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はてなキーワード: 暗黙の了解とは

2022-10-09

ひとりぼっちになってしまった

ゲイ、62歳、ひとり、田舎暮らし

同居の両親は死んでしまった。介護頑張ったよ。後悔したくなかったから頑張れた。

愛情深い人だったからもらった愛情の半分でもいいから返そうと思った。。でも、もらった愛情の1/10も返せなかった。でも、後悔してないよ。だって頑張ったもん。

子供のころは、ひとりになってしまうなんて考えもしなかった。普通に結婚して、温かい家庭を築くことくらい簡単にできるはずだった。

親の背中を見て育ったから。

両親とも早く親を亡くしていて、昔は仲人さんがそういう人はそれなりの人同士を結び付けて結婚してたんだよね。

幸せの薄い親だったけど、暗黙の了解で頑張って貧乏から脱出して幸せになろうねって誓って、毎日頑張ってた。

でも、長女を亡くし、長男、三女も亡くしてしまって、末っ子二男として僕が生まれた。

なんて血縁に運のない人なんだろうと思うよ。親を早く亡くして、その上子供を三人も亡くしてしまうんだもんね。

僕が生まれときは、それはそれはみんな喜んで大変なお祭り騒ぎでね。

やっと念願の後継ぎが生まれた!神様仏様ありがとうございます。苦労の甲斐あってやっと人並みになれそうです、と。

それはそれは、大事大事に育てられ、惜しみなく愛情を注がれました。

でも、蓋を開けてみたらまさかゲイだったってわけ。

は?ゲイ

それを知ったときの僕の気持ち分りますか?

もう、死んでしましかないみたいな絶望的なこの張り裂けそうな胸の痛みを分かってもらえますか?

親の平凡な願いさえも打ち砕かれてしまうこのありえない現実

いくらありえないありえないと狼狽え騒いでみても、どうすることもできないリアル過ぎるゲンジツ。

でも、僕のせいではない!もちろん、親のせいでもない!誰もせいでもない!

でも、僕はゲイで、このくそ田舎ゲイ理解のない世間空気にまみれながら血を流しながら生きていくしかないのよ。

彼氏とは13年前に別れた。それ以来ずっとひとり。

毎日遊んでいた親友県内1番目のエイズ患者となりもうこの世にはいない。

もうひとりの親友は、生徒に手を出して首になり、遠方で再就職するも、2年前に病死

そして唯一の血縁である姉に「あなた自分で選んでそうなったのよね」と言われ、もう縁を切ってもいいと思っているくらい怒っている。

この人は何も分かっていない。分かろうとしていない。一番の理解者になりうるたったひとりの人なのに。

もうなにもかも自分の手から離れて行ってしまって、僕には何も残っていない。こんなの人生で初めての経験

本当にひとりぼっちになってしまった。

自由に飛び回るには歳を取り過ぎてしまった。さりとて、人生悟るには早すぎる。

これから死ぬまでどう生きていこうかな?

2022-10-02

各自的地狱

凌晨4点被恶梦惊醒

我有几个人际关系上的创伤,经常做恶梦。

每一个人生阶段的变化都会带来一批新的朋友,这可能是我和大学里的朋友喝酒的副作用,这对我来说是很罕见的。

回想起来,我一直没能和别人谈起这个问题。

胆小的自尊心和浮夸的羞耻心

我在高中的语文课上读到的《山月记》让我很震惊,我以为它是关于我的。

在我的同学们在课桌下玩Pazudora的时候,我发现自己身体的一部分已经变成了老虎。

现在我穿着人皮胡闹,但当时我不知道该怎么做。

是什么让我感到压力,我怎样才能减少它?

这不仅仅是为了减少我的压力。

这也是关于与对方的关系。

在你和对方之间找到合适的距离,这样你就不会伤害自己,对方也不会伤害你。

在我超过25岁时,我终于能够做到这一点。

我甚至没有想过,如果我说或做这样的事,对方会怎么看我,或者我希望他们怎么看我。

我认为我比其他人有更强的使命感。

我经常被委以领导重任。

但我只是一个有强烈使命感的领导者。

不是一个了解人们痛苦的领导人。

他只是一个有错误的正义感的领导人,他跑了又跑。

这在高中时已经不起作用了。

我发现刚才还和我聊天说笑的队友们,在最后一次比赛前打算把我开除出俱乐部。

我付出了我的一切,学习时间、放学后的时间、假期,一切。

我和同学们的关系不是很好,我不能再去上学了。

即使在我设法进入的大学,我也失败了。

我重复了我在高中时的做法。

此外,我还成了一个婊子。

这是最糟糕的。

就在那时,我发现我母亲是你们所说的边缘人。

从我还是个小女孩的时候起,我就被她的力度所征服

她是一只小老虎。

我阅读书籍,了解到什么是我的压力,以及如何减少我的压力。

我不理解工作地点的潜规则

指导最终变成了权力骚扰。

但我在工作努力工作

我没有意识到我的声音有多大,但更多的人鼓励和支持我。

从那时起,我交了几个朋友,但只是几个。

当我学会使用我的真实感受和我的正面态度后,我辞去了工作,改头换面,搬到了城里一家更大的公司

有一个术语叫做 "社交网络疲劳",当我看到我的同学朋友们经常与他们的固定成员组织的晚餐聚会的照片时,我很痛苦。

现在我有一个老板,一个女朋友朋友

但是我对我的学生时代没有闪光的记忆。

我所拥有的只是一个来自我不想回忆的过去的溃烂疤痕。

我不想和我的学校朋友聚在一起。

如果可以的话,我想重新开始我的学生时代,学会如何穿戴整齐和与他人友好相处。

当我再次和朋友们见面时,我渴望有一群人,我可以和他们谈论琐碎的事情和我喜欢的东西,并在我怀念的美好回忆的基础上敞开心扉,而不是以报告最近事件的名义进行探索性的讨论。

他们说人有自己的地狱,但由于每个人都在不知不觉中生活在其中,我想知道增田的每个人的情况如何。

https://anond.hatelabo.jp/20221002085559

■それぞれの地獄

悪夢で起きた午前4時

対人関係トラウマがいくつもあり、よく嫌な夢を見る

ライフステージが変わるごとに、友達一新される私が、珍しく大学時代の友人と酒を飲んだ副作用だろう

思えば、これまで誰にも話せたことがなかった

臆病な自尊心尊大羞恥心

高校生とき国語の授業で読んだ山月記で衝撃を受けた、私のことだと思った

クラスメイトが机の下でパズドラをやっている横で、体の一部が虎になっている自分に気づいた

今は人の皮を被って誤魔化しているけれど、そのときはどうしていいかからなかった

自分は何をストレスに感じて、どうすればストレスを減らせるのか

ただ自分ストレスが減ればいいってもんでもない

相手との関係もある

自分も傷つかず、相手も傷つけない、それぞれの距離感を探す

それがようやくできるようになったのが25歳を過ぎた頃だった

こんな言動を取ったら、相手にどう思われるのか、どう思われたいのか、そんな思考回路さえなかった

使命感は人一倍強かったように思う

リーダーを任されることも多かった

ただ、使命感が強いだけのリーダー

人の痛みが分かるリーダーではない

誤った正義感を振り翳して、突っ走って、

高校ではもう通用しなかった

さっきまで談笑していたチームメイトが、最後大会を目前に、私を部活から追放させる計画を練っていることを知った

勉強時間も、放課後も、休日も、全てを捧げていた

クラスメイトとも大した関係を築けていなかった私は学校に行けなくなった

なんとか入れた大学でも私は失敗した

高校時代と同じことを繰り返した

おまけにビッチになった

最悪だ

そしてその頃、母が所謂ボーダーだということを知った

幼い頃から、母の激しさに振り回されていた

虎の子は虎だった

本を読んで、自分は何をストレスに感じて、どうすればストレスを減らせるのかは学んだ

就職した先では、暗黙の了解が分からなかった

指導はやがてパワハラになった

ただ、仕事には一生懸命取り組んでいた

声の大きさで気づかなかったが、それ以上に励まして応援してくれる人の方が多かった

その頃からかばかりだが、友達もできるようになった

本音と建前も上手く使い分けられるようになった頃、仕事を辞めて、顔を変え、都会の大きな会社転職をした

SNS疲れという言葉があるが、私は学生時代友達が、お決まりメンバーで定期的に開催している食事会の写真を見ると心が痛む

今は上司にも、恋人にも恵まれ友達もいる

ただ私には学生時代キラキラとした思い出はない

あるのは思い出したくもない過去自分を閉じ込めたまま、膿んでしまった傷跡

学生時代友達と集まりたい訳ではない

できることなら、身だしなみの整え方も覚え、人との距離も上手く取れるようになった状態学生時代をやり直したい

再会したとき、近況報告という名の探り合いではなく、懐かしめる愛おしい思い出を下地に、くだらないことや好きなものの話で盛り上がったり、悩みを打ち解けられる仲間に憧れる

人には人の地獄があると言うけれど、みんな素知らぬ顔して生きてるから増田のみんなはどうなのかなと思って

2022-09-23

ラク談合

スプラトゥーン界隈でラク談合なるもの炎上している。

ラク談合の背景

スプラトゥーン3では、ナワバリバトルでの塗りポイントの点数がそのままゲーム通貨になる。

通常プレイで1ゲーム当たり1000前後であるが、ラク談合をすると3000~5000ポイント入手できる。

プラ3では前作に比べ金欠になりやすいため、効率よくお金を手に入れたいユーザーが多い。

ラク談合とは

今作で新しく追加された武器「LACT-450」が最上級に塗れる武器である。このため塗ポイントを稼ぐためにラクトが使用される。

スプラトゥーンではただの地面or敵のインクを塗り返すと、塗りポイントが加算される。

ポイント獲得を作業化し効率的に稼ぐ方法として、敵同士で倒しあわずにその場でひたすらお互いのインクを塗り返すことが行われている。

野良でのナワバリバトルでは普通に戦いたい人がほとんどのため、この行為一般的ゲーム放棄とみなされ嫌われる(通報対象でもある)。

ナワバリバトル参加者8人すべてがラク談合したい人で構成されたら談合開始、他の人がいる間は通常プレイというやり方で、

談合側もなるべく他のプレイヤーに迷惑をかけないようにはしてるらしい。

■何が問題とされているか

他のFPS問題とされているアビューズ行為として、ラク談合問題であるとされている。

アビューズ行為

ーーーー引用ーーーー

簡単に書くと、八百長

具体例としては、両チームの談合、もしくは「掲示板情報を得た不特定多数による暗黙の了解」によって一方的または交互にキル/デス数を稼いだり、短時間で終了させる試合意図的に繰り返して経験値ポイントを大量に獲得することなどが挙げられる。

ーーーー引用終わりーーーー

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA

■私の意見

個人的には好きに談合すればいいと思っている。

アビューズ行為についても、今回のラク談合不正度合いかと言われたら弱い。

ナワバリバトル参加者8人が合意している状態であれば、直接的に迷惑をこうむるユーザーはいない。

メンバーを揃えるための追い出しが起こる懸念についても、スプラ3ではフレンド合流が前作よりも明らかにやすいため、いやがらせによる追い出しのようなことは発生しずらい。

またお金の獲得でゲームプレイに優位に立てるかという点だが、

プラ3のお金の使い道は、ギア(防具の特殊効果)を好みのものに揃える、ロッカーインテリア(見た目のカスタマイズ要素)を揃える、ガチャガチャを引くくらいしかない。

ゲームに影響を及ぼすとすればギア揃えだが、通常プレイをしていても揃えられるもので、そこまで影響は大きくない。

もちろん、お金が多いほど強くなる、強い武器が買えるといった要素はスプラ3にはない。

(あれ別にお金そんなに必要なくね?)

以上から、やりたければ好きにすればいいと思っている。

自治的なものが発生している方が、お前誰やねん!ってなる。

■今後

ナワバリバトルの塗ポイントで得られるお金の上限が作られる修正が入って一段落すると思う(2000ポイントくらい)

「アビューズ行為からダメ!」で何がダメか考えない思考停止意見が多かったので書いた。

2022-09-22

anond:20220921225641

新婦に惹かれた理由オッパイでした」って言ってる奴いねーだろ。

披露宴とかの馴れ初めの説明でさ。

いまの空気感とかじゃなくて 昔からそうだったの。

公の場では、ルッキズムによる人間の選別はアウトっつー暗黙の了解があったんだよ。

だって当たり前だろ。差別なんだから

ただ、誰も私的領域には踏み込もうとしなかっただけ。オッパイで選びましたって明言してないなら恋人巨乳からって彼氏差別者とは決め付けられないからな。

でも今回、増田婚活で男だけ身長記入がある事実暴露したことで、話が進展した。

建前さえ守られてねー クソみてえな現状をな!!

追記

にしても、毎度のことながら、男性側の被害糾弾で話が進むのは皮肉だな。

フェミニズムやら反差別主義やら何やらがいくら思想をこねくり回しても、被害が明るみに出るまでは結局進まなかったってのと。やっぱり男性が声を上げるまで動かないんだ… ってのと。

別のところでトップになってる「公的領域私的領域を切り分けよう」ってのが今までの通常運転からはてブ増田も十年前から、その分水嶺を越えなかったんだよ。頑として私的領域については口を閉ざしてた。それが昨日、奇跡的にチョットだけ動いた。ボンクラどもが真実を認めた。

理屈だけで言えば、黒人だけパーティに誘わないとか、ロシア人クラスメイトだけハブにする、とかが差別じゃないかどーかを考えれば自ずと答えは出るだろ。私的領域差別フリーじゃねーだろーが。

2022-09-12

anond:20220912114737

譲歩も何も暗黙の了解的に他の男と付き合うなって制限かけてんのは増田やし

2022-09-11

きょうだいについて

 人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機回避するために必要仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。

 虐待、という言葉日常的に――さまざまなニュースネット記事大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。

 多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から扶養から祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待問題視されている。わたしiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力言葉による脅しなどが挙げられている。

 そして、本題である

 きょうだい間の虐待を知っているだろうか。

 寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいから虐待である

 わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義けができないのだろう。

 でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。

 わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形ミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。

 ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズ小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。

 単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。

 姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから生理的に拒絶して責められても仕方ない。

 それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものわたし身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。

 そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。

 ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動さら悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。

 契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。

「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。

 足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。

 ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。

 ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。

 そのあとは、わたしリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中ものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。

 「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。

 姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかし存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在

 幼い頃から培った「この人と自分平等ではない」という意識根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解存在しているから、比較的穏やかな日常保証されるようになった。

 でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。

 この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情記憶を吐き出して保っている。

 わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。

 あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。

医学部の定員の話とかそうだけど、最近は、今までは賢い人が暗黙の了解で、最適の答えを出してたものを、

馬鹿な人が気づき始めて騒いでるってのが多いんじゃないかな。

2022-09-10

anond:20220910121625

程度問題だと思うが、自由になりたい人は変な暗黙の了解(しがらみとか古いルールとか)を減らしていきたいんじゃないの?

そりゃそうだろ最初からそういう主張ではと思った 何が笑えるのかよく分からない

人が「自由になる」っていうのはつまり暗黙の了解が通じなくなること

だってプロトコルに縛られる必要だってないんだから

こんな簡単なこともわからずに自由自由言ってるんだから笑えるよ

2022-08-31

anond:20220830155930

そりゃ二次創作は絵柄コピーして「公式です」とか「公式グッズです買ってください」とか言い出さないからな

この世に存在するクリエイター商業含め)で二次創作したことない人なんかいいか公式ファン暗黙の了解ライン超えないようにやってるわけで

あと二次創作にも個別著作権が発生するので、パクれば普通に著作権違反ですな

2022-08-26

anond:20220826102306

しろバイト禁止じゃない高校ってあるの。

校則では禁止だけど、生徒の家庭の経済状況により暗黙の了解無視してくれる。程度のものでは。

2022-08-23

N君は夜行バスに乗って

anond:20220822215327

夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラル呼称であり、実名イニシャルではない。

N君は、高校同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。

ここでド田舎高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。

そんな風にド田舎同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議存在だった。

N君は、俺を含めた同級生との休み時間放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。

特にしかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。

在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。

大学夏休み実家帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリーム差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。

特にしかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店アイスコーヒーでも飲もうということになった。高校時代校則入店禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。

「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。

少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人からこそ、却って話せたというだけかもしれない。

N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。

N君の話を聞いて、俺は驚いた。

N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったかであるストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。

しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホインターネットも無かった時代のド田舎で、子供経済的支配している親の立場ならば、情報遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネ同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。

「えっ、そんな雑誌があるの?!」

「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」

逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性恋愛感情を抱く男性存在するなんて信じられない、という表情だった。

別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バス東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である

新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」

実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直イコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴ものだったと言うほかない。

兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしまし面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。

そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。

その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。

俺の勝手空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部リベラル場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。

たか夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。

それでも。

それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たか新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。

から俺は、その後のN君が、彼にとっての夜行バスを拾うことが出来ていれば良いなと、今でも思わずはいられないのだ。

2022-08-18

よくわからん野球ルール其の一、其の二

【よくわらん野球ルール其の一】

攻撃側が打つ

守備側が球をキャッチ

キャッチした瞬間に、塁に居たランナーが走り出す

 

んん?

なんで打った瞬間①に、塁に居たランナーは走り出さないの?

なぜ②を見届けてから、塁に居たランナーは走り出すの?

普段、①の瞬間に走り出してるケースもあるじゃん? あるよな?

甲子園試合見てたら気になった。今まで野球やったことねーからわかんねーのよ

 

 

 

【よくわからん野球ルール其の二】

かなり点差がついた場合、〜〜してはいけない

みたいなルールあるっしょ

勝ってるAチームが、負けてるBチームに手加減するようなルール暗黙の了解的なやつ

Aチームがそれを真面目に守って、結果、逆転負けしたら、ちょっと納得いかないと思うんだが

相手に手加減するようなルール?決まり?要らなくない?

かわいい」という言葉に潜む棘 ファン母親ヅラされて活動休止したVtuberが抱えたストレスについて

にじさんじライバーアクシアクローネ活動を無期限休止した。

https://youtu.be/PGvMKhAHEGw

「あ〜なんかひまちゃん本間ひまわりにじさんじライバー)との匂わせがどうこうとかい荒らしがいろんな配信に来てたししょうがいか、大変だな」

そう思って動画を開くと、アクシアは怒っていた。「かわいい」という言葉に対して。

アクシアクローネの怒りについて、みんな意味わかったのか? 俺はわかってないと思った。なぜなら感情的だし、誰も言ってこなかったことを言っていたから。わからなくて当然だろう。

結局「アクシア彼女本間ひまわりのこと、彼女なんかではなくよくゲームを一緒にしているだけの関係)と配信してるぞ!」みたいな荒らしが各配信無限に来ていたということは活動休止に至ったトリガー/キッカケでしかなかった感じがした。

アクシアは、にじさんじに入ってからずっと苦しんでいた。俺は知らなかったからびっくりした。

リスナーファンの一部が過剰にアクシアクローネをひたすらに「かわいい」と消費していること。俺はそれはなにも悪くないし、アクシアのなかでも実際嫌悪の延長線上にそういうリスナーがいるだけで嫌悪の根源ではないだろう。過剰に「かわいい」と消費するリスナーさらエスカレートして、どうなるか。ナメるようになる。「自分アクシアよりも上位の存在だ」と自己認識し、それを発するようになる。そうなったリスナーこそアクシアの抱える嫌悪のど真ん中にあって、配信上で触れていた「母親ヅラしたリスナー」「うちのアクシアよろしくお願いします」の発言者がそれに当たっている。要はなんなのかと俺が考えた結果は、「自分のことを明らかにナメて上から来てる視聴者自分ファンには居て当然みたいな雰囲気になったら、そりゃあすごいストレスだな」ということだった。

活動者と視聴者は当然対等な関係であるべき。これは決して否定できないことだと思っている。多くの人は対等であろうとし、できるだけそうなるように活動し、視聴をしている。視聴者特にその活動者を応援しているのであれば、それはなおさらだ。だからこそアクシアは明らかに上位からモノを言ってくるリスナーストレスに感じるようになった。そしてその悪質なリスナーが頻繁に使う言葉が「かわいい」だったのだ。ストレスが溜まれば溜まるほどに、「かわいい」と言われること自体が嫌になっていく。これはアクシアが弱いからそうなったのか? 他の活動者はそんなこと負担になってないし。俺はそうは思わない。人間としてそうなるのは当然だと思う。もちろんアクシアの言う通り「活動当初から違和感があった」という価値観も助けてのことではある。

そうして活動を続けて1年。溜まりに溜まったストレスは謂れもない荒らしによってアクシア限界を超えてしまった。その末に発されたのが、活動休止を報せる動画での感情だ。活動者は感情をあらわにするべきではないと、賢い者たちは言う。それは間違いのない理想であって、みんなそう目指していくべきだ。それはそう。でも、その理想に殉じて去っていった人がどれだけいるだろう。俺は、正しさに殉ずるよりも、間違ったことをしてでも俺の見られるところにいて欲しいと思う。しかも、感情の発露によって活動者の気持ちに少しでも整理がつくなら、なおさら

かわいい」と言うことに問題なんてあるのか?

荒らし誹謗中傷問題だけど、それは幸い現代において法的対処が日々有効になっていってくれているのでこの際憂慮しなくても良い気がしている。そもそも自身アクシアとひまちゃんが仲良くてなんの問題があるのかわからんし。言いがかりしかない。どちらかにガチ恋している人はまあ、お察しします、って感じだけど。そもそもガチ恋ファン活動にはリスクがつきものなんだから、初めからリスクがある行為リスク考慮してない人なんているのかよ。ガチガチ恋している人が今回の荒らし誹謗中傷に関わっているのかどうかさえ俺は疑問だわ。ひまちゃんに昔から付きまとう熱心なアンチアクシア活動パートナーでもあるローレン(ローレン・イロアスにじさんじライバー)にまつわる問題のアレコレによって生まれアンチがこんがらがって大きな荒らし誹謗中傷がうねって大きくなっちゃったのかな、と思ってる。

からトリガーとなった誹謗中傷よりも、ストレスとして大部分となった「かわいい」扱いについての方が考えるべきだろう。

当たり前の前提を話すと、活動者に対して「かわいい」と声をかけることが間違ったことには絶対になり得ない。そんなの、この世界が間違いだらけになってしまう。そう思ってる人も多いだろうし、俺自身世界は間違いだらけとは思うけども。

でも全く問題がないのか問われれば俺は「NO」と言う。そして多くの人は「全く問題がない」と考えて日々生活している。そこのギャップ認識のズレが今回の問題として表出してきたように感じた。

では、どんな問題があるのか。

にじさんじENの活躍

https://youtu.be/e0tsy3IQj20

https://youtu.be/rpm3okWS2j4

にじさんじEN男性Vtuber約束された成功を見事にモノにし、大躍進を遂げた。当時、俺はその様子を見て嬉しく、晴れ晴れとした気持ちになっていた。

それと同時に、少しの杞憂が俺の中でもたげていた。「日本語をうまく話せない男性に対して『かわいい』と言うのはちょっとひどくないか?」という杞憂だ。これは本当に杞憂しかならず、実際みんなリスナー応援を正当に受け取って日本語が上手くなっていった。

日本語がうまくない男性に対して「かわいい」と言うことにどのような問題を俺は感じていたのか。

まず、世界中の男性全員が「かわいい」を褒め言葉として受け取ることができるだろうか。絶対100%にはなり得ない。この事実がある。これは生まれ育った環境個人価値観によって醸成されてしまものだ。これについての正誤を論じる気はない。個々の価値観による差異個性と言っても差し支えない範囲であり、それゆえに正されるようなことでもないと考えているからだ。それに、「かわいいと言われることを嫌がるのは自らを女性扱いされていることを嫌がるということに繋がり、それは男性女性を下に見ているからではないか」という批判も予想され、それは正しい批判として論理は適っている。しかし、「かわいい」と言われることを嫌がるのは性差のような根本的な問題ではなく、もっと表面的な問題だと俺は思う。語感やニュアンス言葉の持つ雰囲気としての好みの問題ということだ。それは無意識下表層における感覚であり、自覚することが難しく、それゆえに訂正することも難しいことにように捉えている。例えるなら、ハエトリグモかわいいと思う人もいれば、気持ち悪いと思う人もいるというようなことに近い。ハエトリグモ人間に無害であり、益をもたらすことさえもあると頭の中でわかっていても、どうしても気持ち悪さが拭えない人を責めることはできない。気持ち悪いと感じる人も、ハエトリグモのその機能嫌悪しているわけではない。それと同じように「かわいいと感じる感情」を気持ち悪いと思っている人は少ない。「かわいい」という言葉として表に出てきていることが嫌なだけなのだ

かわいい」という言葉内包されているニュアンスとして、「かっこいい」「上手くやっている」ことの否定ということがある。「かわいい」=「ダサい」ではなく、「かわいい」という言葉の一部分に「ダサい」というニュアンスがあることを否定できない、というレベルのことだ。問題は、その部分の割合男性個々によって違うということだ。だから、ある男性は嬉しく感じ、ある男性は「ダサい」というようなことを暗に言われたと感じるということになる。

にじさんじENの男性メンバーの完全ではない日本語に対して、「かわいい」と評することへ戻る。日本語話者が他言語話者の不完全な日本語100%ポジティブとは言えない言葉をかけることは、ほんのわずかではあるがレイシズム傲慢さを俺は感じた。だからこそ杞憂をするに至った。「頑張ってて偉い」「(日本語話者の)自分より上手い!」から皮肉を感じるのは完全に受け取り方や文脈問題であり、「頑張ってて偉い」「自分より上手い」という表現自体100%ポジティブからそう伝えればなんの問題はないはずだ。それを男性100%ポジティブに受け取ることができない表現かわいい」と言うことには違和感を感じてしまう。何より、「かわいい」と言っている側はなんの悪意がないことがより恐ろしく思う。女性にとって「『かわいい」と言われることは良いことだ」というステレオタイプ的な考え方が未だ社会では通用やすいことは、女性側を苦しめていることが多いが、男性側が今回のように不快に感じることも起こり得る。

アクシア自分ファン批判したのか

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざが頭から離れなくて嫌だ。

明らかにアクシアを侮って「かわいい」と発する少数の人間のせいで、「かわいい」と今まで言っていた人たちがきっと傷ついたろうと思うからだ。坊主憎けりゃ〜は明らかな皮肉なので、今回のような悲劇にまで皮肉のような通底見出している自分が嫌だからだ。

先述したように、俺はアクシア感情の発露は間違っていないと考えている。彼が限界だったこと、そして感情を発露して表明することで気持ちの整理がついた部分がきっとあるだろうと思えること。なにより、黙って去るのではなく、アクシア自身が「アクシアクローネ」として活動を続けるための動画であることがわかるから

彼は動画の中で妄想やそれに端を発する創作活動についての嫌悪感を語った。でも、それはほかの活動者みんなが言っていることだ。「自分の目の届かないところで配慮を忘れずに隠れてやってね」もはや活動視聴者みんなに知れ渡った暗黙の了解を再度言っただけにすぎない。それなのに、肯定的自分の目から見ても感情が乗ってしまったせいで、妄想創作活動否定するように聞こえてしまう。賢い者たちが感情を見せるべきではない、という理由がよくわかる悲しい現象が起こってしまっている。

でも、この現象もまた、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のシステム適用されている。妄想のなかで「『かわいい』とひたすら消費することができるアクシアクローネ」を肯定するような創作活動を、明らかにアクシアを侮った発言をする視聴者が好んでいるからこそそういう感情が乗ってしまったのだろう。

まりアクシアはきっと「かわいい」と発している者、ガチ恋や夢と言われる創作をする者を心から嫌悪しているわけではないと俺は思う。ということが言いたい。これは俺個人解釈だし、もはや祈りに近いものでもある。きっとそうだ、というような。

かわいい」と感じる感情や、ガチ恋や夢とカテゴライズされる想念自体アクシア否定嫌悪しているわけではなく、「かわいい」と表現されること、「ガチ恋や夢を押し付けてくる行為」を否定嫌悪しているだけで、それは誰しもが持っていておかしくない考え方だ。

アクシア言葉を受けて、ファンが取るべき姿勢を考える

かわいい」と感じる感情は、言葉として表に出るまでは「かわいい」ではない。もっと大きな「良い」という思いとも言えるだろう。決して「かわいい」と表現しなければならないものではない。APEXでミスプレイをして面白けば、「草」と言えばいいし、仲間想いでやさしい一面を見せれば「尊い」と言えばいい。顔が良すぎて最高な気持ちになれば恥ずかしくても「顔良すぎ、好き」と言えばいいだろう。

そして、「かわいい」という言葉は決して罪のある言葉ではない。ただ、人を傷つけるリスクわずかにでもある言葉とわかってその言葉を使うのと、何も考えずに使うのとでは全くちがうはずだ。少しだけ頭の片隅にその棘を意識するだけ良い、それだけのことで難しいことではないはずだ。

それだけで、アクシアはきっと楽しく活動をしてくれると俺は思う。

そして、今までちゃんとしたファンとしての想いを持ってガチ恋や夢などの妄想を営んできた者たちは、今まで通り配慮を怠らず、隠れてやっていけばいいのではないだろうか。難しいことかもしれないけど、俺はそう考えている。ちゃんとした考えを持っているファンは、今まで通りちゃんとしてれば良いと、アクシア動画を見て俺は思った。

アクシアクローネは、正しいファン否定嫌悪するような人間性を絶対に持っていないと、確信を持って言うことができるから

2022-08-17

anond:20220817165934

「美味しいものを求める気持ちは悪」だって、思っちゃうよね!

わっかるー!分かるよ!増田

俺もそうだから

 

Twitterとかインスタとか、はてブでもいいけどさ、美味しいレシピとか美味しいお店とかがバズってると、「は!?」ってなるもの

「なにこいつら、欲望の塊か!?食に興味ない俺の方が高尚だね!」って感じちゃうもん!

だいたい日本人は食にこだわり過ぎなんだよ。

美味しいものを追い求めすぎ!

もっと自制心はないの?って哀れになるよ。

まあ、一定限度の美味しさは必要だと思うよ。

不味すぎたら食えないもんな。

でも、味にも「足るを知る」が必要なんだよ。

今いいこと言ったよね?

「これくらい美味しければ満足」というライン、このラインを低くすべきなんだよ。

日本人はだいたい、そのラインが高すぎるんだよな。

「ほどほどが一番」という日本人の大切な心はどこにいったんだ??

あとさ、「美味しいものはみんな大好き、美味しいもの正義!」みたいな風潮がキツイ

猫はかわいいからみんな好き、みたいな意味不明暗黙の了解

あるよね?あれキツイよな。

俺は美味しいものそんな好きじゃないって!っていつも笑える。

「こいつら、食欲に溺れてることわざわざSNS公表してる!恥ずかしくないのかよ!?」って永遠に笑ってる。

もっと有意義なことに余生を使えば?って言いたくなる。

まあ、美味しいものを食べるのって、誰だってできることだからさ、その食への欲望に絡め取られるのも分からんではないけどさ。

美味しい食事を追い求めるってのは、酒と同じで、アルコール中毒みたいなもんなんだよ。

「美味しい食べ物がないと気持ちが落ち込んじゃう…高級お肉食べたい。スイーツ食べたい」

完全に中毒だよな?栄養面だけ考えたら、それなりの肉食べてればいいし、スイーツなんかほとんどいらないんだから

栄養があり、かつそこそこ美味しいものを食べる。

それが最高なんだよ。

美味しいものを求めてたらキリがない。

「これくらい美味しければ十分」

その気持ち大事なんだよ。

じゃあ今から俺も晩御飯にするから

今日メニューはこれ。

ごはん

レタストマトサラダ胡麻ドレッシング

豚肉玉ねぎ生姜焼き

わかめしめじ味噌汁

こういうのでいいんだよ。な、そうだろ?

2022-08-14

才能の格差を目の当たりにしたらどうするか

いわゆる同人女お気持ち表明をこれからする。

私のジャンル覇権ジャンルでもマイナージャンルでもない中規模ジャンルのそこそこ人気カプだ。

数年ここにいて、数年書いてる。

そこにとある字書きが現れた。なんというか、才能の塊みたいな存在だった。本人は描くのはこのジャンルが初めてと言っているが確実に沢山小説を読んできた教養の感じられる美しい文章だった。ジャンル感想も美しくて瑞々しく、愛と頭の良さが存分に出ている。

そもそもオタク歴そのものが短いらしい。中学生の時にオタクだったけど忙しくなって卒業してコロナで戻ってきたと言っていた。

からこういうお付き合いで失礼があったらすみませんというが、すごく人付き合いというか距離のとり方が上手い。そして日常時折見せてくれるが家がガチの豪邸。料理の品数が多い、外食だーって上がってた写真がロブションだった。添えられたぬいが所在なさげに見えた。特に記念日でもないらしい。本人曰くアラサー実家暮らしなのに何も無い時にロブションに行くような生活からあの文章がかけるのかと納得した。

そんな人だから信者すごく出来てる。元々いた字書きも絵描きも擦り寄ること擦り寄ること。あの文章を読んだらそうなる。最大手普段交流なんてしないのに彼女文章ファンアートを何枚も描いている。そういう読んだ人間を屈服させる魅力がある。アイコンもヘッダーも最大手製だ。

ある日彼女が本を出すことしたらしい。分からないことばかりなので教えてくださいと言えば界隈最大手の字書きが校正に入ると言う。至れり尽くせり極まりない。表紙はどうなるのかと思えば、別ジャンル(大きいジャンル)の人気カプの大手が何故か自カプを描くということになったらしい。意味わからん。別ジャンル大手が自カプを読んで彼女に惚れ込んで感想を送ったのが始まりだと。その人が絶対本を出せ私が表紙書くと言い張って出すことになったらしい。そんなことある

それでめちゃくちゃ刷りました。これからこの本をベッドにして寝ますと言ったくらいの量を一瞬で売り切ってしまった。それは後で聞いたが字書き最大手と同じ量だった。要するに完全に勢力争いが変わった。その本は再販してもまた売り切れている。

ㅤㅤㅤㅤ

明らかに彼女が来てからカプの空気が変わった。

活性化したとは思う。彼女の筆の速さに影響されてか字書きが負けじと沢山書いている。

同人女ならわかると思うが、彼女の貰う感想義理だったりカプの村社会でなく本気のROM専から感想が多い気がする。それを律儀に返す性格からまた感想がくる、全て返せなくてすみませんという姿がまぶしい。

書き手にありがちの、書き手しか絡まないとかでなく読み手にもリプを送ったりその考察気づかなかったですとかするからまた好かれる。

これで顔まで綺麗だったら嫉妬で死にそうと思ってイベントに本を買いに行ったらなんというか流行りの透明感が売りの女優顔ではなく、少し前の華がある系の派手系女優顔でもう嫉妬で死んだ。

信者も本の感想に加えて美人が本売っててびっくりしたとか添えてある。実際ほんとそう。綺麗な顔は信仰にも近いものがある。女同士なら尚更だ。

それにはっきりいって年齢層が高いジャンルから書き手子供がいるのが当たり前みたいな状態の中、彼女はいないらしい。だからいうか時間にも心にも余裕があるのだというのが感じ取れる。

文章の才能だけでも圧倒的だった。面白く美しくちゃんキャラクター性と関係性を大事にした文章だ。特に恋に落ちた時の感情表現が熱烈で美しく、どういう恋をしたらこんな文章が書けるのだろうと疑問に思う。

それだけでも嫉妬してたのに、他の部分まで圧倒的な差を見せつけられてカプまで変えられて悲しい。

そして彼女のよく使う作者は言及してないけどあったであろうグレーな設定は完全に彼女により公式化されている。このカプにおいてこの設定は公式くらい暗黙の了解になった。

私は実はそれがあまり好きではないし、彼女の好きな別カプ(よく自カプ小説に登場する)が地雷からなんとも言えない気持ちになる。

彼女がよくABとCDと一緒に書くせいで自カプにCD好きが増えた。そしてCD大手とも仲良くなっている。もう怖い。グレーな設定もCDも苦手な私は日々息が詰まる。

私にも彼女みたいな才能があればこの盤面をひっくり返せたのかと考えることもある。辛い。悲しい。

でもあのコミュ力もないし無理なのはわかる。

多分、近いうちにジャンルは上がると思う。

2022-08-12

宇宙を一周とはどういうことなのかね

ポアンカレ予想のくだりで出て来ることがある「もし地球を真っすぐ進んで元の場所まで戻って来れたら、地球は丸いと言えるはずだ」という話。

まあ、これは分かる。

そして、真っすぐ進んでかつ元の場所に戻ってくるという事態を「一周する」という表現丸め込むことができる。

そのうえで、宇宙も一周して紐を回収できたら宇宙は丸いと言えるはずだ、とはどういうことなのかが分からない。

「真っすぐ進んで元の場所に戻ってこれた」という時点で、その形は球体でも円環形でもありえず、もしそのような形の内部で真っすぐ進めば、どんなに広大だろうが球体や円環型の端っこを貫いてしまうだけだろう。

ところで地球表面における真っすぐ進むという行為は、「表面に沿って進む」時点である意味で真っすぐ進んでいないわけであるが、これは暗黙の了解として真っすぐ進むの要件に含まれていないことは理解できる。

表面に沿って進んでいること自体が真っすぐ進むに反しているという事実は横に置いて置き、とりあえずコンパス特定の方位を指し示す方向へひたすら真っすぐ進むということが「真っすぐ進む」という概念に対するここでの解釈なのだろう。

そういうわけなので、たとえば円環型の平面では紐を回収できないということに対する反例として、特定の方位を維持して進むでもなく、一度も円環の穴の部分を取り囲むようにしても進まないという場合、すなわちごく局所的に円を描くように一周する場合であっても、地球という規模が広大なために真っすぐ進んで一周したと錯覚し得る状態(表面自体が曲がっているのをそう感じないこと自体地球スケール故の話なわけだが)にあり、この場合であれば紐の回収もできてしまうが、これは表面に沿って曲がっているという事実以外にも真っすぐとは言えない要素があるため反例たりえないということなのだろう。

雑な画像

https://i.imgur.com/h7HuI7Q.png

そのうえで、まず宇宙を真っすぐ進むとはどういうことなのかが分からないというわけだ。

宇宙三次元なので「表面に沿って」なんていう除外事由は使えない。普通に考えて真っすぐ進むとは真っすぐ進むということだろう。

宇宙を一周ということを理解するにあたっては、ます三次元において真っすぐ進むとはどういうことなのか、再検討しなければならない。直進がゲシュタルト崩壊するわ。

もし宇宙を一周した、としても、結局二次元におけるイカサマ事例のように、途中で曲がっていることに気付けず元の場所に戻って来たのを一周したと勘違いしたことになるだけではないのか。

(そもそも宇宙光速で膨張しているなら宇宙を一周なんていつ始めても絶対不可能な話なんだよねということは置いておく。)

2022-08-10

歴史ある地域に戻って住むかいなか

迷っていることがある。

とある史跡の多い地域で育ったが、今はそこから車で1時間弱ぐらいの距離の田園地帯の中にある会社(工場)でSEやってる。(現在自然豊かな場所にある賃貸で職住近接と言えなくはない生活を送っている。)

そこの社員は大半がいったん工場の近くから通う生活をするが、子供の進学を考えてどこかのタイミング東西南北どっちかの方向の地方都市移住する選択をする。

自分出身地付近もその選択肢の一つとして割と選ばれているような(というか自分もそうするつもりで働き始めた)のだが、

いざ移住先を検討し始めると、気持ちが他の候補地の方に傾いてしまいがちであることを発見してしまい戸惑いを隠せない。

昔は、「この町は史跡が多くてなかなか面白い風情だな」と思っていて

いちばん長く過ごした場所ではあるが生まれ場所ではないし、物心ついた時は別の地方都市暮らしていた)

将来またその場所生活することを割と望んでいた。・・・が、勤務先との通勤距離のこともあって別な方角の地方都市を片っ端から比較のために調べてみていると、

出身地積極的に選ぶ理由が意外と乏しいことが浮き彫りになってきた。

考えてみれば当然のことで、史跡まみれの町ということは大胆な都市計画ができなくて、さら観光業っぽい地元商店既得権のせいで

郊外かごく限られた地域しか新しめの商業施設営業できない状態になっているし、鉄道道路といったインフラ地元住民以外に観光客のためのものとして整備されていて

普通生活が(そういうシガラミがない地域と比べると)なにげに不便なのだ。比べる対象を持っていなかった時には気にならなかったが具体的な比較をするとその弱点が際立ってしまう。

もちろん歴史上のエピソードに関連した場所が沢山あること自体マイナスではないのだが、

その価値(すなわち日本の歴史勉強する価値)は相対的に下がってきているのではないか・・・?という気持ちが沸くようになってきている。

端的に言うと、そんな優雅なことを守り伝えていく余裕は今後の日本にあるのか?という事への疑念が強くなってきてしまっていて、ただの不便な場所に見えてきているという話である

科学的な発見がされた場所とかならまだ良かったのだけど・・・

いちおう土地勘があるとか友達も若干数いると言う利点はなくはないのだけど、

きれいな水と空気に囲まれ生活に慣れた後では、不便なくせに空気が汚い出身地に戻って住むことが大して魅力のない選択肢に映って仕方がない。

ただいずれ帰るという暗黙の了解のもと両親にはいろいろ支援してもらってしまっているし、今より実家が遠くなるのは良くないという認識はあるし、

地縁もないのに子供会社周辺で育て続けることはとてもする気にならないので、どこかへの移住はすべきなのだと思っているが、

どうせなら合理的街づくりができている所に住みたい気持ちがある。

通勤時間さえ長くて良いなら条件を満たす場所はなくはないが、通勤時間がかなり長くなるので即決できない。候補バリエーションは以下のような感じで、一長一短である

 A:実家の割と近くで駅とショッピングモール中間(古い住宅地道路が狭く空気はよどみがち。通勤40分)

 B:実家と同じ市町村の辺縁部でバブル後も開発が継続していた地域商業施設が充実しており斜面が多いが道路は広くて空気も奇麗。通勤60分)

 C:実家の隣の市町村最近開発された大型分譲地(空気は奇麗で道路も広いが、切り開いた斜面であり地盤不安。また将来ゴーストタウン化の懸念あり。通勤50分)

 D:会社のあるところの隣の市町村会社のある市町村よりはメジャーチェーン店が多く来ていて道路も広い。人口は同等で実家からは30分ぐらい遠くなる。通勤30分)

 E:実家とは別の方向の現在人口増加中の地方都市大都市に近い場所であり利便性は格段に高いが、実家から距離はやはり遠くなる。通勤40分)

 F:実家とは反対方向の地方都市県内最大都市なので、利便性最重視の場所からゆったりとした郊外まで幅広い選択肢がある。実家からは当然遠い。通勤45分)

気持ちを整理するために書き出してみたが、やはり決心を付けづらい・・・。なお通勤はいずれも自家用車。体調的な理由で長時間運転は苦手なので40分以上かかるところはしんどいと思っている。

2022-08-04

エロビを観れるラーメン屋

平成初期のお話

高校から徒歩15分位の場所エロビを観れるラーメン屋があった。

店内は5、6席のカウンターとその向かいの座敷にテーブルが2卓。

表の店内には14インチブラウン管が置いてあるだけで普通民放NHKが流れていた。

そこから調理場入口トイレを挟んだ奥の通路を進んだ途中に3畳くらいの小上がりになった納戸みたいな部屋がある。

部屋には微妙に寸足らずなボロい畳の上に小さなちゃぶ台テレビデオエロビが数本置いてあった。

不在時はドアを廊下側に開けておき、使用中は閉める。

個室が使えるのはあくまでもドアが開いていた時限定なので、ドアが閉まっていたら待ったり途中で個室に移動するのはルール違反

ドアが開いているのを確認したら必ずおやっさんかおばちゃんに「個室で」と言い「あいよ」「へい」みたいな返答を確認してから速やかに個室に入室する。

無言入室や返答を確認せず個室に行こうとするor勝手に入ると怒られる。

必ず麺類定食系を一品頼むのがルールで出来たら部屋まで持ってきてくれるが食べ終わった食器自分カウンターまで下げて会計をする。

エロビ鑑賞中でも容赦なくおばちゃんラーメンを持ってくるので初心者は面食らうがリピーターになると全く気にしなくなる。

中学生や幼く見える男は行こうとしても案内してもらえない。

高校生になると制服でも可。

最混雑時間帯はやはり放課後の16〜18時。

あんまり長く滞在しているとやはりおばちゃんが入って注意してくるのでラーメン提供20分位までには退室するのが暗黙の了解

1番の常連県内最難関高校男子高校生たち(笑)

本人が読めば絶対に分かると思うが、あのラーメン屋を巣立って今は国会議員とか大企業役員になってるのが沢山いる。

結局地域保護者間で問題となり平成前期にエロビ個室はなくなったと聞いた。

インターネットがなかった時代のどうでもいい秘密

2022-08-03

anond:20220803143404

ツイッターでも「みんな知ってる暗黙の了解でしょ」みたいなこと書いてる京都人を見かけるけど、あいつらも犯行隠蔽共犯として逮捕させたいわ。

一度でも未成年に「お風呂入り」や「身受け」という名で性労働やらせ置屋人間は全員逮捕して牢屋にブチ込むべき。

京都市のやつらも京都労働局のやつらも牢屋にブチ込むべき。

金持ちだかお得意だか知らんけど、利用客も当然全員牢屋にブチ込むべき。

2022-08-02

anond:20220802042517

元増田です。

多分、煽りとかじゃなくて本気でそう思って言ってくれてると思うんだけど、

ここのボリュームゾーンだと俺が推定してる、京大とか東工大出身からすればこれはごくごく当たり前の感覚なんだろうと思う。

マーチ学者はまともな勉強努力もしていない、という感覚は。

実際、大学同級生もそんなに必死こいてやっと来たみたいのは少なかった。みんな実家から通ってる裕福な層だった。

だけど俺は違うんだよな悲しいことに情けないことに。

浪人までして必死こいてやってそれでやっとぎりぎりひっかかって入れたというのが正直なところで。

君らみたいに高校生の段階から宮廷以外は大学じゃないとか暗黙の了解になってたり親戚全員京大とかそんなプレッシャーとかないし、うちなんか親戚で大学出てる人がそもそもいないし、学校先生とか周囲の大人の声にしても地元駅弁国立大行ければ万々歳ぐらいの感じだったから、目標とするところというか、できて当たり前のライン全然違うんだよね。最初から京大行きたいなんてちっとも思ってなかったし。

それに勉強のやり方も多分、全然効率で、効率いい勉強方法知る頭もコネもなかった。まあ、知ってるやつはちゃんと知ってるから同じ高校から京大東工大行った人は確かにいたよ。

まあ、底辺育ちの地頭が悪い俺がなんで地元進学校に行ったのかも今となっては謎だけど。

2022-07-27

anond:20220727015127

男は女に種付けしたいっていう暗黙の了解があるので

生理タイミングをオスに知られるのはリスクしか無いが

しんどいものしんどいみたいな

2022-07-23

anond:20220723123135

でも、ちゃん知識がなければ個別の同僚に的確な配慮はできなくなるんじゃない?

男性の中には生理のことを考えたことない人もいると思うし

女性しかいない職場ならまあ暗黙の了解で察してどうにかなるけど

なんかジャンルが違うけど、前問題になってたやつ思い出したよ

服を脱がされることに生理抵抗感があるから、命を助ける機械女性に使われにくいという話がなかったっけ

2022-07-19

そもそも仕事中に電話受けたくないヤツは仕事を何だと思ってんの?

オンラインミーティングチャットツールが普及したことで「電話ってすごく暴力的コミュニケーションだな」と思うようになった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1917823

オンラインミーティングや社用チャットの普及によって、いよいよ「電話コミュニケーション」の特殊性が際立ってきたなと思う。特に突然かけてくる人の特権性。いや機能上、常に突然だから当然なんだけど、かけられる側の事情一切無視デバイスアラーム(着信音)鳴らして会話させるってすごいなと。

この人がどんな仕事してんのか知らないけど、事情一切無視でかかってくる電話を暴力とみなせるような条件下で仕事してるんだったら電話の電源切っとけよ!!

そうでないなら電話はただのリアルタイム通信手段であって、あなたの勤務時間中にかかってくるあなた業務関係した連絡はあなたがその場で受け取る義務あんだよ! それがあ・な・た・の・仕・事・な・の!!

オメーが今手元で何の作業をしてるか知らんが、かかってきた電話にもそれと同じくらいのプライオリティがあるの!! 少なくとも、取って用件を聞くまではね!!

電話発明されてからの150年間、電話社会においてもっとも主要な連絡手段であり、かかってきた電話を取るのは控えめに言って読み書きと同レベルで誰でもできなきゃいけないことなの!!

からマジで手が離せない時は出なくていいっていう暗黙の了解もあるわけ。

蕎麦があと10秒で茹で上がるタイミングでは出なくていいし、一番微妙な箇所のハンダ付けしてる時も出なくていいし、バランスの悪い大きい荷物を持ち上げて運んでる時も出なくていい。

相手は「今手が離せないのかな」とか「トイレに立ってるのかな」とか適当に良い方に解釈して数分後とかにたかけ直してくれる、そういうシステムなの!!

とりあえず受けて用件聞いてどうでもよさそうだったら一旦切ってもいい。そういう暗黙の了解もある。

「お調べして折り返しますねー」って言っとけば「ああ、今忙しいんだな」ってわかってくれる、そういうシステムなの!!

から事情一切無視暴力」っていうのはオメーさんの子供じみた妄想なの!!

在宅ワークチャット以外のコミュニケーションするのやだようやだようって言ってる甘ったれたお前のような業種ではなく、不特定多数お客様相手にしてるB2Cな「お店屋さん」は誰でもわかってることなの!!

蕎麦屋にもレコード屋にも本屋にも宿屋にも、電話は「主要な通信手段」としてお客さんから取引から毎日毎時毎分じゃんじゃんかかって来るし、むしろ電話がないと成り立たない商売なわけ。いまだに。これからも。ずっと。

どうしてかっていうと、「電話事情一切無視暴力的にかけてよいものとする」っていう社会通念があるからなの!!

社会の大多数が受け入れて活用してる社会通念をお前の都合で勝手に世の中から消し去らないでくれる?

てか、逆に疑問なんだけど、150年間まったく暴力とはみなされておらず現代ほとんどの業種で暴力とみなされていないものが、なんでインターネットが普及しただけで暴力に変化するわけ?

キミが「いやだなあ」って感じただけでしょ?

たとえば、電車ガード下の家で在宅勤務してる人にとっては電車走行音は間違いなく暴力的ものだろうと思う。けど、その電車に乗ってる乗客たちに「うるさくて仕事できません」って言ってわかってもらえると思う?

「お気の毒としか」って言われて終わるよね。

電話だってそうなんだよ。オメーが電話に耐性がないのは本当にお気の毒としか言えない。

けどな、パソコンカチャカチャやってEnterキースターン!って叩いてればいい狭ーい狭ーい世界以外の、社会の大多数の業種ではな、電話をかけたり受けたりするのは、ご・く・普・通・の・営・み、なの!!

何度でも言うぞ。世の中の大半の仕事人にとって、電話をかけたり受けたりするのは、ご・く・普・通・の・営・み、なの!!

できないお前がおかしいの!!!!!!!!!

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