夢とは私にとって、多くの子どもたちが考えるのと同じように、「将来の職業」の事と同義だ。
決して採用される事が難しい職業ではなかったが、自分のあまり高くはない基礎能力を鑑みても、採用された事は本当に運が良かったと思う。
というのも、私は高校を人並みに卒業することができなかったし、紆余曲折を経て入学した、世間的にあまり優秀とは言い難い大学を卒業するのもやっとの事だったからだ。
そんな私も晴れて人並みの肩書きと所得を得られるようになったわけだが、夢を叶えた今、(ありがちな言い方になってしまうが)何を目的に生きていけば良いのだろう。
叶えた夢、つまり仕事については、最初こそ持ち前の発達障害を遺憾なく発揮してしまうことで奇人扱いされ、周囲の眼差しに耐え切れず退職を考えたものだが、数年経った今では自分の起こしそうなミスを予測・予防を心掛けて行動することで不自由なく遂行できるようになっている。不満も不安も苦痛も無い。
大学時代も大学卒業後も、働く事を諦めていた自分にとって、「働く」ことは初めての経験だったし、しかもそれが夢としていた職業だったのでひどく不安ではあったが、今思えばそれなりに適性はあったようで、安心している。
夢といっても、なれると思っていたわけではない。
上で書いたように、私は働く事を諦めていた。働こうとも、働ける能力があるとも思っていなかった。
しかしながら23か4の当時、現実的に将来を考えなければならない時期に来ており、このまま諦め続けていれば間違いなく社会から断絶されていくし、1日、1年経つごとに社会復帰が困難になるのは明らかだった。
それに加えて、いわゆる就職活動もせず家でごろごろしている姿を両親に見せ続けるのも、いささか両親が不憫に思えてきてしまったので、とりあえず夢の会社を受けてみたら、採用されてしまったのだ。
なので叶えたという言い方は相応しくないかもしれないが、とにかく私はもう「将来なんになろうかな」と悩まなくてよくなった。
これは自分にとって革命的だった。小中高大と「将来」の事を考えるだけで、私は憂鬱になったものだが、もうそんな事で二度と悩まなくてもよくなったのだから。
しかしその先は?
働くようになっても、働いている以外の時間は働く前となんの変わりも無い。
以前と違うのは金銭面で余裕が出来た程度だろう。