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電撃 - 『FGO』の衝撃とゲームシナリオ業界の激変。名前のないゲームコラム【電撃PS】
http://b.hatena.ne.jp/entry/dengekionline.com/elem/000/001/774/1774556/
なかなかおもしろい話だった
FGOは悪口こそ多方面で聞かれるが、「なぜあそこまでウケるのか?」という分析はほとんど見かけない
並み居る強豪を抑えて、収益がトップになったみたいな話もあったが
逆に言えば、分析出来ていないからマネ(パクり)も難しい、プロでも分析出来ていないという話かも知れないが
(他にも、「Wii Uがウケなくて、Switchがウケた理由」や「オクトパストラベラーがウケた理由(これは自分の中では
結論は出ている、書かないけど)」も大多数が合意出来るスッキリした結論、みたいなものは見たことがない)
とは言え、自分がFGOを語れるか?と言ったら、ほとんど語れないし、「ボンヤリとした印象」程度の話しか出来ないが、
極論すれば、かなり「文系」的な印象がある
何を言っているのだ?と言われそうだが、要するに、「演劇的」で、「プロレス的」、
画面もパッと見、ベルトスクロール格闘ゲームにも見えるが、「舞台を表現している」と言われればそう見えなくもない
ファンの熱気やガチャとの相性の良さ(沼感)も、舞台でのおひねりを思い起こさせるものがある
それで、やっていることと言えば、「ゲーム」というより、「ゲーム擬き(モドキ)」だと思うのだが
(「そもそもプレイヤーはゲームを求めているのか?」というより根本的な問題にも突き当たるし、
だからこそ、ゲームメーカーがFGOを上手くパクれないのだろうし、こういうゲームが流行る一方で、
その対極としてバトルロワイヤル系が流行ったりもしている訳だが)、
まるでそれは「Fate Stay/Night」のテーマの一つ(偽物と本物)にも繋がっているようでもあり、
JRPGな思想をさらに先鋭化させた先にFGOが立っていた、という話の様にも見える(FFよりFF的というか)
ただ、カニかまだからと言って、バカに出来る訳でもない、という話なのかなと
http://b.hatena.ne.jp/entry/portal.nifty.com/kiji/180615203159_1.htm
というか、日本に来るとなんでもカニかま化してしまう部分もあるのかも知れない(仏教なんかも含めて)
よって「極めて日本的なゲーム」とも言えるし、本物志向の人には嫌われる(西洋のインテリやゲーマー)
個人的には問題は、「金の使わせ方」にあると思うのだが、需要不足の日本でこういうパッと使える遊びというのは
必要なのかも知れないし、度が過ぎている部分もあるようにも見えるし、ロビー活動も間違いなくやっているだろうし、
金を使いたい人もいるのだろうし、結局、何らかの事件が起こった後でないと(西洋も含めて)、大胆な対応はされない
印象もある
この核家族化が進む世の中にあって、いまだに「家を継ぐ」という概念が存在する、そんなおうちの長男に私は生まれました。
江戸時代、徳川御三家の威光を受けて参勤交代だの江戸詰めだのでそれなりの栄華を極めましたが、明治維新によってすっかり没落してしまった武家がうちの本家であり、私の実家はその分家にあたります。
一時は地域一帯を治めていたこともあり、今では誰も使っていない土地もわずかではありますが残っています。
そしてそんな一族の歴史とは別に私の家にはもうひとつ別の顔、家業があります。それが宗教です。
キリスト教の教会や仏教の寺にあたるものが実家の家業なのです。
小さな頃から両親をはじめ、周囲からも後継者、跡取りとして期待され、私も幼いながら「大きくなったら家を継ぐのだろう」となんとなく感じて育ってきました。
しかし、今この歳になり、それでいいのだろうかと感じるようになりました。
周りは就職活動を始め、自分の人生を自分の足で歩いています。社会と関わり、社会の真ん中へ飛び込んでいく。しかし私は、学業を終えれば家を継ぐための準備に入ります。
いわゆる神職ですから、それを継ぐためのさまざまな勉強や修行に身を投じるわけです。社会との関わりはほとんどありません。信じがたいことですが、俗世とかけはなれた世界というのはこの平成の世にも存在するのです。
そして今、それを「なんだか嫌だ」と思うようになったのです。私もみんなと同じように社会に出て、普通の生活がしたい、と。
しかしこの気持ちを周りに伝えることはできません。今まで「この子が跡取りだ」と育ててくれ、多大なる期待をかけて見守ってくれた人を裏切るということが、やはり自分にはできないのです。そして、今でこそ嫌だと感じていてもそれまでの自分は「跡を継ぐんだ」と思って生きてきたのです。だからこそ、継ぐことを否定することは今までの自分の人生を裏切り、否定することにもつながるのです。
普通の家に生まれていればこんな風に悩まなかったのだろうかと何度も思いました。もっと自由に自分の将来について思いを巡らすことができたのだろうか、と。
もし「継ぎたくない」と言えば父や母はどんな顔をするのか、悲しむだろうか怒るだろうか。そう考えると話を切り出すこともできません。
将来や人生に対して展望が抱くことができず、長く暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日を過ごしています。一体これから先、どのような気持ちで人生に取り組めばいいのでしょうか...
答えは未だ出ないままです。
統合失調症やら引きこもりやらの個々人の具体的なきっかけや原因は千差万別なので参考になるかはわからないけど、自分は弟さん(追記:早とちりしたけど、お兄さんの可能性もあるか)と似た症状で3年くらい引きこもったことがあったよ。以下は自分語り多目で恐縮だけど参考までに。
当時の自分は自分を不甲斐なく思っていて、その自分を「以前の自分を知っている人」に知られるのが嫌だった。例えば、元同級生と出くわしそうな場所へは出かけたがらなかったし、近所の人ともできれば会いたくなかった。もっとも親しい友人にさえ顔を合わせることができなかった。
弟さんが出来ること・出来ないことを読んでみると、その辺がもしかしたら自分と似てるかもしれないと思ったよ。
まぁ個別の事情が異なるにせよ、おそらく誰にでも当てはまる事は、
①臓器としての脳の機能が弱っている
②認知の歪みが大きい
この2点のかけ算が社会生活に戻るためのハードルになっているということ。
①については発話能力や筆記能力が顕著に落ちた。段取り能力も落ちた。これはそういう能力を使う作業をすれば徐々に回復する。
弟さんの場合、家事はするそうなので日常作業に関してはあまり心配いらないかもしれない。仕事するための段取り力は不明だけど、やらなければならない事に漠然と圧倒されて身動きが取れないようであれば、GTDを習慣づけるのが自分には効いた。
それから、あらゆることへのやる気も顕著に落ちるんだけど、これを短期間で劇的に回復させる処方箋はないように思う。はてブの某先生がお題目のように唱えるアレを続けつつ、できる範囲を徐々に増やしていくと、結果としてやる気も回復していく。
②については最初に提案したようなカウンセリングを相性の良いカウンセラーにしてもらうか、それ関連の本を読んで自分で自分をカウンセリングするかが有効だと思う。自分の場合は本を読んで自分で自分をカウンセリングした。
と言っても、当時認知療法や森田療法を知っていたわけではなく、たまたま仏教の本を読んだ時に、自分の認知の歪みとその原因に気づいたといったところ。
とりとめなく書いたけど、我が身を振り返ると、引きこもりから脱するのも、脱してから引きこもる前の水準まで力を取り戻すのも、どちらも数年がかりだったよ。
弟さんのこともあまりせっつかず、長い目で見てあげてほしいと思う。時々会ってあれをしろこれをしろと言われたり、これからどうするつもりかと詰問されたりするよりは、安心して気の置けない会話ができることのほうが嬉しいし、力になると思う。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 66 | 10813 | 163.8 | 61.5 |
01 | 53 | 6532 | 123.2 | 41 |
02 | 20 | 4259 | 213.0 | 127.5 |
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人(210), 自分(186), 女(148), 男(127), 増田(126), 話(120), 今(93), 問題(93), 女性(90), 仕事(85), 人間(69), 前(67), あと(65), 結婚(65), 好き(65), 必要(61), 男性(61), ー(61), 婚(60), 相手(59), 普通(58), 意味(54), 関係(51), 痴漢(47), 金(47), 日本(46), 社会(46), 感じ(45), 気(45), 理由(45), しない(44), 気持ち(41), 理解(41), 他(40), 家事(39), 女性専用車両(39), 下方(38), 別(37), 最初(37), 絶対(36), 無理(36), 子供(36), 収入(36), レベル(36), 他人(36), 言葉(35), 車両(35), 可能性(34), 結局(34), 逆(34), 全部(33), 差別(33), 時間(33), 手(33), 頭(32), 今日(31), 周り(31), 人生(30), 結果(29), 馬鹿(29), 昔(29), ただ(29), 事実(28), 嫌(28), 会社(28), カジノ(28), 顔(27), サービス(27), 場合(26), 夫(26), 子(25), 全員(25), お金(25), ネット(25), じゃなくて(25), 心(24), 誰か(24), 目(24), 解決(24), 最近(23), 時代(23), 想像(23), 企業(23), キャラ(23), 生活(23), イベント(23), 専用(22), 程度(22), 反対(22), 完全(22), 状況(22), 情報(22), 声(21), 先(21), 世の中(21), 記事(21), 親(21), 大学(21), 自体(20), 判断(20), しよう(20), 内容(20), 一つ(20), 環境(20), 先生(20), 余裕(20), おっさん(20), 女子(20), 世界(20)
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「出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律や律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代や中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。
つまり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義の分派活動が生まれる。
キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教が律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動がイエス・キリストの活動だったから。
もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。
「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)
働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。
でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら
おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。
はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」
念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)
心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。
だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」
「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。
菜食主義=ベジタリアンなんだけど、ベジタリアンの中が複雑に別れているみたい。
オボ・ラクト・ベジタリアン (Ovo-lacto-vegetarian) 乳卵菜食
乳製品と卵は食べる。
ラクト・ベジタリアン (Lacto-vegetarian) 乳菜食者
乳製品は食べる。牛の胃の消化液であるレンネット(凝乳酵素)は食べない。
オボ・ベジタリアン (Ovo-vegetarian) 卵菜食者
卵は食べる(鳥や魚介類などの違いは問わない[要出典])。無精卵に限り摂る者もいる。
乳製品・卵、蜂蜜等の動物性食品を一切食べず、食用以外の、皮革製品・シルク・ウール、娯楽等の動物使用も排除する。食用以外の動物使用を避けないヴィーガンをダイエタリー・ヴィーガン (Dietary Vegan)という。
西洋では主にヴィーガンと同義で使われるが、インド社会においてはラクト・ベジタリアンを言う。
オリエンタル・ベジタリアン (Oriental Vegetarian) 仏教系の菜食主義者
ダイエタリー・ヴィーガンの一種[19][20]で、動物性食品のほか五葷(ごくん)を摂らない。食用以外の動物利用を必ずしも避けない。
フルータリアン (Fruitarian) 果食主義者、果物常食者
ダイエタリー・ヴィーガンの一種[21]で、果物、トマト、ナッツ類等、木に実り植物の生命に関わらない食品のみを食べる(例:桃は収穫後も木は死なないが、大根は死ぬ)。より厳格に、熟して落ちた実しか食べない人々もいる。
http://nogreenplace.hateblo.jp/entry/2018/07/20/190000
「善因善果」で、善意でやったことは良い結果で報われるであろう。
サンタさんしかり。お年玉しかり。いい子にしてるとご褒美もらえる。
家の前の畑に種をまいたらおてんとさんが一粒千倍にしてくれる。
これが現在は大きく崩された。
今年も災害がかなり重なった。
聞いているけれど、クーラーがあれば猛暑なんかで死なないですむのにバカだなあ、とか、
ダムで水なんかとめちゃえよー、とおもっている。
年寄りばかりじゃお米が採れない?なんで農薬とか田植え機とかつかわないの。とか。
そのクーラーをつけられないほど貧しい人や、
クーラーを動かす電力を火力発電だけで賄えない場合のこと、とか、
とりあえず市民をいじめているようにみえる知事をいじめておけばいいや。と行動する人も出る。
またおじいさん・ひいじいさんの世代の侵略戦争も判断能力を超える。
死刑採用している国の中では死刑囚がとても少ない日本では、コストをかけて容疑者を活かし、裁き、納得してから国が殺す。
これもなんとなく死刑がある国といわれれば外聞が悪いんじゃないかとは思っているが、
ではどうすれば犯罪が完全に発生しないようにするかは
欲望を押さえればいいだけだと、しつけや教育におしつけて口をぬぐう。
「善意」の悪意性がインターネットなどで見聞されるようになった。
小悪を叩いた自分が小悪としておもいっきり叩かれるとは思いもせずに。
これはもう、神様が「返報性強め」に設定しちゃった善なる国ならではの根深い病だと思う。
「がんばればいいことがある」の逆は「悪いことをすれば厳しく罰される」ではなく
「世の中につきつめればいいことも悪いこともない。一切は空だ」という鬱めの仏教のはずだったんだけどそれも廃れている。
なので、インターネットは免許制にして、仏教と棲み分けを必修で教えたらいいんじゃないのとおもう。
知らぬが仏を脱出しているのは知っていても仏であれる人だけだ、と。
オウム真理教の思想を読み解く上で、様々なキーパーソンが登場する。
オウム真理教が経営していたパソコンショップ「マハーポーシャ」では、ゲームで数学を学ぶ「数学勝利者」というロールプレイングゲームを販売していた。
イムホテプ (Imhotep, Immutef, Im-hotep, Ii-em-Hotep, Imuthes) は、古代エジプトの高級神官。第3王朝のジェゼル王に仕えた宰相とされる。また、エジプト第3王朝最後の王フニ王の時代まで活躍したとされる。
朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。
Nāropā (probably died ca. 1040 CE) was an Indian Buddhist Mahasiddha.
ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
上記5名が、どのようにオウム真理教の思想と関連しているのか?考察してみよう。
BBCで昔、「100名の最も偉大な英国人」て企画があったけど日本だとどうなるかね?
イギリスだと一位から、チャーチル、ブルネル、ウェールズ公妃ダイアナ、ダーウィン、シェークスピア、ニュートン、エリザベスI世、ジョン・レノン、ネルソン、クロムウェルと二位のブルネル以外は日本でも有名で政治家、軍人、王族、科学者、芸術家などで、まあそうだなって感じ。
日本だと、うーん、徳川家康、織田信長、豊臣秀吉、あと各幕府の創始者や足利義満、北条時宗、天皇だとどこから史実認定していいか微妙だけど、桓武や天智、明治昭和平成あたりが候補かな?宗教だと空海、最澄など仏教の開祖あたりかね?芸術だと、前近代だと北斎、松尾芭蕉、紫式部、近代以降なら夏目漱石、宮崎駿、黒澤明、手塚治虫、ギリで鳥山明くらいかな?科学だと湯川秀樹や江崎玲於奈などのノーベル賞受賞者たちか。
近代の政治家だと、田中角栄、佐藤栄作、伊藤博文あたりが入りそうだが、山県有朋や岸信介はかなり微妙?
軍人枠だと東郷平八郎と山本五十六、あと秋山真之、西郷隆盛、土方歳三?
企業家だと、河村瑞賢、岩崎弥太郎、本田宗一郎、豊田佐吉とかあたり?
オウム真理教の「アビラケツノミコト」とは、一体何だったのでしょうか?
アビラケツノミコトとは「軍神を率いる光の命」という意味の単語だそうです。
アビラケツノミコトの初出は、「トワイライトゾーン」1985年10月号(KKワールドフォトプレス刊)でした。
考証の資料として、原文を見てみましょう。
仏教用語。サンスクリット語a vi ra hūṃ khaṃの音写。以上の5音綴は,それぞれ万有の構成要素である地,水,火,風,空を表わし,大日如来の内面の悟りを表明するとされる。一般には,すべてのことを達成するための一種の呪文として用いられる。
地水火風空(a vi ra hūṃ khaṃ)のうち「風」(hūṃ)が揃ってないので、まだ不完全(未完成)な状態、という意味もあったようです。
最終的な理想国を築くために
神をめざす超能力者
レポート/■■■■■
今月号の口絵14ページで、空中浮揚の連続写真を紹介した麻原彰晃氏。彼は師にもつかずに、独自の修行でこのレベルに到達した。だが、この超能力者の目的は、はるか先にある。
彼は、特定の宗派の僧でもなければ、団体のトップに座す人でもない。人間の師ももたない。彼の修行は独自で、しかも数千年も伝わる聖典の奥儀なのである。
麻原氏が修行を思いたったのは今からわずか8年前である。世の中すべてのものに強い矛盾を感じたのだ。何もかもウソだ。自分さえもウソツキだ。まわり中のこと一切が限りなくイヤになった。
どうしたら正しく生きられるか。彼は、その日からすべてを捨て、行に入った。
行は毎日2~5時間に及ぶ。仙道、大乗仏教、密教、チべット密教、ヨガ。ひとつに執着せず、数数の修行法をとり人れ、自分が納得する形で行なっていった。
修行を始めると、様々な神秘的なことが起こりだした。たとえば、トランス状態での異言。
その時のテ―プを聞かせていただいた。東洋系の言葉らしいが、私としては、TVなどでも聞いたことのない言葉だ。口調はかなり激しい。過激な説法、または、訴えのように聞こえる。
「アジアの、インド、中国、チベット、その辺の言葉だと思います。おそらく、自分の過去生と関係のある言葉でしょう」
麻原氏が、修行8年にして空を飛ぶということは、過去生でかなりハードな修行をしていたに違いない。彼は、テ―プに吹き込まれた自分の口から発した言葉を訳せる人を希望している。でも、もしかしたら、現在ではすでに死滅してしまった言語かもしれない。
修行3年にいたったころ、彼の魂は彼の肉体を抜け出し始めた。「体が回転するような感じになったんです。ウォンウォンというモーター音に似た音がして、それからシューという音がしたんです。その時、魂が抜け出してゆきました。
抜け出した先で、魂は宇宙の星星を見たり、『人』と会ったりするんです」
こんなこともあった。シャヴァアサナ(屍のポーズ)をとり、トランス状態に入っていた。
彼は、大ス夕ジアムのようなところにいた。観客スタンドは、裸の僧で埋まっている。中心で、やはり裸の僧の彼が説法をしている。
「霊界での説法なんですね。私はそこで説法をして帰りました」
聖典を読んで帰ることもあるという。魂が、修行において気になることを調べに行くのだ。
「自分が現実で読む本を先読みしているのです。だから、実際に読む本の内容は、すでに知っていることが多いのです」
魂が抜け出さずとも、本の内容を理解していることも度々ある。修行中「ああ、これはこういうことなんだ」と感じた通り、後に読む本に同じことが示されている。
もちろん、修行に危険が伴わないわけではない。普通だったら死んでいるというような目にあったことも1度や2度ではない。
「その時は、自分の守護神に頼むのです。そうすれば、必ず、元のところに帰ってこられる」
麻原氏には、たくさんの信仰している神、守護している神がいる。彼は、それらの神々から修行法を学んでいるようである。
「トランス状態のとき、神々が現われることがあります。神々はヒントを与えてくれることもあります。または私が質問し、神が答える。質疑応容形式のこともあります。その中で得たのは、『生きることを否定せよ』ということです」
麻原氏は、いつも出会う神とはニュアンスを異にする3人の女性に出会っている。彼には、霊界人とも宇宙人とも感じられた。
「まず1度めは、5年前。妻の出産の時のことです。朝、自宅で目覚めるとロングへアで緑色の服を着たグラマーで美しい女性が、私に向かってオイデオイデをしているんです。
全身はエーテル体とも思えるもので、炎の赤をしているのです。髪の色は、全身の色を薄くしたような感じで、ジャンパースカートのような形の服に茶色のべルトをしめていました。
会話はありません。『私があなたを守護しているのです』と私に見せているように思えました」
2回めは2年前です。自宅で、眠る直前のことです。髪は肩まで垂らし、オレンジ色の服をきた目鼻立ちの美しい女性でした。体色は人間と同じでした。この時も会話はありません。
3回目は今年の5月。ここ(麻原氏の道場)でです。髪の長さは肩ぐらい。やはりオレンジ色の服ですが、体の色は、何というか、この世にない色なんです」
3人の女性たちは、共通して美しく、グラマーであり、口をきかない。決まって、彼の左側に現われる。そして、彼女たちが去った後、場の空気が揺らぐという。
「最後はいつも、霧のようにかき消えてしまいます。ひとつ修行が進むと、異なった人が現われるんです」
麻原氏は、これまで世に出ようとは考えなかった。ところが、ある時、声を聞いたのである。
彼は今、シャンバラのような王国、神仙の民の国を築く準備を開始するため、多くの人に修行法を関放する必要を感じた。
今年の5月のことである。彼は神奈川県三浦海岸で頭陀の行を行なっていた。五体投地をしていたときのことである。突然、天から神が降りてきた。神は彼に向かってこういった。
アビラケツとは、彼の初めて聞く言葉であった。彼は、サンスクリットを教えている人を訪ねた。
すると、アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者と判明したのである。
彼は、天から降りてきた神によって、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが登場することを知り、それまでアラビケツノミコトとして戦うように命じられたのである。
彼は考えた。チべットのような王国を造らなくてはならないことはわかっている。しかし、チベットは戦争を好まない国である。理想国を造るため、戦さを用いてよいのであろうか。
彼は、シヴァ神や、ヴィシュヌ神などの自分の信仰する神々や自分を守護してくれる神々に相談した。神々は「命を受けるべき」と返答した。
麻原氏は、神を感じるだけでなく姿を見るという。それによると、たとえばシヴァ神は、白銀のような色、ドライアイスのような色の神体を持っているという。
ところで、ここでいうシャンバラとは幻の国、聖人たちが住み、全宇宙の、そして過去から未来永劫に至るすべての英智が納められている国である。かつて、秦の始皇帝、アレクサンダー大王も求めてやまなかった土地なのだ。
シャンバラは、地下深くにあるといわれている。そして、地球上のある地点からは、シャンバラへの通路が開けているという。
その昔、チべットの首都ラサにあった古ポタラ宮の地下の一室はシャンバラへの入口であったと伝えられている。そこで、チべットはシャンバラの影響を受け、チべット密教を開花させたのだ。
聖者たちのひと握りの者たちはシャンバラを訪れることができる。そこで、ある者はシャンバラの住人となり、ある者たちは社会に戻り、許された者にだけシャンバラを伝えたのである。道教の祖・老子は、シャンバラの人になったといわれている。
麻原氏の話に戻ろう。
「2006年には、核戦争の第1段階は終わっているでしょう。核戦争なんて、ほんの数秒で終わってしまい主す。日本も死の灰の影響を受けているはずです。
核戦争は、浄化の手段ですね。だから、私は『ノアの箱舟』も信じられます。選りすぐったレべルの高い遺伝子だけを伝えるんです。
だけど、人が『自分の分け前をさいて人に与えよう』というように考えない限り、『浄化』はなくならないんですね。そういう気持ちになかなかなれないのが人間でしょう。
もし、それが真実でないとしたら、地獄・餓鬼・畜生・人間・阿修羅・天という六道はなくなってしまうでしょう。
私の目指すのは『最終的な国』なんです。それは、仏教的・民主主義的な国で、完璧な超能力者たちの国なんです」
そのためには、修行と解脱しかないのである。修行の意味を麻原氏に語っでもらった。
「修行とは、ジュースの1滴を、テ―ブルクロスの上に落とさず、水の中に落とす、ということなんです。1滴のジュースとは、人間のことです。1滴のジュースは、テーブルクロスの上に落とせば、ただのシミです。でも、水の中に落とせば広がるでしょう。
水の中にただ1滴のジュースを入れたって、水は色を変えないでしょう。でも、水の中には確実に1滴のジュースが入ったんです。
魂の根元的な状態ですね。拡散した1滴は、水の中のことすべてを知り、経験できるんです。これが空であり、寂静です。高次元に昇華した状態ともいえます」
大きな水がめの中の世界を体験している麻原氏の身辺は、アラビケツノミコトを任じられて以来、急転しだした。
修行で岩手県におもむいたときのことである。彼は、天からオリハルコン、またはヒヒイロガネと呼ばれる神秘の石を与えられた。
ヒヒイロガネとは、超古代文献『竹内文献』などにも登場する石である。神社の玉砂利のように滑らかだが、それよりずっとツヤがあって黒い。ズッシリと重たく、力ネの名の通り、金属的な感じの石なのだ。
水を張ったバケツに石を入れ、念を入れる。その石で円陣を作り円陣の中で瞑想する。
ヒヒイロガネは、手に入れた人誰にでもパワーを発揮するものではないという。念を入れられる者の手にわたってはじめて、パワーを与えられ、驚異の力を噴き出すらしい。
念を入れたヒヒイロガネは、多くの人々を同時にトランス状態にすることもできるという。この石については、いずれまた機会があったら報告したいと思う。
麻原氏に行法の一部を実際に行なっていただいた。
麻原氏は、座して、様々な印を結ぶ。印は2、3秒で変化する。
「これはチャクラ開発のための印です」
次に、立ち上がり、上半身を少し前方に傾けた。腸というか、腹の中がゴロゴロと動き出した。これは浄化法・ナウリのひとつ。腹にあるマニプーラ・チャクラの覚醒に役立つ行だ。
次は仰向けに寝てから足を天に持ち上げるショルダースタンドの形。空中浮揚に欠かせないビシュダ・チャクラの覚醒が目的だ。
それからライオンのポーズ。これは、クンダリニーの覚醒に必要なポーズである。
麻原氏の修行には、かなり危険なものも多い。たとえば浄化法のひとつで、幅7センチ、長さ3メートル半の布を呑み込むというものなどだ。この時は、呼吸ができなくなるほどだという。
彼は、修行中、シャヴァアサナに入ったとき、チャクラの光を度度見るという。
ちょうどフラッシュがパッパッと飛ぶような感じで、下のチャクラから順に光を放ち、同時にやはりフラッシュのような音がするという。音と画像がシンクロするのだ。
経験によると、音と光は様々な神秘体験には、共通して現われるらしい。たとえば未来や過去へタイムトリップするときは、マーチのリズムのような音、霊体が離脱するときはブーンという振動のような音。
これは、各種の教典とも矛盾しないという。そこで、そのような音を作って流せば、修行者は案外簡単にタイムトリップや霊体離脱を経験できるのではないかと麻原氏は考えている。
それでは、私たちがすぐにでもできる修行法について尋ねてみた。
「それは、まず何よりも五戒ですね。1が殺生をしないこと。蚊が自分の血を吸っていたら吸わしておくことです。
2が盗みを働かないこと。
3が誠実にして、ウソをつかないこと。
4が邪淫をつつしむこと。
5が禁酒すること。
以上の五戒に徹することですね。悪の行為をやめ、将来にするだろう善行をどんどんすることです」
集中的に瞑想などをしようと思うなら、空気のきれいなところの方が効果的だ。プラーナ(気)の満ちあふれた海や山を選ぶとよい。ただし、風のないところで行なう。地・水・火・風・空のエネルギーは、想像以上に誘惑的なのだ。
次に、食物は、玄米菜食の方がよい。1日に1回、または2回。または少しずつ、数回に分けて食べる。ヨーガの激しい修行をする行者の場合、日に1800~2000カロリーが理想といわれている。一般の人なら1200~1500カロリーで足りるだろう。ただ、カロリーと栄養とは異なるから、栄養はしっかり摂らなくてはならない。
「(日に)3食は獣の食事、2食は人間の食事、1食は聖者の食事という釈迦の言葉があるんですね。
でも、日に1食では、一般的には栄養が足りなくなってしまう心配がありますから。日に1度という場合は、夕方に摂るのが理想ですね」
玄米菜食だけで、スワジスターナ・チャクラ(腰・仙骨)までは開発できる。しかし、それより上のチャクラは、修行でしか開発できない。
「スワジスターナ・チャクラは植物を司るんです。ここが開発されれば、低い次元の超能力は身につきますね」
麻原氏は、腹のマニプーラ・チャクラが開くまでは、外食は一切しなかった。もっとも、化学物質などの変なものを食べることを体が受け付けなかった。
でも、今は多少腐ったものを食べようが何を食べようが平気である。火のエレメントがすべてを燃やしてしまうのである。
チャクラが開くということは、規制がなくなるということも意味しているのだ。
尾骨のムラダーラ・チャクラが開くと規制され、腰のスワジスターナ・チャクラが開けば性欲の規制がなくなる。腹のマニプーラ・チャクラが開けば食欲の、胸のアナハタ・チャクラが開けば行為の規制がそれぞれなくなる。
規制がなくなるとは、「何をしてもいい」ではなく、規制をせずとも自動的にコントロールされるということである。
「食べ物に気をつけるのもいいが、もっと大切なのは精神です。食物の害より精神の害の方がずっと悪いです。肉を食べたからってすぐ内臓が悪くなることはない。でも気持ちに及ぶ害は、すぐに体を悪くします」
つまり、肉体への栄養よりも精神への栄養の方が大切なのだ。適当な食事よりは、瞑想1時間の方がずっと栄養になるらしい。
「物質で人間は救えないということをもっとよく考えるべきなんですね」
正しい食事をし、正しい修行から得られるもの、それが超能力である。最近は、魂の浄化・向上こそ第1義で、超能力は邪道という考えも広まりつつあるので、麻原氏における超能力の実義をしてもらった。
「魂の進化・向上という考え方がありますが、それは、人間の魂が阿修羅・神々に至ることなんですよ。つまり、超能力の獲得と魂の進化・向上ということとは、矛盾しないばかりか、正しい相関関係にあるんですよ」
それゆえ麻原氏は自分を神に変える修行をし、「完璧な超能力者の集団」と彼のいうところのシャンバラ王国を設立するべく、神軍を率いて戦うのだ。
麻原氏のまず当面の目標は、自由自在に空を飛べる空中浮揚。それと、大脱身を成功させたいという。
「これは、アジナ・チャクラから自分の魂を抜き出させ、目的としている相手の身体に人る超能力のことです。これが可能になると、三界(欲界・色界・無色界)を自由に行き来できるんですよ。ここまでくると、もう人間といっていいかどうかわかりませんけどね。また、核戦争の脅威から身を守るには、極熱にどれぐらい耐えられるか、放射能をいかに防ぐか、ということになると思うんですよ。今の修行方法でそれに耐えられる身体はできると思っています」
麻原氏は、空中浮揚の初歩までの修行か達成した。しかしながらこれは、全修行の段階の4分の1にすぎない。生きているうちに、全部達成できればいいという。
「私は、ハ夕ヨガでいうところの解脱はすでにしています。真我も見ています。これから求めるのは仏教でいう真解脱です。それがいくつもの決め方がある解脱のうちでも最高のものとされています。
修行を達成した人間は、次の生を好きなように形づくれるという。麻原氏の中には、地球、自分、宇宙、神々……超大な計画がもくろまれているのかもしれない。
違いは何なんだろうか。
自分の会社は全社員が、自己啓発系の勉強に会社から行けといわれて行くことになってる。
そこを「I塾」とする。
そこでは、人間としてどうあるべきかとか、この塾を受講してよくなったって人の話が月1ペースである。
自分としては、まぁ会社の命令だからと、話半分、自分にとって都合の良いことを抜き出して毎回報告してる。
今日、新人君がその勉強会について社長に「宗教じゃないですか」と言っていた。
すると社長は「宗教じゃない。人間として当たり前の道徳の勉強だ。」と反論していた。
自分にとって、「宗教」と「勉強」は同じなんじゃないかと思う。って話をすると長くなりそうなので控えるとして、
と、いうより、オウム真理教の話題が最近尽きることがないので再確認したのだけど、「宗教」って「ネガティブな言葉」になってるんだと思う。
具体的にいうと、「宗教」はマインドコントロールや洗脳による教育というニュアンスが含まれている。
つまり、日本神教や、仏教、キリスト教などは宗教とは一線を画する崇高ななにかで、低俗な教えがはびこってるものは「宗教」というような空気がある。
でも、I塾は間違いなく宗教なのだ。なぜなら、塾長と呼ばれる人が仏教に精通していて、「お釈迦様は」とか「崇高な僧の○○がこう残した」とかいうテキストが多分にでてくる。xevraでは無いが、瞑想の素晴らしさを説いていらっしゃるし、悟りはなんたるかと言っている。
つまり、ほとんど仏教を塾長なりに噛み砕いて経営に持ってきたものが「I塾」の勉強テキストだと自分は思っている。
なので、自分のとってI塾とは、仕事をする上ではあまり役に立たないんだろうなという高度な数学や、漢文などと同じなのだ。
なので、宗教って言われても「宗教だ」と自分はポジティブに言うと思うのだが、どうやら社長は「宗教」と言われることについて物凄く怒っていて、今もその新人を社長室で説教している。昼ぐらいは解放してあげないとマズイだろ…。
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
仏教の原点に立ち返るって、
することなんだよね
(大化の改新以降の仏教はすべて神道OS上のアプリケーション)
何としてでも極刑にするのは
確定路線だった
そこで、待ったをかけたのが
死後に発動する秘術を
体得している恐れがあり、
消し去りたいのだが、
どうも、そこら辺の折り合いがつかずに
このタイミングを逃すと
数年執行を断念しなければならない
状況まで追い込まれた。。
お気持ちを汲んで、