に変えたんだ最近。それで早速windows8を使ってみたんだ。そしたら物凄く使いにくくてビックリ・・・・・・・とでも言うと思ったか?
正直世間で言われてるほど使いにくくない。むしろ使いやすい。リボンUIはクソという意見もよくみるけど。海外ではそこまで耳にしない。
mixiやniconicoの改変にしろ。日本は何故毎回こうなの?なぜなのか?保守的だから変化がニガテなのか?保守的って言葉はくせもので。
保守と言っても西欧のそれとはまっっっったく違う。西欧の保守ってのは保守の保守なんだよ。アメリカの保守は改革の保守。分かる?
で日本は協調性ですね。いやらしい言葉だと同調圧力。同質性です。homogeneousです。
海外の保守は規範があるわけ。アメリカにしろ。西欧にしろ。そこ勘違いしがちなのよね。日本人は西欧は多様だと思ってる。
日本と違っていろんな価値観があって自由と思ってる。違うんだ。日本よりもすごく規範的なの。多様だからこそまとめるものが必要。
日本って唯一絶対の規範はないようだ。「空気」という宗教があると言う人もいるが。まあないわな。結局その空気ってのは唯一絶対なんかじゃない。
弱い拘束力しかなくって。TPOでまったく変わる。所変われば品変わる。所ジョージに品川庄司。三菱商事の諸橋氏死去したね。
不老不死の薬を求めた秦の始皇帝。不老不死の薬は既にある?謎の薬『TA-65』で老化はサヨウナラ ttp://www.yukawanet.com/archives/3917037.html
というかNHKだけ見られなくすることは技術的には電波なんで可能だけどね。
ただ、それ以前にNHKは合ったほうがいいんじゃね?
イケハヤニ殺サレタ→http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/comment?date=20130627§ion=1372308842
「1回言ったくらいで死ぬような奴は他に原因があるに決まってんだろアホか」
これは確かに正論なんですが、「最後の一押し」になる可能性は十分あります。
ネットは不特定多数に届きうるものだから、その確率はネット以外のものよりもだいぶ高いかもしれない。
もちろんそれがなくたって、何か他の「最後の一押し」があった可能性も同様にありますけども。
悪い例えを使うと、今まさに崖から落ちそうになって両手でへりをつかんでる人がいるとする。
体力的にほっときゃ間違いなく落ちる。そのときうっかり景色に気を取られて、気づかずその人の手を踏んでしまってその人落っこちて死んじゃったと。
確かにその人の死因の割合としては、踏んでしまったことは微々たるものかもしれないし、落下死の運命も決まっていたかもしれないけど、
そこで踏んでしまった人が「いやあいつ俺が踏んでも踏まなくてもどうせ落ちたでしょ? 俺別に悪くないと思うんだけど」というのは、やはりおかしいのではないかと思うわけです。
kyoumoe氏の「会ったこともない知らない人間に1回死ねと言われたくらいで死ぬような奴に配慮してたら何も書けんわ」は実に正論、それで責任を取らされるのであれば口をつぐむほかない。
ただしイケダハヤト氏の「『死ね』という言葉は攻撃性が高すぎます。今のやり取りがまさにそうであるように、ある程度誤解されることは前提です。あなたがそのつもりはなくても、受け手はその言葉に傷つくことは十分ありえます」というのも同程度正論と言って差し支えないはず。
そもそも最初の問題は、kyoumoe氏が「ネットイナゴ呼ばわり」と「死ね」をクソミソに語ったところから始まってはいなかったか。(http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130625/1372176480)
以下私見ですが、「ネットイナゴ」と「死ね」の影響力を同程度と考えるのはまずもってかなり無理があるかと。
理由は簡単で、「ネットイナゴ」はスラング、「死ね」は一般動詞命令形だから。スラングと一般動詞では、与える力以前に意味を理解できる人間の数が違いすぎます。
それを天秤に乗せて「お前は俺に『死ね』って言うなっていうけど、じゃあお前の『ネットイナゴ』で人が死んだら責任取れんの?」というkyoumoe氏の発言は、
「1回言ったくらいで死ぬような奴は他に原因があるに決まってんだろアホか」「会ったこともない知らない人間に1回死ねと言われたくらいで死ぬような奴に配慮してたら何も書けんわ」という自身の発言と矛盾をきたしているのでは?
とはいえイケダハヤト氏もイケダハヤト氏で、この記事(http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130627)でkyoumoe氏が言及しているように、
巧みに被害者/加害者の構図を誘導して、kyoumoe氏をやりこめてしまったわけですが。
もちろんこれは文章上のテクニックなので、批難できるようなものではありませんけどね。
ただひとつ解せないのは、「『死ね』も『ネットイナゴ』も、発言していいんですよ。発言者の覚悟の問題です。覚悟があるのなら、どんな発言も自由です」
というkyoumoe氏のブログのコメント欄に書き込まれたこの文言。
これはひと目で明らかに間違っているのがすぐに分かるはず。発言の影響力は発言者が覚悟を持っているか、責任を取れるかという問題ではないので。
そもそも人の死に対して他人が責任とるという行為自体不可能じゃないですか。僕らはザオリクもアレイズも使えないんだから。
イケダハヤト氏は裁判の話を持ちだしてるけども、裁判で白黒つけること=責任を取ることではない。
裁判はあくまで法律上罪人となるかそうでないかを判断することでしかないので、人の死に対してはむしろあまり関係のないことだとすら言えるかもしれない。
結論を言うと「『死ね』はやめといたほうがいいんじゃないの。『死ね』使わないでも伝えられるでしょ」というのが第三者からみた正直な感想です。
久しく飲んでない。今も売られてるのかしら。今度ミスド行ってみる。
うちの両親も、俺が子供の頃は結構頻繁にギャーギャー喧嘩してたが、
あれってひょっとして一般的な家庭ではあり得ないことなのか…?
あれが普通だと思ってたが、そういうわけじゃないのか…?
「こんな仕事やりたくない。開発がしたい。それなりにスキルは持ってる。」
こんな愚痴を何十回も聞かされた。
聞いているだけでは埒があかないので、こう返した。
「じゃあ、やればいいんじゃない? 別に仕事じゃなくたって、とりあえず作ってみたら。」
「んー…」
何故か躊躇された。
この人は開発がしたいわけではなく、単純に今の仕事に不満があるだけではないだろうか、と思った。
仕事柄、個人的な付き合いじゃなくてもいろんな人と会うもんで。
性・的・化・然のような接尾語を付ける問題で、「悪( )」って出た場合、悪性も悪化もありえるんだけど、こういうのってやっぱりどっちもあってるから問題には出さないようになるのかな。
ネット炎上で自殺問題が騒がれてて、きょうもえさんとイケダハヤト氏と周辺がもみ合っていて、どうしてこう遺産相続問題みたいにみんな負の遺産を皆で押し付け合いたがるかなーとも思う。
実際こんだけ騒ぐのは理由があって、多分皆できることなら死にたいんだと思う。もとい窮屈な社会から離脱したいんだと思う。だから声を上げる。俺がもっと自由になれる世界を作れと声を上げる。
人気絶頂で死にたい、注目を浴びて死にたい、でも実際は限られた理解者に見守られながら死にたい、そんな人もいたなって思われる状態をつくってひっそり死にたい。
でも本当はネットの弱い連帯の中なんてくそ食らえだ。寿命で死にたい、家族といえる人たちもいる中で死にたい、できたら窮屈じゃない場所で死にたい、綺麗な田舎で死にたい、それでいて便利さと人と会える距離感のある場所で死にたい。
それができないからすべてネットで弱音や怒りを発散したい。賢く見せたい、ちやほやされたい。
メンヘラの方々は乖離といって、生きてる心地がしないから皆リストカットに走って、血が出ると痛いとかより気持ちいいと感じるそうだ。それから痛みに襲われて、生きてる心地を取り返すのだという。
もしかしたらブロガーは死ねといわれて、それに反論することで自分の生きる理由が見つかると思ってるのかもしれない。死ねといわれてそれに傷つくことで自分が生きたいと思ってるんだと実感したいのかもしれない。そうして実際に死ねといわれても特に傷つかなかった自分を見て少しショックを受けているのかもしれない。死ねといわれてじわじわ呪いのようなものが自分の身体に侵食してくるのを感じて気持ち悪いのかもしれない。死ねと言われても死ぬことができなかったので他人に死ねと撒き散らして不穏分子を排除して自分のユートピアを作りたいのかもしれない。加藤か。
電子書籍が普及して、ブロガーが出版する事例がどんどん増えてきて、もしかしたら目立つことでワンチャンしたいのかもしれない。だれかがたくさんのイナゴの中からバッタを選び出して、家の広いゲージに飾ってくれるかもしれない。みんなそんな目立つピンクのバッタになりたいのだ。
私もいつかあの人が新しい世界に連れて行ってくれると夢見ていたけど、
他人に頼っていても仕方ないし、
あの人が迎えに来てくれる保証もないし、
むしろ来てくれなさそうだし、
やるしかない。
やるしかない。
やるしかない。
27日の判決で横浜地方裁判所相模原支部は「放送法は受信設備を設置したものから一律に受信料を徴収することを認めている。契約書を交わしていなくても裁判所の判決をもって放送受信契約が成立する」という初めての判断を示し
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130627/k10015637111000.html
意味のわからない判断だけど、法律に基づいた判断、ということなので法律に基づいた契約解除/もしくは契約締結しない方法について簡潔に。
契約解除をしたければテレビを持ってたらアンテナケーブルをぶった切って捨てろ。その上で
「法律に基づいた受信設備がなくなったので契約解除したい」と言うんだ。
法律では次のように決まっている。
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html
アンテナケーブルをぶった切れば当然受信はできなくなる。その時点で契約は不要だ。
え、テレビがみれない?そんなのその後でおっと誰かきた。
付き合いなんて初めからないぞ
憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの7日目。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
日本の発達障害の障害年金は仕事が出来ないレベルの人には出ません
これっておかしいですよね
ずっと迷惑かけつづけるだけです
だけど年金が出ない以上このままズルズルと失敗しながら徐々に孤立しくことしか出来ないでしょう
その人はこれから職場に居づらくなって何回も転職しながらどんどん条件が悪くなっていって
追い詰められていくはずです
もうまもなく三十歳だし、どんだけ素晴らしい改善提案しても鼻で笑われる派遣社員ていう雇用形態にうんざり来たので、転職を決意した。
やー上司だの正社員だのて、こいつら明らかに私より頭わりーだろ、と思いながらぶすぶすブス顔で働くのほんと嫌になったので。
んで退職してはや三ヶ月弱。まだ働いていない。というか就職活動に対するやる気がまったく起きない。
基本的に私は外で働きたくない。家庭を守りつつましく生きたい昭和の女だ。家事ちょうできる。とくに料理。
しかしながらその地位におさまれるよーな気性でもなければツラでもない。つーか喪女だ。
じゃあ自分の腕で働いて食っていくしかないじゃない! ゴー! 喪女ゴー!!
というわけだけど働く気が起きない。
一応ハロワに顔出したり、ちょこちょこ応募したりしているけれど。見事な祈られ具合である。
長らく「時給」で働いてきたせいか、どうにも「自分の時間に値札つけて売ってる」感覚なので、会社に貢献という頭になれない。
定時で速攻帰りたいし業務時間外の付き合いとかまっぴらごめんである。
という、てめー甘ったれてんじゃねえぞ世の中のみなさんにあやまれ!な感じと。
自分でいうのもなんだけど学校のおべんきょだけはそこそこできてきたので、世の中のみなさんを見下してるきらいがあって。
でもそのみなさんが経験してきた、就活とか会社勤めとかの努力とか我慢を私はしていない。
会社勤め関係以外でたくさんしてきた努力も我慢も、みなさんからしたら無価値だ。
つまりみなさんから見たら私クズじゃね? あっやっぱクズだ不採用言われたものクズクズ私クズ!
ていう、「一般社会から見たら私がいちばんクズなのを確認したくない」な感じがあって。あっこれも甘ったれてんじゃねえぞだな。
何故に就活とかしてこなかったって、芸術専攻だったのでえらい人たちの下働きしたりなんやかんやしてたわけです。
でもある日気づいてしまった。私のような、誰の援助も受けられない人間、しかも甘ったれがやっていいことではないと。
端的に言って、生きてくお金得られる目処がたたないしたてる努力したくないじゃん私、と。
だから辞めて、芸術じゃないところだとしても、どこかに勤めてたべて行くしかないと選んだのに甘えてる。
甘ったれんなよ。独りで生きてかなきゃならないのに。
甘ったれんな。甘ったれんな。誰にも頼れないし、どこにもお金はないし、おまえ独りで生きていかなきゃならないんだよ。
友だちはたくさんいるけれど、その誰も、私をほんとうに世界でいちばんには大事にしてくれない。
親類縁者もおなじだ。
私をいちばん甘やかせるのは私だけど、私を助けられるのも私だし、いちばん大事にできるのも私だけなんだよ。
私よりあいつ甘えてね?と思っちゃうことがあったとしても、きっとどの人も、その人はその人なりに努力も苦労もしてる。
表も裏も甘えてるのわたしだけだからー!
こういう話題だと自称偉い精神科医の人たちががいーっぱい出てくるのでその騒ぎを私も見にきた~。
やっぱりごっつう偉い先生だらけで腹抱えて笑ったw
おぢさんは地日なの?