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はてなキーワード: 人間原理とは

2019-11-18

anond:20191118135004

人間原理だぞ。

地球と同じような環境でなければ知的生命体が育たないなら

地球と同じような歴史をたどって地球と同じような人間が生まれるんだぞ。

2019-11-17

anond:20191117200333

現状検証可能ではない仮説自体人間原理以外にも科学世界にはなんぼでもあるで

だがある時検証不可能と思えたもの検証可能になるブレイクスルーもある

ベルの不等式とかほら

から「それ信仰みたいなもんじゃね?」とは科学者は言わないだろう

判断を保留する賢さが必要

anond:20191117195444

人間原理たまたまうまくいった世界現在私たちという意味であって全然人間は中心におらんで?

文系特有の読み間違いじゃね?

2018-07-15

anond:20180715114420

人間原理と並行宇宙と量子の確率性質

合わせた感じ

因みに、俺の意見というよりは

元増田のクソみたいに分かりにくい話を

解釈していたら、

意外に面白いと思っただけ

2018-06-01

 『元禄俳優伝』という本は、歌舞伎評判をもとに上方江戸の名優と呼ばれた人々を紹介するものだが、歌舞伎評判の作者が、それまでとは違った型の芝居に面白さと魅力を感じたなら、それを大々的に擁護して、大衆にもその新しさい面白さに目を開かせるということが現実にあったという。批評が新しい規範を作り出し、世界観を変えていくというみごとな例である。そういうダイナミズムが私にとっての批評面白みの一つようである私自身の現実では、こんなことが起こりようがないのではあるが。

http://isidora.sakura.ne.jp/mizu/water5-3.html

三浦 俊彦「エンドレスエイト驚愕: ハルヒ@人間原理を考える」

https://www.amazon.co.jp/dp/4393333608/?coliid=IAMWI4Z17NG7S&colid=16LK0GXKOD58N&psc=0&ref_=lv_ov_lig_dp_it

2018-05-17

言葉真意の居場所とは

人間原理”という言葉をあまり好まないのだけど、そこでわたしが言う「その考え方は、あまりに”人間原理”的だよ」という場合と、

もししゃべる犬が存在するとして、その犬が「その考え方は、あまりに”人間原理”的だよ」と言った場合

それは果たして、同じ意味に成り得るのだろか?

2018-03-19

この世ってつくづく思うけど、地獄のものだな

はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、

幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストしかない

一方、幸せ人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている

簡単に言えばアフリカ飢餓孤児お茶の間テレビで眺めながらホットケーキメープルシロップかけて食ってる構図だ

もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、

自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう

ところがどっこい、これは起こり得ない

何故なら遠いか

ただ遠いから、自分生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない

 

今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカ飢餓孤児TVで見たときはフーンと思っていた

しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた

「俺と孤児のどこが違うの?」

肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で

もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、

俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないか

人によっては「日本アフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない

もちろん現実アフリカ人を急に移せばそうなるだろう

じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい

それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子もの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい

とにかく、完全に、運なのだ

なのだ

こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている

努力すれば変えられるという人も勿論いる

だが努力が公平であればあるほど、天才努力に凡人の努力は勝てなくなっていく

甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈

プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる

眼球の筋肉(眼筋)は後天的に鍛えにくい部位であり

ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている

こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ

結局、ボールバットに当てる才能は天から授かりしものであり、

凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである

しかしその努力スポーツ界では認められていない、ただし公には。

 

では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?

どこにいてもどんなとき出会うのは自分と同じ人間

発想も発明ファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。

嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。

大した争いも起こらず同じ権利のため競争も起こらない。

ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見平和世界に見える。

しかし彼・彼女にとってその世界は本当に楽しいものだろうか?

好きな物・嫌いな物が混在し自分理解を超えたもの存在し、

異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験更新していく方が個人人生において充実しているのではないか

自分が作った映画小説など、所詮自分想像以上の産物にはならないだろう

娯楽に頼ろうとしても自分日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう

なぜならその経験解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ

もし増田に俺しかいないとしたら絶望である

明日明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう

俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう

そしてそこには同意トラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから自分独り言に反応する必要性すらなく

ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう

それもまた地獄と言わずに何というだろうか

 

ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう

重大な疾患を抱える子ども遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが

個人的には行ってもよいと考える

なぜなら、元々生まれ必要などこの世には無いからだ

人間原理的に生存繁栄肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている

しかしそれは誤りである

宇宙地球人間がいつ死んでもいいと思っているし、

絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう

この広い宇宙知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト思想

また宇宙から寵愛を受けているか人間誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想

人間宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間選択のものによって理想的世界を手にするべきだ

理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれ必要性あるかないか選択することができ

まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ

なぜなら宇宙も神も世界も誰も人間について無関心だから

関心があれば産まれときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙法則として残しているはずである

仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという

では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?

全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である

俺は全く信じられない

俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児地球から存在しなくなった瞬間だ

それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない

もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない

俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ

故に神や宇宙人間そもそも無関心であるという解釈を俺は信じている

そしてその上で神や宇宙人間にとって安全装置として機能しないのであれば

人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ

人間人間必要権利自由を決める上で最も重要なのは法だ

法について話をするのは、また別の機会にしよう

 

話を戻すがこの世は地獄のもの

人間生命は単に誕生することができたか

可能性の隙間があってそこを通り抜けたか存在しているのであって

寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない

宇宙天体・この世の物理法則自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり

自分らが身をよじってそれらが絶滅しようが全くの抵抗がない

故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない

でなければいつまでも地獄に閉じ込められたままだ

もっと具体的に言えば俺が真に幸福ホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる

この世は地獄

2018-02-21

anond:20180221013819

そこで紹介してる本は1冊も読んでないが

マルチバース論でいえば

人間が居るから→都合のいいこの宇宙がある、の人間原理帰結するのではなく

じゃなくって

無限物理法則状態を持つ宇宙存在するから無限にあるならその中の1つにこの宇宙が含まれていても確率的な問題を抱えずに「人間の居る宇宙」という条件はクリアできるって話だろ

例え天文学的確立の低い出目だって無限宇宙サイコロ無限に振ってれば人間絶対出るって話

逆に言えば無限にあるからこそ人間想像する以上の宇宙がオムニバースには存在して

全く物理法則が違い魔法存在する世界もあるし、逆に瓜二つの宇宙存在する確率が十分すぎるほどある

しろ絶対存在否定しうる根拠が揃っていない

であるからして、虚構世界は我々と関係性がなくとも実在しうる条件は十分満たしている

って解釈をいましたけど内容はどんなのかは読んでないので分からん

まあ、この宇宙だけしか存在しなかったとしてもまさか1回こっきりで太陽系地球人間なんてできるわけないので

ビッグバン宇宙的死を無限に繰り返したと仮定してもいいだろう

エンドレスエイト論の三浦俊彦増田

古書店の雑に積まれた本の中で存在感を放っていた「虚構世界存在論」を手に取ってから20年くらいになるか。

可能世界哲学」「多宇宙輪廻転生」と購入してきた。

一般向けの論理学入門でありながら理屈ハードで手応えのある二見書房の「論理パラドクスシリーズは好評

のようだが、増田の好みではないので買ってない。


サウンド・オブ・サンダー」として近年映画化されたブラッドベリタイムパラドクスもの「雷のような音」を

虚構世界存在論」で取り上げていたこともあり、SFに強い哲学者として認識している。小説の方は合わなかった。


三浦俊彦の得意分野は、「可能世界」を用いたフィクション論、「人間原理」を用いた意識論。とサプリメント


可能世界論、とは何かはwikipediaでも読んで欲しいが、もし暴走トロッコの先にドラッカーが居たら、とか

プロレスラー専用列車があれば、とか現実ではない仮定について、論理的に扱う仕組み。

そのハードコア一派に様相実在論というのがあり、そういう可能世界仮定存在記述上の論理ではなくってな

全部実在してっから、いやマジで、と主張して、急にそんなこと言われてもいやソレはないわー、と異端視されてる。

これだけで、もう架空戦記異世界モノですよね、OK

その実在している他の可能世界と、我々が唯一認識している現実とを区別するものは、我々が居るという

関係性だけの違いである。


この辺りで人間原理スライドしてよろしいか

真空のゆらぎからビッグバンが生じ、宇宙の各定数には様々なあり方が有り得たはずなのに、なんでこんなに人間

存在するに都合よくできているのか。それはね、人間が見ているからだよ。

人間宇宙を観察する時には、人間存在できるような宇宙でなければならない。

こういう理屈は判るんだが理由説明しきれない自己撞着的な話が人間原理

これって、この現実に我々が居るという関係性の話だよね。


宇宙は様々な形でありえた、また実際にある、というマルチヴァース、多世界解釈、サイクリック宇宙論物理学の話。

それと様相実在論をつなげ虚構実在論にも踏み込みフィクションをも真面目に哲学的に語る。

これが三浦スタイル


なろうもカクヨムも在るんだよ。

2014-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20140613085444

その包括式みたいなもので比べてる物自体おかしい。

「”この宇宙”>次元パラレルワールド時間>光」

まず、時間は単に次元の一つ。そういう意味では「次元>時間」とは出来るだろう。

ただ、「次元」というのはその時間とか空間とかの単位であって、

いわゆる「時空」の事を言いたいのでは?

「時空>時間 or 空間

光、もまたぜんぜん違う軸に居るものだけど、単なる物質なので入れ物の中にある、という意味では時空や"この宇宙"なんかの中にあるものだろう。

パラレルワールド、と考える時は、時空が違う物が他にあるとかんがえるのだと思うので、

そういう意味では時空、はパラレルワールドの中にあるのかと。

パラレルワールド>時空>光」

"この宇宙"ってのは定義次第。

「この」が今いる「パラレルワールド」を示すなら時空と同一だし、

パラレルワールドも含んだ一番の大きな枠組、としても別におかしくはないだろう。

けど、物理よりな一般的には多分、今いるこの「パラレルワールド」を指すと思う。

色々な宇宙がありうる、と言った表現をするし、

人間原理等の話をするときには「人間が居るこの宇宙では」という話になる。

アニメとかだと、「宇宙」をもっと上の包括物にして、「この宇宙」については「この歴史」とかに言い換えてるのも多いかも。

その点で、増田は「歴史」を時間、と考えたのかな?その場合時間パラレルワールド、になると思うけど。

2013-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20130822093717

マジレスすると、数学上、その様な記述が可能だというだけ、と言うのが現状。

その体型を拡張してビッグバンにつなげ、現宇宙に無矛盾につなげることが出来る。

その"あわ"みたいな状態をキチンとイメージ出来るやつなんて居ない。

この"あわ"ではないが、ホーキング自身、自身も用いている余剰次元と言った物を信じるが、

具体的にイメージは出来ない、と話している。(それでも"イメージ図"は出している。ただ、それは無理矢理図式したもので、真の余剰次元は表していない)

そもそも人間4次元世界に生きているので余剰次元は"イメージ出来ない存在"なのかもしれない。

同様に、ビッグバン前は、人間存在し得ないので、人間ビッグバン以前を"知る事が"出来ない存在なのかもしれない。

これもまた人間原理の1つ。



まりドラゴンボール世界では悟空存在し、大猿になり、ナメック人が攻めてきて、セル天下一武道会をやっちゃう、なんてことは事実で、認識出来ている人間は居る。

一方、我々の世界ではそれらを漫画の中のものとしてなんとなく見ることはできるが、それらが実際に存在し、破壊が行われる、などということは現実として受け入れられない。

ちょっとずれてる気もするが、"ビッグバン前"とか"宇宙の外"の世界の話ってのは、現在はそのレベルの話であると考えても良いくらいなもの

2013-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20130621121948

均衡が利益を最大にするんじゃなくて、

そういった状況は必ず生まれる、と言う前提でその中で最大利益を求めるってことでしょ。

そりゃ、皆が皆、最大レベルで働いたら利益としては最大になる(その他の社会的混沌は別として)

まあ、全く別方向から考えて、

働き蟻の原理はどこをみてもある当たり(生き物じゃなくてもすべてが完璧な物は珍しいわけで)

なんだかんだでそういう"甘え"のある人間が居ることが

その後の人類全体に取っての(もしくは地球?宇宙?にとっての)

大利益に寄与してきているんじゃないか、っていう人間原理を説いてみる。

2013-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20130414211613

最近俺の周りで盛り上がった話。順不同。

数学鉄板だな。あとはまぁ仕事の話。

2012-09-29

ペット家畜のちがい、あるいは教育の失敗

面白い2chまとめ記事を見つけた。いわゆる命の大切さを自覚させる教育についてのもの

「豚を殺して食べる授業ってあったじゃん?あれってやり方が悪いよな」

http://oryouri.2chblog.jp/archives/7471447.html

元記事では「ブタがいた教室

http://goo.gl/DV423)(Wikipedia

http://goo.gl/D07Pw)(amazon

という映像作品が焦点になっている。これは生徒たちに生きているものを食べるという意味を考えさせるという目的で、1年間「食べる約束」でPちゃんと名づけられた子ブタ飼育する児童の活動の記録だ。容易に予想される通り、殺すべきか殺すべきでないかを巡って児童らは激論を闘わすことになる。以下、この作品における子供たちと家畜(あるいはペット)としてのブタとの関係について少し考えてみようと思う。なお、児童の下した最終的な決断がどのようなものであったかはここでは重要ではない。

とくに考えてみなくとも、この教育方法愛玩動物家畜意図的に混同させてしまっている点で偏向していることはすぐ看て取れる。牧場屠殺場の労働者と異なって、児童たちにとって家畜を殺す選択とは生活上の要請や主体的な投企ではないし、それらに束縛された社会的な半義務から解放されている。かれらは「ブタとともにいる今のこの経験」をまったく外部から与えられた教育機会として甘受しているにとどまるため、必然的に(屠殺という)未来との緊張的な関係はほどかれてしまう。つまりブタは形式的には家畜として存在していても、児童たちにとっては犬や猫のようなペットとなんら変わらないし、その素朴な誤認が改められることもない。

農家で働く人々のなかには、家畜愛称で呼んで慈しみながら育てる者もおそらいるかもしれない。だが、衛生管理、給餌、畜舎環境整備、精神状態への配慮、成長の仕方への注視といった諸々の世話は、家畜を取り扱う職務というひとつ社会的役割の枠の中で分化した業務である。したがって、それが職務である限りにおいて動物との関係は尊重されるのであり、家畜への愛情とはひとつひとつ労働の只中から立ち現れるものだ。だからペットのように対象を没入的に愛玩することが先行しているわけではないし、そうした依存は成立しようがない。この意味で、公共的領域に属する家畜は私的領域人間を慰めることに専念するペットと同一視することはできない。

この教育が欠陥を抱えているのはまさにそこで、生物を食べるということの意味を考えさせるはずが、ペット家畜として扱う行為の是非がそれ以前に立ち現れてくる羽目になることだ。あるいは、「教育機会として与えられたブタを、教育目的として屠殺すること」という奇妙な倫理問題が登場してくることになるのだ。だからブタの形式的な存在よりもむしろブタとの実質的な関係を重んずる児童ならば、きっと殺すことに猛反対することになるだろう。それも、生命の尊さという観点からではなく、先ほどまでは愛玩していた動物教育用だからという理由で屠殺することの倫理的な疑問からである

生命を奪って食物をいただくことは非常にありがたいことなのだ屠殺はやむを得ないのだ)」という結論に子供たちが至ると教師が期待していたのならば、その教師は教育権力子供の阿りにあまり幻想を抱いていると言わねばならない。なぜならば、当座の問題として、子供たちにとって「ペットとしてのブタ」が同時に「家畜としてのブタである必要は一切ないのだから感情に束縛された反対者がこのことに気づくかどうかは別として、この葛藤は両者を厳密に区別さえすれば解決する話ではある。我々が生活的・社会的意味から屠殺要請されているのは家畜用のブタという一般的な対象であって、Pちゃんという特定的に指示された一匹のブタではないだろう。

こうなると初期の教育目的から大きく外れた論理子供たちを支配するようになっているのが理解できるだろう。屠殺がそれ自体として容認されるべきか否か、また、容認されるとして我々はそのことをいかに受け止めるべきなのかという課題は置き去りにされる。うってかわって幅をきかすのは、「それが屠殺から回避されるべきペットであるか否か」という二択問題でしかない。

つまるところ児童の躊躇と反発は、動物一般を屠殺することにではなく、愛情を受けるに値するペット屠殺することに向けられることになる。もし教師がこの洞察の対象を臆面もなく「命の尊さ」と名づけ、児童らがそれを真に受けるとしたら、それは教育的にも、児童感覚を支配する論理から言っても、致命的な取り違えを犯すことになる。なぜなら、そこで問われている生命価値とは、その動物が与えられている人間愛情という尺度によって一律に測られるものにすぎないからだ。この錯誤は一部の動物愛護団体も陥っている、言うまでもなく極めて未熟な人間原理である

屠殺に賛成する児童にしても、その意見後ろ盾となっているのはそのブタ屠殺されなければならない社会的制約にあるのではない。先にも述べたように、「ペットとしてのブタ」が同時に「家畜としてのブタである必然性に欠けているため、それを論拠とすることはできない。代わりにあるのは、教師やクラスの皆と「食べる約束」で育てたのだから言葉通り(あるいは教師や学校の期待通り)食べるべきだという自閉的な教条主義しかない。そうした子供たちを支えているのは、ブタは一時的にはペットであったかもしれないが、家畜という名目は残っているのだから今や再び家畜に戻るべきだという同一性への信念である。したがって、生活的・社会的要請という家畜の意義はやはりかれらの目には隠されたままだ。

こうした事態はなぜ起こるのだろうか。まだ児童ペット家畜の類別がつかないからでは決してない。生活上の要求や社会的責務と切り離された、教育という特殊な環境によって本来の弁別がゆがめられてしまったところに原因はある。一般的に家畜ペット存在は公共的・私的という形ではっきりとした線引きがなされており、特に家畜に関してはその取り扱いに恣意性がはたらく余地はない。ところが、社会的要請という文脈から切り離してこれを教育という場に持ち込んだ途端に、垣根は崩されて恣意性が生まれることになる。つまり、そのブタ家畜になることもできるし、ペットになることもできる。その不安定さがすでに本来の家畜とは別物である以上、当然「生きているものを食べる」という普遍的な行為考察する可能性から遠く離れることになる。

結論として、この教育が「命の価値」や「生きているものを食べる」ことについて考えることを目指しているとしたなら、それは完全な失敗だと思う。教育の目指すところが悪いのではない。学校の一クラスの中に一匹の家畜を持ち込んで、なお家畜意味が無条件に保たれると思いこんだ教育者の甘い認識こそが問題なのだ。それは単に牧場見学職場体験を学校の内側で再現することではない。家畜は数え切れないほどの社会的紐帯繋ぎとめられた動物である限りで家畜と呼び習わされるのであって、周りを取りまく環境との避けがたい関わりを黙殺したところで家畜の理解にたどり着けるわけがない。

2011-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20110220014829

成功してもダメな奴

それは、成功した理由を「自分の運によるもの」だと思ってしまう奴。

そしてさらに、成功出来ない奴を「運が足りない」とか「何のために生きてるの?」などとドヤ顔で見下してしまう奴。

もちろん、ネット上でもリアルでも、あからさまにそんな態度を見せつける奴はまずいない。

でも、奴らはどんなに巧妙に隠しても必ず隠しきれないそういった面がある。

自分は本当に努力したと思うし、たまたま運が結果に結び付いたのかも」という風な言い方をする人間は大抵ダメ

それは、努力したという言葉真実のものとしてではなく「謙遜」という社交テクニックとして使っているに過ぎないから。

つまり本当は俺の運がよかったから成功できたんだけど、あんまり言うと自慢っぽいから少し努力たまものってことにもしておくか、という態度だから

自分が成功できた理由など単に努力が実った以外にないことに気付けないうちは、いつまで経ってもダメな奴。

世の中には努力が実る奴とそうでない奴がいるだけであって、決して「才能がある奴」と「才能がない奴」がいるわけではない。

全ては努力である。全ては必然。全ては人間のたゆまない努力によって動いている。これに気付かず運命論に酔っている限り、そいつダメな奴のまま。

無論、ダメな奴だからといって天罰が下るわけではない。単にダメなだけである

追記:今更感あふれてる?確かにね。

成功してもダメな奴

それは、成功した理由を「自分努力によるもの」だと思ってしまう奴。

そしてさらに、成功出来ない奴を「努力が足りない」とか「何のために生きてるの?」などとドヤ顔で見下してしまう奴。

もちろん、ネット上でもリアルでも、あからさまにそんな態度を見せつける奴はまずいない。

でも、奴らはどんなに巧妙に隠しても必ず隠しきれないそういった面がある。

自分は本当に運が良かったと思うし、普段から努力結果に結び付いたのかも」という風な言い方をする人間は大抵ダメ

それは、運が良かったという言葉真実のものとしてではなく「謙遜」という社交テクニックとして使っているに過ぎないから。

つまり本当は俺の努力があったから成功できたんだけど、あんまり言うと自慢っぽいから少し運のせいってことにもしておくか、という態度だから

自分が成功できた理由など単に運が良かった以外にないことに気付けないうちは、いつまで経ってもダメな奴。

世の中にはたまたまツイてた奴とそうでない奴がいるだけであって、決して「才能がある奴」と「才能がない奴」がいるわけではない。

全ては運である。全ては偶然。全ては人間には到底計り知れない何かによって動いている。これに気付かず人間原理に酔っている限り、そいつダメな奴のまま。

無論、ダメな奴だからといって天罰が下るわけではない。単にダメなだけである

追記:今更感あふれてる?確かにね。

「運」だけで、努力した奴より成功しちゃうと、とてもとても居心地悪いんだよねえ。「運」が良くてごめんね、ごめんねーって気持ちになる。「運」は誰にでも平等に訪れるけど、掴めるかどうかは、それこそ、そのときの心の準備次第だからねえ。それを「努力」と言っても差し支えないと思うよー。

2010-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20101012230001

ペアノの公理を持ち出しても意味が無いと思うがなあ。

「7+8は15じゃないかも」というのは、「ペアノの公理は間違ってるかも」というのと等しいでしょ。

今思いついたけど、人間原理的なものを持ち出すのがいいかもしれない。

「7+8が15になったり14になったりする世界はどこかにあるけど、そういう世界では人間の身体は突然崩れたり、別人になってしまったりして、今こうして生きている世界は成り立たないだろう。今自分たちが生きているということは、7+8は14になったりはしない世界ということだ」

という感じ。子供向けにモディファイする必要はあるかもしれないけど。

2009-01-19

[][]四つの基本人間原理

英辞郎

electromagnetic anthropic principle

物理》電磁人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間電荷を持つようになったという原理

gravity anthropic principle

物理重力人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間質量に応じた力を受けるようになったという原理

http://anond.hatelabo.jp/20090119081602

[][]人間原理

英辞郎

strong anthropic principle

物理》強い人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間必然として生まれたという原理

weak anthropic principle

物理》弱い人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間が生まれる可能性があったという原理

2008-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20081002234922

> 「卵が先か鶏が先か」は「個体として卵が先か鶏が先か」ではないか、と言っている。

卵の定義存在しない。

卵とだけ書くから錯誤が生じている。

その主張においても卵をどういった卵とするかの定義はあっても問題にならないはずだ。

その卵がなんの卵でもいいのならば後の鶏との関連性がなくなってしまい、元の言葉意味を失ってしまう。

> 当時、鶏か否かははっきり区別できるような物ではなかっただろう。

今度は鶏の定義をもちだしてきたか。

いずれにせよ定義をはっきりさせてくれ。

私は鶏は鶏とはっきり区別できるものとする、という定義のつもりでいる。

> 鶏とは鶏という概念が生み出された時、鶏が鶏となったのである。

えっと、人間原理だっけか。なんでもいいや。

言葉の発生は今問題にしていない。

それは言葉が先か物体が先か、でしかないからであり論点とずれるからだ。

> 「卵が先か鶏が先か」の鶏とは鶏の卵から生まれた鳥と定義し、卵とは鶏がうんだ卵と定義する。

その定義には矛盾が生じている。

> この言葉は、その結論の出せない状態を言い表す言葉であり、結論のでる条件ではこの言葉意味をなさない。

その定義での結論は出た。矛盾だ。

2008-05-08

ルーレットと人間原理、おまけにポーカーの話。

もしもあなたがラスベガスに行ってカジノに足を運んだとしても、

ルーレットをしようとは思わないほうがいいだろう。

ご存じのようにアメリカンルーレットの数字には0と00があり、

それはあなたが5%以上の不利を背負って勝負をしなければならないことを意味するからだ。

0がひとつのヨーロピアンルーレットという種類もあるが、

それでもあなたには2.7%の不利がある。

どうしてもというならやってみるのもいいが、

少なくとも赤か黒かのような配当が2倍の賭け方は止めておくことを勧める。

配当2倍のゲームがしたければバカラか、

基本戦術を知っているならブラックジャックをするといい。

そうすれば、あなたの不利は1%ほどですむ。

ルーレットに関する古い俗信はいくつもある。

例えば「赤が5回続いた後は黒に賭けろ」といった類いのものだが、

確率のことを少し知っていれば意味のない戯言だとすぐわかる。

赤が何回続こうが、次に出る目の確率は変わらないのだ。

5回どころか10回以上赤が続いたとしても単なる偶然にすぎず、何の不思議もない。

……だが、それが100回続いたとしたらどうだろう。

さらに1000回、一万回と続いたとしたら?

それでも赤が出たのは単なる偶然だと言えるのか。

そんなことがあろうものなら、誰だってルーレット台か球に

何らかの仕掛けがあるんじゃないかと疑うだろう。

それを偶然だと考えるのは、どう考えても無理がある。

宇宙論における人間原理とは、つまりそういうことなのではないだろうか。

誕生初期の宇宙で、実際より物質分布の濃淡が大きかったり密度が高かったり、

核力が大きかったり小さかったりしても、今の知的生命体が発生しうる宇宙存在しなかった。

まさに奇跡のような可能性をつかんだ結果、人間誕生することができたのだ。

人間のための宇宙、と言わんばかりの人間原理はあまりに傲慢すぎて好きになれない人も多いだろうが、

その考え方自体はルーレットの例と同じく、ごく普通の発想であると言える。

ただ、別の考え方もある。

ルーレットで一万回も0が続く可能性はほとんどなく、

通常は一万個のランダムな数字の羅列になる。

しかし、その数字の羅列とまったく同じものが出現する可能性は、0が出続ける可能性に等しい。

実際に起こった事象の確率がいかに小さかったとしても、それが偶然でないとは言えないということだ。

ならば、この奇跡的な宇宙誕生したのが偶然であってもおかしくはないだろう。

宇宙論についてどう考えるにせよ、

カジノでルーレットはしないほうがいいのは確かだ。

やるんだったら、バカラブラックジャック

多少の英語力があるのなら、テキサスホールデムポーカーのテーブルに座るのもいいだろう。

ノーリミットのホールデムは、麻雀が得意な人には向いているゲームだと思う。

初心者用の簡単な戦術としては、

失ってもいいと思える金額をチップに替え、

2枚の手札がペアになるかAが一枚でもくるまでオリ続け、

それらがきたらオールイン、つまり全額勝負する。

技術でベテランプレーヤーに勝てるわけがないので、

ブラフ駆け引きなど考えないことがポイントだ。

運良くそこそこ稼げたら、すぐにテーブルを離れることも忘れてはいけない。

最終的には腕の差がモノをいうゲームではあるのだから。

 
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