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2024-03-10

anond:20240310102654

ガンダムのような古典的リアル系ロボット

ドッカンバッカ宇宙で謎の音出して戦ってる二足歩行ロボがいつからリアル路線になったんだよ

スターウォーズの仲間だぞ。AI自動操縦ではなく、何故か人間操作しているのも含めてね

理系文系って括りが崩れてきてるよね

スーパー系ロボットリアル系ロボットの括りぐらい崩れてきてる。

最近スーパー系ロボットでもSF的な考察を入念にしてくる。

リアル系ロボットは昔とった杵柄をブンブンすりゃいいと思って全く進歩がない。

厳密に言うと、ガンダムのような古典的リアル系ロボット進歩を諦めて「俺らは昔からこれでやってっから!」と逆ギレしている横を、新世代のリアル系ロボット言い訳としてスーパー系の要素を盛り込み始めたことで、リアル系でありスーパー系でもあるロボットが増えた。

技術進歩すれば巨大人ロボット実用化されるという可能性が、ドローン技術の発展によっていよいよ非現実的ものとして確定していったことが、リアル系ロボットに対して『半端じゃない言い訳』の必要性をつきつけ、その結果として古典的スーパーロボットSF要素との融合が進んだってことだ。

スーパーロボットとして端を発したコンテンツについても、観賞者の技術的な基礎教養時代とともに高まるに連れて「レバー操作」なんてものは受け入れられにくくなり、脳波コントロール等の技術を導入する必要に迫られ、結果としてリアルロボット色の強い設定が組み込まれていくようになった。

こうしてスーパーリアルの垣根は崩れていき「非現実的な巨大人ロボットといふものを、なんとかして真面目な顔して使わせるにはどうしたらいいのか」という方向に業界全体が流れていったわけである

ぶっちゃけ、『巨大ロボで真面目に戦争やっても許される雰囲気作り』が重要なわけである

バーンブレイバーンなんかはこの辺が結構力技で、そもそも地球に元々巨大人型ロボが実用化されているという無茶苦茶すぎる大嘘に向かう視聴者意識ブレイバーンという特急異物の異常性によって上書きしている。

地球で既に軍事用人型ロボット運用されているという無茶すぎる設定を、ブレイバーンという大ボケかますための『前フリだったことにした』わけである

昨今、ロボットアニメではこのような、「これは半分ギャグからかいこと気にしたら負けです」という言い訳も使われるようになり、いよいよもって「そもそもリアルロボとかありえねーよな」という空気になってきている。

大人型ロボがいる時点でリアルなんてもの存在しないという大前提があり、その上に「でも人間模様とかにはある程度のリアルが介在するじゃん?」って態度で作劇をしている。

スーパーリアルかの垣根は、作中のキャラクターがその状況に対してどう対応するのかによって描かれるものになりつつある。

まりは、ロボ自体無茶苦茶でも人間模様が生々しければリアル系、ロボだけじゃなくて人間まで滅茶苦茶ならスーパー系というわけだ。

現代を生きるスーパー系代表ゲッターロボシリーズで、とにかく出てくる人間生き様や設定があまりに熱血かつ豪快で非現実じみているという所によって、ゲッター線というSF考証要素によってともすればリアル系によってしまいそうな設定を抱えながらも、この時代において古典的スーパー系としての立場を維持しつつあるのである

2024-03-09

anond:20240309041054

それ生存者バイアスと公正社会仮説。

仁藤さんは被支援者よりも

不安商法医はヒポクラテスの誓い医よりも

徳島ハーバードビリギャル一般地方民よりも

才能があるってことになるの変でしょ

「才能ある奴は金持ち」と「金持ちならば才能ある」は論理的に全く別。

マジで2024年にもなって古典的中学高校レベル論理を間違えるのやめて欲しい。

2024-03-08

anond:20240308224409

私たち経験する古典的世界」っていう言い回しも、意味は汲み取れなくもないけど、そんな言い方する? って思った。単に「古典物理学」って言えばいいのに。

Claudeのテスト: 量子力学における観測問題意識

Q: 量子観測すると状態確定してエントロピーが減少する。これは具体的に何を意味し、現実世界に何をもたらすのか。

A:

量子力学では「測定問題」または「波動関数崩壊」として知られており、量子の世界私たち経験する古典的世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。

量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数可能状態を重ね合わせて存在します。

この重ね合わせは、すべての可能状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます

しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態可能状態の 1 つに「崩壊します。

したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります

しかし、そのスピンを測定すると、波動関数崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます

この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システム進化ランダム確率的な要素を導入しているように見えます

また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます

このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。

1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆していますしかし、「測定」とは何でしょうか? 私たち意識的認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?

2) 古典物理学支配する決定論法則矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます

3) 観測とは独立して存在する客観的現実についての私たち概念に疑問を投げかけます観測するだけで結果が変わるようです。

4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されますしかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります

コペンハーゲン解釈客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然基本的な側面として受け入れています

多世界解釈のような他のものは、波動関数崩壊を完全に排除しようとします。

しかし、この測定問題量子力学現実のもの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています

Q: 多世界解釈であろうと、意識特定の枝にの存在し、重ね合わせを認識しないように見えます。 では意識とは何でしょうか? 意識はどのように枝を選び、選択するのでしょうか?

A:

意識量子力学における測定問題関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。

ただし、あなた質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。

 

[この文脈における意識とは何でしょうか?]

意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的一人称経験を指します。

量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます

 

[意識はどのようにして枝を「選択」するのでしょうか?]

意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります

1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識客観的波動関数崩壊を引き起こすことを示唆しています私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。

2) コペンハーゲン解釈は、波動関数崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数崩壊引き起こしているわけではないことを意味します。

3) 多世界解釈では、真の崩壊存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。

4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベル創発特性である可能性があると主張する人もいます

正確なメカニズム不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能状態のうちの 1 つを主観的経験するだけであることに同意しています

観察者兼参加者として、私たちは単に自分意識が枝の 1 つにあることに気づきます

重要な謎は、意識分岐選択する際に積極的役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。

これを解決すれば、意識形而上学性質量子力学との関係が解明される可能性があります

 

Q: ではなぜ多世界解釈で、意識特定の枝に「留まる」のでしょうか。

A:

量子力学多世界解釈 (MWI) では、意識特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンス概念と、枝がどのように本質的相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています

1) MWI では、測定が行われるとき普遍的波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。

2) これらのコンポーネント時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。

3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境相互作用もつれにより、非常に急速に動的にお互いかデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界相互干渉する能力を失います

4) したがって、すべてのブランチが異なる既存現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能相互作用や遷移が存在しないことを意味します。

5) あなた意識は、コヒーレントな量子状態自体構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。

6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実体験できなくなります

したがって、意識積極的分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます

2024-03-06

近頃のランドセル事情について現役子育て世帯視点でまとめる

[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/

なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代ランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識アップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。

ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立都心部のリッパな学校地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。

まずランドセルの色と形の話

まぁ、あちこち言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ
もちろん黒・赤の保守層一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーアースカラーブラウンなどカラフルランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。

うちの子もなかなかに目立つ色のランドセル自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性識別きっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子ピンク・パープル・スカイブルー男子モスグリーンマリンブルーなどはそれぞれプリキュア仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味日本の子育てならでは。

そんなのこじゃれた東京学校から、と思うないなら、ランドセル大手ホームページを見てみるといい。

例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx

それぞれ男の子女の子商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつう古典的ランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。

次に、ランドセルを買う話

よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーション祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。

まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代そもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。

さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴ子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校お受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界ちょっと嫌だなと思う。

それから子供ランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。

あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーニトリで買える大量生産工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。

ランドセル検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。

けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセル座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルデカい。

ランドセルの使い方の話

なぜランドセルデカくなったか、というと

1. 教材が増えた

2. プリント教科書がB5→A4に変わりつつある

3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)

4. タブレットChromebookなどを持ち歩く

等の要素が大きい。

そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。

とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。

そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセル要求仕様に向いていない。

もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセル黄色安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色カバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体カラフルから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセル多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。

ランドセル寿命

ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。

なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じもの最後まで使う、という均一なコミュニティ時代ではなくなっているのだからボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルおかしくね? って子も出てくる。

ランドセル専門店カタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセル海外寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。

から、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本多様性選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。

2024-03-04

anond:20240304115057

教養があれば「最近の子供は、右から左に読む、いわゆる『古典的』な日本漫画が読めないらしい」なんて怪しげな話も鵜呑みにしなくなる。

2024-02-29

じゃあ俺だってめちゃくちゃ面白い本をみんなに薦めたいじゃん

20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。

桶川ストーカー殺人事件遺言清水潔

1999年埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者ルポルタージュ事件事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミ面白おかし報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。

LIFE 人間が知らない生き方麻生羽呂

人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマビジネス書”と紹介されているが、バリバリビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。

『私の嫌いな10の人びと』中島義道

世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間中島が嫌いなのは「常に感謝気持ちをわすれない人」や「自分仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。

ナポレオン狂』阿刀田高

はいきました、直木賞作品小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章オチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。

宇宙人出会う前に読む本』高水裕一

めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系マジで想像以上に理系文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーション解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学科学技術系の新書シリーズの中の一冊。

マノン・レスコー』プレヴォ

光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやす出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃え駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないか詐欺します、どうやら彼女浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったか人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。

アタゴオルますむら・ひろし

小学生の頃図書館で読んで不思議気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブヒデヨシとその友達テンプラパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後コマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。

ものぐさ精神分析岸田秀

無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会本屋で、片田舎図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人からいたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論社会ピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。

anond:20240229103808

Watson は生成 AI です

ただし古典的手法で作られてるからソースコードBASIC プログラムみたいになっててすごいことになってるらしいが…

2024-02-18

性的衣装とは何か

性的目的で考案、作成された衣装(A)」又は「元は異なる目的のものであってもある状況下で性的目的に用いられるとのコンセンサス社会的に生じた衣装(A')」を指すと仮定する。

たとえば「穴あき下着」は前者A、「亀甲縛り」は後者A'の例だろう。そして、それらが批判対象とされるのは、

「それらが性的喚起力を高くもつとの合意が現に社会的に維持されている(B)」こと、そして「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する対象にそれらの衣装を着ける(C)」ような場合(つまりAorA'、かつB&Cの場合)と仮定する。この場合、結果として現れる表象それ自体公序良俗の取り締まり基準を満たしているか否か(D)とは、また別の問題として扱う必要がある(Dは、どんな文脈でも社会的提示するのは一発アウト、みたいな基準と考えられたい。生性器のドアップ写真、とか。ただこの場合も、「公序」の制限とかけはなれた特殊な状況、場所で許容されるのは言うまでもない。医学書とか。)。

以上を前提として、先日話題になった「オーストラリアのH&M広告炎上」の件と、昨日来話題の「咲バニーガール衣装」の件を合わせ論じたい。先に結論を述べれば、A~Cの基準が異なれば議論が噛み合わないのは当然であり、相手非常識扱いしてヒートアップするのではなく「相手との間で異なっているのは何か」を考える必要がある。相手が、いかなる表現100%許されると考えている人(つまりDなどないよ派)でない限りは、見解が異なるだけで、対話余地はあるはずだからである。ではまず、オーストラリアH&Mの件を整理しよう。

オーストラリアのH&Mが子供向けに「新学期ファッション」をテーマとした広告を打った。広告は、通学バス社会を想起させる色合い・デザインの背景に、かわいい通学服を着た女児2名がちょっと生意気そうな雰囲気で振り返り、「この子らを新学期ファッションに振り向かせよう」みたいな煽り文句がついていた。これが炎上謝罪撤回に追い込まれた件である

まず、この広告がDに違反していないことは言うまでもなく、それでも炎上したことに対して、いろいろと文句をつける人がいた。多くの人は「こんな程度でいちいち文句をつけるなんてちょっとヒステリックでは…」みたいな反応であり、個人的にそう感じる気持ちもよく分かるのだが、でもちょっと待ってほしい。女児制服ファッションとして扱うのは、このキャンペーンがまさに狙っていることであり、ファッション一種性的喚起力だととらえるなら、この広告は「生意気そうなモデルの表情」「かわいい制服」といった文脈で、Bを印象付けたわけであり、その結果、制服がもともともつA'の文脈制服に対して性的視線を向けるという界隈の文脈)を喚起した結果、Cに抵触する(保護されるべき女児制服を着せあざとい表情をさせて晒し上げる)という批判を生んだという風に考えることができる。このことは、A'に陥りがちな服装ファッショナブルな(あるいは扇情的な)存在として扱うときには常に注意すべき危険であり、BからA'→C違反、という道筋がすぐ描かれてしまうことに、広告関係者は神経を尖らせる必要があるだろう。その意味でこれは、「月曜日のたわわ」の一件との連続性が高い問題だった。あれも、Dには全く違反しておらず、おそらく制服でなければ問題化もしなかった広告が、一言の少しだけ扇情的キャッチコピーを添えられただけで炎上したが、これはもともと危うい位置にある存在で更に一歩危うい方向へと歩を進めることで起きたトラブルなのだと考えるのが適切である

ただし、表現とは常に時代の尖端で社会常識と切り結ぶのが仕事であり、そういう突破力を否定し切るのもいかがかと思う。社会的に(まだ)アウトですよ、と指摘するのはいいが、相手悪魔化したり、あまつさえ、様々な社会問題の根源や責任がそこにあるかのように攻撃したりするのは、慎むべきだ。社会の様々な問題は、多くの場合間違いなく社会のものの中に有り、そちらをまず片づけるべきであるゴミの多い都会を描いた漫画があるとすれば、取り組むべきは都会のゴミをまず片付けることであって、漫画の取り締まりではない。

次に、「咲にバニースーツ着せた姿の広告炎上」した件。これに対して「高校生バニーガールなどという性的衣装を着せた絵が広告として駅頭に出るとは、常識外れもはなはだしい」という指摘が出た件である一見すると、上のオーストラリアの件以上にひどい案件に聞こえ、即取り締まられてもおかしくないように感じられることだろう。この場合、それが一般的公序良俗違反(D)の案件である必要はない。たとえば、制服の上から亀甲縛りをした少女を描いた広告にOKが出るか、と考えてみればすぐ分かる話だ。Dに違反していなくても、これはA'かつBかつCで明白にアウトである。では、「咲+バニースーツ」はどうなのか?

バニースーツがAであることは誰も否定はしない。従って、論点は、B「それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか」、また、高校生が「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する」ことは前提とした上で、これらの少女が「高校生である」ことが明示されているか、の2点ということになる。

C 「咲」に登場する少女高校生であることは明示されているか? これについては、残念ながらこの広告に関する限り、疑わしいとしか言えない。批判者は咲が麻雀部に所属する高校生であるとの知識をもって批判しているが、咲はそこまで社会的認知度が高い漫画ではない。アニメ化されたとはいえ視聴率は1%に届かない程度、DVD売り上げでも、1期7758枚、2期4939枚、3期4565枚…。(※)アニメファンには実写化映画化……とされた人気作のイメージがあるかもしれないが、社会現象になった数々の作品に比べれば売り上げが一桁少ない。加えて作品ジャンルが「麻雀」という、一般的にいって高校生とは結び付けづらいものだ。この広告を見た多くの人が「高校生バニースーツ」という風に見る、と主張するのは難しい。ただし、一定年齢層以上の人で、アニメ画は全て少女ロリ)にしか見えない、という意見をお持ちの方がいることも、一応認識はしている。

(※DVD売り上げはhttps://nizilove.com/category/number-of-anime-sales/page/2/の値。)

B それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか? おそらく批判者が一番「何を言ってるんだ?!」と思うポイントであり、今回一番議論が噛み合っていないところだと思うが、Aのような服装時代を下るにつれてBの意味合いを失っていくことは、歴史的にはよくあることである。たとえば、髪型一つとっても、「結わない髪は淫らである」といった固定観念が、遊女などの流行を取り入れつつ徐々に変遷し(※)、現代の人は単に「かわいい」という感覚で振り乱した髪の毛を奔放になびかせているのはご存じのとおりだ。「そんな髪型は昔は遊女流行らせたもので…」と説教をして、いま、一体誰が首肯するだろう? 時代が下ればある衣装が「もともともっていた意味合い」が薄れていっても、何も不思議はない。つまり、たとえAであったとしても、時代によってBではなくなるということは別に不思議ではないのだ。

(※たとえば参考:「『女髪結』考」https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21365/files/KU-1100-19940930-01.pdf

では、バニー衣装はどうなのか、といえば、これはまさに時代が変化しつつある過程なのではないかと思われる。自分は決して専門の立場ではないが、そもそも夜の店の主流がキャバレーキャバクラ等へと変遷していく過程で、「性的接待衣装としてのバニーガール姿」というのはもはや古典的イコンとなり、現役の「風俗衣装」としての意味合いをかなり失いつつあるのではないか。たとえば「社長さん」御用達で半世紀以上の歴史を誇る「エスカイヤクラブ」では、支援の声を受けて「ワンランク上のおもてなし」としてバニーガールによる接待をうたっている(https://www.esquire-club.co.jp/general/about01/)が、これなど、バニーガール姿がほとんと「祇園芸妓」的な存在と化しつつあることの表れではないだろうか? そもそもの出発点においてからが極めてトレードマークコスプレ的な衣装であったバニーガール衣装が、現代においてコスプレ的ではなく生き延びている事例というのがどれほどあるだろう。

そのような時代の変化の過程において、「バニースーツ性的!」という批判と「ただのコスプレじゃん?」という意見が、まさにBをめぐる議論として立ち現れてくるのならば理解ができるし、それははっきり言えば単なる「時代感覚の差」の問題に過ぎないと思われるのだ。たとえば、高校生文化祭メイド服を着る、あるいは、小・中学生習い事ポールダンスを学ぶ……ある年代以上の人からすると、目が点になるのか三角になるのか知らないが、そんな事例であろう。だがそれらは、時代の変化の中で起こるべくして起こる変化の一様態しかない。

まり、これらは決して表現の自由だとか差別かいった問題ではなく、単なる「年寄り若者時代感覚の違い」に起因する問題だと認識した方がいいと思う。ならば、相互批判しあう人たちも、この問題からいずれも学ぶことがあるはずなのだ。こういった問題で、敵味方を作ってがあがあがなりたてるのはよろしくない。何よりも必要なのは、分断ではなく対話理解であるはずなのだから

2024-02-17

anond:20240216210851

これは本質的な問で、哲学では「規則問題」あるいは「規則パラドックス」として知られる古典的問題意識です。「規則問題」の議論では足し算などが例として良く用いられますが、ここでは形式的証明を例に説明します。

形式的証明体系において、「推論規則」あるいは「公理」は無限種類あるため一覧表を作ることができません。そのため通常は「推論規則型(rule schema)」や「公理型(axiom schema)」と呼ばれる、無限個の論理式をひとつの式で代表したものを使って有限っぽく表示します。例えば、ツリーにある「 A と A → B が証明可能なら B が証明可能」というのは規則スキーマです。これは A と B がどのような論理式でも使える規則型であり、(A と B を具体的な論理式に置換して得られる)無限種類の規則の集まりを有限で表現したものです。例えば「x=0 と x=0 → x^2=0 が証明可能なら x^2=0 が証明可能」は規則の例です。

そして問は、まさに規則型や公理から規則を得る方法はどうして合意できるのか、ということだと思います。例えば「x=0→x^2=0 と x=0→x^2=0→-x=0 が証明可能なら -x=0 が証明可能」はさきほどの規則型の形に当てはまらないものなのですが、この "事実" を全員が了解しているのがどういう理屈によるのか、というのが問です。そしてこれは正しく「規則問題」です。

ここから私見ですが、「規則から規則を得る方法について全員が一致する見解に到れる」というのは幻想でしょう。ただ、現実数学を営む上では「規則から規則を得る方法について数学者の見解は一致している」と思い込んでもこれまで大きな問題を生じてはいないので、問題が生じるまでは別に気にしなくていいのではないか、という感じではないかと思います。元々の問であった教師と生徒の例についていえば、数学コミュニティに近しい立場である教師コミュニティ流儀を教えている、ということになるのではないでしょうか。

2024-02-06

anond:20240122023106

>話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。

まずこの前提から納得いかない

2ch特亜板とかに入り浸ってた人をネットの全てのように錯覚したまま記憶してないか…??

てっきり「みんなネトウヨだと思っていたが、違った」ってここから目が覚めるのかと思ったら、この前提は動かないらしい…そんなことある…?

美談のつもりなんだろうし、まあある種の美談なのかもしれないけど、前提からおかしいから腑に落ちない…

サブカルチャーお約束で言えばいわゆる古典的な「不良がちょっとマトモになっただけでべた褒めされる」状態というか、

元がズレていたのが少し良くなりましたは美談なの…?

2024-02-03

anond:20240203182046

一度も聞いたことがない

身近にありふれてないから高尚で権威があってもっともらしい印象を与える

古典的漢語語彙の使い方として一般的

2024-02-02

統合失調症みたいな投稿は本当に統合失調症なのか

俺が「schizoposting(以下糖質投稿)」と呼ばれる文化に惹かれたのは、陰謀論的な投稿を信じて投稿するときに生じる一種混沌とし​​た論理認識したとき

糖質投稿は、患者医師が「ワードサラダ」、パラノイア無秩序思考として知っている症状に関連して「統合失調症」という用語を借りて、精神状態模倣するSNS投稿パターン説明するサブカルである

これは世界中で人気があり、Facebookグループ「schizophrenic order of the piss of dawn」には現在50 万人以上のフォロワーがいる

この投稿行為は、Reddit4chanなどで始まりユーザー自分投稿を通じて、軽度の感情示唆するミームや会話を投稿することで、実際に統合失調症であるかどうかについてオンラインの仲間から疑問を投げかけていたらしい

陰謀、劇的な結論、そしてほとんど読めない単語サラダを好んでいる

投稿の多くは銃乱射事件統合失調症と誤って結び付けられている)に関するジョークや、視聴者から笑いを誘う品位を傷つけるミームについて詳述している

最初は無害に見えるかもしれない

これらのグループは、人々が犯罪化や検閲を受けることなく、奇妙で曖昧な行動や思考を探求できる安全場所提供しているという考えに共感できる

しかしそれは重要な点を提起している「糖質投稿根本的に受け入れられているのか、そして神経発散的な癖を称賛しているのか?それとも、病気の症状であると主張することが、精神異常行動についての知識に悪影響を及ぼしている可能性はあるのか?」

大衆文化は、精神疾患には特定有益な、そしておそらく望ましい性格特性が伴うと信じ込ませてくる

うつ病不安を称賛するミームを見たことがあるだろう

なぜなら、それらは思いやりや忍耐の特性を「教えてくれる」から

精神疾患とポジティブ性格特性が結びついているため、業界全体が精神疾患と創造性の関連性の分析に注力している

まり病気がなければ、創造的な天才存在しないだろうということである

しかし、その考えは、私たちが行動を病気として分類する理由のもの本質を損なうことになる

医師古典的に「障害」と定義するものについて、精神疾患として定義されるためには、その症状が罹患者の日常生活に重大な障害苦痛を引き起こす必要がある

実際、患者人生を十分に楽しむためには、この障害に伴う認知障害対処するための的を絞ったプログラム必要であり、多くの科学者臨床医が開発に時間を費やす

努力にもかかわらず、統合失調症研究者模倣しようとしている認知的な欠陥のせいで、ホームレス労働力から孤立、または失職などの苦悩から精神患者を更生させることができる状況には、望んでいるほど近づいていない

精神医学運動は、実際に苦しんでいる人々からこの区別を奪い、適応戦略や風変わりな性格特性の形として症状を流用することは、伝統的な定義では声をあげることができない人々のグループを消去することに寄与している

統合失調投稿場合、明確に考えたり、一貫した文章を作ったりしないという特性が称賛され、「オンライン」な人々に特有ユーモアブランド奨励されている

そのユーモア風刺として分類されることもあるが、実際には、文化があまりにもとんでもないものになってしまい、陰謀を信じたり統合失調症のように見えることが一部の人々が選んだ道であるからかっていることがある

しかし、それがまさに当面の問題なのかもしれない

病気実例となることを選択することは、ユーザーが気づいているかどうかにかかわらず、障害に対するある種の倒錯した嗜好を示しており、真の精神疾患患者場合患者統合失調症ポスターとまったく同じ症状を回避しようと最善を尽くしているように見えるだろう

表現の自由が称賛される社会において、文化アイデア意味を探求し、あいまい人口統計日常の語彙に組み込んでいるのを見るのは素晴らしいことだ

しかし、糖質投稿という行為不正確に使用されている可能性があり、ハロウィーンで老人の仮装をしたり、同じ休日ネイティブアメリカンブラックフェイス衣装を着たりすることに近いかもしれない

まり、これらの流用の対象者は明確な生計を立てている(しかし、ほとんどの場合生計手段が欠如している)が、大衆文化によってさらに誤解されている

糖質投稿は、表面的には楽しくて無害なことのように見えるかもしれないが、実際には退行の兆候であり、精神異常者になること、または「正気を失う」ことが何を意味するのかを実際には理解していない可能性があり、その結果、苦しみをさら孤立させることになる

2024-01-25

anond:20240125121756

transformerを使わない古典的アルゴリズムによる画像生成ならそんなにスペックいらないやで

ゲーム移植って難しいん?

新要素とか追加しなきゃボタンイベントリスナーの付け替えするだけなんじゃないの?

コントローラーセンサー使うような操作とかは置いといて古典的ボタン操作なら大したコストからない気がする。一応全パターン動作確認しなきゃいけないか修正がチョロでもテスト工数が膨大になるんかな?

信長の野望とか三国志は昔のタイトル最新ハードにも移植して欲しいわ。ダウンロード販売にすりゃ別に在庫管理とか気にしなくていいし。

やらんの何で?

2024-01-22

松本人志問題とホス狂問題

昨年あれだけホストに入れあげる女性問題視されて

今度は芸人性接待に使われたタレント志望一般女性被害を訴え

「今の若い女ビッチ化してるのか身持ちが堅いのかどっちだよ?」

などと思った人は結構いるかもしれないが

案外と同じ事象が違う形で表出してるだけかも知れない

要するに女の側はヤリ捨てではなく関係性(の幻想)を求めてるのでは?

かつて大槻ケンヂが語っていたところでは1990年代当時には

ミュージシャンエロい行為すること自体ステイタスみたいな

過激な追っかけ女性とかが一定数いたらしいが

今やそういう一夜限りの関係では満足できなくなったのか

もし松本人志相手の女に対してホストみたいに親身そうな口調で

「君が(セフレとして)支えてくれるおかげで頑張れる」みたいなトーク

相手に「私が松本を育てた」とかい優越感の快楽を与えていれば

今回みたいに後から訴えられることはなかったのではないか

でも考えてみると、こういう一夜限りのヤリ捨てではない

相互に「自分相手を支えてやってる」という幻想で成り立つ関係って

昔の政治家芸能人公然愛人とか妾とかがいた時代ぽいよな

かつてもぱっとしない男の正妻になるよりは羽振りの良いセレブとか

上昇中の(と思える)芸能人だか水商売関係者の愛人を選ぶ者はいただろう

ただしそれなり親身に遇して幻想を維持してなければ相手は離れる

からそういうものだったんじゃないかなあ

報道されてる吉本興業性接待役上納システムが実話ならば

これは古典的男尊女卑というよりもむしろ

相手との関係を深めずノリの軽いヤリ捨てでいいやという

1980~90年代大学サークル文化的価値観の悪癖という気がする

森奈津子好きだったんだよなあ

子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子お嬢様シリーズ

時代を先取りしすぎた悪役令嬢もの

主人公綾小路麗花は、古典的少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている

綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる

爽やかイケメン彼氏百合な従者やホモ男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ

縦ロール萌えになってしまったのは綾小路花の影響が大きい

不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた

不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界架空学校に集められ、北海道沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた

今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代雑誌文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか

お嬢様シリーズレモン文庫という学研レーベルから出版されていたが、1996年レモン文庫は突如消滅

森奈津子お嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという

ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説執筆するようになった

東京セクシャルマイノリティ事情について語るエッセイなども発売

女性セックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性オカズにできる本を書く」

官能小説を書き、また百合精神性重視のものが多い中で官能百合を書く

百合SFエロSFなどを手掛け、「SF定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのであるSFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張

小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家西澤保彦森奈津子主人公とするナツコシリーズを出した

百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメント中央はいられなかった

悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった

森奈津子男性結婚した

バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った

「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる

ビアンバイやノンセクとして活動していた女が普通結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ

それは謗られるべきものではなく、幸せならいいことだ

だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった

夫を介護し、夫を養わなければいけない立場になった

そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう

かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった

その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている

小説耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている

普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通結婚できない同性愛者・独身主義者非モテ」は敵になったのだ

そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている

あなた発言LGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える

作者を嫌いになると作品自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象

森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ

レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ

今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない

だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す

ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある

反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない

ラノベセクマイSFやら、あちこち排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな

綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ

うそんなキャラ書けないよな

2024-01-21

やっぱり悪人隔離区画とかって必要じゃない?

犯罪者にも人権をとかで、刑務所が居心地良くなっちゃって、刑務所入りたいか犯罪犯すような奴が出てきてるの、もうシステムの欠陥もいいとこだろ。

やっぱり犯罪を抑止するためにもあえて劣悪な環境と言うのは、人類にとって必要なんじゃないか

面談に訪れた公務員女性の胸触り監禁した疑い 無職の26歳逮捕

https://mainichi.jp/articles/20240121/k00/00m/040/001000c

ここのブコメにも2人対応常識と書かれてる。現状それはわかる話だけど、こんな愚行のお陰で毎回そこの人的リソース人件費を割くハメになってるの、冷静に考えて馬鹿馬鹿しすぎない?

愚行のコストを真面目に頑張って生きてる側が支払わされてるの、理不尽じゃない?

で、こう言う奴捕まったところで数ヶ月そこらで出てくるかとか、即釈放とかで、がっつり強制わいせつやっても数年そこらでしょ?

純粋に悪い事してやろうって悪人に対してどんだけ社会負担させられるの?

ついでに言えば今日本は減少減少傾向だぞ?

どの職でも人手が足りないとか言って人的エラーが起こっていく時代だ。

そんな時にこんなバカの面倒のために必ずそこに人的リソースを払わされ続けるの?

いいんじゃないかもう、進撃の巨人みたいな壁で囲った悪人用の区画でも作って生涯隔離で。

中身は男女別に、そこではトランスどうこうは関係なく生まれ性別で正確に分けてで。

監視人権関係なく監視カメラや電子タグで満遍なく管理して、逃げ出さないかだけを監視する。

その他何が起きてもそれは問題ではない。

情けとしては最低10年で一回出るチャンスがあること。

でも2度目は生涯隔離が確定する。くらいでいいだろ悪人人権なんて。

古典的だけど、どんなバカにもわかりやす絶対に入りたくない最悪の場所と言うのを用意してやる事で抑止できる犯罪が今はあるんじゃないか

追記

幾つかレスついたけど、“区画隔離に関して無ければならないデメリット探し”に終始してばっかりね。

じゃあ今後も悪人の愚行のコストを真面目に頑張って生きてる人間含め社会負担が増加していく事でOKって事なのかな?

悪人隔離できない事でどんどん世の中が生き辛くなってる、、、刑務所に入るための犯罪が為され、それも数年で出てきてまた罪のない誰かが襲われ、その対策にはこれから減り続ける人的リソースを払わされ続け、男女の溝を無駄に深めるような言説も氾濫していると言う理不尽さに基づいての話なのだけど。

そっちの本質については皆、何も思うところがないと言う事か。

2024-01-17

anond:20240114093448

ASDに関連する脳の遺伝子異常の発現率は女性の方が男性より2倍多いって研究はある

もちろんだからといって女性の方がASDが多いとは限らないけども。女性ホルモンやらなんやらが上手くASD特性抑制してるのかもしれないし

ただADHD男性は多動型が多くて女性は不注意型が多いのは事実

当たり前だが授業中に立って歩き回だたりする多動型の子より、授業中にボーッとしてる不注意型の子の方が発達障害には気づかれないわけだ

そしてASD男子は積極奇異型や尊大型(自分の好きなことを何時間一方的に喋り続けたり、他人気持ち無視して強引に行動したりする古典的アスペタイプ)が多く、女子孤立型(内気で友達おらず教室の片隅で本読んでる静かな子みたいなタイプ)が多い

ちょっと古いけど男はハルヒみたいなアスペが多くて女は長門みたいなアスペが多いってこと

どっちが教師から問題視されやす病院連れていかやすいがはまぁ推して知るべし

anond:20240114093448

ASDに関連する脳の遺伝子異常の発現率は女性の方が男性より2倍多いって研究はある

もちろんだからといって女性の方がASDが多いとは限らないけども。女性ホルモンやらなんやらが上手くASD特性抑制してるのかもしれないし

ただADHD男性は多動型が多くて女性は不注意型が多いのは事実

当たり前だが授業中に立って歩き回だたりする多動型の子より、授業中にボーッとしてる不注意型の子の方が発達障害には気づかれないわけだ

そしてASD男子は積極奇異型や尊大型(自分の好きなことを何時間一方的に喋り続けたり、他人気持ち無視して強引に行動したりする古典的アスペタイプ)が多く、女子孤立型(内気で友達おらず教室の片隅で本読んでる静かな子みたいなタイプ)が多い

ちょっと古いけど男はハルヒみたいなアスペが多くて女は長門みたいなアスペが多いってこと

どっちが教師から問題視されやす病院連れていかやすいがはまぁ推して知るべし

夜空メルが引退したらしい

はじめに

夜空メルという著名なVtuber守秘義務違反かなんかで怒られが発生しクビになった

その手のニュースインターネットを駆け巡っている

筆者はVの類にあまり興味はなく夜空メルの名前も初めて知った

そして名前を調べて気付いたのだ

「この前買ったマゾ向けエロ同人で見た!!」と

さて、何が言いたいかというとインターネットでくだらないゴシップ騒ぎに興じている連中は、この、

『天才ヴァンパイアは催眠なんてかからない(本当)』を全員買うべきだということだ

マジで当たりなんだよねコレ

ストーリー

ヒロイン催眠をかけて好き勝手にしようとした竿役が、催眠の効かなかったヒロインに逆に催眠をかけられ逆レイプ!(逆が多い)

催眠ヒロインに噛まれると射精するが噛まれないと絶対射精しないというもの

この催眠により、竿役は一週間の射精管理の後に徹底的に絞られることになる

抜けるポイント

絵が上手い

マゾにはよく知られた話だが、マゾ向けエロコンテンツレベルが極めて低い

「このレベルでそんなに持ち上げられてんの?」ってクリエイター結構デカい顔をしている

どんなに汚くてもこの水を飲むしかない状態である

筆者も微妙作品射精して「また安いオナニーをしてしまった」と後悔することは多い

そんな中本作品可愛い絵柄で十分に濃いエロをやっていて、一般エロコンテンツの中でも良質な類に入る

当然ながらマゾ向けエロコンテンツの中では超上澄みになる

ソフトだがエゲつない搾精

そもそも論の話になるのだがマゾという単語は雑に使われている。

マゾは女攻め男受けが好きという共通点しか持たず、

その中では攻めのハードさについての好みに結構な濃淡がある。

ムチでシバかれるような古典的SMが好きな奴も、ただ女にリードされるのが好きな奴もまとめてマゾなのだ

作品は痛みがあるようなプレイはなく、本番中心のソフトマゾ向けの内容となっている

ソフトマゾ向けのコンテンツ、これは難点があって、

エロが薄いものが多い。ソフトハードとかの前に抜けねぇ!!ってものが多い。

作品が秀逸なのは攻め自体ソフトなのにエロが濃い目な点だ。

めっちゃ絞られる。

べろちゅー多め

マゾの多くに同意してもらえると思うが

「べろちゅーは本番よりえっち

そして本作品催眠の内容からべろちゅーがメチャメチャ多い

後半はキスしてるか乳首舐められてるか甘噛みされてるかである

手か口が空いたら攻めてくれるタイプホスピタリティ高いヒロインは…抜ける!!

2024-01-16

anond:20240104170602

・ふとしたきっかけで公金の使われ方に疑問を持ち、調査した所大規模な不正疑惑が発覚

調査の結果「書類がいい加減なだけで悪質な行為なし」と判明してる

相手政治的なバックを持つ権力者であり、疑問を追求した者に恫喝めいた嫌がらせを行う

持ってない。嫌がらせしてくるやつに反撃してるだけ

権力者側と戦う為に住民訴訟を起こし、様々な人間を巻き込み広範囲拡散していく

そもそも権力者じゃないやつ相手住民訴訟を起こす謎ムーブ

・リア凸や個人情報晒し等の野蛮な妨害を嫌い、あくまでも正しい戦い方、リーガルのバトルのみで正々堂々と戦う

リア凸も個人情報晒しもやってますよね。シュナムルとき


金回りがキレイバカ陰謀論から金巻き上げてるのをキレイというのであれば)という点以外は認プに汚されすぎっしょ。

アレは左翼理想じゃなくて古典的陰謀論者だし、どっちかつうと右か左かというなら右、ネットでたむろしてるネトウヨよりだぞ

(あの人ネット受けする主張こねくり回して作ってるからそうなる)

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