はてなキーワード: 老年とは
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545
1.については正しいだろう。中国経済は急速に拡大を続ける一方、日本の経済は一進一退を繰り返している。
4.については日本のコンテンツ産業を過大評価しているきらいがある。日本のコンテンツもかつて栄華を誇った家電製品と同様、凋落の道をたどるのは確実である。これに関しても色々言いたいことはあるが、文章の主題から外れるためこれ以上書くのは控える。
私はすべての20代を代表して、人生の先輩方であるあなたに言わせてもらいたい。先兵のひとりとして、管理職を務めるあなたに、経営者のあなたに、意思決定権をもつあなたに言わせてもらいたい。
(中略)
出生率のデータを見ろ、大卒初任給平均のデータを見ろ、平均労働時間のデータを見ろ!
おれたち若者は疲れ果て、飢えている。もしもいまのような見当違いの戦略で、いつまでもおれたちを戦わせ続けるつもりなら、おれたちはこんな国から出ていくぞ。
この文章からは、かわいそうな若者vs無知蒙昧な高年齢層という対立構造が見え隠れする。
若者は無知蒙昧な高年齢から搾取を受けた被害者だといわんばかりの文章である。
逆に高年齢層は、昔甘い汁を吸い今は若者から搾取する加害者としてデモナイズされている。
被害者であるがゆえに、加害者と勝手に認識している層に対し呪詛を吐こうが命令に従わなかろうがそれは仕方がないといわんばかりである。
イノセントな被害者としての若者。特定世代に属している人間はすべて純粋な被害者(または加害者)だという言説は被害妄想でしかない。
若者だって高年齢者層から被害を受けるだけではなく、高年齢者層に対し何らかの加害行為を加えて生きているが、そういうことへの想像力が完全に欠落している。
だから、私はあなたに言いたい。頼むから、私たち若者をあなたの愚痴に付き合わせる案山子としてではなく、経済的な鉄砲玉として使ってくれ。
(中略)
20代に機会を与えよ。我々に恩を与えよ。そうしなければ、私たちはもう、日本を捨てて、勝手にやる。それも一斉にではない、能力のある者から順番に、だ。
これを書いた藤田氏はエビデンスに基づき文章を記したわけではない。
ただ中国の深センという一つの都市を訪れ、そこで感じたことを勝手に日本社会全体に敷衍し、天下国家を論じているに過ぎない。
統計などであらわされる社会と、自身の皮膚感覚とは大きく乖離する(そして自身の皮膚感覚の方が間違っている)ことは往々にしてあるが、藤田氏は皮膚感覚を過信している。
加えて「被害者の言うことはすべて正しい」という前提も含まれているように思われる。
この文章の根拠は著者自身の皮膚感覚と被害者無謬の精神の2つだけである。
政策などを推し進めるにあたっては、エビデンスが不可欠である。しかし、皮膚感覚と被害者無謬の精神はエビデンスとしてのポテンシャルを持っていない。
藤田氏の主張する「凋落した日本ではなく中国に行かせるべきだから老年世代は支援しろ」という議論は、著しく根拠に欠ける無理難題である。
話半分に聞くぐらいならいいが、本気にすると痛い目をみるだろう。
この文章にとって、中国の発展について論じた部分は枝葉末節に過ぎない。本質は被害妄想とそれに基づく無理難題の要求である。
若者らしい無鉄砲さといえば聞こえはいいが、この文章を上梓したことによる影響について無頓着ではないのか。
若者がこの記事のせいで被害妄想を持ち、上の世代への敵愾心をむき出しにすれば、社会の分断がさらに進むのは確実である。
こんな駄文を書き散らしたのは自分が藤田氏と同じ1991年生まれの26歳だからである。
読んでいて頭に血が上ったので思わず書き散らした。根拠もへったくれもない駄文未満の代物だが、こういうことを考える人もいるということで読み流していただければ幸甚である。
※「日本弁護士達の痴漢爺さん回し蹴り対処被害者へのセカンドレイプ」から改題した
弁護士中野希美先生(元裁判官)とやらに「暴力を推奨するネット私刑」とみなされ、過剰防衛と断罪されてる件について
https://togetter.com/li/1173944
「ジジイ死ねよ!」店内で老人を蹴った女の子 取り押さえると、真相が明らかに – grape [グレイプ]
"痴漢老人を撃退した女の子に関するツイート、ツイ主が消したのかと思いきや、ヘイトで通報されて削除されたって意味わからんよ。痴漢側の人間多すぎでしょ…。そういう輩達と痴漢老人を一緒に小舟に乗せて沖に流したいよ…。"
https://twitter.com/miitoko/status/932284480731078657
元のツイートは残念ながら何故かヘイト扱いで通報されて削除に追い込まれたが、ネット上に当時の状況を説明するソースは探せばいくらでも出てくる。
にも関わらず、それを確認しながら客観的に検証するでもなく、まとめ共々又聞きだけで勝手に断罪しているため非常にいい加減。
敢えてソースを載せなかったのは、性犯罪の悪質さを責め、女の子の勇気を肯定し、取り押さえた店員も女の子に謝罪していた旨の記事しか無く不都合だったのではと勘ぐってしまう。
【日本の闇】痴漢老人に襲われた女子高生が「死ね」と回し蹴りで撃退 →何故か「暴行罪!爺さんは悪くない!言葉の暴力!」と女子高生側を攻撃する人達が続出 : オレ的ゲーム速報@刃
http://jin115.com/archives/52199448.html
上記には被害者側ツイートがまとまっているが、こちらを読めば、目撃者は一瞬の出来事で泣きながら必死に抵抗した等身大の女子高生として被害者を説明している。
ちゃんと読めば多くがそのような印象を抱く書き方だ。体格も爺さんの方が長身で有利だったそうだ。
一瞬で叫び、蹴り、大騒ぎにしたことで自身は店員に抑え込まれたが、素早く動いたおかげで爺さんの意表を突き、無力化する事に成功している。
発端ツイート主の元には、過去加害者に無罪放免で逃げられた痴漢被害者達の生々しい体験談も寄せられている。
彼女達は「派手に騒いで抵抗しなければ被害がうやむやにされる、最悪合意と見なされる現実」を痴漢被害で痛感しているから、犯人逮捕に至れた判断に救われて勇気づけられたのだ。
にも関わらず、中野希美は「格闘技」「格闘経験者」といった表現を多用し、
あたかも一方的に玄人が「正義感」で素人を暴行してネットに晒す私刑行為であるかのように批判している。
仮にも弁護士でありながら名誉毀損も甚だしい憶測の嵐に辟易してしまうが、他人から見た「回し蹴り」という表現だけで余裕を持った強者と決めつけてしまっている。
そもそも突然暴力を振るわれたのは被害者の一瞬の抵抗を、第三者が伝聞で「暴力推奨」「報復・復讐」「ネットリンチ」だとあげつらう構造こそ
ゆうたろう(7チャクラ)さんのツイート: "@sanma9731 そうなんですか?(°д°) でも尻餅ついて倒れましたよ。 ジジィと言っても、女の子より背の高い男性でした…。"
https://twitter.com/yuutaro02/status/931488631344074752
騒動元のツイートにはまさに痴漢が尻もちをついてこけた程度だったと明言されているのだが、弁護士の彼女は全く読んでいなかった事が解る。
背後で尻を触る自分よりも背が高く体格に勝る老年男性、女子高生が振り向きざまに蹴ったとしても威力はその程度なのだ。奇襲でなければ尻もちもつかなかった可能性も高い。
とにかく大事になっていないのは事実。その後に続く「もしお爺さんが死んだら」等の仮定は全部無意味。彼女は知らぬ内に正当防衛である事を立証していました。
専門家の見解を装っているのにこの不誠実さは論外である。「真面目に解説」とは片腹痛い。
「過剰防衛だ」と被害者を責める者達のリプライは、その意識の裏返し。「たかが尻を触られたぐらいで」と思っているから蹴りという抵抗が不当な報復に見えてしまう。
その加害者目線の無神経な「たかが」で被害者をぶん殴る暴力を集団で振るったために批判されたのだ。
ところが、弁護士を自称する中野希美は本ツイートでなんとこう言い放っている。
被害と反撃のバランスがあっていることが必要です。手でお尻を触る行為に対し、自分の手で振り払う、押し返す等はバランスが取れています
性犯罪は他者の人権を蹂躙して自己中心的な欲望を叶えようとする犯罪で、主に精神面の侵害が問われる問題だ(外傷が伴えば無論それも考慮に入れるが)
弁護士も精神の陵辱であると断る程度の認識はあるようだが、それ以外は「たかが尻を触られたぐらいで」と言う自称良識的な野次馬達と何一つ目線は変わらない。
ただ現行法がクソだったという事は、その法を武器として扱う側のクソなスタンスを正当化するものではない。
痴漢が手でお尻を触るのは、それが本人の自己中心的な欲望を叶える型に合致していたからで、決して常識や被害者へのダメージを配慮したからじゃない。
加えて見て解る女子高生を狙った計画的犯行であるため、触るという動作は本人の予定通りに行われたものである。
それに対して被害者はデパート内部で突然襲われた事。見ず知らずの大人から合意ない性的蹂躙にあったショック。SOSの意味も込めて派手に瞬時に騒ぐ必要があった事。様々な複合的要素が考えられる。
つまり事前から襲おうと抵抗しなさそうな子供に狙いを定めた加害者と、突然襲われた被害者は心構えと危機的状況が天と地程も違うのに、
この弁護士は被害者にだけ、反撃責任と冷静な配慮を要求している。
この程度の事は想像力があれば子供でも解りそうだが、ジェンダーギャップ114位の児童性犯罪大国・日本の法の奴隷らしい、双方の公平な斟酌のバランスを欠いた男性目線の言い分である。
それに「痴漢はソフトタッチだったのに女子高生は蹴りで対抗するなんてバランスが取れない!暴力的だ!」と言う理路で、被害者の配慮が無いと責めるのは、
間接的に痴漢側がまるで被害者に配慮していたかのような心象を、ギャラリーに与えようとする痴漢擁護でもある。
この女性弁護士は痴漢の心情には1ミリも触れないのに身体の心配だけは元情報以上の想像力を働かせる、
そして被害者は情報の断片だけで「格闘技」だ「懲らしめたった」だ「格闘経験」だとゲスの勘ぐりでありもしない被害者の「暴力制裁人間」としての人物イメージを構築して、その前提を疑おうともしない。
よく自分で見てすらいないツイートを伝聞だけで、ここまで決めつけられるもんだ。
この妄想暴走おばちゃんは「法に無知な女子高生が知らずにやったら大ごとになるかも知れないので本人に伝わって欲しい」と言っている。
犯罪被害にあった人様を捕まえて、一方的な加害者目線で嘘まみれの悪意で固められた妄想を、本人に見てもらいたいと言える無神経に呆れてしまう。
以上の事は法律家としての補足の域を超えた中野氏達の個人的偏見とデマによって成り立っているため、言い訳は通用しまい。
まとめた弁護士・まとめられた弁護士自身が結託して、被害者側や自分達への異論を頭から「私刑を正当化しようとする絶対悪」と頭から断じて疑わない。
ならば逆に問いただしたい。
あなた達こそ日本の現行法におけるごく一部の加害者勝ち逃げの判例を「絶対正義」と見て、発端ツイート主達への私刑を下してるつもりではないのか?
コメント欄にはどさくさに紛れて発端ツイート主個人への中傷に発展しているクズもいる。中野氏達はその光景を見てニヤリ、してやったりと思ってはいないか?
あなた方の弁護士の肩書を、あなた方個人が意図しない意見を権威で封殺するための道具に利用しないで頂きたい。
必死の抵抗を試みる被害者の心境を代弁したツイートを紹介して、これを終わりとする。
安全圏にいるゲスな弁護士共にわざわざ語られなくとも、被害者達は誰が何と言おうと決死の覚悟を決めている。
覚悟というのは過剰防衛認定される事もセカンドレイプされる事も含まれる。全肯定されなくとも、必死に抗わないともっと酷い目に遭う事を知っているからだ。
嘘と加害者目線しか持たぬ腐敗弁護士共国中のセカンドレイパーがどれだけ「私刑」だ「過剰防衛」だ「不当な報復だ」と眉をひそめようと
性犯罪へのモラルも法律も腐っている中世日本のサバイバー達は「被害者、よく頑張った!」と言う声を止めようとしないだろう。
イキりオタクっぽくて申し訳ないけど夜道突然ケツ触ってきた男をバッグとヒール放り出して全力で追いかけて引きずり倒して身分証奪って
そいつの家まで連行してから警察呼んで親共々厳重注意して謝罪させたけど、
相手顔面血まみれでも結局わたしお咎めなしだったから、性犯罪者に遠慮はいらないと思うよ
性犯罪にあったらたとえ殺されても必ず殺すって気持ちでいるから
ちょっとでも不当にからだ触られたら人様には見せられないくらい激昂するわ。
最近の投票率至上主義者の理屈は若年層の投票率が上がれば政治家も若年層を向いた政治をするというものらしいが、ならなぜ老年層の棄権を呼びかけない?
それによって期待される政治というのはこれまで長年批判されてきた利益誘導政治や、橋下徹や小池百合子らのポピュリズム政治と何が違うんだろう。
それから棄権は現政権に対する白紙委任だという声も多く見受けられるがこれは明確な間違いで、あえて言うなら他の有権者に対する白紙委任だろう。
アニメの版権利用の最も大きな収入源はパチンコ業界であることは、確実な話だからこれ自体は全く問題ないことだぞ。
けもフレが今後パチ化すれば確実にアニメのファン層は声を荒げるだけの下層民となり得る。
円盤はパチ化する指標であって、コンテンツを支える柱にはなっていない。
むしろパチファン以外のファンっていうのはコンテンツを神聖化・私物化する害悪だから、さっさと切るのが正解。
ファンというのは自分たちが奴隷として養分としていかに素晴らしいかを力説はするが、経済効果は期待されていない。
これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブの若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。
情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり、他人の多種多様な生き様や頭の中をヴァーチャルに追体験できるようになっていくほど、そうなる。
あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。
現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。
情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間の知識欲ははかりしれない。
ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報を客観的に見るようになる。
言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分の思想や行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。
感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識に距離を置くようになる。
自分の世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分は空っぽでいい。そうなっていく。
はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。
「自分の主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。
自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。
たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己の空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢で上から目線な発言をするようになる。覚えがあるだろう。
自己を主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。
それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタな視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。
他人、企業、社会、そういった観察対象の生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。
できることなら人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。
それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。
そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。
あまりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。
もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、
そして「実体験」の価値が相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。
だから何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報を摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。
「労働者」になりたくない。
「親」になりたくない。
「男(女)」になりたくない。
「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。
ひとつひとつを見れば、中二病か高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。
けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、
それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。
その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。
その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。
中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。
そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。
吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。
そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。
それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。
ブクマたくさんついてて驚きました。ありがとうございます。
更新するたびにコメントを書き直してる人とかも居て、みんな真心から勧めてくれてるんだなぁ、と。
ちなみに、1000年以上前の本で何かあるかなと考えたら、老荘や三国志等しか浮かばなくて、そういや西洋だとどんなんがあるんだろう、と思ってエントリを建てました。中国の本を除いて~ってのはそんな理由です。
んで建てた後に、そういやあの書き方だと中東の本とかも来そうだな~と思ってたら、まさかのヒンドゥー教の本が並んで笑った。
仕方ないんで岩波の『バガヴァッド・ギーター』とその訳者による解説(『バガヴァッド・ギーターの世界』)を買ってきて今読んでます。
戦争を前にして悩む勇士を、神が鼓舞するって設定からして面白い。
あと聖書を挙げてる人が多くて驚きました。聖書はそれ自体も面白いんだけど、理解できると西洋の小説や哲学がぐっと分かりやすくなるのがいいところ。
あと興味を引いたのはキケロ『老年について』。じじいになる前にに読んでおけとのことなので読みます。
『自省録』は何だか難しそう・・・。
少子化って世間では(とくにWebでは)絶対悪であり、日本終末論みたいに語られているわけだが、本当にそこまで言うほど絶対悪なのか?
どうもこの件に対する議論は「少子化は絶対悪なのは皆さんもご存知の通りなのですが~」みたいな雰囲気で始まり、議論参加者もそこに同意してるかのように扱われるので、「少子化は絶対悪なのかどうか?」という部分が棚上げされている感がある。
内容の分析もいい加減で、例えば「高齢化社会」というのは「総人口に占めるおおむね65歳以上の老年人口が増大した社会のこと。」なわけなんだけど、これと少子化がイコールで結ばれるのは間違いだ。もちろん少子化が高齢化社会を助長している場合もあるんだけど、平均寿命の延長化なんかも関係している。つまり、「高齢化社会」議論においての別の問題点、たとえば平均寿命とか定年の問題とか老人の定義であるとかのテーマが「少子化が悪い!」という声でかき消されてるんじゃないかと感じる。
介護テーマの議論も一緒で「介護職の給与が低い」という問題点があったとしても、「これから老人が増えるのに介護人口増えないなんて少子化が悪い!」みたいなごまかし方をすれば、介護給与なんて増えなくなるだろう。
消費人口議論も全く同じで、総消費をあげたければ給料を二倍に(実装部分で言えば最低賃金を大幅に上げれば)物価上昇を伴いつつGDPは拡大するはずなのだが、「少子化で国内需要が壊滅!」という終末論ばかり目につくような気がする。
各論レベルで切り分けて考えていくと「少子化は確かに原因のひとつなのだが、別の原因から、あるいは別の解決方法で解決したほうが低コストに解決できる」問題ばかりなんじゃなかろうか? 例えばの話で言えば、介護人員の解決なんて短期的には現場の待遇改善をすべきだろうし、中期的にはロボットの活用のほうが圧倒的に低コストであるように思う(生産人口もおおむね同じだ)。そもそも、少子化問題は解決に非常に大きなコストがかかる問題だと考えられる。
もちろん「少子化は実は善だったのだ!」なんていうわけではなく、当面不都合ではあるんだけれど、「そのほかの問題を放り出して莫大なコストをどぶに捨ててまで解決すべきこと」であるような気がしないし、いろんな記事や本を読んでみても、そこまでしなければならないという納得のいく説明を見つけることが出来なかった。
Web世論的には、「少子化=老人社会=経済沈没=日本壊滅」的な自虐世界観で生きている人々を散見するんだけれど、彼らはどういう洗脳を受けているんだろう? 日本より人口密度の低い国も人口が少ない国もたくさんあるのに。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/119/119tx.html
前文
第三章 国会
第四章 政府
第五章 国家財政
第六章 地方制度
第七章 司法
第八章 公務員
第九章 憲法改正
前文
天皇制支配体制によつてもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨にみちた窮乏と飢餓とであつた。この天皇制は欽定憲法によつて法制化されてゐた様に、天皇が絶対権力を握り人民の権利を徹底的に剥奪した。それは特権身分である天皇を頂点として、軍閥と官僚によつて武装され、資本家地主のための搾取と抑圧の体制として、勤労人民に君臨し、政治的には奴隷的無権利状態を、経済的には植民地的に低い生活水準を、文化的には蒙昧と偏見と迷信と盲従とを強制し、無限の苦痛をあたへてきた。これに反対する人民の声は、死と牢獄とをもつて威嚇され弾圧された。この専制的政治制度は日本民族の自由と福祉とに決定的に相反する。同時にそれは近隣植民地・半植民地諸国の解放にたいする最大の障害であつた。
われらは苦難の現実を通じて、このやうな汚辱と苦痛にみちた専制政治を廃棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。この方向こそかつて天皇制のもとにひとしく呻吟してきた日本の人民と近隣諸国人民との相互の自由と繁栄にもとづく友愛を決定的に強めるものである。
ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて人民のための政治が行はれるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとらうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障、人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。日本人民の圧倒的多数を占める勤労人民大衆を基盤とするこの人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくはだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、人民の窮極的解放への道を確実にする。それは人民の民主的祖国としての日本の独立を完成させ、われらの国は国際社会に名誉ある当然の位置を占めるだらう。日本人民はこの憲法に導かれつつ、政治的恐怖と経済的窮乏と文化的貧困からの完全な解放をめざし、全世界の民主主義的な平和愛好国家との恒久の親睦をかため、世界の平和、人類の無限の向上のために、高邁な正義と人道を守りぬくことを誓ふものである。
第二条 日本人民共和国の主権は人民にある。主権は憲法に則つて行使される。
第三条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意志にもとづいて選出される議会を基礎として運営される。
第四条 日本人民共和国の経済は封建的寄生的土地所有制の廃止、財閥的独占資本の解体、重要企業ならびに金融機関の人民共和政府による民主主義的規制にもとづき、人民生活の安定と向上とを目的として運営される。
第五条 日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。
第六条 日本人民共和国のすべての人民は法律の前に平等であり、すべての基本的権利を享有する。
第七条 この憲法の保障する基本的人権は不可侵の権利であつて、これを犯す法律を制定し、命令を発することはできない。
政府が憲法によつて保障された基本的人権を侵害する行為をなし、またかやうな命令を発した場合は人民はこれに服従する義務を負はない。
第八条 人民は日本人民共和国の法律と自己の良心以外にはどんな権威またはどんな特定の個人にたいしても服従または尊敬を強要されることはない。人種、民族、性別、信教、身分または門地による政治的経済的または社会的特権はすべて廃止され今後設置されえない。皇族、華族の制度はこれを廃止する。称号、勲章その他の栄典はどんな特権をも伴はない。かやうな栄典の授与はあたへられた者にたいしてのみ効力をもつ。
第九条 人民は民主主義的な一切の言論、出版、集合、結社の自由をもち、労働争議および示威行進の完全な自由を認められる。
この権利を保障するために民主主義的政党ならびに大衆団体にたいし印刷所、用紙、公共建築物、通信手段その他この権利を行使するために必要な物質的条件を提供する。
第十条 人民に信仰と良心の自由を保障するため宗教と国家、宗教と学校は分離され、宗教的礼拝、布教の自由とともに反宗教的宣伝の自由もまた保障される。
第十一条 人民は居住、移転、国外への移住、国籍の離脱ならびに職業選択の自由をもつ。
第十二条 人民の住宅の不可侵と通信の秘密は法律によつて保護される。
第十三条 人民は身体の不可侵を保障され、何人も裁判所の決定または検事の同意なしには逮捕拘禁されることはない。
第十四条 何人も裁判所で裁判を受ける権利を奪はれず、裁判は迅速公平でなければならない。
第十五条 人民を抑留、拘禁した場合、当該機関は例外なく即時家族もしくは本人の指名する個人に通知しなければならない。また本人の要求があれば拘束の理由は直ちに本人および弁護人の出席する公開の法廷で明示されなくてはならない。
第十六条 何人も自己に不利益な供述をすることを強要されない。強制、拷問または脅迫のもとでの自白もしくは不当に長期にわたる抑留または拘禁の後の自白は、これを証拠とすることはできない。何人も自己に不利益な自白だけによつては有罪とされず、または刑罰を科せられない。
第十七条 被告人はどんな場合にも弁護の権利を保障され、事件の資料について精通する権利と法廷において自国語で陳述する権利とを保障される。
第十八条 どんな行為もあらかじめ法律によつてこれにたいする罰則を定めたものでなければ刑罰を科せられない。刑罰は犯罪の重要さに応じて科せられる。何人も同一の行為のために二度処罰されることはない。
第二十条 国家は裁判の結果無罪の宣告をうけた被告人にたいしては精神上、物質上の損害を賠償しなければならない。
第二十一条 受刑者の取扱ひは人道的でなければならない。受刑者の労賃と労働時間は一般企業の労働条件を基準として決定される。
女子の被拘禁者にたいしては特にその生理的特性にもとづく給養を保障し、妊娠、分娩の際には衛生的処置を保障しなければならない。
第二十二条 刑罰は受刑者の共和国市民としての社会的再教育を目的とする。受刑者にたいして合法的に科された刑罰を更に加重するやうな取扱を行つた公務員はその責任を問はれる。
第二十三条 受刑者を含む被拘禁者にたいして進歩的民主主義的出版物の看読を禁止することはできない。
第二十四条 勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によつて保障され、その財産は相続を認められる。社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によつて制限される。
第二十五条 人民は性別を問はずすべての国家機関の公務員に選任される権利をもつ。
第二十六条 人民は個人または団体の利害に関しすべての公共機関に口頭または文書で請願または要求を提出する権利をもつ。何人もこの請願または要求をしたためにどんな差別待遇もうけることはない。
第二十七条 女子は法律的・経済的・社会的および文化的諸分野で男子と完全に平等の権利をもつ。
第二十八条 婚姻は両性の合意によつてのみ成立しかつ男女が平等の権利をもつ完全な一夫一婦を基本とし純潔な家族生活の建設を目的とする。社会生活において家長および男子の専横を可能とする非民主的な戸主制ならびに家督相続制はこれを廃止する。夫婦ならびに親族生活において女子にたいする圧迫と無権利とをもたらす法律はすべて廃止される。
第二十九条 寡婦およびすべての生児の生活と権利は国家および公共団体によつて十分に保護される。
第三十条 人民は労働の権利をもつ。すなはち労働の質と量にふさはしい支払をうける仕事につく権利をもつ。この権利は民主主義的経済政策にもとづく失業の防止、奴隷的雇傭関係および労働条件の排除、同一労働に対する同一賃銀の原則、生活費を基準とする最低賃銀制の設定によつて現実に確保され、労働法規によつて保障される。
第三十一条 勤労者の団結権、団体交渉・団体協約その他団体行動をする権利は保障される。被傭者は企業の経営に参加する権利をもつ。
第三十二条 労働の期間および条件は労働者の健康、人格的威厳または家庭生活を破壊するものであつてはならない。十八歳以下の未成年者はその身心の発達を阻害する労働にたいして保護され、十六歳以下の幼少年労働は禁止される。
第三十三条 人民は休息の権利をもつ。この権利は一週四十時間労働制、一週一日・一年二週間以上の有給休暇制、休養のための諸施設ならびに労働諸法規によつて保障される。
第三十四条 勤労婦人は国家および雇主からその生理的特性にたいする配慮をうけ、産前産後の有給休暇、母子健康相談所、産院、保育所等の設備によつてその労働と休息の権利を保障される。
第三十五条 人民は老年、疾病、労働災害その他労働能力の喪失および失業の場合に物質的保障をうける権利をもつ。この権利は国家または雇主の負担による労働災害予防設備、社会保険制度の発展、無料施療をはじめとする広汎な療養施設によつて保障される。
第三十六条 家のない人民は国家から住宅を保障される権利をもつ。この権利は国家による新住宅の大量建設、遊休大建築物、大邸宅の開放、借家人の保護によつて保障される。
第三十七条 すべての人民は教育をうけ技能を獲得する機会を保障される。初等および中等学校の教育は義務制とし、費用は全額国庫負担とする。上級学校での就学には一定条件の国庫負担制を実施する。
企業家はその経営の便宜のために被傭者の就学を妨げることはできない。
第三十八条 日本人民共和国は人民の科学的研究、芸術的創造の自由を保障し、人民のあらゆる才能と創意の発展を期し、研究所、実験所、専門的教育機関、文化芸術諸施設を広汎に設置する。
第三十九条 日本人民共和国は民主主義的活動、民族解放運動、学術的活動のゆゑに追究される外国人にたいして国内避難権を与へる。
第四十条 日本人民共和国に居住する外国人の必要な権利は法律によつて保障される。
第四十一条 人民は日本人民共和国の憲法を遵守し、法律を履行し、社会的義務を励行し、共同生活の諸規則に準拠する義務をもつ。
第三章 国会
一 内外国政に関する基本方策の決定
二 憲法の実行の監視
三 憲法の変更または修正
四 法律の制定
五 予算案の審議と確認
七 国会常任幹事会の選挙、国会休会中において常任幹事会の発布した諸法規の確認
十 会計検査院長の任命
十一 各種専門委員会の設置
第四十五条 国会は法律の定める定員数からなる代議員によつて構成される一院制議会である。
第四十六条 日本人民共和国の立法権は国会だけがこれを行使する。
第四十七条 代議員として選挙され、かつ代議員を選挙する資格は、政治上の権利を有する十八歳以上のすべての男女に与へられる。選挙権、被選挙権は定住、資産、信教、性別、民族、教育その他の社会的条件によるどんな差別、制限をも加へられない。
第四十八条 代議員の選挙は比例代表制にもとづき平等、直接、秘密、普通選挙によつて行はれる。
第四十九条 代議員はその選挙区の選挙民にたいして報告の義務を負ふ。選挙民は法律の規定に従つて代議員を召還することができる。
第五十一条 国会は代議員の資格を審議する資格審査委員会を選挙する。国会は資格審査委員会の提議により個々の代議員の資格の承認または選挙の無効を決定する。
第五十二条 国会は必要と認めた場合にはすべての問題に関して査問委員会および検査委員会を任命する。すべての機関および公務員はこれらの委員会の要求に応じて必要な資料と書類を提供する義務を持つ。
第五十三条 国会の会期は年二回を原則とする。臨時国会は国会常任幹事会の決定および代議員三分の二以上の要求によつて召集される。
第五十四条 国会は代議員数の三分の二以上の出席によつて成立する。
第五十五条 法律は国会において代議員の単純多数決によつて成立し、国会常任幹事会議長および書記の署名をもつて公布される。
第五十七条 国会は議長一名、副議長二名を選挙し、議事の進行、国会内の秩序の維持にあたらせる。
第五十八条 代議員は国会の同意がなくては逮捕されない。国会の休会中は国会常任幹事会の承認を必要とし次期国会の同意を要する。
第五十九条 国会には代議員の三分の二以上の決議にもとづき解散を告示する権限がある。
第六十条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、四十日以内に総選挙が施行される。
第六十一条 総選挙施行後三十日以内に前国会常任幹事会は新国会を召集する。
第六十三条 国会常任幹事会は議長および副議長各一名を選挙し、議長は日本人民共和国を代表する。
二 国会休会中政府首席による政府員の任免の確認 ただしこれについては国会の事後確認を必要とする
四 政府の決定および命令のうち法律に合致しないものの廃止
五 赦免権の行使
六 国際条約の批准
第六十五条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、国会常任幹事会は新たに選挙された国会によつて、新国会常任幹事会が選出されるまでこの権限を保持する。
第四章 政府
第六十六条 政府は日本人民共和国の最高の行政機関である。政府首席は国会によつて任命され、首席の指名にもとづき国会の承認をえた政府員とともに政府を構成する。
第六十七条 政府は国会にたいして責任を負ひ、国会の休会中は国会常任幹事会にたいして責任を負ふ。各政府員は政府の一般政策について全体的に、個人的行動については個人的に責任を問はれる。
第六十八条 国会が政府にたいする不信任案を採択した場合には政府は総辞職する。
第六十九条 政府は次の事項を管掌する。
一 一般的中央行政事務の遂行のために現行諸法規にもとづいて決定又は命令を発布し、かつその執行を検査すること
選挙権年齢が引き下げられ、今回の参院選から18歳以上が投票できるようになりました。
自分の一票が選挙に与える影響と投票に行く手間を考えたら、合理的に判断し投票に行かないという選択をするというのが「合理的無知」といいます。簡単に言えば、「行ってもムダ」という考えですね。
そんな合理的判断をする割には、「私は雨女だから」や「私が応援すると負ける」とは発言して、どんだけ影響力をもってると思ってるだか・・・、そんな人ほど「私なんかが行っていいのか」と思わず、その根拠なき影響力をもって投票すべきである。
民主党が政権をとった時に、ついに私たちの声が政治を動かしたんだと思った人はたくさんいたんだ、まー結果的に失敗だったけど・・・。
イギリスのEU離脱も多くの国民がどうせ残留と思って、懲らしめるために離脱票に入れたら、本当に離脱票が残留票を上回ってしまった。こういう二択選挙だと一票も重みが増すのだろう。
投票に行くのが面倒というのはある、インターネット投票できるのであれば、
どこにいても投票できるのに。インターネット投票はとりわけセキュリティ上の理由からなかなか進まない。
開票時間の大幅な短縮や人件費の削減、疑問票や無効票が出ない、自分で書くのがむずかしい障害者も代筆なしで投票できるなどのメリットは大きい。
日本の地方選挙では電子投票端末を使った選挙を行われたことがあるが電子投票端末は投票所に置いてあるので、そこに行く手間がある。
インターネット投票は、エストニア(ヨーロッパの北東端にある小国)で国民にデジタルIDカードを配布してあり、2,048ビットのデジタル暗号化ソフトを通して、市民は自分の家の広間で快適に座ったまま投票を行うことが可能だ。日本もマイナンバー制度により、出来る準備の下地はできつつある。
頑張って投票所に行ったとして、周りも見渡せば投票するのはじいさん、ばあさんばかり見ることになる。2014年選挙では70代が72%、20代は29%なのだからそうなるであろう。(今回の選挙年齢は18歳に引き下げも若者の投票率アップが目的)
政治家は票になる高齢者への政策を充実させるようになり、票にならない若者への政策は後回しにされやすくなる。「保育園落ちた日本死ね」記事も話題にはなったが、若者の政策は反映し難いのが現行の選挙制度上なのである。
これから少子高齢化社会では有権者全体に占める高齢者の割合が大きくなり、逆に若者の割合は小さくなる。これが世代間格差を助長させる要因となり、年金などの社会保障問題は先送りされ、将来の財政上の負担はかさむことになる。つまり現在の選挙制度のままでは将来世代に不利な状況を生んでしまう構造が出来てしまっているわけだ。
では、年齢階層別選挙区のようなのを採用して「20歳未満の子供をもつ親に2票を与える」「一つの選挙区を『老年区』『中年区』『若年区』にわけてそれぞれ同数の定数を配分し、投票率の差をなくす。20歳未満の『子供区』を設け、この分の選挙権を親が行使」というように差をなくせばいいと考える人達も出てくるわけですね。
しかし、民主制では自然法の下、権利や平等が保障されていて一人一票もその一環として保障されている。一人が一票しか無く誰かが2票3票何て有ったら平等≒民主主義の概念が存在しなく成るんだよね。
自分達の世代にとっての利権だけでなく、将来を担う世代にとっても、利益になる政策が考えられる仕組みをつくることが必要だよね。
大阪人は、ビジネスのセンスがあるかどうかは、人によるのではないか?
全く、大阪人って商いの精神があるとかって言うが、センスがあるかどうかは、個人の資質に委ねられている気がするし、疑問があるよね。
端的にいって、東京の人は、『自分は田舎から出ている』とか『田舎から出て来た人の集合体』という開き直りがあるように、予想するのだが。
(私は生粋の大阪人でもないし、学生時代を大阪で過ごしたわけでもない。出身は、北陸。たまたま、大阪府民になっている。)
大阪や京都の私鉄や地下鉄の連絡の悪さを考えると、簡単には駅舎を作れない状況のように思える。
なんだろう、たぶん歴史的に、中国籍や韓国籍や同和問題、ヤクザなどを抱えていて、
(沖縄の例の辺野古用地の買収ほど、露骨に政治屋の名前は挙がってはこないが政治家も絡んでるのだろうか?)
いずれにせよ、利害関係の調整が難しいのだと、思う。
それか、一時期、賄賂で大阪府下の市長さんが建築業者とズブズブだったらしいが。
東京都知事のお金の使い方が、ビックリするぐらいに、適当なんだろうなと、思う。
みみっちい。
群馬に、そのうち負けるのではないだろうか。
関西人の間の仲の悪さは、なんだか、埼玉・千葉・神奈川県民の仲の悪さとは、別次元のこだわりが、あるような気がする。
もちろん、東京でも、渋谷・新宿・上野とか、地域ごとの格差はあるのだろうが。
大阪府下でも、北側と南側、例えば、豊中や千里中央の辺りと、東大阪や堺市とでは温度差があるような気がするし。
いわんや、京都と手を組もうとか、兵庫県と、とかって草の根レベルで交わりづらいのだと、思う。
文化が異なる。
それと、
大阪の人は、コミュ力があるようで、コミュ力があるのかなと、疑問に思うことも多いし。
東京でも、子育ての件では老年層と若年層との意識のギャップがあるようだけど。
それが、そこかしこで、見られる。
関西の女性って、ディズニーランドやコストコなんかには、ラブな意識が強い。
(今、述べている関西の女性半径5メートルの範囲に限るので、異論は認める。)
結構、感情的で、愛知県の人よりも、金の計算が出来ないのではないか、と感じる。
コミュニケーションがきちんと取れないことに対する怒りを相手に対して向けられないのが問題。
もちろん実際に相手に怒れと言っているわけではなく、相手に対する怒りが自分の中で自然に発生すればあとは丁寧に断るなりなんなり良いアクションが取れるはず。
相手が若年だろうが老年だろうがある程度知的な人間であればコミュニケーションは取れる。
取れない場合は相手が悪い。そう思えるかどうかで全てが変わってくる。
要するに自分に自信がないか、コミュニケーションを取れない人間が周りにゴロゴロいるような環境で育ってそれが当たり前になっているかのどちらかだ。
これは声を大にして言いたい。
理由なく「欲しい」と思うことがあるが、買えるなら買うんだ。
良く考えて欲しいんだが、人生に必要なものなんてホトンド無い。
今きっと、自由に金が使える立場なんだろう?成人してるんじゃないか?
つまり、新しいPCを買うのが5年に一回なら、あと10台しか触れられない。
50台でも、500台でも無い。たったの10台だ。
なるほど、やりたいことは全てWindowsで出来るかもしれない。
さらに、既に持っているPCで全てまかなえるのに、サブPCを買う理由がない。
それはそうだ、目的もなく10万近くを興味があるだけで出すのに躊躇するのはわかる。
買ってみてスタバに持って行ってプログラミングしても、イマイチ乗らないかもしれない。
ココで唐突にスプラトゥーンというネット対戦ゲームの話をするが、発売日に買った人にしか体験できないことがたくさんあった。
ネットで対戦する楽しさ、第一回大会の興奮と問題点、それが改善され、細かくパワーバランスが調整される。
水鉄砲をぶつけあうフィールドの地形ですら変化するその調整は、今から買って遊ぶ人には体験することすら出来ない。
今、自分に出せる金額でMacに手が届くなら、なぜ躊躇するんだ?
そのお金は確かに高いかもしれない。必要ないと感じるかもしれない。
でも、この後中年になり、壮年になり、老年期に差し掛かるにあたって、Macを買う機会は二度と訪れないかもしれない。
あらゆるモノは、本来人生には必要無いんだ。本当に必要な物なんてほとんどない。
でも、人は、大衆小説を読み、宝飾品で着飾り、鳥のさえずりに耳を傾け、ゲームに熱中する。
服の色や形や素材に一喜一憂し、髪の量で劣等感を感じたり、道行くカップルに嫉妬したりする。
それらの情動全てが、人生には本来必要無く、そしてそれこそが人生だとも言える。
人が生きるとはそういう事だ。
どうせあと100年後にはオレもオマエも塵になるんだ。
買わない理由など無い。