はてなキーワード: 劇場とは
30代中盤になり、将来のことが不安になった私は都会での仕事を辞め、一時的に実家に帰ることにした。
差し迫った理由もないのに安易に気ままな一人暮らしの生活を捨ててしまった自分を今となっては止めたいが、
そのときはこれで高い家賃も浮くし、家の手伝いもできて親孝行にもなるだろうと気軽に考えていた。
世間は人手不足で騒いでいるから、転職にはそれほど困らないはずだ。そんな能天気な期待もあった。
実家は田舎ではそれなりに大きな家で、裕福だ。一昔前よりは減ったが親戚付き合いもまだ多い。
長男の私は子供の頃から「跡取り」になるのだという意識を、その言葉の意味もわからないのに、当たり前のように持っていた。
家業とはまるで違う学部の大学に入っても、家業の役に立たない仕事を始めても、その意識は消えなかった。
今考えると、その時点でおかしく感じる。私は家業を継ぐ気も、実家で一生過ごすつもりもなかった。
自分の住みたいところに住み、やりたいことをして生きるつもりだった。
それなのに心の中ではいずれ家に帰るつもりだったのか。それを既定路線として、どこかで受け入れてしまっていたのだろうか。
昨夜、父と口論した。
きっかけは私に明日(つまり今日)、家業の手伝いをするようにと父が言ったことだった。
別に大した内容ではない。ただ立っていればいいような仕事だし、今までもそういうことはしてきた。それは当たり前のことだったから。
ただそのときは疲れていたのか、本気で拒否してしまい、それからは互いに、というより主に私が、相手を傷付ける言葉を連発した。
(そしてその言葉が数時間後、布団の中にいる私を苦しめ、眠れなくなってこうして書いているわけだ。)
「俺は家は継がない。お父さんが死んだら全部処分するよ」
私はそのようなことを言った。これに対し父が
「そんなこと許されると思ってるのか? これまでおまえにいくらかけたと思ってるんだ」
と返し、以下すべて私。
「俺より早く死ぬ奴のために、自分の人生をめちゃくちゃにする気はない」
「見返りを求めるって、親として最低だよ」
ただし、私の声は異様に震えていた。父と真面目なことを話すときはいつもこうなる。
「毒親」という言葉を最近知った。父がその毒親ではないのかと思うことがよくある。
この番組はCMに入るときに特徴的な効果音が入る。(ちゃんと見たことはないので、違っているかもしれない。)
夜、寝ていると、父と母が怒鳴り合う声がする。その合間合間にあの効果音が聞こえるのだ。
どんなに耳を塞いでも、布団に潜っても、自分の声でかき消そうとしても、怒鳴り声と効果音は鳴り続けた。
この番組が「火曜」サスペンス劇場と知ったとき、不思議な気がした。記憶の中で、あの音は毎晩聞こえていた。
…こんなふうに幼少時の思い出を書くことが何になるだろう?
私は実家に戻って以来、父と生活していることにたまらない不快感を抱いてきた。父は毒親なのだと思ってきた。
だがたぶん、こんな家庭も親もいくらだっている。親は完全な存在ではない。
私はもしかすると、自分が父を不快と思うのを正当化するために、父を毒親の条件に当てはまるよう、
頭の中で自分の記憶や感情を捏造してきただけなのかもしれない。
火曜サスペンス劇場のことだって、たとえば一年前、同じように思っていたか確信が持てない。
第一、昔からそんなにも父との関係が壊れていたら、こんなに軽々しく実家に戻る決心などしなかったはずだ。
「毒親」という言葉のあと、真っ先に親を責めるようなこんなエピソードを持ってくること自体、共感を求めて甘えている。
人が見れば、父など毒親でも何でもないのかもしれない。
出来の悪い子供をちゃんと大学まで行かせて、ニートになっても何も言わずに面倒を見て、
いまは無職となった息子を無料で家に置いている、優しい親なのかもしれない。
というより、書いてて確信したが、きっとそうだろう。
別に父との思い出は嫌なことばかりではない。スーファミのソフトをたくさん買ってくれたし、旅行も何度も連れて行ってくれた。
人並みに反抗期だってあったが、大学入学で家を出てからは衝突もなくなり、二人で飲んだりすることも何度だってあった。
30代半ばにもなってパパなんかだいっきらいなどとわめいている私こそがどうしようもなく幼稚で未熟な異常者なのだ。
何も考えずに家業を継げばいいのに、下らない自意識と自尊心のせいで、父や先祖の築き上げてきたものを無に帰そうとしている。
しかも私はその家業にも家柄にも土地にも、何の興味も持てない。同じ思いをすることになる生命をつくることが罪悪にすら思う。
想像の中の父は怒り狂って、引っ越しの準備をしようとする私を怒鳴りつけ、家から出すまいとする。
そんな仕事してもどうせダメなんだから、おとなしく家業を継げ。
無理矢理家を出れば、父は思い描いていた人生を打ち砕かれ、気落ちして、そのまま死んでしまうかもしれない。それも私の妄想だ。
どうして父との関係をうまく築けないのだろう?
私は父が毒親かどうかなんてどうだっていい。父と仲良くやっていきたいだけだ。
これから二十年、十年、五年、いつまでかわからないが、残りの時間を幸福に過ごしてもらいたいだけだ。
父が人間の屑なら、そうできない自分に悩むこともないだろう。だが私は、悩むのが辛くて、父を屑だと思おうとしている。
父が死ぬほど嫌いだ。憎んでいる。生きていてほしくない。いなくなってほしい。死んでほしい。
昔のクラスメートのお母さんが亡くなったそうだ。今どき珍しくないかも知れないけど、本人はうつ病で退職→再就職を繰り返し、ほとんど無職の生活をしているはず。今までお母さんの支えで生きてきたんだろうけど、「どうするんだお前?」って感じ。
うつ病だけでなく、発達障害も抱えてるんじゃないかと思うぐらい、空気が読めない。一時期しつこく私にケータイメールを寄越したのでひたすら返事をしない作戦に出てようやく止めたこともある。冷たいようだけど、ヤツにしつこく追っかけられた元クラスメートの女の子が、元々病弱なうえにストーカー恐怖も相まって、やはり仕事らしい仕事に就くこともできずに実家にいるとこを見ると、甘やかしちゃダメだと思った。それにヤツは優しくしてくれる女の子なら誰でもいいのだ。途中から男子校に進学してしまったので、昔のクラスメートである我々しか女友達がおらず、独身者が次々ターゲットになるという…。
仕事をする気力があるときはなんだか高望みで、特にイケメンでもなければ運動神経抜群でもないのに、「ミュージカルのダンサーをやりたい」とか「劇場の支配人になりたい」とかいう。まず薬の副作用が原因の肥満をどうにかしろとか、支配人以前に切符のモギリとかやれとかいろいろ思うけど、下手に構うとめんどくさいので会わないのが一番。
救いは実家が比較的高級住宅地にあることで、それが賃貸に出せるような作りになっていれば、あとはちょっとしたアルバイトするとか、障害年金をもらうとかすれば最低限の生活はできそうなこと。でも家事とかもダメそうだしな…。どうするんだよ、一体。
Twitterのトレンドに「Anitube」が入っていて驚いた昨日の午後。クリックして反応を見ると、漫画村閉鎖には喜びAnitube閉鎖には悲しみの声をあげる人が多くおり、それを批判するツイートも多数みられた。この問題に言及すると、利用していたことを公言するようなものであったためTwitterでは触れなかったが、まあ、利用したことのある人間である。漫画村はお世話になったことはないのだが、Miomioは数回、Anitubeは結構お世話になった。悪いことと知りながらついつい利用してしまうこれら海賊版のサイトについて、ぼんやりと考えたことを綴らせていただく。知識不十分なうえ読みにくい駄文ではあるが、まあ書きたいように書いているだけなので理解していただきたい。
漫画はともかくアニメは公式が無料配信なども行っており、正直「ネットでみれるならどこでみても同じ」という風に思う人もいると考えられる。では端的になぜだめなのか?色んな記事をみて自分なりの答えだが、海賊版サイトはそもそも法律違反、著作権などにひっかかる。勝手に配信しているだけではなく、サイト側はそれで儲けている。逆に公式配信がなぜいいのか、これは憶測だが例えばニコニコ動画ならニコニコ動画が配信するアニメに対して正当な金額を出しているのではないか。公式配信はともかく、海賊版は自分で作品を作っていない人にお金が行くという点でNGと考える。
海賊版サイトの利用経験がある身として考えてみる。まず第一として『テレビでは映らないから』というのが大きな点だろう。ただでさえアニメが放送されない地方民にとって、BS11で見れないアニメはネットで見るしかない。ましてやBS11が見れないオタクは、「アニメはパソコンで見るもの」という人も多いのではないだろうか。
これに対して「DVD買え」「レンタルしろ」「dアニメストアでみろ」「ネット配信してるとこほとんどだよ」という反論をみかける。まず先にも触れた公式のネット配信を利用しないことを考えると、ぱっと浮かんだのは『ネット配信がテレビの最新放送よりも遅い』ということだ。最速の配信がどれくらいかわからないが、遅いものは一週間遅れもざらじゃない。Twitterなどで実況する人も多い中、「流れに乗れない」というのは大きな問題点だろう。海賊版サイトでの配信は、数時間もすれば最新放送のものが見れることが多い。何日も待って見るよりも、無料ですぐにみれるサイトを利用しない手はない。
そして『多くの公式配信は一週間で視聴期限が切れる』ということも関係しているのではないか。時間がなくてためていっきに見よう、ということができないのである。また自分のように「1話抜けると先の話が見れない」タイプの人間は、一週間以内に見れなかった場合、なんとか見ようとして海賊版を利用するケースがある。他に「アニメを録画してためていたが、ある回だけぬけていた」ケースも、海賊版を利用するきっかけになりやすいと考えられる。
次にDVDの問題について。まず『DVDは発売が遅い』ということ。はやくても一か月は待つ必要があるだろう。待つか?
それと『気になった作品の円盤をいきなり買う人は少ない』ということ。今や2話収録で6000円とかする時代、「気になったから見よう~」という軽い気持ちで円盤を買うのは金持ちくらいじゃないか。もしかしたら自分には合わないかもしれないアニメに、いきなりお財布がちょっと痛いような値段を投資するだろうか?
そしてレンタル、ひいてはdアニメストアなど有料配信サイトを利用しない大きな理由。円盤一枚あたりや月額から考えるアニメ一話は安いのになぜ?と思う人も多いだろう。それはおそらく『アニメに対して、お金を払うという価値観がない』のではないか。テレビをつければアンパンマンが、プリキュアが映る幼少期を経て、いったいいつ、「アニメに対しお金を払う」という価値観が生まれるのか。アニメのDVDを買ったのは、いつが初めてだろうか。お小遣いで買えた人はどのくらいいるだろう。大半がアルバイトなどをしてある程度お金が自由に使えるようになってからではないのか。海賊版を利用するのは若い世代だ多いと聞く。所持金も少なく、働いて利益を得るということに実感があまりない年で、アニメに対しお金を払う機会がそもそも少ない。小額か高額かが問題なのではなく、「価値観」が関与していると考える。都会ではテレビをつければこのアニメが見られるのに、なぜ地方の自分はお金を払う必要があるのか。アニメを軽視してるわけではなく、「お金を払わなくても見れる」環境でまず育つ人が多いため、そういう価値感がないのではないのか。(これは広く芸術に対してお金を払わない文化にも通ずるところがあるが、今回は割愛させていただく)だから「たった●円で見られるのに」という指摘は、そもそも的外れなのかもしれないと思うのだ。
【なぜ漫画村閉鎖は賛成する人が多かったのか】
ようやくタイトルの話だが、当方漫画村を利用したことが無いため、憶測がほとんどで話をすると、まず『漫画は「買う」価値観を持ってる人が多い』ということがあるのではないか。先の文を考えるとわかりやすくなると思うのだが、小さいころ漫画は「買ってもらう」ものではなかっただろうか。おもちゃやお菓子と同じように、「買って」とねだる対象だったのである。
そして『手が出しやすい値段である』ということももちろん重要な点だ。配信サービスのときは額は関係ないと言ったが、もともと「漫画は買う」という文化がある中でさらに小額ということは、より手が出しやすいと考えられる。少なくとも自分はそういったことにより漫画は買って読んでいたのではないかと思う。
また、『漫画は貸し借り・立ち読みができる』ということもわざわざ海賊版を使わなくてもいい理由の一つかもしれない。自分が持っていなくても友達や家族が買えば読める、しかしアニメはどうか?
地域的に放送されていなければ友達も見ることができない。アニメは「貸し借りできない」のだ。入手しやすい漫画とは異なり、アニメは人から見せてもらうことができない。立ち読みも同じである。といってもそもそもブックオフなどでの立ち読み自体に関して賛否両論あると思うが、禁止されているところは少ないだろう。そのうえで漫画は「立ち読みする」ことができてもアニメは「立ち読み」できないのだ。
このように漫画は購入以外にも海賊版ではないルートがあるということで、漫画村を利用しない人が多数おり、漫画村の閉鎖には賛成の意を示す人が多かったのではないかと考える。(最近は漫画を海賊版サイトで読むことについて、Twitterなどで漫画の原作者が注意を促すものが多かったことも関係しているかもしれない)
ここまでみると、なんだが「海賊版の漫画はだめで、アニメは仕方ない」みたいな文章に思われるかもしれないが、別にそういう意図はない。また、はじめに書くべきだったが、海賊版を推奨する文章でもないということを理解していただきたい。
そしてここからは本タイトルとは少し違う、個人的な話をしたいと思う。それは先に書いた「アニメにお金を払う価値観」が自分にできた話である。何のアニメかは伏せるが(わかりそうな表記もあるが)、遠方で暮らす家族にすすめられ、ちょうど件のAnitubeでみた作品があった。ドはまりした。大学生で、お金をある程度自由に使えるようになったころ、新しくはまるとどうなるのか。
そう、金を使うのである。そこから短期間で海賊版のサイトでは見られない円盤(イベント映像など)や関連書籍を集め、劇場上映のために遠征までした。ハマってから発売された映像作品はすべて購入し、なんだかんだで一度は海賊版サイトでみたアニメ本編も結局DVDを全巻購入したのである。
単純に作品が好きだったということもあったが、惹かれたのは「ファンの熱意」という点もだった。そのアニメは2期、劇場上映と続いたのだが(自分がはまったのは2期放送終了後、劇場上映前)、2期は「ファンが金で買った」と言われていた。というのも2期に関して、監督が「継続の主な要件は円盤の売り上げ」ということをつぶやいたことが関係しているとかどうだとか。その当時はハマっていなかったので、その発言によってどれだけの人が円盤を買おうとしたのかはわからないが、なんやかんやで2期はあったということは、円盤は売れたということである。晴れて2期は制作され、OVAの劇場上映まで繋がっていった。
自分の中で「ファンが金で買った2期」というパワーワードが残り、おそらくそれによって「アニメに対しお金を払う価値観」が築かれたように思う。古参のファンの人たちがつないでくれなければ、もしかしたら自分はこの作品に出会えてなかったのかもしれないと思うと、好きなものに対し、「買わせてくれ!」と思うようになったのだ。
コンテンツにお金を払うということで、ソシャゲの課金も関わってる気がする。「基本無料のゲームに金を使うのはなんだか…」と思っていたものの、いつの間にか課金していたのだが、他のゲームがサービス終了を発表した時に、とても怖くなったのだ、「自分のやってるゲームも終了したらどうしよう」と。どこにもずっと続く保証はなく、基本無料のゲームが、ユーザーの課金によって成り立っているのはソシャゲの常識でもあった。
何かにお金を使う行為はそれだけで応援にもなり、支援になる。課金の正当化のように聞こえてしまうかもしれないが、別に無課金がどうこうというわけではないということは理解してほしい。
…なんだか結局は「自分が金を払いたいと思えるのか」という問題のような気がしてきた。
何にしても海賊版規制は正直イタチごっこだろう。それに無料で見れないのならと言って、その作品に触れる機会すら減ってしまうのはもったいない気がする。自分のように最終的に円盤を買う人間もいるかもしれないし。
ジャニーズJr.を「担当」と呼ぶのに少しためらいがあったため
避けていたのであるが、昔から好きだったあるJr.の子に落ちてしまったのだ・
いつも現場にいたあの子に突然恋に落ちたのは今でもジャニヲタ七不思議である。
まあ、私は結構担降りをしている部類かとおもうがその話は置いておこう。
私は最近ジャニーズJr.に降りてきたが、ずっとたくさんのJr.がつくような
グループを担当してきたのでジャニーズJr.についても結構理解をしている方であり、
おそらく必然的にジャニーズJr.に降りてきた人間であることだけは前置きにしてこの
彼の「担当」を名乗っているために印象を悪くしたくないので今回は
友人たちには気持ち悪いといわれるレベルでジャニーズに関しては絶対的なものになっている。
そして、私にとって【ジャニーズ】は圧倒的な【偶像】であることが好きなのである。
きらきらのステージ衣装を身にまとい、歌って踊る彼らが大好きなのだ。
彼らの近況なんて聞きたくないのだ。
わたしは今回の記事を書いた要因の一つが最近のネット事業の拡大にある。
正直いって気持ち悪いのだ。
ずっとずっと大好きだった元担はフライデーで彼女とのプラ写が流出した。
それが引き金で担降りへと進んだくらい。
当時の私はこれが原因で一週間寝込んだくらいだ。
これは本当に私だけの感覚でほかのジャニーズが好きな人たちは違うと思う。
だから別に私の中でTVでに引っ張りだこな状況が「売れている」とおもったコトはない。
わたしが今まで【担当】をしていた人たちはみんな舞台が映える人たちだった。
俗にいう舞台班だった。一年の半分以上は劇場に立っている人だった。
あのきらびやかな衣装はアイドルしか着れない。その人が衣装に負けないくらいの
輝きを持っていないと負けてしまうのに、彼らは難なく着こなすのだ。
だから私はステージ衣装を身にまとって13月を探している彼らを好きでいたいのだ。
そんな私がジャニーズJr.に降りたのは必然だったんだとおもうのだが、
もちろん私が大好きなJr.の子にはデビューをしてほしいし、有名になってほしい。
でも舞台に立つ機会が少なくなってしまうのでは・・・と思うことも多い。
ユニット乱列時代のなか、わたしの好きな子は最初の方からユニットに所属していた。
だからいる公演を知ることは容易だったし、メインを張ってクリエにも立っている。
年の半分は舞台に立っていて、学業との両立は難しそうだと思うが
彼はジャニーズでいることに誇りを持ってくれているような発言も多いのだ。
だから安心して好きでいられる。舞台の上にいる彼がいる場所がセンターだ。
そんななか、ジャニーズJr.が某動画サイトに公式チャンネルができた。
発表されたのが繁忙期もいいとこの3月の月曜だった。
本当に失望した。わたしの中で気持ち悪い。そう思ってしまった。
みんなはうれしがっていた。知ってもらえる。いいコトだ。
でもわたしはそうは思えなかった。
でもまあ、私が気を付ければいいとおもってやり過ごした。
わたしは彼らのコトを「無料」で「観られる」ことが本当に許せなかった。
彼らはそのくらいの実力を持っているし、安く売ってほしくなかった。
彼らの舞台に興味を持ってくれるのか。
無料で見たものから突然12000円はらって3時間の舞台を見るのか。
本当に本当に怒りを収めたい。
少しずつ彼らの成長を見てなんとかしていきたいかな。
きっと来月とかには「更新たのしみ☆というコトになってるかもしれないし、
もしかしたらジャニヲタをやめるくらいいやになるかもしれない。
4月に入ってもなお、このジャニーズJr.の公式チャンネルへの
本当にこんな汚い感情を垂れ流した。
「アニメ制作現場「脱ブラック」へ 経産省、描画ソフトに共通規格で作業負担軽減」という記事をみた
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180322-00000000-fsi-bus_all
みんないろいろと突っ込んでいるし、経産省がずれていることも理解するのだが、一番思ったこと。
アニメや映画といった作品は「効率化」や「量産化」が構造上そぐわないのである。
まず、勘違いされたくないので私のスタンスを述べると、この手のクリエィティブ業界においてブラック化や薄給化は避けられるべきと考えている。
一方で、クリエィティブ界隈というのは「尖っていること」「脱個性的」であることが至上命題である。
それは「マンネリに対する刺激」こそがクリエィティブ業界で求められているためだからだ。
共通のツールや効率的な生産スキームが出来上がればできあがるほど(それによってスマッシュヒット作品が大量生産はされるが)
その「生産的な」方法に乗らずに、根性と気合いによって、過剰な質を達成した作品が賞賛されるというジレンマがある。
たとえば、TVアニメなのに劇場並みのクオリティ・動画枚数という賞賛自体が、本来は正しくないブラック構造の賞賛になっている。
もちろんゲーム業界のように一度構築したエンジンの再利用によって、多くの異なる作品を高頻度で生み出すことも可能なのかもしれない。
映画は洋画はエンジン型、芸術思考邦画は職人芸型、TV曲主導邦画はコピペ型と評価できる。
アニメはどちらに向かうのか?
アイドルマスターシンデレラガールズ、6周年おめでとうございます。
私はこのゲームを1回目の総選挙直前くらいから始めたのですが、それからそんな時間が経っていたのかと驚きました。
シンデレラガールズ一年目あたりはボイス付きもほとんどおらず、大体10人くらいでしょうか。そのくらいしかいなかった気がします。シンデレラマスター第一弾、第二弾でソロ曲が出た子ぐらいですかね。
その当時はどういう基準でボイスが付いているのかとか、そういうことは特に気にしていませんでした。「うわー!凛ちゃんかわいい!エロ絵漁ったろ!」「楓さん歌上手いなー、えっろ」くらいの気持ちでやってた覚えがあります。
声付いてるキャラなんて少数で、活動もCD出すくらいしかしてなかったので、そんなに目立たずあんまり気にならなかったのかもしれません。
そのような声付きアイドルが少数派だった当時と比べて、今のシンデレラガールズはどうなったのか。軽く調べたところ、90人には声が付いているみたいですね。シンデレラガールズは183人のキャラがいますから、半分には声が付いているという状態ですね。
6年でこの人数なので同じペースで付いていくと仮定すると、あと6年で全員に声が付くという計算になりますね。
まあ、当然同じようなペースで付くわけはないです。それに、ここまで声付きが増加したのは、あるイベントがあったことが大きいです。それは、アニメにおけるボイス追加、通称「サプボ」ですね。
サプボによって、15人ほどのアイドルに声が付きました。実に、シンデレラマスター3回分です。シンデレラガールズを昔からやってる人ならわかると思うんですが、このシンデレラマスター、出すペースが非常にゆっくりなんですよね。さらに、弾数を追うごとに段々と間隔が空いていくという状態です。その上、最近では3人ごとの発売となっています。
これでは同じペースで声が付いていくというのは、またアニメのサプボラッシュでもやらないとムリでしょ、となります。
私の好きなアイドルにはまだ声が付いていません。あとどのくらい待てばいいんでしょうね。もう5年くらいは待ってるんですよね。
皆さんはシンデレラガールズにおいて、どのようにしたら確定でボイスを付与されるかご存知でしょうか。
現状の方法としては、一年に一回開催される「シンデレラガールズ総選挙」で、総合順位5位以内に入る、または各属性の3位以内に入ることです。
これしかありません。
当然、今ボイスを持っているキャラがすべてこの条件を満たして声を手に入れたわけではありません。初期に声の付いてたキャラなんかは総選挙関係ありませんし、前述のようにサプボキャラもいます。
まあ、全体的な傾向としては総選挙で発表されている50位以内に入っている子には声が付いていく傾向にはありますね。アニメが始まるまでは、基本的に圏外からはあんまり声は付いてませんでした。
小早川紗枝ちゃんとか圏外から声が付いていくケースもありましたが、51位以下は発表されていなかったので、もしかしたら50位のすぐ下にいたかもしれないって考えられたんですよね。だから、「この子は人気ないんだから、圏内に入ってる子のが先だろ!」みたいな考えはそこまで強く起こりませんでした。あのイベントまでは。
そのイベントというのが、「声なきアイドル」に声を付けていこうという名目で開催された「アニバーサリーボイスアイドルオーディション」です。別名、ボイス争奪選挙とか言われてもいますね。
このボイス争奪選挙、シンデレラガールズ3周年記念のイベントとして、2014年11月に開催されたんですよね。こちらの選挙、モバゲーのシンデレラガールズのイベント等で入手できる投票券と、Twitterで毎日一票ずつ無料投票できるという形式でした。つまり、課金によって投票券を手に入れて投票していくという総選挙とは違い、ほぼ純粋な人気だけで戦っていくという選挙だったんですね。
「この子は一番好きというわけじゃないけど、この子の方が自分の担当より上位にいるから、こっちに入れよう」っていう人もいたかもしれませんが、まあそれも人気のうちでしょう。
で、このボイス争奪選挙はTwitter投票分だけですが、それを集計して全ボイス無しアイドルをグループ分けした順位付けをしてたんですね。「日本のアイドル」とか「街のアイドル」だとかそういう感じです。どのアイドルがどの位置にいるのかというのは検索にすればわかるため、ここでは割愛します。気になる方は検索してみてください。
これがどうしたのかというと、この順位付けによって、今までアンタッチャブルだった50位以下のアイドルの順位がある程度可視化されてしまったんですね。総選挙とは違って、声付きアイドルは入っていないので純粋な順位ではないのですが。その当時のボイス付きはほぼ圏内あたりにいたので、まあそんな大きな影響はないでしょう。せいぜい下の順位の子がさらに下がるくらいです。
それで、です。100人以上の声なきアイドルの大まかな順位が可視化されたということで、その中で人気のあるキャラ、あまり人気のないキャラというのがわかるようになってしまったわけです。
これによって自分の好きな子が大体どの位置にいるのかということがわかり、そんな下の方でもなかったので嬉しかったんですよね。この時は。
ここでボイス争奪選挙のお話は一旦置いといて、次のお話に移らせてもらいます。このボイス争奪選挙の2ヶ月後、またまたシンデレラガールズにおいて大きなイベントが起こったんですよ。それがアニメ化です。劇場のアニメではなく、武内Pが出る方です。
なぜアニメのお話をするかというと、前述したサプボがあったからです。どのキャラがアニメでサプボが付いたのかというのは、こちらのwikiで確認できます。
https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33722.html このページの中段あたりにあります。読まなくてもいいです。
で、サプボですね。これがタイトルにあるシンデレラガールズの総選挙を頑張りたくないという気持ちの決定打になったんです。
なぜかというと、このサプボで声が付いたアイドル、大体は総選挙50位以内に入ってないんですよ。まあでもここまでなら納得できたんです。もしかしたらこの子たちが同率51位かもしれないですものね。
そう、まだこの子たちが51位あたりにひしめき合ってる可能性はあったんですよ。
まあ、つまりは自分の好きなアイドルより順位が下のグループにいた子に声が付いていくのを見て、段々と濁っていったわけですよ。
中にはソロ曲をもらっている子もいましたしね。
「え? このくらいの順位にいても声が付くの? アニメで出番もらえるの? デレステのストーリー等で活躍の機会がもらえるの? さらにソロ曲ももらえちゃうの?」
というような気持ちが段々と強くなってきました。
プレイヤー側が頑張らなくても声付くんじゃん、って思うようになってきました。
それなら、わざわざ時間と金を割いて総選挙を頑張る必要なんてないよねって気持ちになってきました。
そしてそのサプボラッシュの後、デレステでサプボキャラがユニット曲を出すなど活躍していく姿を見ていました。自分の好きな子よりも順位が下で、アニメで声付いたキャラたちが歌って踊ってました。これも結構効きました。
総選挙で常に圏外だった、ボイス争奪選挙で下から数えた方が早かったような子たちが、自分の好きな子より先に歌って踊ってました。
サプボアイドルのこういう活躍を1年以上見てて、 「よし、総選挙頑張って声付けよう!」って気分にはならないんですよ。なる人もいるんでしょうが、自分はムリです。
そもそも自分の好きな子は常に圏外でしたし、総合5位以内または属性3位以内に入るのはほぼムリだろって考えに段々となってきたのもありますが。
3、4回目くらいまでの総選挙は頑張ってましたよ。頑張るといっても、課金してガチャ券手に入れるとか、Twitterで投票を呼びかけるとかそんなもんですが。もっと積極的にプロデュース活動をしている方はいっぱいいるくらいで、その方と比べれば自分のやっていたことなんて大したことはないでしょうけど。
無料投票のボイス争奪選挙と、課金投票の総選挙では違うってのはわかってはいます。わかってはいますが、サプボキャラがユニット曲などを出したりしているのを見ていき、もう総選挙は頑張らなくてもいいだろって気持ちになってきたんですね。
もう5年以上声がない状態で頑張り続けるのはつらいです。その間、ボイス付きアイドルが活躍していき、取り残されているような焦燥感を覚えるのはつらいです。
最近の総選挙は課金票数が制限されて、投票するプロデューサー数が重要となってきたみたいで、プロデュース活動をあきらめずに続けることが大切になってきたようですが、もう頑張る気は起きないです。
まだ総選挙を頑張って、自分の好きな子をシンデレラガールにしたいと思っている方は頑張ってください。
総合5位や属性3位を狙って、ボイスを付けようと思っているプロデューサーさんも頑張ってください。
また、私の好きな子に声を付けようと総選挙を頑張るつもりの方も応援しています。自分はもう頑張りませんが、頑張ってください。
サプボをもらって出番もある程度保証され、「このまま声が付かないのではないか」「いつになったら声が付くんだ」というような悩みを持たないということが羨ましくて仕方がないです。
その代わり、ボイスがあるが故の悩みが出てくるかもしれませんが、それはそれ。
早く解放されたいです。
他のコンテンツに移れって言われるかもしれませんが、その子を好きになっちゃったんだからしかたないです。
早くサプボで声付けてくれ。運営さん。
頭の切れる人間が、こういう状況に放り込まれたら、どう行動するかは、自明だ。ここで第一にやるべきなのは、インチキプレスリリースをうちまくって、とにかく時価総額を膨らます事だ。資本がないと、なにも始まらない。つまり、マジメにいい商品、いいサービスを、開発する、という、世の中への貢献行動は、マイナスの条件付けをされる。
そして、インチキのプレスリリースをうつ、という詐欺的行為は、プラスの条件付けをされる。まるでこの業界全体の構造自体がが、善良な人間を悪の手先に変える、サタンの洗脳機械のようなものなのである。あの円筒形のビルでは、サングラスをかけた、額に傷のある、かなり悪そうなパブロフの犬が日夜量産されているのである。
いやー、思ったより良かった。
テレビで放送されるものをわざわざ映画館に見に行くのはどうよ?って思ったけど、テレビ放送では気付けないことも気付けた。
まず、予告編がなくて、定刻でいきなり本編上映始まるのが驚いた。
いままでの映画経験から、CMとノーモア映画泥棒が挟まれるのかと思ってた。
純粋に本編だけを楽しめるって、没入感が高い。
細かいところまで見えて、どんだけ画面作りにこだわってんのかと。
瞳に映る反射光の揺らぎも見えるし、ぼかした背景も細かく描かれてるのがわかる。
ガヤも適当なガヤじゃなくてちゃんと街の騒音になってたり、軍の基地を意識してガヤってるのが分かる。
風景音もすごいこだわってる。
暗い館内のいたるところからグスグス聞こえてきて、「花粉症かな?」と思ったら、みんなガチ泣きしてんのね。
自分は「ほーん、そうきたか」って感じで、まあ感動したけども。
3話連続で見る意味あんのかなと思ったけど、お母さんの手紙まで一気見して8~9話と10話が対比になってるのがわかった。
感謝祭でヴァイオレットちゃんの首筋の傷を見て目をそらしたのは変な性癖じゃなかったんだね。
終わった後、エンドロールまで誰も立ち上がらないの、お行儀良いなあと思った。
全部が流れた後に、拍手が沸くのもなんかすげえなみんな。
年齢層も比較的高かった気がする。
でも楽しかったな。
思い出すのは、お茶会帰りとかお食事会帰りの日が暮れた大劇場近辺の空気。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったムラを、一人ぼっちでヒールの音を高らかに鳴らしながら歩いた。
今公演のお芝居の中で小道具として出てきてたやつだ。
グループでいるおたくたちの群れが苦手で、少し離れたファミレスまで歩いて行った。
二時間で出てくると言った贔屓は、たくさんのファンを放置して勝手に帰っていった。笑
暴君だったけど、でもだいすきだったから、そんな仕打ちを受けても笑ってた。
退団公演だなんていうしんみりした雰囲気を吹っ飛ばすその心意気が面白くて笑った。
それでも私のことが好きなんでしょ言われて、ぐうの音も出なかった。
惚れた弱みだ。しょうがない。
そのユニットはまぁまぁそこそこ人気があり、イベントやらステージやらがあるとチケットが争奪戦になる。
そういう機会の度に毎度モヤっとしたり腹が立ったりすることもあるが、普段なかなか言えないので長くなるけれども吐き出したい。
少し前にそのユニットの舞台のチケットの当落があったときに、知人が2回いけることになった。
最初本人の申し込みが落選したことを残念がっていたのだが、恐らく一緒に行こうとしていたご友人は当選したのと、あとは別の人がお誘いをしたことでいけることになった。
だが2回いけることをツイートしたらそれを見たフォロワーが引用RTをしてバッシングをはじめた。
相互フォローだったようだが直接リプライするわけでもなくエアリプで取り上げ、別のフォロワーと2回行く行為についてバッシングしまくった。
"自分だったら行けない人に譲る、それをしないなんて”、という観点でのバッシングであった。
行けない人がいるならばそちらにチケットを譲りたい、という広い心はいいと思うが、それはあくまで個人の考えであって、自分はこうするから他の人もこうすべき、という押し付けはいかがなものかなと思い、モヤモヤとした。
自分の立ち位置としては一つのイベントについて行ける限り複数行くタイプだ。
ただチケットが取りにくいものに関してはそういう行動について目に付くところに出すと面倒ごとが起きると思っているので出さないし、知人についてそれを表に出してしまったことは迂闊だったなと思う。
この知人に限らず、チケットが当選したというだけでブロックされたという話も聞いたし、「見たい人がいるのに何回も行くなんて○○さん(ユニットのメンバーの名前)が聞いたら怒っちゃうよ」とか本人が言ってもいないことを出してバッシングする人も出てきた。
そんなに複数回行くことが悪なのか。
正直疑問なのだ。
ファンクラブ、携帯サイト会員、劇場先行、主催先行、プレイガイド先行(有料会員先行も別にあったりする)、一般発売
一般勝負のものもなくはないけれど、大体何かしらの先行がある。
ということであればなんら違法なことをしなくても一人の人間が複数のチケットを手にする機会が存在するということだ。
まぁ先述のような人たちはFCなどで当たったらそれ以降申し込みすべきでないというスタンスなのかもしれないけれども、公式がご用意している限りは持っている権利だと自分は思う。
で、よく耳にする文言としては「行きたくても行けない人がいる」というやつなのだけれども、その「行きたい」とはどの程度行きたいのか。
どの先行も申し込んでも申し込んでも落ちてしまうのは運だから仕方ないというところは実際ある。
でもその落ちてしまう理由っていうのもただの運だけじゃないと自分は思う。
例えば、申し込む全てが東京の初日や楽日、土日に集中して、多くの希望者がいるところだけだった場合、当然当選率も落ちる。
それは「自分が都合のいいときに行けない」であって本当に「行けない」というのとは違うんじゃないだろうか。
例えばそういう日程ばかりでしか申し込まず、全然当たらない…と言ってる人に対して、交通費が多くかかる地方でのチケットがあると言ったら行くだろうか。
自分も勿論人気の日程も行きたい気持ちもあるが、申し込みをするときにはまず「行く」ことを優先して、場所、日程共にどこだったらば当選率が高いかを考えて申し込みをする。
駄目元で人気日程を申し込みをすることもあるが、そのときは申し込み枠を半分捨てる気持ちは持っている。
それで確実にチケットを取っていき、各先行でチケットを増やしていく。
また、先行だけじゃなくても、友人などがチケットを被らせてしまって譲渡をしたいというのであれば迷う余地なくすぐに譲ってもらう。
公演日直前になって同行者が行けなくなったとか、 外せない仕事でいけなくなってしまったとかで席が空きそうという連絡を貰えば最大限調整をする。
その他おけぴ等のチケットお譲りは随時チェックを欠かさないし、有難いことに友人からのお誘いもあって何回も行けることが出来る。
利益を上乗せしない個人間の譲渡がアリかどうかという点については今回の論点とちょっとずれるのでおいておく。
ただダフ屋のような転売には一切手を出さないし、当落の後、落選の怒りは全部オークションや転売サイトの違反報告にぶつけている。
友人からの譲渡等については本当友人に感謝しかないのだが、そういう繋がりでのやりとりを快く思わない人もいる。
最初に出した知人の件だが、知人にチケットを譲った人は、知人をバッシングした人とも繋がりがあったらしい。
知人は、その人に譲ればよかったのかな、と落ち込んでいた。
もしその人がバッシングした人の方に譲ると言っていた場合、どういう行動を取ったのだろうかな、と思ったりもする。
この件とは全く別の件だが、同じように一回行けたなら行けてない人に譲るべき!と息巻いていた人がいたが、蓋を開けてみたら抽選形式の当日券にて何度も観に行っていたりして、どの口が言っていたのかと思ったことがある。
だから先ほどの件もバッシングの仕方を見て下衆な憶測をすると、自分と繋がりがあるにも関わらず、自分ではなく他の人に譲られるのが腹が立ったんじゃないかなと。
でもその譲った人は知人に譲ったわけで、恐らくそこには知人と相手との交友関係があったからで、そのバッシングした人は譲渡した人とそこまでの交友関係を築いていなかったわけで。
日頃交友を結ぶことへ労力をつぎ込んでおくのも大事なことであり、普段そういうことをしないでチケットだけ勝手に舞い込むなんてあるわけがない。
本当にそうなんだろうとは思う。
でも、そういう道を選んでいるのは自分自身だと思う。
自分は昔休みの自由が利かない仕事を長らくしていて身動きが取れなかったときがあったが、自分が行きたい舞台にもろくにいけない生活に正直心は死んでいた。
今は自分の時間がある程度コントロールできる仕事をしている、が給料は安いし、不安定な雇用形態だ。
だとしても自分が行きたいときに自由に動ける立場というのが自分の中ではとても大事で、それで貧しい生活になったとしても何も苦ではない。
だから、仕事で行けない、と理由を言う人については仕事を変えればいいじゃないと軽率に思うし、それが出来ないのであればその舞台より仕事の方がずっと大事なのだから行けないのも仕方ないじゃない、と思う。
あっちもこっちも全部成り立たせようというのだから無理が出てくる。
こんなことを改めて思ったのは、件のユニットとは別にチケットを取ろうとしたものがあり、先行が連続で落ちてしまって取れなかったことがあったからだ。
その界隈に明るくなかったからそこまで人気だということを知らなかったので甘く見ていた。
別に見たいだけで席はいいところでなくてもいいし、夜の公演なら仕事終わってからでも十分間に合う時間だし、と考えながらの申し込みだった。
落ち込んだところで友人に言われたのが「○○(地域名)ならあるみたいだよ」とのこと。
そこだけでなく、大きい都市以外の地方のチケットは一般でも全然残っており、行きたければ行ける状況。
だから、その状況における自分の”行きたい”は所詮そんなもんなんだな、と思った。
そんなことがあって、複数ステを悪とする人の言う「行きたい人」ってどれほど行きたいものか、と考えた。
自分が追っかけているユニットについては、東京だったら行きたい、とか、土日なら行きたい、という人の”行きたい”より、どの地域でもとにかく行きたい自分の”行きたい”方がより強い欲求、強い熱量だと思う。
それだけ行きたいなら行けるように自分の環境を整えろよ、いろんな先行に目を光らせろよ、有料の会員になって申し込めるタイミングを増やせよ、日々チケットを探す手間を惜しむなよ、普段から交流してネットワーク作る努力しろよ、それらを惜しんでただぼんやりチケット欲しいなぁ~って人が口を開けてるだけで来るわけがない。
勿論ビジネスとして行きたいと思ったまだ浅いファンや、ちょっと興味を持った人が行けない状況というのはファンの間口を狭めることになるので、行きたいと思った人が皆行けるのが理想ではあるが、なにぶん入れる人数に限りがあるので難しい。
その分、チケットが取りづらい為に楽日などには全国の映画館でライブビューイングもやって、見たいけど見れない人の受け皿をちゃんと作っている。
ちょっとチケット代も安いので、初心者にはそれくらいがちょうど良かったりもするんじゃないかと思う。
それこそ、一人一回しか見るべきではないという制限をつける方がビジネスとしては厳しい状態になると思う。
都会はチケットがなくなるけれど、田舎はガラ空き、そうなったとするとその実施地域では採算が取れないということになり、今後そのエリアでの上演はなくなってしまう可能性も十分に考えられる。
実際、全国を回るツアーなどでの観客のそこそこの人数は遠征してきている人たちだ。
少し話はずれるが、その実施地域についてはその地元の人が行くべきで、遠征組は控えろという意見も見たことがある。
だが地域としては地元民だけではなく、遠征の人間がその土地へ行き、観光をし、普段の食よりちょっと奮発していいものを食べ、お土産を買ったりすることでその地域の為になることも少なくない。
一人一回とかにすることで得られるメリットより、その制限を設けることで損失することの方が多いのではないかと思う。
沢山ある演目の中連日盛況でチケット争奪になるものというのは偏りがある。
行われる多くの舞台ではチケットが残り続けたり、盛況に見せるためにあまりすぎた公演はチケットをプレイガイド社内で配って客寄せをしたりすることだってある。
地方が空いているのであれば一度見に来てくれている人がまたお金を出して来てくれるのはありがたいことだ。
それを複数行くことでメンバーが怒るとか、本人が思ってもいないであろうことをなに勝手に代弁しているんだと思う。
だがその価値観はけして他の人に押し付けるべきじゃないし、マナーでも、正義でもなんでもない。
違法行為でもないことについてそこまで言及出来るまでの根拠が自分にはわからないし、そういうと「違法じゃなければしなくていいわけじゃない」とか言うゆるっゆるな根拠が出てくる。
①3歳…昼間、家の横の私道にいると知らない若い男性がニコニコしながらやってきてパンツに手を入れてきて性器をいじられる。けっこう長い時間。何をされているのか理解できず。ケガ等はなし。
②7歳…小学校の下校時、午後3 時頃、校門前で下半身を露出した中高年男性に遭遇。
③14歳…徒歩で下校中、午後6時頃、薄暗い細い道。自転車に乗った男子学生とすれ違う。直後に相手が引き返してきて後ろから尻を触ってくる。驚いて振り向くと胸を鷲掴みしてから逃走。一瞬のことで何も言えず。
④17歳…徒歩で下校中、午後7時頃、暗い細い道。ジョギングウェアの男性が駆け足で向こうからやって来る。すれ違うとしばらくたってから引き返してきて背後から抱きついてくる。「何すんの」と言う。相手はすぐ走り去る。
※これ以降は電車通学になり、痴漢に遭遇する回数は急激に増える。当時、女性車両はない。
⑤18〜20歳…小田急江ノ島線、満員電車。藤沢〜新宿間でほぼ毎朝痴漢に遭う。相手は不定。若いのから中年、大学生風や会社員風など色々。服の上から尻などを撫で触るというもの。やがて同じ男につけ狙われて耐えられなくなり、始発駅から座っていくことを思い立つ。原付バイクを購入。最寄り駅は藤沢なのに始発の片瀬江ノ島までバイクで25分かけて行く。ドア横の端の席に座って通学。しばらくは平穏。だがある日の午前7時台、いつものように座席のパイプ手すりにもたれて眠っていると、髪の間からツンツンと頰に当たるものに気づく。カバンかな?いやでもなんか違う。まさか、だ、だ、男性器?恐ろしくなり確認することもできず、寝たふりをしたままじっと固まっていたが、相手は何か察したように新百合ヶ丘でそそくさと降りていった。スーツ姿の中年男性だった。髪に粘っこい液体が付着していることに気づく。大学の洗面所で洗う。
⑥20歳…藤沢駅から徒歩で自宅への帰り道。午後10時頃。暗く細い道。男につけられていると気付いた時はもう人通りのない場所にさしかかっていた。男はおよそ30メートル後ろ。自宅まで500メートル。今から走っても追いつかれるだろう。途中は空き地や墓地のあるさみしい通り。携帯もない。まずいぞ…。とっさに袋小路に進入。行き止まりに数軒並ぶ民家の住民であるかのように装い数十歩進み、おもむろに住民の車の陰にしゃがんで隠れた。息を殺して下から覗くと袋小路の入り口で男の靴がこっちを向いて立っている。住民のふりをしたものの、玄関を開ける音がしないことを男に不審がられたらおしまいだ。逃げ場はない。恐怖の時間。しかしやがて男は諦めて離れて行った。それからさらに30分以上隠れてから走って大通りまで戻り、公衆電話で父に助けを求めて迎えに来てもらった。
⑦21歳…アルバイトでモデル業。ローカル企業のカレンダーとパンフレットの仕事。モデルは他に数名。撮影はハワイ。ギャラは10万円。撮影にクライアントの役員が何人も付いてくるって?なんかおかしいな。予感は的中。行きの飛行機はなぜかモデルとクライアントのおっさんが隣同士の席になるように仕組まれて、爆睡してたら乳を揉まれた。やっぱりやばいやつやこれ。CAに頼んで席を変えてもらう。CAと向き合う安全席。でもこれからどうする。カレンダー撮影にかこつけたセクハラ慰安旅行。騙された。でもギャラはもらって帰りたい。ホテルはヘアメイクの女性と同室。話を聞くと、広告会社はグルではないようだ。おっさんの部屋襲撃、電話攻撃などを無視し、他の女の子たちと固まって行動し事無きを得た。往きの飛行機の中で他のモデルたちにも触られたことをバラしていたので、皆初めから警戒しており、被害は出なかった。一応カレンダーは完成した。ギャラももらった。めでたし。
⑧22歳…就職。東海道線で通勤。藤沢から新橋までの間にしばしば痴漢に遭遇する。頻度は小田急線より少なくて週一回程度。しかし混み方が激しく、体力を消耗する。通勤地獄に耐えられず半年ほどで都内に引っ越す。
⑨25歳…一人で渋谷の映画館に出かける。午後6時頃。空いているのに隣に座ってきた男に腿を撫でられる。無言で席を移動するが付いてくる。また移動するともう付いてこなかった。その映画館はハッテン場でもポルノ劇場でもない、普通のところである。モニカ・ベルッチの出演作だったが痴漢男が気になり内容は頭に入ってこなかった。
※この後結婚したり引っ越したり仕事を変わったりして移動手段は車が多くなり、ほぼ痴漢に遭うことはなくなった
⑩37歳…阪急京都線梅田〜河原町間で午後4時頃、ボックスシートの隣に座ってきた高齢の男に腿を撫でられる。無言で別の席に移動するとやはり付いてくる。途中の駅で降りる。付いてこなかった。通勤時間帯ではないので女性車両はない。
以上。これは多いだろうか、少ない方だろうか。ほとんどの女性が生涯一度は性被害に遭っているのかどうか、それはわからない。夫や恋人には話せないと言う人もいるだろう。
それよりなぜ一度も警察や駅員、痴漢本人に訴えなかったのか、ということについてだが、まず第一に、怖いから。相手が急にグーパンしてきたらどうする?周囲の人が呆然としている間に、鼻を折られ、吹き出す鼻血、真っ赤に染まるシャツを想像し、どうしても声を出すことができなかった。
第二に、相貌失認の傾向があるということ。⑤で常習となった痴漢の顔もとうとう覚えられなかった。毎回同じ場所で同じ行動をとるから人物を特定できるのである。警察署や裁判所で会っても、認識できない。痴漢冤罪で人生終了は昔も今も変わらない。現行犯で冤罪もくそもあるかなのだが、やはり本当に?痴漢なのか?と逡巡しているうちに終わるのである。
こういうことの積み重ねが痴漢をのさばらせ、新たな被害者を生んでいるとの苦情は当然のことだ。申し訳なかったと思う。特に恐怖を感じた⑥の件も、交番に届けておくべきだったと思う。
やれ文書力がどうとか、熱膨張がどうとか言われてたけど、俺は面白いと思ってずっと読んでる
アニメも円盤買ったし映画は都合が付かなくて劇場で見れなかったけど、円盤は買った
はじめて画集にも手を出した
前に出たノベライズの方は買ってたしね
ハード持ってないから、そっちも買わなきゃなぁとか思ってたんよ
でも、ネットではバーチャロンファンと見られる人達の「禁書要素いらねー」とか「落ち目のラノベとコラボすんな」とか、そういうのばっか目に入ってくる訳よ
そういうの見ちゃったせいか、なんか買う気失せちゃってなぁ
よかった。
色々あったけど生きてきてよかった。
突然わけのわからない怖いのに襲われても笑顔で歌を届けるフレイアで泣いた。
ハヤテがフレイアに助けられた、と最初から一貫して言ってるなんかこう支え合いみたいなアレに泣いた。
生きてるとどうしようもない生活の垢がたまるし、時間はたつし、昔は感動できていた色々なものに「もうみた」と思いがちだけど、
劇場のスクリーンで、ワルキューレのライブが観れて、劇場でかがやくフレイアが観れてよかった。
カナメさんの歌を聴けてよかった。
激情のワルキューレは、テレビ版をみていたときの若かった私の、そのときの気持ち、もう失われて日常の中では絶対に思い出さない大事な気持ちを呼び起こしてくれた。
一話のライブシーンを見て、これはすごいアニメが始まったぞとワクワクした気持ちと、
バアル化した兵士を撃っちゃいけんとフレイアが命がけで守って、フレイアが歌えるように守ったハヤテの優しさや絆と、
ハヤテが飛べるように歌を届けるため飛んだフレイアの勇気と愛と、
テレビ版を追いかけて毎回感動してた私の気持ちが、劇場中盤の一話リバイバルなライブシーンで爆発して、「生きててよかった」と思った。
ワルキューレの歌は、次元を超えて、時間を超えて、ずっと私を支えてくれたんだと分かった。
美雲さんがみんなと歌いたいって言って泣かない人いる〜〜!?!?
ミラージュさんもかわいくてとてもよかったです。
マキマキはいつでもみんなを明るくしてくれて、テレビ版では女子親子にもサービスシーンが喜ばれてたけど本当に老若男女に親しめるかわいいアイドルだと思うし、
レイレイがそんなマキマキとかかわって柔らかくなるまでの軌跡も劇場で観れてとても贅沢でした。
前情報でカナメさんとメッサーくんが好きな人は観たらいいと言われていたけど、本当によかった。
カナメさんがメッサーくんを遠くの空で見送るだけでなく、受け止められて、よかった。ありがとう。
ひくほど泣いた。鼻も出た。
観終わった後「最高」「どう考えても最高」としか言葉が出なかった。
すばらしい物語、そして歌、命でした。