はてなキーワード: 小中学生とは
どうも、お久しぶりです。
今月はじめに、「日経新聞で紹介された小学校のネット教育」について、「このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。」という増田記事でみなさんにコメントを求め、基本全レスしてた元増田です。
あの記事中にも書いたけど、このネット教育について件の小学校に問合せた。するとなんと、この授業を行い、なおかつ教材の開発者でもある、岐阜聖徳学園大学の石原教授ご本人より、返信のメールをいただいた。
はてな匿名ダイアリーへお名前を出して掲載する旨も了承を得ているので、ここでそのメールを紹介する。
このメールは9/5にいただいたが、ひとえに私の怠慢により3週間後のこのタイミングとなったことを石原教授にお詫びします。きっと少なからず気をもんでおられたと思います。申し訳ありませんでした。
《問題となった日経記事》
岐阜聖徳学園大学付属小学校(岐阜市)の6年生の授業をのぞくと、児童たちがタブレット(多機能携帯端末)のチャット機能でコメントをやりとりしていた。匿名なので書き込みは徐々にエスカレート。5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた。そこで教師が手元のボタンを1つ押す。するとチャット画面上に実名が表示され、楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れた――。
なお、URLとタイトルは9月上旬に私が初めて見た時から変更されているので参考までに載せておく。引用部分については変更されていない。
《ネット上の反応》
この授業のやり方に対して、2ちゃん、2ちゃんまとめサイト、はてブ、ツイッターなどで散々な批判が浴びせられた。まとめサイトは400以上のブックマーク、2000のツイート、800のFacebook「いいね」を集め、私の増田投稿も100以上のブクマがついた。Googleの検索結果を見ても日経記事を発端に、この授業が批判混じりに面白おかしく取り上げられている様子がわかる。
主な論調は「匿名と言ってチャットさせて後から実名さらすのは酷い」といったものだ。私も記事を読み、そう思った。
思っただけでなく、「どうなのこの授業?」という主旨で増田に投稿し、授業に賛成する人(・・・も約半数みられた)の意見を聞かせてもらった。冒頭で「全レス」したと書いたのはこのときの話だ。
その中で、やはりどうしてもこの授業について当事者の話を聞いてみたいという思いにかられ、問合せをしたところ返ってきたのが、これから紹介する返信ということになる。
とにもかくにもメールをご紹介します。メールの改行されてしまったところの調整等をのぞき、そのまま貼り付けています。
岐阜聖徳学園大学附属小学校の情報モラルの授業に関して、多くの関心が寄せられておりますが、スレッドを拝見しますとその中にはいくつか誤解も含まれているようですので、教材の開発者として、また今回話題になっている授業を行った授業者として実際の話をさせていただきます。
実はこのスレッドの元になった日経新聞の記事は実際の授業の様子を正確には伝えておりません。
記事を書かれた記者の方は、実際に授業をご覧になったわけではないからです。
記事では実際にご覧になったような臨場感を感じられますが、教材の開発に関わった企業の広報や授業の一部のビデオ映像などを取材されて書かれたものです。
そして記事の内容は、私が授業で意図したものと全く異なります。この点について説明させてください。
記事では「5分ほどで相手を誹謗中傷する言葉が増え始めた。」とありますがこれは事実に反しています。
実際の授業でも実名と匿名でそれぞれ5分間書き込みをさせたのですが、匿名のチャットでは一部の児童が意味不明の文字を連打したり、少し乱暴な言葉を使ったりしただけで、相手を名指しして中傷したり、誹謗するような書き込みをした児童は一人もおりませんでした。「・・楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れたーー。」も実際の授業を見られたわけではないので記者が想像して書かれたものです。気まずい空気が流れたわけではありません。
実際の授業を想像してください。担任が見守る中でクラス全員でチャットを行って、わずか5分で相手を誹謗中傷する書き込みをする児童が現れることは常識的にあり得ないことです。
もしそのような状態であれば、情報モラル以前のクラスだといえるでしょう。
端的に言えば、私の行った授業は、「児童にわざと誹謗中傷の書き込みをさせたうえで、見せしめのために実名をさらす」というものではなく、実名と匿名の違いを理解させ、匿名でも実際には本人を特定できることを体験的に知らせることがねらいです。
児童の人権に関わることなので、チャットを始める前に「相手を傷つけること」、「意味の分からないこと」、「乱暴な言葉遣い」、「汚い言葉を使うこと」はやめようと、それぞれ実例を示して指導しました。また、匿名の書き込みを実名に変換する前に、児童に「実名に書き換えてもかまわないか」と確認を取り、もしひとりでも「いやだ」と言う児童がいれば実名には書き換えないつもりで授業に臨んでいます。
日経新聞の記事が一人歩きして、教師による児童へのだまし討ちの授業のような印象を与えてしまって多くの方に心配をおかけしましたが、実際にはそのようなことはありません。この授業のせいで学級内でいじめが起きたり、人間不信が生まれたりするようなこともありません。附属小学校のスタッフの皆様や何より子どもたちや保護者の皆様の名誉のために、あえてこのような場で実名で発言させていただきました。
読んでいただくとわかるように、2ちゃん、まとめサイト、私の増田などを大いに騒がせたような「事実」はほぼ無かったと、日経記事での報道内容をほぼ全面的に否定している。具体的に、記事と異なる点をあげると下記のとおりだ。
記事の引用箇所たった185文字の中に、当事者の話と異なる点がこれだけあることが驚きだ。
このお返事をいただいてすぐ記事の内容について日経に問合せたが「新聞社の原則として、特定の記事に関して個別に見解を表明するというようなことは致しかねます」ということで、返事は得られなかった。
ここまでが一連の流れである。よければもう少しお付き合いください。
そしてもし気が向けば、この増田をブクマしていただけると嬉しいです。
《本授業について現状での自分の考え》
ここで「日経記事は間違いだった!」と短絡するつもりはない。
しかしながら、石原教授の主張には、名前を出して掲載することを許可いただいた時点で一定の信頼性が担保されていると考えてよいだろう。
もし主張に間違いがあれば、もっともダメージを受けるのは石原教授だからだ。
元増田で「日経記事をうけてJ-CASTが小学校の教頭にインタビューした記事がある」ことをブコメで示唆してくれた人がいた。
そのとき私はJ-CASTの記事は、授業の具体的内容や日経記事の誤りについて指摘していなかったし、学校を代表して教頭が当たり障りのないコメントをしているのかな?程度の印象しかもたず、判断保留としながらも、日経記事に重きをおきたい旨を書いた。
しかし上のような状況で、明確に日経記事を否定された今となっては、まったく逆の心証を抱いている。
仮に記事中に事実と異なる記述がなかったとしても、それでもまだ問題がある。つまり、チャットで児童の実名を出す前に確認をとったことを書かず、事前に説明や指導がなされたことも書かず、私も含め多くの人に授業方法に問題があるかのように錯覚させる記事となった。
まとめるとこうだ。日経はこの授業を実際に記者が見て取材することをせず、事実ではないことを書いた可能性がある。また、授業の説明として必要と思われることを書いていない。その結果、岐阜聖徳学園大学附属小学校の指導者、児童はじめ、関係者の名誉を損ねたおそれがある。
石原教授には、上に紹介したメールはもちろんのこと、その前後のやりとりにおいても真摯に対応していただき、大変感謝しています。にも関わらず、この投稿が遅くなってしまったことをあらためて、お詫びします。
なお、この増田記事自体が「石原教授」自身が自演で書いているのではないかという勘ぐりもあろうが、冒頭の元増田にこの記事へのリンクを貼ることでその可能性は排除できると考えている。
《あの記事が出た時点でなにができたのか?どうすべきだったのか?》
例によって長くなったがここまでで書くべきことは書いた。
ここからはおまけみたいなものだが、自分にとって必要なことなので書いてみる。
まずは結果として事実でないかもしれない記事を元に増田に投稿したことについて。
一般的に、新聞記事を元にネットであれこれ議論するのは、それが匿名の増田のような場所であっても、それほど不当なことではないだろう。
もちろん誹謗中傷が含まれるのは論外だが、そうでなければ一次情報に当たらなかったからといって非難されることはないように思う。
その上で書くが、もうすこし慎重になることはできた。
実は投稿する前に、記事の真偽について吟味する手間を省いたことを認めないといけない。
俺はあの日経記事には、そのまま鵜呑みにしてはいけないサインがあったと思ってて、俺はそのサインに気づかないふりをして増田を書いた。そこを今反省している。
サインというのは石原教授も触れている「5分で誹謗中傷が増え始めた」というくだり。ここはブコメで指摘している人もいたが不自然だ。普通に考えると5分で誹謗中傷が「増え始めた」と表現できるような状態になるとは想像しづらくて、記事の表現に無理があるように思える。
だからといって他の部分まで「嘘」とはいえないが、記事の信憑性に疑問を持つことはできたかもしれない。そして増田への投稿をやめようかとブレーキをかけるくらいのことはできたかもしれない(ただそうすると小学校に問い合わせることもしなかっただろうし、結果としてこの記事の信憑性についてより深く疑問をいだくこともできなかった)。
次に、やはり避けて通れない日経の取材について。これはちょっと分からないところがあるので、もし知っていたら教えて下さい。
石原教授の言葉が事実だとした場合、今回の記事がこの記者の個人的な失策で、かつ、普通ならまず起こりえない失策あることを願います。
さらに余談を重ねる。
事実ではないかもしれない記事をベースに騒いでしまったという反省はありつつも、今回の件を通して自分なりに子どものネット教育について考えを深めることができた。俺自身は教育者ではないが、親としての意見だ。書いてあることはたぶん色々なところで言われていることの焼き直しみたいな内容になっていると思うのであしからず・・・。自分の考えを整理するために書いています。
このような状況下で「失敗を通して学ばせる」というのは少々乱暴な話で、失敗の程度は大人が積極的にコントロールすべきだろう。いくら野球が大好きでも、小学生をメジャーリーグの試合に出場させたら命の危険にさらされる。成長度合いに応じてステップアップさせるのが最善なのは言うまでもないことだが、なぜかネットの話になると「とりあえず放り込んどけ」みたいな論がまかり通る。それは大人が責任放棄していることだと気が付かないといけない。
などなど、個々の家庭レベルでもやれることはたくさんある。
ちなみに中学生(高校生、大学生)になるまではスマホもケータイもPCも触れさせないという選択もありそうだし、実際やっている家庭もあるだろうが、それだと子どもにネットとのつきあい方を教える機会を持てないし、やっぱりネットを正しく使って欲しいという気持ちがあるので、小学生のうちでもどんどん使えばいいと思っている。
《日本経済新聞社へ》
返事ください。
承前。
前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。
彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教の経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキングの美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。
で、ここからが僕の出番。
稀代の大作家・野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号。
といっても僕は特殊な暗号解読の専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。
あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。
けれど僕はこの仕事を受けた。
基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生の意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。
だから、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。
一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクスが視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。
ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。
三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性の結晶だ。
想像が始まる。僕は右脳と左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。
少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルをフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房、百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。
思いつくまま挙げてみる。
序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスでオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚を遮断することもなくそれを聞いている。
やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療・性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。
〝先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。
ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生は性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士は男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性にお茶汲みを頼むのは性差別」という認識は根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代の男性は持ち合わせていないのだ。
と、ここまで書いていたら三縞君から「あなたのろくでなしな価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。
退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。
僕はおとなしく仕事に戻ることにした。
該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。
馬鹿なことを。
当たり前だが個人情報保護と児童保護はまったく別の問題だ。しかも情報格差は技術的限界によるものとされている。少なくとも一般的な認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。
ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。
思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。
ソフトSF——純粋に人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF。女性作家の隆盛。メアリー・シェリー。ベネット。ル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳が理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。
社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる
即座に理由を問う。
社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるからだ
方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。
過去の日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女は社会的に見れば化け物でしかないというのに。
僕はようやく理解した。
それが指す存在を、僕はすでに知っていた。
誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化の特異点。
道終・知ルその人。
ようやくあの男について語る時が来た。
クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。
結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。
裏仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外のクラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。
自らが果たすべき任務を忘れ。
14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。
ただの変態だった。
それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。
可憐な容姿。挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。
それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。
そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。
いや。
なぜそう設定したのか。
答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児で栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。
本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後の良心だろう。そう信じたかった。
すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。
長く辛い旅路だった。
結局、作者の真意は何だったのか。
僕には朧気ながらその姿が見えていた。
そう。氏は切望していた。
情報の秘匿も。
時代の空気も。
何もかもが存在しない、本物のオープンソースの世界というものを。
最後に。
解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。
うわぁい、子どもの保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!
(続かない)
先週「はだしのゲン」を巡る大きな騒動があり、ここはてな界隈でも話題となったことは記憶に新しいと思われます。
また、教育委員会自体は否定しているものの、右翼系団体からの圧力があったという話があったことも話をさらに大きくさせました。
この辺の話は極東ブログさんが事実関係及び時系列を客観的にまとめた記事があるので、そちらを読んだ方が手っ取り早いと思われます。
さて、ここでブックマークを拾いながら「はだしのゲン」を閉架処理にしてしまうことがいけない理由を見てみたいと思います。なお、これは私がチェックした時点(8月22日深夜0時)においてスターを多く集めている順に書いていることをあらかじめここに記しておきます。
まずは一番目に挙げた記事から見ていきましょう。
調べてみたら在特会が噛んでいた事案だった http://www.nicovideo.jp/watch/sm17718509
ケロイドまみれの人とかヒロポン中毒者とか、発達期の子供が読むとトラウマになる描写ばっかだからいいんじゃん。おかげで子供ながらに戦争・原爆とか絶対ダメだこれって思えたよ。
絵が嫌いで読まなかったけど、それを選ぶのは子ども自身であり、閉架扱いにしたら選択の機会が事実上殆どなくなる。閉架は隠すことと同じだろ。
わからんでもないんだけど、これって「なんか聞かれても答えられる自信がありません」っていう教育委員会の敗北ではないのかな。
不謹慎な言い方かもしれないけど「はだしのゲン」はホラー漫画であり、仁義なき戦いであり、人間の虚飾を引っぺがしつつ、人間賛歌でもあるという極上のエンターテインメントだよ。ぜひ小さいうちに読むべし!
進駐軍によるレイプシーンの事かな。私はあれでレイプの酷さを知った。小学生高学年以上なら大丈夫だと思うけど。/戦争の汚くそして酷い面を覆い隠して、何がしたいんだろう。
こうして見ると、はだしのゲンを戦争の悲惨さを刻み付けるために読ませるべきだという意見は三人ほどおり、またそれに賛同の意を示すかたが意外と多いという事実が分かります。(ちなみに、私はスターを入れていませんが、id:panamolyfumizouさんや、id:IGA-OSさんの意見に共感しました。)
二番目に挙げたブックマークでは某レイシスト集団、ひいては歴史修正主義者に対するコメントばかりなので、「はだしのゲン」という作品そのものに関するコメントは、人気ブックマークに現れていませんでした。もちろん、そういったコメントもあることにありましたが、人気のブックマークの一覧にはありませんでした。当該まとめが取り上げている事案が事案なので仕方がないでしょう。
とは言え、他の「はだしのゲン」を取り上げた記事においては、必ず一つは人気ブックマークにおいて「はだしのゲン」でトラウマが、「はだしのゲン」の描写によって戦争反対が云々、などと言及されているものがあります。また、子供の頃トラウマになった作品挙げていけなどといったしょうもないまとめ系記事でも必ず挙がり、ここでも戦争が云々などと必ず触れられます。統計的なデータは取っていませんが、ネット界隈を見渡す限り、このあたりは共通認識であると言っても構わないでしょう。まあ、統計云々以前に、少なくとも、「はだしのゲン」を読んで性的欲求を満たされただとか、積極的に首ちょんぱしたり戦争を行うべきだという思想を獲得したなどという感想はないことは言えるでしょう。
さて、長くなりましたが、ここからが本題、即ち表題に書いてることについてです。
表現規制賛成派がどういう理由でもって表現規制に賛成しているかはみなさんもよくご存知の通り、漫画やアニメにおける描写が現実の性犯罪を引き起こす恐れがあるということからです(もちろん、他にも理由はありますが、ここではこの理由に絞ります)。
つまり、例えば漫画やアニメの中で小学生あるいは中学生にしか見えない見た目の登場人物が、和姦であれ強姦であれ触手であれ蟲であれ、何らかの性的行為を行っている描写を読者が見て、現実世界でも実行しようという誘引が働くという訳です。米国で問題になったレイプレイの議論も参考になります。また、他の暴力描写が含まれる作品、例えばバトルロワイヤルなどを巡る議論も同様です。フィクションにおける描写が、現実世界においても同様の事例を発生せしめる可能性があるという科学的根拠のない意見でもって、規制をなそうという暴論がまかりとおっているのです。
ところで、上記に述べた「はだしのゲン」を小中学生に見せようという意見を見てみましょう。彼彼女らは、「はだしのゲン」を読むことによって子供達に何らかのトラウマを与えて、また戦争の悲惨さを教え、更にはレイプやシャブの非道さを教えられるというのです。
今度はポルノ表現を見てみましょう。ポルノ規制反対派は、猥褻描写が行われている漫画あるいはアニメを見ることによって、例えばレイプされても感じるのだからレイプしようだとか、現実の児童にも手を出そうとか、そんなことを読者が考えるとみなしているわけです。
この論理構造、本質的には一緒じゃないですか?即ち、何らかの視覚的表現が何らかの影響を読者に与えるというのです。私は、この点でもって、「はだしのゲン」は戦争の悲惨さを云々だという論理には危うさを覚えています。しつこく繰り返しますが、描写が凄惨な漫画を読んで反戦争を唱えると、レイプ漫画でレイプされている人が感じるということを"知って"実際にレイプするとは、本質的に同じ論理構造です。
私自身は、今回の閉架処分には反対です。理由は実に簡単で、漫画の表現なんて現実世界に何の影響も及ぼさないし、そもそも現代においては「はだしのゲン」なんか可愛く見えるくらいグロテスクな表現を使ったブツが大量にあるからです。そんな中で「はだしのゲン」だけを閉架処分にするだなんて無知きわまりないです。また、表現の自由という観点からもありえない決定です。ましてや、「はだしのゲン」が特定個人を誹謗中傷している作品ならまだしも、少なくとも史実にしたがって描かれた作品なのです。やはり、今回の松江市の決定は悪しき前例以外の何物にもならないでしょう。
なお、反戦に関しては、個人的にはたかが漫画を使うのではなく具体的なデータ及び記述でもって丁寧に教えた方がよっぽど良いと思います。情緒に反戦を訴えても意味がありません。それは、より強い思想によって塗り替えられるだけです。確固たる客観的記述を知ることの方が、歴史修正主義者たちの出す捏造された資料を読んで騙されることがなくなるためはるかに有用です。個人的に、ネトウヨがこうもうじゃうじゃいる理由はここにあると考えています。教育関係者には自省を促したいところです。
SSって言ったら何を思いつきます? セガサターンでもセーラーサターンでもないですよ? ショートストーリーですよ。二次創作ですよ。
ゆとり世代が蔓延る前はSSって言ってもちゃんと地の文が存在するまともな日本語だったんですけど、最近のSSはひどいですね。お前らあかほりさとるのあとがきか!って突っ込みたくなるくらいひどい。基本的に 名前「台詞(心情/顔文字)」 の繰り返しですからね。脚本ですらない。ハイコンテクストの終着点ですね。その昔「?」「!」って意思疎通があったって話がありましたけど、そこに向かってるんじゃないかってくらいひどい。何でもかんでも「ヤバい」だけで片付ける人たちを笑えませんね。
前置きはさておき。こないだ電車乗ってたんですよ、そしたら仕事帰りのスーツっぽい新人OLさんが鬼の形相でスマホ眺めてたんですね。何見てるのかと思ったら エレン「〜」 とか書いてあるSSまとめサイトですよ。この系のSSってきっと小中学生あたりが読んでるんだろうなーと思ったらいい大人が仕事帰りの電車で読んでるわけですよ。アホかと馬鹿かと。髪も真っ黒一本結びだったので、ああ、これがゆとり腐女子なんだなーって実感した次第。
暇だったので、昼間にずっと3人組の女子中学生のツイキャス配信を見ていた。夏休みなので動画配信するのも小学生や中学生ばかり。
この3人組の配信、2chのウォッチスレにURLが晒されたため、他と比べて圧倒的にビュー数が多かった。顔がかわいいのと3人のやり取りが面白かったので2chでおすすめされていた。
急激な視聴数の増加に対してすごい驚き、喜び、戸惑い、いろいろな表情を見せていた。
コメントで「2chにさらされてるよ」というネタばらしをする人が現れた。
女子中学生たちの反応は、「怖い」「嫌なんだけど」「どうしよう」「誰か止めて」と2chを怖がるもの。
「怖い」と言いつつ、視聴数は伸びてることにいい気分になって、配信を止めることはない。
面白かったのは、JCが「2chってどんなとこ?」と配信で質問したらコメントで「2chはお金持ちが集まる場所だよ。欲しいもの言えば買ってくれるよ」と付いて、3人のうち1人がそれを一瞬真に受けてたことだ。「オタクが多いからね~」だって。ほんとに2chについて全くイメージできていなかったみたい。よく考えれば、2chに触れたことがない人がいるのは当たり前なんだけど、まあ少しギャップに対してショックをウケた。他の配信でも「2chからキタ」というコメントがついても、「2ch」が何のことか分からないJCがいたりね。
この3人組の配信には「悪いことしてなければ2chも大丈夫だよ」「2ch怖いところじゃないよ」みたいなコメントがついて、半信半疑ながらも「そうだよね~」と顔出し配信が続けられたのだが、その後も「2chからきた」というコメントが続いて、そういうコメントがくるたびに「えー2chこわーい」「どんなふうに書かれてるの-、怖くて見れない」「誰か内容教えて-」と焦りながらもやっまりまだ急激に増えた視聴数が捨てきれないのか配信は続けられていた。2chでは、3人に対する実況、エロネタがメインで時折、配信中に偶然映ったえっちなキャプ画像がやり取りされていた。まあ酷い悪口が書かれていたわけじゃないけど見なければ見ないほうがいいだろう。
「2chからきた」「2chでさらされてる」と書かれても配信を止めなかった3人組だが、コメントで「2chで広まって学校の先生が見るかもしれないから気をつけて~」と書かれたら急に配信を止めたのが印象的だった。急に現実に戻ったのか。twitterやFBでバカやってる人たちも結局、学校の先生や親、職場の上司、同じクラスの話したこともない人が自分の投稿を見る可能性というのを考慮してないんだろうな
携帯で2chとか2chやツイッターのまとめブログに入ると携帯漫画サイトのアフィリンク?にエロ漫画がよく貼られてる。
小中学生はこれを見てアダルトサイトに行くようになってるんじゃないか?
小中学生でなくても普通にDMM等のエロサイトが常に貼られてるし、エロ漫画とかエロゲーのアプリみたいなものまで画像リンクで表示されてたら
皆行くけど、小中学生もそれに釣られるって危険性を何故考慮しなかったっていうのが俺には不思議だわ
よっぽど小中学生に見られない自信があるみたいだけど、あのようなエロ画像を平気で表示してるまとめブログ(アフィサイト)や2chがある以上
俺、童貞だけど。
妊娠の可能性考えたら生でやるのもおかしいし、性教育が不完全だからかとか
色々考えたけど、
女ってのは生ですることに愛を感じてるのか知らんけど、
妊娠して出産して責任持って育児できるの?っていつも思うんだけどね。
アレ見たら自力で育てるって言っても
結局親に頼って本人たちは教育と養育って施し受けてんじゃん
そんなちっぽけなもんなの?って
童貞なりに頭捻って考え出したわ。
男も男でやったら、ヤリ逃げっていうの?
女にばかり責任とか義務とか押し付けて男が種付けさえしなければ
産まれてくる子供なんていなかったし、誰も不幸にならなかったじゃん
不幸って言うのは経済力を表しててさ、
男が種付けして女が妊娠したとして、普通は男には経済力も責任も義務感も持ってて
男が未成年だとか既婚者だとかって場合、あるいはニートだったらどう?
仮に既婚者は経済力あっても責任とか義務とかって未成年相手に償えると思う?
社会性とか道義性とかを顧みても批判されたり会社クビになったり離婚されて莫大な慰謝料請求されるのがオチじゃない。
童貞の俺ですら、それはちょっと難しいんじゃないかって思う位だから
ヤリチンの男にとっちゃ避妊なんて知った事じゃないと思って無くても
女にしたって、妊娠したから責任取って!って男に詰め寄ったりするけどさ
そりゃ避妊しなかった男は責任取るべきだけど、避妊をするように口を酸っぱくして言わなかった
それでも男だけに責任取らせようとするの?
それって無責任じゃない?
女は妊娠してるから、子供を宿してるから母親として、責務を負わないといけないはずだよ。
それを男だけに負わそうとするのは都合よすぎない?
件のドラマみたく親にまで責任負わせようとしてた子供なんて見てたら尚更だよ
特に未成年の場合、子供が子供を産むって状況そのものが異常だっていうのに
誰が責任を取るかって事に問題が行き過ぎてこの異常性を理解できないって事が異常だよ。
少なくとも性教育を受けているはずの未成年が、この状況下でただ避妊もせずに種付け行為をやってる事が問題なんだよ。
それって性教育が不完全ってことなの?
未成年がそれを知っててなお避妊なしのセックスに溺れるんだったら、もはや未成年の自己責任だけどさ、
そもそも性教育が不完全だから起こっているとも思う。つまり学校教育の機能不全障害。勿論その子たちの親が原因で起こっているとも思う。
いずれにしても、童貞の俺なんかに心配されるようなら、いっそ未成年のセックスそのものを禁止にするとか、未成年の結婚を認め無くするとか
性教育にしてもやり方とか避妊方法とか教えて、これじゃまるで未成年のセックス推奨してるみたいで助長行為にしか見えないし、こっちも
段階踏むとかより廃止した方が被害減りそうだけどね。
あと、大人の子供に対する淫行の厳罰化とか、風俗キャバクラソープとか、出会い系は勿論子供の11時以降外出を厳罰化させるとかって対策取った方が
効率的なんだけどね。
親の借金でそういう所に行かされたりとかを無くしたり、小中学生の着エロDVDとかの出演を禁止にするとか、その辺の些細な部分での管理が出来てた方がよっぽど性教育より安全だと思うね。童貞の俺でも考えられるんだから、ヤってばかりの猿・・・じゃなかった未成年諸君も気を付けるべきだよね。
http://www.musashino.or.jp/sports/_1103.html
※市民カードをお持ちの方は半額、ゴールドカードをお持ちの方は100円、プラチナカードをお持ちの方は無料です
くっそ安いわwwwwww
http://www.city.fukuoka.lg.jp/shimin/s-sinkou/shisetsu/009.html
5月~10月=一般320円、高校生160円、小中学生110円
11月~4月=一般390円、高校生210円、小中学生160円
[ 高齢者(65歳~69歳) 半額相当額 ]
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
にて田舎者を差別し、本人のブログhttp://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/07/01/220257で「差別的な思考」を「表現」の問題に矮小化して謝罪を行った@gudahcanであるが、その後どうなったのか観察してみた。
考えてみれば日本の人口比は都市部と地方で半々です。それに地方は超高齢化して居て、そんな時代に大学で田舎者がうようよいるのはおかしいわけで、実は彼らの実家は地の利の仕事の自営業者とかで親が高卒なんですよ。時代が時代なら大学にも進学せず家業を継いでいるような若者が東京に集るのは危険だ
2013-07-06 12:52:34 webから | Location:
URL: | Timezone:Toky
http://twittaku.info/view.php?id=353360800548782082
そんなだから地方の商店街は「跡継ぎがいないから」と廃業してしまう。農民がいなくなり耕作放棄地が増える。すると、地方衰退がさらに激化する。 都会の過密は一向に変わらず「一世代遅れ」の若者が多すぎるために都市社会の基本形がアップデートされず昭和のままに。東京はそうして国際競争力を失う
2013-07-06 12:54:03 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361173489528832
上京一極集中を廃止にしよう。そのほうが地方の未来も東京の未来も明るい。「高卒で当たり前」は本来は戦争体験世代までなんだよ。若者の親の時代(4~50代)は普通は大学いってるんだよ。首都圏育ちで親が高卒なんてほとんど全くいねーぞ。「親が高卒の田舎者」は単純に1世代遅れているんだよ
2013-07-06 12:55:25 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361518693335040
地方出身の友人知人、大勢いる。個人に対する情はあるんですが、社会風土としての上京一極集中は絶やした方がいいと思うんだわ。こんなの間違ってる。こんな親の若い頃みたいな人間が自分ら世代とか自分より若い年齢の大学生に多いから東京は文化も労働環境も時代遅れのままで落ちぶれるんだよw
2013-07-06 13:04:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353363794732396544
地方出身者が地元に残った仲間との「格差」を口にするのを聞くと「いや、お前らがホイホイ東京に集るからそのしわ寄せが地方に発生してあんたの友人も格差に苦労するんだろ」としかいいようがないのだが、同じ口で「上京して村を捨ててよかった」と自画自賛するから本当に鬱陶しかったな
2013-07-06 13:20:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353367868806660096
良いヤツほどUターン就職するんだけど、嫌味っぽいやつばっかり東京に居残るんだよ。商業主義のカモみたいな、着飾って、ギョーカイ人でもないのにTOKYO全開の場所にいきまくって、利己主義で軽薄な人間ほど残るわけ。東京がつめたい町になるのは間違いなくこのせいだと思うんだよねw
2013-07-06 13:22:06 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368233044213763
俺は地方の人は嫌いではないけど、東京に居残る田舎者はいやだなあ。東京(都会)の嫌味な部分を上辺ベタベタにぬったくって、田舎(地方)の悪い所、陰湿さとか村社会?とか封建仕込みは踏襲するあの感じ。ドヤ顔でTOKYOっぷりをひけらかすあの感じはマジで吐き気がするし
2013-07-06 13:23:45 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368648787828738
昼ドラマとか電話人生相談に出てくるような漫画みたいな姑的というか村八分社会に生きるしょぼい田舎者みたいな、そういう陰湿で「そんなことを気にするのか」という人の細かいことを槍玉にあげ、執着し、くどくどと文句を言いたがる、こういう人間は碌でもないよ
2013-07-05 11:29:38 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352977541092474881
そして、あくまで「スクールカーストの下目」なんだよ。「スクールカーストの一番下」ではない。そして、そういう人間は、近親憎悪から一番下をイジメるんですね。いじめられっ子はみんなそうだった つまり、生活保護を批判するのは「生活保護に依存しない貧乏人」だと思う
2013-07-05 12:26:23 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352991824043978757
なんつうの。ほら、田舎とかの自称進学校卒で、田舎の人間なのにチャライこともやんなかったり、つうかオラオラ系にはびびっちゃって、一方で引きこもりやオタクや偏差値の低い高校の子どもたちを蔑視しているような、そういうポジの人、日東駒専大学にはうようよいるけど、「性格悪いいい子」多すぎw
2013-07-05 12:40:20 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995334777094144
日東駒専大学の中でもやはり数割程度だけど、こいつら、マジで閉塞感&存在感ヤベーよ。こういう人間たちは、偽でもいい子で「真面目系」だから自分自身は批判にさらされることはないので、極端になるわけですよ。あと、生きているフィールドが狭すぎるというのも問題だね
2013-07-05 12:41:29 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995621457756160
そういう馬鹿が日東駒専大東亜あたりの中堅(または中の下)の大学には多い。マーチにも下流層あたりに数割はると思う。こいつらのなりふりってネットの足手まといみたいな匿名世論そのものでマジで面倒くさい。自分みたいな出すぎた杭でない限りは厳しい批判にさらされているんだよ
2013-07-05 12:49:48 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352997717041094656
田舎はオラオラ系至上主義だろ?田舎育ちでチャライ兄ちゃん姉ちゃんは案外いい人多いんだよ。で、田舎だとしょこたんとか土田みたいなアニメ被れた中間層がいないから、カーストの底辺がヲタになる。田舎出身のヲタはいい人多い。ほどよい進学校でほどよくガリベンして手抜きしてた人間が一番たちが悪
2013-07-05 13:05:14 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353001600580722689
田舎だと子どもじゃないのにアニメ見てるってだけで、逸脱者だろ。あれも面倒くさそうだけど、その逸脱経験があるから寛容なれるんなら、上京すりゃあいい生き方で切ると思う
2013-07-05 13:13:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353003669752516608
田舎の「ただのいい子」は限りなく偏狭だ。「頭がいい子」ならその頭脳をもってよく学び、視野を広め地元で一番の高校にいき、いい大学にいってエリートになる。「クラスメイトウケのいい子」はオラオラ系っぽくても弱い者に気にかけたり笑顔でお神輿かついでそうだ、田舎の「ただのいい子」は問題だわ
2013-07-05 13:17:50 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353004771931725824
偏差値ヒエラルキーでもスクールカーストのヒエラルキーでも上位ではない。けど、底辺でもない。国道の中央分離帯に生えてる並木みたいなありふれた存在の「いい子」は、高卒になるほどアレではなく、されど名門大に行くほど学もないから首都圏の中堅大にはうじゃうじゃいるんだよ
2013-07-05 13:19:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005228028723201
都市部の「ただのいい子」なら別にいいんだよ。首都圏はやはり人口が多く流動性がある故に多様性がある。休日なんかには遊んだりする経験も豊富だろう。「疎か過ぎず密すぎない」クラスの付き合いの中にも地方と比べると多様性がある。首都圏と札幌仙台名古屋関西福岡はそんなもんかなあ
2013-07-05 13:21:27 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005679084191744
@-------- 地方固有のよい文化や風土についてを貶める意図はないのですが、そういう点のみを読むと誤解されてしまうのも仕方がないでしょう。昔と違って今のネットユーザはじっくりと読みませんからな、ぱっと見た上で問題があったら批判をするでしょう。再考が必要かもしれないです
2013-07-02 16:15:33 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=351962332760514561
ホームの床に座りこんで通行客相手に堂々と巨大M字開脚してる女の子はヤバいな。県央ギャルはさすがにクオリティが違うわ
2013-07-03 23:16:36 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352430678316552193
彼女との痴話喧嘩にキレたのかゴミ箱を蹴っ飛ばし飲んでいたビール缶を線路に投げて三回くらい唾を吐いて叫んだ青年よ。県央人の立派な鑑だよ
2013-07-03 23:21:05 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352431806131343360
タイムラインが勉強になる。なるほどなあ・・・都市と地方の差ってこれかもな 「一般的な小中学生が洋楽に並程度の認知理解があるか、または並にも満たないか」
2013-07-05 13:40:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353010467783966722
@sasakitoshinao (承前)なんら過ちを侵していない人への理不尽な難癖による「炎上」ケースもたまにありますし、炎上に満たなくても、ネット上で些細ないざこざをおこしたがる人というのは、どこにでもいます。佐々木さんはこの辺についてはお気づきでしょうが、どう思われますか?
2013-07-06 15:45:37 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353404348778299392
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
両方知らない人なので経緯をさらってみると、
A「親がペットを捨てた、あいつら本当にろくでもない」という呟きに対し、
B「保護するから場所教えろ」とそれを見咎めた人が噛みついたらしい。
やりとりからしても、Aのホラという訳ではなさそうだ。
ペットを捨てたAの家族がひとでなしであるのは言うまでもない。
(どうやら何度も飽きては捨てているらしい)
怖いと感じたのは、それをひどいことと認識しているくせに、ぺろっとTwitterに書くAという存在だ。
AはBの怒りの問い合わせに対し「うちの家族をかき回さないでください」と返事している。
Twitterに書いたら、そういう怒りが向けられて当然なのに、思い至らない。
(とりあえず学生ではあるようだが、小中学生ではなさそうだった)
Aはきっと自分のことを「狂った家族の中で唯一常識的な私」「被害者の私」と考えているんだろう。
どうしようもなく、歪んでいる。
自分はイラついてるんだ、お前に思い知らせたいんだ、正義を執行したいんだ、罰したいんだ。
色んな理由があるが、要は罵倒だ。
バカだとか死ねだとか、殺人と同じだ猿と同じだ、足りない脳みそで必死に考えたんだねとか。
ここで射精、とか(棒、なんてのも婉曲的な表現だけど、要は罵倒だ。
本質が伝われば言葉が乱暴でも構わないという考え方もあるのは判るが、罵倒は罵倒だ。
立ちションしながらプロポーズするヤツは居ないだろうし、鼻くそほじりながら商談はまとめない。
社会性というのは、相手との間に共通するプロトコルを知っていて、かつ、それが使えることを言うと思う。
乱暴な言葉遣いと罵倒とが一線を画しているのは、そこだと思う。
ネット上の罵倒芸(と言える人はごく少数だけど)を読んだ小中学生が、気軽に罵倒を真似した結果、
心に大きな傷を負うのは、個人的にはもう見たくない。
たいていの場合、口うるさいジジイってのは文字通り老い先短いわけであって、
という勢いだけの言葉を放った翌日、本当に爺さんが死んで通夜で家族が泣いてるのを見てショックを受ける
なんてのは、そんなに特殊な話じゃないだろう。
だから、罵倒したくなったときには、実害のない罵倒を考えることにしている。
「うんこを踏みますように」「宝くじに外れますように」「一生富士山に登れませんように」「なぜか世界遺産に行けなくなりますように」
そう、知り合いにも話してみている。
勢いで書き込みたくなったときは是非。
その結果、罵倒しようと思ったコメントそのものがばかばかしくなって、何も書かなくなるから。
その方がずっと良い。
こんなんが話題になってて、漠然と頭がいいってことについて語られてることについてムズムズしたので自分の考えを書く。
テストとかに対する頭のよさって意味で言えば、頭のよしあしなんて最初からなくて、要領がいいかどうかに尽きるんだよ。
オマケで生まれ持った記憶力か。
高校生くらいまで要領よく勉強できてたけど、大学で引きこもってぼっちになって勉強の要領が悪くなって成績を落とした自分の経験則。
なんで周りができないのかがよくわからなかった。
小中学生のときはテスト勉強ってことで構えて家で自主的に勉強なんてしたことなかった。
小学生のときは授業を真面目に聞いて宿題をやりさえすればそこそこの点数はとれたし、中学生も同じだったから。
義務教育のカリキュラムはやっぱりそれなりに筋が通ったものだったんだなあと今では思う。
初めてテスト勉強をしてると意識したのが、高校受験のための勉強。
最初のテストで、高校最初だからと思って最初の定期テストのときちょっと勉強をしたら学年3位。
ちょっと勉強したら3位ならがっつりやったら1位いけるだろと思って、その次から卒業まで全部のテストでテスト勉強をがっつりやったら、ほぼ毎回定期テストトップだった。たまに2位とか?
ただ、進研模試とかだったら成績は人並みだった。
結局それは定期テストで高得点をとるためのコツを習得してただけで、頭がいいわけじゃなかったことの証拠。
定期テストで、この先生だったらここを出すとか、これを覚えたら確実に何点は確保できるとか。
授業を真面目に聞いてノートとって宿題もして。それくらいで全部カバーできた。
だから、周りも自分みたいになると相対的に自分が特別頭がいいといわれることもなくなると思って恐れてもいた。
自分と同じようにしたら誰でもテストで高得点、高順位になってしまうと思って内心ビクビクしてた。
なんだかんだで高校の貯金で旧帝に滑り込んだけど、大学だとひきこもっちゃったから、
本来大学のテストのノウハウである、先輩からの過去問をもらうとかサークルで過去問を回してもらうとかが一切できなかった。
だから、高校よりも絶望的に増えたテスト範囲に対して丸腰で挑むような形になって、一人じゃ到底カバーできないようなテスト範囲に対して挫折した。
ノウハウを習得できなかった。
あえて言うなら、あとは記憶力かな。
だとすると、自分は記憶力が他人よりちょっとよかったんだんだろうな。
でもそれは頭がいいってことじゃなかった。
ただそれだけ。
「○○ちゃんねる」(2ch風小説)は創作SNS「pixiv」で流行している、匿名掲示板のスレッドの流れを模したチャット形式の読み物です。
台本形式のように手軽に読み物が書け、手軽に読めるため、pixiv小説で絶大な支持を集めています。
2ch風小説 (にちゃんふうしょうせつ)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/2ch%E9%A2%A8%E5%B0%8F%E8%AA%AC
その「○○ちゃんねる」作品のうち、商業ゲームブランド「TYPE-MOON」の『Fateシリーズ』を題材にしたものが、「冬木ちゃんねる」です。
「Fateシリーズ」は2004年に発売された男性向け長編ノベルゲーム「fate/staynight」からはじまる作品群です。
美少女キャラだけでなく個性のある男性キャラクターも多数登場し、熱いバトルやドラマチックな展開が繰り広げられるため、昔から女性層にもファンが多いゲームでした。
それが2011年のアニメ化でヒットした派生作品「Fate/Zero」という外伝ライトノベルと、女主人公・男主人公が選べるPSP用RPGゲーム「Fate/EXTRA」で、小中学生・高校生~の若いファンが沢山流入し、SNS「pixiv」でも、2011年秋期以降、女性ユーザーメインの「Fateシリーズ」二次創作が一気に増加し、支持を集めるようになりました。
そこに、2011年当時pixiv小説で爆発的に流行していた「○○ちゃんねる」形式の読み物のFateシリーズ版「冬木ちゃんねる」が出現しました。
初期は他の「○○ちゃんねる」小説が流行するジャンル(「黒子のバスケ」のくろちゃんねる、「タイガーアンドバニー」のシュテルンちゃんねるなど)のように、原作キャラクター主体のものが主で、
オリキャラが登場してもモブの域を出ない、あるいは原作キャラクターを活かすためにオリキャラを投入する作品、多くのキャラクターが亡くなる原作の結末を、オリキャラの介入によりなんとかハッピーエンドにできないかという内容のものが大多数でした。
オリキャラ介入による、全員生き残る「Fate/zero」世界への介入ものに人気が出るうちに、そのうち、だんだん特定キャラへの過激な暴力や制裁の描写が含まれる、ヘイト創作としか言えないものが増えてきました。
ヘイト創作とは、キャラクターの思想やあり方を否定したり責めたりすることを目的として作成された二次創作物の総称です。
ヘイト創作 (へいとそうさく)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E5%89%B5%E4%BD%9C
キャラヘイト/ ヘイト表現/ 同人用語用語の基礎知識 http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_chara_hate.htm
これらの投稿作品が一定数の支持を集めてしまったことにより、「冬木ちゃんねる」の様相は一気に変わって行きました。
「Fateシリーズ」「冬木ちゃんねる」や「ヘイト創作」なら人気が取れると考えたユーザー達が集まり、題材作品を読むことすらなく、流行に乗ってこぞってヘイト創作を発表しました。
「冬木ちゃんねる」ならオリキャラ主人公物を書いてもいいと考えたユーザー達も、こぞって夢小説や転生憑依オリキャラ作品(現実世界に住む作者自身のアバターが題材作品の世界に転生・トリップし、主人公として振る舞うもの)を「冬木ちゃんねる」で発表しました。
彼らの多くは「Fateシリーズ」という作品には興味をもたず、原作をプレイしたりアニメを見たこともない、今後見るつもりも無いという方々でした。Wikipediaやプレイ動画などのネット情報で見た目と設定だけ把握して、二次創作と点数評価と、交流だけ楽しめればそれでよいという方々です。
Fateシリーズの原作キャラクター達は冬木ちゃんねるの中でオリキャラや書き手の最愛キャラの添え物として、悪役や下衆、引き立て役、説教対象、断罪対象や、オリキャラに味方する騎士役、オリキャラを溺愛する彼氏役や逆ハーレム要員として扱われました。
「(キャラ名)ざまぁwww」「(キャラ名)フルボッコ」などのコメントタグが多用されたので、作品の中身を読まなくてもわかるキャラdisや原作者様方への中傷が可視化されてしまいました。
好きな作品やキャラクターの名前でpixivを検索しただけで、罵声と嘲笑・ヤジが多用されたコメントタグや、常軌を逸したタイトルを目にするようになりました。
クロスオーバーに利用された作品や、その作品のキャラクターが好きな人達の目にも、嫌でも目に入ってしまうようになりました。
原作のファンは、「冬木ちゃんねる」自体を避けるようになりました。
原作沿いの「冬木ちゃんねる」を投稿する事を止めてしまった投稿者も、沢山居ます。
Fateシリーズを知らない、クロスオーバー先の版権作品タグやキャラ名等を検索した人達は、Fateシリーズとファンそのものを「他所の作品を巻き込んだヘイト創作が流行し、不快なタグが並ぶマナーの悪いジャンル」と白眼視するようになりました。
これまでの過程で、これらの投稿作品群の作者さんたちに注意をする方々が居なかったわけではありません。
「FateSSについての提案」という、注意喚起を行う人も居ました。直接投稿者へ注意をする人も居ました。でも逆切れされてしまい、注意喚起のために閲覧者が付けた「ヘイト描写あり」「原作未プレイ」「オリキャラ」「転生憑依」等のタグを削除されてしまったり、注意メールを晒しものにされてしまう事例も続出しました。
抗議メールを晒して、ひどい内容に書き換えて笑い者にする人も居ました。
そのうち、原作厨という言葉ができ始めました。作中内では「物語を原作通りに進めることを目的としてオリキャラや原作キャラに干渉する人々」という定義です。中にはこの「原作厨」を、間違った設定を諌めたり、ヘイトに反発している原作ファンと重ねて、作品内で悪役に仕立て制裁するという作品もありました。
また「原作厨」という言葉自体が、冬木ちゃんねるの言葉を知らない人たちからみれば原作ファンを攻撃するものに見え、さらに外から見えるタグ内において「原作厨」が敵として叩かれ断罪されていることで、「冬木ちゃんねるの人たちは原作ファンでないのだ」という思いがfateの二次創作を検索している人達に広がりました。
投稿者へ注意をする人はどんどん減り、「冬木ちゃんねる」は投稿者も読者も、題材作品であるはずの「Fateシリーズ」の内容すら知らず、原作を三次創作のための土台や、オリキャラの引き立て役のように扱う人が大多数を占めるようになりました。
すると三次創作される中で、多くの原作キャラクターがとんでもない誤解のもとに歪められ、原作中には本来ありもしない過失や落ち度・下衆な行動・言動を捏造され、それがさも事実であるかのように冬木ちゃんねる外部でも語られるようになりました。
原作のキャラクター達は、投稿者の贔屓キャラクターやクロスオーバー先キャラクター、「最強」で「チート」で「周囲から愛され、守られ、崇拝される」オリキャラ主人公などによって「当たり前のように」作品の中で断罪、中傷、説教、暴行、殺害されるようになりました。
それらの二次創作物・三次創作物やウィキペディアの斜め読み、違法動画だけで「Fateシリーズ」の知識を得た読者達が、実際の匿名掲示板やTwitter、ニコニコ動画などでヘイト発言を行うようになりました。
そのうちpixivでは、ちゃんねる形式以外のFateシリーズ関連投稿作品にも、「○○未視聴」「プレイ動画を見ました」「Wikipediaと二次創作でFateシリーズの知識を把握しました、公式作品は一切読んでいません」「パラレルワールドを舞台にした作品A "以外" はWikiでしか知りませんが、(正史の作品Bにしか登場しない)キャラの話を書きました」「原作乖離」「原作はお外にポイしました」などと、さも免罪符であるかのように自己申告してFateシリーズの三次創作やヘイト創作を行う投稿者が続出するようになりました。
pixiv小説内で「ヘイト創作」タグが付いている600件以上の投稿作品のうち、91%が「冬木ちゃんねる」関連投稿物です。
つまり、pixiv小説で「ヘイト創作」タグが付いている作品のうち、99%がFateシリーズを題材にして書かれた作品です。
「ヘイト創作」タグや注意書きが付いているならまだいいほうです。
閲覧数稼ぎや悪評の回避、ファンへの嫌がらせ目的で、キャラクタータグやカップリングタグを付けてファンアートに偽装したヘイト創作も、少なくはありません。
1年以上続く、これらの状況を見かねた方々が、「冬木ちゃんねる」のpixiv百科事典に、「冬木ちゃんねる」内でのヘイト創作の現状と、「冬木ちゃんねる」内で歪められ貶められたFateキャラクター達の現状や、原作者様方や原作ファンすら悪役として中傷され作中で殺害される扱いの酷さを、pixiv百科事典「冬木ちゃんねる」に書き記しました。
【「冬木ちゃんねる」作者さんへ】という注意喚起も行われました。
冬木ちゃんねる (ふゆきちゃんねる)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/%E5%86%AC%E6%9C%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
pixiv百科事典「冬木ちゃんねる」のコメント欄には、この記事の内容は言いがかりだと主張する方も現れたため、1週間分の投稿作品の統計を行い、それらのデータを公表する人も現れました。
すると、ゲーム「Fate/staynight」(全年齢対象版含む)をプレイしたことがある人は10%以下、ライトノベル「Fate/Zero」を読んだことがある投稿者は20%以下だったことがわかりました。ステイナイトやZeroのアニメだけは見たことがある」という人も、30パーセント未満です。
「冬木ちゃんねる」は「Fate/Zero」「Fate/staynight」の世界"冬木市"を舞台にしたものが大半を占めるにもかかわらず、です。
冬木ちゃんねる内の実情が明るみに出ると、投稿者達はこぞって「お知らせ」を「冬木ちゃんねる」タグで投稿しました。
「マイピク」(限定公開)へ誘導をかけたり、「冬ちゃん派生」などの回避タグを使用して、またはヘイト創作タグや「ヘイト描写あり」などの注意書きのみ削除して一般のファンアートに偽装するなどして、今まで通りヘイト創作とオリキャラ物を発表しようとする投稿者も続出しました。
2013年5月初頭には8500件ほど有った「冬木ちゃんねる」投稿物のうち、2500件以上がタグ移動、マイピク移動等で分散しました。1400件以上が「冬ちゃん派生作品」というタグへ移りました。
今、pixiv小説で「冬木ちゃんねる」を新着検索しても、「お知らせ」と書かれた投稿物が大量に並ぶばかりです。Twitterや匿名掲示板などで、不満を漏らす人も沢山居ます。
「冬木ちゃんねる」タグで投稿された沢山の「お知らせ」の中には、pixiv百科事典「冬木ちゃんねる」の内容に反論の声明を出す投稿者も少なくありません。
pixiv百科事典「冬木ちゃんねる」のコメント欄には、現在400件近くのコメントが付いています。
そのうち、130件近くは百科事典の内容に抗議する方々からの連投荒らし行為です。
これが「冬木ちゃんねる」タグと、pixivのFateシリーズ二次創作コミュニティの中で、私が見てきた限りの一連の流れです。
知らない作品のキャラクターやファンを貶めて楽しむ事や、愛情もなく一次創作物を利用する事は、二次創作コミュニティの中で受けいれられるべき行為なのか、この現状を悲しんでいる一人のファンとして、沢山の人の意見が聞きたくて、この文を書きました。
この文章が多くの人の目に触れることを願っています。
「死にたい」っていう感情は一般的な感情で誰しもが持っているものだと思っていた。
私は、小中学生の頃から苛められていて、無視をされるのは当たり前のことになっていたし、「死ね」「ブス」「臭い」と言われる事も、自分にとっては当たり前のことだと思っていた。
小学生の頃は「屋根の上から飛び降りたら死ねるかも」と思いながら、毎日、屋根が見える廊下に座りながら死ぬ事ばかり考えていた。
中学生の頃の記憶は苛められすぎてあまりない。というか、あまり覚えてない。
高校生の頃は苛められてはいなかったけど、毎日、駅のホームから飛び降りたいと思っていた。
社会人になっても、暫くは、毎日、駅のホームから飛び降りたいと思っていた。
でも、普通じゃないという事が、精神科に行って今日やっとわかった。
病名を付けられたら楽になった。
この状態は普通の事じゃないという事が解って楽になった。
「死にたい」という状態が普通じゃないなら、普通の状態になれば「死にたい」とは思わなくなって楽に慣れるんだなって思ったの。
なぁんだ、病気なんだ。
私は病気だったんだ。
戻る前に死ぬのは嫌だな。
自分のいるオタクコミュニティ(仮にオタサークル同期の仲間たちとしておこう)、20代前半あたりまではほとんどの人がバイトとか親からの小遣いでやりくりしてたから、あまり経済的な格差はなかった。
しかし、20代後半あたりになってから、だんだんいい企業に勤めてる人と非正規雇用の人(俺含む)の間に経済的格差が出てきてしまった。
お金持ってる人はバンバン物を買う。ラノベ・アニメBD・ゲームハードやソフト・PC新調・etc。かたやお金ない組は図書館・レンタル・ネット無料配信・中古屋等を利用するにしても限度があり、両者の間の購買力に顕著な差が現れた。
話が合わなくなるというほどではないが、TwitterやSkype等で話をしてると「あのアニメのBD初回特典の映像がよくてさー」「へーいいなー」と持たざる者が持てる者を羨むことが増えた。
そういう些細な羨みの積み重ねが、お金ない組の心に負担をかけている。
一番キツいのが交遊費で、お金持ち組が「オフしようぜ~」と気軽に誘ってくれるのはとても嬉しいんだけど、お金ない組はそんな気軽に街中に出てご飯食べられないんだよね。
オフ周りだと舞台探訪とかイベント参加もお金がないと苦しいオタク活動だ。都会-地方格差が絡むとさらに悲惨なのだがここでは措く。
全体的に、「なんか面白いことする/ものに触れる」ためにはお金がやっぱり必要で、可処分所得が多い人は面白い経験をしてまたさらにオタクとしての磨きをかけられるわけだ。それが本当に羨ましい。
互いの勤め先が変わらない限り、この先も経済的格差は開く一方。辛い。
「「「生まれや育ちや仕事はバラバラだけど、とにかく俺たちオタク同士! ウェーイwww」」」とか言っていつまでも楽しく過ごしたかったわ。
深夜に書き散らしたエントリが多くの人の目に触れることになって恐縮です。はてブやTwitterでの反応に対して返信、とはいかないまでも反応はしておこうと思います。
そうなんですよね。「せめて、オタクライフだけでも不公平感を覚えずに生きていけたら」という思いがあります。「自分を変えろ」とか言われそうですが。
自分は不安症である。物心ついた頃から、不安症である。理由は特にない、多分。器質的なものである。
で、昔からお金を使うのが怖い。お金が足りなくなるのが怖いのだ。今ここで使ったらいつかの時に足りなくなるかもしれない、とお金の概念を理解したくらいから思ってる。それでちょくちょく使えないことがある。
なお今は加齢のせいか、あるいは貯金がそれなりの額に達して調子こいてるせいか、時々ポンと使う。普段はケチだと思う。他人に対しては常識的な額より少し多めくらいに使うが、自分に対してはドケチである。人に迷惑をかけないドケチと呼んでいただきたい。いや呼ばなくていいです。
前置きが長くなったが、まだ前置きである。
姉と妹は金遣いが荒い。といっても、姉はしたたかなところがありきっちり自分の欲しいものは手に入れた上で、絶妙に足りなくなる(子供の頃は10円20円、おとなになったら100~2000円くらい)ので、大人からうまいこと援助を引き出す、という術に長けている。あれも器質的なものである。たぶん。
逆に妹はバカで、欲しいものから順にてにいれていき、どうしても欲しい物を見つけた時には全く金がない。で、大人に泣きつくがあしらわれる。そういうバカである。甘い大人がいると泣きつくたびにほしいものを買ってもらえるタイプである。
自分はひたすらなにも手に入れない。ケチだと怒られる始末である。
上記のような性質により、姉はこれまた絶妙に人に喜ばれて自分が損だと感じない土産をチョイスする。出して良いと判定しているらしい金額で、見栄えと量が最大化する組み合わせを選ぶのがうまいのである。
妹はバカであるため、出して良いと判定する金額が設定されていない。あとは見栄と自分が食いたいものorほしいものである。そしてその時に持っている金額しだいで土産が決まる。したがってしばしば買いすぎるか、少なすぎる(たぶん有り金がつきたと思われる)。最近は年食ったせいか身内に対しては見栄をはろうという気概が無くなったのか、質<量でやたら安いものをたくさん買ってくる。そしてまずい。
さて、そして自分だが、昔は土産を買うのが非常に苦手だった。頭のなかに最悪のケースが浮かぶのである。たとえば修学旅行の観光バスが何らかの事情で使えなくなるか置き去りにされ、自力で家に帰らねばならなくなるかもしれないというどう考えてもありえないケースを最悪ケースとして考えてしまう。そうすると自力で帰るために手元にまとまった金を残しておかねばならないので、土産にも自分に対してもほとんどなにも使えない。食事も即決一番安いものである。水もできるかぎり飲まない。どれだけケチかというと、筋金入りのケチである。というか不安神経症である。それも病的な。
で、まぁどうしても土産は買っていかねばならないという意識はあり、あまりにもしょぼいと母親が切れて家を叩き出される可能性がある(家を叩きだされたあとにどうやって生活するかと考えると息が苦しくなるタイプである)ため、保険をかけて少なくとも母親が怒らない最低ラインの土産を買ってかえる。要するにしょぼい。まぁでも母親がしょうがないわねぇという人だとたぶん未だに土産を買うという習慣がなかったので、母やありがたしであるが、しかししょぼいことにはかわりないのだった。で、帰ってくるとたいてい説教をされる。
とはいえ、この得体のしれない不安感は加齢とともに軽減している(図々しくなったともいう)ため、大学に入る頃にはだいたい普通くらいの土産をチョイスできるようになった。
で、ある時バイトでためた金で友達とディズニーランドへ行った。大学にいったら小遣いはなくなる方針の家のため、決して軍資金は多くなかったが、出来る範囲で飲み食いをし、大いに楽しんだ。
高校生の時もやはりバイトでためた金で友達とディズニーランドに行って、金がないなりに大いに楽しんだことはある。この時はマジで金がなかったので土産はしょぼかった。カネがないことは両親も承知していたので、母はぶつくさとやはり文句はいったが、小中学生の頃ほどは怒らなかった。まぁ自分で稼いだ金であそびに行ったわけだし、文句言われるのは筋違いだと思うが。
で、大学生になってバイトで稼げる金が格段に増えた(とはいえ社会人ほどではない)し、友だちときゃっきゃしながら土産を買って、あぁ土産買うのって楽しいんだなぁ!と思いながら家路についた。これははじめての経験だった。友人たちに比べればやはり金遣いは控えめであるが、帰れなくなるかもしれない、路頭に迷うかもなどと考えながら半泣きで買う土産とは次元を異にしていた。普通の人はこうやって買ってるんだと本当に目からうろこだった。そりゃ、土産屋が繁盛するわけである。ディズニーのゲートの外にも販売店があるわけだ。
で、実家の最寄りの駅につく。母は迎えに来てくれていた。どうだった? 楽しかった? と当たり障りのないことを聞かれて、テンションの上がっていた自分は楽しかったよ! おみやげもいっぱい買った! などと答えた。車中は和やかな雰囲気だった。母が眉間にしわを寄せずに私を迎え入れたのはあの時がはじめてだったかもしれないと思うくらい和やかだった。
が。
やはり母は母である。というかうちの家族はやっぱ世間一般からは少しずれていると思う。母は言った。妹が、もししょぼい土産しかかってこなかったら家の中入れないとか息巻いていた、と。良かったねぇ、家に入れてもらえて、と。
それから十年たった今、思い出してブチギレている。当時はむっとしただけで、あぁ、そう、で流したが、時が経つにつれ腹が立つ。
十年間色々とあったが、妹とはほぼ絶縁状態である。母はたしかに変わり者であり、私とも相性が悪かった(自分は非常に扱いにくい子どもであったので仕方ないが)のでよくきつく私にあたったが、妹はその母の尻馬に乗って私をよくバカにしていた。土産の話もその一つだ。そして母は妹を咎めなかった。
確かに自分はドケチである。だが、そういう性格なのはしかたがないのだ。不安症には長く苦しめられているし、鍵を閉め忘れたと言っては何度も家に戻りそれだけで疲れて出かけられなかったり、ストーブを消し忘れた気がするといって家に戻り約束の時間に遅れたり、新しい服がすぐにダメになってしまうのを恐れてなかなか買えなかったり、首になることを恐れてバイトのシフトに入りまくったり、単位落として留年すること恐れて(授業料が恐ろしい)試験前になると眠れなかったり、私だって苦しんでいる。なにも他人の土産をもらうことは期待するくせに、自分は出し惜しみするというようなケチではない。どちらかといえばもらった土産さえも非常時のための食料として取っておきかねない、そういう人間なのである。
その恐怖を超えて、ようやく楽しいと思えるようになった気持ちを踏みにじられたような気がした。バカが。なにも考えずに頭から使うだけのバカが。不安も感じたことがない上に家主でもないくせに、家の中に入れないだなんて偉そうに、バカが。
たぶん今、もし今の気持ちをもったまま十年前に帰ったら、きっとそう罵ってるだろう。
あの時買ったプーさんのお菓子の空き箱は、今もペン立てになっている。今はもう古い絵柄をなぞりながら、私はまた腹を立てている。だけどこの腹立ちを無神経な誰かに向けずにいられたらいいと思う。同じように不安で仕方ないだれかに、そうだよね、こわいね、でも本当は怖くないし、自分の足で立てるという確信が持てればきっと楽しくなるよ、大丈夫といって寄り添いたい。
便利なアプリなんだろうけど数字が気になってもやもやするので詳しい方いたら教えて頂きたい。
http://netafull.net/line/042605.html
http://japan.internet.com/busnews/20130121/3.html
http://appllio.com/research/20130213-3091-smart-device-hoyu
スマホの普及率が4割程度あるらしいので十人に九人が使ってるのか?
と考えたけどLINEてガラケー用もあるらしいのでそこの数字なのかなぁ。
http://memorva.jp/ranking/japan/soumu_population_2010.php
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1202Y_S2A710C1000000/
こっから計算して十代の人数が大体1200万人。利用率40%で480万人程度かな。
親の世代を広く取って25歳から85歳以上まで含めて9750万人程度。利用率20%で1950万人程度。
これを足して2400万人前後。倍とは言わないけれど全然足りない。
携帯電話の普及率が95%前後なので実際は更に少なくなるはずだし、
85歳以上のお年寄りで携帯電話を利用している人ってどれくらいいるのかも疑問だし。
大体1億1000万人が携帯電話を使うとして利用率が37%くらい?
うーんその程度ならまぁ。
http://benesse.jp/berd/center/open/report/ict_riyou/hon/hon1_1.html
2008年の調査なんで現在は違うかもだけど小学生3割の中学生5割。