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2017-03-20

カレーライス混ぜるとか混ぜないとかの話で納得いかないところ

カレーライスを混ぜるかどうかクリームシチューを飯にかけるかどうかってたまに話が盛り上がるけど、

まず、マナーとして定式化してもおらず他に迷惑も掛からない部分での他人の飯の食い方なんて本来どうでもいい話だろう。

 

そのうえで、他人が混ぜてるのが気持ち悪いとか感じるのはまあ仕方ないんだけれども、

そのきもいという「生理的感覚」をわざわざ表明したり(ブコメで得意げに発表してるやつ大勢いるよな)、どこか自分の信念か何かのように誇ったり、あまつさえ自分感覚から外れた人間を見下したりするのはいったい何なんだ?

 

普段のいろいろな問題についてはこういう対応普通にNGだろうに、

例えば「こんな顔のヤツは気持ち悪い・近づきたくない」とか表明するのは差別とすれば、同様に「こんな食べ方をするヤツは気持ち悪い・一緒に食べたくない」とか表明するのも差別なんじゃねえの?

 

ただの人間同士が同じテーブルで同じもん食ってるだけなのに、食い方一つでなんで相手キモい信じられない苦手とか言ったり思わなきゃいかんの?

そんな感覚は誇るんじゃなくて恥じろよ。

 

 

http://anond.hatelabo.jp/20170318231901

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170318231901

http://anond.hatelabo.jp/20170320150139

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170320150139

2017-03-12

例えば北朝鮮ツアーにのこのこ行って「金正恩は偉大な人物朝鮮半島平和のことを真摯に考えている。核とかミサイルとか問題もあるが、そこは当事者専門家に任せよう。外野安易発言してはならない。素人が扱ってはいけないイシューがある」などとぬかす奴がいたら、外野としては「そいつは元来、頭が緩かったんだろうなぁ可哀そうに」と思う以外にないだろう。

何のことかといえば

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51162

のことだ。

一定党派性のある人間が主導する「見学の旅」なんぞにいって、お仲間の演説をへいへいと有難く拝聴して拝観したお写真に衝撃を受け、あまつさえ「君は自分のやり方で皆に伝えればいいんじゃないか」などと諭されてびよびよ泣き出す始末である。安物の洗脳だってもうちょっとましにやる。

で言い出したのが冒頭のそれ

素人が扱ってはいけないイシューがある」「専門家及び当事者に任せよう。外野安易発言してはならない」

である

もし、北朝鮮在日米軍でも自衛隊でも朴槿恵弾劾派でもベネズエラでもいいが)のツアーに行って、無批判にその主張を受け入れるのか? 純粋北朝鮮人民が偉大なる金第一書記を熱心に称えたからといって、それを額面通り受け取るのか? そうではないだろう。

単純に「同学年の友達」(しかし豚極左金髪である)がおぜん立てをしただけで、やってる内容は変わりはしない。結局は、彼らが主張したいストーリーにあった「証言者」が出てくるだけだ。

その絵図も見通せないでイノセントに出てきた人間が正しいことを教えてくれると、なぜころりと騙されるか。

(かといって、なんの伝手もなく突っ込んで何かが得られるのか、といわれると厳しいと言わざるを得ない。しかしおぜん立てを丸呑みするよりははるかにましだろう)

しかも、ここでいう「専門家」「当事者」は何か。会った面子から言えば、当然彼らのことだろう。それは「専門家」「当事者」かもしれないが、党派の塊ではないか。結局これは「抗議もしない他人が口を挟むな」という悪しき当事者主義しかない。

あまつさえ、この「当事者様」に引見されたことで微かな当事者性を手に入れたつもりになって「あなたたちの批判はオレの心になんの波風も立てない」だそうだ。

お説の通り、全ての言説を撤回して筆を折って山奥にでも引き払え。その方がまだ害がない。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170227161628

なんでお前ら障害者は、健常者を「迫害する者」として迫害し続けるんだ?

なんでお前らマイノリティは、そんなにマジョリティを貶めることにためらいがないんだ?

からない人には何が「なので」なのか本気でわからないんだと思うし、それで正常なんだろうということも理解している。

なんでお前に分からないということが分かるんだ?

なんでどれだけ努力してもお前らに「理解していない」と言い続けられなければならないんだ?

ブコメに付いた「ADHDマン無能」、「世の中は正常と異常の二者択一」、「席を空けて退場するべし」みたいな言説を見るとヤバさしか感じない

いつまでこんな意見を健常者の代表的意見として扱われ、つねに何も理解しない愚者として扱われるんだ?

逆に、お前らは俺の何を理解しているんだ?

俺の声を聞いたことはあるか?

俺以外の誰かの声を聞いたことがあるのか?

健常者を常に理解していない愚者として敵を作り上げ、それを攻撃し、常に勝利を収め続けることになぜためらいはないんだ?

融通のきく働き方ができれば最大限のパフォーマンスが上げられるからなんだ?

なんの取り柄もない障害者はどう生きればいいんだ?

その無能死ねばいいのか?

もちろんこんな話でないことは理解している。

多様性を認め、具体的にそれを許容するマネジメントに対してアドバイスがしたかったんだろう。

でも、もともとそんな話じゃないから。

「俺がかわいそうだ!!」と叫びだして、他の人が積み上げてきた流れを壊したことを軽蔑する。

そこに敬意を払わなかったことを軽蔑する。

あまつさえその手段として弱者であることを利用し、この議論を「勝負」にしたことに怒りさえ覚える。

そのことに対して、なんで「不寛容」などと言われないといかん。

2017-02-23

PSO2に破棄対策実装されることによる今後の予想

クエストの破棄」に関する今後の対応について

http://pso2.jp/players/support/measures/?id=10697

 

今まで数々のゲーム落ち目になるのを的中させる日記を書いてきた俺の見立てでは

これを機会にPSO2の人気がガタ落ちする可能性が高い。

 

PSO2を知らない増田にも説明すると

PSO2ネトゲRPGであるMOで、破棄対策とはクエストの途中で自由に破棄できていたものが今後ペナルティが付く処置がされるということ。

 

【4種類のプレイスタイル

まずPSO2には大きく分けて4つの種類のプレイヤーがいる。

廃人職業アークスなどとも言われるが要は物言わぬ廃人たちだ

・準廃:能力的にも精神的にも廃人を下回っているが他人中傷して粋がっているタイプ

一般人:大多数のごく普通のまともなプレイヤー

寄生or放置自覚無自覚わずにろくに装備を整えずに他人任せの戦力外RMTなどもこれに含まれている

 

【みんな寄生放置プレイするのは嫌】

最後寄生放置に対しては準廃だけでなく一般人も嫌っており、

それを避けるためにプレイするためのブロック移動さえ発生している状態だ。

基本的な総意として誰も寄生放置と一緒にプレイしたくないと考えている。

 

PSO2にはキック機能がないし、通報しても対処してくれない】

しかPSO2キック機能はない。

しかキャプチャを取って通報しても放置だけでは運営対処しない。

ここに暴言等がセットになればBANされることは確認しているが、

ただの放置や弱い装備による戦闘に参加しない行為については運営対処しない、一切。

同席したやつに寄生放置がいたとしても我慢するしかないのだ。

から前述したブロックごと移動してマッチを避ける現象が起きている。

そして対策ひとつとしてクエストの破棄がある。

破棄することで有名寄プレイヤーに貢献することを拒否できていた。

これには現状でも受注にリアル時間制限のあるクエストの周回数が減るなど、

間接的なペナルティはあったようなもので破棄行為自体はもろ刃の剣だった。

 

【今後は破棄する側に破棄したクエストを再受注できなくする措置

実装予定のペナルティは、破棄したらその時間に開催しているクエストは二度と受けさせないというものだ。

まりどんなに無能が集まっていて放置寄生されたとしても我慢して育てろ、介護しろということだ。

これは真面目にゲームを楽しもうとしている側のみに不利益が働くためゲーム環境破壊すると予想している。

これがもし破棄側がクエスト進行の妨害目的で行われていたという前提があれば納得できるが、

そもそもの発端はまともな装備とプレイできない人間

真面目なプレイヤーと同じブロックに入れてしまうということが根本的な問題なのだ

腕前や装備による住み分けができていないからこそ放置寄生はどこにでも入り込むことができる。

 

回線落ちですらペナルティ扱い】

例え回線落ちでもペナルティが課せられる。

漏れを防ぐなら当然ではあるが、そうなるからこそ意図的ではないにも関わらずこの変更で泥をかぶる人間がいるということだ。

この変更で誰が得をするのかというと破棄されて困るような装備でくる寄生放置プレイヤーだけである

 

【このペナ実装環境がどう変わっていくのかを予想】

敵を誰が倒しても同じ経験値レアアイテムをもらえるPSO2

無理にPTを組む必要がないため、煩わしい付き合いなどをしなくていいのが利点だ。

しか寄生放置側に一方的に有利な条件がここに加わってしまった。

ここから環境の変化予測2ちゃんみたいにざっくばらんに書いておこう。

 

ペナルティ実装

寄生放置が同席者を煽ったりそれを真似する愉快犯が出てくる

寄生放置に同席しないように固定メンバー限定クエストに挑むプレイヤーが増える

野良と固定の住み分けが進む

・結果、野良には固定に呼ばれない腕前orコミュニケーション一般人寄生放置割合が日増しに増える

・どんどん野良環境が酷くなるのでさら固定化が加速する

・もはや固定メンバーを組めなければまともなゲームを楽しめないデザインになる

・フレンドやチームとの関係性を保つことがゲームをする上での最低条件として追加される

・気軽にやっていたプレイヤーにとっては余計な時間コストが追加される上にそれを拒否すればまともなゲームができない

・まず気軽にやっていた層が離れる

新規で入ってきたプレイヤー寄生放置や弱いプレイヤーを宛がわれる上に破棄できないかストレスが溜まり離れる

・結果、固定が組めるような人間けが残る

・当然収益が下がってゲームボリュームも減り辞めたものは帰ってこずに自然消滅

 

まあ、細かい説明省くと大体にしてこんな流れだと思う。

まず破棄されて困る人間っていうのが寄生放置くらいしかいないっていうのと、

破棄が多いなら同じくらいの腕前同士でマッチングするように住み分けをするのがまず先なはずだ。

完全に真面目なやつほど馬鹿を見る路線を突っ走っている。

運営の「上のプレイヤーが下を面倒見るべき」理論は昔から割とあって、

生放送でも新規プレーヤーが増えないのを上のプレイヤー誘導しないからだと愚痴っていた。

いやいや、違うだろ、と。

今残ってる既存プレイヤーたちは自分個人としてPSO2の魅力に気づいたから残っているんであって

誰かから強制されたり、何かルールによって残らされたプレイヤーなんてまずいない。

それはPSO2コンテンツとしての魅力があるからこそ成立する誘導力であって、

最初の案内やチュートリアルが雑だったり改善点あるにもかかわらず人が居付いた理由になっている。

なのにその自身コンテンツによる魅了を追加することよりもプレイヤー側に責任を擦り付けるのは違うだろうと。

あまつさえ破棄ペナを用意して下の面倒を見ろと言わんばかりの変更をしてくるのは違うだろうと。

PSO2は1人でも楽しめるからこそここまで大きくなったのに、最近では余計な人と人との繋がり推しが目に余る。

そういうのはプレイヤー自発的にすることに意味があって運営が用意して強制するべきではない。

そういった調整は余計なしがらみを産むし、それを嫌った人間が居付いた先がここであるPSO2だというのに。

メンバー固定化を加速させるようなことをしたらむしろ新人候補にならないため余計に下が割りを食うことになる。

その予想ができているのだろうか?

 

このまま「お前らが新規の面倒をみろ」というスタンスを示され続けると間違いなくPSO2は死にコンテンツに向かう。

数十万円は使ってきただけにあと2・3年は楽しみたかったが、来年まで楽しめるかどうかだいぶ怪しくなってきた。

 

あとアンケートの結果を鵜呑みにするな。

サイレントマジョリティの影響力の方が圧倒的にPSO2内では強い。

それに対してデータがないから予想や配慮ができないっていうなら今からサービス終了する準備を始めろ。

2017-02-07

山本一郎(切り込み隊長)や宇野常寛善良な市民)がいつの間にやら平然と「知識人」として昼日中お茶の間に顔を出せるようになってるのって本当に日本的現象だなと思う

テレビを見てる民衆は誰もこいつらが何をしたのか知らない

テレビに出てるから何か偉い奴なんだろうと思ってる

2ちゃんねらー煽動してネットゴロとして有名になっただけですよと言われたら顔をしかめるだろう

しかし実際それしか功績がない連中がテレビに出る、有識者面をする

隠してもいない、隠せようもない、知ってる人は誰でも知ってる経歴は何故かなかったことにされる

有名になった経歴が曖昧にされたまま、とりあえずテレビに出てるから「有名で偉い人」ということで落ち着く

あまつさえネットゴロですよとこのように教えてすら、テレビに出てるんだからそれだけじゃないでしょうとか何とか言って多くの日本人事実より印象を固持し続ける

 

プロラジオDJとして長い経歴を持ちながら、いつの間にか整形してミドルネームがついて経営コンサルタントとして有名になっていたショーン川上を見ていた、事情をよく知るラジオ業界人の気分はどんなものだったであろう

ショーンKは最終的に化けの皮をはがされた

しかしこの事実は何も楽観的な未来を感じさせるものではない

ショーンKは化けの皮がはがれた

しかしそれは「ニセ外人」としてのことに過ぎない

外人さま」を僭称した罪では裁かれたものの、「いやいやそれでも良いことを言っていた」などと言う馬鹿信者は未だに途絶えない

ただただどっち付かずで100%無難なことを言い続けた「ザ・日本コメンテーター」にすぎなかったのに、あの声と格好で印象づけられた「この人は凄い人」という思い込みは、経歴詐称でもその「凄さ」の根拠が灰燼に帰してもも永遠に変わることはないのだ

 

愚かなりしやわが同胞

これではまるきり白痴ではないか

日本人に印象に左右されないまともな判断力というものがつく日は来るのだろうか

このままでは本当にこの国は、つまらない自滅をまた繰り返すだけの未来しかない

2017-01-31

[]

ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよを読んだ。うーん。甘酸っぱい青春小説を謳っているけど、個人的には微妙読書感だった。

第一において、全編を通して何がやりたいのかがわかりにくかった。ハッキング技術邁進する小説が書きたいのか、お悩み解決系でいきたいのか、恋愛を主軸に据えたいのか。いまいちピンとこなかった。

要素自体はたくさん含まれてるんだけど、それらがうまくかみ合ってないというか一体感が感じられなかった。

友人の恋愛が失敗する展開とか、未来がよくわからない高校生らしさを反映しているのかもしれないけど、なんんか微妙。できれば最後で先輩がわからないなりに真剣に悩んでいる友人のことを認めてあげてもよかったんじゃないかなあ。

そもそも主人公恋愛意識すればいいのに。小夜子との関係性が恋愛といえなくもないんだろうけど、最後まで読んでなんかぐっと来ない。いたるところで日数が経ちすぎ。

他にも、例えばパソコン部の部長にしても、友人の妹にしてみてもぱっと出すぎてうまく機能してないように感じられた。というか、ミステリで言うところのワトソンポジションから終始主人公が脱却できないのが全部悪い。

あまつさえ最後最後でもワトソンポジションのままこれからも小夜子のことを守っていこうとか決意を固めちゃってるからひどい。

少しは向上心を持ってほしい。多少なりともパソコンについての知識を蓄えようとか、あるいは将来についてある程度の道筋を見出すとか。

それすらなく、昔のことを回想して、忘れちゃってたけどもう迷わない、みたいな決意を固められても困る。そうじゃないだろう。

もっと一点に特化するなり、それぞれの要素を磨き上げた方がよかったんじゃないかなあって思った。

2017-01-27

バイトをクビになったかもしれない

バイトをクビになったかもしれない。

私は地方都市に住んでおり、

結婚して子供も2人いる。

現在職探し中で繋ぎとしてバイトをしている。

なぜクビになったかもしれないかと言うと、

私のシフト表が空白だったからだ。

もちろん該当時期のシフト希望は伝えているけれど、

当てつけなのか店長は空白で全バイト公表した。

それを見たとき店長に当然確認した。

どういうことだ?と。

店長に曰く連絡が取れなかったからとのこと。

繰り返すけれども私はシフト希望を提出している。

にも関わらず連絡が取れないと空白にした神経が理解できない。

事の発端は、先日、家族が私以外インフルエンザに罹ったことだ。

看病はもちろん家事も行うために、

店長に状況を説明して治るまでの期間休みをもらった。

その後、快方に向かってきたため、

おおよそいつから出られるかがわかってきたので

店長に連絡し出れるシフトを伝えた。

それが件の空白シフトの期間である

その後店長から

他に出られる日はないか?と連絡が来た。

インフルエンザ家族が罹ったことにより、

就活も中断状態になっており、面接の予定も延ばしてもらっている状況だったので

からないと返信しておいた。

それからしばらく経って、

また店長から連絡があった。

〇〇日は入れないか?と。

私はそれを無視した。

言い訳をすれば看病はやら家事やら子供相手やらで

そのときの私はスマートフォン放置していた。

連絡があったことに気づいたのは

次の日に店長からシフトが送られて来たとき

そして私のシフトは空白だった。

再三繰り返すが、

少なくとも私はシフト希望を出している。

それでも店長は私に言った。

連絡が取れなかったから、と。

あまつさえ店長はこうも言ってきた。

増田さんが希望を出した日は、ヘルプを呼んでいる』と。

『でもどうする?入れるなら入る?』と。

バカにするのもいい加減にしてほしい。

当てつけのように空白のシフト表を作成し、

当てつけのように希望していたシフトヘルプを呼ぶ。

ヘルプを呼んだ理由は人がいないから、連絡が取れないからだ。

頭がおかしい。

それで入れるなら入る?だと?!

腹が立ちすぎたので私はもうそ店長に返信しなくなった。

既読スルーだ。

シフト希望を出していた日はとっくに過ぎたけれど、

店長からそれから一切連絡がない。

おそらくクビだろう。

しかし、私は間違っているとは思わない。

ところでそのバイト先はとある居酒屋チェーンだ。

具体的な社名、屋号は避けるけれども、

低価格を売りにしているパチンコみたいな屋号だ。

2017-01-11

ゲーム動画で見るより実際にプレイした方が楽しい」は本当か

とあるゲームについて、動画配信をしながらこのゲームはまず自分プレイすることを進める、ということを配信主が主張していました。

まあUndertaleなんですが。

個人的には初見は見るなと言いながら初見の目に入るようなところに動画を上げてあまつさえクリアまで流すというダブスタに「そんなに初見に見てほしくないなら動画を上げないか、せめて布教するにしても途中までにしておけばいいのに」としか思えませんでしたが、それはそれとして配信主がそんな主張をしたのは「実際にプレイするのと比べて動画で見たのでは面白差が半分に減る」とか「実際にプレイした方が絶対楽しい」とか「その方が初見の驚きが味わえる」だとかそういう理由のようでした。

実際にこのゲームはまずは自分プレイするべき、という意見が多いようで、いいからまずはやってみろ、ときます

でもこのゲーム個人的には初見ネタバレなしで実際に自分自身プレイたからと言って必ずしも楽しめるゲームではなく、むしろ一部の人動画で見た方が楽しめるんじゃないか、と思ったのでだらっと理由を書いてみます

あくまで「一部」であって全員がそうとは思いませんが、「いいから騙されたと思ってやってみろよマジで絶対損しないから!」というゴリ押しが非常に気になりましたので。

※ここから先はUndertaleについてのネタバレを含むため、ネタバレしたくない人はご注意下さい。ゲームの楽しみを損なっても責任は負えません。必ず損なうとも限りませんが。

まず、なぜそんなに実プレイお勧めされるのかという背景を簡単説明すると、このゲームはかなりメタ的な構造をしておりゲーム内に「ゲームを実際に遊んでいるプレイヤー」のことを想定したギミックがあったり、プレイヤー自身に訴えかけるようなシーンなどが多々あります

このことによりプレイヤーゲーム世界を眺めている「物語の外の人間」ではなくて物語の一要素として内部に組み込まれて擬似的ではありますゲームの中、とまではいかなくてもゲーム現実中間くらいのポジションに立たされることになります

こうしたギミックの数々は、なるほど確かに実際にプレイして当事者になるのと動画視聴者として傍観者になるのではたとえ同じ風景を見ていたとしても感じ方は変わってくるでしょう。

それ自体否定しません。

ですがそこに一つの疑問があります。「では当事者でいた方がゲームを楽しめる、というのは本当なのだろうか?」ということです。

いくらゲーム現実中間にいたとしても、その役割どころが物語にとって些細なことであれば、やはり当事者とは言いにくいでしょう。Undertaleはちゃんとプレイヤー物語の中心に置いてくれますプレイヤー選択物語の根幹に関わり、どんな行動を取るかで登場人物のほんの些細な会話の内容から最終的なEDの中身まで非常に多くの場面で変化が起こります

当事者であるプレイヤーはその行動に責任を求められ、登場人物にとって好ましい行動であれば喜び、褒められ、登場人物にとって害ある行動であれば嫌われ、攻撃されます

そういった「当事者となること」を楽しめる人であればこのゲームはとても楽しいものでしょうしお勧めできますが、では誰もがそうして当事者として振舞うことを望むのか、と言われたら答えはNOだと思います

実際にここに、他のゲームはともかくとしてUndertaleというゲームにおいて当事者にはなりたくない人間が最低一人はいます

プレイヤー当事者として据えることでゲームとしての面白さを表現しよう、というつくりのゲームである以上、いくらその完成度が高く、素晴らしいものであっても当事者であることを嫌がる人にとっては「楽しくない」のです。

ここでいう楽しい、楽しくないというのはそのままの意味で、作品としての完成度が高いことは必ずしも楽しく遊べることには繋がりません。

結局楽しく楽しくないは最終的には趣味問題になってきます。そしてこのゲームはかなり極端なつくりをしているので人を選ぶ、好みによって好き嫌いがかなりばっきり分かれるゲームではないかと思います

私などは物語の裏に隠されている設定やらについてはとても興味深いとは思っていますが、ゲームというくくりで見るならまさにとても完成度が高く人気があるのも分かるけど好みじゃないし実際にプレイしても別に楽しくない、です。

さて、ではこのゲームを実際にプレイ動画で見たとしましょう。

先にも言った通りこのゲームにおけるプレイヤー当事者です。そしてプレイヤー動画配信主です。つまりUndertaleにプレイ動画という形で接した時、そこには自分プレイした時とは違う「傍観者」としての関係が生まれます

ここでようやくゲームとしてではなく、他の要素を持ち込まずに「物語」としてのUndertaleに接することができるようになるのです。

ゲームとしてのUndertaleはあわないけれど物語としてのUndertaleは好き、という人はこれまた一定数いると思います。二度目ですが、ここに私という実例がいます

ゲームとしてのUndertaleがあわない私には実プレイをすることは苦痛であり、動画を見て楽しむ方が百倍楽しい……というのは盛りすぎですが、まあ少なくとも動画で見る方がより楽しめます

まり実際にプレイした方が必ずしも動画で見るよりも楽しいとは限らないわけです。

とは言え、作者の方は表現方法としてわざわざゲームという手段を取ったわけですから動画しか見ていないと作者が伝えたいことは一部しか伝わらないというのも事実です。

ゲームプレイしたところで100%伝わる訳ではないですが、ゲームプレイするよりは伝わることが少ない……あるいは、作者が見せたかった風景とはずれる可能性が大きくなる、というのはその通りでしょう。

ですので「作者が表現たかったものを見てほしいから実際にゲームプレイしてほしい」というのは理屈としては正しいので、そう言った意味では私も「非常に完成度の高いゲームなので、作者の表現を実際に感じてみるために実際にプレイすることをお勧めします。

ただし、それによって楽しい気分になれるか、動画で見るのと比べて楽しめるか、という話になれば人によるので一概には言えません。

というか繊細な人にはプレイお勧めしません。一番平和ルートだけ動画で見るのが一番楽しめると思います

好みが激しくて実際にプレイすることでガチダメージを負い兼ねないゲームを「その方が絶対楽しいからゲームプレイお勧めする」のはそれこそUndertaleという主体性重要になってくるゲームプレイたにしては「当事者意識の欠けた無責任な行動」だなあと感じた、ということです。

Undertaleに興味がある人は、心の強い人、ゲームゲームと割り切れる人、打たれ弱い場合マルチED自分の苦手なEDが回収できなくても気にしない人、シューティングさらに言うなら弾幕避け)ができる人、あたりにはプレイお勧めします。

打たれ弱いけどコンプ癖がある人、メタを多用するゲームに抵抗がある人、キャラ発言の後ろにある作者の思惑が鼻につく人、シューティング弾幕避け)が苦手な人あたりにはプレイお勧めしません。

完成度は間違いなく高いので、好みに合わない、楽しめないことはあってもクソゲーではないと思います

2017-01-10

俺がこんなに良くしてやってるのにと思っているんだろうけど。

こんなに気を使って優しくしてやってるのに、何が不満なんだ何が面白くないんだ?過ぎた事だろう?って思っているんだろうけどさ。

お前、包丁で腹や胸を滅茶苦茶に刺された相手に謝られたからといって、優しくされたからといって、ニコニコできるのか?

傷は塞がっても何かの拍子には疼いて苦しむし、傷痕は消えない。

そんな事があった相手に親愛の情など、今更何をされても抱く訳がないだろう?

あまつさえ機嫌次第では傷痕を針で突き回すくせに。

何で好かれていると思えるんだ?

どんな神経してるんだよ?

自分が何をしてきたかよーく思い出せよ。

2017-01-07

どくづき

子供と一緒に寝てる暖かい布団から出るところから母の1日は始まる。

母は子供のために弁当作って、

子供を起こして、学童に行くように声をかけたら

子供より一足早く家を出て仕事をし、

仕事を終わらせ、子供を迎えに行き

帰って飯を炊き、洗濯をし、飯を食い

子供ポケモン交換して

さぁ寝るかと万年床へ赴けば、

子供が見ないふりで放置したオネショでみずびたしなのに気づく。

あまつさえ、濡れた畳と敷き布団と掛け布団の全てが潤いを逃さず、ほんの少しも乾いていない様子。

もうほんとに、でんきショック。

こんな時にはかみなりを出したほうがいいかな。

2017-01-04

自分は一体何やってるんだろう

ニコニコ動画遊戯王カード開封動画を見た。

いい歳した大人が出てくるカードに「うおー、なんとかドラゴンだー」と一喜一憂している声を聞いて、ドン引きした。

しかし次の瞬間「そんな動画を見ている自分はどうなの?」という疑問が頭に思い浮かぶ。

いい歳した大人動画を見て、あまつさえその感想匿名日記に書いている。

これが客観的に見てドン引きされないものなのか?否、断じて否。

結局、あの人も自分も同じ、ドン引きされることに変わりはない。

自分自尊心が「せめてあいつよりはマシだ」と思わせているにすぎない。

2016-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20161229150031

うーん、「小さい頃にいじめられた経験でもあるのか、その仕返しと言わんばかりに〜」という文言は単なるしっぺ返しに留まらないと思いますよ。少なくとも、いじめられた経験のある人全体へのハラスメントとして機能しうるコメントなので、そういう意味でもダメだと思う。

挙げられている例が妥当かはともかく(エンジニアのことは詳しくない)、「初心者いじめ」という現象があるのは間違いない。けど、例えば、小さい頃にいじめをしていた人間がそのまま普通に初心者いじめ」をしている、という可能性もあるわけですよね。そうじゃなくて、「小さい頃にいじめられた経験でもあるのか」という可能性を第一に思い浮かべ、あまつさえ書いてしまうところに、書き手偏見が表出しているように感じます。その辺りも私があのコメントに反感を抱いた理由です。

2016-12-23

表の世界コミュニケーション強者で溢れている

世の中の人間は他者と対等な人間関係を築くことができ、恋人がいたり友人がいたりする。

どうやら恋人いたことがあるもしくは、友人がいるというのは見聞する限り人として常識的なことのようだ。

彼らは、息するように他者と会話しあまつさえ楽しさすら覚えている。

一方の私は会話により苦痛を受ける。会話の多い日は定時にあがれても家のベッドへ直行し起きる気力がないほどぐったりする。私にとって繁忙期にいくつもの期日に追われ深夜まで残業するほうがだいぶ楽だ。

彼らは私のことをコミュ障だと軽い口調で言う。120%がんばって擬態しようとしてこの様、素の私はもはや人間に満たないなにかなのか。発達障害は白黒でなく濃淡だと言われるが、仕事が何年も続けられている時点で私は大分色が薄いほうなのではないかと思われる。

しかしある統計では世の中には沢山いるはずのコミュ障なる人はまるで見当たらない。それはどこにいるのか。もしかしたら私よりもうまく擬態できているだけなのか。

年末ジャンボ当りますように。

2016-12-21

ユーリ面白いね!

 ユーリ面白くて数時間後に迫った最終回が楽しみすぎるので思ってること書くよ!

 私は好きなものや気になったものについて、よく検索かけて他の人がどう言ってるのかを見たりする。勝手同意したり反論したりして楽しむ。まあこの習慣のせいで最近しんどい思いをすることも多くなってきたのでやめたほうがいいのかなとも思うんだけど。

 ユーリももにょ案件結構あった。ユーリにかこつけて実在のスケーターの画像BL的に消費して楽しむファンとか、最初面白かったのにホモ気持ち悪いとかトレパクとか。

 

 実在人物のそういうアレで大騒ぎするのは小学生が「AくんとBちゃんが付き合ってまーす!」って騒いでるみたいで品がないなあと思う。ああやって騒ぐタイプの人とは仲良くできないな。それこそいわゆる生物案件なんだから腐女子が得意な検索避けで楽しむべきなんじゃないの..あとユーリに限らずクソコラやめてほしいな〜〜〜〜楽しいのはわかるけど失礼じゃないかな...

 ホモ気持ち悪い、あるいはホモじゃないか尊い、みたいなゲイフォビア発言大手を振ってまかり通る日本はまだまだ遅れていて悲しいなあ。わかる、わかるよ、私も昔はどっちかってとBLに対し否定的だった。例の水泳アニメを見てうわあ...って思ったりもした。

 でも、今から思うと多分「普通じゃないこと」に対しびっくりしちゃっただけだったんだよね。「これまで自分の中で培われてきた常識から外れている」「衝撃的」な絵面に対する拒絶反応最近は考え方が変わって、どういう性別だろうと親愛の情を抱くことは当たり前のことだと思うようになったかユーリもなんの違和感なく見ている。キスたからって恋愛とは限らないし逆も然りじゃない?いろんな解釈があっていいと思う。全部当たり前で普通だよ。

 ここから個人的見解だけど勇利とヴィクトル関係師弟から始まってはいるけどいろんな愛情が混ざり合って結婚して当然だしセックスしててもおかしくないかなってくらいには発展してるとおもう...ただGPF終わったら離婚しそう(ごめん)っていうか、なんか一種青春みたいだよねっていうか、最後のGPFという刹那っていうか、まあこの辺は日本語得意な人に任せた!

 そしてトレパクはまあ専門外なので論ぜぬ。黒だったら残念って感じ。「検証画像フォトショ」みたいな反応も見かけたし個人的には白を信じたいけどな〜〜〜〜。

 あとまたこれは別の問題だけど、「ホモ気持ち悪いという感想をおおっぴらに言えないために鬱憤の溜まった人たちで構成された集団が好機とばかりに卵アイコンで叩いている」という印象が拭えないので、なんかもう、地獄だな、と。大勢好きだ、面白い肯定するもののよさが自分だけちっともわからないみたいときマジョリティに対する腹立たしさ、圧迫感みたいな気持ちめちゃくちゃよくわかるんだよ...それで鬱憤溜まるのも叩きたくなるのもわかるんだよ...地獄... 

 私とある漫画とあるマイナーキャラが大好きだったんだけど、その子理不尽に殺されて、でも殺した方のキャラが人気で、私は許せないのに殺した方のキャラ擁護する声の方が大きくて、あまつさえ「彼こそ主人公」みたいなコメントがたくさんあって、重要キャラから公式でもどんどん優遇されて、一方私の好きな彼はグッズやサブコンテンツでもハブられ続けて...そんな風潮を見て悔しくて悲しくて腹が立って、眠れない夜とかあったくらいなんですよ...だから気持ちはよーーーーーーーくわかる。しんどいよね。そのうちエネルギーが怒りに向かうんだ。 違う話だって?そう思うならごめん。でも私は一緒だと思う。

 あとはあれだ、「本格的じゃなかった」みたいな批判。まあそれはわかる。スポ根を期待して見たらスポーツを題材にした少女漫画だったのでがっかりした、という人がいてもおかしくはないかな。私は少女漫画も好きなのでこれはこれで、といった風に楽しんでるけれど。あと演技中の心理描写は本格的を謳うのにふさわしく緻密だと思うよ!きっと修行パートが足りないんだな。ユーリに12話は短いよ!!!!!

 個人的見解もういっちょ。ユーリ作品としてLGBT問題とくくりつけるのは賛同にせよ批判にせよお門違いだと思うよ!!!!!そんなにウェイト大きくないよ!!!理想の世界ではあるけど!!!まあユーリみたいな雰囲気創作物が増えたらいいなあとは思うかな。

 さて、こういう話はもういいかな!ここからJJの話させて!私はJJが大好きです!!!

 あーJJ!!!!!!!大好き!!!!!!!初登場回の初演技で、あのずっとこちらと目が合ったままの謎スピン一目惚れしました。アニメに限らず、スケートにも限らず、私ああいう根っからエンターテイナーな選手が大好きなんです!!!

 パフォーマーには二種類いると思ってる。一つは己の内面を見つめ己を表現するアーティスト型。もう一つはお客さんを感動させることを目的とするエンターテイナー型。両者の違いは端的に言えば内向的か外向的かってところなんだろうと思う。ユウリカツキなんかは典型的な前者だよね。そして私の解釈ではJJことジャン・ジャック・ルロワは絶対後者スケートどころか、氷上に限らず彼の生き方のものエンターテイナー。あー好き!!!!!!!!

 JJ彼女も大好き。イザベラちゃんっていうらしいねJJってたくさんのJJガールズに愛想振りまいて、EDでは左右に女侍らせてたりもして、それでもイザベラちゃんは全く意に介してないどころかJJガールズの存在を自慢にまでしていている。多分左右に女侍らすJJを見ても「さすが私のJJね!」って肯定してくれそうだし、イザベラちゃんはジャンジャックルロワの「JJ」という理想生き方をまるごと肯定してくれる女性なんだなって思った。JJみたいなタイプの極めて外向的なパーソナリティを支えるには最高のパートナーだと思う。

 どーも最近コンテンツでは「飾らない自分を愛してくれる」みたいな、たとえ世界中否定されてもたった一人に肯定してもらえればそれでいい的なことを信奉しがちな気がするけど、JJはそんなこと求めてないんだと思う多分。たった一人に肯定されるだけじゃ足りないからどこまでもどこまでもストイックに上を向く、立ち止まらない、立ち止まれない状況に自らを追い込む。そんなJJに向かって「あなたの良さは私が知ってるから十分でしょ」みたいなこと言うタイプパートナーは窮屈だろうなと思うよ。今のところは。

 オーケー、優勝を逃し婚約がおじゃんになって、イザベラちゃんの前でどういう顔をしたらいいのかわからない19歳のただのジャンの前で、エンゲージリングをはめたままの薬指を愛おしそうに握り込めて「楽しみだわ、JJ」ってイザベラちゃんが微笑んでくれるところまで妄想した。さあ来い最終回!!!!!!

 (さっき今のところは、って言ったんだけど、私はもともとオタクとして闇属性なのでどうしてもこのGPFまでがJJ選手としての絶頂だったとしたらって事態想像してしまう。大会に出ても成績が振るわず、どんどん優勝が退いていくJJに対してイザベラちゃんがどう反応するのかってのは...まあ...気になる...)

 否!!!!!!!!!!!!!!!!一人のJJガールズとして宣言しま!!!!!!!!!私はJJの大逆転優勝を信じてる!!!!!!!!!!頑張れJJ!!!!!!!頑張れイザベラちゃん!!!!!!!!!!!!!ジャン・ジャック・ルロワをどうかよろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最終回楽しみ!!!!!!!!!

アイマス同人

Bin1productionってとこ、ただのアニメーターサークルだと思ってたが、

最近所業作家大量に囲ってどう見ても同人ゴロ所業なんだが。

こんなサークルがのさばって、あまつさえ絶賛されてるのはどうなん。

いくら公式二次創作に寛容だからってこれがジャンル大手一角あかんやろ。

特にこれから盛り上げてかなきゃならんミリオン

逃げ恥最終回で急に萎えたのは自分だけ?

※若干ネタバレ注意

逃げ恥が絶好調で幕を下ろした。

原作未読ながら、僕は家族(主に嫁)と一緒に楽しく視聴していた。

娘二人もYouTubeで「恋ダンス」を覚えて踊ったりと微笑ましい光景が広がっていた。

  

しかしだ。逃げ恥最終回を見終わってもなんだかモヤモヤしている。

というかそれまであった、他人恋愛を眺めてほんわかする感、がなかった。

原因は一つで、みくりの可愛らしさがあまり伝わってこなかったこと。

  

これまで彼女は津崎平匡の不器用、鈍感、強情、卑屈な側面に付き合ってなおかつ彼と一緒に

物事解決する姿勢を見せてきた。

あまつさえ彼の初々しさを気に入り可愛いとまで表現する心の広さ。

童貞こじらせた独りよがり男なんていくら年収あっても

ここまで付き合ってくれる女性現実にいないだろう、と僕は感心しきっていた。

この「男の弱さ」に向き合ってくれて、かつ逃げないでいてくれる女の子は可愛く見えてくる。

  

しかし、副業に手一杯となり津崎に冷たく接する彼女の姿があった。

それに自己嫌悪するのはいい。にんげんだもの

そして彼女は、止めにするなら今ですよ、と逃げ腰になる。

みくりの態度はまさにかつての津崎の姿であり、彼がみくりを慰めるのはなるほど成長の証でもあった。

  

んだが、なんていうかもにょる

津崎はみくりと一緒になるために慣れない家事をこなそうと頑張り始める。

失敗もあるだろう。それでも自分を変えようと前進した。

でも家事に取り組む津崎を褒めるみくりの姿が見当たらない。

変わろうとする彼の姿勢評価する彼女が居ない。

どうやったら家事が上達するだろうか?と考えるのがみくりのキャラクターじゃないの?

(確かぎょうざ作らせて、案外なんでもできそうとか言うてたやない)

いくら忙しいからってそこまで視野狭窄になるかなぁ。

  

まぁぶっちゃけると、みくりが定職について頭いっぱいになり津崎を放置する未来、というのが

垣間見えてしまったのが萎えたんだと思う。

ちょっとやそっとじゃ変わらないだろうから、面倒だなぁ、と感じてしまった。

話し合いも気力と体力がいるからね。

  

あとはダブルベットを置こうと提案する津崎に対し、別々がいいと言い切った彼女姿勢も後押しをしたね。

自分ルールはきっぱり通すという彼女らしさが現れている。

だけど今からイチャラブ生活を始めようと期待している津崎にそう言い切れるみくりの強さが

やっぱり面倒だなと思えてしまった。

  

僕は今まできっと彼女母性的な側面に癒やされていたんだ、とそのとき気づいた。

実際はそうではなくて、みくりは何事も真面目に取り組む人で、家事代行を全力で行った結果に

あのような素敵な奥様像を見せてくれたわけだ。

お金という対価がなくなった今、彼女のあの母性を感じられなくなるかもしれない。

愛情という動機では動かないみくりだから余計に。

  

これから津崎とみくりは何度も話し合いを重ねて夫婦を超えていくんだろう。

その点に続編への含みとかドラマ性がある。

だけどきっと今後は面倒な人間性の折衝があるんだろうなーと想像してきつくなってしまった。

そういうのはリアルで十分に体験しているのでファンタジーが欲しいのよ。

  

何が言いたいかというと

男は皆マザコンさー

2016-12-17

オカン視聴者選民感は異常

オカルティック・ナイン視聴者がすごいと言うより、選民感を感じさせる作りになっているなと感じる。

シュタゲもそうだったが、まず最初キャラ造形でふるいにかける。どんな人がふるいにかけられるかというと、偏屈で器の小さい人だ。煽るような表現をして申し訳ないけど、まさしくそう思うのだから我慢して欲しい。オタクにはそういう人が多いだろうから、1話切りする人が相当いただろう。

典型的なふるいだなと思ったのが、ネットスラングを多用するキャラがいること。ネットスラング日常的に触れていて、ネタ理解できる人のうち、反応は2つに分かれる。

「あーハイハイ、クッサ、そういうのマジ勘弁」みたいに受け取る人と

「あーあるよね、そういう人もいるよねウフフ」みたいに受け取る人。

前者は、どちらかというと本当にコアなネット文化理解者というよりは、にわか感がある人に多い気がする。例えば、にわかファンがよりにわかファンを叩く光景と同じ原理が働くのだろう。つまりは、自分理解であることを自負したいから、他人理解表現することを脅威と感じたり陳腐に感じたりする。肥大した自我を守るために他者矮小化するのだ。もしくは、自分では同族と思っていないかもしれないが、同族嫌悪感情。いずれにしても、器の小さい人間のすることだ。

本当に理解が深い人は、他人表現についてもどっしり構えて心静かに観察することができて、いたずらに攻撃的になったりはしない。ネットスラングへの造詣が深かったとしても、自身現実でもネットでも一切スラングを使っておらず、おくびにも出さなタイプが多いかもしれない。要するに、理解を、自己と同一化していない。自己ステータスにしないしアピールもしない。だから自己他者を「○○を理解する人/しない人」みたいに分けてマウントするようなことがない。結果として、どんな表現フラットに受け止めやすい。創作となれば尚更だ。

中高生のころなら、そういうラベリング合戦に執心して見えない敵と戦っていた人も多かろうが、ある程度おとなになると、普通はしなくなるものだ。そう言いつつもこの文章自体ラベリング合戦同然の青臭さを帯びていることについては、見逃して欲しい。私もおとなになれなかった大きな子どもであり、自己矛盾キャラなのだ

さておき、作品全体が例に挙げたようなスラングのノリで構成されているわけではない。巨乳電波系少女を出してきて、イチゲンさんに下品萌えアニメかと思わせる部分もそうだ。結局それらは、重苦しい世界観を覆い隠すための、しかもそうである必然性が後々わかってくる類の仮面にすぎないのだ。

シリーズファンであればそのことを重々承知しているので、ああいった初見バイバイ描写に惑わされることはない。けれどそうでない人にとっては、これでもかというほど辟易させる要素が詰め込んであると映る。特にマトモぶった偏屈な人ほどそう感じ、嫌悪感を抱きやすいのではないかと思う。

主人公がウザキャラで、アフィやニート属性であることもひっかけポイントだろう。これらは、現実ではネットほど非難される対象ではない。ネットの卑しい思考回路に染まっている人ほど、これらを執拗に叩く傾向がある。経済理解している一定層以上の人間なら、アフィリエイト行為自体を叩いたり嫌悪したりはしない。やり方が悪いアフィリエイター跋扈していることは事実だとしても、アフィ自体嫌悪対象にすることはむしろ危惧すべきものだ。ニートに対しても同じ。彼らは時代産物であって、自己責任論で叩くべき存在というよりは、社会が救済すべきものだという認識が基本だ。そもそも作中の主人公は悪質なアフィリエイターでも、見放されるようなニートでもないので何も嫌悪する要素がない。むしろ可愛らしいものだ。

さらに言えば、忙しく目まぐるしいテンポ伏線を匂わせる描写密度が、一般的作品比較すると異常な域にある点もそうだ。テンポについては、ネットでは早口だと揶揄される。だが視聴していくと、この作品はむしろこのくらいのテンポが相応しいように感じられるだろう。それでも時折不自然なほど早口だと感じる部分はあって、そういう不自然さがどうしても許せない人がネットには多い。けれどインタビューによると、キャストもその部分には面食らっている。制作側もそれを理解していて、1話台本の冒頭に、どうしてこういう早口演出が多用されているか解説があったらしい。そこの部分は視聴者の我々が窺い知ることのできない所ではあるが。

ともかくネットというのは悪意的な見方人間の声が大きくなりやすい。そして、クリエイティブ制作者に対する声も含め、他者への敬意や謙虚さが微塵もない罵詈雑言が並べ立てられている。そうしたもの思考汚染され、流されてしまわないためには、実際の制作者やキャストの声を聞いて、かける思いを汲み取ることが重要だ。それはどのアニメ、どの映像作品にも言えることだが、オカン特にそれが求められる作品だと感じる。

まりにも密度が濃いので、結局大風呂敷を広げただけで伏線を回収しきれないんだろ、と馬鹿にする声も聞く。しかし10話までみてきた印象としては、かなり綿密に練られている。最新話をみるたび過去話を見返していくと、膝を打つような発見、「そういうことだったのか!」がそこかしこにある。だが、「どうせ回収できない、ご都合主義だ」と侮る声を発する人を納得させることはできないと思う。そういう見方をする時点で全てのフィクションスポイルされると思うが、それに加えてオカン特有事情がある。おそらく、アニメ単体では全ての事実は明らかにならない。コミック版は12話からアニメとは別のルートに入ったという告知がされている。アニメは2巻まで出ている原作ノベル圧縮した内容ではあるが、すでにノベルの先の展開を描いている。アニメ展開に合わせたように発売日が延長→未定となっているノベル3巻もアニメとは別のルートに入る可能性が高い。つまりメディアを律儀に追っている人ほど、全容を知れるという仕掛けになりそうだ(なんてうまい商売なんだ)。

けれども裏を返せば、そのへんの事情を知らないライト層には不完全な作品と取られる恐れもあるわけだ。そういう整合性に異常に執着するアニメファンは、爆死だなんだと言うだろう。それを見越していながら突き進むスタイルは、ある意味ロック姿勢ではある。一方でそういう側面こそある種の信者ビジネスの肝だなと冷ややかに見ることもできるが、ストーリーの内容が内容だけに、楽しむことが好きなオタクならばシャレを効かせたメタ展開だと笑って受け止めるだろう。その八福神の会だか300人委員会だか分からないが、自分もそっち側に入信して、賤民には知り得ない真実に辿り着こうではないか、なんてノリにもなるというものだ。

思うに、大ヒットする作品というのは多分にカルト的要素を含むものだ。オカンにもその素地があると感じる。ラブライブしろガルパンしろエヴァでもガンダムでもいいが、ああいった作品ファン宗教的なところがある。単に作品が魅力的だというだけではなく、作品思想が込められていて、そのメッセージ性がいわば「教義」となり、観る人を感動させ、伝播の原動力となるのだ。作品を観ることで、その教義を受け取り、コンテクストを共有する。その域までたどり着いた人はまさに信者であり、選民となる。往々にしてひねくれた演出、尖った演出の数々は、その選民感を増幅させるのに有効に働く。けれど、ついていけない人には、真逆に働く。

よく、「ノリについていけない」とか「登場人物感情移入できない」という文句を言う人がいる。そういう人はおそらく、メタ感覚作品を眺めすぎている。無意識作品の向こうに作者を透かしてみていて、そうやってみる作者のことを「こいつはダメだな、こいつの作品はいけ好かない」と思っていたりする。それで作品本体をまじめに見れなくなっており、雑念がなければ感じ取れたはずの感動を取りこぼしているのではないか原作者志倉千代丸自身もおちゃめな発言をするタイプではあるが、それも一種ペルソナを演じているだけであって、硬軟かき分ける技量がある懐の深い作家であることは原作ノベルに触れると分かる。だから仮に登場人物がイタくても、キャラ造形が古臭くても、それに引きずられて作品自体や作者をイタいと思うのは間違いだ。

感情移入ができないことを問題視するのも、そもそもおかしな話だ。感情移入ができる、というか、キャラクターの(言外にあらわれる)感情が伝わってくるから感動できる、良い、というのは分かる。しかし、それが分からない、キャラ思考回路が伝わってこないかダメだ、とはならない。異なる価値観とか多様性に対するスタンスについて説教するわけではないが、はっきり言って、そういう人は、自分と近しい環境で生き、近しい感覚・行動原理を備えた登場人物が動く作品しかまともに見れないのではないかフィクションには強烈な個性を備えたキャラがよくいるものだが、ほとんどの場合、どうしてそういう性格になったのかは察せるものだ。はじめは理解しがたい性格キャラこそ、大いに想像力を働かせながら読み進め、自分には無かった思考回路価値観にたどり着く感動が得られるものだ。萌え日常系アニメキャラならともかく、脚本があるストーリーものキャラであれば、そうやって「キャラ理解する」作業はたいてい報われる。思っているよりもずっと。そういう作業を序盤で放棄して、「こんなキャラ理解できない、受け付けない、リアルじゃない」と決めつけ、あまつさえキャラの作り込みが悪い」などと作品のせいにしている人のなんと多いことか。読書や映像鑑賞は、実は読む・観る側にも作品世界に寄り添っていく想像力積極性クリエティティが求められるものだが、「消費する側」という立場になりきって選好を重ね、消費の達人になっていけばいくほど、傲慢想像力を停止した人間になっていくものなのだろう。

難儀なものではあるが、志倉千代丸作品に限っては、さらに、彼がイケメンで曲も詞もコードも書けてオタク力も高い上に金持ち、という超人的な要素があるせいで、僻みも加わってくるのかもしれない。けれども、作品を鑑賞する時というのは、そういう作者がいけ好かないだとか制作会社がどうだとか、そういう世俗的な感覚基本的に切り離しておくべきものだと思う。そういう感覚を混ぜることで楽しめるならまだしも、雑念になるのならばそれを排除する努力を(作り手ではなく)読み手側がしなければならない。それが創作に対し敬意を払うことだと思うからだ。

どうにもオカンの話ではなくネットアニオタ批判になってしまったが、これから時代コンテンツを楽しむということは、イコールネットの俗悪な風評とは距離を置いた賢明で物静かな「選民」になることだと思う。別に私のように選民意識をちらつかせて下層の民を殴ることはしなくていいが、そういう衝突もどんどん表面化していくのだろうと思う。もっと短文で動物的な形になるとは思うけれど。不快だが避けられないネット未来。そんな未来だとしても、それでも、日本アニメは「刺さる人には刺さる」方向性で突き進むのが向いていると思う。誰もが楽しめる優等生的な作品作りはディズニーあたりのお仕事。「刺さる人には刺さる」コンテンツ作りの先端を行くオカンのような作品に触れられることを私は幸せだと思う。

2016-12-09

日本死ね」ということは別に構わないが、

匿名増田の戯言でしかないそれを各所のメディアが大きく取り扱って、

あまつさえ流行語として受賞し、国会議員がするのはおかしい。

これでいいだろ。何か文句あるか?

2016-11-26

検索避けのれん

検索避け
アクセス制限とか「けlんlさlくlよlけ」とか
のれん
レンタルビデオ屋なんかでアダルト向けとかを隔離するアレ

非公式二次創作について検索避け部外者から強要されて従ういわれはない。ナマモノについては、わたし(筆者)のメインジャンルではないうえ、少々ややこしくなるので、保留とする。

配慮

配慮」という言葉が、「検索避け」の強要理由として使われているように思う。アダルトエログロや、原作にない性愛関係などを描いた二次創作物を見たくない「だれか」への配慮だ。

なるほど確かに、見たくない人もいるだろうな。ウンウン。そうかそうか、不快な思いをさせてしまうのか。

いや、待て待て。つまりそれはアレか? 「だれかが不快な思いをするから検索避けをしてくれ」と言うのか? 「だれかに不快な思いをさせたくないか検索避けをしてくれ」?

冗談じゃない。キリがない。万人に受け入れられるものはない(そんなものがあるなら教えてほしい)。これがまかり通るとき検索しうるあらゆるもの検索避けをさせられているわけだ。

刀剣乱舞」知ってる? 略してとうらぶ伝説刀剣やらが付喪神になって(擬人化して)男性の姿をとって、刀剣男士となったんだ。わたし実在したものを題材にしている作品二次創作から云々」と検索避けを押しつけるのを山ほど目にしてきたけれど、それなら、そもそも「刀剣乱舞自体検索避けをさせるべきじゃない? 「加l州l清l光」って。もちろん、DMMブラウザゲームのページにはアクセス制限もさせてさ。だって刀剣勝手擬人化して、あんなことやこんなことを言わせて、あまつさえ戦わせている! 不快な思いをするひと、いると思うんだけどな。

家庭教師ヒットマンREBORN!」は? ごく普通中学生だった沢田綱吉ことツナの前に殺し屋リボーンが現われて「おまえはマフィアの十代目だ」なんていう。かれに家光という父親がいることからわかるように、名前元ネタ徳川家なんだ。どう? 徳川綱吉のことを調べようとしたのに、沢田綱吉ばかりが出てくる! なんていうことを不快に思うひとは、絶対にいないの? 名前を変えさせるべきじゃない? あの主人公

いやいやいや。キリがないよね。田中鈴木佐藤。(申しわけないが)このありきたりな姓の持ち主はありふれていて、創作物に登場することも、ままある。一郎、太郎、幸子。いるぞ。

言っとくけど、違わないからな。これは「アダルトエログロや、原作にない性愛関係などを描いた二次創作物を見たくない」のと違わないんだぞ。根底には「不快感」があるんだ。この配慮の点で検索避けを求めるということは、「嫌な思いをするだれかのために検索避けしろ」ということと、違わないからな。

この「配慮」の面から検索避け強要するひとたちは、世界のあらゆる人の不快感を解消するため、あらゆるところへ検索避けを呼びかけてくれ。ぜひに。

トランプを探しているの。カードゲームよ。でも、あら、なんということかしら。わたしの大嫌いなドナルド・トランプばっかり出てくるわ! 嫌だわ。不快だわ。

ほらほら。(わたし別にドナルド・トランプは嫌いじゃない)

著作権

二次創作は実質違法行為なので、公式に見咎められないよう隠れて活動しなければならない」というアレ。

著作権二次創作とのことで、TPPとともに話題になった。TPPに参加すると、著作権親告罪がどうのこうのというあれそれ。まあ今のところ、公式が突きつけるまで、それは罪ではないということになっている(はずである)。

公式が、それ(二次創作)が犯罪かどうかを決める。

はい終了。

違法かどうかは公式判断することである

公式に見咎められないように……そうだね。公式利益を損なうのはよくない。

でも、判断するのは公式だ。「見咎められないよう隠れて」など、まるでやましいところがあるようではないか

公式の指示に速やかに従う。これだけでよいだろう。

のれん

ところで、アダルトとの境目にはのれんがある。物理的なフィルタだ。わたしたちは、物理フィルタのないところに、フィルタを見ることはできない。

まだ、その技術は普及していない。ARを目にし続ける将来は訪れるかもしれない。そうしたら、見たくないものを見なくてよくなるかもしれない。たとえば、露出度の高い女性水着広告だとかなんだとか。

でも、今はない。だから店側が物理的なフィルタとしてのれんを設け、年齢と覚悟を問うわけだ。おそらく。

検索避けのれん

で、検索避け強要する舞台がどこかというと、インターネットだ。あなたコンピュータだ。フィルタがかけられる。お互いに。けれど、あえて「不快に思うかもしれないだれか」のために、作者がのれんを用意する必要はない。どうしても見たくないものなら、それは見たくないひとが、見ないために努力をするはずだからコンピュータは、見たくないものを見ないことができない舞台ではない。

法的に年齢制限をかけるべきあれそれに検索避けを求めるのは、わかる。だが、それについては、検索避けより直接的な手段をとるべきだと思う。ここではおいておく。

そして、それ以外の「見たくない」ものについても(コンピュータでは)、検索避けより直接的な手段をとるべきだ。検索の仕方を工夫する(not検索とか)とか 、NGワードを設定するとか。やり方は、ぜひ自分検索してほしい。「ウェブブラウザ ngワード」とか。で、そうする手段がまだ用意されていないと思うなら、自ら開発するか、おとなしく待つといい。それすら我慢できないなら、もうやめたほうがいいと思う。インターネットが向いていないかもしれない。

世界の、なにかを不快に思うだれかのために、調べたやり方を共有すれば、より具体的に不快感を減らせるだろう。

(そのために、わざわざ嫌なものを一度は見なくてはならないのかとか文句を言うひとは、「食わず嫌い」の意味を調べてくれ)

もちろん、公式からなんらかの対処を求められたときは、それに速やかに従いますよ。でも、それまでは、なんら疚しいところのないわたしは、堂々と二次創作をする。公式原作)への感謝も忘れずに。いつもいつも原作を、たのしませてくださって、ありがとうございます

2016-11-22

デブってすべからく無神経の傲慢だよね

じゃあなきゃ100KG越えの相撲取りみたいな体になれないもんね?

満員の通勤電車で1.8人分占有してまで座るなんて許せないのに。

急制動のせいで吊革に捕まってでも姿勢くずしちゃって、前のめりにぶつかっちゃったからすぐ謝ったじゃん。

それを「逆だったら痴漢だぞ!」あまつさえ他人迷惑考えてください!」って馬鹿なの?

逆なら痴漢訴える前に圧死だよ(笑)

手前の体格とエナドリ臭省みたら?存在脅迫的で迷惑だっての!

2016-11-18

自分が足引っ張ってると感じたくない

仕事でも遊びでも自分がチームのお荷物となりチームを悪い方向へ導いていると考えたり認めることがとても苦手である

そのため事あるごとに「俺が悪いんじゃなくてアイツの尻を俺が拭いてやってるから結果的に俺の成果が見かけ上低いのだ」と考えてしまう。

あまつさえ「俺がここまで完璧にやってきた仕事を他のやつが台無しにしているせいで俺が何もやってないようにみえるんだ」とかまで考える。

口には出さない。

だけど態度には出ているだろう。

どうすればいいのか。

2016-11-04

[] #5-1「魔法少女になりたかった人」

皆は子供のころ、何になりたかっただろうか。

プロ野球選手宇宙飛行士大金持ちっぽい人、何でもいいか有名人

実際になれるのかなんて深く考えなくていい。

俺たちがあの頃に語っていた「何になりたかった」ってのは、そういうものだ。

でも、いつまでもそんなことを言葉にするのは、周りはもちろん自分自身にとってもツラいものであることを、成長していく過程ほとんどの人は気づいていく。

その過程を知らないで生きているような人間が、俺の同級生のカジマだった。


魔法少女になりたい」

こいつのなりたいものは「魔法少女」で、その事をよく周りに吹聴するという、友達目線で見ても痛々しい奴だった。

そりゃそうだ、プロ野球選手宇宙飛行士とは別ベクトルで「なろうと思ってなれるものではない」ってことを、俺たちの歳にもなって分からないのは可笑しいのを通り越して歪なのだから

当然、周りには「ちょっと変わった人間」と認識されている(まあ、俺たちの町には変人が割と多いが)。

それでも、あいつが周りを気にせず「魔法少女になりたい」といい続ける気概を、俺はそれなりに尊重していた。


そんなある日、一世一代の転機が訪れた。

弟が、何と魔法少女が町に現れたと言い出したんだ。

ちょっとした事件にどこからともなく現れ、妙ちきりんな見た目で喋る小動物に、超自然能力

事件を颯爽と解決し、何処へと消えていくと、一部始終を目撃した弟は語る。

俺たちのイメージする、漠然とした魔法少女の要素は一通り備えていたようだ。

弟がクダラナイ嘘をするような奴だとは思っていないが、あまりにも現実味のない話だったので俺は冗談半分に聞かざるを得なかった。

弟は更に話を進める。

それを見た弟と仲間たちは興味津々で、正体を暴くため捜索に乗り出したという。

「おいおい……」

しかも、既に正体を突き止めていると聞いたとき、俺は脱力感を覚えた。

あまつさえその魔法少女を連れてきた時は、とうとう椅子からずり落ちてしまった。

そんな弟たちの実行力に呆れるとともに、連れてきた魔法少女の正体に俺は驚いた。

目の前で光を放つと、10前後の見た目だった少女は、十数秒で20代女性に変身したのだ(いや、元に戻ったいうべきか)。

弟たちに問答され、女性はばつの悪そうに経緯を話し始める。


これまたフィクションありがちな話がどんどん展開されていったが、目の前で実際に超自然能力を見せられた以上、信じるしかない。

魔法少女をやり始めて何年経つかとか、普段は何をやっているかまで言いそうになったところで俺は慌てて制止した。

そんな話したくもないだろうし、俺としても聞きたくはない。

俺が興味を持ったのは、魔法少女になる方法なのだ

「あの、魔法少女ってメンバー募集していたりしますか? なりたいって奴が知り合いにいるんですが」

弟たちの玩具になっていた珍獣が答える。

「本人の意思決定のもと契約すれば可能です」

これは、もしかしたらカジマの夢が叶うかもしれないぞ。

俺は急いでカジマに、家に来るよう連絡した。

次 ≫

2016-10-29

ひまわりニコニコアニメ見てると「擁護派」という意味不明単語が出て来る

擁護」ー侵害危害からかばい守ること。

この場合アニメに対して使われていることからアニメの内容に対する批判からアニメを庇うような言動をする、という事でよろしいのでしょうか。

そうなるとこのアニメを見ている人間同士の間で内容が酷い、見る価値がない、いやそんなことはない、といった会話が繰り広げられているという事になるのだろうと思います

しかしそうなると1つ疑問があります

そもそも内容が楽しめないというのならそのアニメを見ないという選択を選ぶべきなのではないでしょうか。

たとえばこれがもうすぐ最終回を迎えるアニメ、ないしは最終回そのもであるのならば、ここまで見てきた以上は結末を自分の目で見ておきたいがもうこのアニメを楽しむことは出来ない、という層が一定数いるであろうことは想像に難くありません。

ですがまだ話数が半分以上残っているアニメ文句を言いながら見るのはとても不合理、理解不能な行動に思えて仕方がないのです。

そもそも現代にはアニメが溢れており、アニメ以外の娯楽も無数にあります

その中で特定作品に固執し文句を言いながらも見続けあまつさえ自分と同じように文句を言いながら見ている以外の人間特殊人種として扱うのは実に奇妙な行動に感じてしまます

一体何が彼らをそこまで駆り立てるのやら。

2016-10-26

「怒っていない」という怒った人。

本当に釈然としないので書きます

今朝目が覚めると隣で寝ていたパートナー普段は落ち着いた性格)が、異様に不機嫌でした。

おはよう」と挨拶してもほぼ無視、目も合わせてくれない。昨晩寝る前は普通だったのに。

「怒らせてしまってごめんなさい、私が何かしましたか」と聞いても、「怒っていない」という。

しかしその口ぶりは明らかに私に向けて怒っている。無茶苦茶怒っている。

「怒っていない」という怒った人にはどう接すればいいのか私にはわからない。

さらに、パートナーは寝ているときに私が何をしたのか教えてくれない。何を謝ってどう改善したらいいかからない。

昨日の自分のすべての行動が悪手に見えてくる。

無意識に鼻でもほじってしまたか。まずい寝言でも言ってしまったのか。

あまつさえ粘着質な私はさっきパートナーに対して

あなたは私に罪を認識し謝る機会を与えないことで、あえて解決を長引かせて言説的優位性を維持しようとしているのですか」

と、ちょっとメタっぽいことを聞いてしまったために、輪をかけて不機嫌にさせてしまった。

ああもう、本当にどうしたらいいかからない。

2016-10-24

性の悦びおじさんに思うこと

性の悦びおじさんなどといって、盗撮された動画が出回っている。

ニコニコ動画ランキングにも常に載っていて気になりつつ、けれどどこかアングラ臭いがしていたから、とりあえず観ることは控えて概要を読んだ。

電車内で自説を垂れ流すおじさんが隠し撮りされ、それがSNSなどに投稿されたのをきっかけに、ある種の「ブーム」が始まったらしい。

おじさんの発言ネタにしたり、コラにしたりするだけでは飽き足らず、「目撃情報」などといって、まるで何か珍しい動物でも探すかのようにあちらでも見た、こちらでも見たと容赦なく盗撮ネット上にアップロードしていく。そしてそれを面白がって拡散する。某美容外科院長も彼の動画自身Twitterアップロードし、何やらコメントを加えていた。

どうみても異常だと思う。

今起こっていることは、まるっきりイジメだ。クラス全員で1人をイジメているだとか、学校全員で1人をイジメているだとか、そんな次元を遥かに超えている。

何十万、何百万人、それ以上の規模でたった1人をイジメている。

女子高生が「キモイ奴いた」などといって盗撮した写真アップロードしたら烈火の如く怒り叩いて、あまつさえ彼女個人情報特定までしていた連中が、同じ盗撮写真面白がっておもちゃにしている。

女子高生盗撮を叩いていた人とおじさんを面白がっている輩は、もしかしたら一致していないのかもしれない。けれども、一般人盗撮され、「面白いから」「皆やっているから」あるいは「コイツ他人迷惑をかけているから」盗撮されてネット上のおもちゃにされていいんだという意識が、何の違和感もなく受け入れられている今の状況が恐ろしい。

ネット上はそもそもアングラな場だという意見を見かけたし、「異常者」を晒し上げて笑い者にする風潮は日本に限らずどこにでもあることだという意見も見かけた。

実際そのとおりなのだと思う。

「異常な」人を笑い者にして楽しむ「健常な」方々は、きっと世の中にたくさんいるのだろう。それは感覚的なものだろうから筆者のようにわからない人には一生わからないことだ。

筆者がここで何を言おうと、あるいはもっと影響力のある御仁が同じような意見を発信しようと、結局今のおじさんに対する扱いは何も変わらないだろうし、もしかしたらかえって増長する輩が出てしまうかもしれない。

自分がされたら嫌なことは他人にしない、という感性がすっかりなくなってしまったのか、あるいは晒されることなんて嫌なことのうちに入らないという人々がたくさんいるのか、どういう理由があってこんなことになってしまったのかはわからない。

わかるのは、どれほど言葉を尽くそうと、「笑える」人たちにとっておじさんは人ではなく「コンテンツ」で、そういう人たちはおじさんにも日々の生活があるということを綺麗さっぱり忘れてしまって、ただ自分が笑えればそれでいいと、おじさんを飽きるまで「消費」するのだろう、ということだけだ。

筆者も、筆者に共感してくれる人たちも、おじさんが彼らに「消費」されていくのを見ていることしかできない。

おじさんが飽きられたら、また別の可哀想な誰かが人からコンテンツに変えられてしまうんじゃないか。友人が、親戚が、家族が、そしていつの日にか自分コンテンツに変えられてしまうんじゃないか

それがただただ恐ろしい。

筆者も、筆者の知人も、そして筆者の知らない誰しもが、コンテンツではなく人としてあり続けてほしいと思う。

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