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2017-10-19

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』と『私のいない高校

1年ほど前、内部から突然わいてきたもこっちかわいさに基づいてわたモテに注目していたんだが、

あれよあれよという間に(一部ネットで再び)絶大な人気を誇るコンテンツになってしまった。

俺も夢中になっているうちの1人で、

ここまで漫画の新作を楽しみにする、というのはこれまでの人生でなかった。

俺はもともと保坂和志とかを熱心に読むタイプなんだが、

「その界隈の最右翼」たる青木淳悟『私のいない高校』となぜだかダブらせて読んでしまっていることに気がついた。

『私のいない高校』ってのは一言で言うととにかく凄い不思議小説で、

さしたる個性がない教師とさしたる個性がない留学生との関係を中心に、

さしたる個性がないクラスメイトが描かれ、さしたる事件もないまま学生生活が送られる・・・という話で、

文字に起こすと何がおもろいねん、って話なんだけど、あるタイプのわたモテ読者は読めばピンとくると思う。

魅力的な個性派揃いのわたモテ(ってアイロニーなく書けることに少し感動)とは一見対照的なんだけど、

学生生活の細かな事象への眼差しとか、

あとこれは些細なことだけど舞台千葉県であるとか(千葉県には「ヤマ」がない、というエピソードが冒頭にあざとく挿入される)、

学生が主に女の子であるとか、一応修学旅行にヤマらしきものがもってこられるところとか、

色々とオーバーラップするところがある。

ちょうどコインの裏表として読んでいる、とでもいうか。

わたモテを読んでいると、自分がもこっちでもなく、主要キャラクターでもなく、無論うっちーでもなく、その他モブでもなく、しかし神の視点でもない・・・

そんな不思議な、要は幽霊ってことなんだけど、ポジションに置かれている気持ちになるんだけど、

それと近い感触がこの小説を読んでいると起こる。

まあ、おれはもこっちが好きだしおれはもこっちなんだが。

興味があるひとがもしいれば読んでみてくれ。

2017-08-27

若い異性を配偶者にしたいという欲望

取引先にアラフォー女性部長さんが居る。三十代後半という若さでのスピード出世も納得の、大変仕事の出来る人だ。

彼女最近結婚した。お相手アラサー自由業のイケメンらしい。とても羨ましいと思った。

年配の男性容姿の良い若い女性結婚する事や、周囲の男性がそれを羨望の眼差しで見る事が、以前はとても気持ち悪かった。

女性を物(所謂トロフィーワイフ)と見做し、人格否定する行為だと思っていた。

でも、女性だって若いイケメン結構したい」という気持ちはある。社会的成功してお金を得ればそれを叶えられる。西又葵とか宇多田ヒカルとかもそう。

要するに、人は金を持てば「人を物として所有する権利」も得てしまうということなんだろう。道徳的良し悪しは別にして。

から、私もめげずに仕事を頑張ってお金を稼げるようになろうと思った。

2017-08-11

食べ物を汚いもの見立てるな

うんこ味のカレーカレー味のうんこならどっち食べる?という質問あるじゃん

あれどうにも嫌いなんだよね。生理的に無理。

どっちか決めれないとかじゃなくて考えたやつとかオモシロイと思ってるやつの衛生観念を疑っちゃうくらい心底気持ち悪い。

先日上司奈良出張行って、おみやげ買ってきたのよ。

時間無くて美味しそうなもの探せなかったわ〜ごめ〜ん」とか言いながら、”大仏のハナクソ(菓子)”と”鹿のフン(チョコ)”を取り出したのよ。

うわ〜〜〜〜〜〜!いた〜〜〜〜〜〜〜!!小学生の頃の純粋眼差しを忘れてない大人〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

自分は死んでもいらないから「あ、ちょっとお昼食べすぎちゃって...」とか言ってしのごうと思ったけど、

ぴったり人数分買ってあるから食ってないの誰だよみたいな空気になるのね。

仕方ないと思って泣きたい気持ちでえづきながら鹿のフンの方を小さく小さくかじっていたら、当の上司通りすがりに、

「おっ!鹿のウンコ食ってんじゃん!スカトロ趣味?」とか聞いてくんのね。

キッショ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!マジで死んでくれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

俺も立場ある社会人として「ヘヘヘ...あざっす...ゴチッス...」くらいしか言えなかったけど頭のなかではアイツにダガーナイフ10本は突き立ててるからな。

言いたいことは二つだ。

1.大人のくせに、ジョークおみやげみたいな心の貧しい人間しか手に取らないようなものを買うな

2.糞菓子くそがし)メーカー自分のとこの品質イマイチからっておもしろに逃げんじゃねえ。くだらねえこと考える暇があるならおいしいものを作ろうとしろ

3.食べ物排泄物とかに見立てるやつ、マジでキモい。人として終わってる。ユーモアゼロ明日から絶食しろ

2017-08-06

常識を明文化しろと言うのはおかしいか

少し前の話なんだけど、ある日突然ルールが決まった。

仮に、自社ホームページ更新できるのは週に1回だけというルールにしよう。

なお自分はWebページは作るが更新はできない。アクセス権限が無い。

で、アクセス権がある人から、突然週1回だけの更新にすると通達があった。

自分を通すと絶対反対されるからだろう、別の人を通して通達があった。それで課全員に通達したことにしたいという目論見も見え見えだ。

当然ちょっと待てと異議申し立てを行う。

例えば自然災害が発生する、不祥事が発覚するなどの時も

「今週の更新分は終わったのでホームページへの掲載は来週です」と言うつもりか。

それならばひとつの課が勝手に決めて良いルールではないはずだ。会社全体でこれで行くという決済を取ってくれ。

そう依頼した。

そこで言われたのが

「そういうのは常識的に考えて例外じゃない?」

だ。

「じゃあそういうのは常識的に考えて例外だって文章に残してくれますか?」

と返したら、アホなの死ぬの?みたいな目で見られた。

ここ文章に残さないと、担当者のその日の気分とか忙しさで運用がブレる。

絶対にブレる。

運用がブレると、「AさんにはOKを出したのに、何故自分NGなんだ」という苦情が入る。

絶対に入る。

その時になんて答えれば良いんだ。担当者の機嫌が悪いからとか言わせるつもりか。

拒否する本人が対応してくれるならいいけど絶対にしないし。

板挟みになるのこっちなんだよ。

常識から」で済ませようとしないでくれ。恣意的運用ができるトップワードだぞそれ。


明日もこの話の続きしないといけない。憂鬱過ぎる。

常識も分からないアホだという眼差しを向けられて、みんなOKしてるのにこの人だけ反対してるとか言われて

でもここで折れたら近い将来絶対自分が苦しむ事が見えている。

あいま苦しんでも部内から嫌われるだけだけどな。

もう本当に仕事なんてクソだよ!クソ!

2017-08-01

巨乳スーツOLから軽蔑眼差しを頂いた訳だが

夏になると世のOLたちも薄着になるわけだが、オフィス街を歩けば5人に1人は巨乳にあたる。

根っからおっぱい星人である俺にとってはパラダイスのものだ。

ワイシャツの下には汚い肌、垂れた乳があるのは分かっている。

別にいいのだ。

別に脱がせて一発やるって話でもない。

飽くまで観賞用。着衣でたわわに実っていればそれでいいのだ。

それで興奮できるのだ。

我ながら好都合な性癖である

今日のお昼、いつものようにコンビニにお弁当を買いに行った訳だが、

すれ違いざまにスーツOL巨乳凝視していて、

ふとスーツOLの顔を見たとき、眉間にシワをよせて蔑んだ目で俺の方を見ていたのである

俺にとってはこれもご褒美なのであるが、

ひとつどうしても解せないことがある。

なぜブラにパットを何枚も入れてロケットおっぱいを作っておきながら、

そんな目でこっちを見るのだろうか。

明らかに見られたいがためにそのお乳を作っているのではないか

こちらはエチケットとして鑑賞してあげているのである

解せない、どうしても解せない・・・

2017-07-18

さよならを言う前夜

なぜかすごく落ち着いている今。

「別れよう」というべきか、

「この関係ってなんだろうね」というべきか。

「適度な距離感が良いよね。」

なんて君は言っていたけど、距離感ってなんなんだろう。

適度な距離感って、パーソナルスペースに到達するかしないか

つかず離れずな気がしていた。

でもいまの距離感って同じ東京にいても

地球の裏側にいるくらいの距離じゃないか

忙しいのはお互い様

便りがないのは良い知らせ。

いつだってLINEさえあれば連絡とれる。

Facebook投稿みればなにしてるかわかる。

元気なのかな、って思う前にフィードに現れてくる相手の近況を見て

あー生きてるからいかって思ってた。

でもこれってなんなんだろう。

会いたい、触れたい、キスしたい、セックスしたいとか

そういうのを超越したって錯覚してた。

私たちが求めていたのはこんな距離感だったんだろうか。

ふたりで同じ空間にいてもいなくても、

なにかつながってるって思えるような会話や行動が前はあったんじゃないか

お互い甘え下手で「会いたい」なんてなかなか言えないからこうなった?

いや違う。

触れそうで触れれない距離感がよかったのに

目視できるかできないくらいの場所に離れてしまったら

もう別に触れなくてもいいや、見てればいいや、といって諦めたんだ。

頑張ってる姿が好きだった。

たわいもない言葉あそびが楽しかった。

無邪気に笑いかける時と、真剣眼差しギャップ萌えてた。

好きだと思ってたのは私だけ?

なんて今更疑うのも面倒くさい。

時間は止まらないし、この生きている一分一秒が惜しい。

手に入らないならもういらない。

から明日さよならを伝える。

一緒に入れてよかったなんて陳腐台詞は吐きたくない。

だって一緒にいないんだもの

からただ一言

さよなら、またね」

だけでもう終わりにしよう。

2017-07-13

超高速交通「ハイパーループ」、全システム試験成功 実現へ前進 - サンフランシスコ

http://www.afpbb.com/articles/-/3135565

日の丸新幹線オワコン。「世界から羨望の眼差し!」とのぼせていたら、海外輸出は結局台湾だけ(しか車両だけ)?他国を甘く見ていたツケは大きいナ。

2017-07-04

そろそろ20代女の子との恋愛が厳しいのかもしれない

これは30を過ぎたあたりから感じていたことだけれども、そろそろ20代女の子との恋愛は諦めた方が良いのかもしれない。

自分実年齢よりは若く見られる方だと思うし、実際自分自身でも俺はまだ若いぞと思ってはいる。

思ってはいるのだが、ただやっぱり俺のことを何も知らない女の子からすれば、所詮は30超えたおっさん名実共にれっきとしたおっさんな訳で、年齢だけで敬遠されてしまうことの方が多くなってきたなと感じている。

男というのはいつまでも若い女と恋愛できると思っていた、少なくとも自分がそこから外れることはないと思っていたんだが、もしかしてそれって幻想だったのかもしれないな、と。

まあもちろん例外もたくさんあるし完全に諦めろって話でもないのだけれど、例えば若い時のナンパ成功率20%だったとすると、それは確実に今後目減りしていくだろう。

恋をしている時の女の子眼差し若い女の子特有キラキラした笑顔、ああいうのが自分に向けられることがなくなってしまうのだなあと思うと、とてつもなく寂しい気持ちになる。

と言いつつも、30歳の時には21歳の子と3年間付き合ったし、33歳の時には23歳のOL20歳パティシエなんかとそれぞれワンナイトラブなんかもしてるんだけどね。

ただそれも今後は難しくなって、代わりに金で解決させることが多くなってくるのかなあ。それもまた一興か。

http://xn--n8jxljak4t7btdb8750e3kenrcz5io69mk7pa.com/post-655

2017-06-30

夢を叶えたその先は

夢とは私にとって、多くの子どもたちが考えるのと同じように、「将来の職業」の事と同義だ。

物心ついた頃から持ち続けてきた夢を数年前に叶えた。

決して採用される事が難しい職業ではなかったが、自分のあまり高くはない基礎能力を鑑みても、採用された事は本当に運が良かったと思う。

というのも、私は高校を人並みに卒業することができなかったし、紆余曲折を経て入学した、世間的にあまり優秀とは言い難い大学卒業するのもやっとの事だったからだ。

そんな私も晴れて人並みの肩書き所得を得られるようになったわけだが、夢を叶えた今、(ありがちな言い方になってしまうが)何を目的に生きていけば良いのだろう。

叶えた夢、つまり仕事については、最初こそ持ち前の発達障害遺憾なく発揮してしまうことで奇人扱いされ、周囲の眼差しに耐え切れず退職を考えたものだが、数年経った今では自分の起こしそうなミス予測・予防を心掛けて行動することで不自由なく遂行できるようになっている。不満も不安苦痛も無い。

大学時代大学卒業後も、働く事を諦めていた自分にとって、「働く」ことは初めての経験だったし、しかもそれが夢としていた職業だったのでひどく不安ではあったが、今思えばそれなりに適性はあったようで、安心している。

夢といっても、なれると思っていたわけではない。

上で書いたように、私は働く事を諦めていた。働こうとも、働ける能力があるとも思っていなかった。

しかしながら23か4の当時、現実的に将来を考えなければならない時期に来ており、このまま諦め続けていれば間違いなく社会から断絶されていくし、1日、1年経つごとに社会復帰が困難になるのは明らかだった。

それに加えて、いわゆる就職活動もせず家でごろごろしている姿を両親に見せ続けるのも、いささか両親が不憫に思えてきてしまったので、とりあえず夢の会社を受けてみたら、採用されてしまったのだ。

なので叶えたという言い方は相応しくないかもしれないが、とにかく私はもう「将来なんになろうかな」と悩まなくてよくなった。

これは自分にとって革命的だった。小中高大と「将来」の事を考えるだけで、私は憂鬱になったものだが、もうそんな事で二度と悩まなくてもよくなったのだから

しかしその先は?

働くようになっても、働いている以外の時間は働く前となんの変わりも無い。

以前と違うのは金銭面で余裕が出来た程度だろう。

しかし結局のところ、流れにまかせて夢を叶えられはしたが、自分は何も変わっていなかったのだ。

2017-06-26

多様性と寛容

多様性ということについてみなさんも昨今様々に課題と向き合っておられるだろうとおもいます

そして寛容ということの難しさ(自分対峙する課題を口にすることすら難しいこともあるでしょう)を痛感することとなった方が少なからずいらっしゃるのではと想像します。

私の場合多様性課題はこのようにやってきました。

就業中に役場公務端末でパチスロ世間話や幼い女の子動画に魅入ることを抑制することのできない男性同僚と、同じ職・地域隣家任務遂行がどのように可能なのか(私の主な任務は赴任地域安心安全で魅力的な育児環境を有していることを広報することによって地域次世代問題対処すること)。予想しなかった(この事が課題であると感じる私の感性を過敏であると受取る方のあることを認識することも含め様々な) 事態に私なりに(本来任務邁進する傍らではありましたが)全霊で取り組んだのですけれど進捗が遅々とする中で年度末が迫りました。行政の納得のいく対応あるいは私の赴任地の変更がなければ公務を続けることはできないというのが私の考えでしたが、3月も終える間際までその方向性は見えてきませんでした(対応が形になるまでの報酬を頂かない休職提案しましたが、かないませんでした)。対応の中で私の契約形態である特別職非常勤公務員一般労働者としても公務員としても法的な枠組みから外れていて職場での公的仲裁支援を受けることが出来ないこと─それは公務員守秘義務等を記した公務員法の枠外であることでもあります─を知ることにもなりました) 。

私は新たな一年真剣公務邁進する決意表明としての首長から辞令受領を行いませんでした。

この決断公務に就くものとして(昨年8月不退転の決意で職に臨んだのではありましたが私の決意などそれほどの重力を備えてはいなかったことになります。私の職務予算特別地方交付税対象でしたので全国のみなさんの税金から報奨を頂く身でもありました) 、また地域で接してくだすっていたみなさんへの私なりの誠意の示し方でもありましたが、 その結果現在私は公の職になく、よくして頂いた地域からも既に離れ(住居も職務とセットでした)数ヶ月が経っています

私はこの課題解決したり正しく問題提起したり寛容する度量を持ち合わせていませんでしたし、現在に至ってもわかりません。

いま、私は新たな場所で、より私らしさに眼差した小さな生活を始めています

地方公務員法

昭和二十五年十二月十三法律第二百六十一号)

最終改正平成二六年六月一三日法律第六九号

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html

■総 行 公 第59 号 平成26年7月4日

http://www.soumu.go.jp/main_content/000302194.pdf

2017-06-22

ブスは損

ブスは損なんて、世の中の人間全員が思っている事だと、そう思ったあなた

そうです、そこのあなた

あなたが思っているほど、単純な損得の話じゃないんです。すこし聞いて頂けますか。

わたしは、ブスです。それは大学に入ってから気が付きました。高校では可愛いと言われるように過ごしてきました。中高一貫なため、顔を見慣れた周りに囲まれ、ブスは振る舞いでどうとでもなりました。だから可愛いって言われたし、告白されても好かれてもバッシングは受けませんでした。

大学に入り、新しい出会いがありました。別に可愛いとは言われなくなりました。正直になんでも言う先輩曰く、可愛くはないけど可愛げがある、と言われました。あぁ、私は高校時代、可愛げでコクられたのか。と妙に納得したのを覚えています

はたまた、わたしはその可愛げである男の子を引っ掛けたようで、その男の子は私の少し苦手な女友達の友人でした。

最近、その女友達への苦手意識が増していたのは、気のせいでは無かったようで。女友達わたしに対し、遠回りに攻撃して来るようになりました。

さて、ここで、タイトルに戻ります。ブスは損。もし私がブスじゃなかったら、きっと、女友達から攻撃は無かったでしょう。彼女は仕方ないと諦め、私に尊敬眼差しさえ向けたでしょう。その事は別の例で証明済みなものですから

ブスは、異性に相手にされないから損、それもありましょう。しかし、努力して磨いたモテのためのコミュニケーションスキルは、可愛いくないという理由から、同性の友達から攻撃を産むのです。

単純に考えないでください。女の子の闇はあなたが思うより深く、根ざしています

からどうか、女の子にブスと言うのを止めてくれはしませんか。

2017-06-11

世の中の処女童貞ではなくヤリチンによって消費されているらしい

ある記事を読んで、まあ分かりきったことだったけど、童貞処女を求めるけれど、求めれば求めるほどに処女と脱童貞が遠のき、代わりにヤリチンどもがチンコおっ立てて盛るんだと改めて感じた。

俺の初恋のあの子も、今はもう非処女なのだろうか。

中学の時、黒髪ショート眼鏡学級委員長をやっていたあの子も、今はもう非処女なのだろうか。

高校の時、恋心を秘めたような眼差しで俺のことを見つめていたあの子も、きっと今はもう他の男に抱かれて非処女になっているのだろう

大学大学は、行っておけばよかったなあ。

http://xn--n8jxljak4t7btdb8750e3kenrcz5io69mk7pa.com/post-2128

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606005748

書いてる人のスペック美大卒30前半女

元増田さんは強そうだから偏見強めの極論気味に書いてみた。語尾無茶苦茶です。

カースト的な意味で人の上位に立ちたいという原動力は、大学生の現時点ではとりあえず有り。

ただ確実に近い将来その価値観は維持できなくなるから、その時改めてアイデンティティ確立できるように覚悟や準備が必要だと思う。

まりあなたが持っている原動力でもって、なんらかの成果を出すもしくは出そうと努力して

今の価値観崩壊した後も大切にできるものを確保しなくてはならない。

あなたプライドが高そう(それは悪いことじゃない)だからそういう誇れるものが無いと生きるのが辛いと思う。


具体的に言うと

美大において三回生から急にスクールカースト序列が変わります

カリキュラムにもよりますが、三回生から基礎教養時間が減り実技は基本実習から自己表現作品製作)に変わるんじゃ無いでしょうか。

そういった影響下で高校までの価値観であったリア充勝ち組的な世界観崩壊して

作品制作への熱意や技術・発想といったものが人と比較され、それの優劣がスクールカーストに大きな影響を与えるようになります

制作に打ち込まず遊んでいる人間遊び人としてだんだんばかにされ始め、二次創作的なオタク感もまた不真面目なリソースとし表に出ることは少なくなっていきます

そしてこれらの成果は講評会や卒業制作などで晒しあげられ、曖昧勝ち組感などというものよりも長々と記憶と記録に刻まれて行くこととなります

そして就活という概念がどんどん大きくなっていきます

美大生の就活については、クリエイティブ職の企業名前の知れている会社カースト上位になるんじゃ無いでしょうか。

活動的で立派な就活(出来の良いポートフォリオ)もまた三回生以降の評価軸となります


というわけであなたの思う勝ち組として大学生活を終えるには、来る三回生環境変化に向けて準備する必要があります

制作への評価ウェイトが重くなってきたからじゃあ私も、といきなり大作に挑んでもお粗末な結果になってしまうでしょう。

大学は学ぶ場だから本当はそれでいいんだけど、あなたの今の原動力目標は上に立つことだからスタートダッシュを決める必要がある。

回生になる前に絵画なら大きな絵を個人で書いてみるとか(経験)、デザインなら過去プロダクトを知る。

作家名前作品評価を知り語れるようにして引用してみるとかっこいい。

学校カリキュラムでやることを、先にやったことがあれば級友に対して教える立場に立てる。

これらの知識を「実際に精力的に活動している事」と組み合わせる事によって、嫌味な上から目線な人ではなく精力的で立派な人となれる。

性格的に嫌味と思われないための努力は最大限した方が良さそう。)

まり回生一年間で予習と仕込みをする。

上に書いたのが制作視点での「できる人」で、もう一つのルート就活強者ルート有効

就活の準備しなきゃという話題が出た頃にはポートフォリオの原型を作って尊敬眼差しを得るのも良い。

こちらも二回生のうちから自主制作

ただ早く就職が決まってしまうと、制作ができる人へ転身する必要がある事と

微妙就職先に決まった時の事などをシミュレートして、制作もある程度頑張る必要がある。

でもまぁ結果は卒業後の「あの会社行ったのか〜」という認識がメインになってくるので

就活頑張ってるポーズがあれば大学生活だけで言えばある程度の地位が築けるとも言える。

就活頑張ってる組との友情が芽生える。


バイトなんかしてる暇無いよ。バイトに充てようと思ってた時間美術勉強制作やって、三回生デビューに向けて予習しましょう。

今のままでは地位名誉技術も頑張ったという自信も何も残らないよ。

それは今のあなた価値観にとって死を意味すると思う。どうせ大学生活は暇なんだから死ぬくらいなら学びましょう。

2017-05-30

人の彼女を寝取ろうとした人間の戯言 2

まず彼女とKの関係は大きく改善され、彼女もKを好きだとはっきり言えるようになった。「今までで一番好き」だと。そしてKが彼女のことを一番に思ってくれることを感じるから本当に今幸せだと。今までKに対して抱いていたモヤモヤを僕のおかげで形にすることができ、そして本当の意味で互いに好きだと言い合えるようになったと。

それと同時にKは僕が彼女に手を出したことを知ってもう二度と関わりたくない、顔も見たくないと言っていることも知った。もう長い長い、本当に長い付き合いだった大切な友人が消えた。覚悟はしていたけれど、本当に心が痛んだ。ズキズキと痛んだ。そして僕がKの彼女に手を出したと言う情報は一部の間で広まっていて、僕は同期数人の信頼を失い、また友人を失った。

僕は彼女に対し、今でも好きだということを伝えた。伝えなかったら絶対に後悔しただろうから。それに対して返って来た答えは、「それは嬉しいけど、今はもう自分のKを好きだという感情がゆるぎなくなっていて、今まで見たいな不誠実なことはできないから、君の感情を受け止めることはできない」との答えだった。だから、「受け取っておく」と言う表現で終わった。

全てが終わったんだと僕は思った。僕は最大限の努力をもって、そして最大限の自己犠牲によって、当初達成する予定だったKと彼女関係改善を見事達成し、それどころか彼女の中の「好きという感情は何なのか」という疑問に対する大きなヒントを与えることに成功した。そして二人は真実の愛で結ばれたんだ。めでたしめでたし

僕は当初達成する予定だった目標を達成したに過ぎない。そう、そうなんだ。僕は立派に任務を果たした。

僕は彼女のことが本当に好きだったし、どんな話題に関しても面白い着眼点を与えてくれ、聡明な彼女のことを一種尊敬の念も含めて本当に心から愛していたし、彼女も僕のことをほぼほぼ好きになりかけていた気がしたけど、そんなもの幻想だったんだ。

彼女大学受験に関しても心から応援していたし彼女の夢を語る横顔も、彼女自分の状況に苦しむあの涙も、楽しそうに笑うあの笑顔も、そして時に僕を強い言葉で注意するあの強い眼差しも、何もかも僕は受け止める努力をしたけれど、そんなものは全部最初からあくまで添え物の一つでしかなかったんだ。

あくまで僕は主役じゃない。主役級の脇役に過ぎなかった。

もう終わったんだよ、僕と彼女は。

だってそうじゃないか。どんなに幸せイチャイチャしてても、喘ぎ声の中にKの名前がなんども混じってたじゃないか彼女は僕とKのことを何度も間違えたじゃないか。結局僕は永遠の二番手に過ぎなかったんだよ。なんでそれに気づかないふりをしてたんだ、僕は。結局代用品だったんだよ。そこにツッコミを入れると虚しくなるから、結局僕が代用品に過ぎないことを思い知るだけだから、見て見ぬ振りをしただけじゃないか。ヒントは最初から出てたんだ。

僕はやるべきことをやって、その結果いろんなものを失った。僕と彼女関係は友人関係に戻ったに過ぎないけれど、思い出までリセットされるわけじゃない。複雑な感情を抱えたまま元に戻れと言われて、仕方なく引っ込んだに過ぎない。

僕はカッコつけて、「君が幸せならそれでいいよ」とか言って、「君が僕に身を引けというのなら素直に身を引くよ」なんて言って。本当はそんなはずないのに。一歩たりとも引きたくなんかないのに。本当に好きで好きで仕方ないのにな。なんでそんなこと言ったんだろうな。多分嫌われたくなかったんだよな。優しさなんて糞食らえだ。なんでそんな状況に至ってもまだ僕は彼女に優しくしようとするんだ。

「今も僕は君のことが好きだ」って、なんだそれ。未練タラタラのしょうもない男じゃねえか。本当に本当に大好きなんだよ。どうすればいいんだよ、この感情は。

彼女との思い出は僕の中でずっと色褪せないし、忙しくて本当につらかった時も長期休暇で帰省してまた彼女と会えると思ったらどんな苦労も乗り越えられたし、僕はそのために必死になって頑張っていたのに。大学を辞めたいと思っていた僕は必死勉強する彼女を見て大学卒業するために努力したし、仕事だって残業休日出勤も耐え忍んだのに。彼女と見たい映画もあったし、彼女仕事愚痴だって話したかったし、彼女学校の話や思い出話を聞きたかった。

僕は遊びなんかじゃなかった。本気だった。でも同時に、彼女を落とす直前まで行ったのにそこであともう一押しができなかった。最後最後日和った。イチャイチャしてる時も、「早く私を落としてよ」って言われてたのに、最後の一手が指せなかった。

世界に女が何人いるかなんて考えても仕方ない。ここまで僕が好きになった人はいないし、一つ一つ、日常のつまらないことすらも共有し合って心から面白いと思えたのも彼女だけだ。他の女性とそんなことしたって、ただ退屈なだけなんだ。

でも僕は変なところで真面目と言うか、まあヘタレから、Kと彼女関係を引き裂くために努力することは絶対にできなかった。そんなことは僕の良心が許さなかった。その中途半端さ、中途半端な優しさが、結果として全てを失う結果を招いたんだ。

人の彼女に手を出しておいて何言ってるんだという話もあるだろうけれど、そんなこと言えるのは同じ状況に陥ったことがない人だ。ただのイマドキのJK興味本位で会ってみたら、そのJKが本当に僕と気があう人だったんだ。そんな状況で、しか彼氏との関係は冷え込んでいる。そこでそれでも手を出さずに努力できる人は尊敬するし、聖人だとも思うけれど、同時に僕は信頼できない人だとも思う。

女子高生だったから、可愛かったからじゃない。彼女彼女だったから、僕は好きになったんだ。

好きになってしまったことが悪い。でも好きになる以外選択肢がないと言う状況だったんだ。

ももう、全ては終わった。

もう僕はい彼女とまた恋人関係になっても構わないように、僕は自分人生を生きることにした。虚しい希望かもしれないけれど、今の僕にはその虚しい希望にすがりつくしかないんだ。彼女との関係が切れたわけでもない。僕はただ彼女に相応しい人間になることだけを目指そう。そうして生きていく中でいつかまたいい出会いがあるだろう。そう思うことにした。あの時の占いは正しかったのかなと思う。

こんなことになるぐらいならあの時連絡が来た時に無視していれば良かったとも思う。でもそうしたら僕は大学卒業することもないままフラフラしていただろうし、こんなにも自分が成長することはできなかった。父から「お前はこの数ヶ月でずいぶん成長した」なんて言われたけども、それだって結局は彼女出会たからだ。彼女にとって相応しい男になろうと必死努力した結果だ。

運命出会いなんて信じていなかったし、運命出会いなんて僕は一生使うことがない単語だと思っていたけれど、確かに彼女との出会い運命出会いだった。そして彼女出会えたことで僕は大きく変わることができた。

から僕は彼女出会ったこと、そして彼女に恋に落ちたことについて全く後悔はない。手を出したことについても何一つ後悔の念はない。

今はまだ全く諦めがつかないし、毎日LINEで「ただいま」って言う相手がいないというのは非常に寂しい。でもいずれこの寂しさにも慣れて諦めがつく。そうやって人は生きていくんだって。そうやってみんな少しずつ日常に戻っていくんだって。でもそうやって寂しさに慣れて諦めるということは、僕はそれをとても悲しいことだとも思ってしまうんだ。

それでも僕は、悪いですか?

2017-05-15

男だけど職場で「性的視線」に晒された

刑務所とか自衛隊宿舎とか男子校とか、そういった閉鎖的な空間で男だけで過ごしてると、次第に同性を性的視線で見るようになる。そういう話があります

はっきりいって、全然信じてませんでした。そんなわけないと思ってました。都市伝説みたいなもんだろうと。

でも今は完全に認識が変わりました。

はいとも簡単に男に欲情します。環境次第で簡単にぐらぐらになっちゃ生物です。それを僕は身をもって体験しました。

3月末まで夜勤データ入力バイトをしてたんですが、そこがまさに男の園みたいな職場でした。ビルの一室にスーツ姿の男が50人以上集まり、ひたすらパソコンに向かってデータを打ち込む。そういう環境でした。女性はひとりもいませんでした。

働き始めて数週間すると、どうも周囲の僕に対する接し方が不自然になっていることに気付きました。異様に冷たい人、あからさまに避ける人がいる一方で、照れくさそうに顔を赤らめながら近づいてくる人や、舐めるように全身を眺め回まわす人が現れ始めたんです。

どうも距離感おかしい。今までの職場と明らかに違う。どういうことだろうと不審に思っていると、ある日、帰りの電車で一緒になった同僚に言われました。

増田くん、すごく中性的だよね」

同僚は顔を赤らめていました。若干鼻息も荒かったようが気がします。

これはもしや....。

僕は職場で感じている違和感の正体が掴めるかもしれないと思い、彼を夜勤明けの朝マックに誘って色々と話を聞きました。

驚きました。なんと僕は職場ゲイだと噂されていたのです。「立ち居振舞いが女っぽい」「股間をじっと見られた」「手が触れた時に女みたいにビクッとした」デタラメな噂が色々と飛び交っていました。

さらに「フェラだったらさせてやってもいい」「今度みんなでカラオケに誘ってガンガン飲ませてみよう」などという話も出ているようでした。

マジでびびりました。100歩譲って僕が若い美少年とかだったらまだわかります全然そんなことないのです。ごく普通の男で、当たり前ですが女装メイクもしてません。年齢は30才。完全にただのおっさんです。強いていえば、痩せて顔がつるんとしてる。その程度です。それだって人目を引くようなところは一切ありません。これまでに同性から性的な目で見られるようなことは一度もありませんでした。

全ては環境のせいだと思います。閉鎖的でストレスフルな状況の中、妙な力学が働き、なぜか僕が集団的な性の対象になってしまったんでしょう。深夜、朦朧としながらデータ入力をしているうちに、みんながちょっとずつおかしくなっていったんだと思いますイジメ力学悪ノリに近い要素もあったかもしれません。

マックで話をしてくれた同僚は、僕がハラスメント被害者になることを危ぶんでいました。もし不愉快なことがあったらいつでも相談に乗ると真顔で言ってくれました。顔を赤らめながら。すでに彼も集団力学感染していました。

驚きはしたものの、僕は事態を冷静に受け止めました。ショックで仕事に行けなくなるというようなことはありませんでした。特に実害はなかったし、毅然としていれば何の問題も無いだろうと思いました。刑務所の中で同じような状況に陥ったら恐怖におののいたと思いますが、夜勤バイトなら問題ない。契約期間も決まっています。むしろアカデミックな興味が湧いてきたほどです。どうせならこの特殊な状況を仔細に観察してやろうかと思いました。結局、奇妙な思い出になっただけでしたが。

それから僕は数ヵ月ほど、集団の中で歪なセックスシンボルとして過ごしました。大勢スーツ姿の男達が毎晩僕にジトッとした眼差しを向けてきました。僕はそれを不思議な気分でやり過ごし、そのまま契約期間を終えました。

特に酷い目に遭ったりはしませんでした。彼らも自らの「性のゆらぎ」に脅えていたのかもしれません。大胆な暴走に至る人間はいませんでした。

からは別の職場正規雇用で働いていますオフィスには女性もたくさんいます。僕に「ジトっとした眼差し」を向ける男はひとりもいません。そのギャップに軽い目眩をおぼえるほどです。

あの数ヵ月を振り返ると、シュールグロテスクな夢を見ていたような気分になります。おそらくあの職場にいた男達も、どうかしていたと首を傾げていることでしょう。

2017-05-14

成長物語を履き違えている作り手と「さようならドラえもん

先日、とある話題作に触れる機会があった。主人公成長物語として感動的だとの触れ込みだった。しかし僕の感想は「なんだこれ?」の一言だった。

作品叩きがメインではないので名前は伏せておく。

いつごろの作品なのかも、漫画アニメ小説映画ゲームジャンルも明かさないでおく。

本題に入るが、なぜ僕が感動しなかったのかといえば主人公の変化の仕方にあった。

主人公日常生活に突如として変革が起こり、その局面を打開する形で成長していくという構造だ。

確かに作品内において主人公キャラは序盤とラストで大きく違っている。しかし僕には違和感が残った。

それは「主人公はそうしなければならなかっただけ」だからだ。

自分自身を見つめることなく、ただひたすら周囲に合わせていった結果、別な人間になったというだけの話だった。

異常な状況が今までの自分でいることを許さず、仕方なく変化する、気づかぬうちに昔の自分を捨てさることを成長とは言わない。

現実ではどうか知らないが、少なくとも作品において成長物語というジャンルとは呼べない。

僕は全て他人任せでボケーっとしている人間だが、戦争が始まったら多分積極的に周囲と連携して生きる道を模索する。

率先して様々な案を出す。ときにはリーダー役を買って出るかも知れない。

でもそんなの、雨が降れば傘をさす、寒くなればコートを着るというくらいに当然のことだ。

戦争を通して立派に成長したね」とは言えないだろう。

見捨てることもできる、逃げ出すこともできる、強い側につくこともできる、今の自分でいることもできる、

それでも自分自身の弱さを見つめ、問題に立ち向かっていくことの先に成長が待っているのではないだろうか。

さて、前述の作品と対比するように「さようならドラえもん」という話がある。

ドラえもんが帰るにあたってのび太が1人でジャイアンに立ち向かう話だ。

あの話の中で、のび太最後までドラえもんに頼ることができた。泣きつけばドラえもん何だかんだで助けてくれただろう。

いつものようにジャイアン撃退しチャンチャンで終わることのできた話だ。

しかし、のび太はそうはしなかった。ふとドラえもんのことが頭をよぎり

「けんかなら、ドラえもんぬきでやろう。」

「ぼくだけの力で、きみにかたないと……。ドラえもん安心して……。帰れないんだ!」

というセリフを発する。

のび太ジャイアンに泣かされてばかりの自分ドラえもんに頼りきってばかりの自分を乗り越え最後にこう言う。

「勝ったよ、ぼく。みたろ、ドラえもん。勝ったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん

ボロボロ眼差しドラえもんへの思いで溢れていた。

今更僕が解説するのもはばかられるほどの大傑作だ。

成長を描く作り手は藤子先生の爪の垢を飲んで欲しいものである

釣った魚には餌を下さい

コンサートで一目見てビビときた。

入所当時、たまたま彼がバックJr.として出たコンサート。まだ入って間もない頃だった。右も左も分からない、そう形容するのが正しいと思う。

顔が特別格好良いわけではなく、ダンスは驚くくらい下手くそ自分ファンが居ない状況でも、彼は一番ステージを楽しんでいた。前を向いてニコニコしながら、堂々とステージに立っていた。

そんな姿に惹かれ、担降りという形ですぐに彼のファンになった。

初めて彼にファンレターを渡した時、私ともう一人のファンに向かって「初めてお手紙を貰った、ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。一週間もしないうちに返事がきた。お世辞にも綺麗とは言えない字で、これから応援して欲しいと書いてあった。

今思い返すと笑ってしまうが、そんなありきたりな言葉が舞い上がるほど嬉しくて、私は彼の出る現場に通いつめるようになった。

コンサートでは彼の立ち位置の前の方で彼の団扇を持ったし、舞台では彼の登場通路に入り、彼だけを見続けた。

当時はファン殆ど居なかったこともあり、彼はすぐに私という存在認識してくれるようになった。コンサート舞台では意識的目線を送ってくれるようになり、決まった合図をしてくれる。彼が自分を覚えてくれている、見てくれていることが嬉しかった。露出とともに増えてきた他のファンに対しても、独占欲嫉妬よりも、正直優越感が勝っていた。

そんな日々から数年が経ち、彼はユニットに入った。大学生だった私は、現在社会人として働いている。当時ほどの熱量ではないが、今でも彼のファンを続けている。

人気絶頂といったら調子に乗りそうなので言わないが、一躍人気者となった彼は、ツイッター検索をすれば何百人ものファンが居て、雑誌テレビ舞台コンサートを頑張っている。

そんな状況でも手紙の返事は必ず返ってくるし、コンサート舞台では見つけて合図をしてくれる。入り待ち出待ちはしなくなったが、たまーに街で見掛けるとあちらから会釈をしてくれる。

ただ、好きになった時期が早かっただけ。ただそれだけだ。彼がいつもの合図をしてくれなくなったら、返事を返してくれなくなったら。

彼の中の「もういらないファン」というカテゴリーに入ることに恐怖を感じていた。

彼はサービスの一環でやってくれているだけであって、義務ではない。いつもありがとう、と言うとこちらこそありがとう、と返事をする。ただ、そこに数年前の嬉しさはないと思う。

そろそろ潮時かな、と思った。

ステージの上で無邪気に笑っていた幼き日の彼はもう居ない。デビューしたい、と真剣眼差しで語った彼を、遠くから支えようと思った。

その旨を手紙にして彼に渡した。すぐに返信が来た。「まだ応援して欲しい」と。

初めて手紙を渡したときに、ありがとうと嬉しそうにはにかむ彼の顔が忘れられなくて、今日も彼のファンを続けている。

2017-05-02

[] #23-4「ヴァリアブルオリジナル

≪ 前

不届き者を成敗したことでヴェノラの溜飲は下がる。

「いやあ、溜飲が下がった、下がった」

だが、体温まで下がってはいけない。

ヴェノラたちは、いそいそと風呂から上がった。


風呂が豪華だったので、食事についてもヴェノラたちは期待していた。

そして、その期待に応えられる豪勢さを確かに持ち合わせていたのである

「この宿の食事は美味しいな」

宿屋提供された料理はヴェノラたちの満足のいくものであった。

だが、仲間の一人であるウロナのみ、表情は曇っていた。

「確かに味と質はいいかもしれません。ですがバランスがよくありません。肉の量に対して野菜が少なすます。できれば果物も欲しいところです。あと塩分過多です」

ウロナのクレームを見越していたのか、近くにいた宿屋の主は語り始める。

「実はその件なんですが、のっぴきならない事情がありまして。最近ここいらの村で野菜泥棒が出没しているんです。おかげで野菜は質や量の割に値段が上がって困っております

なんと、それはよくない。

ウロナを筆頭に、ヴェノラたちの正義の心に火が灯る。

魔王退治も大事だが、まずはこれを解決しよう」

「その前に、出された料理を食べてしまいましょう。食べた後は消化するまで激しい運動は控えましょう」

腹が減っては戦は出来ぬというが、満たしすぎても戦は出来ないのである

ウロナはそのことを説き、ヴェノラたちも静かに頷いた。



準備を調えたヴェノラたちは、野菜が盗まれたという現場で張り込みをしていた。

しかし……

野菜泥棒は中々来ませんね……」

現世の時間計算すると、およそ午後9時になろうとしており、ヴェノラたちは痺れを切らしていた。

それはヴェノラたちの前回の睡眠から、十数時間が経つことを意味していたかである

「これ以上の夜更かしは体によくありませんので、帰って休みましょう」

「そうだ。あまり疲れた状態で寝てしまうと、睡眠コスパが悪くなり明日に響く」

「そうしよう。あと寝る前に歯を磨こう……うん?」

帰ろうとしていたその時である

まるでそれを狙いすましたかのように、暗闇の中で明らかに怪しい人物不審な行動をするのが目に入った。

「来たぞ」

相手こちらに気づいたようで、高らかに宣言しだした。

夜も遅いのに大声で喋る、不届きなヤカラである

野菜泥棒だぜ。この世界でも泥棒はよくないことだが、それでなお実行する意志があるんだぜ」

「なんですって」

夜も遅かったが、野菜泥棒が登場した以上、見過ごすわけにはいかない。

ヴェノラは戦闘態勢に入る。

だが野菜泥棒相手がかなりやる奴だと勘付いた途端、踵を返して逃げ出した。

まりにも予想外な俊敏さに、ヴェノラたちは面食らう。

「ここは我がやろう」

そこで真っ先に気を取り直し、名乗り出たのは歴戦の勇士であるイセカだった。

歴然たる経験の差に、ヴェノラは羨望の眼差しを向けざるをえない。

大丈夫ですか?」

大丈夫だ。あくま身体能力客観的分析した結果、我こそが最適と判断したまで。別にあなた女性から特別庇護しようだとか、そういう意図ではない。差別ではない、差別ではないのです」

しかし、あなたはそこまで俊敏な人間ではありません。あの野菜泥棒に追いつけるのですか」

「その必要はない。チョウナ・ブーメランなら遠くの敵に届く」

「イセカ、それはいけません。チョウナ・ブーメラン野菜泥棒の命が危ぶまれる」

「ではリ・イチ。魔法あいつを拘束してくれ」

「これ以上の時間外労働は拒否します。よろしくありません」

こうなると頼れるのは一人しかいない。

ヴェノラである

「では仕方ない、皆は先に帰って休んでいてくれ。俺一人で野菜泥棒を捕まえる。個人経営だ」

次 ≫

2017-04-23

発達障害かもしれないか病院行け」の弊害

生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害可能性があるかもしれません。心療内科受診しましょう。」という趣旨書き込みがなされることが多々ある。

実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。

だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前けが世間認知されていった。

その定義も特徴も曖昧難解なこの障害説明することは容易いことではないのだ。

マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。

俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人無能という誤った認識インプットしてしまった人が多いのではないかということだ。

学校に馴染めない。虐められる。

仕事がうまくいかない。職場に居場所がない。

ご近所付き合いがうまくいかない。周りから浮いている。

このような悩みに発達障害可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。

集団に溶け込めず一般的事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。

発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれしまったのである

発達障害者からといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。

定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか

悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴイメージがついてしまったのではないかと思う。

発達障害者を「協調することができず通常の業務遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。

最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。

せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。

これから時代必要なのは発達障害者社会参画を特に知識経験のない一般人イメージしてもらうために、実際に活躍する障害者ロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。

障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。

このことをもっと意識するべきなのだろう。

自尊心が高すぎる、ってどうしたら矯正できるんだろう。

高いことは自覚している。高いか自分が傷つくのが怖くて身動きとれてないのもわかってる。本当は周りの人ともっと深く関わりたいけど、自分の愚かさを露呈したり軽蔑眼差しを向けられたりするのが怖いくて

、私はひとりでいるのが好きだから、なんて嘘をついてしまう。クラスに碌に友達がいない3年間でよくわかった。私はいつまでたってもひとりが苦手だ。

しかしたら、矯正しないほうがいいかもしれない。私は腋臭だ。自分臭い自分ではわからないというけれど、私は結構自分でも感じるときがある。自分でもなんか獣くさいなあ、とわかるのだから他人からしたらもっと酷く感じると思う。お互い本音で話せる友人は、よくそう言うけど全然わかんないから、と爆笑しながら言ってくれたけど。

でも自意識が過剰なだけじゃないのは確かだ。

高校一年生のとき入学したての暖かい日。高校ではじめての友達が、少し黙りこんた後に「…なにか動物飼ってるの?」ときいた。 どきりとした。唐突だったから、絶対動物好きトークに持ってくような流れではなかった。

その前も後も、彼女は私にかなり好意的に話しかけてくれたけれど、臭いのことで嫌われるのが怖くて最後まで避けてしまっていた。

他の友人が、人の臭いを主な理由悪口を言うのを何回かきいたこともある。私は自分がそうだから人の臭いは気にならないけど、世間一般の人にとってはきっとそういうものなんだとおもう。

もし、私が正しいプライドの持ち方をできたとして、普通に人と接するようになれたとしても、腋臭を治さない限り、相手には不快感を与えるし、自分も傷つくと思う。誰も得しないんだ。

このまま歪んで大人になったら、家族はきっと悲しむ。私は三人兄弟の一番下で祖母や両親から沢山愛をこめて育ててもらった。

将来的に後悔をするのも嫌だけど、事実にわか臭いを発してる私が普通に接していいのだろうか。

親を悲しませたくない、けど周囲に不快感を与えたくもない。

いつか、近いうちに普通でいようとする自分肯定できるようになれますように。

2017-04-16

普通に生きれるようになってきた

少し前までの私は、常に焦燥感と緊張の中にあった。

集団から外れたくなくて無理に笑い

寂しい人間だと思われたくなくて予定を作り

街中を一人で歩くだけでも見知らぬ人の眼差し意識してしま

家に帰ればぐったりと疲れていた。

当たり前だ。自分から疲れるような生き方をしていたのだ。

でもそういう強迫観念から逃れる方法が、分からなかった。

「誰も自分ことなんて気にしてない」と、何度心の中で繰り返しても無駄だった。

原因として思い当たるのは、中学時代

少し変わった行動を取るだけで、陰口を叩かれたり、笑われたりした。

たとえば声がひっくり返っただけで

前髪を切りすぎただけで

ラケットの振り方が変なだけで。

今思えば下らない話だ。表立ったイジメとかじゃなく、ただの噂程度。でも当時は監視されてるような気分だったのだ。

自分では気づいてないけど他人から見れば変なのかもしれないと、歩き方さえ気になったこともある。ノイローゼじみていた。

友達ダメなところを指摘してもらって、自分なりに直しても笑われるから友達のことも疑うようになった。

言い辛いから、ちゃんと指摘してくれないんじゃないかとか

優しいから、気にしないで居てくれてるだけなんじゃないかとか

本当は心の中で、変だと思ってるんじゃないかとか。

一度疑ってしまえばその後に新しく出来た友達恋人に対しても同様だった。完全に信じるということが、できなかった。


だけど今やっと、他人にどう思われてもいいやと思えるようになった。

自分の中にこびり付いていた自意識過剰が、やっと、剥がれ落ちてくれた。

知らない人ととも自然に目を合わせられるようになった。

服屋の店員に話しかけられたとしても、息が詰まる思いをすることがなくなった。

自信はまだそれほど身についてないけれど、とりあえずマイナスから0程度にはなった。

仕事でもプライベートでも、あまりかいことを気にしなくなった。

死にたいと思うこともなくなった。

治るまで随分と時間がかかってしまったなぁ、という気がするし、

色んな面で人より遅れをとってしまった気もするけど

あいいや、と思う。

私は私に合ったペースで、焦らずゆっくり生きていこうと思う。

2017-04-02

男性保育士やすっている千葉市長のインタビュー問題点ありす

なんか今バズってるらしい男性保育士記事だけど最後の方に問題がたくさんあって怒りが収まらないので自分思考を整理するためにメモします。

https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/

たくさんコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/s/travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/)がついているようだけども、はっきりいって的外れ。手ばなしにいい記事とか言ってる人のセンスがわからない。自分差別意識に気づいていないのかな???

1ページ目の保育の現場レポートはとてもいいと思います現場を知らない人がこういうのなんだって知るのは大事

問題は2ページ目の千葉市長のインタビュー

このページの前半も、とてもいい。

保育園の整備の必要性だとか、保育士専門性子育て核家族が担うのは限界がある現代で、保育園保護者子育ての専門知識スキルインプットサポートになっているという指摘は本当にその通り。

問題は、2ページ目の以下の段落以降。

https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/2/

千葉市長の掲げた「男性保育士活躍推進プラン」にSNSから批判がたくさんあったことに関する話に及んだところで、千葉市長は、自分コメントを寄せたアカウントなどを全部過去発言なども遡って調べたと言って、こう述べる。

マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」

ここのあたりの段落よんで、それまですごくいいねこの記事!って思っていた心がボキっとへし折られました。

私の周りで男性保育士活躍プランが出た時に批判していた意見を思い出すと、(かなりざっくりまとめると)実際に現実に起こっている小児への性的虐待いかに防ぐか、そこが大事なのに、その議論をしなくて男性保育士を増やそう〜っていうのってどうなの?っていうことだったと記憶している。

市長も「自分に寄せられたコメントを調べて」意見を言っているので、私も自分の周りでみかけたコメントから意見しますね)

で、そういうコメントの多くは、過去学校とか教育現場男性教育者、あるいは家族親族の中で年長の男性から向けられる性的眼差しや振る舞い、そういったものに感じる「いやーな感じ」を思い出して、「やめてほしい」っていう感覚を抱いている、そう見受けられた。

この千葉市長の答え方の問題点は、そういう、過去の性被害体験につながるようなものも含まれているはずの批判を、十把一絡げに「“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々」と雑にまとめてるところだと思う。はっきり言ってこれはセカンドレイプではないですか?

この発言によって、「性的虐待心配がある」という指摘が、「うるさいフェミニズムがなんか言ってる」という文脈すり替えられてしまっていて、問題矮小化されて対策が全く取られなくなってしまう。子どもを主役に考えるはずなのでは?子ども守れないよねこれじゃ?

性的被害やそれを守ろうとする人の意見をこうやって矮小化するのは、被害を防ぐことはできないどころか、温床にしてしま可能性もあって本当に危険

「とはいえ、例えば“性犯罪の9割が男性だ”という意見なども出ていました。こういう意見は、男性として受け止めなければいけない現実っていうこともありますよね」

「それはある種の真実でもあるし、そのご意見に至るなんらかのご経験をされてきたことを受け止めなければならないと思いますしかし、我々が議論しているのは、保育という世界の話です。ですから、保育という中において望むべきものについて、少なくても公的な側はしっかりと筋を通さなければならないと思います

ここにきてトンデモ感が倍増。保育の世界問題、と切り取って、対策を打とうとしないのは、いじめ問題教育現場で「教育問題なんで」って言って、本当は暴行脅迫金銭搾取なのに刑事事件にしないのと同じくらい悪質。

そもそも、ジェンダーフリー何が悪いんですか?と小一時間問い詰めたい

インタビュー最後の方で、「“男性の子育て”を多くの市民理解してもらうという意味もありましたけど」とか言っているくせに、なんでジェンダーフリー批判的なの?

ジェンダーフリーってそもそも「女性を守る」ってこの市長インタビューで言っているけど、女性の方が男性に比べてハードモードから、そこから守ろうよって言っているだけで、別に男女の間に格差がなければわざわざ守ろうとしなくてもいいはず。

女性の方が小さい・若いうちからレイプに遭いやすかったり、性的搾取JKビジネス、って狂ってるよね、まだ学校行ってる高校生医学的にも発達過程だったりするんじゃないの?な存在性的サービス受けるとかさ…)されやすかったり、女性だけ家事育児を担うような風潮があったり、その影響で男性正社員長時間労働化するから男性の方が賃金高くなって格差があったりするから、そこをイーブンにしようとするだけじゃん?

からジェンダーフリーになったら、子育て理解のある男性も増えるし、男性保育士も増えるだろう?なのに、そういうダブルスタンダードに気づかずになんとなく言っている。

そういうところが、ほんと〜〜〜にムカつきました!

あと、そもそも論として、「男性保育士活躍推進プラン」の政策的な面に対して分析すると、ダイバーシティを促進するために男性保育士の働きやす環境を整備するというものらしいんですが。

千葉市の出してる資料みてみました。

https://www.city.chiba.jp/kodomomirai/kodomomirai/unei/documents/danseihoikusi.pdf

これ、つまり男性保育士の数がめちゃめちゃ少ないから、将来男性保育士がこれだけ増えるように数値目標を立てましょう。それを達成するために魅力を発信したり、働く環境の整備をしたりしましょう。ということみたいなんですが。

環境とか魅力の発信もだいじだろうけれども、そもそも根本的に増やすために、じゃあなんで男性保育士がこんなに少ないの?っていうのをまずかんがえてほしい。

去年の待機児童問題国会議論以降いろいろ発表されてますが、ざっくり、女性だけで比較しても、全産業平均より5万少ない、男女全部平均すると、全産業平均に比べて10万少ないって言われてる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016050102000129.html

役職ついても28万とか。

http://www.sankei.com/life/news/161205/lif1612050042-n1.html

20代のなりたての保育士さんだと本当に薄給だって聞く。

冒頭記事にもある通り、子供の命と発達を担う責任重大な仕事で、最近ブラック現場も多いというし、それだけ働いて、手取りが少なかったら、そりゃみんな辞めるよね?

から男女関係なく、全体的に保育士不足って叫ばれている。

ましてや、「結婚したら一家の稼ぎ頭」を期待される性役割分担を負いやすい、男性が、長く働けるだろうか?

から、そもそも少ない男性もっとやめていくんじゃないの?

から男性を増やすという施策をするよりかは、とにかく保育士という仕事待遇もっとよくする、根本的にはこれが男性保育士も増える本当の解決策だと思うんだよね。

もちろんトイレとかないんだったらそういうのの整備は大事だけど。でも給料安くてもトイレと休憩室よくなったから続けよ、って思わないよね。

あと、男性保育士批判批判してる人に、子供を主役に考えてないっていう人いるけど、それも違うとおもう。

子供の性虐待防止のための現場の仕組みをもっとしっかり作ることが、男女関係なく、現場保育士への疑いも晴らすし、子ども安全も高める。

あと性虐待ではないけど、保育園での死亡事故は毎年報道されていて、これは根本的には「お昼寝中のうつぶせ寝をさせてはいけない」みたいなスキルの共有ができていなかったり、人手が足りなすぎて泣いちゃってる子どもをぐるぐる巻きにしちゃったりという、結局は現場保育士への教育・人的リソースが足りていないせいでおきている。

から、性虐待暴力的虐待ネグレクト、いろいろふくめて、子ども安全性を高めるために、保育士の配置を増やしたり、研修リソースを増やしたり、ということで対応するべきで。

そういう対応をちゃんとして、男性保育士子どもを世話されたくない、という恐怖心を持っている人も、男性保育士が増えても大丈夫、って思えるような仕組み作りをしないといけないはずでは。

ネット世論福島から自主避難した横浜児童へのおごりの強制は「いじめだろ!みとめろよ!」っていうのに、保育園虐待を防ごうよっていう話にはなんでこんなに気づかないんだろうね。まあみんなが保育園行くわけではないかしょうがないのかな…

2017-04-01

こんな作品を見たい

人を幸せにする仕事

「私の夢は、世界征服することだった」


こんな感じの作品を見せてください。

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