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はてなキーワード: 因果関係とは

2023-11-01

anond:20231101182133

料理の値段とその相手食事をしたいかどうかに因果関係はないんだが?

奢ってくれるから食事したくない相手食事しようみたいな考え方をいつもしてるからそういう発想が浮かぶのか?

2023-10-31

anond:20231030180655

もう「自民公明維新」の時代は確定ですね。

コロナ禍がそれを決定的にしました。

https://twitter.com/ShortShort_News/status/1718256982917030064

  

リベラル派が中心となって推進したmRNAワクチンは、今や害だらけ。

  

もともと風邪ウイルスワクチンなんて、変異の速度から有効ワクチンが完成するわけありません。 

  

それにも関わらず、そんな医学の基礎すら知らない人間が多数。

特に反自民を掲げるリベラルの連中は圧倒的に無知でした。

  

今回ワクチンに反対を唱えたのは保守派です。

  

そして、自民党・岸田総理は、ワクチン接種は薦めるも「ワクチン任意接種」を貫きました。

コロナ禍で大騒ぎの中、他国ワクチンパスポートを導入する中、我々のリーダーは「任意接種」の貫いたのです。

    

はてなブックマークをはじめとする、自称リベラルの連中のワクチン信者ぶりを振り返ってください。

もし政権自民党でなければ、ワクチン強制接種は実現され、今よりももっと多くの犠牲が出ていたでしょうね。

  

後で「岸田が悪い」とか言うアホリベラルが湧きそうなので、もう1度言いますが「政府ワクチン任意接種」を貫きました。

ワクチン接種の圧力をかけたのは企業であり、無知個人です。

  

ワクチン強制接種を求めて、コクランレビューでは「有意差なし」と出ているマスクの着用を求め、行動自粛を求めたのは全てリベラルです。

  

https://twitter.com/ShortShort_News/status/1718256982917030064

この動画の通り、これからmRNAワクチンの害はさらに明らかになります

その被害想像を超えるレベル次世代にも影響はあるでしょう。

  

もはや、はてなブックマーク中でのワクチン肯定論は全く見る価値のない「子供レベル」なのを感じてる人も多いことでしょう。

無知無知。圧倒的無知人間だらけなのが、はてなブックマーク

  

残念ながら、ワクチン推進派がどれだけ叫ぼうが、ワクチンの害が覆ることはありません。

リベラル派のほとんどは無知であり、選択を間違え取り返しのつかないことをしたのです。

  

これから先、選択を間違えたリベラルに、信用は皆無。

時間を追うごとに、リベラルから見切りをつけて政権与党を支持する人は増えていくでしょう。

  

なぜなら自民党は感染症対策を進めながらも、最後最後防波堤であるワクチン任意接種」を守ったのですからね。

  

本当に自民党が悪の巣窟なら、ワクチンなんて強制接種ですよ。

どれだけ死者が出ようが因果関係不明です。

  

岸田総理をはじめ、自民党の中の保守派はきちんと現状認識して、ギリギリラインで止めていたんですよ?

  

自民党は完璧政党ではありません。

これから、どんどん弱者切捨てのようにもなっていくでしょう。

それでも大衆から信用を失わないラインで、良い仕事はしているわけです。

それを見抜いてる人は、多いと思います

  

故にこれから自民党の時代です。

自民公明維新」が中心となり、時代を作っていくでしょうね。

他の政党は信用性ないし、リベラリストなんて信用ないですから

  

リベラリストは完全に自滅をしたのです。

自民党憎しなんて、言わせておけば良いですよ。

彼らの数も時間が経つごとに減っていきますから(笑)

  

PS

こんなことを書いている私は反自民です。

しかし、コロナ禍で自民党の中にも「真の保守がいるのだな」と気づかされました。

今回は、あまりにも反自民が酷かった。

もう再起不能レベルです。

米国のような二大政党制は夢のまた夢の夢です。

政治家を選ぶ国民ダメですからね。

anond:20231031083914

自分が読んだことある本だとこの辺を読むともう少し理解が深まるかもしれない。

https://www.amazon.co.jp/dp/B01MROXAQD

https://www.amazon.co.jp/dp/B0B4ZWVNGN

https://www.amazon.co.jp/dp/B01GF9HOH6/

遺伝マクロから見て統計的有意差があるというだけの話で、個人レベルでみると全員が優秀なわけではない。逆にミクロ側の個人からみると学習スキルを持てるかどうかの方がIQ学歴に与える影響は大きい気がする。(ちゃんと双方の因果関係を調べたことはないけど)

個人的には遺伝による有意差はあまり気にせずに個人として成長できるかというコントロールできるところに焦点を当てて生きたほうが良いんじゃないと思うが。

anond:20231031144152

同時に起きているけど因果関係がないところに、因果関係見出し始めたら狂人の始まりやで

 

気をつけな

2023-10-29

anond:20231029225115

前半と後半に何の因果関係もなくね?

ナチュラルに当然のように破綻した日本語を話し始める低脳怖い

2023-10-28

anond:20231028122518

>ところで、これ書いてる人や星をつけてる人は、これと戸籍変更要件の間に何の因果関係見出してるの?これがトランスへの人権侵害を許容する根拠になると思ってるの?ユダヤ人は汚い人種からホロコーストは当然とか思ってるタイプ


人種によって身体構造は変わらないのに

何故人種の話を持ち出すのか本当に意味分からん

敢えて言うなら「「ユダヤ人パレスチナ人虐殺たから今回も虐殺するかもしれない」とか

ドイツ人ユダヤ人虐殺たからまた虐殺するかもしれない」

「だからユダヤ人/ドイツ人には近付きたくない」だろうね

誰も汚いとか、そもそも殺していいとかそんな事は言っていない

anond:20231028133313

お前みたいなバカ意味の通じないデタラメ話で他人に話しかけてて気持ち悪い

お前の話ってバカすぎて、人が意味理解できる域にないんだよ

説明してやろう




現状

目的外の侵入、つまり女性スペースに男性侵入したら不法侵入

建物の所有者の認識による

国の考え

戸籍変更から手術要件をなくすべきだ。他国から見ても非常に遅れている。戸籍は変更できるが、女性スペース利用可否は議論あり


国のOK

犯罪を犯していない戸籍女性トランス生来女性も同じだ。非犯罪者のトランス女性圧倒的多数トイレ内で犯罪を犯したら罪になるのも同じ。

国のNG

戸籍変更は可能でも、女性スペース利用まで可とするのは議論必要女性通報や防犯を困難にさせる可能性がある。結局、害意のある身体男性侵入を許す結果にならないか


トランス女性

トイレが使いやすいと嬉しい。しかし同じトランス女の中には女性トイレ利用をすべきでないような変な人たちがいるという声も

ターフフェミニスト

女性スペースは歴史的にも犯罪多発する危険地帯から身体女性だけ隔離された。犯罪機会をなくすよう設計すべき。セキュリティホールトランス男性男子トイレ問題は起こらないのにトランス女性女子トイレ問題は起こる理由は、そもそも男性女性に対する性的な加害性にある。そこへの配慮考慮に入れずに語るのは浅慮である


台湾

女装者が男子トイレに沢山いる。女装トランス女性男子トイレを使って何がまずいのか?

トランス擁護

トランス女性男性からの性被害に遭っている。ではトランス女性は性被害から守られる安全トイレ使用できないということなのか?

過激派

1番悪いのは性犯罪をする男なのでこいつらをどうにかしろGPSつけろ、重罪にしろ犯罪者専用トイレ使え性犯罪者を隔離しろ


お前

トランスによる性犯罪戸籍変更の要件になんの因果関係見出してるの?

属性の一部の犯罪行為を切り取って属性全体に人権侵害行為を行うことをよしとすることを差別って言うんだよ?

??????

バカ???る?

anond:20231028131609

トランスによる性犯罪戸籍変更の要件になんの因果関係見出してるの?

属性の一部の犯罪行為を切り取って属性全体に人権侵害行為を行うことをよしとすることを差別って言うんだよ?

anond:20231027213715

目の色変えて反論してるブクマカいね〜。今までマトモだと思ってたブクマカすら、平気で社会改善コストより人権侵害を取るようなコメント書いてるわ。

さすが死刑がある国だわ。と思うなどした。

 

●だから戸籍関係ねえだろそれ

 

クローズドな場で女の力では止められない取り返しのつかない中出しを即座にぶちかまされてから「こいつは悪い方のトランスだったのか!気づかなかったぜ!」が危険なんじゃないのか?

→これこそ戸籍全く関係ねえだろ。

現状の施設マイナンバーカードとかで入場規制されてて「ここにはチンポありは絶対入ってきません!」という運用になってるならまだしも、

トランスのフリして射精機能を保持してる悪い方のトランス戸籍を変えてなくても女湯に入ってきますし、レイプなら戸籍性別がなんだろうと裁かれますから「未オペで戸籍が変えられるせいで勃発する犯罪」とは言えん。と思いますが。

 

俺は男だから女体が男子風呂に入ってきてもダルい位にしか思わないけど女性は怖いだろうななど。マトモな人は入らないだろうけど、マトモじゃない人が居るのは証明されてるしな。

現行法でも公衆浴場への侵入戸籍チェックはしないし女子風呂に入るために戸籍女の証明必要ではないしなんならすでに戸籍男も入ってきてるってば。

マトモじゃない人を去勢したらマトモになるわけでもあるまい。

怖いよねそれを否定するものではないよ。でもずれてる。

 

身体的特徴と戸籍性別無関係として、戸籍性別風呂更衣室を分ける理屈増田説明できる?私は自信がない。同性愛者のトランス女性機能する男性器付きで女湯に入れるのにシス男性が入れないのはなぜ?

→なんで説明せないかんの?だって現状戸籍で分けてないじゃん。入るのに戸籍チェックしてないじゃん。

戸籍関係ないって話なのに戸籍でわける前提で話進めるのやめて。

 

レイシストへの返信

 

力づくで来られたら負けるので排除すべき→たとえ同性でも個々人で力の差はあります。僕の妹は柔道をやっていて、女性の中では相当パワーがあると思います。僕は妹のセクシャリティを知りませんし証明もできません。僕の妹も公衆浴場から排除せよということですか?

 

性犯罪が起こった時に裁けなくなる?→裁けます現行法のままでも、戸籍が女同士でも男同士でもレイプ犯罪です。女が女を盗撮しても犯罪です。安心してください

 

チンコある人が女湯に入ってくるのはイヤ→チンコがある人は入れない浴場を作る経営者がいてもいいとは思う。(これはこれでサベツダーが湧いて面倒と言う気持ちはわかる。)

他にもゲイ専用の風呂場があってもいいと思うしトランス女専用、トランス男専用もあっていいと思う。

消費者は「この旅館はオペ済みでもシス女専用浴場に入れないのでクソ!二度と行きません!」とレビューをつけてもいいと思う。

 

似たようなのゴロゴロあった

どの問題トランスジェンダーから生殖機能を奪ったり身体にメスを入れさせることで解決せよとするべきではないし、それで解決すると思うべきではない。と思う。

 

トップコメ

 

現状は戸籍性別根拠男性逮捕やすいけど、今後は戸籍に関わらず「内心が女性だ」という主張をどうやって第三者が嘘だと判断するのか難しくなるという話じゃないの?まして戸籍女性ならなおのこと。

 

逮捕云々は別問題として、内心をどう判断するかは次の課題になってくるでしょうね。自分もホイホイ変えられていいとは思わんので。人権侵害しない範囲判断できるようになってほしいからね。

性同一性障害が器質的遺伝子レベル障害であると言う観点から科学的な鑑別診断技術を開発する動きもあるようだ。これもこれで、幸せな人が増えるか不幸な人が増えるかはわからんけど、切り口として。

 

まともだと思ってたブクマカまでこの増田賛同していてガッカリ。「現行法では公衆浴場で[…]猥褻行為系の罪に問うことはできにくい[…]これは変えたらいいよな」ってサラリと書いてるけど、そここそ重要じゃん。

そう。重要だよ。今のままだと女のハダカが目当ての戸籍女も戸籍男も女湯に入ってオカズにできるし罪に問えたところで建造物侵入罪。ここを整えることはすごく重要だよね。

 

ところで、これ書いてる人や星をつけてる人は、これと戸籍変更要件の間に何の因果関係見出してるの?これがトランスへの人権侵害を許容する根拠になると思ってるの?ユダヤ人は汚い人種からホロコーストは当然とか思ってるタイプ

 

問題なくても「明らかに男が入ってくるが戸籍は女」「指摘した方が差別者として吊るし上げられる」「誰も男が入ってくることを指摘できなくなる」「レイプされても『差別は許されない!』として混乱」まですぐだぞ

 

明らかに男な戸籍女→明らかな男に診断書を出す精神科医性別変更を許す裁判所がクソだしそんな不審者によって利用者の心身の安全を妨げるような営業方針施設がクソ。

指摘した方が差別者として吊し上げられる→通報者を晒し上げる警察がクソ。それともSNS特定されて炎上するとか?誹謗中傷はやめようね。

レイプされても差別は許されない→何千回も言うけどレイプは女同士でも男同士でも犯罪です。

全体的に人権侵害を行うための合理的理由は見つからんね。

 

診断を誤るのはヤブ医者からじゃなく性同一性障害の診断が根本的に難しいから。患者に嘘つかれたらどうしようもないし。診断が不服なら何人でも医者交換したら済むし診断書2通なんて現状では自己申告と大差ない。

 

じゃ診断のためのスキームがクソ。凶悪殺人犯判断能力無しで情状酌量しといて後から診察ミスでしたてへって言われたらそれはヤブ医者って言われるでしょ。

そりゃ全部のトランス殺人犯レベル精神鑑定をするのは現実的ではないだろうけど今のままじゃガバガバなら変えればいいし、このガバガバ尊重するために性器切らせましょう切りたくない奴は一生結婚すんなでいいとは思えない。

 

危険度が上がることはやめてくれ…勝てないんだ…女性への性的嫌がらせって想像以上に沢山存在してるんだ。悪いことしないって手放しで信じられないのは自衛のためだ分かってくれ…

 

手放しで信じろなんて誰も言ってない。むしろあなたは目の前の相手戸籍をいちいち確認して信用するかどうか決めてるのか???

俺なんてマイナンバーカード作ってないし保険証紛失して再発行もしてないし性別証明する身分証なんて一つも持ってないけど。

あなたが女だと信じてる人間は必ず女だってどうやって証明できるの?

あと俺は俺って名乗ってるけど女ですよ。男のフリした方が呼んでもらえるから俺って言ってるけど。女への性犯罪めっちゃ体験済みだし知ってるよ。

その上で、身体にメスを入れなくても戸籍性別変えられるくらいの自由トランスの人に持って欲しいよ。

 

●その他

 

女子寮、女性マンション女性専用車両

銭湯と同じく経営者ビジネス判断排除したり選んだりしたらいいと思う。オペ済でないと信用できないっつうなら未オペ禁止とか言ってもいいと思う。資本主義から消費者から選ばれればやってけるだろうし、差別だと言われて廃れたり売れたりするのも時代判断だと思う。

 

健康面、医療面

→たしか生来性別わからんいかんことはあるな。整備しないといけないポイント人権侵害してまで整備を面倒がる根拠は見当たらない。

 

そもそも論

同性婚できたらよくない?

→大賛成。

 

わたしには姉貴というか兄貴がいて、トランス。今は男性として生きてる。

兄貴の嫁さんは元男性トランス

5年前結婚した。

兄貴は先に戸籍変えてて、嫁さんは付き合い始めた時はまだ戸籍男だった。

身体精神面も弱いところが多く、手術はしないと言ってたけど、やっぱり結婚するためにしないと、って。

そん時は、兄貴戸籍変えてなければ義姉は手術せんでも籍入れられたのになーって思った。それなら子供も産めたかもしれないのに。と、私の子供(兄夫婦から見たら甥っ子)を愛でてくれる2人を見てると思う。

兄貴卵子を保存してなかった。

手術は兄貴もまぁまぁ大変そうだったけど、義姉はもっと辛そうだった。

今も後遺症に悩まされてる。定期的に海外病院にも行ってる。子供いないから金はあるって言うけど、辛そう。子供すきなくせに。

 

義姉のパス度はというと、初めて会った20代の頃はトランスと言われたらああそうなんだと思う感じだったけど、手術する前くらいにはすっかり女性だったよ。

結婚後に、兄夫婦とうちの一家旅行行った時、義姉と一緒に温泉の大浴場に入った。

しんどいこといっぱいあったけど、増田ちゃん温泉入れたから手術してよかったよ」って言われて、なんか泣きそうになった。

 

未オペで、一緒に温泉は無理でも、元気でいてほしかった。苦しまないでほしかったよ。せめて、せっかくしんどい思いしたんだから、義姉が動けるうちに、いっぱい温泉旅行行こうと思ってる。

あと、後遺症が良くなりますように。義姉のような人が、愛する人結婚するためには身体にメスを入れなければならないのなら、

 

日本でもこういう手術がもっとw安心してできるようになれば、後遺症ケア安心して受けられるようになれば、いいな。

と思うし、

戸籍関係なく婚姻関係結べたらよかったな。とも思う。

2023-10-22

anond:20231022085824

レイプ経験のある女性幸福度が低い」という統計は「レイプされると不幸になる」という因果関係意味するものではないか

レイプは必ずしも悪いことではない、みたいな?

2023-10-15

[]10月15日

ご飯

朝:ナポリタン。昼:アルフォート。夜:ナポリタン温泉たまごモヤシニンジン椎茸スープ。間食:チョコアルフォート

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

アオイシロ

和風伝記百合ゲームアカイイト世界観を同じくするアドベンチャーゲーム

剣道部夏合宿とある田舎にやってきた小山内梢子が、砂浜に漂流していた記憶喪失少女出会うことから始まる。

序盤は学生主人公たちの楽しい交流シーンが丁寧に描写される。

衒学趣味たっぷりボリュームあるのは賛否両論がありそうだけど、僕はそこは楽しかった。

僕が苦手な歴史エピソードも丁寧に説明してくれるし、衒学趣向あるある語源の話も嫌いじゃない。

食事のシーンですら味の描写はそこそこにメニューにまつわる歴史宗教の話を延々と喋るのは徹底してて好き。

しかし、その序盤を終えて個々のヒロインルートの入ると途端にクオリティが落ちる。

まず文章の量が全く足りていない。

ヒロイン主人公恋愛パート和風伝記として序盤に前振りしていたバトルパート記憶喪失少女やその田舎風習にまつわる謎解きパートなど、全てがあっさりさくさくまるで粗筋を読んでいるかのように進んでいく。

そのくせ、衒学趣味自体一貫性はあるので、バトルパートで敵と向き合ってるときにすら語源歴史の話をしだしてそこはしっかり文量が確保されていたのは笑ってしまった。

スチル絵の整合性を合わせるために無理やりなストーリー展開が多発するのもよくなかった。

また個別ヒロインルートが始まってからも、日常的な遊びのエピソード唐突に挟まるせいで、遊んでる場合じゃないだろ感がキツかった。

そのせいで攻略可能ヒロインよりも、日常パート非攻ヒロインの方が思い入れが強い。

とはいえ別にそれらのキャラ雑談のシーンがあるだけで好きにはなれなかった。

結局、僕が好きになれたキャラクタが残念ながら一人もいなかった。

攻略ヒロイン5人のルートを終えると読めるグランドエンディングも、ツギハギ感が強く楽しめたところが無かった。

システム的にも選択肢フラグの立ち方の因果関係が飲み込めず、やたらと多いバッドエンドに納得がいか不快だった。

またやたらと複雑な分岐制作者も振り回されてる感があり、選択肢で開示される設定を整理しきれていない感があった。

前作のアカイイトがめちゃくちゃ面白かったのでハードルが上がりすぎていて、ちょっと期待度のコントロールを間違えたのかも。

ずいぶん腐してしまったが、序盤の共通ルートのワクワク感は楽しかったし、歴史に学がある人なら僕が気付けなかった隠喩伏線に唸るシーンがあるのかもしれない。

(最後唐突に右腕が伸びるやつは多分何かの歴史文脈があるんだろうなあ、僕は知らないからなんか伸びた! って思っただけだけど)

2023-10-14

プレジデント調査読書量と年収相関関係にあることがわかった」

お金持ちは余裕があるから本もたくさん買って読んでいるという相関関係ではなく、本を買って読んでいる人はお金持ちになるという深い因果関係があると思われます

俺が今から週一冊で本を読むようにしても収入が増えるイメージが湧かないが。

2023-10-12

ロイズ天下りに奪われた

パレスチナはイスラエルに奪われたのか?

パレスチナ保険業界のナニカになってしまった

近代戦争保険と繋がりを考えよう

近年は、フランスドイツなど先進国保険会社が、テルアビブに続々と進出しはじめた

世界的保険大手がイスラエルに殺到する理由

世界中の保険会社がイノベーションを求めてイスラエル

なぜイスラエルか?

P2Pピア・ツー・ピア保険代表であるLemonadeがニューヨーク証券取引所への上場を果たした。2015年創業からわずか5年での快挙だ。同社は2人のイスラエル人が創業したスタートアップ

そして日本損保HDジェトロ

イスラエル拠点の本格稼働に際し、「Insurtech」(保険分野のフィンテック)、「Elder Care」(高齢者介護)、「Autotech & Smart Mobility」(オートテックスマートモビリティー)、「Cyber」(サイバー)、「Blockchain」(分散型台帳技術)、「Home IoT」(スマートホーム)の6分野を

銀行ネットワークが落ちたのも保険営業サイバー攻撃ではないだろうか? しかしLemonadeが起業してからというもの防衛官僚の動きはこれである(なお、かつては保険天下りした検事総長もいる)

防衛次官が保険へ続々天下りのなぜ 知られざる深い関係

防衛官僚は、何を知ったんだろうな?

  

ハマス活動のためにイスラエルの地勢的な不安が高まり、在イスラエル企業から保険料がもっと取れるだろう

ユダヤ人イギリスナチス等により、企業技術イノベーションにより、「不安定なイスラエル」に移動させられたことが伺える

イギリスバルフォア宣言をさせたジェイコブ・シフなど一部のユダヤ大富豪方針だろうか

 

そしてパレスチナ人がガザ虐待されているのは、反乱を煽るためではないだろうか

歴史上でも、保険産業はそのように戦争も起こしてきたと思われるが(明治柳沢兄弟とか)、国連保険業界のIAEAみたいな団体を作っていない

戦争資金戦争とは別の理由流れるであろうし、因果関係証明方法を探さなければならないだろう

2023-10-05

結論的には少子化対策は、子作りの努力目標化と45歳以降の子無し税

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

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社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-10-03

柴犬の購買行動と購買者の知能の相関

研究は、柴犬の購買行動と購買者の知能との間の相関を検証する目的実施された。柴犬の飼い主と柴犬以外の犬種の飼い主を対象とし、知能テスト実施した結果、柴犬の飼い主の知能が柴犬以外の犬種の飼い主よりも有意に低い傾向が示された。

具体的には、知能テストの結果をもとに行われた統計分析において、柴犬の飼い主と柴犬以外の犬種の飼い主との間での知能スコアの差に関する相関係数は-0.45となった。この相関は有意であり、p値は0.01、95%の信頼区間は[-0.60, -0.25]となった。この結果は、柴犬を購入する行動が一定の知能水準と関連する可能性を示唆するものである

しかし、この結果は単なる相関に過ぎないため、因果関係を示すものではない。犬の選択と知能との直接的な関連を示すものではなく、他の潜在的な要因(例:文化的背景、生活環境、経済状況など)の影響も考慮する必要がある。

研究の結果は、犬の選択と知能との関連性に関する先行研究の一部として位置づけられるべきである。今後の詳細な研究多角的アプローチ必要である


Smith, J. D., & Masuda, M. (2023). The curious correlation between Shiba Inu ownership and intelligence: A whimsical exploration. Barking Up The Wrong Tree Quarterly, 5(3), 45-59.

anond:20231003104659

うわー・・・この増田絶望的にモテねぇだろ。因果関係が逆だもん。9割どころか99%の男にとっては、女が料理を取り分けようが酌をしようがどうでもいいんだよ。

ただ、料理を取り分けてくれてる子がいたら、気が利くなとか、いい子だなって思うからプラス評価になるってだけの話だぞ。

2023-10-02

会社で壊れちゃう

うちの会社の社内ポータルには投稿機能があって、営業部イベント宣伝とか役員メッセージとかそういうのが流れてくる。

中には、ブログみたいに日記のようなもの投稿する人もいるけど、そういう人の中に「壊れちゃってる」人が結構いる。

要は、会社制度共感しきれないほどの怒りをぶつけたり、私怨のようなどす黒い感情をぶちまけたりしてる。

で、そういう壊れちゃった人たちになんとなく共通点が見つかったので、垂れ流してみたい。

「ゆるく」、「長く」、「相対的な」不遇にさらされている

そういう人たちから感じるのは、長いこと「所属している組織で、あまり良く思われていない」こと。

ものすごく嫌われているわけではないが、「ああ、あの人は・・・」みたいな扱いをずっとされてきたんだろうなあ。というのが伝わってくる。

その結果、本人が自分の周りと比べて「自分評価されていない・不当な扱いを受けている」と感じ続けた結果、壊れてしまうというもの

それは、退職を決意するほどでも、メンタルヘルスを害して休職に至るほどでもないが、ただ「ゆるく」さらされ続ける

愛社精神に満ちていた

手厳しく会社糾弾する彼ら・彼女らが会社を愛していないのかといえば、むしろ逆で、「この会社で働いていること」を誇りに思っていたふしすらある。

この会社で働いていることは、彼ら・彼女らのアイデンティティの大部分を締めているし、自分が社内で発揮してきた能力自身を持っている。

ただ、その「能力」はほとんどが過去のもので、現在事業社会においてはさほど役立つものではない。ようは陳腐化した能力なのだ

このミスマッチ(と本人の資質?)からくる低評価をどうしても受け入れきれず、「可愛さ余って憎さ百倍」状態で、会社批判する。

顔写真の目の焦点があっていない

これは、まったく根拠がない決めつけだ。

上記の社内ポータルには、社員プロフィール機能がり、(やろうとおもえば)自分顔写真プロフィール登録することが可能である

まり、ここに書いている人たちの一部は自らの顔写真つきプロフィール晒した上で、自分のような赤の他人に「壊れている」なんて評される投稿をしているのである

そんな顔写真を見て、なにか得体のしれない違和感に襲われていたが、その違和感の正体が「目の焦点があっていない」というものだった。

あっていないというかは、「本来合わせるであろう場所にあっていない」というのが正しい。

顔写真なので、証明写真であっても自撮りであってもカメラマン撮影されたとしても、カメラ撮影するので、カメラレンズ場所を見るはずだ。人と正対して会話するとき相手の目を見るように。

だが、彼ら・彼女らの写真はなぜか「カメラレンズに目を合わせている痕跡」がなく、もう少し先の別の何かに焦点があっている。

この現象が、本当に「壊れてしまうこと」と何らかの因果関係があるかは、調査してみたい。

おわりに

散々書いてみたけど、別に彼ら・彼女らに何か不満や文句があるわけではない。乏しめたり同情する意図もない。

ただ、誰しもこうなることはあり得るし、本人は本人で悲しみや苦しみを抱えているのだろう。そういう想像力だけは持っていたい。

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

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