はてなキーワード: 小中学生とは
http://anond.hatelabo.jp/20140502221658
★読破したのは、薬師院はるみ「名古屋市の1区1館がたどった道」という本だが、
というのは、名古屋や横浜、大阪のような政令市では「1つの区に1~2館」というのが実情だが、東京23区では
「区内で7館とか10館」というのが、ごく当たり前の状況になっている。
政令市だと「図書館から半径1キロ圏内の人口より、半径1キロ圏外の人口の方が多い」、
つまり「図書館が徒歩圏外にしか存在しないエリアの住民の方が多い」のだが、
東京23区では「図書館から半径1キロ圏内の人口の方が、半径1キロ圏外の人口より多い、
それだけ図書館網が区内をくまなくカバーしている」状況である。
東京23区の図書館環境に慣れてしまった身には、政令市の図書館状況というのは「まことにお寒い状況」に見えてしまうし、
おそらく図書館利用率も、徒歩で図書館アクセスできる23区と、そうでない政令市では、全然違っていると思う。
ましてや、図書館が整備されてない通常の市、或は郡部とでは、利用率は月とスッポンだろう。
多分、23区住まいの方が、読書欲が多く、かつ経済的にも余裕があって、
本来なら「小説家にとって、お客様を多数抱えているハズの商圏」なんだが、
そういうエリアでくまなく図書館ネットワークが構築されちゃっているから、小説家の怒りも相当なんだろう。
★あと、「住民1人当たりの図書館館数1位は富山県だ、だから富山が進んでいる」という言説があったが、
これには違和感がある。
利用者にとっては、人口当たりの館数なんていう数値はあまり意味がなく、
「徒歩圏内に図書館があるかどうか?」それが大きいと思う。
クルマを運転できる大人なら徒歩圏云々はあまり関係ないが、クルマを自力で運転できない小中学生にとっては、
「徒歩圏内に図書館があるか否か?」は、「図書館を気軽に利用するようになるか、否か?」の分水嶺になってしまう。
その意味では「徒歩圏内に図書館サービスが行き届いている23区が、圧倒的に進んでいる」と思う。
「なぜ東京23区は、ここまで図書館王国になったのか?歴史的背景は何か?」
★図書館のプロって、この「徒歩アクセスできるかどうか?」の観点をあまり重視してないような気がする。
図書館関係者って、「図書館が果たすリファレンスの役割」とか、とかく大上段に構えがち。
でも、図書館利用者の9割は、そういうことを気にせずに、「タダで本を読める、読書欲を満たせる」という単純な理由で
利用していて、図書館関係者の高尚な想いと、ズレてる気がする。
利用者目線だと「徒歩圏内にサテライト館が欲しい、貸出冊数・期間を拡大してほしい、開館時間を延長してほしい」
この辺の意識のずれは、何とかならないか?
★そもそもレファレンス機能・アーカイブ機能は、国会図書館と都道府県の中央図書館が主に担えばいい話であって、
市区町村図書館、それもサテライト館は、とにかく利便性向上につとめればいいのでは、とも思う。
本を読む、という場合、
2.なんとなく、読書欲を満たしたい
という2つがあって、1.の場合はレファレンス機能・アーカイブ機能が重要になる。
また、蔵書数は多ければ多い方がいい。
でも2.の場合は、他館からの取り寄せ機能さえしっかりさせておけば、
蔵書数にはこだわることはない。リファレンス機能もあまりいらない。
それより利便性が命になる。
本題に入る前に少しシリアスな話題があるので聞いてほしい。
男女にイメージについて聞くと面白い。男はほぼ例外なく目を閉じても真っ暗と答え、女は半数がありありとイメージできると答える。これはなぜか?
一方男性率の高い理数系の学部ではイメージを軽視する伝統的風潮が根深い。これはプラトンから来てるのだがな。本質を直観すべきでありイメージなど些末も些末、ゴミクズ同然という考え。対する女性率の高い芸術系の学校ではイメージを尊重する。『脳の右側で描け』に始まるイメ描きの連綿たる伝統があり、ナンシー関の記憶スケッチアカデミーは今や市民権を獲得した。
ここに来て先ほどの問いの答えが見えてくる。性差よりも習慣の問題なのだこれは。そして男である諸君は驚くほどイメージを軽視している。だから真っ暗なのに輪をかけて真っ暗。糅てて加えて真っ暗なのだ。
そこで世の中の男性に活、いや喝を入れようというのが本記事である。シリアスでもなんでもないくだらない前置きは終わりにしてちゃっちゃと本題に入ろう。
煮ても焼いてもまずこれをやりなさいというのがこれ。詰将棋マニアの巷間では「ブラ詰」とも呼ばれる。早い話が目隠し詰将棋である。脳内詰将棋という蔑称、いや別称もある。
こまけーこたーいいとして大切なことだけ言うと、これには2つのスタイルがあって1つがアイマスクをして符号の読み上げを聞くものでこちらが本格的なやり方。(そもそも符号ってなんだよってレベルの人はggるなりしてください)
もう1つが手軽な方法で詰将棋の盤面または印刷された紙を見て5秒で初形と持ち駒を覚えて目を閉じて脳内で解く方法である。ほとんどの人はこっちでやったほうが身のため世のため人のため。最初は詰将棋の入門書をテキトーに購入して1手詰めや3手詰めから始めるとよろしい。
先ほど理数系のイメージ軽視に賽を投げかけたが分かってる人は分かってる。暗算が得意なタイプがそれだ。私は一流大学の数学科を出て現在底辺大学の数学科にいるのでよく分かるが数学畑では手を動かすことをモットーとする物理畑とは正反対に計算が軽視される。しかし一流の世界ともなると話は別でノイマンのような暗算の達人が割といる。数学の天才には二種類いてラマヌジャンのような数覚がずば抜けたタイプは案外少数派なんだ。数論は数学の女王。岡潔も晩年は『情緒と創造』を著している。
底辺大学だと数学は論理の学問といったことを平気で言う先生もいる。論理は当たり前の大前提であり無味乾燥なつまらないものだ。そう世間で計算がつまらないと思われてるのと同じくらいに。実際、数学ではなくコンピュータサイエンスで計算理論を学べば分かるし学ばなくてもある程度想像がつくだろうが論理とは計算であってそれ以外の何者でもない。計算も論理もつまらないそのことには全く同意するが無価値というわけでもない。忘れもしない卒業の日同級生になぜ暗算をするのかと訊かれて私は暗算で扱う数学的対象に親しむためと即答し彼または彼女はもっと早く教えてよと地団駄を踏んでいた。
数学の素養がない人たちへ。最初はアイマスクを着用せずJSやJC(俗に言う小中学生)が学んでいる幾何のパズル問題(『目で解く幾何』シリーズなど)をやり次第に他分野や高校数学や大学数学科の数学や工業系の応用数学に守備を広げる。意識高い系より意識広い系で頼む。
数学科には将棋ならまだしも美術に造詣が深い先生が結構多いがそれに比べて写真芸術に関心のある人は拍子抜けするほど少ないと思う。つまり数学的美と将棋の美はクロスオーバーするが数学的美と写真芸術の美はオーバーラップしないということだということだ。つまり詰将棋と暗算の不足分を補うのにカメラはやはり大事なんだよなあ。
芸術論において言い古された表現だが音楽は音の瞬間の芸術であり写真は光の瞬間の芸術である。だからシャッターチャンスやチラリズムという言葉が端的に表しているのは瞬間性。写真家は人物や風景をとるとき手でフレームを作る。このあたり詳しく書かれた文献が少ないがこの切り取り方には必ず意味がある。単になんとなくバランスがいいからそう切り取るのではない。シャッターチャンスという言葉から誤解されがちだが確かに瞬間のおもしろさを切り取るのが写真芸術であるが決しておもしろい瞬間を切り取るのではない。この違いが大切でおもしろいものはわざわざ写真にしなくてもおもしろいのであって思い出アルバム程度の価値しかなく芸術たりえない。つまりおもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりで、おもしろさを能動的に発見しそのおもしろさを表現するには今この瞬間しかないしかもこうフレームを切り取るしかないと断言できるのである。そんな見方を学べるのはカメラくらいしかない。数学では学べないし絵画もにているようで全く違う。写実的な絵画であれそこで必要とされるのはある種の演出でありもっと乱暴に言えば捏造であるから、あるがままの良さをうまく切り取って見せる写真的な見方とは根本が違う。
そんな見方を身につけて日常の「あれ」「おや」「あら」「おっ」と思う点が増えるとそれが理解や記憶のフックになる。理解というのは必ず興味から始まるだろう?しかし興味は洪水のように訪れて過ぎ去っていく。つまりアイデアマンはメモして興味を書き留める。だからメモする時間と労力すら惜しいのでだから「これならここが気になる」とフックをつけて興味をブックマークしておくことで未来の理解や記憶のきっかけになる。そういう面白い体験をしているんだよカメラマンという種族は。
以上簡単に見てきたがどれ1つとっても始めたその日から人生を揺るがす劇的な効果があるので試してみてほしい。また6つの方法は相補的な働きをするようチョイスされており、1つでも欠かすのはもったいないので6つ全部試してもらえるともっとうれしい。
勝ち組・負け組論なんだろうけど多くの人生は消化試合なんだろうなと思い始めている。
「普通」のレールから体調不良でドロップアウトして接する人たちが変わって感じたんだけど、一部の勝ち組以外の人って成功のイメージすら持ててない。負け分を少しでも減らすために生きてるように見える。きっと成功経験がなくてイメージできないんだろう。
どの社会的階層でもなし得る成功体験は恋愛であり、恋愛至上主義(男は美人とのセックス至上主義か)ともいえる文化的教育が行われている。「勉強ないし運動ができない冴えない子がふとしたきっかけでイケメンと付き合える」漫画がどれほどあることか。玉の輿は確かに階層を移るのに最高の戦法だ。しかし勉強ができるようになり社会的ステータスを上げたというサクセスストーリーはあまりない。恋愛のサクセスストーリーは多いしスポーツもある。なのに勉強のストーリーが小中学生に親しまれないのはなぜだろうか。
さて、社会的ステータスという意味での成功に戻るが一部の例外として本とかTVとかで見る「這い上がってうんたら〜」というのがあるけど、それはクリエイティビティじゃなくて自分が成功してる姿を想像する力なんじゃないか。それかいい環境に無理矢理身を置いてそこで生きていけた結果ではないだろうか。
第一回の投稿 まとめブログを3ヶ月運営してみてわかったこと。月300円稼ぐ男
http://anond.hatelabo.jp/20130331122344
第二回 まとめブログを5ヶ月運営してみてわかったこと。月2000円稼ぐ男
http://anond.hatelabo.jp/20130506232644
前回 まとめブログを8ヶ月運営してみてわかったこと。月3000円稼ぐ男
http://anond.hatelabo.jp/20130828105304
2chまとめブログを1年運営して、とうとう1年が経過してしまいました。
ユニークユーザー数は1日1万超え、PV3万超えを達成しました。
前回までのUU数を考えると5倍以上の伸びです。
参考↓↓
(5ヶ月目の時点では2000/day)
前回は月3000円の広告収入でしたが、今ではなんと月60000円です。
あ、ありのまま今起こったことを話すぜ。
アクセスが伸びたと思ったら、広告収入はそれ以上に伸びていた……!
一気に戦闘力が増えたのか、検索でも上位表示が多くなり結果としてアクセス数は増えました。
前回までクッソ低かったCTR(0.04%)が0.4くらいまで回復しました。
あと、300×250サイズのでっかいのを貼ったら広告効果アップ!
CTRが低かったら、色々試してみたほうが良いです。
恋愛系の記事に特化しているので彼氏、彼女といったワードへの検索がかなり強いと思います。
(パワーがつけば雑談メインのが窓口広そうですが)
アマゾンアフェリエイトとは、あまり相性が良くなく物販系のアフェリエイトは敬遠していたのですが楽天は売れてます。1万円くらいになってます。
購入物は、楽天トラベルなど、カップル旅行だったり彼女へのプレゼントだったり(なぜか男性ばかりで、女性は楽天で買わないww女性にとってプレゼントをネットで買うのはご法度なのか?)釣具だったり(明らかに趣味やろ)プロテインだったり(筋トレ!?)なかなか興味深いです。
ただ、1%しかバックないので、アマゾンの3%が羨ましいですね。
個人的なブログもやっているのですが
そちらはCTR1%以上です。
どういうことなの……
恐らく、英会話などに特化しているため
広告がマッチングしやすく(ていうか、英会話関連の広告しか出ない)
1日30人くらいしかこないのに、200円~300円入ります。
ほったらかしで6000円! 月6000円稼ぐのに3ヶ月かかってた2chまとめって一体
というわけで、個人ブログを30記事くらい作って
1個6000円でも、10個作ったら6万円じゃないか!
個人ブログの時はワードプレスか、FC2あたりがオススメです。
・2chまとめ1年やれば月6万円は逝くかもしれない
・月30万で専業ですって人は何年やってるんだよハゲ
・アマゾンアフェリエイトはムズい。A8ネットのアフェリエイトはマゾ級の難易度
・週末起業でらくらく月3万! は嘘
・小中学生でも稼げるというのは本当。
以上です。
あと強い光にも弱い
明るめの部屋でずっとトランプしてたら
急にくらっと来て、頭痛が始まったこともある
バファリン飲んで
よく睡眠をとればすぐ治るんだが
一度始まると、寝るまでが地獄
wikiにも書いてあるように目の奥をえぐられるような痛み
頭が本当に割れるかとも思う
ワンシーズンごとに一回くらいの頻度でなるから
気にもしてなかったが
その「予兆」ってのはなにかというと
視界が狭くなる
というか、視界のうちの一部分が見えなくなる感じ
うまく言い表せないが、視界にモザイクがふよふよと出てくるのに近い
あくまで「予兆」
30分くらいで視界全体の1/3くらいにモザイクがかかる
で、最大になったらそこで、ふっと、モザイクが消える
ひどい頭痛になる
怖いのは、いままで「予兆」があって
頭痛にならなかったことはない
早く薬飲んで寝ないとまずい
だけど、すぐ寝れるような状況なんて多くない
バイトだったり、なにか期限が迫ってたりと
だからといって、「これから頭痛くなるんで、休ませてください」
とか言うもんなら
とか言われそう
祈るしかない
今回は頭痛は来ないように
最近はなかなか来なかったのに
なんとか治らないものだろうか
「今日のご飯は辛みが効いてるね」で傷ついてしまう人なら「それは言ってよ! エスパーじゃねえよ!」とも思うけど、相手の容姿を貶したり離婚を脅しに使うのは、ブコメでも指摘してる人がいる通り、モラハラやいじめの範疇だよ。
夫婦間で健全なコミュニケーションがなされていない事には同意するが、「人をブス/不細工だと馬鹿にしておいてそれが人を傷つける言葉だと理解できない」人間は明確な加害者で「言われなきゃ傷つけてる言葉だったなんて分からない」ってのは言い分がおかしいように思う。加害者のくせに被害者ぶり過ぎだ。
「○○ちゃんが私の言う事を聞いてくれないならもう絶交だからね! 遊んであげない!」
「××ってほんとに不細工だよねーw 私よくこんなのと親友でいると思うわ」
なんて抜かす小中学生がいたら大人はどう思う? こりゃとんでもなく性根のねじ曲がったクソガキで我が子とは関わらせたくないと思うだろう普通。
同じことを大人が夫婦間でやってるだけでどうして擁護が付き、言われた側が嫌だと意思表示しないほうが悪いという意見が出るのか自分には分からない。
企業経営と投資で成功して去年40代でリタイアしたが、ずっとヒマ。
ヒマにかまけて色々情報収集したが、日本を良くする政策なんて本当に簡単だと思った。
思いついたことを適当に書いてみたけど、これが出来たら簡単に日本の未来は良くなる。
しかしみんな分かってるのに実際には不可能。
できない事だけ書いても仕方ないので、最後に出来そうなことを書いてみた。
結婚しなくても、収入が少なくても、誰でも子供を持てるようにする。
具体的には、保育園やベビーシッターやお手伝いさん、小中学生を預かる場所などを無料で利用できるクーポンを配ったり
大学までの教育費の無料化や子供手当の増額、結婚制度の見直しなど。
インフレが2%以下の場合は消費税をゼロにして消費を促し税収増を目指す。
税収が増えなくても、デフレの今なら、日銀に国債を買わせれば良い。簡単。
今年消費税を上げるなんてアホすぎる。
財務省の役人は税収を増やすよりも、税率を上げて自分たちが社会に与えられる影響の割合を高めることが目的。
(ここで反論があったけど前提が「現在の日本に問題はない」ということだったので議論にならなかった)
孫に贈与する場合は毎年1000万円までは無税にし、相続税を100%にすることで、若い世代がお金を使えるようにする。
ただし合計5000万円以上の資産の贈与は累進課税にし、極端な不平等をなくす。
所得税の累進性を現在より上げて、儲かった人からは多く取る代わりに、所得が低い人には最大で月5万円程度分配する。
生活保護による現金の支給は勤労意欲を低下させるので廃止する。
月額5万円で生活できない人にはフードスタンプや公共住宅の提供、医療費の補助など、現物支給で。
ここまでした上でなら、正社員の解雇規制を撤廃しても失業の恐怖は減り、むしろブラック企業を簡単に辞められるようになり、メリットは大きいだろう。
それと、所得税の累進性を上げると、優秀な人が海外に行ってしまうと言われるが、年収1億円以下の人と年収1億円以上の人で、どれだけ優秀さに差があるだろうか?
年収1億円以下の人が日本に一生住みたいと思うように調整すれば充分だろう。
ちゃんと機能する監査機関を作り情報の保護や不正の廃止に尽力する。
負の所得税だけでは生活できない人に負荷の低い仕事を提供したりもする。
国会議員が政策秘書を数十人雇うことができる予算を付けて、立法は議員に任せる。
官僚は大臣が雇えるようにする。大臣が代わったら、一旦全員クビ。
60歳以上は月3万円、65歳以上は月5万円、医療費は無料。ここまでを基礎年金として税金で保証する。
プラス、国民年金や厚生年金で5万円〜10万円。基礎年金と合わせて月額合計10万〜15万円程度になる。
足りなければ、前述の現物支給を申請したり、低い負荷の仕事をする。
これで生きられない人は子供や親戚に頼れ。それでも無理なら死ね。
(物価と連動する事が前提)
年500万円までの利益は無税にする代わりにそれを超える分は所得税とし累進課税の対象にする。
これによって日本人の投資を促しつつ、極端な利益は税収にする事で容易に隠居生活はできないようにする。
電波使用料を数十倍にし規制緩和して既存のテレビ局以外でもコンテンツをブロードキャストしやすくする。
クレームを入れた人の国籍、年齢、性別、職業、居住地などの情報も公開される。
同時に中国と韓国以外の国との友好政策を強化する。(中韓とは戦争しないよう努力する程度で良い)
全国津々浦々にはびこるパチンコの換金を完全に禁止する。パチンコの売上がトヨタの倍とか気が狂ってる。
カジノに参加するには資格が必要にして、多重債務者や反社会勢力の人は利用できないようにする。
筆者の知人にも、パチンコにハマって残念なことになっている人が居る。
そういう人は多いと思うが、この事の異常性に気がつくべき。親族がそうなったら目も当てられない。
身を持ち崩す程の賭博に誰でも簡単に参加できるのは非常に問題が多い。
上記の政策を全国で一斉に始めるのは不可能。
それなら、各州で独自に色々出来るようにして、国民は自分の好きな州に簡単に住民票を移せるようにするだけでも良い。
日本全部を道州制にするのが難しいなら、大阪都構想でも良いし、被災を大義名分に東北を特区にして自治を認めるとかでも良い。
せめてこれぐらいは実現して欲しい。
さあ俺が誰に影響受けたか分かるかな?w
(2/3【討論!】決定版!在日問題を考える[桜H25/11/16])
http://www.youtube.com/watch?v=PcbA77rSE1g
水島総は日本国籍をもつことは戦争の時、国に忠誠を誓うことだと言っている。しかし、多くの日本国民もそう思っているだろうか?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1126&f=national_1126_120.shtml
この記事によれば、「もし戦争が起きた場合、国のために闘うか」というアンケートで日本の小中学生は29.3%しかその意志がないということである。これからの若者である日本人たちはほとんどそのような意識をもっていない。私もまたその意識をもっていない。もし日本が馬鹿げた戦争に突入しようとし、私たちを徴兵しようとこころみるのであれば、海外脱出をこころみるつもりだ。
私をふくめて多くの日本人は、日本国籍を「取得した」のではない。むしろ、日本国籍とは、自分が生まれるか生まれないかを決定することができないように、決定以前的なものとしてあるのだ。私は偶然に日本国籍をもってしまっているのであって、それ以上でも以下でもない。「ならば日本国籍を捨てたまえ」と言う人がいるだろう。しかし、外国籍を持たなければ、日本国籍を捨てることはできないし、仮にそれができたところで、それは七面倒くさい官僚的事務を通さなければならないしくみになっている。いわば私は「たまたま」日本人なのだ(というか、全ての人は根源的にそうでしかありえない)。
水島は日本国籍という「偶然的なもの」をもつ人々を神聖化して(つまり日本人というものを神聖化して)、虚構の日本人をつくっている。彼はまあよい。彼はもう64歳のおじいちゃんだから戦争にいかなくても済むし、「お国のため!」と虚構のリアリティのなかで勇敢な戦士となってくれればよい。「しかし彼は尖閣に突入したのではないか?」と問う人がいる。そう、たしかに彼は尖閣上陸を決行したかもしれない(それでお国に迷惑をかけてしまったね)。でもな、本物の戦争をなめるなよ(君は戦後生まれだからリアルな戦争を知らないね?)。水島よ、そんなもん英雄でも国士でもねえぞ。むしろ彼は(尖閣に限らずつねに)、風車に向かって宣戦布告したドン・キホーテに似ている。
追記)
水島のいう「日本人」って結局なんなのか? 彼は以下の三つの概念を好きなときに好きなように使い分けている。
1)日本国籍をもっている人
3)戦争時(シュミット風により正確に言えば例外状態)に日本のために戦う人
しかし、これら三つは全然違った事柄を指している。さきに私が指摘したのは(1)と(3)は別物だよね、ということだけど、(2)と(3)の違いもあるんだよ、ということは言っておかねばならない。私たちは偶然にも日本に生まれたわけだが、そこに自分があるべき姿を見出すのは勝手だし、どうぞ好きなようにすればいいと思う。でもまあ、実際のところ、私ももはや日本人でしかありえないし、三島由紀夫が全共闘にいった言葉をパクれば「欧米人から見れば、こいつは鼻の低いな、日本人だな」と思われるだろうこともまた必死である。だが、ここでも問題は面倒で、てっとり早く究極的に問うてしまえばそれは「私とは何か?」という問いになるだろう(奇しくも全共闘世代を描いた小説に『僕って何?』というのがあるね)。「私」を考えるとき、(a)他人から見られている私(b)私としての私(c)その二つの次元を合わせた次元にいる私、の三つの私が考えられる。まずは(a)の次元を考えてみよう。私がマクドナルドで働いていたら、他人から見れば「マック店員」である。私はバイト中には「マックの店員」らしくあろうとふるまうだろう。しかし、そのことは私はそもそもはマック店員ではない、ということが含意されている。そこで、(b)私としての私の発見がある。「マック店員」の話をつづければ、私とはマック店員になろうとする何者かである。あるいはよい日本人であろうとする何者かである。つまり、私は「マック店員」でも「よい日本人」でもないのである。(c)において、私はマック店員ではないにもかからわず、マック店員であろうとする自分を見出す。マック店員にはマニュアルがあり、「スマイルください」と言われたらにっこりと笑顔を変えなさくてはいけないし、一番下のクルーはマネージャーや社員の言うことをきかなければならないetc。私はマック店員になりきれれば、なんの苦悩もなく、機械のごとく、それに従うだろうが、「従う」というところにやはり私はマック店員以外の何ものかであるという意識を持たざるを得ない。そうした均衡のうえに私は存在しているのである。もし(a)(b)が同一のものになってしまい、そこになんのシコリもなくなってしまえば、それは単なる機械と同じである。「私は日本人であるから日本人だ」という自同律にはそうした危険性があるのである。それは、奇しくも、マクドナルドに象徴されるようなアメリカ的画一個人主義と共産主義的恐怖政治の悪い所どりの思想なのである。水島の意見というのは、きわめて象徴的だと思う。
酒飲みながらそういう話してたんだ。
私がうぶすぎたのかしら、
完全に悪の権化、嫌々、何それセクハラやめてよの対象として捉えていると思っていたのだけれど、
実はそんなことなくて。
ちょっとあんためくってよ的なテンションだったりしたんだって。
そんなアホなって。
その子はその子でなんか勝ち誇った感でその時は丸く収まったんだけど。
そして、その話をまた別の機会に持ちだしたんだ。別の同世代女子に。
すると、やっぱりそんなの常識で、
むしろ、パンティめくられる順番決める為に打ち合わせしてたとか、
めくられないけれど、いざという為に
パンティめくりの達人、クラスで一番かっこいい男子の和也くんの、
いや、私あほだったな。
全然そんな曲線見えてなかったわ。
需要過多で私のまわりは物凄いかわいいパンティだらけだったかもしれない。
と言うことを考えながら山手線の中、
危ない、妄想に侵されかけた。
おまわりさんおれです。
下の方に今回のユニセフの件のブクマコメントも書いたんで劇的ビフォアアフターをお楽しみください。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kyoko-np.net/2012051401.html
虚構新聞は良くやったと思う。Twitterで著名人への暴言を吐き捨てる橋下を英雄視し味方する連中のほうが悪質。一般のメディアは表だって橋下への批判をやりにくい。この空気を生む連中こそ地獄へ堕ちるべき
中の人、賢いな〜
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120514-00000084-it_nlab-inet
シャレのわからない人がいるんだねえ
『橋下氏ならやりかねない』と思われたのが最大の誤算でした
橋下さんやその周辺から苦情と謝罪要求があったのでなければ、これは単なる勝利宣言だよね(^^; >虚構新聞が「橋下市長、小中学生にTwitter義務化」記事について謝罪(ねとらぼ)
えー、あれは謝罪もネタでしょうに。ネットの受け取り手がよく言えば素直すぎる人が多すぎるようになっちゃったんで、ネタサイトもやりにくい時代やね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/kyoko-np.net/2013111801.html
ここで日本ユニセフ批判したり煽ったりしてる人がいじめ問題やデマネタでどういうコメント残しているかを確認するあそび/元記事も読んだけどデマサイトと揶揄されても仕方ない内容
これ擁護してるのマジでどういう神経してんの
明確な中傷記事なのに「ジョークが通じない」だの「抗議したら負け」だの「余裕が無い」だののコメント。馬鹿じゃないの。そのスタンスはいじめをネタやいじり扱いでごまかすのと同じ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kyoko-np.net/kenkai1311.html
要するに、ネットで中傷されてるのは事実だから、それに乗っかって中傷的な嘘ニュースも大丈夫なはずだとの主張。本当になんの反省もない。
ブコメで指摘されている「ネットで中傷されてるのは事実だから、それに乗っかって中傷的な嘘ニュースも大丈夫なはずだとの主張」ってのは、スマイリーキクチ事件で逮捕された人の言い訳と似てるよね
「あなたって大人っぽいですよね」
よく言われますね。
でも私は大人っぽくなんかないですよ? むしろ子供っぽいんです。
小学生の頃から大人っぽいと言われてきましたが、いえいえあなた私の何をみてそれいってるの? って感じですもの。
そりゃあ小学生で和歌を好き好んで詠むような子って珍しいかもしれませんが、ポケモンだって好きだったですし、私の一面だけを見て決めつけるのはおかしいと思うんですよ。
「だって、しっかりしたことをいうじゃないですか」
何を言ってるのです? そりゃあ誰だって他人の前では良い顔をするに決まっているではないですか。
私だってそうですよ、あなた方のような他人の前では善人ヅラをして正論を言うんです。そんな当たり前のことができないのって高校生以下のガキくらいなものでしょうよ。
「あなたと同い年くらいの子ってマナーも敬語も使えないような人ばかりですよ」
できない奴をみてできる奴がすごいというのは愚かですよ。私だってできないほうの人間ですし。
私はもしかしたら大人っぽいのかもしれません。
ですが、大人っぽくて得をしたことも一度もないんですよ? 小中学生の頃はクラスの子と溶け込めなくて辛い思いをしましたし、
子供特有の残虐性に遭遇するたびに、まるで自分が傷つけられたかのように傷つき、いつも泣いていました。
大人っぽいと言われるたびに「お前は適応力のない人間だ」と言われているような気になるんです。
年相応の子供らしくないということは周りに馴染めないということと同義でしょう、私は周りと馴染みたいのに。
あなた方はそんな私の感情なんて考えたこともないんでしょう。私があなた方を咎める理由は何一つありませんし、別に良いのですけど。時々私も悲しくなるんです。
私は子供っぽいのです。
そんな出来た人間じゃありません、私は脆くて未完成で、どうしようもない人間でしかない。
私は何も知らないただの子供なんです。
>
> 文部科学省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」(座長、鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問)は11日、小中学校の道徳の教科化に向けた報告案を公表した。「特別の教科 道徳」(仮称)という新たな枠組みとして格上げし、確実な実施を促す。正規の教科のように数値や段階では成績を付けず、記述式の評価にする。2015年度にも開始される見通しだが、来年度は先行して文科省作成の副教材「心のノート」の改定版を活用。将来的には検定教科書も導入する。
http://mainichi.jp/select/news/20131111k0000e040114000c.html
あらま。どうなんでしょうかね? 小中学生に各々の見解を即しても だな。 あなたたちがいうところの「中二病」だったりする よ ね
それよりも 本人が本人に関して「そうではない」と 否定 している ことがら に しつこい 独特のいいまわし が 問題 だよね
いや、だからさ、これが噺の枕だってことくらいは誰もが理解できるだろ。
でさ、これを「学生をこまらせるために」とかドヤ顔で言われてもどうなのよ?って話。
そりゃソクラテスの時代だとか、小中学生ならこれ言われて、ハッとする人も居ようが、
今の大学生でこれ言われて、ハッとする人いるか?ただの詭弁に付き合わされてうぜーなー、としか思わないでしょ?違う?
で、東工大だよね?この人の話を本気で真面目に聞きたい人なんて居ないだろ。単なる単位だけなのに。こんな糞みたいな詭弁に付き合わされて気分害す方がよっぽど問題だわ。
で、その後もつらつらと自慢気に、
まあ、書き起こしてるからそのライターによって面白おかしく引き出されてる、ってのは分かるけど、まあそのライターの頭含め、
バカなのか?と言う話。
仏壇の話とか、ホントノ話なんですか?ただのつくり話でしょう?このお守りの話も毎回やるとか言ってるけど、毎回こんなやりとりになりますか?
無視されることすらあるんじゃ?
専門の話を簡単に、ってのは分かるんだけど、「簡単に説明するために人を馬鹿にする」と言うやり方は最も愚直で最低なやり方だ、っと言いたい。お分かりですか?
俺は逆に色んな女の子とやりまくったよ。
小中学生くらいまで女に色々言われて、女性恐怖症になったんだけど。
高校の時にヤリチンの友人に鍛えられて、ヤリチンを志し(笑)、ダイエット、服装、話術等を磨いた。
色んな本を読み漁った。全ては復讐のため。
色んな女を騙しまくってやると思って、女に甘い言葉を囁きまくった。
美人ほど簡単にヤレた。俺のモチベーションが変わるからである。
女に緊張なんかしなくなった。緊張するフリはたまにするが。
今はもう、やっていない。
女性に対して、憧れも、羨みも、蔑みも、恨みも、憎しみも無い。
いや、俺自身が人間になったのかもしれない。