2013-06-27

気軽に死ねと言う悪癖について

罵倒、という表現方法がある。

自分イラついてるんだ、お前に思い知らせたいんだ、正義を執行したいんだ、罰したいんだ。

色んな理由があるが、要は罵倒だ。

バカだとか死ねだとか、殺人と同じだ猿と同じだ、足りない脳みそ必死に考えたんだねとか。

ここで射精、とか(棒、なんてのも婉曲的な表現だけど、要は罵倒だ。

本質が伝われば言葉が乱暴でも構わないという考え方もあるのは判るが、罵倒罵倒だ。

立ちションしながらプロポーズするヤツは居ないだろうし、鼻くそほじりながら商談はまとめない。

社会性というのは、相手との間に共通するプロトコルを知っていて、かつ、それが使えることを言うと思う。

乱暴な言葉遣いと罵倒とが一線を画しているのは、そこだと思う。

から、気軽に死ねというのは止めた方が良い。

特に、誰が見ているか判らない場所では。身近な相手には。

ネット上の罵倒芸(と言える人はごく少数だけど)を読んだ小中学生が、気軽に罵倒を真似した結果、

心に大きな傷を負うのは、個人的にはもう見たくない。

たいていの場合、口うるさいジジイってのは文字通り老い先短いわけであって、

死ね、クソジジイ

という勢いだけの言葉を放った翌日、本当に爺さんが死んで通夜家族が泣いてるのを見てショックを受ける

なんてのは、そんなに特殊な話じゃないだろう。

から罵倒したくなったときには、実害のない罵倒を考えることにしている。

うんこを踏みますように」「宝くじに外れますように」「一生富士山に登れませんように」「なぜか世界遺産に行けなくなりますように」

そう、知り合いにも話してみている。

勢いで書き込みたくなったときは是非。

その結果、罵倒しようと思ったコメントのものがばかばかしくなって、何も書かなくなるから

その方がずっと良い。

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