はてなキーワード: 凧揚げとは
なにもないのに涙が止まらなくなって、自宅で、スーパーで、通勤の電車の中で、中年女性が泣いてしまうという最悪な状態を3日間くらい連続でやらかして、やっと、体調が戻ってきたので、ちょっと日記書きます。
義実家に帰省して帰ってきて、6時間くらい車運転したので疲れて翌朝寝坊してその間に子どもたちがスライムを作って、こたつ布団にたくさんかける。洗濯物がたくさんあるので洗濯しつつ、こたつ布団も洗濯して、子どもたちに遊んでとせがまれるも忙しいので遊べないと言うと、怒って部屋を荒らされる。
洗濯物を畳むのと部屋の片付けと、色々とあるから手伝ってほしいと配偶者に頼むが、お前の仕事だろと鼻で笑われる。
洗濯機3回分くらいの洗濯物畳んでる途中に、なんか涙出てきて止まらなくなってしまった。一時間くらい、涙が出る(嗚咽とかはなく、花粉症で泣く感じ)状態で家事をこなす。
翌日は仕事初めなので出社。
帰ってきたら、家族が揃っていて、近所の新しいスーパーにみんなで行こうと言い出したので行く。既に1830過ぎ。
スーパーで子どもたちが二人同時に話す。片方の話を聞けない状態になると癇癪を起こす。配偶者は知らん顔して自分の見たいものを見てる。
子供は小学生と年長。イヤイヤ期とかそういう年ではない。ただ、発達障害なので、丁寧に対応しないと癇癪がすごい。
年長は一人で勝手にレジに行って買い物をしようとする。追いかけて店員さんに謝る。
スーパーで一人になった瞬間に涙が出てしまった。帰ってきて20時近く。そこからご飯を作る。風呂を焚く。
翌日は覚えてない。なんかもう、すべてが嫌で仕事だけが楽しい。
三連休が始まる。
体調が悪すぎて朝起きれない。土曜日は朝から子どもたちの習い事があり、毎週、起きて、準備して、頑張ろうと声掛けして送って行って…とやっていたが、どうでも良くなって、寝た、気がする。あまり覚えてない。
配偶者にお願いしても、お前が、習わせたいんだろうって言われて手伝って貰えなかった。今迄。
気がついたら、子どもたちと配偶者で習い事に、行って帰ってきていた。
午後は年長の娘が習い事の友達と遊ぶ約束を下野で、公園に付き添いでついていく。他の友達は親が来なくて私が面倒を見る羽目になることも多いが、この日は他に親が来てくれた子がいて、助かった。大人二人で、子どもたちを見ることが出来た。
翌日は日月で自分の実家に帰った。配偶者が車の中でドラマを見せてきた。運転しながら自分が聞きたかったらしい。
私が面白いと言うと、続きは見せない、とか自分だけ先に見てネタバレするとか言ってくる。(ちなみに私は去年の大河が見つかったが、禁止されて見れなかった)(お酒が好きだは、お酒を飲むのも禁止されている)
行動を制限して優位に立ちたいのかな。
実家に帰ったら、母親と普通の会話をして、それが嬉しくて、なんだか楽になった
一緒にご飯を作って、食べて。
お風呂入って、寝て。
次の日は、親に子供達を見てもらっている間に一人で自転車をこいで散歩した。30分くらい。
その後、家族で海に行って、凧揚げや貝さがしとかして、落ち着いて喋って、そして自宅に帰ってきた。
公園でママ友と、実家で母と、普通の、人として会話をして、とても救われた。
配偶者は私をバカにしてて、子どもたちもそれを真似て私をバカにして、話しかけても無視するし、でも甘えたいときだけくっついてくる。
それを、年末までは、流せてたんだけど
今年は本当に仕事が忙しくて、でも、平均年収も行ってないのに残業して、とか、会社で遊んでる、とか、仕事も頑張ってるつもりなのにずっと馬鹿にされてて、その配偶者への対応がしんどくて、なんか積もりに積もって。
多分先日爆発して、ずっと泣いてたんだと思う。
子どもたちも配偶者も今も馬鹿にしてきたりするけれど、配偶者が馬鹿にしてきてもヘラヘラするのを止めただけでとても楽。
一人暮らしするための費用、車購入代、それを確保したうえで、老後貯金、子どもたちの教育資金(一人600万くらい)の確保もして、近々自由になろうと思う。(別に離婚しなくても、別居しなくても、一人の別荘と自分の足を持つだけでも気が楽になりそう)
年収は自分の歳の平均年収に満たないけど、4月から時短勤務が終わってフルタイムになるので、そしたら平均年収くらいになりそうで、それに株や投資信託の配当を加えて、多少はどうにかできそう。
目標ができたらとても気が楽になった。
色んな発明が出ている時代なら良かったが、ネット、スマホ、デジタル中心になり、
投資資金も人もそちらに流れるようになってからというもの、必要な物が発明されてない気がしてならない。
例えば、「国際海運のCO2排出、2050年実質ゼロ」は、輸出入に頼る日本には本来なら切実なはずだ。
帆船、凧揚げをした船といった、見た目が怪しい扱いになっているが、そうでもしないとクリア出来ない。
AIによって自動化が進み、将来人手が余るだろう、なんて言われているが、リアル空間で物を動かす技術は全然だ。
絵がかけるAIについてだと、既存のプロのワークフローを無視して完成品だけ出力するので効率化に貢献出来ておらず、
どちらかというと問題ばかり起こった1年だった。
高齢者が多い日本は、そちらに投資が増え技術革新が起こるだろう、なんて言われていたが、
そんなこともなかった。
お正月の歌と言えば、これ。
『お正月』
もういくつねると お正月
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月
この歌、子供の頃からずーっと思ってたんだけど、「お正月の数日前」の歌なんだよ。
なんでこんなことになってんだ?バグか?
そう思って少し調べた。
まずこの曲の作曲者は、あの瀧廉太郎!(名前だけはなんか知ってる!)
どうやら、荒城の月や花(春のうららの〜隅田川〜)などの作曲者みたいだ。
なんかすごい。
東くめとその夫、あと瀧廉太郎らが「子供でもわかりやすい歌を」というコンセプトで作ったようだ。
120年以上も前!歴史あるんだなぁ。
今まで文語体だった子供向けの歌を口語体で作ったという、当時としては画期的な歌だったそうだ。
だからお正月と誕生日が同時に来るので、子供はことさら楽しみだったみたいだ。
数え年ではなくなったことも一つの理由だが、大きな理由はこれらしい。
1904年に銀座の明治屋がクリスマスツリーを店頭に飾り、1910年に不二屋がクリスマスケーキを発売。
その後昭和初期に、大正天皇の誕生日である12月25日が休みになった。
(それなら今の12月23日と合わせてクリスマス連休にしてほしいところだ)
つまり、クリスマスを祝う慣習が生まれたので、お正月の歌詞は現実から離れていったようだ。
こう見ていくと、お正月の歌が年末しか歌えないのはバグではなく、時代の流れだということが分かる。
瀧廉太郎は無実だった。誰も悪くなかった。
もういくつ寝ると お正月
お正月には餅食って 腹を壊して死んじゃった
不謹慎すぎてひく。ここに書くのもためらったが、当時のオリジナリティを尊重して載せた。
これも今じゃ子供も歌わないだろうな。
中村 そうなんですよ。僕が映像見てビックリしたのは、今回、北部同盟軍がカブールに進駐して市民の喜ぶ顔が映し出されて。そして凧揚げが始まりましたとか、市場にものが温れ出しましたとか、女性がブルカをとるようになりましたとか、あたかもタリバンの圧制から解放されたというふうなイメージを全世界が持ったわけですよね。僕はビックリしましてね、今年の3月に行ったときには、既に凧揚げもあったし、市場も活況を呈してたし、お年寄りであればブルカを脱いでましたよ。大体1日でバザールにテレビが出てきたりするわけないんですよ (笑) 。ドレスやハイヒールを売る店だってあって、タリバンの兵隊さんが女性を連れて出入りしてたしね。かなり規制は緩んでいたんです。女学校についても隠れ学校というのがカブールだけで何十もありましてね、隠れ学校っていったって、そんなの当局がそれを察知しないわけなくて、実際は黙認ですよね。助産婦さんとか、ある程度の女子教育はしないと彼ら自身が困りますから。
なんかこう何年も前からだけど年末と年始が地続きで特別感がなくなって、31日も1日もお店はやってるしテレビも正月番組が少なくなって、町内会で餅つきとかももうやらないし、ちびっこが空き地で凧揚げやったりすることもなく、お年玉にぎりしめておもちゃ屋でたむろするわけでもなく、単に12月の次が1月っていうだけの季節感でしかなくて、そういう時代の忘年会と新年会の意義が不明瞭になってきてる感じがある
昔は、俺の子供のころは12月といえば1年の終わり、節目、総決算的な雰囲気があったから忘年会って意味があるような感じがあったけど、今はただの飲み会の一つとしか思えない