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はてなキーワード: 必然とは

2023-12-22

anond:20231217183346

>何年もかけてイスラエルを油断させつつ武器を溜め込み、

誤認がある。「何年もかけて」ではない。「2年半にも満たない短期間で」だ。前回の大規模衝突は2021年5月NHK中東解体新書が素晴らしくよく出来たサイト作ってるので貼っておく。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/gaza-israel-conflict-2021/

当事者の2万字インタビューとか、ハマス反省会とか、10.7攻撃調査報告書とかがあるわけじゃないから断言はできないが、ハマス専門家100人いたら99人は、この衝突の終了後から今回の攻撃計画が始まったと答えるだろう。

>何百人かのイスラエル人や他国の人を殺害し、拉致した。その結果として、イスラエルがマジギレしてパレスチナが壊滅的な被害を受けている。

これは過去の衝突で何回・何十回と起きた事で、意外性はゼロハマスによる攻撃第一報を聞いた国際政治専門家100万人いたら、100万人が(程度の差はあれ)この展開を予想できたはずである

>僕はてっきり二の矢三の矢があるのかと思ったけどそうでもなかった。もしかしてそれをイスラエルに阻止されたの?

あるかないかで言えば、物理的には兵器、例えばロケット弾とかは相当数あったと思われる。ただし、人手が絶対的に足りなく、また、イスラエル空軍が大っぴらに介入してくる状況で、ロケット弾の飽和攻撃(大量一斉発射)は不可能であり、さりとて小規模な発射であれば、それへの対応イスラエルにとっては日常業務であり、阻止されるのは攻撃から誰でも分かっていたはずである普通に考えれば、ハマス第一撃に全力をベットする決断を下し、そして、それは十分な成功を収めたと言える。

>それとも、あの10/7の攻撃が最大の攻撃目標を達成できなかった?

目的が何か、というのを素人部外者深読みしがちであるが、そもそもハマスの存立基盤は(腐敗して頼りならないファタハと違って)反イスラエルを貫き続けることであり、攻撃を行ってイスラエル(がスルーできずに大規模反撃に乗り出す程度)に損害を与えれば、それで「目標を達成でき」たとしか言えない。それに付随した成果・結果は色々とあるが、それは極論すれば外野勝手評論であって、ハマス的には二次的な要素に過ぎない。

たとえばアブラハム合意以来進んでいるイスラエルアラブ諸国の接近の阻止が云々、というのは指摘されがちだが、じゃあ交渉が不調だったら攻撃をしなかったとか、逆に交渉が順調だったら攻撃を早めたのかと言えば、それはどちらも寝言は寝て言えである攻撃が最大の成功を収められるタイミング(それが50年前と同じくヨム・キップルの日になったのは偶然だが必然でもある)に攻撃した、以上の意味は(たとえばそれがハマス人間から出た言葉だったとしても)すべて後付けでしかない。

>あるいは、世界の注目を浴びることが目的だったのならそれは成功はしていると思うけど…

まあ広い意味では目的だとは言える。ハマスが存続するためにはパレスチナの人々(ガザに住む人だけでなく)から支援以外にも、主にイスラムからやってくる経済的な援助や政治的な同情も必要であり、それを得る手っ取り早い手段は、イスラエルに損害を与え、報復攻撃を受けてパレスチナ人が被害を受けることである

残念ながら過去75年間、パレスチナ人は酷い目にあいつづけており、イスラム圏では「同情疲れ」とでも言うべき状況にある。パレスチナ難民の総数は600万人以上で、その大部分が国籍も何もない難民暮らしを強いられ、二級国民未満の扱いに甘んじている。無論、受入側の国にも事情があり、彼らに安易国籍を与えると忽ちそこがパレスチナ人の国となり、そうなるとまず間違いなくイスラエル(とその後ろ楯であるアメリカ)は、パレスチナ問題の「最終的解決」として、西岸ガザパレスチナ人をその国の国民位置づけた上で全員追放してしまうだろう。これは勝手想像ではなく、少なくとも40年前、レーガン政権当時のアメリカイスラエルの一部で、ヨルダンパレスチナ化を和平の手段として探っていた。

話が逸れたが、そういうわけで、パレスチナ問題を人々の意識に浮上させるために、ハマスは「成果」と「被害」を適宜発生させる必要がある。現時点での印象をまとめると、

アメリカの若年層など、事前に想像された以上に反イスラエル感情が噴出したことは予想外の成果。ただし、肝心要のアラブ諸国政府の反応は期待よりも低い」

ぐらいだろうか。ここは詳しく書くとキリがない(過去の反応との差分を全部出す必要がある)ので省く。

>何年もかけて準備した結果、「相手に痛い目見せてやりましたぜ。一矢報いた。その結果俺達ぼろくそやられることになったけど知るもんか」ってことなのかな。この辺が全然からない。

を正しく書き換えると、

わずか2年半の準備でイスラエルに前代未聞の大損害を与えられた。予想通り民衆を大量に巻き込む攻撃を行ってきたが、予想以上に国際世論が反イスラエルに傾いてて正直ビックリアッラーアクバル!」

ぐらいになるだろうか。

2023-12-20

日本コンテンツが元気なのは偶然?必然

Netflixなどの配信サービスが増えたことでアニメが伸び、副次的漫画が伸びつつあるが

これって偶然なんだろうか

 

日本は大体自国で楽しんでいたところに、アメリカが突然コケて結果海外バズるみたいなケースが多くないか

アタリショックことなんだけど

 

基本的にはアメリカの後追いから始まってるんだよ

で大体2番手にいつもつけてて、アメリカコケると自動的に抜き去ることもある

まあアメリカが復活すると追い抜かれるんだけど

人口差も資本差も段違いだからしょうがいね

 

人口と言えば中国は伸びているものの思ったほどではなかったよね

10年前は中国もっとコンテンツ業界でも席巻するんだと思ってたが

まだそうなっていない、俺にリーチしていない

逆に韓国はこの20年ですごく伸びた

雑な考えだけど、人口よりも文化醸造時間がかかるのかもしれない

 

日本幸運すぎるのはやはり漫画市場だと思う

たくさん出るし作家性を残している、売れたらメディアミックスしていくみたいな仕組みはオーディション的でありリスクをかなり減らしている

ラノベでもそれは起きたし、エロゲでも起きた、それらは一定文化規模が拡大した(頭打ちになったけど)

もったいないのはスチームが日本でできなかったことだね、あの仕組み作られたら負けるよ(と思ったけど案外負けてないのがまた意外)

 

今って過去遺産も使って海外侵食していると思う

マリオ世代ポケモン世代大人になってきているし

ボーナスタイムに入ってる、これはあと10年は続くだろう

そっから先はわからん

日本コンテンツが伸びる必然性があるなら伸び続けるのかもしれん

 

そうだ、実写界隈って明らかにハリウッドの影響でしぼんだ説あるよね

強いところが現れるとほかがしぼむ可能性はあるね、俺は逆だと思ってたんだけど

 

欧州ってどうなってるんだろう?若者は何して遊んでるの?

2023-12-19

エコーチェンバーアノン

最近ブクマカとかTogetterなどでも目立つけど

ある界隈に対し「お前らエコーチェンバー!」って言ってる側の方がエコーチェンバーの特徴をしてるというよくありがちな現象

まあ自らの姿を客観視出来ない集団アノンになるのは必然




あ、この増田みて「そうそう、これだからアノンはwwwww」

って思った増田いるでしょ?

お前だよお前

2023-12-11

トランスジェンダー関連 自分の考えまとめ

最近トランスジェンダー関係ツイートをよく追っていた

トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ

毎回議論脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ

なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく

文献を引いてくる気はないし単語かいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない

これは自分トランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである

あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい

性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である

その違和感改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする

この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない

そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない

それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う

どれくらいいるのかはわからない

もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう

手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない

性同一性障害治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない

五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう

今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はい

特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている

現状のずれとは何か?

もともとこれは性同一性障害患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったこである

性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)

最初に述べたようにトランスジェンダー性同一性障害は違う

トランスジェンダーという概念性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい

本来性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある

幼少期から違和感があった人のなかに性同一性障害ではない人もいる

ここが本当にややこしい

色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった

今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと

女の体でも男だと思っているし、逆もまたしか

から外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない

そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲から自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる

その一環として自分の望む性別戸籍を変えたいというのは、自然な流れである

性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている

で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在社会の中で存在感を増すということは必然的性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである

性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す

トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる

疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする

ベジタリアンみたいな感覚と似ているなと思う

そういうライフスタイルで生きていくことにした人達

そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダー定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない

ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定いるからだ

自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う

ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる

もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアン認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな

そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない

いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない

実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない

トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的性別というのは可逆的なものになる

いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている

実際どういう扱いなんだろうな

トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる

不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い

GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている

特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い

唯一にして絶対の正解はない

正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる

置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ

さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダー社会のなかで存在を増していくとどうなるか

当然性別でわけられていた施設はどんどん意味をなくしていく

目の前の人が自分想像する性別とは異なるかもしれない

でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然

段階的な対応が求められる

私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対必要だと思っている

ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように

ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない

そういう感じのイメージ

いまトランスジェンダー議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う

現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる

それに対してびっくりしてしま一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい

こういう人たちはトランスジェンダーサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな

なぜならそんな風に一般大衆論破してもトランスジェンダー理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだから

ロビー活動としては下の下、愚の骨頂

たここでも置いてきぼりになる当事者たち

トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性女性です」の言葉象徴するように常に周囲から自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる

だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない

まだその段階にない

それが性別でわけられたスペース利用についての議論スタート地点

ではゴールはどこなのか?

これは人によって目指すものが異なるだろう

そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう

望むゴールが違えば話はどんどん食い違う

譲歩しているのだ、と双方が思っている

トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている

混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う

いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう

私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている

性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合一定数残していく

その数のバランスニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい

それが多様性のある社会というものだろうから

以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました

色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった

満足しました

2023-11-30

anond:20231129144743

大麻について専門家の話

京都大学大学院薬学研究科

京大薬学金子研・薬物依存

大麻危険

https://www.pharm.kyoto-u.ac.jp/channel/social1.html

はてブ

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.pharm.kyoto-u.ac.jp/channel/social1.html

大麻危険

医薬品としても嗜好品としても

不適切かつ不要依存性薬物(麻薬)であり、

我が国では大麻医療用あるいは嗜好品として

容認される必要必然もまったくないと考えます

医学的要因>

1.精神依存性(耽溺性)があるため

2.幻覚作用を有するため

3.CB1受容体は40年かけて創薬標的としては不適切判断されているため

4.常習的な使用によって脳の萎縮が起こり認知症リスク高まるため

5.受動喫煙による他人への健康被害が避けられないため


社会的要因>

6.向精神作用に起因する犯罪が増加するため

7.使用によって交通事故を起こすリスク高まるため

8.関与が疑われる事故犯罪において、鑑定が難しいため

9.より強力な依存性薬物へのゲートウェイ入口)となるため

10.大麻の売買による資金武器兵器流れるため

<よくある質問FAQ

5.大麻タバコより害が少ないのではないか

 大麻有害性とタバコ有害性に強弱をつける意味がわかりません。

また長期使用による弊害はどちらも

健康を害するという意味では深刻な害であり、

大麻タバコも手を出すべきではありません。

専門家の話を信じるよ

時代問題じゃなくて有害かどうかだね

2023-11-29

anond:20231129182250

誰がやっても同じ結果になる見込みしかないならただの必然

クリノメガエース批判での炎上事件

何が起きた?

ジャパンカップはイクノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランド活躍で華やかに終わった。

その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属チェスナットコート、クリノメガエースの参戦があった。

チェスナットコート中央で4勝しオープン入りしてから地方転籍、クリノメガエース中央新馬勝ちをしてから地方転籍なので、中央実績から所属クラスだけで語るならチェスナットコート文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガエースは3階級格上挑戦ということになる。

(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラスオープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)

しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。

ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。

結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーチェスナットコート最下位18着はクリノメガエースとなった。

力の足りない馬が負ける、これは競馬のよくある風景だ。

ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上批判される事件が起きた。

その人はどこかの育成牧場スタッフという話だ。

さらにそのアカウントに、クリノメガエース生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガエース迷惑かけたのならすみません」と忠告謝罪をした。

ここまでが事実顛末だ。

この批判のまずいところ

競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い

そこを否定してはならない。

そしてあらゆる競技絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。

オリンピックスノーボードレーススピードスケートなどでもたまに見る光景だ。

なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。

日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャー通用しないと言われながら日本野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平活躍があるとも言える。

だって同じで、ジャパンカップそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本競馬進歩は目覚ましい。

今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。

競馬だって今までの挑戦があったから、進歩があるのだ。

この批判理解できるところ

ただ、馬を使った競技において、その挑戦は人のエゴだ。

からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。

馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。

その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退馬肉になることもある。

馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。

しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。

今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。

それならば、外野文句を言う権利すらないだろう。

地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。

タイトルホルダーやドウデュース凱旋門賞に挑み、結果的惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。

未来確約されている馬は、挑戦は大きなリスクにならない。

だがそんな馬は、ほんの一握りだ。

ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。

タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。

個人的経験

ただの競馬ファン個人的経験談になるが、聞いてほしい。

地方競馬も見る増田は、とある地方馬を推し応援していた。

ある時この馬が中央特別レースに出走することになった。

あの時の増田出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子中央で、win5対象特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。

冷静に考えると地方ダート登録している中央は芝。

そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。

何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。

もちろん勝つことはないだろう。

しかし、勝負の決したレースでは流す馬もいる。

俺たちの彼女はいだって全力だ。

ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。

当たるはずのない馬券も買ってレースを見る。

だが結果は中継にゴールシーンが映らないほどの惨敗最下位

パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。

勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。

いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。

でもホーム地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗

目を疑った。

え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?

田舎エリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。

うわっ、あの子傷ついてたんだ…

そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。

もちろん馬主調教師判断だし、ただのファンには何の権限もない。

でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。

「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。


まとめ

別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。

挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。

だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。

ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。

今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。

個人的には、俺たちの吉村騎手ジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。

人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。

しかし実際の競走馬あくま経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。

からこそ線引きは難しい。

まれてこなければよかったんじゃない、みたいな結論もまた、違うんだと思う。

2023-11-28

anond:20231128195530

何を後悔するのか?

この社会に不足しているのはマウント正当性だ。

なぜ人はマウントするのか?

マウントし合うことで競争が産まれ、強いものが生き残るからだ。

強いものが生き残るのは社会必然。それを否定するのは社会否定だ。

マウントされて不満を持つのは当然。マウントされてそのまま燻るならそのまま腐って死ねばいい。

社会無能の余生のためにあるのではない。

お前がすべきことは己の正しさを過ちとしてクソ社会適応することではない。

勘違いするな。

2023-11-26

anond:20231126150412

まあ教養じゃなくて知恵でもなんでもいいけど

本当に優秀な人なら自分が知ってることをほとんどの場合周りが知らないのは論理的必然なわけだし

人類である限り自分が全ての分野をカバーできないのも論理的必然だよね

2023-11-24

anond:20231123185501

本気で不思議なんだけど、

トークできて、スペースなんかもやっちゃって、Twitterで人とやり取りできるし、会ったことのない人の家に泊まれちゃうし、それなりに相手に気を遣って振る舞えるようなコミュ力MAX人間がなんで童貞やってんの?(やってたの?)

1人語りとか人と長く話したりとか全然できないタイプの俺が童貞なのは必然しかいえないけどこの増田童貞なのはけがからないそんなことあっていいの?

しかもよ初対面の女性アプローチかけられる程度には容姿だって悪く無いってことなんだろ?

お前みたいな増田童貞だったなんてふざけんなよ謝れ

2023-11-18

anond:20231118172658

日本大学生も昔はそれくらい読んでたと思うけどね

今は娯楽も発達したし、昔の学生よりも大学受験最適化されすぎてて興味の幅が狭い

民間企業多様性を求めているご時世、AO入試枠の拡大はある意味必然かとも思う

2023-11-15

anond:20231115075646

外貨を稼げる産業自動車くらいしか残ってないね

これが貧乏の始まり

工業をやりたい人がいないか必然貧乏だわ。

2023-11-12

anond:20231112175117

やっぱり安いじゃないか

そりゃ全国チェーン店なんかは同じに決まってるし(一部除くとしても)

より高いものがあるわけじゃないのだからトータルで安くなるイメージつの必然

anond:20231112131031

高度な技術価値があるんだから、高度なレッスンの料金も高くなるのは必然

anond:20231111204806

科学は「偶然と必然の二分法」なんて馬鹿行為をしないでちゃん統計学というのをつくったよ

99%の確率と予想されたことでも残り1%をひいちゃうことがあってその理由をきかれたとき言い訳文系が「偶然」といってるだけだよ

2023-11-11

anond:20231111204806

偶然というか、必然だろうな

無限に拡がる宇宙生命存在できる地球があるのは当たり前

それよりも、宇宙存在理由のほうが大切だと思う

2023-11-10

名探偵コナンが「母と子で楽しめる国民的殺事件アニメ」になるまで

Q:エロ暴力表現ダメなら毎週殺人事件全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?

A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺し番組」と叩かれまくっててPも監督短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供テレビを見る母親不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。

レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示

そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館名探偵コナン映画パーフェクトガイド

「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」

ーーアニメ名探偵コナンプロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦敬称略)/吉岡ツイッターより引用

(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写NGなだけでコナンでは男女平等殺人事件被害者にも加害者にもなってる。クズ怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)


今の深夜アニメ萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナン新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民アニメ地位を獲得するに至った。


Xにて「コナン 規制」でユーザー検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンアカウントを筆頭に「エロ表現規制されるならコナン規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやす乱暴な言い方をすれば、コナンアニメ開始前からフェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率市民権をゲットして生き残ってる。



もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去婦女暴行事件動機になったり、(殺人事件被害者美女場合遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、

名探偵コナン』の犯行動機婦女暴行が出現することは無く、過去児童殺傷事件犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童殺人事件被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供お茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。

どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。



名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画から国民エンタメ作品」へ昇華するバランサー役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、

名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送諏訪道彦プロデューサー東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント吉岡昌仁プロデューサーこだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。


以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督こだま兼嗣氏の発言だ。

あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。


小学館名探偵コナン映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー


名探偵コナンTV局のプロデューサーアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親チャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。



悪い言い方をすれば 1996年アニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。



2013 年にトムス側のプロデューサー吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、

吉岡さんの証言に基づくと、青山先生アニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリック絶対可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点差別の話とか」 という内容だ。



コナンテレビ裏話#24
コナンスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから


コナンテレビ裏話#25
つづき
セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。トリック絶対可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険ものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去作品を観てみて。ホントから

吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840


2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画シティーハンター 新宿プライベートアイズインタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。



開始1話被害者の首を吹っ飛ばして「これで文句がくるならやめよう」

インタビュアー劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?

⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。

こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)だって1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから

⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。


1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌こだま兼嗣対談

初期の『名探偵コナン原作漫画は、週刊少年マガジン金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体トリックに使う「包帯男山殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激描写も多かった。

コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロイン毛利蘭ショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。


子供と一緒にテレビを見ている母親チャンネルを変えかねない、それらのショッキング表現コナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。


血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写カットし、死者の遺体に敬意を払った。


名探偵コナン放送初期は普通に人殺し番組」としてマスメディアからぶっ叩かれていた

テレビコナン裏話#14
コナンスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体コナンバッシング記事が載った
ワッチ理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032

初期のコナンアニメは、複数の”ある団体からバッシングに狙われていたという。

最初期のアニメ内で描かれる被害者遺体原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。



不快感への配慮とホンモノらしい捜査の両立

こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画アニメ化にあたり、子供テレビを見る母親不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、

これについては諏訪道彦プロデューサーTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。

原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前からマンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。

中略

被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクション映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡りセンチ包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)

シナリオ絵コンテアフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督編集マンなども含め、チェックが続けられている。

調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
名探偵コナン諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー


出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考える

事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)

トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html




(早期打ち切り可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作10億円強奪事件』の最後殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由アニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。

コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888



とまあ、マンガ・アニメ過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、

名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイム全国放送に漕ぎ着け、マスメディアバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切り回避しつつ20年以上国民アニメ地位キープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。


黎明期コナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親チャンネルを変えそうな描写NGルールの制定に寄与たこだま監督吉岡プロデューサーコナン現場を去って久しい現在コナンコナン佐藤刑事高木刑事の「夜の激しい運動セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。

2023-11-09

anond:20231109191528

1. セ・リーグの圧倒的な人気

阪神セ・リーグで唯一の関西球団である

昔のパ・リーグなど人気は皆無で、テレビを付けてもセ・リーグ試合しかやっていなかったので、阪神ファンが増えるのは必然だった。

近年はパ・リーグも人気が出てきたので、若いオリックスファンも増えたのだろうが、とはいえ阪神の人気が圧倒的に高いのは変わらない。

2. オリックス出自

オリックス・バファローズは、オリックスブルーウェーブ近鉄バファローズ合併して生まれ球団だが、主体となったのはブルーウェーブのほうである

まり神戸から大阪引っ越してきた球団」であり、昔から大阪根付いていた球団ではない。

近鉄バファローズのほうは大阪球団だったが、前述のとおりパ・リーグの人気は無かったし、たとえば本拠地藤井寺球場地図で見ると随分と南東にあったことがわかる。

まり近鉄路線大阪-奈良-三重と横に広がる路線なので、球場もこんなところにあったのだが、大阪北部の人たちはあまり近鉄に乗らないのである

3. 摂津国範囲

現在大阪府はかつての摂津国河内国和泉国から成り立っているが、明治以前は「大坂」といえば摂津国のことだった。

摂津国は、現在大阪から兵庫県尼崎市西宮市神戸市の一部までを含んでいた令制国である

まり甲子園のある西宮市は、歴史的には「大阪の一部」だったのである

これについては大阪平野の広がりをGoogle Mapなどで見てもらえればわかりやすいだろう。

2023-11-03

すみっコぐらしの新作映画が、超絶がっかり作品だった

俺、昨晩仕事が終わってからマジでうっきうきだった。

今日公開される、すみっコの映画『ツギハギ工場のふしぎなコ』のチケットを予約してたからだ。

   

俺がすみっコの魅力にやられたのは、妻の影響。

1作目・2作目はアマプラで視聴し、その可愛さと感動のストーリーに悶絶した。

それなのに、妻からは「映画館で観るとまた格別やから」と聞かされた。

アマプラでさえこんなに可愛くて感動するんだから映画館で観ちゃったらもう幸せすぎて宇宙まで飛んでいっちゃうんじゃないかな、と心配してた。

   

でも、そんな心配無用だった。

公開初日今日映画を見終わった妻と俺は、2人とも言葉を失っていた。

感動のせいじゃない。あまりにも期待外れすぎたからだ。

せっかくのすみっコの映画なのに、しかも69分しかない短い映画なのに、途中で「はよ終わらんかな・・・」とすら思ってしまっている自分ドン引きした。

『ツギハギ工場のふしぎなコ』は、本当に残念な作品だった。

   

個人的に、なぜ今回の映画がこんなに残念だったのかを考えてみた。

もちろん、本作を観て心から満足した方もいるだろうから、以下はあくまでも俺の主観

Xの投稿を観る限りでは「感動した」「かわいかった」っていう声が大多数だから、俺の感覚が正しいとは思わない。

俺と同じように本作にモヤモヤしたっていう人にとっては、多少なりとも共感できる要素があるのではと思う。

  

【残念ポイント1】要所要所の必然性希薄である

まず、ストーリー必然性を感じられなかった。

すみっコに必然性を求めるなと思われるかもしれないが、そういうことじゃない。

1作目・2作目はファンタジー要素がありつつも、ストーリー全体として「なぜ物語が始まるのか」「なぜこんな展開になるのか」がはっきりしていた。

   

●1.ぺんぎん(本物)がぬいぐるみを持ってきた背景が謎

本作の主人公は、しろくまだ。

しろくまのもとに、ぺんぎん(本物)がぬいぐるみを持ってくるところから、話は始まる。

ぬいぐるみは、しろくま実家で大切にしていたという設定になっている。

   

俺が記憶している限り、ぺんぎん(本物)がしろくまのもとにぬいぐるみを持ってきた動機がはっきりしない。

いや、まぁ「しろくま大事にしていたぬいぐるみからしろくまの元に届けてあげよう」と考えたんだろうとは思う。

ぺんぎん(本物)としろくま親友のような関係であることは、にわかすみっコファンの俺にでもわかる。

   

けど、なんでぺんぎん(本物)がしろくま実家に行ったのか、なんでしろくまの親御さんや兄弟からぬいぐるみを預けられたのかが、全然からない。

このぬいぐるみは本作の中でけっこう大切なポジションなのに、そのへんの背景がわからいから、ストーリーにいまひとつ没入できなかった。

●2.すみっコたちが文句を言わず働き続ける理由が謎

それから工場おもちゃ作りに励むことになったすみっコたちが、なぜ文句を言わずに働き続けるのかもわからない。

最初のうちは、純粋おもちゃ作りが楽しかったんだと思う。

企画会議でも活発に意見を交換し、新商品の開発に積極的に取り組んでいた。

生産目標数を達成することに満足感を得ていたようにも思う。

でも、数日経った頃から、様子はまったく変わっていた。

くま工場から課せられるノルマは日々増え続けていき、持ち場を少しでも離れればロボットアームで定位置強制連行される様は、お世辞にも楽しそうには見えなかった。

   

すみっコたちがおもちゃ作りを頑張る明確な理由は、なにひとつなかった。

一応、食べ放題社員食堂があったり、豪華な寝室が用意されていたりと、福利厚生は充実していたように思う。

でも、別にすみっコたちって食いしん坊でもなければ、住処に困ってるわけでもないじゃないか

第一工場すみっこにあるソファでみんなで固まって寝てたから、寝室に関してはほぼ使ってないし)

   

たとえば、「すみっコらんどに帰れなくなっちゃった・・・!」的な理由があるなら、工場で頑張って働くのもまだわかる。

けど、そもそも徒歩でたどり着いた工場なんだから、帰りだって徒歩圏内のはずだ。

なんでくま工場長の言いなりになって働き続けているのか理解に苦しむ。

   

ひょっとしたら、「仕事が苦しくても辞められない日本人」的なところを投影しているのかもしれない。

でもそれなら、「苦しいけど、くま工場長に悪いから辞められないね・・・」的なすみっコたちの葛藤があってしかるべきだ。

そのへんが描かれていないので、すみっコたちがあたか自分意思なくただひたすら奴隷のように働いているように見えてしまった。

俺はすみっコの可愛い姿を見たいのであって、可哀想な姿を見たいわけではなかった。

   

【残念ポイント2】とってつけたような展開が続く

必然制の希薄さ、という点と少しかぶるが、とってつけたような展開が続いたことも、映画に没入できなかった理由ひとつだ。

   

●1.とってつけたようなアクシデント

途中、何度かアクシデントが発生した。

たとえば、とんかつ大量発生したり、おもちゃがすみっコらんどを席巻したり。

でも、各アクシデントが次の展開につながることはなかった。

アクシデント解決して、ホッと一息ついたら、また次のアクシデント・・・という感じで、脈絡のない小話が延々と続いているような印象だった。

とんかつの増殖については、ロゴマークを消すとおもちゃが命を失う・・・という設定が明らかになる伏線になってはいるが、このロゴマーク設定もけっこう雑だった。

   

●2.とってつけたようなロゴマーク

おもちゃ工場ロゴマークをつけると、おもちゃに命が吹き込まれ自分意思で動くようになる。

で、そのロゴマークをこすって消すと、動かなくなる。

この設定はけっこう大事な気がしたが、割とあっさり無視されていた。

   

たとえば、くま工場長が実はおもちゃだった・・・という衝撃の事実が判明するシーン。

くま工場長は動かなくなってしまっていたが、ロゴマークははっきりと印字されたままだった。

なんでロゴマークがあるのに、急に動かなくなったの・・・

   

かいところでは、しろくまが持っていたぬいぐるみにもロゴマークがはっきり印字されていたのに、なぜ動かなかったのかという謎も残る。

まぁしろくまぬいぐるみに関しては、経年劣化で動かなくなったという見方もできるけど。

でもそれなら、ロゴマークが薄れてしまってるなどの工夫は必要なのではと思う。

   

●3.とってつけたようなラストシーン

おもちゃ作りを放棄したすみっコたちに激おこになり、工場暴走する。

で、その暴走が実は苦い過去の思い出によるものだったと判明する。

そのとき、すみっコたちは「役に立たなくたって仲間だよ」と言い、工場笑顔にする。

なんつーか、唐突な流れすぎて感動が追いつかなかった。

ありがちな感動展開でうまくまとめようとした感じが拭えない。

てか工場に対して仲間意識を持つなら、くま工場長への心配があってしかるべきだろと思うが、すみっコたちは全然くま工場長のことは忘れているようだった。

そのあたりのアンバランスさも、すげー気になった。

   

【残念ポイント3】すみっコたちが楽しくなさそう

そして何より、すみっコたちが楽しくなさそうだった。

これは俺の主観かもしれないが、少なくとも俺はそう感じた。

本作のすみっコたちは、楽しそうじゃなかったのだ。

   

自分たちがやりたいから、これをやる」っていう、前向きな雰囲気が感じられなかった。

もしかして、くま工場から褒め言葉に縛られているのでは・・・?と心配にすらなった。

   

くま工場長は、すみっコたちを工場スカウトする際、みんなのことを一人ひとり褒めた。

だけど今思うと、すみっコたちを思い通りに働かせるために操作しようとしているようにしか思えない。

っていうネガティブ感情をもってるわけだが、映画館の来場者特典として「くま工場長のほめスクラッチカード」ってのがもらえる。

硬貨でこすると褒めのセリフが浮かび上がってくるという代物だ。

俺のカードは「だいじょうぶ!みんな、すごいから!」、妻のカードは「サクサク!」だった。

サクサク!がなぜ褒め言葉になるのかは、映画を観た方ならお分かりになると思う)

いや、この話の流れで、このカードもらって喜ぶお客さんっているんだろうか。

このあたりの細部の手抜き加減も、すげー残念だった。

   

2年後に4作目が出たら、また映画館に行くだろう

とまぁ、今回の映画は本当に心底残念だったわけだけど、俺がすみっコ好きなのは変わらない。

今のところ2年周期で映画が出ているから、また2年後、2025年に4作目のすみっコ映画が公開されたなら、俺は間違いなく公開初日に観に行くだろう。

そのときには、妻が言っていた「映画感で観ると格別やで」を実感できるとうれしいな。

2023-11-01

anond:20231101103447

経済学者が、郵政民営化をしたら貧困化するのは必然日本が衰退するための奇跡のような最適解って言ってるんだよなあ

2023-10-31

フェミニスト弱者男性あんたを勇者パーティから追放するから

弱者男性ちょっとまってくれよ!なんでだよ!」

フェミニストあんたがパーティーメンバーをいやらしい目で見ているの知ってるんだからね」

弱者男性「そんなことない!」

フェミニスト「じゃあ、どうして私を見て鼻息が荒くなるわけ?ほら今だって胸元見てるし」

弱者男性「それは……あれだ。おっぱいが揺れてるなって思って……」

フェミニスト「このド変態野郎!!」

弱者男性「うわぁああああああ!!!

フェミニストビンタされた俺は空の彼方へと吹き飛んでいった。

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俺の名前は、増田太郎職業は『弱者男性』。

ある日突然、魔族に村を滅ぼされた俺は他の生き残りたちと協力して魔王復讐するために旅に出た。

しかし、女性しかいないという国に着いた途端に、仲間だったはずの『フェミニストから一方的追放されてしまったのだ。

フェミニスト』は勇者パーティの一員であり、女性だけで構成された最強の戦士集団の一員であることを意味する。

俺は失意のまま、森の中をあてもなくさまよい続けた。

しかし、やがて森の奥深くまで迷い込んでしまったらしく、ついに道がわからなくなってしまった。

俺は途方に暮れて座り込むと、頭を抱え込んだ。

くそっ!これだから人生イージーモードの女はカスなんだ!!俺みたいな弱っちい男を見下して何様のつもりなんだよ!だいたい女ってやつは……」

その時、茂みの中からガサガサっと音がした。

驚いてそちらを見ると、そこには美しい少女がいた。

「あら?こんなところで何をしているんですか?」少女はそう言って微笑むと、小首を傾げた。

その瞬間、俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

(なんて可愛らしい女の子なんだ……)

まるで天使のように可憐で美しく、しか巨乳だ。

今まで見たこともないような美少女の登場に、俺は心臓が高鳴った。

しかするとこれは運命かもしれない。

そうだ。きっとこの出会いは神によって定められた必然なのだろう。

俺は意を決して立ち上がると、彼女の方へ歩いて行った。

そして、大きく深呼吸してから言った。

「君の名前は?」

彼女不思議そうな顔をしながらも答えてくれた。

ジャミルと申します」

その名前を聞いた瞬間、俺は歓喜に打ち震えた。

の子こそ、俺にあてがわれた女神様に違いないと思ったからだ。

「おお、女神よ!どうか私と結婚して下さい!」

俺はそう叫ぶなり、彼女に抱きついた。

「きゃあっ!?いきなり何をするんですか!?

彼女は驚いた様子だったが、すぐに振りほどこうとした。

だが、非力なのかなかなかうまくいかないようだ。

ならば実力行使あるのみだ。

ダイエットを再開しなければ

けど必然に欠ける感じ

2023-10-30

anond:20231029224211

横だが、必然がなくなるって話をしとるんやろ

から自主的学習をする層としない層という分断がおき、結果格差につながる

2023-10-28

絵描き世界ゾルラーク

マネ「笛を吹く少年」(1866)

 

灰色背景に笛を吹く少年が佇む。

誰もが見たことがあるだろう。図工の教科書に載る絵の定番だ。

この絵のどこが凄いのかわかるだろうか?

それは・・・

 

背景を描かなかったこである

 

この凄さを知るには歴史を語らねばならない。

昔の庶民は字が読めなかった。字が読めなければ当然聖書も読めない。

牧師さんたちは字の読めない人のため、教会の壁に聖書の名場面を描き始めた。宗教絵画の始まりである

 

時代が降るとやがて壁画を描く人々は専門化していった。

親方師弟制度、そして職人ギルド。絵を描くことで金を稼ぐ専門家集団。彼らは芸術家ではなく職人であった。

彼らの稼ぎのもう一つは肖像画である。昔の金持ちはよく肖像画を描かせた。我々が写真館で証明写真や753の写真を撮るように、彼らは自分家族の肖像画を描かせたのだ。当時の絵描き写真屋の代わりであったと言える。

写真から出発した西洋美術がよりリアルに、より精密に、表現が発達していくのは歴史必然であった。

  

長い時が流れ1866年、「笛を吹く少年エドゥアール・マネはあえて背景を描くのをやめた。マネは絵をデザイン的に捉え、少年の赤い服を魅き立たせる補色を背景に置いたのだ。

 

絵はもっと自由で良い。

 

マネ写実主義から印象派へと人々を導いた。「印象派の父」として知られる。

 

 

『あえて背景を描かない』

 

現在では手抜き絵と呼ばれる

 

 

anond:20231027224113

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