポーテーションの実験に使えないのか。
実験には使えないね。例え話として説明に使うのもちょっと厳しいかな。
だって"量子もつれクッキー"がどんなものか分からないからね。
「量子もつれ状態にあるヒッポロ系ニャポーンさ!」とか言われても困るでしょ?それと同じね。
ごくごく単純に、粒子とかをクッキーに例えるならOKよ?説明にも思考実験にも使える。
「EPRペアになってる粒子対」あたりを「割れたクッキー対」、「粒子のスピン」あたりを「クッキーの断面情報」に言い換えるだけだもの。
もちろんこれはクッキーじゃなくともよろしい。煎餅でもチューペットでもキットカットでもOK。
え?クッキーで例えた意味が無いって?まあ例え話なんてそんなもんよ。
ついでに最初のブコメではそういう意味に取った上で回答したんだよね。
とまあこんな感じでどう?
量子テレポーテーションとか、知らずに聞いたらトンデモSFの領域だぞ。
「知らずに」聞いたらトンドモに聞こえますよね。
考古学についてはどう思う?
現代文学は?
哲学は?
それをうまく使えば有効に機能するという側面がある点を認める必要もある。
そんなの常識だと思うけど。
真面目に向き合わなければならない理由がないし、
真面目に向き合った後でなければ発言してはいけない理由もないと思う。
もっと言えば「僕に将来必要になるかも知れないのだから不毛と断ずるのはおかしい」
という人があるかもしれないけれど、
何かをやろうと思ったら何かを捨てなければならない犠牲にしなければならないわけで、
少なくとも今の僕にとってはキリスト教はわずかなりとも時間を割く価値がないもの。
それでも別の理由で勉強しなければならない状況になることもあったりする。
話題そのものが要求する前提知識が多ければ多いほど、「難解な話」になる。
それらの前提知識を「当然の知識」としてしまっている人とは、そもそも会話が成立しない。
では、聴衆にどの程度の「当然の知識」を要求するのか?
ちなみに、「高度な話」と言うのは、その全てにおいて、単に相手に期待する前提知識の量が多いだけだ。
「量子テレポーテーション」の話とか、普通の人は聞いてもなんだか判らないだろう。
例えばこれが、歴史認識やらの話になると最低だ。
そもそもの期待される前提知識が間違いだと言うのに、その前提知識も理解できないバカと断定し、自分は高度な話をしてると思っていたりする。