はてなキーワード: 白虎隊とは
関西ジャニーズJr.のミュージカル「OneANOTHER」をこの夏観た。
ストーリーや演出からは、できるだけ性的な要素を排除していたように思う。二幕のショータイムはいつも通りの夏休み恒例子ども祭りでウッ…となったが。
松竹座のジャニーズ公演を初めて見たんだけど、いつもこうなのかな?
これができるなら、というかジャニーズ的なエンタメが続くなら、今後もそうしてほしい。
そもそも痩せていて前髪長めの美少年しか出てこない、という点において、どうやったってジャニー氏の性癖を内包化している事実はあるけどさ…。
●ジャニーズがエンターテイメントを通じて表現してきた重要な要素のなかで、異常な性的視点を排除して描けるのではないかと個人的に思えるテーマ
夢や希望を持った、子どもたちの争いと和解。仲間の死、そして仲直りへ…的なやつ。まだ何者でもない子どもたちのストーリー。
例「ANOTHER」:船が難破して仲間割れ。すったもんだありつつ、再び一致団結して海へ向かう子供たちの冒険(十五少年漂流記的なやつ)/「SHOCK」「PLAYZONE」:ショービジネスに翻弄される、夢を追う若者たちの苦悩/「DREAM BOYS」:ボクシングのチャンピオンと挑戦者の衝突
夢や希望を持った子どもと、導いてくれる大人の間に育まれる信頼と不安、のちに抱く感謝…的な構造。師弟関係に性的な要素は必要ないと思うので。
例「OneANOTHER」に描かれる学生と先生の関係性/「SHOCK」のスターとプロデューサー
・「Show must go on.」の精神
何が起きても幕を上げなければならない=平たくいうと「困ったときこそみんなで協力しよう」。これも普遍的なメッセージだなと思う。
例「SHOCK」「PLAYZONE」「DREAM BOYS」:ショービジネスの渦の中に巻き込まれる若者たちの苦悩、挫折/「ジャニーズワールド」:沈むタイタニック号の中で演奏を続けた楽器隊
・反戦
争いと暴力の悲しさ。
・シェイクスピアやウエストサイドストーリーなど、古典ミュージカルの再解釈
例:「SHOCK」「MASK」「DREAM BOYS」「ジャニーズワールド」など
・未成年の更生。
こどもが貧困や差別、不慮の事故によって犯罪を犯しても、更生できるはずという希望。
例「少年たち」:少年院が舞台/「DREAM BOYS」:居場所を求める若者たちの抗争(ウエストサイドストーリーやIWGP的なやつ)
本人役、実在グループが登場するフィクションのストーリーによって、アイドルやエンターテイメントの裏と表、意図、嘘などを浮き彫りにするやつ
●逆に、これまでにジャニーズの舞台やコンサートによくあった、今後なくなってほしい性的な要素
・成長中の少年の半裸。脱ぐな、見せるな
・水でびしょ濡れ。無駄に濡れなくていいと思う
・腰をくねらせるなどのセンシュアルなダンス。見てて気まずい
・過剰に肉体性を強調する演出。激しすぎる殺陣、人体がめっちゃ回るやつ、腹筋太鼓など。しんどい
・近親相姦的なストーリー。生き別れの母や姉妹に恋心を抱くやつ。シェイクスピアの引用なんだと思うけど…現代劇かつ若いキャスト中心だとけっこうきつい
・子どもたちの特技披露タイム。どんな気持ちで見たらいいかわからない
●今後なくなると思うとさみしい、伝統芸能っぽいな〜と思うモチーフや小ネタ、ジャニーズあるある
・大きな龍
・大きな船
・大きな旗
・大きな扇子
・ハチマキ
・イリュージョン(取っても取っても無限に出てくる仮面、箱から無限に出る金のピラピラ、瞬間移動など)
・誰かが死んだ時に上から花が落ちてきたあと、担ぎ運ばれる演出→そのあとスモークのなか幽霊として出てくる、のセット
・どこかにあるはずの「13月のユートピア」というバグ的な怖い概念
・地球の大切さを説き始める流れ
など。
いろいろあげてみたけど、大事なやつ忘れてたらごめん。
よく左翼が右翼に「お前らは戦争がしたいんだ!人殺しが好きなんだ!」とレッテルを張るが、実際に戦争がしたい人はほとんどいないと思う。
右派の人は他国から占領されて粛清されるなら戦おうと言っているだけで、戦争を手段の一つとして考えているだけにすぎない。
そうじゃなくて本当に戦争がしたい気分の時がある。
あなた方は「じゃあ自殺しろよ」というだろうがそういう話じゃないのでちょっと聞いて欲しい。
僕はもう何者にもなれないし、将来に何も希望を持ってやしない。
結婚をしても幸せになれないだろうし、そもそも結婚出来る気もしない。守るものも何もない。一生サラリーマンでストレスを抱えて働いて死ぬだけ。
だから僕は劇的で、英雄譚のような、それでいて全ての幕が下りる人生の物語が欲しい。生きて死ぬ意味が欲しい。
自分のしょうもない人生を、白虎隊や神風特攻隊のように忠を尽くして死した悲劇の英雄という物語として定義付けたいのだ。
はっきり言ってもう生きるのも疲れたのだけれど、平和な世で自殺すると敗北感がある。何もできずに、普通に生きることもできない、親不孝の弱者のメンヘラの犬死。触れてはいけないものとして扱われて、ネットでは馬鹿にされ、メディアでは叩かれ、恥をさらすだけ。
でも英雄の戦死だったらみんな自分の死を喜んで万歳し、神社に祀られる。つまり社会が戦争によって死を肯定するようになる。
戦争は何者でもない自分が英雄になり延々と続く日常に終止符を打つ最高の手段だ。
ここで多くの人は「英雄なんてなれないし、そんなものは建前と妄想に過ぎない」というと思う。
それでいい。むしろ今の移り変わる世の中で妄想の中で生きられないから辛い。宗教だって妄想だし、終身雇用だって結婚の幸福だって全部妄想だ。
たまたま妄想の中で一生を終える人もいるし、器用な人は自分で妄想を作り出せるし、強い人は妄想なしに生きることができる。
でも僕は妄想から覚めてしまったし、自分で妄想を作り出せるほど賢くないし、妄想なしに生きられるほど強くもない。
だから政府でも社会でも何でもいいので僕が目が覚めない強力な妄想の魔法をかけて、死ぬまで妄想を見続けたい。
突然だがそもそもの前提として私は成人前の学生だ。今更自粛期間中の話をするのも謎っちゃ謎だがまあ良いとして話を進めると、その頃私は学校の課題も無く趣味で文字を綴っているので友人の企画に参加する小説をちまちま綴ったりしていた。バイトも無かった。要するにだらけていたのである。
私は本当に昔から計画性が無く、頭の八割を推しに残りの二割を長期休暇課題パラダイスを除いて常に一週間以内に入っているやばい課題なり推しの誕生日なり企画締め切りなりに割り振ってきた人間であった。半分くらいは十割推しだった。それ故自分の人生について考える機会が無かったのだ。作文の課題とかで出されない限り「推しと戯れられる収入が欲しい」とか漠然とした欲望以外では無い。殆ど無い。
ここまで読んだ普通に義務教育を受けてきた人間なら思うであろう。「お前進路相談とかやらなかったの?」と。
実は私は小学校時代から塾に入れられ、路頭に迷わない程度の大学付属エスカレーターに乗せられた人間である。天才じゃ無くても保育園からチャレンジの一年先取してればなんとかなるのだ。これは自慢では無いしこのことに関しては本当に感謝しているのだが、うちの両親は共働きで貯蓄もありうっかり連帯保証人にサインしたりしない限り多分大学まで普通に行ける。勿論中学受験をしないとか別の学校に入るだとかそういう選択肢もあった。でもそれは実質無かった。こちとら数年塾に通いとある料理店なら身体中に塩を揉み込むくらいには出来上がっていたのである。そうして私は「受験面倒だから出来ればエスカレーターで文化部が充実してるとこ」とかいう雑な条件で受験、入学した。
私は私の人生を、「時々上手く選択してジャンプして乗り越えなきゃいけないし手すりは無いから何人か落ちるし本数も数本あるけど、普通にやってれば辿り着けるし方角もルートも大体おんなじな歩く歩道」だと思っていたし思っている。長いけど他の表現が見つからなかった。そうして私はそんな人生を雰囲気で選択してなんとな〜く生きてきた。実を言うと中学受験もあんまやる気なかった。
しかし冒頭で言った通り、時間ができたので色々考えてみることとする。昔から幕末と戊辰戦争が好きだし新撰組白虎隊辺りは大分調べたが攘夷志士に関してあんま知らないなとか。擬人化ジャンルとは別に小学生がエクスカリバーが好きな気持ちのままに日本刀だからもっと見方やら逸話を知りたいとか。19世紀の西欧男性ファッションをもっと調べたいとか。宇宙の果てが気になって寝れないとか。
……あれ、私、思ったよりやりたいこと色々あるじゃん。そう気がついた。
私の人生はレールの上ではない。ただ突っ立って流されるだけでは無い。歩く歩道の上なんだから流されるだけでは無くいくらでもダッシュできる。それに、私が今まで見ようとして来なかっただけで少し離れたところに色んな方向に伸びる道があった。
私はまだ十代だ。まだ助走を付ければ少し遠くの道にだって飛び移れる。笑いながら走れる。そうやっと気づけた。
外から見れば私はただ惰眠を貪っているようにしか見えなかったようで母親に有意義に過ごせだの嫌味を言われたが、私にとっては人生の中で最も有意義な休暇だった。私はやっと、自分の足で歩き出せたと思う。
『機動戦士ガンダム』……『新世紀エヴァンゲリオン』……
単に『売れる』ではなく『刺さる』コンテンツにはある共通点がある。
まず『暇があって可処分所得が増加モードに入った感じやすい年代』つまり学生が対象であること。
次に、彼らの暇とお金と旺盛な知的好奇心を吸い上げられるだけの『多層的な設定』がなされていること。
少年少女が否応なしに戦いに巻きこまれていくパターンであり、それを狙って失敗した作品もたくさんあるだろうが当たれば大きい。
そしてここからが本題だが……私は【学徒出陣もの】への抜き差しならない支持が、この国の活力を削いでいると考える。
『学徒出陣』自体が先の敗戦とひとくくりに捉えていいような悲しい出来事なのだ。
悲壮を尊ぶ精神風土はこの国の弱点、いわば【敗戦気質】だろう。
どんなに悲痛なトーンで描かれていても、それらが快美な娯楽として消費される限り【マイルド悲壮】にすぎない。
手の込んだ倒錯であり、ゆがみだ。
【悲壮ポル…】という言い方はどぎついので、しないけれど。
この【悲壮がり】こそがこの国の足を最低150年は引っぱり続けてきた。
特に白虎隊の悲劇は端的に痛ましい事件で、そこに美を感じるのは間違っている。
時代は違うし主人公はおっちゃんたちだが……『忠臣蔵』も【悲壮がり】な話だ。
あの時代になんJがあったら『くっさ』の一言で済まされかねない。
では、どうあるべきか?
コブラを乗せるべきだ。
『おっさんやん!』というのなら、じゃりん子のチエちゃんをもうちょい成長させて乗せるべきだ。
なのにこの国で刺さるコンテンツは【悲壮がり】だらけ。しかもそれで勝ったり生き延びたり、挙げ句ただようハッピーエンド感。