はてなキーワード: 劇場とは
妊娠前はほぼ週一で劇場通い、妊娠してからは回数こそ減ったものの、出産1ヶ月前まで劇場に行ってました
第一子の時はちょうど出産前後にどうしても観たい公演があり、貴女と同じように半泣きで過ごしましたが、第二子出産の時は産後1ヶ月目に這うように劇場へ行きました。まだ下の子はオムツも外れてませんが現在も月二回は劇場へ行きます。
確かに妊娠前と同じようにオタ活することは難しいです。どうしてもペースダウンはします。でもご主人の理解があれば、産後も現場へ行くことは可能です。
産後すぐから「ご主人がひとりでも子どもの世話ができる」という状況を作ってください。最初は「病院にいくから子どもをお願い」「腰痛が出たからマッサージに行きたい」など、遊びではない状況から慣れてもらうと良いでしょう。
オタママ仲間と子連れでDVD鑑賞会やミュージカル縛りカラオケすることもあります。生活は育児メインですが脳内とSNSは常にオタ活です。楽しいですよ!
劇場内の犯罪にはシネコンは特に敏感だと思うから、問い合わせればいいのでは?ずっと暗い訳でもないし、明るいタイミングもあるから、全く情報が無いとは限らないし。あんまり反応が悪かったら警察に被害届出したら?
結果、素晴らしい文学作品だと感じた。その理由を文章にしたくなったので、筆をとってみる。
また、文学の意味や定義を認識していないのにも関わらず、「文学の香りがしない」などという人がいる。
自分のスタンスを明らかにせず、批評するのは誠実ではないと思う。
僕の文学の定義は「個たる人間の根源においてその社会、世界、宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業」だ。
ゲド戦記 影との戦い(岩波少年文庫)のあとがきから頂戴した。僕が思う文学を一番的確に表す言葉だ。
この言葉の補足をしよう。
夏目漱石の私の個人主義を読んだ事がない人は読んで欲しい。定義では、「個たる人間」で表現している。
教養小説は、簡単にいうと若者が社会の壁にぶつかりつつ、自我に目覚め、他者を認め赦していく小説だ。自己形成小説とも言われる。
「社会、世界とのつながりを全体的に把握」「人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業」とは上記のような事を指している。
"火花"は「個たる人間の根源においてその社会、世界、宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業」にあてはまるだろうか?
答えはYesだ。
文章文庫火花の文庫版が手元にあるので、ページ数はそちらを参考にして欲しい。
・21P
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堕落論(坂口安吾)では、"生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか"という言葉がある。
・60P
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確固たる立脚点を持たぬまま芸人としての自分が形成されていく。
その様に自分でも戸惑いつつも、あるいは、これこそが本当の自分なのではないかと右往左往するのである。
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・153P
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神谷さんから僕が学んだことはことは、「自分らしく生きる」という居酒屋の便所に貼ってある様な単純な言葉の、血の通った劇場の実践編だった。
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・155P
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もし、世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。
周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつらがやってないこととか、そいつらの続きとかを俺たちは考えてこれたわけやろ?
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彼は実生活ベースでの繋がりについては、きちんと認識できない人だ。
物語後半、神谷さんはジェンダー論を刺激する様な行いをして徳永に怒られる。
火花は、文学的な意味で人間的だが実社会に馴染めない神谷さんや、芸人社会を中心とした現代日本社会を通して徳永が自己を形成する物語だ。
ここでいう自己形成とは、神谷の認識していた文学的な繋がりと、実社会における繋がりどちらも差す。
先日、スマホゲームfate/grand order(fgo)で復刻版空の境界のイベントが開催された。その際、空の境界のキャラクター浅上藤乃がサーヴァントとして実装された。
私は友達から借りた月姫からタイプムーンにハマり、初めて劇場で見た空の境界が痛覚残留のエピソードだった。それもあって彼女の実装は嬉しく、ガチャも引いた(宝具レベルが3になった、ハッピー)。
しかし、ツイッターを見ていると不満の声も散見されているようだった。
どうやら、不満の元はfgoの主人公と、実装された浅上藤乃や、復刻の2人の式(説明したいがここでは割愛)が仲良くする事や、これに関する創作にナーバスになっている人がいるのだ。(今の所そのような創作はほぼ見ないが)
そもそもの話、この「fgo主人公が他の媒体で出たキャラと仲良くする事、またそういった創作」を好ましく思わない層がいる、というのは今に始まった事ではない。
他の例を挙げると、fate/EXTRAで登場したキャラクター達。ほんの数年前は赤セイバー、キャス狐と呼ばれ親しまれたキャラクター達だが、彼女等がfgo主人公と仲良くしている事や、それを描いた創作を毛嫌いする人も一部にいる。
要は「他媒体でカップリング対象になるキャラがいるのに、別キャラ(この場合fgo主人公)とくっつける事が許せない。」という事なのだ。所謂カップリング論争の一つである。
古くからある、FE、スレイヤーズ、その他ビアンカorフローラ、ティファorエリス、などという他のゲームや漫画のカプ論争ならいざ知らず。
今回のこの話の違和感、それは他媒体でカップリング対象がいるという、影響力の高い「教典」がある事だ。
これは、別のカップリングを目にしただけで、自分の愛する者を陵辱されているが如く感じる程のものなのだ。
(すごい。そこまでその作品に傾倒できるなんて、すごい。そういう人と比べると中学生の頃学校を休んで月箱を買いに行った私の作品への愛などは足元にも及ばないのかもしれない。)
彼等にとっては、fgoなぞ教典にとって邪魔なもの。教典を汚す大罪品、見える情報の汚物だろう。(その教典と同じ作家が設定やボイスを考えてたりするのだが)
懐が深いのと節操がないのは違う。
カップリング論争なんかで毎日フラストレーションを溜めているような人に、懐が深い人間になれとは言わないし思わない。今の時代便利なものでブロックやミュートなんて機能もある事だし。
ただ、きょうびそういった教典に縋り、熱い信仰を持っている人がいるジャンルというのも珍しい。そういう人達がいるならしばらくそのジャンルは安泰だろう。
東方やひぐらしが大流行した時代にタイムスリップして、型月が今一番のブランドだぜ、一月に何億も稼いでるんだぜ。と言っても誰も信じまい。
こんな毒にも薬にもならないカップリング論争で揉めているのを見ると、そンな風に改めて実感する自分が、昔の自分の片割れを見ているようで微笑ましく思うのだった。
2/11、ももクロバレイベのライブビューイングに行ってきた。
現地のチケットはもともと行けるかが曖昧で取っていなかったので、
初の4人体制でのライブは映画館で観ることとなった。(2/10は仕事で不参加。)
私はZになる少し前からももクロが好きで、ずっと有安杏果さんを推していた。
まぁとにかくこれを書いている時点で卒業発表からまだ1ヶ月が経っていなく、
何もかもがすごいスピードで決まり、終わり、過去のことになっていくのに今もついていけずにいる。
有安さんは何度か喉の不調やインフルエンザでステージを欠席することがあったので、
4人のこともずっと大好きだったし、今はまず満員の東京ドームを見せてあげたい。
推しが誰になるかは分からないけど、私はずっとモノノフでいるのだろう。
そう呑気に思っていた。バレイベに行くまでは。
1/21の幕張で、これが最後の自己紹介だぞと喉を潰す覚悟でありやーす!と叫んだのに、
本当にもう二度と有安さんに向かってありやーす!と叫ぶことはできないんだ。
時々涙を流しながらも、だてありではあーりんMIXを打ったし、
でも有安さんのフェイクがない怪盗、からの走れで、もうどうにも涙が止まらなく、
初めてももクロのライブで最後のZポーズをすることなく会場を後にしてしまった。
私は走れの「待っていても始まんない」からのパート(Cメロ?)を5人で順々歌っていくのが好きで
その日有安さんのパートが他のメンバーに替わっていった悲しさがそこで爆発した。
スクリーンを出て、劇場が入っているショッピングモールのベンチで息を整えながら思った。
私は多くのモノノフと同様、推し以外のメンバーへのコールもサボることはしていなかった。
どの子のソロパートにもその瞬間はその子だけを見てペンライトを振り名前を叫んでいた。
それでも有安さんに対するそれは毎回熱量が違った。
意識してそうしているのではなく自然とそうなる、だから杏果推しを自称していた。
(当たり前にみんなそうだと思うけど敢えて文字にしたことがなかったので特別なことのように書いてしまった)
それがライブ中の自分の中の緩急であったと思う。その「急」の行き場がなくなってしまった。
どこに力をぶつければいいのか分からない。1曲1曲がふわっと終わっていく。
いつからか備わった「この曲の有安さんの良かったところ」をピックアップするオート機能がエラーを起こしている。
有安さんの名前を叫ぶ、有安さんの表情や歌い方を噛みしめつつ記憶に残す、
そういったことを息をするようにしていたので、
今まで4人のソロパートも楽しかったじゃない?コールしてたじゃない?
もしかしてもう少しで有安さんのソロパートが来るからという期待がそうさせていたのかもしれない。
考えたこともなかったけど。
周りに迷惑にならなさそうな時はサビ以外や間奏も踊っていた。
それはすべて有安さんのフリだった。
有安さんが腕を上げるタイミングで私も腕を上げていた。
いつも有安さんと同じ動きをしていた。
ライブ中、メンバーが動いていないタイミングでペンライトを掲げてしまった。
どう動けばいいのかまったく分からない。
現場を重ねて慣れていけばいい、と考えるべきなのかもしれないが、
正直、まったく、楽しくなかった。
目で追いたい子がいない。動きを合わせたい子がいない。
ファンクラブサイトのトップページのように私は自然に箱推しになったのだと思っていた。
それは違った。
何年も命を削って応援してきた子が辞めてじゃあ今日から箱推しですとなれる切り替えの良さは私にはなかった。
4人のことも好きなんじゃなかったの?
何度も自分に訊いた。
れにちゃんは相変わらず聖母のような笑顔だった。レスの範疇を超えたレスに感心した。
夏菜子ちゃんは髪型は大人っぽいのにつるつるのおでこがあまりに可愛くて笑ってしまった。
しおりちゃんの自然な演技がとっても素敵で大好き。ドロシー、応援してる。
怪盗の「ささき あやか」の時の少し照れくさそうなあーりんの笑顔、守りたいって思った。
強気でありつつも、「4人のももクロも少しずつ慣れてね」と優しく提示してくれたいいイベントだったと思う。
それを受け入れられない私に問題がある。
誰もがすぐ新体制のライブを受け入れられる訳じゃないよ!という意見は当然あると思う。
でも新体制に慣れるまで、箱推しもしくは誰か推しの振る舞いが身につくまで、
何度もこの辛さや虚無感を味わう余裕はない。
月並みな言い方だが日々の辛いことを忘れられるのがももクロという存在であり、
現場でまで辛い思いをする余裕はもう本当にない。
タイミングが悪く今現在私生活がかなり辛い。有安さんのことを考えるともっと辛い。現場に行っても辛い。
じゃあ明日から他界します!と宣言する勇気もないが今は楽しみだった東京ドームに申し込もうという気もなくなってしまった。
有安さんを責めたいというような気持ちはない。
大好きだったオレンジノートのフリが変わってしまったことも強く否定しない。めちゃくちゃ悲しいけど。
前しか向いてないももクロを、後ろ向きな気持ちのまま応援するのは失礼なので、ももクロから離れたいと思う。
これはキレイごとバージョンで、雑に言うと自分が辛いのは嫌なので、ももクロから離れます。
こんなブログなんて書いたことがないので特にまとめずに書き始めた私情たっぷりの「日記」の名にふさわしい独り言だけど
読んで嫌な気分になったモノノフさんがいたらごめんなさい。
吟じます!
劇場1043話の〜
あると思います!
吟じます!
つかさ社長は〜
休日は時子様に豚扱いされて蔑まれることでストレスを発散しているという風潮〜
あると思います!
吟じます!
乙倉ママが旦那さんに相手されず溜まった悶々をウサミンが発散させてあげる薄い本が〜
読みたい〜
読みたい〜〜〜〜
読みたい〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あると思います!
吟じます!
フレデリカ、猫やめるよってつまるところ〜〜〜〜〜〜
タチはじめるってことなんですかああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あると思います!
吟じます!
U149でも〜
ニュジェネレーションは仲良しだけど〜
やっぱり、しぶりんと卯月の関係はデレマスの中でも特別なんやな〜
なんやなあ〜〜〜〜
あると思います!
吟じます!
判定強化スキルを身につけるために〜
どことなく心配になりこそっり見守る残りのNWとNGの四人がいるみたいな絵が|
みたいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あると思います!
羨ましい。好きな方は読まない方がいいかも。
えっ全然かっこよくないんだけど、これで○○名乗ってんの???
私の推しはもう本当に綺麗で、かっこよくて、かわいくて、奇跡なのに、
チープな再現しないでほしい。
もしかしたら、変なカツラとか着けていない、安っぽい衣装着ていない俳優さんを
単体で見たらかっこいいのかもしれないけど、それ装備しちゃったらダメだから。
たかがその程度で○○ですって顔しないでほしい。
キャラに声をつけてくれたのは本当に感謝しているけど、見た目は別の話なので。
本当にかっこよくないからやめてほしい。
声優さんオタクの方は「かっこいい」とか言うけど、どんっだけ分厚いフィルターを
何十層掛けて見てんだよっていつも思う。
十分に見えてるらしくて、「本物」とか「推しが生きてた」とか言ってるのも
(推しが安く見られてるみたいで?楽しめないから妬ましくて?)なんかむかつく。
私が満足できるのは
ほんっとーにめちゃくちゃかっこ良くてコスプレ感なく
それにいつもの声優さんが声あてるっていう手間と金が無駄に掛かるやり方だけ。
そして、そんなのやってくれる公式があるはずもない。
だから、私は見に行けない…
本当は、かっこいいと思いたかったし、そこに推しが存在していると感動したかったよ。
もし、推しがほんとうに生きていて、そこに居るんだって錯覚させてくれるような、
そんなものを見せられたら、私だって熱狂して、歓喜に打ち震えて、
ずっと見ていたくて、お金くらいいくらでも払って何度でも観に行くだろうな。
一瞬でも目が合っただけで死んでもいいと思うだろうな…。
こんな事言って傷付けるといけないから、ここで吐き出させてもらいました。
その最中で「彼女がいても応援してるよ」という在宅、いわゆるDD、一言で言ってしまえば外野がうるさい。そりゃあ知っている俳優がそんなことになったら気にかけてしまうがお前らは黙っていろと眺めていて思った。そして話題に上がる応援。
これまで多くの人が言ってきているがこれはビジネスである。金を落とさなければ応援にならない。地方だろうが学生だろうが仕事の都合が合わないだろうが関係ない。
時間も金も有限であるためどのくらい費やすかまではとやかく言えないが。
愛があってもリプライをいくら送っても俳優へ金が入ることはない。チケットが取れないと騒いでいることも同じだ。無銭の相手をしても俳優が損するだけだ。
それを少なからず割り切って劇場へ通って花を贈るしグッズも買う。応援している俳優の名前が売れるように。集客があると認識してもらえるように。
それと、最近少し思うことが1つ。
上記とは少し話は違うが、大して現場へ足を運ばないのに俳優を勧められても説得力はないということ。本当に俳優を応援しているのか?ブログ、ツイッター、雑誌など、それらを読んでの感想を聞かされてもどうしようもない。それだけでファン、応援していると言えるのなら、ほんの数回しか舞台を観なくとも営業で提供してもらっているもので満足できるのなら、私はその人のことを応援している人とは認識できない。「応援している」いうことはとても簡単に言えてしまう、だったら何度も何度も劇場へ通う人たちは一体どういう人たちになってしまうのだろう。
そうだよ。昔ならOVAで売っていたような、番組スポンサーではなく製作会社主導の作品でも、OVAの広告費のかわりに安い深夜枠を確保してそれ自体を一種のCMとしてTVで流すようになった。
しかしそのやり方もみんながやるようになって過当競争になり、今の惨状になっている。作品が完成しないとかね。
昔は、映画の配給はかなり大変だったので小さいところではできなかったが(だからOVAが出来たとも言える)、昨今はシネコンなど劇場のスクリーン数がぐっと増えて昔より小規模で全国でやりやすくなった。それで、TVよりスケジュールが過密でない劇場に、またヒットすれば円盤売る前にも回収しやすいので劇場にシフトしている感じ。
なので、OVAというか、TVの通常時間枠の大スポンサーがつかない作品をどうやって売るか、というスタイルが変化しているというところ。
また映画見てきた。その時に流れた未見の予告編の感想を覚えてるだけ書く。
id:msdbkmさんのブクマで初めて認識したけど、たしかに面白そう。
詳しく調べて、面白そうだったら見るかも。
な、何だこれは…(困惑)
綾瀬はるかってこういうよくわからないロマンス映画よく出てるよね。好きな女優さんなんだけど…
坂口健太郎くんもそんなに打率高くないような…気のせいかな…顔めっちゃいいのにね…
◇リバース・エッジ
原作が超有名作ってことは世代でない私でも知っているのだけど、ストーリーを全く知らないので、どんなストーリーなんだろう?と思って予告を見ていた。
ストーリーを全く伝えない、主役二人の表情、雰囲気のみのストロングスタイル予告だった。
二階堂ふみちゃん(顔がきれい)も吉沢亮(顔がきれい)も好きなので気になるけど、あらすじ調べてからだなー
自分は「メーデー」「衝撃の瞬間」みたいな事故・事件ドキュメンタリー大好きなので
こういう実在の事件をヒューマンドラマ的に演出した映画はやや口にあわないというか
どうせなら面白い事件なので淡々と事故原因を探っていくようなドキュメンタリーに調理してと思ってしまう
多分見てみたら楽しめないわけじゃないと思うけどね
◇ダウンサイズ
(とか言ってるうちにうちの地方では上映期間が終わる)
以上。また映画見たら書くかも。
いいね。アルドノア・ゼロが良い作品だったのは自分も同感だ。ネットでは整合性やらをネチネチつついて喜んでいるアスペだらけだったが、戦記ものとして、群像劇として、生き方を鮮やかに描いた作品だった。スレインやイナホの境遇、どんな思いであの行動を起こしたのか、そういう人物を中心に見ていたからか幾度となく涙腺を刺激された記憶がある。物語の世界観に没入させ、涙が滲んでくるくらいに感情を揺さぶってくるアニメというのは例外なく傑作だ。そういう意味では、PSYCHO-PASSなんかもそうだったし、ラブライブやアイドルマスターシンデレラガールズもそうだった。ただ、没入できるかどうか、キャラクターの激情に共感できるかどうかは、観る人にその素地があるかどうかに依るところが大きい。ネットのどこの誰が大声で酷評しているか分からないような評価につられて、自分の受け取った感動を、感性をねじまげてはいけない。どちらかというと、ネットで批評ぶったことを言う人間ほどねじまがっていて、まともに創作を評する素地のある人間ではない事のほうが多いのだ。なぜだか「自分には合わなかった」と言って素直に去れない人たちが、独り善がりな「俺の考える『正しい』展開」を叫び続け、作品や作家を勝手に断罪してエゴを肥やす遊びをしてるのだが、付き合う義理はない。だいたいそういう精神性に留まっている人間は共感性に乏しいので作品鑑賞自体が苦手なのだ。それゆえ、取り沙汰する必要のないシーンで躓いて、頓珍漢なことを考えるうちに物語に置いて行かれてしまい、勝手に恨みをつのらせてしまうのだ。残念なことに。ただそうやって頓珍漢な取り沙汰をすることで、それを読んだ普通の人までも悪意的な視点に囚われてしまうので害悪でしかない。
ともかく、思い当たる良作が少し前のものばかりなのも同感で、自分の実感としても確かに最近、涙が滲むほどの作品には出会えていない。先期はいろいろ見ていて、宝石の国、キノの旅、クジラの子あたりは良かったのだが個人的には目頭が熱くなるほどのスマッシュヒット感はなかった。だが佳作には違いないと思うし、原作はどれもすばらしいものだ。宝石の国に関してはこれ以上ない幸せな映像化だったとは思うが、一般に、アニメ放送枠という限られた時間と編成の中で十分にカタルシスを引き出すのはそれだけ難しい事なのだろう。それにボロ泣きできるものだけが良作なわけでもなく、決定的な場面がなくとも心臓を掴んでくるような良さがある作品もある。デビルマンcrybabyを引き合いにだして、主戦場はNetflixや劇場に移っているという論を言う人がいたが、それにも同意できる。でも、良いものは見たいけれどそこまででも…という、あくまで日常のルーティンの範囲で楽しめる娯楽作品を探す人がまだ多いのだろう。自分もその例に漏れず、今期はポプテピピックは惰性でみている。おそ松さんと同じで、いつ切ってもいいのだけれど惰性で見れるシリーズという感じ。あれはいろんな面で業界的な「お決まり」をぶち壊してくる作風で、アウトサイダーだからこそできるアバンギャルドな仕掛けには目を見張るものがある。コンテクスト消費の塊のような作品だ。ただやはり自称クソアニメだけあって「次が見たい!」となるような構成力があるわけでもなく、飽きたころに見切りをつけてもいいよ、と言わんばかりの懐の広い作品のように感じる。それ以外でひとつ今期のTVアニメで注目しているのを挙げるなら、宇宙よりも遠い場所を推す。青春ドラマなので、増田の好みに合うかは分からないが、引き込まれる、感動できそうな作品だと思う。完結していない物語作品を評するのは避けたいので現時点ではこれ以上言えることはないけれど。
バーチャルYouTuberを追っているのも自分と同じで、去年の夏頃からキズナアイだけは追っていたが、最近になってシロにもハマり、月も興味深く見ている。一つ一つの動画は他愛のない癒やしや元気を貰える動画に過ぎないが、最近の隆盛で「親分」と慕われるようになりVtuberのメンター役を演じるようになったキズナアイを筆頭にVtuber同士の交流が増え始め、現在進行系のドラマだかサクセスストーリーだかを見ているかのようだ。Vtuber全体がひとつの「物語」的コンテンツの域になっている。この感じはμ'sの奇跡的な躍進劇をリアルタイムで追っていた時と似ている。アニメにVtuberにと追うようになって、スマホゲームも断捨離が進んだ。増田はアズレンかと推察するが、自分は一時期デレステ/ららマジ/スクフェス/バンドリ/崩壊3rdと並行してどれも相当やりこんでいたが、前2つを残してログボすら辞める決意をして消した。これだけ並行できる時点でお察しの通りニートだけれども、それでもスマホゲーを続けるのは時間的にも気力的にも辛い。継続している2つも、最低限のプレイしかできなくなっている。その点でららマジはすばらしいゲームだ。あまり時間を奪わない作りだし、ストーリーがメインのゲームなので、更新が遅いアニメを見ているような感覚で続けている。プレイ人口は多くないが、思春期の少女たちの心の傷を解き明かして救いを取り戻す、その筆致が素晴らしいので万人に勧めたい「作品」だ。デレステを続けているのも、結局のところ、リアルタイムにアイドルたちに声がついていくストーリーに参加したいだけなのかもしれない。サービス開始からやっているが、正直リズムゲームの周回部分は飽きていて、必要以上にプレイする気にはならない。そういえばもっと以前はグラブルをランク100過ぎまでやっていたが、メインストーリーで詰んでからはやらなくなった。日課が重すぎるのもあった。結局自分はスマホゲーに対しても、物語体験を求めているんだろう。コンテンツ自体がもつ物語、プラス、ライブな体験が大事だと感じる。両方ないと、より深い充足感を得られない。よく考えればVtuberの動画だって後からイッキ見してもいいのだが、小ネタを把握してSNSなどのフロー上の話題をキャッチアップし、ライブ感からくる楽しさを得るためにはオンタイムで見ておく必要がある。そういった性質に注目すると、今見ておく必要があるコンテンツと、そうでないコンテンツが切り分けられる気がする。ただ悩ましいのは、「後で見よう」と思って積んだものは、結局何年経っても「よし見よう」という時がやってこない事だ。なので小難しいことを考えず、「今すぐに見たい!やりたい!」と思うことだけをやっていくのが一番幸せなんじゃないかと思い始めている。
序盤とラストはよかった
中盤がすっごい中だるみした
綾瀬はるかのプロモーションビデオだった
ありがちだけど映画の中から飛び出してくるって設定だけでかなり好き
なぜかというと、彼らの世界とのギャップに右往左往するのが面白いから
でもこれに出てくる綾瀬はるかは、モノクロ世界からカラフルな世界にきたっつーことで色には驚いたけどそれ以外にはほぼカルチャーショックを受けず、
淡々と受け入れて前知識すらあるような感じがして、興ざめだった
あと言葉づかいがお姫さまってよりは精霊のもりびとのバルサっぽかった
こじんてきには さかぐちけん・・・といえば「じ」なんだけども
あと向井リにも見えた
あーゆーのなんていうんだろう
社長令嬢役が本田翼だったけどなんか秋元ファミリーのえっとあれだまゆゆににてるなと思った
演技もあんまうまく見えなかったからほんとまゆゆみたいなアイドル枠かと思った
序盤のつかみとラストのラストはよかったけど、中盤がすっごい中だるみした
なんか構成がいろいろ残念な気がした
あとなあ・・・坂口健太郎と綾瀬はるかだけがでてくる話ってのでよかったのに、
じーさんが回想する形での映画でラストもじーさんと綾瀬はるかっていう絵面になってるのが、
ちょっとうーんという感じ
老夫婦とかが見るならいいかもだけど、若いカップルが見る映画としてはちょっと微妙だと思った
でも繰り返すけど最後はなんだかんだでいい演出でいい終わり方だった
タカラヅカの世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人のFC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位がそもそもの始まりだった。
しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたのファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバスの時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいたものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからきたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。
無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。
公演の入り待ちに出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。
そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。
いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。
そして迎える退団公演。最後だからといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場で最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後だからと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女のファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティの足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間でおひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後だからとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。
過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分の立場を自覚した。私はお金も時間も費やしていないただの茶の間なんだから。現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカの世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業の最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとう、ファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人の世界に存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。
そして千秋楽のチケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。
私の中で何かが失われた瞬間だった。
もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。
大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっとは落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間は大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。
※長くなるし、まとまってないし、ただの独り言です
私は雑食でそれもリバ厨だ
なんでもおいしい
絵柄、内容、作風、どれかにヒットすれば、いや、ヒットしなくても好きなジャンルの話なら読んでいた
地雷という言葉がはびこる世界で、地雷を理解しているつもりでいた
どちらの意見も
地雷です!って言う方の気持ちも、地雷地雷うるせぇー!って言う方の気持ちも
私にも好みじゃないものがあった
だけど目に入っても手に取らないそれだけのもの、だった
そう、過去形
とても苦しい
その気持ちわからんわ〜という人は理解する気すらないのだからわかるわけがないし、
例えば身内とか、友人とか真剣に寄り添いたい人への気持ちでも30%もわかってあげられない
自分が同じ立場になった時、あの時全然わかってなかったと絶望すら感じる
同じ立場の人への理解度はそれでも50%あればいいところだと思う(これは地雷以外のことでも)
だから、地雷地雷うるせぇー!自衛しろ!って騒いでる人たちをみるとこの人は地雷を理解してないんだよな…って気持ちになる
地雷ですってぎゃんぎゃん騒いでる人の気持ちも私は理解しきれないのだけど
やっと本題に入ります
そう、私は地雷なしいや、地雷があっても反応しないという立場から地雷あり、反応してしまう立場になってしまった
前のジャンルでA×B好きの人はB×Aを読むけど、B×A好きの人はA×B好きの人を先行ブロックしてるって話を聞いてゲラゲラ笑って大変だなーとか言っていたのに、地雷持ちになってしまった
原作は映画で公開されたばかりということもあり二次創作をしている人が少なかったからその作品の絵を描いてる人をツボにはいれば大抵フォローした
私はA×Bというカップリングにはまった
作品の評価が高まってファンが増えると劇場でのマナーの悪さが目立つようになった
あまりのファンのマナーの悪さに劇場へ行くことをやめた、作品を嫌いになりたくなかったから
そこで出会ったマナーの悪いファンはBとCのカップリングが好きな人ばかりだった(B×Cか、C×Bなのかまではわからない。あまり見ないようにしていたから)
ツイッターでえ?と思うような発言をしてる人もBとCのカップリングが好きな人がおおくて私の中でモヤモヤした気持ちがうまれていった
ここで地雷が発動したのだろう
叩かれるようなことを起こすのは大抵BとC好きの人たちだった
何か起こるたびにまたか…またBとC好きか…そんな気持ちになった
そのジャンルで同人活動をしている商業作家の方がそこに寄稿することになった
その方はB×C好きで、でも絵が好きでフォローしていた
もともと私はアニメよりも少女漫画、BL漫画が大好きでほぼのお金は単行本を買うことに使っていた
商業作家が大好きだったし、同人活動するぐらいすきならきっと素敵なものを描いてくれる!と思うタイプの人間だった
だけど、B×C好きの商業作家が公式の仕事をすると知った時、とてつもない嫌悪感を抱いた
絶対B×C描くやん、抑えてるつもりでも心の奥底で溢れる想いは無意識に出てまうもんやで
そう思った
結果やはりめちゃくちゃB×Cだった
あ〜私めちゃくちゃ地雷発動してる…くそ…自分くそ…BとCが悪いわけちゃうやん…悪いのは頭のおかしいファンやん…
頭ではわかっているわかっているけどどんどん嫌いになっていく
そんな中で続編決定や、雑誌にSSが載ったりなど公式にも動きがあった
グッズ展開も増え、BとCはセットで売られたりすることも多くなった
BとCのカップリングはジャンル最大手ぐらいのカップリングになった
一方私の好きなAとBは自分でいうのも悲しいがドマイナーだった
AとBがドマイナーなのは全くもって意味がわからないが人気キャラ同士のBとCのカップリングが人気なのは仕方ないことだと思う
仕方ないとわかっていながらも、ちっと舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった
だけど、待てど暮らせどpixiv投稿数は0のままであまりにも悲しくて初めてSSを人目のつく場所に公開した
そんな日々を送っていると続編の公開が決定した
歓喜した打ち震えた
みろ!これが逆転ホームランというやつじゃかいか!すごい!公式が味方だった!公式が味方強すぎる!!!
実にバラ色の人生!そう!始まるの!と思われていたがそうでもなかった
AとBの組み合わせはめちゃくちゃ貶された
顔カプ、余り物コンビ、なんであの2人?
そんな言葉が飛び交った
いやいやいや、お前ら作品みた?本気で言ってんの?
私はそんな気持ちでいっぱいだったけど、何もできないし、貶す言葉は止まらなかった
作品の中で一言も言葉を交わさないし、目線も合わないキャラのカップリングでさえそこそこの人気で、それこそ顔カプなのに何も言われず
体に触れ、名前を呼び合い、目線もがっつりあってるAとBが顔カプ扱い…?
特にBとC好きの人が貶していた
顔カプ、余り物コンビ
BとCなんて同じ場所にいただけなのに
Cには恋い焦がれてる憧れの存在すらいるのに
そっちのほうが!人気キャラ同士でくっつけたそっちのほうが!顔カプじゃん!!!
悲しくて悲しくて、だけどどうしようもなかった
そっちはそっち、こっちはこっちでほっといてくれればよかったのに
AとBのカップリングを貶す人が目につけばブロックか、ミュートした
BにはCしかいないという発言にすら気持ち悪さを覚えてブロックか、ミュートした
地雷は加速し、B関連のカップリングA以外は全部嫌になって、フォローをどんどん外していったし、ミュートした
地雷があるのでA×Bしか受け入れられないともプロフィールにも書いたし、ツイッターでもつぶやいた
だけど、例えば赤と青のカップリングの名前が赤青だとしたら、かーあおとか伸ばし棒つけて呼び出すのでミュートワードに引っかからなくて意味なかった
なんで伸ばし棒にかえんだよ
そんな中で私ひっそりとSSを書いていた
嬉しかった
ブックマークをしてくれる人のホームに飛んでツイッターを見に行った
…C×B好きだった
同じことを繰り返した
わかったことは私の作品を読む人はBとCが好きな人だということ
絶望した
どうしたらいいのかわからなかった
そして続編が公開された
公式がAとBを大プッシュしていて、公式が大手すがて私の心が復活した
とても心強い
余り物コンビ、顔カプと呼んでいた人たちもこれには認めざる得なかったみたいで、AとBいい!という発言にかわっていった
もちろん貶したり、見なかったことにされたりもあったけど
せやろ
そう言いたくなった
なぜ、なんで、わからん
だけど、BとC好きの方だった
嬉しいけど素直に喜べないし、フォロバもできなかった
私のことをリストに入れてる人もBとC好きの方で気持ち悪くてブロ解した(この気持ち悪いという感情を理解できる人とできない人がいると思う)
何度ブロ解してもリストに入れられる
そのうち諦めたのかフォローされた
A×B好きを増やすためにこういうことしようかな!?と呟くと真似されるBとC好きの方に
心底気持ち悪かった
そんな日々で監督が
「BとCは別に仲がいいってわけじゃなかったけど、ファンの方の意見を取り入れて絡ませました」
顔カプが腐女子の力で原作にまで影響を及ぼすなんて吐き気が止まらない
BとC好きで私のことフォローしてくれてる人は申し訳ないけどみんなブロ解した
鍵もかけた
時は過ぎていき、イベントでたまたまB×C好きの人と仲良くなった
その人がいい人だったのでB×Cに対する嫌悪感は薄れていった
地雷MAXの時はBとCの応援カラーが並んでるだけでも吐き気をもよおしていたのに
今も地雷は続いているし、グッズ展開の媚び媚び商法を見るたびにおぇ〜って気持ちになる
だけど、だいぶまっしだ
そんな今になってこのブログを書いたのか
私は前のようにブックマークしてくれた人のツイッターを見に行った
ブロックしていた、私が
フォローしてないのに鍵開けたらすぐいいねくれるから怖かったし、BとC好きだからブロックした
覚えてる
申し訳なかった
その人は私の作品を評価してくれているのに、私はブロックしているのだ
私が地雷もちなばかりに、もしかしたら、私の知らないところで誰かを傷つけているかもしれない
何も感じてなければいいけど、もやもやさせているかもしれないし、私がファンのせいでBとC地雷持ちになったように私のせいでA×Bを嫌いにさせてしまうかもしれないと思うと怖い
私がされた立場ならこの人地雷もちだからか〜となんとも思わないかもしれないけど、感じ方は人それぞれなわけで
他ジャンルで相互フォローになった人が急にB×Cの話をめちゃくちゃするようになってリツイートやら、絵も描くようになったのでそっとフォロー外したらめちゃくちゃ貶された経験もあるのでなんとも言えない
あ〜私が傷つくのはまだいいけどA×Bを嫌いになられるのはやだなぁ
某アイドルユニットの中でもっとも人気のなかったCPが紆余曲折をへて王道CPになって今はそのCPしか考えられないってなってるどんでん返しが現実で起きたみたいにA×Bも王道CPになるって私は信じてるんだよ!!!
いや、私が傷つくのも傷つけるのも嫌だけどさ…はぁ…まとまらないし、答えが見つからない
こんな気持ちになるなら二次創作やめた方がいいのかなーとも思う
かくことは好きだからやめないけど、このジャンルをさったり、公開をやめた方がいいのではと思う
でも私がかくことをやめたら悲しむ人がいることも知ってる
どうやったら地雷ってなくなるのかな
地雷CP好きな人に自分の作品読まれてるってみんなどんな気持ちでどう受け止めてるの?
逆に自分の好きなCPのこと地雷って言ってる人の作品をどんな気持ちで読んでんの?
私が地雷なしの時は自分の好きなCPのこと地雷って言われてもその人の各作品が好きだったら何にも思わず作品読んでたけど、雑食だったから強いこだわりがなかっただけなんだよな
今ならA×B地雷の人がかいた他のCPなんて絶対読めないしブロックしまくるよ
あ〜ここまで書いたけど答えが見つからない
AとBが原作で付き合えばいいのに
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。
今回のこのタイトル、
『いち風の戦士が書く~~』ってカッコつけてやろうとしたんですけど、
あまりにも偏見とか私感なんちゃらが入りすぎてたのでやめました。
同僚への配慮です。
(そのため、この記事には読む人によっては気分を害する内容が含まれている可能性があります。
心が穏やかな状態の人だけ読んでいただければ幸いです)
さて、大丈夫でしょうか。
まあ、こんな記事を好んで読むような方は、TB投票とはなんちゃらをよく理解しているだろうし、
私は日々、ミリオンスターズの一人、七尾百合子をプロデュースしており、
その七尾百合子は、
そこで私は、
Nカードの姿はちゃっかり本を抱えている。
(TA投票ではその要素を活かして『勇者役』を勝ち取ったりもしました)
そんなこともありまして、
SNSやコンベンションセンターではさほど荒れることもないく、
百合子が探偵一本に絞っていく!というのは早い段階で決まりました。
もしかしたらテーマと役が発表された時点で大本は決まっていたかも。
多くの票を一気に集中させ、盛大なスタートダッシュに成功しました。
②、コンベンションセンター、discordを用いた一斉投票企画
まあ意味合いとしては、いずれ消え逝くコンベンションセンターの代理と言ったところでしょうか。
それはさておき。
百合子陣営、一斉投票企画がとても上手く行っていた印象があります。
2位以下を大きく引き離しました。
コンベンションセンターやdiscordでの意思疎通はとてもスムーズに行き、
(これも、役がピッタリハマっていたことが一要因ではあると思うが)
これは若干反則技のような気もしますが……。
多くの票数を獲得することができました。
初限定SSRカード、イベント上位報酬、Princess Starsのイベントにも参加……。
ミリシタの第二弾PVでは扉を開いて入ってきたプロデューサーを出迎えたのは百合子でしたし。
39人のミリオンスターズの中でも、百合子は特別な優遇をされていました。
あまり声を張って言うようなことでもない気がするけど……。
さて、これで四つです。
ぱっと見たところ、どうですか。
これ絶対に勝ってるやつやん。
……自分でも書いていながらそう思いました。
とてもスムーズに事が運んだ印象です。
それでなくても、風の戦士たちです。
ミリオンスターズの中でも最も大きな派閥と言っても過言ではない。
その勢力が、決まりきった役どころに、すべてをかけて、役を取りにきた。
でも、
負けたんですよ……。
この記事を書いている現在(1月27日)、まだ正式な結果は出ていませんが、
その差、6万票ほど……。
圧倒的な敗北でした。
流石に6万票差……。
幾ばくか票数は変わるとのことですが、
それでも6万票差……。
(それに不正投票の除外を期待するのはなんだかイヤですし)
百合子Pたちが……。
圧倒的な票差をつけられ、破れました。
はい。
本当にですよ。
本当に、勝つ要素しか無かったんですよ。
言い訳がましいですが、それでも本当に、
スタートダッシュを決め、
更には、百合子が2位に陥落した時、
百合子を勝たせようと、多くの他担当Pが助力をしてくれました……。
それでも、負けたんです。
勝ちに不思議な勝ちあれど、
負けに不思議な負け無し。
本当に、どうして負けたのか……。
抜いた抜かれたの大接戦を繰り広げた後に
僅差で破れでもしたのなら
天災……。
天災。
……。
それだけなのに、致命的すぎた。それが致命的だった。
巻き込まれたら最後、他のどのアイドルでも太刀打ちできなかっただろう。
……こんな感じでしょうか。
そうでもしないと、納得ができないというか。
反対に、『探偵白石紬』の敗因となりえた部分にも触れておきますか。
TB投票イベが始まってすぐ、白石紬は総投票数ではトップクラスに躍り出ました。
その反面、特定の役で1位になることは長らくありませんでした。
3テーマ15役全てのトップ5に入ったこともあるくらいでしたし。
TA投票時の北沢志保……。いや、それ以上の死票が出たのではないでしょうか。
普通、あれだけ死票を作ってしまえば、後々取り返すのが苦になるものです。
実際、そうでしたし。
②、ゲーム内コンベンションセンターが無いという事実。
グリマスゲーム内コンベンションセンターがありませんでした。
投票が始まった直後は意思疎通をする場も無く、担当Pは大変だったのではないでしょうか。
……こんな感じでしょうか。
多くの勝因を備えた七尾百合子。
そして、勝敗の結果は先のとおりです。
本当に、運。
運の悪さ。
……。
少し、前言修正。
そういうことは決して思いません。
決して、決して。
意見をまとめあげ、役を決定するまでには多くの苦労があったことでしょう。
ただ、それでも、
それらを乗り越えての6万票差という結果。
それらは説明がつくのかというと、
やはり、難しいのではと思うのです。
そして、もう一つ思ったのは、
その勢いは、既に全盛期のそれでは無いのでは……。
ミリシタでの『Growing Storm!』イベも、ボーダーが跳ね上がるということは無かった……。
たった、それだけの存在であった……。
ええっと、なんだっけ。
……にしても、書きたいことは書けたはず。
うん、多分。大丈夫。
ここまでこの拙文を読んでくれた方はいるのでしょうか。
もしいるとしたら……。ごめんなさい。変なものを読ませてしまって。
ただ、本心です。
運悪く、天災のような勢いに飲み込まれ、役を得られなかったこと。
それらを、なんとか文にしたかったんだと思うし、それができてよかったと思っています。
で、文を書いたなら締めないといけないんですけど、
どうやって締めたものでしょう……。
まあ、そうですね。
二度ある事は三度あると言いますし
また投票イベがあることを信じながら、
もし、次の投票イベがきた暁には、
いや、ゼッタイにあげてみせる!
みたいなことを決意しながら、この拙文を締めようと思います。
お疲れ様でした。
一年とちょっと前、地下アイドル好きな友人に連れられて初めて地下アイドルのライブに行った。それは前々から勧められていたアイドルのワンマンで、本当に楽しかった。でもその後すぐメンバーの一人が脱退して体制が変わってしまったため、そこから推すことはなくなってしまった。
そしてそれからまたすぐ、その友人から今度は別のアイドルの対バンに誘われて行った。その中に出てくるあるアイドルを事前に勧められ、そのグループ目的で行った。他のアイドルの時間は、後ろでひっそり見ていようと思っていた。
結果からいうと、全然違うアイドルにどハマりした。グループ名こそ聞いたことはあったものの、曲名どころか、メンバーの名前すら、友人が推す一人のメンバーのあだ名しか知らなかった。だが彼女たちが登場した途端、ある一人のアイドルに、冗談ではなく本当に一目惚れした。(ガチ恋という意味ではなく、推すアイドルとして)
ライブ後に開催された物販には速攻並び、列に並びながら友人にメンバーの名前を聞き、彼女たちのツイッターをフォローした。その時は確か、チェキのシステムはそのアイドルグループにはなく、ケータイでの撮影だった。写真を撮ってもらった後、少しの間、ついさっき一目惚れしたアイドルと会話した。メンバーのAちゃんとする。
今でも忘れない。Aちゃんに、今日初めて現場に来て好きになったことを告げると
「もしかして、さっきツイッターフォローしてくれた?」と。物販列に並んでいる間にフォローしたのに、なんともう認知されていた。それが最初の現場だった。(ちなみにこのときちょうどバレンタインのイベントをやっていて、普通のチョコや激辛チョコをあーんしてくれるイベントがあったのだが、もちろん参加した)
そして約一ヶ月後、そのグループがワンマンを開くことになった。それに合わせ、メンバーが一人ずつ接客するカフェ?で手売りチケットを販売することになった。友人は所用でワンマンには行かれないことがわかっていたので、一人でカフェのイベントに行った。本当に狭いスペースがカウンターテーブルで分断されており、あちら側にAちゃん、こちら側にはファン6,7人が詰めて座るという形だった。自分は完全に新規だったため(またコミュ障であり、目の前の推しに緊張していたのもあり)、もともとのファンの内輪のノリについていけず、あまり会話に参加できなかった。そんな中、イベントの一環で、アカペラで何か歌を歌うことになった。そのアイドルの持ち歌はもちろん歌ったが、他に何かないか、という話になった。あまり会話に参加しなかった私に、Aちゃんは、「そうだ、(自分の名前)ちゃん、〇〇って歌手好きだよね!その歌にしよう」と、話を振ってくれた。本当にAちゃんはすごいのだが、私は〇〇という歌手が好きという話をAちゃんにしたことがない。どうして知ってるのと聞くと、Aちゃんはなんと自分のツイッターのホームを見たというのだ。本当にびっくりした。そして本当にその歌手の曲を歌ってくれた。また、ファン一人一人の似顔絵を描くコーナーがあり、それぞれ顔を見ながら描いてくれた。今も大切にとってある。
ワンマンのことも忘れない。前述の通り友人は来られなかったので初めて一人で現場に行った。その日は二曲新曲のお披露目があった。終了後物販で、またチェキを購入した。確かこの辺りで、Aちゃんは名前を覚えてくれていて、向こうから呼びかけてくれた。まだまだ緊張してなにを話していいかわからなかった自分に、「新曲、どっちの方が好き?」などと色々聞いてくれた。答えると、Aちゃんは「私もそっちの方が好き!」と返してくれた。
余談ではあるが、このライブで初めて現場で知り合った人と友人になった。
東京アイドル劇場にも何度か通った。一回の時間は短いが、他の会場よりもずっと近くで見られた。このときになってもまだ緊張してこちらから会話できなかったが、Aちゃんは「髪の毛短い方と長い方どっちがいいかな?」などと話を広げてくれた。
しばらくしてからまた夏に、レコ発のワンマンが開かれることになった。東京アイドル劇場で手売りチケットが販売されることになり、参加した。初めて全員チェキを撮った。死ぬほど緊張したけど、そのあとAちゃんと撮ったチェキは楽しかった。ワンマン行くねというと、喜んでいた。
レコ発のワンマンということで、CD発売に合わせ、リリイベも各地で開催された。これもまたすごく近くで見られた。割と地元の方まで推しが来てくれることが嬉しかった。
夏のレコ発ワンマンは本当に楽しかった。今までと比べられないくらい大きな会場と大音量でのライブだった。バックライトに照らされて踊るメンバーが神々しくて、ちょっとだけ泣いた。これからも推していこうと思った。
夏のワンマンからちょっとして、活動休止することが発表された。そして間も無く、そのまま解散することが発表された。活動休止直前ライブには、行かれなかった。
そして冬、解散ライブが行われることが決定した。同時に、手売りチケットを販売する機会があることも発表された。このアイドルに出会わせてくれた友人と、絶対に行こうと誓った。
昨年末、忘年会と称されたイベントが開催された。ライブではなかったが、ファンイベントのような形だった。トークイベントやカラオケをしながら食事ができるスタイルのイベントで、その現場で販売されている食べ物飲み物のみ、メンバーに差し入れることができるシステムだった。私はAちゃんにチョコケーキを差し入れた。Aちゃんは隣に座るメンバーと分け合いながら楽しそうに食べていた。それだけで楽しかった。とてもこれから解散するグループのイベントとは思えないほど、楽しかった。
イベントの前には物販もあり、久しぶりにAちゃんにあった。今考えると夏のワンマンぶりだったのかもしれない。Aちゃんは変わらず可愛かった。このころには割とAちゃんと話せるようになっていた。絶対に解散ライブ行くね、と言うとAちゃんはダンスとか歌とか忘れちゃったよ…とおちゃらけてくれた。
そして先日、解散ライブが開催された。奇しくも、その日はAちゃんの誕生日であった。もう絶対に後悔したくなかったので、とにかくいろんなことを話した。あけましておめでとう、と新年の挨拶をして、誕生日を祝い、いつもと違う髪型が可愛かったので話題に出した。チェキの時間が終わりの方になると、Aちゃんは、「チェキはこれで終わり?」と聞いて来た。(メンバー一人につき一人一枚の枚数制限があったが、ファン同士で協力し何周かする人もいた)
私は一枚しか手に入れられなかったため、そうだよと返事をすると、Aちゃんは、男性ばかりのこのアイドルの現場に、女の子一人なのに来てくれてありがとうと言ってくれた。これが最後かどうか聞いてくれたと言うことは、最後の挨拶をしてくれようとしたのだと思う。ライブも始まってないのに、本当に泣いてしまうかと思った。私もAちゃんと話せるのはこれが最後だと思い、「Aちゃんが一番大好きです。これからも応援してます。」と言って別れた。自分のできる最大限の返事をして別れたあと、その場にしゃがみ込みたくなるほどの感情に襲われた。それが無力感だったのかやりきった感だったのかはいまもよくわからない。
あまりに語彙力がないが、ライブは今までで一番最高だった。現場に行き始めたころは周りの怖そうなオタクに怯えていたが、今ではケチャをしたり、振りコピしたりするまでになった。本当に楽しかった。ライブ中は、とにかく後悔後半はとにかくずっと泣いていた。泣きたくない、笑顔で見送りたいと思っていたのに、泣いているメンバーを見たら駄目だった。
地下アイドルが好きな人は大抵、1つのグループだけでなく、いくつかのグループに推しがいることが多いそうだ。私はAちゃんのグループを追いかける過程で、ほかの地下アイドルにも何グループか出会ってきたが、推しはAちゃんだけだった。
楽曲、衣装、メンバーそれぞれ、ファン層など、どこを取っても、Aちゃんのいたグループが自分に合っていたのだと思う。