「だまし絵」を含む日記 RSS

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2023-08-27

AIイラスト着物が袴になってた

子供ユーチューブを色々つけていたときに、お祭りの音を鳴らす動画で、浴衣を着た女の子三人の萌AIイラストが使われていた。

萌によくあるように、浴衣股間や足にはり付いて下半身の形を浮かび上がらせていたが、前に出された足を見ると浴衣の裾が袴になっていた。

浴衣が体に貼り付きいつの間にか袴に変化するだまし絵のようで、なんとも言えない気分になった。

2022-01-16

ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じた


──「富野由悠季世界」展を拝見して、富野由悠季監督キャリアあらためて振り返っていただくと、ご自身でも言及されているように『機動戦士Vガンダム』以降のお仕事フェーズが変わったのではないかと感じられます。それまでほぼ毎年のようにオリジナルアニメの新作を手掛けていた富野監督が、新作から数年遠ざかり、久々に発表された作品が『ブレンパワード』でした。ガンダムシリーズから新たな路線に踏み出したのは、何がきっかけだったのでしょうか。

富野:『ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じました。行き詰まりを感じた一番の理由が「ニュータイプ論みたいなものを立ち上げておきながら、それをハウツーとして示すことができなかったこと」です。『ガンダム』をやっているうちに冷戦は終わったのだけれども、じゃあ冷戦が終わったからと言って世界中がまとまっていくかというと、まとまってはいかなかった。具体的に言うと、それぞれ主要国家トップにいる人物たちが、必ずしもニュータイプ志向を持ってる人ではなかったという現実を突き付けられたからです。それで挫折するしかなかったということです。

 だからもう『ガンダム』をやっていられないと思った。あと、『ガンダム』は構造だけで見ると、旧来の戦記物に則っているわけだから戦記物ができる人や好きな人に任せれば良いと思いました。20年くらいやってきて、戦記物はやっぱり体力的に若くなければできないということもあって、年を取ってから戦記物フォローしていくには、古代史を扱うような歴史的な学識を持つ必要があるということが分かってきた。そこでどうしようかなと考えたときに『ブレンパワード』に行きついたということがあります

――今、富野監督は「ニュータイプ論のハウツー確立しなかった」ことに挫折を感じたとおっしゃいました。富野監督は人々の多くをニュータイプにしたかったということなのでしょうか。

富野:いや、多くの人だけではありません。人類のものニュータイプにならないと、これ以後一万年という単位人類は存続しない、人類を存続させるためには人の革新……というよりも、社会革新をしなければならないんだと考えています。ですから総体ニュータイプにならなければいけないということです。

――富野監督ガンダムシリーズニュータイプを新しい感覚を持つ人類として描いています。劇中では、ときには距離時間を超えてさまざまなことを感知したり、意思疎通をしたりする。具体的にはどんな人間の到来を期待していたのでしょうか。

富野:それについては、実はこの数年で具体的にニュータイプが現われたということが分かりました。

――なんと…! それはどんな人なのでしょうか。

富野将棋藤井聡太竜王とか大谷翔平選手です。将棋野球世界勝負事です。何億通りの手がある中で、藤井竜王は勝つ手を選ぶことができる。僕は将棋のことがまったくわからないけれど、「この人がニュータイプなんだ」ということがわかった。それに気づかせてくれたのは先代の竜王であり、永世七冠である羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、藤井竜王のことを「自分があまりたことのない局面でも対応力というか、適応力みたいなものが高い」と評していまする。天才が、新たに現われた天才のことを評価しているんですよ。

 大谷選手大手術を受けた後でも基本的身体ケアをつづけ、社会人としての基本としての勉強をつづけていますしかも壁を相手に投球練習毎日つづけている!! 彼のスポーツマンとしての基礎の積み上げこそニュータイプ的と言えます時代の移り変わりとともに、レベルの違う才能と人物が出てくるんだと感じられる好例です。ほかにも、工学の部分でも蒙が啓かれるような事例を承知しています。それは電動航空機の開発です。まだ決して大型機ではないのだけれど、それがすでに開発されているということは、僕のような世代にとってはもう腰が抜けるような事例でした(2018年7月JAXA、航空系企業、電機系企業経産省航空機電動化コンソーシアムを設立)。工学電気関係では、そういうことが起きている。そういう開発者たちは30代や40代だろうと思うけれど、彼らのような人たちに続く若い世代は、さらに違うものを作ってくれるでしょう。

――新しい想像力を持った人たちが、新しい時代を切り開く。富野監督が待ち望んでいたのはそういう方々だったんですね。

富野藤井聡太竜王大谷選手を見ていると、ギトギトしていないでしょう(笑)。ギトギトした人間が何億人もいたら、地球が潰れていくんです。ニュータイプにならなければ、地球保全できないという考え方は、つまりそういうことです。おそらく、あらゆるジャンルの新進、若手の世代はこういう人たちがいるだろうと思います。僕がとくに想定しているのは現代コロナ禍を経た、現在5歳や6歳の子どもたちです。免疫学的にも、彼らの中からニュータイプが出てくるのではないか。そういうふうに期待をしています

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード』 ©サンライズ

ブレンパワード』以降は、「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなった

――『ブレンパワード』についてもう少しお聞かせください。『ブレンパワード』の制作前は、ニュータイプにたどり着けなかった挫折感があったということですが、その中で富野監督が『ブレンパワード』にたどり着いたのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか。

富野挫折から、僕は鬱病を患ってしまって、一年近くほとんど外に出られなかったんです。そこからリハビリをしていく中で、何を考えるかというと「なんで人間は鬱になるのか」ということでした。そこでたどり着いた答えは、健全、つまり普通生活をしないと鬱になってしまうんだということです。それだけのことだと思ったんです。この健全とは何かというと、自分ひとりだけの問題じゃなくて、親子関係子どもから両親がどう見えているか、周囲の人間関係も含めてのことです。普通であるということ。そういう当たり前の環境を維持するということ、それが人の暮らしにとって一番大事なんだということがわかった。

 そのとき企画していた作品タイトルが『ブレンパワード』だった。ブレーンという言葉を使うことで、知的な方向に行こうと思っていたんだけど、「いや、そうじゃないんだ」と。知的な回路を形成するためには、当たり前の健全生活をしていないとやっていけないんだとわかった。じゃあ、その最もシンプルな話、つまり親子の関係を正面切ってやってやる、と思ったわけです。それで主人公たちの家庭環境主人公の伊佐未勇とクインシィ・イッサーの姉弟は、研究者である父母から顧みられなかった)やジョナサン(・グレーン)みたいなキャラクター(優のライバルジョナサンは母のアノーアに屈折した愛情を抱いている)ができあがったんです。だから東京水浸しになっている、みたいな話がやりたかったというわけではないんです。

――地球の各地が自然災害で荒廃しているという『ブレンパワード』の世界観は、当時としてもインパクトがあったと思います

富野:なんでああいう設定がいるのかというと、要は「アニメとしてのだまし絵」なんですよね。その設定があったほうが、アニメっぽく見えるからあくま技法論にすぎなくて、別に水浸しになった事件を描くわけではない。そうではなくて、ものすごく簡単に言っちゃうと「ママは僕のことを優しく育ててはくれなかった」という親子関係のことをドンとやっちゃうことが、一番良いことなんですよ。そういうものアニメとして描く中で、もう少しだけ、リアルもの接触できる作品を作れないかと思っていたんです。

――人間関係の中でも一番シンプルな「親子関係」に焦点を当てることで、普通のこと・健全もの模索しようとしていたんですね。

富野:先ほどの質問に基づいて言うと、『ガンダム』は旧来のメカもの戦記物体裁に則っている部分があるんだけど、『ブレンパワード』以降は基本、心の問題……つまり「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなっています。僕が「『ガンダム』の富野」だったことで、ずっとそれができなかった。『ガンダム』の後期では自分プロダクションを立ち上げて、新たな作品出資しようと考えたこともあったけれど、僕にはそれをするだけの能力がなかった。実務者になれなかったという自分能力論もあったうえで、スポンサー理解してもらえるように、永野護くん(メインデザイン)に手伝ってもらったりして、なんとか『ブレンパワード』をかたちにした、ということです。だから中途半端なところはあると思いつつ、とにかく『ガンダムから脱出するための作品でもあったとは言えます

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード』 ©サンライズ

思想理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だからアニメのことだけを考えていたらダメなんです

――『ブレンパワード』ではメインデザインいのまたむつみさん、永野護さん、音楽菅野よう子さんといったベテランだけでなく、脚本浅川美也さん、カナン・ギモス役の朴璐美さん、のちの『∀ガンダム』ではデザイナーとしてゲーム業界から安田朗さんといった才能を、アニメ作品に起用しています。その背景には、富野監督にとってはどんな思いがあったのでしょうか。

富野:これは『ガンダムから教えられたことです。僕がやったことではなくて、当時の録音監督松浦典良)の采配で古谷徹さん(アムロ・レイ役)と池田秀一さん(シャア・アズナブル役)を呼んでくれた。他の声優さんも、声優専門ではない方が多かったんです。そういう人選を見せられていましたから、それこそ20年30年経てば今度は僕がやらなければいけないことだろうと、当たり前のように思えたわけです。それでやってみたというだけのことです。むしろ思ったよりも、それが成功していないという意味では、本当に人を見る目がない、育てる力がないという自覚をしています

――富野監督作品参加以後も、みなさん大きな活躍をされています

富野:結局、上手く行っている人たちっていうのは、もともとそういう才能を持っていたんですよ。全部、彼ら彼女たちの力なんです。僕が彼らに刺激を与えたとか、インプットしたという記憶あんまりありませんね。人を育てるということは、本当に難しいことです。これはわからないんですが、おそらく触っちゃいけないんです。触らないで、出会ったとき関係で、その人の持っているものを見つけだす。それ以上のことをしては絶対にいけないんです。これは実をいうと、愛の問題もつながってくるんです。

――愛ですか!!

富野:愛し合っちゃうと、一点しか見えなくなるんです。正しく接することができなくなる。その瞬間にとらわれてしまって、相手が今後どうなっていくのかを考えられなくなる。正しい距離感で、この先を考えて相手と正しく接していくものでしょう。ちゃんと愛を育むことが大事なんです。

――そういった愛のお話教育論にもつながりそうですが、そういった考えは、富野監督アニメ制作の中でお気づきになり、考えを深めていかれたのでしょうか。

富野:もちろんです。僕は基本的に絵を描けないし、原画動画を今もチェックしているのですが、腹が立ちますもん。「なんでアニメーターは画が上手なんだろう」「なんで線が綺麗に描けるんだろう」って。しかも、彼らは平気で何十枚も描いてくるんですよ。

――ははは。

富野:でも、そういう優れた技術を持っている人たちがいるから、僕は作品を発表できるのであって、技術を持っている人たちの総代に立つには、技術論ではなくて、理念を持たなければいけないわけです。そういう思想があったから、ここまでやって来られたんでしょう。

――思想があるから、約50年にわたるキャリア監督として活躍してこられたとおっしゃるわけですね。

富野思想理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だからアニメのことだけを考えていたらダメなんですよ。「マンガ絵が好きだからって、マンガが描けると思うな」という考えにもつながります。この話って、何にでも通用するでしょ? 僕が文化功労者のお礼のコメントの中に「アニメストーリーテリングは万能である」と書いたけれど、そういうことなんです。あれは良い文章になったなと思っています。僕がアニメ制作を通じて描いてきた思想は、どんなものにも通じる。それがあるから作品公共的な意味が出るんだと思っています

第3回へ続く(第3回は、1月22日配信予定です)

2021-03-30

anond:20210330181415

それなりの基礎がある人が、ものすごい少ない時代でな、

デザイナーに出したときパースを狂わせているではなく

パースが狂っている

だと

どうしようかとおもう。それとおなじレベルプログラムが多い。だまし絵があるように、だましプログラムもある。意図してりゃいいんだけどな。

2021-03-14

anond:20210314215234

それ何の根拠もないし(俺もだが)あってるとしてもむしろ男有利じゃね?

二次絵なんてほぼだまし絵みたいなもんだからそのまま把握してちゃあかんやろ

2020-12-21

anond:20201221174006

うそう。

あの絵は、まるでだまし絵のように、エロい錯覚させる要素が満載だけど、

じゃあ、満々にバイブでもつっこまれてるのか?とみてみると全然そんなことはない。

肌の露出度が高いかエロい と決めつけることもできなくもないが、

それってとんでもない女性への抑圧になりかねない。

2020-09-16

錯視)この目の錯覚が凄すぎてもはや理解不能!!(だまし絵

360°どこから見てもパンティーに見えるパンティ

2020-08-15

anond:20200815140324

ラブライブスカートのシワは、錯視だまし絵みたいなもんだと思う。

エロく見えてしまったらエロく見えるし、そう見えなかったらそう見えない。

2020-06-19

スゴいこと思い付いたんだけど、

流しそうめんって流す人は食べれなくて可愛そうだから

ずっと水が流れ続けている、あのだまし絵みたいなのあるじゃん

あれで流しそうめんしたら、

そうめん流してくれる人も一緒に食べれるから楽しくない?

もちろん、みんなが食べちゃってその流れにそうめん補給しなくちゃいけないけどね。

2020-02-17

anond:20200217035451

おっちゃんもアニメは好きで、宇崎ちゃんへのクレームは許せんかったクチだけども、ラブライブのアレはあかんね。

あれはお気持ちがどうとか言う話しではなくて、だまし絵トリックアートの類で、

透けるスカートイラストに埋め込んだだけやもん。

2019-10-30

anond:20191030120838

みんな知ってる光速不変の原理

目で見えるものはみんな光の反射だからだね。

遠くても近くても減速しないで光がとんでくるから、遠いのと近いのとが距離みえるね。

メートル先の光と100メートル先の光が同時にとんできたら絵にかいた平たさ的にみえるね。

それでは光速が不変なので1秒がはかれるね

0----------1 これが1秒。光が30万キロメートルすすむね。

0----------1 これは1秒かかるので30万きろめーとるだね。

時計の針が12時ちょうどを示したところで光速で移動してみるね。

0----------1 0の位置と1の位置がおなじ12時だね。

あれれ、じゃあ1のところは「1秒おくれてない?」!

よしこれ60倍にしてみよう!

なんと!1分時間がとまってしまうね!すごいタイムスリップ

これがウラシマ効果かー。

ややや、これおなじ12時の時計が異なる観測点で「見えてる」だけじゃない?

一秒遅れで画像が飛んできただけで、声が遅れて聞こえるよなだけじゃない?

じゃあ光の速度で加速して観察してみよう。

だんだん加速していくと、だんだん暗くなっていくね。

光の分子が視神経に届く量が同じ速度にちかくなっていくと少なくなっていくのでどんどん暗くなるね。

色が変化するって?なるほど波長が長いとか短いから少なくなると色がかわるわけだ。

でも光速って不変だよね。全部一緒に来るよね。なぜ色がわかれるのかな。速度とは関係ないよね。

あれ、でもちょっとまって。正面にある光は光の速度で増加していくことになるよね。まるで断熱圧縮みたい。

これ光の量がやばいことにならない?光が波と物質特性の両方をもっているとかいわれたら質量がやば増しでエネルギー量もやば盛りじゃない?

それはちょっとおいとこっか。

光の速度で物体が移動したら、遠くにあるものが近くにあるようにみえだまし絵みたいな状態というか、遠くにあるものを指でつまんだらつまめちゃう状態だよね。

実際の大きさと距離を光の速度で加速した分の質量が移動コストになるわけでそれを推進剤にして移動すると遠くから光速物体が運べるね。

加速とか減速とかはとりあえずおいといて。マーベル的な加速でギュンとくる感じで。DCでもいいよ。

特殊な感じでそれを移動してる側、みてる側から観察すると、みてる人は光の反射で像をみているわけだから、同じ速度で物質がやってきたらそれが見えた瞬間にはこっちに来てるってことだよね。

「”それ”が見えたら、”終わり”」だよね。

12時ちょうどの時計をもったうさぎさんが光速で移動してきたらその時計12時のまま!

時計の部分はね。

望遠鏡12時の時計光速で1秒かかるところから見てみると、一秒前の様子がみえるね。

じゃあ、1秒後は?

12時1秒が、12時2秒からみえるね。順番に到達するんだね。

光速うさぎさんは、むかしのアニメみたいにダッシュする構えからビューンと加速して速度表示の看板とかをくるくる回しながら加速して移動するね。

その姿はよこからみると光の速度で人が感知できる速度をまんべんなく出しているので、どこからみてもおなじ姿がみえるね。まるですっごく長さが伸びたみたい。

でもよく考えて。

それだけの長さが「長さ」として存在したらそんな大質量唐突に生まれ空間って。

移動開始と移動完了の時点で止まっているようにみえ物質が急停止したそこに到着するのはその物質の長さ分の時間がその場で全部元通りにもどるよね。じゃないとすごい長いままだから

むこうの時間時計とこっちの時間時計が同じになるまで伸びた物質は縮まるよね。

アニメのおおまたで水たまりをこえたりするような感じだね。最後にビヨヨーンってなるかも。

これ、光の速度が「仮にみんな同じだったら」そうかもね。

光は測りやすいよね。同じものだって写真みて合わせたら、時間の経過がわかる気がする。

でもさ、空間が不変じゃなかったら?

光が1秒かかるところと、2秒かかるところがあったら?

かに物質が光みたいな特性をもったらどうかな?

分解した分子構造を1分後に再構成したら、1分未来にとんでない?

もうよくわかんないね

わかんないので、とりあえず光速だけ考えてみようかな。

早くなればなるほど時間がおそくなるのかな。一番最初に考えたとおりみたいに。

はいいよね。物質の特徴があるとはいわれるけど、いわれないと熱が発生したり電気をおこしたりできても見えると言えないから後付けで公認される政府擁護特殊事業みたいに公認しないと成り立たないもんね。

そのおかげで生まれてくる光と消え去る光がどこからきてどこにいくのか謎だけどまあ波なので平たくなったら消えるのかな。

じゃあ光を生み出す頭頂部の方は無限エネルギーを秘めているわけだね。

光の速度で移動したら、横から見てる人はどこからみても光で反射してくるその姿がみえるのでいってみればすごい長さが伸びたようにみえるよね。

移動し始めの時間の絵が到着したところで反射する光でも同じくみえるので時間がずれてみえるよね。厚みが0でいえば。

でも移動中にみんなが観測できるから、その観測完了するまでにかかる時間の分の質量が移動先に送られるわけだからぎゅーんと伸びた姿がむこうでビヨヨーンってもとの形になるときには時計時間は出発地点とおなじ時間になっているよね。

タイムスリップできるのは光の粒だけで物体じゃなかったね。しかも古い生産品が賞味期限なしで出荷されてるだけでべつに時間が止まってるわけじゃないよね。

あ、でもそうか。それが時間経過で減衰しないとか縮小しないとかって「時間がない」っていわないとだめかー。

物質を分解してむこうで再構成したら、分解しはじめの時間再構成完了までの時間差はスリップちゃうね。

そうするといったん光の粒に物質を変化させて送って再構成したら、光の速度分冷凍睡眠みたいになった状態タイムスリップ的な移動ができちゃうかな。

どこの時点に存在する物質であれ同じ空間観測可能物質だったら実際同じ時間なっちゃうね。物質として観測できるかぎり。

かに重力空間の長さがかわっちゃうとすると、空間にある物質のこゆさがかわるから光もどこからの角度からみたりすればそのまざり具合がみえちゃうので加速すると赤くなったり青くなったりするかもだね。

光と時間がワンセットだと物質超えられない壁がでてきちゃうし、空間時間がワンセットだと観察する人とかはかる定規が存在できなくなっちゃうし、むつかしいね

あくまで我々がもってる定規ではかると、光はこうだし、空間はこうだってきめないと、議論が一歩もすすまないもんね。

でも、だからって光の速度を頂点として減らしていけばその効果が割り分得られるって、そんなことなくない?

光とはいわなくても、早く動いたらその分の「光の特性」が受けれるって?

それは電波としての特性を得てるのかな。それとも電波ちゃんなのかな。もしかしたら電波時計ってそういう時計なのかもしれない。

部活野球をしているからってプロ野球選手の何分の一くらいか球団からお金がもらえるかもしれないかな。

そういうことができるのはプロ選手だけだし、光速でおきる特別なことは光だけじゃないかな。

光子だって、計測できるのだから物質です!って公人だといっても人なんですって言われても、だいぶ権限が違うと思うのだけど。

それでいうとぎゅーんと加速する物体の長さがは伸びてるっていうけど、それふつうスマホカメラ撮影するのと超高速高感度カメラ撮影したのとでは同じ長さになってるのかな。

超高速カメラ高速道路車載カメラにしたら、もしかして赤方偏移とか見れちゃう感じ?

そんなことを考えながら、時間の経過する物質だけ切り離して箱に入れて波としての特性だけで人間をつくったら永久不滅じゃない?

海のさざ波を見ながら、寄せては返すその物理の波は同じことの繰り返しだけど、永遠だなあ水って環境があるだけで永遠に保持されるなあと。

そうだ物質を箱につめて波の特性人生だけでエンターテイメント体験してたらって書いたのが浦島太郎日本島国なのを名前にとりました。

箱の中の粉になった自分がまだ連続している自分として出会うと追いつき同期されて死んでしまうってお話ドッペルゲンガーで、オスカーワイルドに書かれたのがドリアングレイ肖像です。

というわけで、竜宮城ふつうに海の中にあるって設定で書いたんです。

ごめんなさい。

2019-08-23

絵では描けるけど脳内想像が難しいものってない?

だまし絵とかキャンバスの上で試行錯誤すれば描けるけど

脳内イメージするには絵のイメージプラスして錯覚する状態イメージしないといけないから難しい気がする

他にない?

2017-01-02

やまもといちろうポジショントーク

総会屋2.0というパワーワード威力は凄まじいが、ぶっこむタイミングも素晴らしく、そういう意味では腐ってもカワンゴ。

本人は否定しているんだが

http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/13103607.html

この否定の仕方も、結局よく読むとポジショントークであることは否定せずに、指示や金銭のやり取りだけを否定している。

しか過去リアル総会屋だって明確な指示や金銭のやり取りで動いたりはしない。世話をしているケツ持ち企業のためにライバル企業妨害したり、アドバイザーコンサルとして力を誇示するために騒ぐというのが基本的な手口だ。

ステルスかどうかは置いておいて、やまもといちろうソシャゲコンサルをやりつつ、ソシャゲ広告を扱う企業批判したのは確かであるしかし、当事者企業批判してはいけないわけではない。ポジショントーク立場のみで成立するわけではなく、立場によって偏った発言をした場合に成立するはずだ。

まり論点は「偏ってたかどうか」だ。

AppBankの件で言えば、反社勢力の関わりを糾弾したのは社会正義かもしれないが、そのまま追求を止めたことは明らかな偏りだろう。

もし本当に反社勢力の関わりがあったのであれば、何らかの事情で止める理由があったわけだし、金を受け取ったか脅されているのだか知らないが、とにかくやまもといちろうを黙らせる方法があるわけで、それは今も有効なのだから、彼を同情できても今の発言を信用することはできない。

逆に反社勢力の関わりが間違いだったのであれば、彼はそれを認めて訂正するべきなのだが、それをしないということは間違いを認めると死ぬ病にかかっているわけで、どちらであっても彼の言動は信用できない。

ちなみに俺の観測筋では、AppBankの件はやまもといちろう勇み足で、反社勢力の話は横領して豪遊した犯人苦し紛れに言った嘘だという可能性が高い。何しろ検察が入っても結果が出ないのだ。今の時代検察を黙らせれるような権力を持ち、AppBankなんていう弱小会社を守るために大盤振る舞いする暴力団は今時居ない。ドラマのような話は無く、蓋を開ければくだらないものだ。

勇み足に関しては今始まったことではない。

グラブルガチャを叩いた事件では、やまもといちろうの初期の記事を見れば確率操作を疑っていたことが伺える。何しろサイゲは不思議リリースしたゲームの売上アベレージが高い。確率操作が白日の下にさらされるのであれば、景品表示法曖昧な部分なんか飛び越えて刑事事件になる。大騒ぎだ。そうなれば刑事罰に怯える各社は渦中の「専門家である彼を札束で取り合うだろう。

だが、確たる証拠を握れなかったやまもといちろうは、それを匂わすような記事状況証拠だけを書きネット扇動消費者庁に働きかけ、動かすところまで行ったのだが、なんとサイゲは素直に通信ログを全提出した。お役所撤退の早さは、タレコミと実状の大きな違いを意味する。何のことはない、グラブルは単純に、パチンコには嫌悪感があるがシコい絵に金を出す30代40代オタクに支えられていたというだけだった。

おおっぴらにソシャゲコンサルやりつつ、妙に1企業ゲームだけ叩いてたというのに、誰もポジショントークを指摘しなかったのは今考えれば恐ろしい話だ。結局mixiモンスト個別確率表示すらしてないんだが、株主である彼は指摘しない。モンストのほうが対象年齢低くて売上ランキングも上だし、SSRの数と割合で考えるとグラブルより絞ってる可能性もあるわけで、常識的に考えればこっちのほうがまずいんだがな。

ネットで嫌われている相手を、適当疑惑で煽って間違っていたら逃げるというのがやまもといちろうの今までのやり方だ。ツイッターでも勝てる戦いにだけ返信する。免罪がどうとか、あやしきは罰せずとか、悪魔の証明がどうとか言ってるはてな人間も、敵がソシャゲ関連なら喜んで私刑に参加するし、平等性も気にしない。

しかし、やまもといちろう自身ミソジニーネット社会のそれと合致しなかったってことは彼にとっての大きな誤算だった。

小池百合子能年玲奈も、女だからネット人間は味方しないと思ったんだろう。彼が2ちゃんねる管理人の1人だった時代ならおそらく正しい目論見だ。しか時代は進み、ネット人間フェミニスト賛同せずとも、ミソジニーも格好悪いよねという感覚を得るに至っていた。

それに、結局はソシャゲコンサルで大きな成功を奪えなかったからか、自分が得意とする分野の外に強く手を出してしまった。そこから剥がれたメッキに、カワンゴが一撃を与えた。だまし絵と似たようなものだ。1度指摘されれば、見えなかったものも見えるようになり、全員が気づいた。

最近やまもといちろうは信用できないとか言われてるが、最近じゃない。実は今更の話なのだ

2016-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20160201173525

両方見ると言っても、光と構造って両立しないことあるじゃん

同じりんごでもハイライトを強いライトで白飛びさせたうえで輪郭に接するように配置したら、デッサンとして出力した時にアウトライン普通りんごよりも凹んでるわけでしょ

それってりんご構造放棄してるわけじゃん

でもハイライトに少しでも色を付けたら、色を放棄するわけじゃん

光と構造って両立しないことがあるってことでしょ?

実際、グレーの濃度みたいなだまし絵は身近なところにあるわけで

人間の目って簡単に騙せるわけでしょ

なんでデッサン美術的な指針として存在してるのかわからないんだよね

デッサンした人間と同じ目を持ってないと、デッサンって評価できないじゃん

2014-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20140618140412

勝手に生えてた木材は100歩譲ってそうかもしれないが、植林したり間伐したりしないと木材資源なくなっちゃうじゃん。

そんで植林したり、間伐したりするためには巡り巡って所有という概念を認めるしか無いじゃん。

 

資本主義が最も優れた経済方式なわけではなくて

資本主義が最も悪くない経済方式なだけ。

 

直感的に正しいと思うことが正しいなら、この世にだまし絵はないという話じゃないけど

直感的に正しいと思うことが正しくないことはわりとある

2013-08-26

野崎まど『know』論・後編——僕はいかにしてロリコンとなったか

承前。

前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。

彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキング美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。

で、ここからが僕の出番。

僕にしかできないと判断された仕事

稀代の大作家野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号

それはまさに、先生の考案したものと同じタイプ暗号だった。

といっても僕は特殊な暗号解読専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。

あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。

けれど僕はこの仕事を受けた。

基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。

から、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。

ピックアップ

一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクス視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。

ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。

三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性結晶だ。

僕はそのだまし絵のようなコードの海に身を沈めた。

想像が始まる。僕は右脳左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。

ギャグがない

これはいい

未来

少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。

思いつくまま挙げてみる。

男性

序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚遮断することもなくそれを聞いている。

やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。

先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。

ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性お茶汲みを頼むのは性差別」という認識根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代男性は持ち合わせていないのだ。

と、ここまで書いていたら三縞君からあなたろくでなし価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。

退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。

僕はおとなしく仕事に戻ることにした。

児童保護

無視できない違和感が生じた。

該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。

馬鹿なことを。

当たり前だが個人情報保護児童保護はまったく別の問題だ。しか情報格差技術限界によるものとされている。少なくとも一般的認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。

ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。

思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。

ソフトSF——純粋人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF女性作家の隆盛。メアリーシェリーベネットル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。

社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる

即座に理由を問う。

社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるから

方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。

過去日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女社会的に見れば化け物でしかないというのに。

僕はようやく理解した。

キーワードは〈女性〉、そして〈子ども〉だ。

それが指す存在を、僕はすでに知っていた。

誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化特異点

道終・知ルその人。

僕らはよってたかって彼女おもちゃにした。

機密官、その異常性

ようやくあの男について語る時が来た。

クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。

結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。

仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外クラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。

自らが果たすべき任務を忘れ。

子ども挑発に激昂し。

14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。

およそ言い訳のしようのない。

ただの変態だった。

禁断の果実

それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。

可憐容姿挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。

それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。

そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。

いや。

結局すべては、先生の思惑通りなのだ

思えば先生の仕掛けたタイマーは十四年であった。

なぜそう設定したのか。

答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。

本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後良心だろう。そう信じたかった。

ああ好きなんですねえ

すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。

結論

長く辛い旅路だった。

結局、作者の真意は何だったのか。

僕には朧気ながらその姿が見えていた。

そう。氏は切望していた。

想像力によって少女という存在の持つ可能性を解き放つことを。

誰もが自由に小中学生の裸をのぞき見ることのできる世の中を。

情報の秘匿も。

表現規制も。

時代の空気も。

何もかもが存在しない、本物のオープンソース世界というものを。

最後に。

解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。

うわぁい、子ども保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!

のぞきまど先生次回作に期待を込めて。

(続かない)

2010-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20100517011213

そんなことより、なんで教師が増田の絵を見て怒りだしたか考えようぜ。

おれはこう考える。

当時教師は性的欲求不満だった。そこでたまたま増田の絵を見たところ、性的欲求不満であるという深層心理が変に作用して、あたかも精巧だまし絵のように増田の絵の一部が金玉に見えてしまった。怒り狂う教師。増田を散々罵倒し、異変を察知して入ってきた隣の教師にも絵を見せる。ところが隣の教師の反応が「???」。その様子を見て急に正気を取り戻す教師。しまった、引っ込みがつかねえ、しょうがないから怒り続けるか。結果無実の小学生虐待し続ける事となった。

結論 諸悪の根源は教師の欲求不満にあった。

 
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