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はてなキーワード: 眼差しとは

2018-04-24

彼氏処女厨じゃなかった


彼氏が出来た。めっちゃ私のことを好いてくれる彼氏ができた。

告白されて、「いいですよ」と応えると、「やばい、嬉しさで膝が震えてる」と言ってくれた。

会社で私のことを見るとニヤけてしまうからなるべく視界に入れないようにしているし、見ちゃった場合は嫌なこと思い出して必死に堪えてる、と言う。

その反動で、会社終わりに二人でごはんに行くとめちゃくちゃ見てくる。「食い入るように」とはこのことかと身を持って体感出来るほど見つめて「可愛い」と愛情たっぷり眼差しで言ってくれる。

人気の無い夜の公園で、ベンチに座り、少しキスをして、私の手を握り「手ちっちゃい...すべすべ...全部愛おしい」と囁いてくれた。

惚れられてんなぁ〜〜としか言いようがない。自分でも思い出して書いてて胸やけしそうなほど甘ったるい愛されっぷり。惚気を聞いてくれた友達には多大なる精神負担をかけただろうなと思う。マジごめん。

これほどの愛情をぶつけられたことは恐らく赤ちゃんの時以来。愛されるってめちゃくちゃ気持ちいい。「可愛い」「好き」と言われるたび、自己承認欲求が驚くべきスピードで満たされる。もうSNSの「いいね!」なんて全然比じゃない。めっちゃ幸せ。なんか肌の調子もいいし、体重も減るし、生理周期もめちゃくちゃ整う。彼氏ってすごい。ただ、ご存知の通り、赤ちゃんの時に母親から与えられた愛情と決定的に違うことがある。そこには性欲が含まれている。

応えたいなと思った。

正直私の好きと彼の好きは全く釣り合っていなかった。

彼が愛おしそうに私の髪を撫でながら「好きだよ、大好き。愛してる」と囁いてくれるのに対して私は気まずそうに「私も」と言うのが精一杯だった。

このズレはきっと彼を不安にさせてしまう。だからSEXというわかりやすい形で、彼の愛情に応えてあげたい。

と、いうのは都合の良い言い訳で、はっきり言って私の性欲が爆発していた!二十数年間処女を拗らせていた私は、自分のことを好きと言ってくれる生身の男を手に入れ、溜まりに溜まった性欲が、盛大に、爆発していた!!!

彼の方も若い男として御多分に洩れず性欲がフルスロットルしており、3回目のデートラブホへいこうといわれた。

まあ向こうもまさか私が処女とは思っていないし、カラオケでめちゃくちゃエロいキスをして夜を明かした翌週なのでそりゃもうお泊まりしてもええやろと思ったのだろう。

それにしても奥手そうな彼にしては展開が早くて、思わず「体目的なの?」と意地悪な質問をすると「うん!だって好きだもん!したいに決まってる!」とめちゃくちゃまっすぐな瞳で答えられて最高だな〜と思った。

ちなみに私の貞操観念は全く固くない。愛し合ってる相手しかしたくないとか、結婚するまでは処女は守るべきとかそんな考えは毛頭ございませんでした。ただただチャンスがなかった。というかビビってできなかった。

いかにも処女です純粋です!なんてキャラでもないし、そんなふうに思われたくもないので髪は明るめで化粧もちゃんとするし服だって気をつかう。飲み会の時は下ネタにもしっかりのる。

まさかこの私を交際経験なしの処女とは誰も思うまい、という謎のプライドのせいで、いざヤれるかもしれないというチャンスが舞い降りても、相手処女だと打ち明けて引かれるんじゃないかバカにされるんじゃないかと怯えて逃げてしまう。

そうこう言ってる間にもどんどん歳をとり、処女であることがどんどん息苦しくなり、余計にチャンスを逃してしま悪循環

やばいな。やばいなぁ。

そう焦っていた頃に出会ったのが彼だ。

穏やかで、なんかちょっとピュアで、何より私のことをはちゃめちゃに好きだといってくれる。

全身から好きが滲み出てて、少し緊張しながら抱きしめて、そっと私の肩を優しく包み込む手のひらは、付き合ってもないのにホテルに行こうと私の腕を引っ張った男の手とはとは全然別物。

この人なら大丈夫

処女だと打ち明けて引いたりなんかしない。バカにしたりもしない。ちょっと意外だなって顔をして、優しくすりよと約束してくれて、私が他の誰のものにもなったことがないことを心の底から喜んでくれる。そんな気がする。

あぁ、良かった。

後生大事に守ってたきたわけでもないし、とっとと捨ててしまいたいと忌々しく思ってた処女である現実も、私のことを好きで好きでしょうがない彼なら喜んでくれる。そうならこの処女膜も報われる。

そんな想いで、腹を括って、恥を忍んで、彼に告白した。

「あのね、お話があるの」

電気を消したホテルの一室で、彼の膝に手をついて真剣な顔でそう言った。

私の気持ち自分の「好き」に伴っていないなと勘付いていた彼は、もしかして別れようと切り出されるのではないかと少し冷や汗をかいたらしい。

「あのね、恥ずかしいんだけど、引かないでね....」

俯きながら、時々上目遣いに彼を見て前置きをする。

↑これはあくまでもポーズである処女であることを恥じ、コンプレックスに思っている女を全力で演出し、彼から全然恥じることじゃないよ。むしろ今まで俺のために守ってきてくれてありがとう」という言葉を導き出すための前フリなのだ

よし、今だ。

「私、経験がなくて、処女なんだ...」

可愛いーーーーーっ!!!!!

完璧なもじもじ恥じらいっぷり。袖は萌え袖。少し頬を赤らめ、眉は八の字困り眉。目はうっすらと涙をためている。

完璧可愛い

彼はもうノックアウトで大喜びに決まってる。さあ、どうぞ、「ありがとう」って言え!!!



「あそう」

太郎

ん?なんかさらっと言われた。

思ってたのとなんかちがう。

念押ししとこう。

「引かない...?」

全然、引かないよ。処女でも非処女でも俺が増田が大好きな気持ちは変わらないよ」

お、おおぅ。そうそう。それで?

別に俺、処女厨じゃないから」





いや、なれよ処女厨に。たとえ今までの人生で一度も処女崇拝したことなくとも今この瞬間に処女厨になれよ。今すぐ処女厨になってめっちゃ好きな彼女処女なことを死ぬほど喜べよ。なんだそりゃ。殴るぞ



以上。彼氏処女厨じゃなかった話です。

2018-04-15

教師視点

生徒は一度限りの学校生活教師である私にとってはルーチンワーク

「これは何度目の入学式か...」

そう思うと、ループもの主人公みたいで面白い

生徒は有限の時を生きる、私は定年までの悠久の時をいきる。ときどき有給を取る。

入学から卒業からなんて、一瞬のようだわ...」

そう思うと、教師が生徒を見つめる眼差しエルフ人間に見つめるものに似てきて面白い

2018-04-14

新卒社員が苦手

若手の前だとついついイキっちゃって

尊敬眼差しで見られて

帰ってから憂鬱にある

 

イキらないように生きたい

2018-04-06

anond:20180406162400

多分これだよな。自分たちにも奢れって意味だと言ってるのは拡大解釈し過ぎ。

世の中には自分一人だといろんな行動や購入ができない人って結構いるからな。

「私だったら友達とじゃないと行けない」っていうことなんだろうが、悪意がないとするなら、ぼっちへの軽蔑、奇異、羨望の眼差しがごちゃまぜになってると思う。

2018-03-16

ギラギラしてた貴方達へ

これは完全にオタクエゴだけど、好きな人はいつまでもギラギラしててほしい。メディアに出るような立場ならなおさら

私はあなたたちのギラギラしてて何事にも本気で臨むところが好きでファンになったから、「昔はてっぺんを取りたいと思ってたけど〜」なんて発言求めてなかった。過去の話にしてほしくない。

結果的に楽しく笑えれば〜」って発言については、精神も肉体も削られる大変な仕事だってわかってるしそこに楽しさを感じていないとやってられないだろうなとは思う。

だけどファンに向けての言葉にそれは求めてないんだよ…

メンバー同士仲が良い事に越したことはない。でもそれはお互いをライバルと認めた上で技術を磨いて切磋琢磨して、固い絆が結ばれてた結果だと思ってた。だから仲が良いところが好きだった。馴れ合いばっかりして腑抜けしまったらどこかの先輩Gのようになるんじゃないの。

てっぺん取る」って言葉を信じて応援してきたけど、なんだか拍子抜けした気分。

ただのオタクアイドル理想を押しつけちゃいけないってわかってる。でもそのアイドルだってファン理想を求めてるよね。

ファンのみんなにはい恋愛経験してほしい」とかさ、もうそれは恋愛をしてる自分正当化するために言ってるんだろうなとしか思えない。実際そうなんだろうね。ずっと見てきたか貴方恋愛体質だっていうのはわかってるよ。

ただ仕事には、ファンの前には絶対に持ち出さないでほしい。自身が輝くために恋愛するのは勝手だけど、寸分も漏らすな。

そのせいで私の大好きなアイドルグループの質が落ちると思うと悔しい。許せない。

それでも嫌いになれないどころか大好きだし、今のところは応援しようと思ってる。

人達てっぺんを目指すギラギラとした気合いと眼差しが完全に途絶えたとき、私も貴方たちのファンを降りよう。

勝手オタクでごめんなさい。

2016年12月25日の思い出を胸にこれから応援します。

2018-02-03

ドライだけど明るいアニメが見たい

人間関係ドラマだとか、個人感情が爆発するシーンが山場になるような作品は苦手。

かといってそうじゃない作品戦争モノとか人の虚しさみたいなものを描くシリアスものになりがち。

人間に対する眼差しは限りなく客観的なんだけど、物語自体冒険空想科学といった明るい要素に溢れた作品は無いものだろうか。

思えばラピュタカリ城なんかはすごく程よいバランスだと思うのだけど。

2018-01-27

男性学」とかい自称学問があるのな。

で、その学者の話してる講演の記事を読んだんだけど、

40代男性がなんで嫌われるのかとかそういう話。

ググって。

でね、それがね、すごくね、うすっぺらいの。

大学生社会を語ってるときみたいな、

現象の上っ面、「社会」「役割」っていう固定された視点から眼差し

なんだこれと思ってググったら、

フィミニズム系統なのね、この”学問”。


あのね、男の40歳ってね、

そういう社会的要請の前に直面してるものがあるの。

生き物としての老いを実感して、

それに混乱して抗おうとする年齢なの。

なんか太る、健康診断に引っかかる、

腰が痛い、腕が上がらない、

ちんちん勃たない、涙もろくなる、

おしっこ最後まで出ない、

やたら下痢気味で気を抜いたらうんこ漏らす、

脂が食えない、すぐ疲れる、徹夜できない、

頭の回転でも体力でも若い人間に負ける、

自身に起こるそういう現象を目の当たりにして

ひとまず戸惑って受け入れらずにいる年齢なの。

大人になりたい/なりたくないの悩みと似たような、

いわば第二の思春期なの。

男性学」の言う社会個人軋轢ももちろんあるけど、

そんなもんは若かりし頃の各年代にもそれぞれ別の形であったわけで、

それを乗り越えられないのはつまり

オスという生き物としての自信が揺らいでるからなの。


そういうこの年代ならではの危機葛藤を、昔の人はちゃんと知ってるよね。

厄年」と言ってきた。


俺は男性からからないけど、

女性はこれにもう少し若い年代で直面するんだろうね。

小じわとかさ。肌の張りとかさ。おっぱい垂れたとかさ、

男にちやほやされなくなったとかさ。


まあそれはどうでもいいや。

2018-01-19

anond:20180119105625

セックスじゃねえの?

セックスたことはないけど、青春謳歌しています

って言ってみ。

電通が作り上げた常識人たち」の哀れみの眼差しが目に浮かぶようだ。

2018-01-12

悲報俺氏17歳にして怠惰が治らずwww学校サボるwwww【助けて】

なるべくたくさんの人に見てほしいのでこのようなタイトルしました。

助けて!知恵を貸してください。

わたくしは不登校児です。

まずは私の懺悔を聞いてください。イタくてクサい犯行記録をよんでください。

新学期が始まって2日経った。まだ一度も学校には行っていない。

行ってきます、と家をでて、電車に乗る。乗り換えの駅で降りる。ベンチに座る。電車から降りた人たちが群れをつくって階段へ向かうのを眺める。平日朝の駅には美しい秩序がある。目当ての群れに入りさえすれば、あとは無思考でも乗り換えのホームへ人が運んでくれる。ちょうど目当ての群れはベンチの前を濁流のように動いている。私はただ立ち上がればいい。しかし立ち上がらない。人びとをじっと見つめる。カナダグースが多いなあと思う。

やがて体が凍えてくる。始業時刻をとっくに過ぎてしまたことを知る。そこでやっと立ち上がることができて、私はよろよろと改札を抜け、すぐそばスターバックスに入ることができる。

あとは授業が終わる時間までカフェを3軒くらいハシゴする。大きな図書館に行くこともある。それらの中で私は本を読んで、リブログして、あるいはじっと考える。なるべく現実とかけ離れていることを、虚空を見つめて考え続ける。

父親単身赴任母親も働いて日中は家にいない。帰ったほうが節約になるし、テレビ見れるしあったかいし寝れるし絶対そっちの方がいいけれど、大学中退した四つ上の兄が一日中いるのでそうもいかない。

サボっても、家に連絡が来ることはない。電話線を抜いたから、きてるかどうかもわからない。

夕方家に帰って、自室で音を殺して弁当を食べる。

まずもって、誰にもバレない。慣れたものである

初めてサボったのは中学一年生の時である。その頃は今と家庭状況が違ったので、昼前には家に帰ることができたが、家に連絡が入ってバレてしまった。

中学二年生からは真面目に通っていたのだが、高校一年生の夏の終わりから、私のこの悪癖はまた顔を覗かせ始めた。

バレるたびに私の信用はゼロになる。

バレなくても、学校に行かないことで学校友達や仲間に迷惑をかけまくる。「ばり休む子」という色眼鏡で見られる。

中1で失くしたものをせっかく取り戻したというのに(うちは中高でほとんど生徒のメンバーが変わらない。99%同じ160人)、また自分でそれをぶち壊してしまった。

困ったことに、サボるときLINEアプリを開くのが苦痛になるため、友達心配するメッセージに返すこともできない。電話もでれない。みんな優しいので通知3,000とかいちゃう。ごめんね。

未読無視したままでも、それでも久しぶりに学校に行くとみんなはすごく嬉しそうにしたり、ほっとした顔をしてくれる。笑ってイジってくれるし(また鎖国〜?と言われる)、一緒にLINEを返してくれる子もいる。

幸せだなーと思う。

自分はクソ人間だが、何故か私は縁に恵まれている。私の周りは良いやつばっかり。みんな善良で、ユーモアがあり、親切で、努力家で、芸術が好きで、頭がいい。

でも私はまた休んでしまう。その度に友達は手を差し伸べてくれる。私は甘んじてその手を握り、そしてまた強い力で振りほどいてしまう。

ほんとうに申し訳ない。

言い訳します。

中1の頃も高1の頃も、学校をサボった朝、私は自殺しようとしていた。

朝起きて、自分の一番好きな服(母校がガチで好きなので制服のことです)に着替える。何事もないよう装う。さもいまから学校にいくんですよ、昨日の続きの人生を送りますよ、という風な態度をとる。ここでちょっとでも変なことをしたら、死ぬ自由を奪われてしまう。

自殺を決意したとき特有の見え方で輝いている母親の優しい眼差しなんかを目に焼き付けて、いつもよりも良い匂い空気を吸い込む。

駅のホームで、さあ死ぬぞ、と靴を半分脱ぐ。そういえば、滞りなく通学していた時期に、人身事故で困ったことがあったなあ。線路に飛び込んで死んだら、損害賠償ヤバイってマジなのかな…。そんなことを考えていると、通過列車アナウンス流れる死ぬならやっぱ通過じゃない?止まるやつより速いから確実そう)。

入ってくる電車がやけにゆっくりに感じて、運転手さんの顔をじっくりと見てしまって、見てしまうと、もうダメで、私はまた靴をはくのです。

それの繰り返し。

電車ではムリだとわかったので、今度は家で首を吊ることにする。初めてつくった縄はぐちゃぐちゃだったなあ。つくるのにすごく手間取ってしまった。今ではだいぶ上手くなった。私のロフトベッドの桟には、試行錯誤の縄の跡がついている。

しかし、首吊りというのも難しい。首に縄をかけるのは能動的なものなのである。よほど強固な意志があるか錯乱していないと、ブレーキがかかってしまう。好きな音楽をかけてなんとか自分を励ます首に縄をかけたとき、本当に優しい気持ちが溢れてくる。人類すべてに対する、焦がれるような愛情ほとばしる。世界がはちゃめちゃに美しいと感じる。えいと椅子を蹴ったけど、結局縄はするすると解けてしまった。そして私は明日のために、明日自殺自由を奪われないために、急いで証拠隠滅をはかる。

他にも二つくらいの方法を試したけどダメだった。準備の最中にお母さんから今日の、晩ごはん肉じゃが(*^_^*)高いお肉を、買ったよ♪お出汁をとっておいてね!」などとLINEはいると、(私にとって)自殺直前特有の激しい愛情あいまってもうダメなっちゃう。

他の二つのことは(というか実は飛び込みと首吊りのこともなんですけどね)主題に全く関係ないので書きません。

しかし私は死ななくてはならない。前はただ自意識から逃げたくて死のうとしてたし、今もそうなのだけど、私はもうわかっちゃったのだ。

私に伸び代はない。

せっかく中学受験して、一生の誇りになるような学校に入ったのに残念だけど、私は17歳になっても怠惰が治らなかった。そもそも自殺成功しないのも怠惰が原因ですよね。

はあ…。

すみません時間がないのに、なんでこんなにたくさん書いてるんだろう、焦ってるから考えられないのだと思います

どうしたらいいですか?

中1のときと高1のときは、ヒリヒリするほど自殺への欲求がありました。おかしな話ですけど、私は生きるために、自殺しないように、学校をサボって自分を休ませる方法を編み出しました。

そのときは、そうしないとマジで気が狂うと思ったし死ぬと思ったから、罪悪感とかは後々になってでてくるものだった。

でも、今はどうなのかわからない。

死にたいという気持ちは消えたことがない。

でも、あの頃ほどじゃない。

今の私はただ、怠惰から学校をサボっているのではないかな。

というかたぶんそれで間違いはない。宿題終わってないから、嫌やねんな。そう。

罪悪感がすごい。いつかバレるのではないかという恐怖もすごい。みんなそうだと思うけどうちの母親は怒ると人格が変わって、マジでなんでもする。風呂に沈めてくる。

兄貴は今は肩身がせまいか大人しくしているけれど、去年の4月まで私は生傷が絶えなかった。顔と耳に血豆ができた状態学校に行って、ウケると思って「兄貴にやられた!」と言ったら、みんないいとこの子なのでガチマジのドン引きをされた。私の立場が悪くなったらすぐまたあの頃に戻ると思う。ホント関係ない話だけど、「君の名は。」でみつはちゃんにはいった瀧くんが胸を揉むシーンが、マジで無理いろいろ思い出すからアニキにされたこと、思い出したくないし文章にしたくないけど伝えたいので、↑で察してほしい。毎日だった。

とにかくサボってることをバレるのが怖い。

今日母親に「増田新学期の始業式から学校に行ってて嬉しい!」と言われた。行ってない!!!ごめんお母さん。

もういっそ全部バレてほしい。もう嫌だなにもかも。

でもたぶん、明日も私は学校はいけません。

私はこれから大丈夫ー?」という友達LINEの通知をオフにして、電気を消して、明日段取りを考える。いつも通りの顔で、いってきますと言わなくちゃいけない。

みなさん、私はどうしたらいいですか?今から何をすべき?明日はどうすべき?

知恵を貸してください。

読んだらわかると思うけど、かなり焦っているし取り乱しています。文頭と文末がしっかりしていないし、言葉も間違いまくってるとと思う。わかりにくいでしょう。

助けて。

2018-01-07

会社飲み会

会社飲み会

夜一発やりませんか?的な眼差し女性を見る

大人しい男って必ずいますよね。

2017-12-27

anond:20171227190553

俺としては近場で手を出すなんて遊び人の風上にもおけないよ。近場でセックスしたり色恋で問題起こす連中はガチ軽蔑眼差しで見てる。自分人事権がある範囲なら飛ばしてるし。童貞は0でもそういうクソどもは-100。

俺は社会人として振る舞う時と男として振る舞う時を、TPOでちゃんと分けてるだけ。

2017-12-26

岡田准一担降りする。

タイトルの通りである

さあ帰れ帰れ。

これは准担だった自分の記録です。


最初に言っておきたい。

基本的結婚は歓迎です。


博が結婚した時、とってもとっても幸せ気持ちで満たされた。

彼にとっては私など何でもない1人だけれど

本当に幸せをもらってる気持ちでいっぱいだった。

それを嬉しそうなメンバーJフレのみんなの顔も。

もちろん博を大好きな准くんが幸せそうなのも全部全部嬉しかった。

ジャニーズであろうと一人の人間であり、自担には幸せでいてほしいと思っている。

それに准くんはずっと「男として家庭を持ちたい」と言っていた。

子供だってとっても大好きだし、准くんの子供は絶対かっこいいし可愛い

結婚はするだろうなと思っていました。

それは10年以上前から




結婚はいいねん。


そう、結婚はいいねん。



こちとらずっと自担ですからね。

知ってるんですよ。


自担から!!!!!!

彼は何でも天才的なスピードで器用にこなす。

ピアノドラムギターもできる。水上ござ渡りだってできる。

めちゃくちゃな体当たり企画だっていつも成功する。

いつも遠くに目標を見据えている。

めっちゃくちゃ鍛えてる肉体だって決して見せびらかすために脱いだりはしない。

チャンスが回ってきた時のために黙々と準備をできる人だ。

そしてあまりに遠くを見つめて手元が見えなくなることがある。

不器用な人だってこと。

あほで、正直。




岡田くんに初めて生で会ったのはV6コンサート

ステージに飛び出してきたV6アイドルという空気はなく、

めちゃくちゃに躍り続け走り回りアクロバットを決めるコンサートに圧倒された。

だけどMC学校へ行こう!みたいだった。

うそれはそれはめちゃくちゃ笑った。

一気に虜になった。

学校へ行こう!とも木更津キャッツアイとも違う姿で

ステージの上に立ちながらもクール自由岡田くんに引かれた。

彼が俳優岡田准一として世間に認められる前のことだ。

数々のインタビューでは「人一番努力しなければいけない」と語る志の高さに尊敬の念を抱いた。

中学生の私にはキラキラした世界にもいながらも日陰を歩こうとする姿に、こんな人がいるのかと衝撃をうけた。

別世界人間だけど、芸能人だけど人間味があった。

准くんのように努力を積み重ねて生きられたらどんな夢も叶う気がした。

自慢の自担であり、本当に尊敬する背中だった。


反抗期岡田くんは語るようになる。

アイドルを辞めようと思っていた。」と。何度も。

知ってたけど。

少なからず傷ついたけれど、逆にもう辞めることはないんだなと思った。

それは挑戦のスタートなのだと。

そのころ岡田くんは毎月何十冊もの雑誌に載っていた。

控え目に言ってもメンバー内で圧倒的な露出を誇っていた。

V6は十周年を迎えていた。

何ヵ月もどの雑誌を読んでも「俳優を~」「お芝居が~」と語り、メンバーのメの字も出てこない。

これが不思議ものでね、何十冊とリアルタイム雑誌を読んでるとね、

どれが本音でどれが建前で話しているのか手に取るようにわかちゃうんですよね。


たまに出てきたメンバーの話や数文字感謝言葉にも飛び付いて一喜一憂

それを基準雑誌を厳選していたファンは多かったと思う。


やはり露出が多いメンバーグループの顔だ。

外での活動グループ還元グループ自体ファンの母数が増え、また個々に仕事が増えるというのが理想だ。

しか岡田反抗期

ジャニーズからV6から貰えた俳優仕事だなんて誰にも言われたくない空気を態度で晒した。

グループ還元しようと思っているんだなと思える瞬間は私には感じられなかった。

全ての俳優仕事俳優岡田准一として結果を残したいという意地であり

まあ、なんというかワガママみたいだった。

あのころ他担のファンには申し訳いねと話していた岡田担は多かった。

それでも好きだった。

芸能人アイドルなのに眼差しは鋭く、それはそれは美しかった。

めちゃくちゃ近くでファンサを貰っても遠くにいるような不思議な人だった。


彼は挑戦者だった。

ジャニーズという立場にありながら俳優として認められたいという挑戦の途中にいた。

新しいことを挑戦する時は風当たりが強いものだし。

彼が俳優岡田准一として認められるのには時間がかかるだろうけれど

一緒に挑戦の気持ちで寄り添いたいと思った。


だって担当から

いつだって味方だから

数々の映画だって何本も何回も見に行った。

岡田ファンが何回も行ったか数字が取れた」って言われたくないか

少なくとも私はセリフ覚えるくらい見ても黙ってた。

自担の挑戦だから応援たかった。

准くんは感じることもなかっただろうけどね。


准くんの「お芝居が…俳優が…」モードが続いて疲れてしまった時、思ったことがある。

そんなに俳優が好きならアイドル岡田准一も演じてくれよ。と。


准くんは決してそんなことはしなかった。


たぶん、きっと、できなかった。

彼は正直で不器用

V6で隅っこで下むいて口下手で、急に振られたら気の利いたことも言えず

テンションがあがって話してるうちに声が上ずっちゃう准くんは

本当に正直なV6岡田准一で、岡田准一自身であるんだなと思った。

ハッキリ言って甘えん坊だ。

そして恐らく彼が甘えることを許された唯一の場所だった。


俳優お仕事のために大阪弁封印した岡田准一

楽屋では大阪弁が出ちゃう准くん。


ただ黙って見守ってくれるお兄さん達がいた。

最高のメンバーやねん。

ときどきただの変人なのメンバーからバラされちゃったりして

ずっと准くんは准くんだった。

からずっとV6を愛せた。

からずっと岡田担だった。


准くんの反抗期が終わる頃、ファンが増えた。

後輩のお尻追っかけまわす変態ゴリラ地上波に登場していた。

そこに私の好きになった岡田准一は既にいなかったのかもしれない。

でもその准くんもその准くんで好きだった。



幼い頃から芸能界で働く人たちは、

世間人達が思う以上に本当に幼かったりする。


准くんは自分責任感や立場は敏感に背負うくせに

自分がどれだけ愛されてるか今も知らないんじゃないかと私は思う。

20年頑張ったからもう大丈夫でしょ。ジャニーズ若い子たちいっぱいおるからね。」

みたいに本気で思ってそうやし、アイドル岡田准一の代わりはおるって恐らく思っている。

言っとくけど、おらんで。




あと宮崎あおいをただ純粋に愛しているんだと思う。

自分も博みたいに祝って貰えるって思ったんやろうか。

准くん、あほやな。

知ってたけどな。

「これから感謝気持ちを忘れずに一緒に歩んでいきましょう。」

という諭すような健くんの言葉がなんというか全部わかってて。

本当に涙がでるね。



愛や恋が育てる芸もあると思う。

芸の糧になるならばとスルーできたけれど。

自分が出席した結婚披露宴花嫁結婚できる岡田准一

自分旦那ピンチの時に家を出て行く宮崎あおい

家庭の問題を男に相談する宮崎あおい

しか自分友達蒼井優の元彼って。

ファンがこれから何度も何度もクリスマスのたびに思い出すこの感情

予想できないあほ男の岡田も、予想したであろう宮崎あおいも。

もし子供が産まれても何の罪もないのに人生ハードモードすぎるし。

ここまでの数行すべて私の倫理観では正直処理できないし

2人の人生は2人の勝手だといえど、

正直バレてもいいやと思ってるとしか思えない撮られ方や

ここ数年の振る舞いがプロじゃなくてとても嫌だった。

数年先、彼らが「色々あったけど幸せです」なんて言われた時

よかったねって気持ち絶対まれないと確信できてしまった。

ここ数年間の上記の噂の数々がどこまで真実か考えるのも疲れてしまった。


赤い封筒が届いて、ずっと昔から下手くそな見慣れた“岡田准一”の筆跡を見た時

ギラギラとする岡田准一をただ純粋に好きだった頃に戻りたいと思った。


今みたいに携帯にたくさんの音楽画像を入れられる時代じゃなかったか

画素の低いカメラで撮った一番かっこいい画像を厳選して待受にしてた。

ファン友達を見つけるのは掲示板書き込みだった。

自分HTMLを打ってホームページを作った。素材は自分で作った。

画像数枚読み込むのに数分かかる時代から動画サイトなんてもちろんないし、

WSは手分けしてダビングしたビデオを送り合いっこした。

CM起用された日にはチラシが配布される場所を把握するだけでも必死だった。

本当に大好きじゃないとオタクなんてやってられない時代だった。

だけど全部楽しかった。

それが生活だった。

中学生にはコンサート何本も入れるお金もないけれど

自担アイドルの准くんが「ただいま」って言ってくれるから

大阪に1本入れるだけで幸せだった。

わかるかな?



戻りたいと思った瞬間から

あの頃以上に声援を送れる自分はいないんだと気付いてしまった。

から思った。

准くんのいう“変わらないご声援”は私には無理だ。


今は気軽に気になるジャニの数年分の映像なんかYoutubeいくらでも漁れるし

映像だって雑誌だってパシャパシャ撮って何枚でも保存して

公式なんて買わなくてもいつでもどこでも好きに映像を見て

発売前の雑誌の写り具合すらもチェックできる。

そんな時代からファンになった子たちはわからないだろうなと思う。

結婚でなんで降りるのかとか、好きじゃなかったんだとか。


そういうことじゃないねん。

わかんへんやろ。

わかってたまるかよ。



他のGが好きなジャニオタ友達と3誌手分けして買って交換したり

V6振り付け他Gのジャニオタ5人に覚えてもらってV6ごっこしたり

学校へ行こう!取材がきたらどうするか妄想してふざけ合ったり

青春時代の全部の思い出にV6がいる。

しかったなぁ。

きっとこれからも一番好きなドラマ木更津キャッツアイだろうし

夏の終わりにはFDFを見るんだろうけど

それはもう自担の出演作品としてではなくなるでしょう。

もやもやとした気持ちで年越したくないし

こんな気持ちカウコン祝福ムードとかたぶん耐えられなくて消すだろうし

もう一度言うけど“変わらないご声援”は私には無理だと思った。

でもね、

ジャニオタを、V担を、カミ担ね、降りられるわけない。

大好きとかもうそういう言葉以前に、これもう生活から

V6の売上は落としたりしないよ。まかせて。)

自担じゃないって思ったら

とても純粋気持ちでV担としてカミ担として

カウコンも今後も全部楽しむことができる。

と思う。




大好きだったか

もう彼の言葉により添えないと思った今日

岡田准一担当は降ります


さよなら准くん。

16年とても楽しかった。尊敬してたよ。

またひとつ夢叶ってよかったね。

長々と書いてしまったけど、

今までの月日に比べたらたった数行だよね。


これからV6コンサート楽しみにしてるね。

2017-12-21

例の「童貞いじり」について。

いつも通りはてな界隈をぶらぶら流し見していて、はあちゅうさんやその周辺における最近のあれこれについても色んな意見投稿コメントを見た。

最初はそれほど強い関心を抱かなかったがここ数日、「童貞いじり」に関しての話題結構よく見かけるようになった。

自分にも無関係ではない話なので、一人の意見っつうか暇つぶし自分語りをしようと思う。

僕は童貞だ。正確には素人童貞であり、それを自分から進んでネタにして周囲の笑いを取るタイプ人間だ。

どうしてそういうことをするようになったかと言えば、中学時代スクールカーストの最下層にいたことが大きい。

いや、十数年前に「スクールカースト」なんて言葉はまだなかったが、当時から日陰のクソ野郎として辛酸を舐めていた僕と友人は

学校にはピラミッドのような不可視階級社会があって、僕達はその底辺だ」

という共通意識はもっていた。スクールカーストなんて言葉がなくても、地べたの人間のしかられる重さでその権力構造を感じていた。

ともあれ、犯罪クラスイジメには至らずとも、教室の隅っこに追いやられる程度には他人からバカにされてきた僕だったが、そのままでは正直つらかった。

でも、ふとある時に、部活の上位カーストに属している一人から軽く小馬鹿にされた時、ふとそのイジりに乗っかってみたのだ。

すっげえウケた。

しかも、イジりの内容自体はそれほどダメージのない(僕にとっては)軽いものだったので、それ以降は自分からそのネタ、つうか若ハゲネタ自分から使いだした。

童貞ハゲキモオタデブキャラ、というレッテル自分から張ったことで、ある程度被害を僕の意識コントロール出来るようになった。

キモいけど面白いやつ」ということで、好意的に接してくる奴も増えた。それは単に僕を下に見下したことで成立している関係なのかもしれないけど、

正直イジメじみた扱いをされるくらいなら百倍マシだった。

そんなこんなで、学生時代はもっぱら「童貞(後に素人童貞)」、「若ハゲ」、「貧乏」などの自分を貶める自虐ネタで周囲とコミュニケーションをとるようになった。

まり、僕は最近問題視され始めた「童貞いじり」を自分からする人間だ。

かといって、「俺みたいに童貞ネタで笑いを取ってるやつもいるんだ、これを駄目だなんて言うな!」とは決して言わない。

童貞いじり」に苦しむ人が無くなる方が、僕の持ちネタが一つ消えることよりよほど優先すべきである、とはっきり思う。

なので今後、「童貞いじり」が社交的な場で白眼視されるような空気社会全体で醸成されてきたら、僕は素直に引くと思う。

というか童貞いじりもそうだし、自虐ネタ下ネタ基本的に扱いに注意が要るのだ。不快になる人はいるのだから

これまでも最低限の用法として、自虐やら下ネタやらが苦手な人相手にはそれらを封印して普通に会話してたしね。

基本的にこういう「誰かを貶して笑いにする」系は、する側される側の合意がなきゃ絶対だめだと思うし、合意があったところで他の第三者不快感を得るならやっちゃダメだ。

笑いを取りに行ってるのにスベってどうする、と僕は思っていた。もしかたらここらへんで「いや違うしそうじゃない」と思う人がいるかもしれない。

「人を貶めて取る笑いなんて笑いじゃない」という人もいるだろうし、それを否定するわけではないが、何が面白いかなど人一人で違うだろう。とも思う。

下品な笑いが嫌いな奴もいれば、それで爆笑するやつもいる。僕はどっちも好きだ。

自虐ネタとか、そういうのは良くないってやつらは僕のことも分け隔てなく人間扱いしてくれる人が多かったし、

僕のハゲネタ童貞ネタで腹抱えて笑ったり、一緒に乗っかってきてイジりに来てくれる奴らはだいたいすぐ友達だ。ほとんどは、程度をわきまえてホントのほんとに僕を蔑んだりはしないしね。たぶん。

けど、そういう「他人を貶す笑い」、「童貞いじり」を進んで受け入れる僕のような存在がいるせいで、勘違いした自称いじりキャラ」が僕以外の誰かを不当に、合意なく傷つけたのなら、申し訳なく思う。

「お前も「童貞」へのセクハラに加担した加害者だ!」と言われれば、少なくとも傷ついた被害者の人に、傷つけた奴と一緒に頭を下げたいと思う。申し訳ない。

ただ、人との関わり方がまだよくわかっていなかった子供の頃の僕にとって、「童貞であること」、「前髪が薄いこと」を自分から言ってバカにされるのは、

唯一、苦しみから逃れられる苦肉の策だったのだ。それがなければ人の輪っかの中に入っていけなかったんだ。

とにもかくにも、「童貞であること」をバカにされて苦しんでいる人がこの件を通じて生きやすくなれば良いなと思う。

それと同時に思うのは、セクハラもそうだし「童貞いじり」などをやめよう、と声を上げるのは、大事だけど、もっと大事なことがある。

結局、言葉や態度の表層的な、コミュニケーションパターン制限を掛けるだけで終わっちゃだめだ。

なぜ男がセクハラをするかと言えば、「女の人への性的興奮」が本能に依る衝動からだ。

いやほんと、男として情けない限りだけど、性欲って条件次第では人間を獣にしてしま劇物だよ。

そもそも理性の薄い奴、対象に対して圧倒的に優位になってしまたことで魔が差した奴、これはもうコントロールが効かない。

童貞いじり」にしたって、根っこの根っこは「他者より優位でいたい」という競争本能だと思う。

これらは、どんなに言葉や行動や態度や眼差しを刈り取ったところで、根本的な解決にならない。

誰かが誰かを傷つける、という構図に対して、明確な特効薬にはならない。

虱潰しに、人を傷つける表現言葉と戦っていけばいいのかもしれないけど、僕にはその先にディストピア風景しか見えない。

じゃあどないせえゆーねん、と自分でも思った。

戦うんじゃなくて、自分とその周囲を自衛すればいいのかな。とふと思った。

いやもちろん社会全体の総意として「NO!」と強く宣言しなきゃいけないことも絶対ある。

今回の岸氏の件は間違いなくそれだろうし、はあちゅうさんも普段SNS発言は、その点の分だけは反省した方がいい。

けど、だいたいのことは、自分自分を何とか守る。守れるように先を見据えながら行動する。で十分だと思う。

それ以外は、もうほっといたら良いんじゃないかな。

少なくとも、ネット使って距離の離れた相手まで、皆してわざわざぶん殴ることもないでしょうに。

気晴らしに誰かを攻撃したいなら、何とか僕を見つけてくれ。

バカにされたらボケで返す用意はあるから

あと長文でごめん。

2017-12-03

車社会洗脳される高校生

社会が混乱し、成人化の展望を見出すことができない新社会人大学生は、成人への通過儀礼にこぎつけた高校生を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか人生軌道に乗せつつある高校生たちは、いまなお洗脳社会を拒む人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「障碍者」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境高校生の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。

仕事出張先で、出張先に近い高校とそれとは別の高校生との間の、バイクを巡るトラブル取材たことがある。前者は「公共交通の混雑で迷惑かけるな」と苦情を言う。後者は「どうして子ども扱いされているか理由がわかっていない」と応酬する。「免許必要としていなければ持ってすらいない」「代わりなどいくらでもある。知恵がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。

高校生二輪車に乗らないものは、公共交通の持続化という側面もあるのだが、大半の高校生は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。高校生が変わり者だったり持病を抱えていると、たとえ本人に礼儀正しさがあっても、大人のほうが嫌悪する。乗らない高校生自身が半分大人扱いされる社会暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。2010年代以降にしきりに言われた「18才選挙権高校生大学生大人の仲間入り」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。

こんなにも彼らの心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで子供世界に生きていた人たちが、一瞬に大人社会に引きずり出されたネオリベ不条理。それを被った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ是正どころか日に日に広がっている。高校生以外は、忘れることだけは「熱心」だ。大人があけた満員電車のスペースは高校生のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために退いたのではないかとさえ思う。仕事の合間に取材を続けていると「まだ気に入らないのか」とよく言われる。「お前は中高年か」とも、何度尋ねられたことだろう。高校生支援も同情もしない、残酷社会がそこにある。

これらを目のあたりにして、大人を信じられない、頼れない、との絶望感を高校生が抱いた、オートバイを操る高校生復権は、その果ての人心の荒廃の象徴であること以外に、理由などあり得ない。東日本大震災は、原発事故津波などによる多大なる爪痕を残したのだけではなく、大人という国民属性信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、チェルノブイリ原発事故の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいったソ連の末期の姿と、よく似ている。

大学生高校生の心がこれだけ荒廃して、一般人が無縁でいられるはずはない。大人の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校社会という場で露骨に現れる。震災後の日本では、免許の有無や車やバイク好き嫌いきっかけで、喧嘩になることが増えたという。洗脳社会によるストレスや、格差を生んだ大人社会眼差しの反映だ。私も以前、二輪車乗りの高校生のいる高校の近くの街で、荒んだ目をした自転車乗りたちに突然絡まれ無視していたら追いかけられたことがある。以来、そのような高校周辺は、夜のコンビニの前などでたむろしている自転車乗りたちのそばへは、決して不用意には近づかない。

2017-11-30

現代版:北風と太陽

つい先ほどの話。満員電車の中で思いっき音漏れしてる高校生がいた。

周りの全員が鬱陶しそうに眼差しを向けるも、当の本人は呑気にスマホゲームに興じている。

同じ車両の多くの人が

「音量を下げろ」

と思っていたであろうそんな時、

「聞こえないんで音量を上げてもらえますか?」

満面の笑みでおじさんが声を掛けた。

高校生は恥ずかしくなったのか、音楽を止め、スマホポケットしまった。

朝の満員電車の中で、私はひとり『北風と太陽』の話を思い浮かべていた。

賢い人は人をおちょくるのが上手いなと感心させられた。

2017-11-24

彼女いない歴=年齢なのが俺一人だけになった

25歳。ダチ全員彼女持ちになった。

彼女いない歴=年齢なのは俺だけ。

こいつがいれば俺だけ取り残されることはないなと思ってたダチにもついに彼女ができてこないだはそいつら二人と食事にまで行ってきた。


あー、狂いそうだよ。暴れだしそう。

なんだってんだ?

俺は一人で楽しむことにかけてはかなりの自信があった。今もそうだ。

どれだけ周りの連中が恋愛沙汰になってもリア充爆発しろ的な嫉妬だか憎悪だか黒い感情はまったくなかった。一人が辛いなどと思ったことは微塵もなかったはず。今日までは。

あー、俺は俺が憎い。何もせずのうのうと学生生活を過ごしてきた俺が憎い。恋愛の手ほどきがまったく無い環境でどうしようもなく育ってしまった俺と当時の環境が憎い。

恋愛に興味を持たなかった今までの俺が憎い。あの時俺を好きだったろう子のバレンタインチョコを恥ずかしがって受け取らなかった中学一年の俺を吊るして説教してやりたい。

まったく、無駄だとわかっていても後悔の念ってやつは湧いてくるんだな。

今までしてた栓が外れたかのようになんか彼女欲しいって感情となんで俺は彼女作ろうとしなかったんだって怒りが溢れてきやがる。

いつしか俺も羨望の眼差しカップルを眺めるようになっちまった





風俗には行ってみたよ。18歳のときに行ってみてそれから10回くらい。結論としては「愛が知りたい」って思ったね。

ただ思っただけで彼女はまだいいやってなったから現状一人のまま。


愛を知らない愛されたことないってのがこんなに苦しいなんて知らなかった。結婚できないで焦るアラサー女子もこんな感じなのかな。

去勢でもされれば楽になれるのだろうか?

2017-11-20

「褒める、けなす」一種の正体

「すごい人は批判されて、劣っている人はなぜか褒められる。」

意外にもこの状況は度々目撃するし、自分経験することがある。

そう、なぜか凡人や才能がない人たちは、ある種の人達から無駄に褒められて終わる。

これは劣っている人を褒めることで、無意識に「こんなダメな奴を褒める俺・私ってすごい!」という心理が働いているらしい。

だが彼らは、逆に「すごい人達」にはかなりの批判を浴びせることが多かったりする。

要するに嫉妬心を抱いているのだ。

こうなりたいけど、自分はなれない。

から無理やり批判することで、彼らには価値がないのだと思いこませている。

あくまでも一例で、素直にすごい人を褒め、才能がない人には言葉を濁したりするような方もいると思う。

ひねくれた彼らの、褒めている時の死んだような目と、批判する時の内にある羨望の眼差しはあまりにも矛盾していて、恐怖を覚える。

2017-11-12

無職

会社を辞めた。

配偶者も、子も無し。税金を納めるために、せっせと働くロボットのような人生疲れた。定年まで健康に生きれる保証なんてない。仕事を辞めたら死ぬまでにやりたいことの半分を順番にやっていく予定だった。

実際仕事を辞めて2年経った。辞めてから廃人のような生活だ。死ぬまでにやりたいことのリストは、輝きも魅力も失った。それをこなしても、幸せ気持ちになる気がしなかった。自分では気が付かなかったけれど、きっと心が限界だったんだ。燃え尽きるといはこういうことなのかなと思った。自殺すれば、「死ぬくらいなら、仕事に行かなくてもよかったのに。」という。でも、仕事を2年も休めば、そろそろ働かないのかというプレッシャーはかかる。哀れみ、心配眼差しに耐えれられるくらいなら、死んだりはしない。

自分の稼いだお金生活しているのに、働いていないことの罪悪感がなかなか消えない。40年間刷り込まれた、"働かないことが悪"という考え方に、未だ洗脳されているんだろう。氷河期世代は、まじめというか、頑張るというか、耐える人が多い気がする。受験戦争体罰が当たり前の時代メンタルボロボロ正社員になれる人が少なく収入が安定せず、一人前にならないと結婚できないみたいな古い考えもまだあって、独身のまま。まじめに働いていれば、幸せになれると信じていた。違った。

さぁこれから楽しい人生なんてあるんだろうか。絶望したり、あきらめて開きなったり、ときにこんな私も幸せになれたりしてと、はかない妄想を抱いたり。何をするにも、おじさんとかババアバカにされ、自信を無くす。

平日の商店街、よぼよぼと歩く高齢のご婦人を見て、うっすらと、まだ何かやれる気がしてしまった。そう思った自分が嫌だった。20歳の人におじさんとかババアバカにされて辛いのに、自分も心の中では同じように思っている。生物学上、(生殖機能が衰える)年を重ねた生物が嫌われることは仕方のないこと。

苦しい。いつものことだけど、自分のことは置いておいて、人の幸せを祈ろう。祈りなんて、何の意味効果もないこと、今までの人生でよくわかったけれど、それでも祈ろう。自分人生から現実逃避しかないんだが。

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追記

かいコメントありがとうございました。

苦しさを吐き出すだけのつもりでしたし、コメントは傷つくようなものしか来ないだろうと思っていたので、驚きました。正直うれしかったし、元気をもらいました。自分は人を励ましたいときも、下手な言葉しかかばないのに、皆さん、一言一言が温かくて、すごいなぁと思いました。本当にありがとう

anond:20171112174842

「これだけは絶対に外せない」ポイントと言われて気付いた。

それは「スペック」だった。

自分の中で最も忘れられない人は、小顔で、スレンダーで、落ち着きがあった上に、自分と同じ「全国的には無名だけど地元では断トツトップ進学校国立大卒」という「スペック」をもっていた。

批判は多々あるだろうが、自分にとって「釣り合っている」ということであり、これが重要な要素なのだと改めて認識した。

否、厳密には学歴等が重要なんじゃない。

大切なのは「人をアッといわせる」または「多くの人が羨望の眼差しを向ける」ということだ。

 ・「増田からこそこういう女性といっしょになれたんだな」

 ・「こういう女を捕まえれた増田流石だ羨ましい」

ということなである

最もシンプル効果がありそうなのは、「若い」「かわいい」「希少な職業」(例:モデルアナウンサー、有名企業勤務など)などであろうが、さすがに非現実的だし、これらに限定はしない。

「人をアッといわせる」または「多くの人が羨望の眼差しを向ける」要素であれば別に何でもいい。

繰り返すが、批判は多々あることだろう。

しかし「これだけは絶対に外せない」ものは何かと問われると、これしかないのだ。

(余談だがそのような女性釣り合えるよう、私は日々仕事にまい進し、知的好奇心を絶やさず、肉体も鍛えている)

2017-11-11

明日結婚式がある。

といっても自分結婚式ではない。中学時代の友人の結婚式に呼ばれている。

この数年で友人たちが次々と結婚していく。もうじき三十路を迎えようという年齢だが、田舎という地域性のためか結婚は皆早い。

特にマイルドヤンキー”と言われるような人間たちではなく、ごくごく普通社会人でも30前には身を固めている。

自分の周りだけかもしれないが、中学時代の友人達地元に残っている人たちは、ここ1,2年であらかた結婚した。

特段これと言って恨めしいとか、妬むとかそんな思いはまったくない。

財布へのダメージは頭が痛いが、素直に祝福できる間柄だ。参列するつもりでしっかり準備も整えている。

新郎公務員田舎では羨望の眼差しを贈られる、エリート代名詞だ。

で、そのお相手新婦側も公務員と、なんとまあお固い雰囲気になるのかどうなるのか、少し下世話な好奇心も湧いてくる。

ところで新婦側のプロフィール確認してみると、何となくその経歴に覚えがある。

どうも、自分新婦と一度顔を合わせているようだ。

数年前、居酒屋で男女2対2で飯に行ったときのこと。男側は今回の新郎自分女性側は今回の新婦とその友人だったか同僚か。

これがきっかけで新郎新婦出会ったのかと思うとそうではなく、実はその以前からお付き合いをしている関係だったらしい。

となると、あの食事会って何だったのだろうか。

新婦の友人さんが、誰か紹介してほしい、とかいう流れにでもなったのだろうか。

よくよく考えると、この新郎にはとても世話になったもので、何度も合コンやら異性の絡む飲み会などに呼んでもらうなど随分気を使ってもらった。

実際のところ、中学でもクラスは違うし、高校も違う。中学時代も一緒に遊んだ覚えはあんまりなく、共通の友人を介して絡みがあったかどうかくらいの仲だった。

社会人になってから何人かで集まった飲み会たまたま再会して、それから飲みに行ったり遊びに行くようになった。

特に、これと言って彼女がほしいとか誰かを紹介してとは一言も言ったことがないが、自分恋愛遍歴について話すことも無かった。これは当然の話で、今まで彼女いたことが無い以上話せることが欠片も存在しないのだ。

から恋愛ネタを振られたときは「彼女いない=年齢」を全く隠さなかったのだが、かえって彼に気を遣わせていたのかと反省

そしてわざわざ気を遣わせたにも関わらず、恋人ができるなどの成果を出せなかったのが大変申し訳無い。穿った見方だが、この結婚式に呼んだのも無理にでも出会いの機会を作ろうと取り計らわれたのかと思ってしまう。

この新郎だけではない。

年収20代後半男性の平均程度はあり、極端に悪いわけでもなく性格特に問題ないと思われているようで、「彼女いない=年齢」である旨を告げると驚かれ、何度か会う内に「女性を紹介したい」と持ちかけられる。

だが如何せんコミュ障の身には、いきなりLINEIDメールアドレスを渡されただけでは、相手に興味も抱けず、特に話すこともないなぁ・・・と思ってしまうのである。それでも20代前半の頃は「いい加減この歳になって彼女がいないのは気持ち悪いと周りに思われている」と考えて、何とかメールLINEのやり取りをしたりアポを取って飯に行ったり頑張ったが結局「彼女いない=年齢」のままだ。

ここ最近も友人と職場の人からそれぞれ女性を紹介されたが、片方については1通目のやり取りの自己紹介で力尽き、もうひとりの方はとうとう何も連絡を取らなかった。そんな訳で、ここ最近女性を紹介される流れになると、「いきなり連絡先渡されても相手に興味を持てないから連絡しないんですよね」と言ってしまうようにしている。その方が相手に失礼もないし、今後の面倒も減るだろうし。

結婚式に行くために、散髪にも行ってきたが、そこでも「紹介したい女性がいる」と言われ、連絡先を渡されそうになった。「連絡取らないかも」と匂わせても「なんならこっちで日程調整しようか?」と一歩も引かない。個人的仕事趣味で予定が12月半ばまで詰まっている以上、アポ取ってもらっても予定通り動けるかもわからない。

何とか結婚式終わってから考えると答えて解放されたが、次の回避策を検討しなければならない。

心配してもらえるうちが華なのかもしれないし、とても贅沢な悩みかも知れないが、正直恋愛結婚も諦めているし、したいとも思えない。

今でさえ家に帰ったら一言もしゃべらないしメールLINEもやり取りはしない。家に帰ったらコミュニケーションスイッチを完全にオフにしたいのだ。恋人や家庭を持ってしまったらそういう訳にはいかないだろう。

まして、恋人を持ったことが一度もない以上、恋人がいることの良さもわからない。甘い蜜を一度でも吸ってしまったら、無くてはならない物のように認識するかもしれないが、経験がない以上そんな心配もない。

そもそも土俵に上がる気がないのに引っ張り出されそうになるのはなかなかしんどいである

他に同じような悩みを持つ人はいるのだろうか?角を立てずに解決する方法があれば是非ご教示いただきたい。

2017-11-07

高校部活動練習フェンスしか熱視線を送るおじさん

近所の高校グラウンドの、野球部サッカー部練習を、フェンスしからじーーーっと熱心に眺めてるおじさんたち(だいたい一人だが、時々複数)がいる。

平日の昼間にも出現するが、試合もある関係休日のほうが出現率は高いかも。

高校生たちの保護者祖父でもなさそうな部活動観察おじさん、基本ヒマ人なんだろうけど、いったいなぜ部活動練習を眺めてるんだろうか。元高校球児だったりするのかな。

若者たちへ向ける年老い眼差しは、静かに燃えている。

2017-11-05

anond:20171105174901

死因は何より貧しさだろうけど、危険への無知もあるし、昔の人と話してると死んでも仕方ない覚悟で女が畑仕事家事をやってた感じもする

百姓貴族で書かれてた机の脚に赤子くくりつけて放っておいてたのとかも今なら虐待だしいつ事故で死んでもおかしくないよね

しかったし父親育児参加が無かったから仕方なかったみたいな感じの話を聞く

自民森派支持母体の捨て育てのとこも多くの政治家が推薦してるけど戦後からオカルト育児だし昔ながらの育児や家庭賛美は根強いよ

維新のこれとか酷かったよね以下コピペ

家庭教育支援条例案」

【前文より】

・かつて子育ては、社会から温かく厳しい「眼差し」に支えられていた。

・今は、伝統的子育て法が伝承されず、父母が途方に暮れている。

・「ながら授乳」などに、「親心喪失」が表れている。

発達障害のような「気になる子」が増えて学級崩壊が起きた。不登校非行発達障害との関係も指摘されている。

【条文より】

・わが国の伝統的子育て法によって発達障害は予防できる。

乳幼児期の愛情不足が発達障害の要因であるから、その予防策を実施する。

高校以下の子がいる全家庭に保護者用の「道徳副読本」を配付する。

2017-10-28

anond:20171027185157

真の原因はSNSで散々調子乗っていたイキイキママ(産休育休時短正社員女性)だろう

仕事は同僚がサポートしてくれる

・家庭(経済力等)は夫がサポートしてくれる

子育て保育園やジジババがサポートしてくれる

女の幸せ職業人としてのプライドのどちらも手に入れ、どのタスク中途半端になっても許されて、しかも安定した収入が必ず得られるという羨望の眼差しを向けられるポジション

まさにイキイキママ人間カースト最上位にいる女王様

それでいて「仕事子育て頑張ってる私偉い、もっと認めて」的な発言垂れ流せばそりゃヘイト集めるわ

からこそ、もう少し謙虚姿勢になって愚痴批判を受け入れるか

「頑張ってる私」マウンティングをやめて周囲に感謝するなりすれば

もっと印象は良くなるんじゃないか

もちろん、子供の手がある程度離れて周囲と同じくらいバリバリ残業するキャリア女性に復帰したら存分に頑張ってるアピールしたらいいと思う

2017-10-22

https://anond.hatelabo.jp/20171022220700

頭が良いことによって羨望の眼差しを浴びることはあったかな。

スポーツができる人が浴びるそれと同じ。

モテとは少し違うかもだけど、まったく無関係ともいえない…と思う。

anond:20171022083613

書いた者です

私も現代の諸問題が複雑になっていて、且つ右左のような立場では割り切れなくなっていると思い、このようなことを書きました。

いっきり整理して、経験主義に基づくか基づかないか、それのみを分類に採用しようと思います

なせならば、教会権威知を否定し、知識を疑いながら信じ、その手法を自ら所有するという科学思考と営みは、経験主義に基づくものであり

敵味方ではなく、個物と普遍眼差しを向けるのは、このような思考からです。理屈っぽく言うと。なお、私は聖書所有主義のようなプロテスタント宗教こちらに含めます

庶民への啓蒙机上の空論、などと言わず科学思考、というか敵味方で善悪判断してしまう傾向論と、個物つまり個人をちゃんと区別すること、などといった根本的なことを疎かにしてはいけないのではないか、と思います

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