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2024-02-17

anond:20240217231120

安西先生だっけ、漫画で、諦めるなければ勝てるとは限らん、だが勝った奴は皆すべからく諦めないでおる、みたいセリフがあったと思う。弱者男性もおなじ気持ちで、今まで女性に受け入れてもらえなかったからって男としての人生を諦めたら本当に負けなんだ、その選択肢は究極の不正解だ、そういう認識漠然とあるんよ。別にかに教えられたわけじゃないが、感覚として確かに、ある。

大人って楽しいよ」を子供に一番伝えられているのはYouTuberかも?

YouTuberのやる〇〇に行ってきました!とか〇〇してみました!とかって、基本的大人としての適切な判断力と財力があるからこそできることじゃん。(当たり前だけど炎上系ではないことが前提ね)

それで、それを思いっきり楽しんでいる姿を子供が見ることで、子供大人への(ある種漠然とした)憧れを抱くことができるんじゃないのかなって、ふと思った。

もちろん社会に出ることの厳しさとか、自立した大人になることの大事さとか、そういうのも必要なんだろうけど、今の世の中って嫌でもそういうことをたくさん教えてくれるじゃん。

でも「大人になったらこういうこともできちゃうんだよ〜」って楽しみながら伝えてくれる人って、けっこう貴重な存在だと思うんだよね。

自分の身近にいる10の子最近YouTuberとかVtuberとか結構見てて、その人たちに憧れて「あの動画でやってたあれをいつかやりたい」ってキラキラした目で言っているのを見てちょっと思った。

自分はこういう大人に対する憧れを抱かせる存在にはなれていないし多分これからもなれないんだろうなぁ、とも思った。

2024-02-15

アスペルガー症候群が辛い

私がアスペで辛い点

①周囲の人間大事にできないところ

理想への執着が凄すぎること

アスペADHDは診断されてます

最近そもそも幸せになれる人間幸せになれない人間がいるよな、などと思う

よくこういう場でさ、「青春はもう取り戻せない」「いくら港区マッチングアプリでどれだけで会おうがあの頃は取り戻せないのだ」みたいなメタ認知(笑)流行るが、理想に囚われて目の前のことを素直に大切にできないその心根のせいで青春時代に青春できなかったんだと思うよ

どうせその頃、「学生勘違い恋愛wwwどうせすぐ別れるくせに」などと思っていただろ

青春時代に青春してたやつは、港区飲み会だってきっと楽しめるし、マッチングアプリ出会った人に「所詮マッチングアプリから自然出会いの恋愛とは違う」とか思わずに、素直に目の前の人と幸せ時間を積み重ねていけるだろ

って思う自分も、多分その一種、というかもっと酷い

上記のような意見を誰かと分かち合ってはしゃげる人たちは、私の人生よりマシな人生を送るんだろうな





それはさておき、そう言う性根って何からまれるんだろうね?多分アスペだと思う

大抵の拗らせた思考の全ては、幼少期や環境問題があると語られるけど、残念ながら掘っても掘っても、私の幼少期や環境問題はなかった

両親は喧嘩もするが仲が良く、伸び伸び育ててくれたし、子供がやりたいことに金を全て出せる経済力があり、思春期の私にもきちんと向き合ってくれた

人間性が終わっている私でも、歩み寄って私のことをよく理解してくれるような友達ができる環境で過ごしてきた

自分の生まれ持ったスペック的にも何かコンプレックスが発生するようなものはないと思う

タイトルが「アスペルガー症候群が辛い」だけど、発達障害を持つ人間たちの中では、限りなく恵まれ立場で生きていると思う

所謂「なんとかなかってきた」タイプ

からこそ絶望的な気持ちになる、私の幸せでない原因が多分、生まれ持った障害であるアスペ収束するから




冒頭、そもそも幸せになれる人間幸せになれない人間がいると言ったが、幸せになれるやつは多分周囲のひとつひとつ大事にしている

様々な自分理想よりも、現状、つまりは、自分の今大事な周りの人間がどう思うか、どう感じるかで行動できる

その積み重ねが、私が送りたかった、あたたか人生なのだ

そんなことわかりきっていて、私はこんなに終わっている(空気の読めない発言ADHD遅刻約束破り、その他諸々)自分のことを受け入れてくれる周囲の人間が大切だし、感謝しているし、愛しているから、私もそうありたいと思うんだけど、

でも実際そうあれるかというと、自分に超余裕がある時しかできないのだ




「そんなのみんなそうだよ」

って、多分発達障害じゃない人は言うと思う。で、それは多分その通りだ。でも、余裕がある時って、発達障害にとってはめちゃめちゃ少ない

毎日、朝起きて、仕事に行って、仕事をして人と会話をして、ご飯を食べて、お風呂に入るだけで、もうすごく疲れている

その上で、多分普通の人は、余裕がない時でも、相手の痛みが自然想像できて、色んなブレーキがかかるんだ

でも私は、それを重々承知していても、落ち着いて考えて、相手立場になってみようと心を決め、頭をその人に切り替え、順を追って、物語を読む時のように状況を追走しないと、その痛みが想像できないんだよ。

(それは、サリーとアン問題を解くのに一拍かかることの延長線上にある)

しかもその痛みも結構ぼんやりしていて、漠然と「こー思っちゃうよな」とかは思うんだけど、たとえば悲しい話を読んだような、心から痛みを想像できているものではなくて。出来の悪い映画を見た時のようで。輪郭はわかるのに、はっきりと掴めないことが、すごくもどかしくて、悲しくて、自分がっかりするし、人間になれない感じがする

どう足掻いても人の痛みが自分のことのように想像できない

人の立場になって考えようとするたびに、考えることしかできなくて、感じることのできない自分が、何か人間ではない化け物のように思う

人生を何回やり直したって、私が私である限り、周囲の人間を、普通の人ほど大切にできないし、だから私が歩みたいような、あたたか人生は送ることができない。

こんなにも恵まれているのに。




いかに私が苦しんでいるかの話を聞いてくれて、「そうなんだね、それでも周りのために頑張ろうって思えているのがすごいよ」と心から言ってくれる友達だっている。

そしてそんな友達が一握りいることが幸せなんだと頭では分かっていても、自分の送りたかった謎の「あたたか人生」という理想に囚われて、苦しい気持ちになって、時にその人たちを羨み、妬んでしまうことが、きっと一番絶望的なんだ。




アスペじゃなくてお前の問題だろ。

とか言われそう

改行が反映されないー

振袖は着ない

振袖は着たくない。

2年前の成人式の時、漠然とそう思った。


大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。


2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。

だけど、成人式振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分ファッション美学に反するだとか、適当理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元友達がいないので式自体は出ていない)


わたし振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。



そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。

最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹貸衣装を覗いてみたりした。

けど、親が寝た後の暗いリビングテーブルに、ぽつんパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレット幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めゴミ箱に突っ込んだ。

表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。



お母さんに感謝

一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう

けど、わたしは忘れない。忘れていない。


幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。


両親が離婚して、変わった苗字学童からかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。


テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫



正直、これを書きながら涙が止まらない。

ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。



振袖を着ない」というのは、親への復讐だ。



「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。

母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから母親に、「普通母親享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから振袖を着たくないと思ってしまうのだ。


メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだからわたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?


言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたし結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたし卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態人間振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。



ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう

丸めゴミ箱に突っ込まれパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。



2024-02-13

救世少女メシアガール

https://anond.hatelabo.jp/20240208173503 の続き

 

メシアガールブルーアーカイブになり損ねたソシャゲである

いやまあ資本力とか運営の人手とかいろんなものが全く雲泥の差なので引き合いに出す方がおかしいのだが、前回から文脈で言うとそうなのだ

まず開始時期が比較的近い。メシアガール2021年9月サービス開始、ブルアカ2021年2月開始。半年ほどの差だがブルアカにしても初年はウマ娘の陰に隠れて殆ど話題に上らなかったので、半年ほどのズレなら近いと言っていいだろう。

そしていわゆる「エロゲっぽい」こと。DMMというかFANZAなので「エロゲっぽい」じゃなくストレートエロゲじゃんって言われるとそうなんだけど、いや待ってくれ。メシアガールの当初の売りは「あのJ・さいろー先生がメインシナリオ担当してる」ことだった。さいろー先生ラノベ絶対女王にゃー様一般層にも認知度あると思うがエロゲシナリオライター方面で語られる人でもある。つまり扱い的には「あの麻枝准が手掛けてる」で宣伝してるヘブンバーンズレッドとかと同じ枠だったし、さいろー先生シナリオ方向性でいえば全然ブルアカジャンル被りというか世間で「ブルアカというとエロゲ」という漠然としたよくわからない雰囲気説明でフワッと思い浮かべる思春期少女のあれやこれやなエロゲシナリオの正当な血統を受け継ぐものといえばさいろー先生だ(異論は…いや認めない)

そして、ゲームの基本デザインが大体ドルフロをパクってること。プリコネフォロワーという解説してるyoutuberがいたがプリコネとの類似は「女の子たちが美味しいごはんをいただく」みたいなコンセプト部分で参照してると見るべきで、ゲーム部分はドルフロの簡易版みたいな作りになっている。ランスっぽいという見方もあると思うがランスはオート戦闘前提ではないし、直接の系譜としてはドルフロと見るべきだろう。

ドルフロのフォロワーで、なおかつジャパニーズエロゲ継承者。ほらみろブルアカじゃないか

 

(まあ、あっという間に肝心のJ・さいろー先生降板してしまうのだが)

 

さてブルアカメシアガール比較したとき自分の印象としてはメシアガールドルフロの系譜だが、ブルアカのようなモヤモヤ特に感じなかった。理由簡単で「ゲーム部分のやろうとしてることが、そのままドルフロ」だったからだ。技術力も資本力も足りなくてドルフロみたいな古いゲーム再現すらできてないが、ドルフロを真似しようとしてることはわかる。ゲームルック方向性がだいたい一致してるのだ。

で、メシアガールという実例を想起し対比すると、ブルアカ独自要素であるSDキャラベースゲーム部分の浮きっぷりが気になってくる。というか、順序的にはたぶんキムヨンハPのとこの得意分野はSDキャラをかわいく動かす方面なんじゃないかなと想像される。で、そのSDキャラを使って何かゲーム作りたいとなったときドルフロを参照することになったという順序じゃないか。その順序だとすると、なんか絶妙にかみ合ってないドルフロを参照するという部分には yostar サイドの思惑が関わってるんじゃないだろうか。

 

そんなふうに妄想を連ねてくと、なんか色々と思い出されてくるものがある。

たぶん、まだこの駄文を読んでる人はそのうちこの話題を出すと思ってただろうが、ドルフロと yostar の間はそこそこ因縁がある。日本上陸からイザコザがあったらしいが、yostar 側が日本で「少女前線」の商標を押さえてしまったために日本少女前線名前を使えず、「ドールズフロントライン」の名称で出さざるをえなくなった。はてブでもちょっと話題になったので覚えてる人もいると思う。が、話はそれだけで終わらず、ドルフロのメインキャラ絵師(それ以外もシナリオやらいろいろ手掛けてたらしいが)が何らかの事情で抜けて、アークナイツを開始することに。型月でいったらFate海外商標を取られて妨害され、その妨害した会社武内崇が引き抜かれたような感じだろうか(まあ、ドルフロ側の社長がかなり個性的というか癖が強いのがゲームゲーム周辺見ても丸わかりで、内部事情の本当のところは判らないとはいえドルフロ側が可哀そうとはなかなか言えないのだろうなと思う…)

 

そんなドルフロとの因縁ある yostar が「実銃と美少女の組み合わせ」というお題で出してきたのがブルアカである

 

そういう目線youtubeに残る初期のブルアカPV見ると、うわあ執拗だなあって気分になる。残ってる最古のPVでは、「ミリタリー」と大きく表示されるとこからキャッチコピーを出し、続けて「FANTASY」、「青春×物語」とコピーが立て続けに出され、その、後から出てきたコピーテキストに追いやられるようにして「ミリタリー」は見えないぐらい小さく、脇に押し込まれるという作りになっている。

いや、そのPVの時点でミリタリー要素ほぼ残ってないじゃん。なんで一番最初ミリタリーってテキストを持ってきたの。銃と美少女から? ガンスリミリなんて言う人おらんやろ。銃と美少女の組み合わせなんて珍しくもない昨今、銃持たせたぐらいでミリとか言い出すのは元からミリな奴ぐらいである。ブルアカファン層でもキャラネタ考察をするやつはいても銃を気にするやつはいない。ブルアカで「銃と美少女系譜」を語り出すやつがいたら、そいつは確実にブルアカをやってない。

何より、今のキャッチコピーは「学園×青春×物語」で、ミリタリーなんて書いてない。おそらく、企画開発当初はミリタリーだったのが後から方向性を変えていった、その結果として「ミリタリー」が消えた。開発途中で方向性修正するのはよくあることだ。

にもかかわらず、消えた後に、「ミリタリーを消す」というコンセプトを強く打ち出すのを何よりも一番最初アピールせずにいられなかった。

あの最古のPVを見ると、そう思われて仕方ないのだ。その後に出されたアニメPVでファンシーに彩色された銃弾インパクトを受けた先生たちも一定数いると思うが、自分みたいなのが見ると、あのパステルな色調の銃や弾丸にも「ミリタリー過去のものに塗りつぶしてやる」みたいな想いが塗りこめられてるように見えて、あのカットに込められたファンシーさと呪いの落差が実に味わい深いと思えてしまう。

 

まだ続きます

2024-02-12

スターウォーズルークの服の変化が暗黒面に近づく精神示唆してるだとか、ダイハードラストロレックスを外して事件の決着をつけると同時にマクレーン夫妻を隔てていたものを捨て去るだとか、そういう映画における象徴的な表現がある。

あるんだけど、そんなもん象徴されるまでもなく観てりゃ分かるやんって思う。

象徴的な演出です。以上。だからといってどうこうというもんではありません。何となくおぉ〜ってなればいいなって思います。みたいな事だったとして、それはそれでまあ映画面白さの一つな気もする。

でも言うほどおぉ〜ってなるか?とも思う。

ダイハードの方は結構洒落てるなって気もするけど、服の色の変化とか言われんと気付くかいなって感じだし、言われてみて気付いた所で……って感じがする。

そういうのを楽しむのって、目を凝らし意識を巡らせて演出意図発見するウォーリーをさがせ的な面白さって感じがする。それもまあ楽しいと言えば楽しいんだろうけどなんか、なんかな……って思う。

その漠然としたイヤさの方向性で極地にあるのが、ネットに転がってるようなジブリ作品に対する露悪的(?)でこじつけめいた「考察」のような気がする。

崩壊rdマジで頭がおかしくなりそう

インストリーで俺が読んでいる部分

・第1部の1/3ぐらいまで

今やってるイベント 

・多分本編後のエピローグ

・多分第1.5部のキャラのサブエピソード

・本編後のエピローグ時間における準レギュの誕生日イベント

解放されているオープンワールド

第一部の1/4ぐらいの所のサブエピソード

・本編の更にあとの物語だと思うけど良く分からん

・上の奴の続編

新たに解放されたサブコンテンツ

・多分第1.5部の本編

予告されているコンテンツ

・第2部

これ全部が同じゲーム内でしっちゃかめっちゃかに同時並行で進んでる。

いやまあ第1部終わってから始めた俺の時期が悪いのかもだけどさあ……もうなんなんこの順番。

さっさとメインストリークリアしない俺が悪いんだけどさあ。

そろそろいいだろと思って進めたイベントで本編終了後のネタバレ食らうとは思わなかったよ!

いやまあそういうものだよなソシャゲって。

ソシャゲでメインストリーを楽しみたいなら本編クリアするまでサブコンテンツはノータッチだよね。

いやいやゆーてAIちゃんが勧めてくるんだけど?

新しいオープンワールド解放されましたって言われて行ったら本編終了後っぽいヤベー状況になってるんだけど?

マジで何?

たとえば俺が、崩壊学園と崩壊rdと原神とスターレイルを同時にやっててネタバレ食らうとかなら分かるぜ?

でもそうじゃないから。

ゲームの中だけで無限ネタバレ食らってるんだけど?

マジで謎が謎を呼ぶけど結末だけを知ってるよ。

関ヶ原の戦いも知らないのに、徳川家康最後に勝つことだけを知りながら、漠然と「あーこれ信長そのうち死ぬな―。やっぱ合戦なのかなー」と思いながら大河ドラマ見ているような状態だよ!

どういう時空のねじれ方?

たとえるなら、キン肉マンII世から入ってキン肉マンの終わりを知っているつもりで読み進めてたのに、途中から絵柄が変わってⅡ世では全く聞かされていなかった敵が登場して完全に混乱してるような状態

これ正しいプレイ順は何?

要素が多すぎて放置してたけどこれノベル漫画もあるんよな?

順番が分からなすぎるー!

2024-02-06

俺の実家は太い

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつ自分人生について書きたくなった。

約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。

医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。

そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。

まず前提として俺の家系は代々医者一族で、父方の祖父地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院理事長をしていた。

その祖父思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。

母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。

当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父漠然尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。

俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。

そんな祖父プレッシャーのせいか物心がついた頃にはもう塾に通っていた。

習い事も多くさせられ、ピアノバイオリン空手水泳テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。

これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。

また、センス問題なのかモチベーション問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。

ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまたこともある。

いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。

朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。

勉強ストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。

ネットテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。

そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校入学することはできた。

しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。

小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。

当然の帰結かもしれないが、イジメにあった。

と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマアニメで見るような苛烈ものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。

いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。

クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。

留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。

当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。

しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。

もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。

とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。

それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。

そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。

が、2年前くらいかセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。

もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家幽閉され続けるのだと思う。

もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。

そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。

から今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォン通信量を払い続けいてるんだと思う。

多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。

から現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。

こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。

いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。

思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。

とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。

読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。

2024-02-04

anond:20240204060145

(続き)

そんなわけで俺の股間はじょじょに頭がではじめ、首まで出て完全体になった。皮は余ったままだけど。

今のようにインターネットって調べたらなんでも出てくる時代とは違って情報が全くなく、その頃はセックスという言葉は聞いたことはあってもその行為を知らなかった。たぶん交尾と同じなんだろうと漠然とは思っていたが。

なお、その頃は同世代ぐらいの体が好きだった。大人の、おっぱいがでかくて、おしりが大きくては好みではなかった。それは余りにもパターン化したエロというか、こういうのが健全エロなんですよ。というのが何か苦手だった。

どちらかというと胸は控えめで、スラッとしてて、あそこには何もなく掴み所がないというのが無垢で何色にも染まってない気がして好きだった。

思い返してみたら最初の頃の性欲とは、こんな風に知的好奇心中二病みたいなものが混ざったものだった気がする。

2024-02-02

ギョーカイ残滓に関する注意喚起の発出

ネット言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレルマーケティング広告電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。

亦は例えば脚本家原作者トラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータナイーブを嗤うような文章だ。

実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズム関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。

 

だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであうからギョーカイに就いてざっと解説したい。

 

80年代カルチャー誌が当時の若者を釣る為のコンテンツ総体ギョーカイ

1980年代大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義全共闘世代大学の知の権威攻撃して教授講義尊敬解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑嫌悪さえされるようになっていった。

だが大学権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学レジャーランドとなり、特に文系学生教科書さえ買っていないという風になっていた。

 

更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。

だが国民生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。

プラザ合意でこれが一変する。これは円高誘導日本対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。

そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上お墨付きで推奨されるようになったのだ。国民経済道徳なんて政策で左右されるのである文化は決定因子ではない。

また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。

この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。 

この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコマハラジャジュリアナ東京であろう。マハラジャ運営会社はそれまで「並」のディスコ経営していたが、マハラジャで極端な高級志向ドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド必須)にしたところ大盛況となった。

 

だが大学生が高級志向になったのは自然出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。

 

POPEYEホットドックプレスの例

こういう大学生に影響の大きかった雑誌マガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社ホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイアーリーアダプター志向ホットドックプレスマジョリティ志向という感じだ。

マガジンハウスファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。

一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。

そして流行於いてマジョリティ相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである大学デビューした若者ファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。

 

山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代編集長であった。

教養人だが編集長時代マガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者楽しいライフスタイル提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。

 

これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。

 

ギョーカイホイチョイプロとんねるず

そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。

ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通けが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である

またとんねるずパワハラ芸とTV局の内輪ネタ若者の歓心を得て売れるようになった。

特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラ芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係ギョーカイなので売り物になったのである

 

ギョーカイ情況である

故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコVIPルーム、見せる為の彼/彼女ポストモダン思想という今では時代遅れの事物文脈がある。

一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的価値観は外部化されていて入っていない。

 

身に沁み込んだレイトマジョリティへの強迫観念

先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。

これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動効果は残っていて、広告TV局に関する事が話題になると、今でも「電通本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。

特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場印刷を受注する立場看板屋など様々な立場人間ネットに書き込む。また電通業務のうち広告ではない部門人材派遣イベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。

それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。

これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念駆動され続けているのである

 

彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりしかないので、騙されないようにして貰いたい。

インターネット下さい」やソーカルコテンパンにされたポストモダンの亜種である

 

この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方バーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎鐘の音が胸中に去来するはずである

またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出し笑顔発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ批判を共有するので炎上評価低下を恐れて答えに窮し発言者善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である

TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである

 

いずれにしてもTV広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである

子供ができると覚悟が変わるという話

フリーランスだが子供が生まれ保育園に落ちて、「覚悟」が変わった。

今までは子供が生まれ覚悟が決まるという漠然としたセリフに具体性がなくそんなもんかと思っていたけど、ようやく当事者になってわかった気がする。

住む場所を選べない。正確には選べるけど保育園事情などが最優先。

現実的に考えて東京都心部に住むには妻と子を養える稼ぎがないと無理。

東京で2LDK住んで妻と子を養うとなると額面900万でカツカツレベル

その他の地方大都市でも同様だと思う。

かと言って地方に行こうにもベッドタウンとかだと保育園激戦区。

住む場所を選んでられないので、キャリア優先と贅沢言ってられない。

夢やキャリアを諦めてでもとにかく稼がないといけない。

出産育児キャリアを諦めた妻も家にいるからと言って楽ではない。

よほど穏やかな妻でないとピリピリすると思う。

自分も大変なのはわかるが「俺のほうが大変」なんて言おうものなら金属バットで殴られても文句言えない。

そうやって2人で疲弊しながら生きていくと自然に「覚悟」になるんだろうな

anond:20240202103417

いやどっちかというと泊まりたいんだ

でもそのサイト「日帰りは除いて宿限定地図表示」もできるから漠然と探すには面白い

参考にしてみるよありがとう

つらい。

45歳。専門職

去年の 10 月〜11 月。仕事が詰まっていた。休暇はほぼない状態であった。その仕事を内容はともあれ、一生懸命に行ったけれど、上司(相性が悪く、かなり嫌われていると感じる。この春に定年)からコメントすらなかった。悔しく、心苦しかった。喪失感のような、漠然としたやるせなさに包まれているような感覚を覚えていた。

人づてに、他の部の部長からも「でもアイツはパーソナリティ問題があるんでしょ?」という言葉があったと言われているとの話も聞かされた。

そのときには、モヤモヤとした違和感を感じる程度だったが、その後、だんだん不安や苦しさが強くなった。

「もし、他の部でもそんな印象なら……今の部長が変わったとしても、いくら頑張っても、組織幹部にそう思われてしまっていては、もう無駄なのではないか」「部長が変わることをひとつ希望として身を削ってきたが、それでは協力はこれからも得られない

のではないか」「今だって、平社員のままだ」「資格や働きながら進学などをしてきた、私の 10 数年は無駄だったのではないか」という考えが頭から離れなくなった。ぐるぐると考えが頭をめぐり休日気持ちが休まらない状況が増えてきた。

12中旬から後半になると「ずっと気が休まらない」と感じることが多くなった。休暇中でも「不安や苦悩で頭がいっぱい」だと感じる、些細なことですぐに涙が出る、睡眠が浅く夜に何度も何度も目が覚める、動悸がする、仕事に行こうとすると足が震える、些細なこと不安が高まりやすい、吐き気が出る……などの症状が出現した。これらは、直属の上司にも相談した。

その際には具体的な指示はなかったが、耳を傾けてくれたことはありがたく感じた。

最近は出勤前日、出勤当日の朝は「本当につらい」と感じていることがほとんどだ。「どうしてよいかからない」という気持ちになっていることも多い。休みの日も「今後どうしたらよいのだろう」という考えがグルグルと頭をめぐり続け、気が休まることがない状態だ。

つらい。

頑張れなくなってきた。

頑張ってきたのに。

なんで、こんなに自分には能力がないんだろう。

2024-02-01

anond:20240131200952

増田想像する「批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末」に色々違和感

「4.脚本はそのまま使われて」と勘違いしている人はあまりいないと思うし、

「5.腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。」は

そもそもラスト原作者が用意したプロットを使う」が契約条件に入っていたので、「その理由スケジュール上の都合」ではない。

「6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。」も増田の誤解が混ざっているけど、

原作者の力量不足」は原作者がそう感じているだけで、実際は「漫画制作ドラマ制作スケジュールパンパン時間をかけて執筆できる状況じゃなかった」の方が大きいのでは。

あと「7.原作者は後悔している。」のではなく原作者は「後悔ではなく感謝している。」と増田は書いているけど、

感謝しているのは「キャスト撮影スタッフ、読者、視聴者」に対してであって、「日テレドラマプロデューサー脚本家」に対してではないよ。

増田日テレは「客観的にみれば実際には守られている。」というのかもしれないけど、

実際は「日テレが作った脚本約束通りじゃないことが多すぎて、原作者尊厳が損なわれた上でブラック労働を無理強いされた挙句脚本家のモラハラ投稿メンタル崩壊した」

という事態になったわけで、この契約自体が「悪魔契約」だったんだと思う。

約束通りの脚本を提出できない日テレが悪いのに、なんで原作者日テレ放送スケジュールに間に合わせられるよう頑張らなければならなかったのか?

「結果をみれば原作者は最大限尊重されていた」というのは何を見て言っているんだろう?

2024-01-31

日テレ約束を守らなかったのか?

セクシー田中さんの件、SNS議論著名人の発信、スターを稼いでるブコメなどを読んでると、日テレ脚本家批判する人たちも擁護する人たちもどうも事実を正しく認識できていないように思えて仕方ない。

そこで今一度芦原さんのブログに立ち返って冷静に事実確認をしたい。

まず今現在批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末は以下のようなかんじじゃなかろうか。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

では事実はどうだったのか、芦原さんのブログを元に順を追って確認したい。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

→これは事実だ。

ドラマ化のお話いただき、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただきながら、

最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない

作品であることと、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただいた結果として、

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

→これも事実だ。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

→これはわからない。芦原さんのブログには書いていない

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

→これは事実と異なる。芦原さんは上がってきた脚本をできる限りすべて加筆修正し、原作に沿った脚本に仕上げてそれを元に実際のドラマは作られている。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

→ここも一部事実と異なる。脚本化を降ろし、9話、10話の脚本原作者執筆したのは事実だが、その理由スケジュール上の都合だ。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

→これも一部事実と異なる。9、10話を納得できるものに仕上げられなかったのは事実だが、それは8話までの出来とは関係なく単に原作者の力量不足ゆえだ。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

→ここは判断が難しい。原作者最初に出した条件が守られていなかったと思っているが客観的にみると条件は守られている。それについては後述する。

そして全体の評価で言えば後悔ではなく感謝している。

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、

ドラマ制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画ドラマを愛してくださった

読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

論点日テレ約束を守らなかったのか?

7の項で書いたように原作者認識では守られていないように感じていたようだ。だが客観的にみれば実際には守られている。

まずおさらいだが、原作者が出した条件は以下の2点だ。

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

要約すると、

1.漫画に忠実にドラマ化すること、そうでなければ加筆修正する。

2.終盤部はこちらで用意したあらすじからセリフまでをそのまま脚本にすること、できなければこちらが執筆する可能性もある。

そして問題はこの条件が守られたか否か?

ブログには以下の事実が書かれている。

原作者は7話までの脚本を加筆修正してほぼ原作通りに仕上げた。

・8話も改変前の内容に修正できた。

・9、10話は脚本家を降ろし、原作者が自ら仕上げた。

これは当初提示した条件通りではないだろうか?

原作者視点では「思っていたように仕事がすすまなかった」のは事実だろう。

しかしそれはあくまプロセスでの問題であって、結果をみれば原作者は最大限尊重されていた。

まり日テレ約束を守った。

しろ途中で降板させられた脚本家のほうが日テレから軽くみられていたといえるんじゃないか

 

というわけで、今回の件で明らかになっている事実は以上の通りだ。

どんな意見を述べるにせよまずは事実を正確に把握してから発信して欲しい。

2024-01-30

anond:20240130123637

診断されない程度の強迫性障害ですね。強迫的傾向があるとも言われるかもしれない。

きっかけは生来的なものか、普段生活ストレス生理的な波。

医療的にはセロトニンが不足していて安心感が得られないため、セロトニン再取り込み阻害薬をつかって脳内セロトニンを増やし、思考の癖を無くしていく治療が行われます

友達などに「悩み」自体相談しないのは正解で、強迫行為を手伝わせると悪化することがある。


自分は重度だったか気持ちがわかるけど、漠然とした不安があって、その不安整合性をとるために「悩み」をそこに次々と代入してる感じだよね。

大方その背景に不安を生み出す「本当の原因」があるからそれを取り除けば軽くなるけれど、それをすぐ行うのが難しい場合精神科受診して早めに治療して、思考の癖を取り除いた方が良い。

目安はその強迫行為で一日の1時間以上を費やしているかどうか。


とりあえず朝日を浴びて散歩とかするルーティンをとりこんで、バナナとか食べると良いかも。

身体を動かす運動習慣を取り入れて、欝傾向から抜け出すといいかもね。

anond:20240130033015

行動していてマジでえらい。本当にえらい。

いろんなことが具体的に書かれているのだけど、「メッセージが下手」が少し漠然としていて気になる。

通話では楽しく会話できることもあるみたいだし。増田メッセージでやりとりをしてみたい。

メッセージ練習で、会うことを目的としていない、メッセージのやりとりができるSNSなどを利用して、「マチアプでメッセージがうまくできないけど、どこを改善したらいい?」という前提で話してみてもらってもいいかもしれない。

なんにせよ十分に行動していてマジでえらい。本当にえらい。

2024-01-29

マッチングアプリをしていいのか分からない

マッチングアプリってみんなどういう心持ちでやってるのか知りたい。

自分20代女、地方都市事務員をしている。仲のいい友人グループの中で自分だけ恋人がいない(なんならまともに好きな人ができたこともないのだが)ため、誰か紹介しようかとか、アプリをした方がいいとかいつも勧められる。

周りがどんどん結婚していく中で漠然とした不安はあるけど、アプリ自分マッチングしたとして、選ぶ権利があるのは相手だ。全く上手くいくビジョンが見えない。

見た目は死ぬほど不細工ということはないけど、可愛くもない、下の中だと思う。性格も良くないし家事も好きではない。土日は自分より若いアイドルを見に一人で遠出するか、引きこもってゲームをしている。自分だったらこんな女絶対に付き合いたくない。

マッチングして一回会ってみたとして、その後選ばれないのは考えるだけで辛いし、自分時間を使わせるのも申し訳ない。マッチングアプリしてる人って、こういうことは考えてないんだろうか。眩しい。

友達に言ったら絶対に困らせてしまうから言えないけど、誰か客観的に見て自分恋愛をしてもいいレベル人間なのか、教えて欲しい。もし自分好きな人ができて告白しても、それは気持ち悪くないか不快にさせないか、とか。

このまま一人で好きでもない仕事をしながら老いていくのかと思うと不安で仕方ないけど、誰かと一緒に過ごすなんてこともできる気がしなくて悲しい。

社内ニート仕事擬きを創出する10テク

社内のほぼ全員が社内ニートである会社で働いたことがあるだろうか。

俺の会社はそういう会社である

強制的にクビになるまで意地でもしがみつくそ根性、そして増やすだけ無駄仕事勝手に増やす愚かさ。

だが安心して欲しい。なんとか利益も増加させている。

利益を追求するチームと、社内ニートとして仕事っぽいことをしているその他のチームがいるのである

まあ滅ぶ寸前だったら転職すればよい。

しかである社内ニートの連中は暇な時間をなんとか仕事に変換したいらしい。

そこでここでは連中が駆使している暇つぶし創出のちょっとしたテクニック集を開陳する。

 

1. 議論

だれかが議論をするといい始めた時は、大抵暇な時だ。

社内SNSテキストベース議論し始めたり、誰か特定人間を集めて会議室議論したりする。

だがこれらの議論はあまり生産的ではなく、生産的であろうとするが、無能なので何も生み出さない。

ずれたことを言うことに慣れきっているので、こんな議論さえある:

「俺たちの目的社会貢献だ。社会に貢献するためには社会不安定要因を見つける必要がある。ハッタショが社会不安定化させているのではないか。もしそうだとすると、ハッタショを更生するには周囲のサポートがいるのではないか。もしそうだとすると、サポート要員を確保するために人件費を与える必要がある。もしそうだとすると、利益になるビジネスモデルがない限りそのような人件費は払われない。もしそうだとすると、利益に頼らない方法を見つける必要がある。」

こいつがハッタショについて議論し始めたのは、普段からハッタショにムカついていてスカッとしたい以外の理由はなく、ハッタショを更生するビジネスなどやる気は微塵もない。

「もしそうだとすると」が多すぎて、前提が崩れるとすべての議論無駄になるのである

まあ、こうやって仕事をするふりをするアホが一定数。

 

2. 調査

調査というのは議論の次に多い言葉だ。まともな調査をする人もいるが、大抵の場合は信頼できないソースを引っ張り出し、自説を補強する以外のことはしない。

そもそもググって情報を見つけることを「調査」と仰々しくいうほどのことではないだろう。だが、そういって仰々しくいうと、本格的な情報を調べるように見せかけることができる。

信頼できる調査とそうでない調査の違いは、その努力方向性である

一時情報源を見るために論文翻訳する人たちや、バグの原因究明のためにデバッグしている人たちはかなり努力しているが、ツイート引用するだけの連中は脳が足りない。

 

3. 発信

社会貢献世間に影響を与えられてこそであるといい、匿名アカウントを使って炎上工作活動を行う。

これを最も好んで「暇つぶし」にしている人もいる。会社目的合致していればまだしも、ただのインプレ稼ぎに成り下がっていることが多い。

 

4. 画像生成などのツールで遊ぶ

これも調査に近いが、より子供じみたものになっている。

例えば画像生成AIでどんな絵が生成できるか検証してみました、みたいな連中だ。

まだ未検証のうちはそれでいいかもしれないが、何度も生成してどういうものか分かった段階でまだ続けようとしても生産的ではないだろう。

そもそも画像生成のAIをどうやって利益に変換するつもりなのか。そういう根本的な発想が抜けている。

 

5. 不要おもちゃの開発

社員のほぼ全員が社内ニートというのだからそもそも会社としての仕事がなんであったのか誰もわからない状態になることがある。

そういう時に、誰かが暇潰しのための議論で「こういうツールがあったらなぁ」などといい始める。

それでエンジニアが実際にそういうツールを作ると、「なんかちょっと違うんだよなぁ、僕が研究してきた哲学もっと含ませて欲しいんだよね」と理解不能なことを言う。

からツールも作ったきりで発展しない。利益に繋げようという意欲がない。

 

6. インフラ監視

インフラ監視」といって、無理やり仕事を作り出そうとする人もいるが、インフラインシデントが常日頃から膨大に発生するようなことはない。

監視のための仕組みをもっと徹底して導入するだの、k8sを使うだのいって無理やり仕事を増やそうとするが、コストしかならない。

 

7. 暇だからイベントでもやろうぜ

イベントを開いて人を集めれば、確かに社の知名度を高めたり、イベントから収益を得たりは可能だろう。

ただ利益の決定打には及ばない。場合によってはコストの方が高くつく。

被災地プレゼントを、などと言うが、被災地が今欲しいのは水と食料であるという基本的な部分の認識すら欠如し、頓珍漢なものプレゼントしようとする。

 

8. PoC

会社にまともな仕事存在するのか?と疑心暗鬼になっているエンジニアがPoCをし始める。

これはこれで、後々役に立つことはある。実運用適用可能技術も多い。

しかし、一部のエンジニア漠然と「すごいこと」をやろうとしており、それが厳密に言語化されないので、PoCの方向性があちらこちらに行く。

 

9. 自動化ツールの開発

これはどちらかというとプラステクニックだ。

利益に貢献するようなサービス運用しているとして、その運用時にマニュアル作業が発生していることがある。

これらを自動化するツールを作る提案をすれば、暇つぶしもできるし、生産性向上によって時間的余裕を創出できる。

まあ、時間的余裕を創出するからこそ社内ニートがより深刻化するのだが。

 

10. 勉強

最新技術勉強をするといって、技術書を読む。場合によっては、勉強会を開く。

例えばマイクロサービスアーキテクチャを正しく運用するには、とかそういったことだ。

本来シンプル運用すれば勉強時間に何日も割く必要はないが、まあ社内ニート暇つぶしが欲しいと喚いているのである

大根正宗で切るような話ばかりをするので、勉強が終わらない。

大丈夫じゃなくなりたい

やっと死ぬことにした。

そもそも18まで生きてられると思ってなかったし、25まで生きてるつもりもなかったのに、気がついたらもう27。

30まではさすがにと漠然と思って過ごしていたけど、ここ数年はまあ別に大人生活も悪すぎることないし、このまま一旦30まで向かってみるかあと思ってた。

ただずっとぼんやりと辛くて悲しくて寂しいのが毎日

それでも今すぐ死ぬぞ!という勇気エネルギーもないままに生活が続いて、生活できてるってことはまだ大丈夫ってことで、まだ大丈夫ってことは…で、生きてられてしまった。

でも常に死にたい気持ちがあって、早く大丈夫じゃなくなりたかった。

1番ずっと考えてきたこと、早く大丈夫じゃなくなりたい。

大丈夫じゃなくなって、死ななくてもいい理由とかが見えなくなりたいと思って。

最近、色々な事がもううまくいかないとわかったり、生活がままならないくらい金が無かったり、好きなはずのものに心動かされるのが煩わしくなってしまったり、一緒に生きていきたいはずこ友人たちとももうどうしたって見えてる世界が違うんだとわかってしまったり、本当に欲しいもの絶対に手に入らない苦しみが歳を重ねるごとに膨れ上がってしていたり、気が付いたら本当に何にも無い、空っぽになってしまった。

だったら別に30なんて数字にこだわる必要もないし、早い方がいいなと気が付いたので、死のうと思う。

友達比較的多い方だと思う。

たぶん僕が死んだらどの友達も悲しんでくれると思う。わからん。怒るかも。

本当は大好きな人たちともうしばらく生きていきたかったけど、そうもいかないみたい。

大好きな友人たちを「友達自死した人」にしてしまう事がすごく気がかりではある。

きっと想像まできないくらい辛いだろうから

死のうと決めた後、友人たちと旅行の予定があったので、そこで楽しく過ごして思い出作っておこうと思って、死ぬ日は旅行後に設定した。

旅行中、感極まっちゃったりするかなと思ったけど、全然そんなことなく、皆といつも通りすぎるいつも通りを過して楽しかった。

死ぬ前にやりたい事とか、会いたい人とか食べたい物とか、そういうのはじめたらきりが無くて何年あっても死ねそうにないので一切考えないようにしてる。

あと本当に金が無いのでしたくてもできない何も

死のうと決めてからリスカも全くしてない。やっぱ自傷行為って生きるための行為なんだな。

↑ここまでの文を投稿したのが10月くらい。

ここから3か月。生き伸ばしてしまった。

この時にちゃんと死んでおけばよかったと毎日毎日本当に心から後悔しているくらいには、この時よりもずっと状況は悪くなってしまった。

どの道を選んでももうどこにも行けない。

引き返すこともできないから、いなくなるしかない。

誰も何も悪くなくて、ただ、ここに至るまでに自分が選んできたたくさんのことが、たくさん間違っていたんだと思う。

もうどこにも居場所もなくて、何もかもぼくを必要とはしておらず、ぼくにとって必要ものももう何もなくなってしまった。

悲しんでくれる友達も減っちゃっただろうな。

人が好きで、たくさんの人と楽しく過ごせることだけがぼくの人生の誇りだったはずだった。

それができないぼくは意味がないよなあ。

このままの生活を続けていたら、ぼくは大切で大好きな人たちの幸せも願えなくなってしまう。

そうなる前にいなくならないと。

今1番怖いのは、死ななくても良くなってしまうこと。

そうなる前にちゃん自分で決めないといけない。

あと数日、普通に仕事して普通にご飯作って普通に暮らそう。

ちょっとだけ自分のための時間が作れたらいいな。

本当は最後に会いたい人もしたいことも見たいものも行きたいところもたくさんたくさんあるんだけど、きりがないよな、そんなの。

迷惑をかけてしまうであろう人たち、ごめんなさい。

これで死に損なったらダサいなあ。

自死自体そもそも救いようもなくダサい

ぼくの大好きな人達がこれから毎日楽しく幸せでいられますように。

から願ってる。

ぼくの大好きな人たち、皆、誰よりも、世界で一番幸せでいて。

こんなん言ってるけど実際立ち上がったら足が竦むだろうなあ

anond:20240129121516

しか20代前半の頃まではあった。

男性のほうが筋肉もつやすいし、消費カロリーも多いから太りにくいし良いなぁっていう漠然とした憧れ。

2024-01-28

両親が死んだら自分の代で墓じまいする

年末祖母が亡くなったのだが、先週末、遠方に住む妹を含めて兄妹三人で集まって遺品整理をしていて、流れで、この先両親が亡くなった際に墓をどうするかという話になった。

自分はかねてから自分の代になったら墓を閉じる意向でいたのだけど、妹二人が同意してくれるか分からないな…と恐る恐る聞いてみたら、あっさりと同意してくれた。三人とも子持ちなのだけど、この負債を下の代に残すのはあり得ない、という感覚を共有していた。

そんなわけで、その後はどうやって墓じまいするかちょっと調べていたのだけど、墓の撤去や寺とのやり取りをやってくれる代行業者があり、両親を火葬したあとの骨についても、火葬場によってはそのまま引き取ってもらえるそう。

長年に渡り漠然とした懸念を持っていたけれども、いざその時が来ても案外シンプル解決しそうと分かったのはとても良かった。

2024-01-27

anond:20240126162507

個人的統計に過ぎないが、思考ってホルモンの影響を直接受けるし、子供がそこまで欲しくないのは割りと女性ホルモンが弱い状況に起こりがち。

要はレスだったり、セックスで十分な女性ホルモンが分泌されていないと、その手の話や考えは珍しくない。

子供がほしいっていうのは欲求だけど、欲求の源泉はホルモンに過ぎない。

なんとなくほしい気はするけど決定打にかける状態にこそ、そういう意味不明グダグダは出てくる。


妊娠出産は男にとってもそれなりに大きなイベントだけど、

からしたら命がけの大イベントになることは間違いなく。

今は妊娠出産でなくなる人はだいぶ減ったけど、

それでも死にかけてる人はとても多い。

出血量がリットル超えただの、旦那さんに母子どちらかは覚悟してくださいなんて話をされてから24時間待っただの、

まー安産だったなんて話を聞くほうが珍しい。


ただでもそういう事じゃないと思うんだけどね。

女性子供ができたら、自分自分人生主人公じゃなくなるのだよ。

大なり小なり漠然とみんなそう思っている。

自分人生を降りるものだと。

20代後半にもなり、やっとでき始めた自分人生の原型が、

そこで終わるんだよ。

から出産ポジティブになれない女性が多いのではないかと考えている。

あくま個人的統計に基づく仮説です)


じゃあ我々男はどうするべきなのかということに関しては、

デートして楽しませて、愛を込めてセックスするっていう、

付き合い始めのころには当たり前だったそれらが結局一番大事なんだと思う。

他のだれでもない、自分相手人生なんだということをですね。

お互いが思うことができれば、色々変わってくるんでねーかな。

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