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2018-07-07

朝生オウム vs 幸福の科学は本当に面白い

見直しているけれど、これは本当に日本の歴史に残るTV番組だ。

オウムの「既存日本仏教全部クソ。私達はもう一度ブッダの教えの原点に戻って仏教修行をするぞ」感から

伝わってくる彼らの知的誠実さ「感」は、確かにひっかかる人いるわコレ。

一方の幸福の科学wwww

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

anond:20180707011215

違います

死刑楽しい祭りなんです。

古来より人間公開処刑が好きでたまらない性なんですね。

仏教における修羅道入り口でもありますから

当然、人間性のあり方から批判されることになります

2018-07-04

インターネットでよく見るヤバイ教師ってほどでは無いけど、そういや自分小学校のある教師教育的にアウトだったんじゃないか最近思っている。

その教師教育方針はこうだった。

小学生のうちは何でも簡単に覚えられるから、どんどんいろんなものを暗記しようという考えだった。

最初は後々入試とかで覚える必要があるからという理由で「枕草子」や「平家物語」の冒頭を覚えさせた。本文の意味を教えてもらった記憶殆ど無い。

ちなみに、私の通っていた小学校では学年に1人ぐらいしか中学受験はしない。だから、その暗記した文章を使うのは何年も後の話で、その頃には私はほとんど忘れてしまっていた(これは私の記憶力の問題かもしれないが)。

私が違和感を覚え始めたのはその後ぐらいからだった。

つぎに暗記させようとしていたのは「雨ニモマケズ」だった。完全に教師趣味である。その教師の好きな作家が「宮沢賢治」だという理由だった。ほかに理由は無かったと思っている。

宮沢賢治の誌の中でも比較的わかりやすものだが、わざわざ覚える必要があるか?と感じている。あの詩は宮沢賢治思想が十二分に含まれているし、きっと小学生には理解できない。私を含め、ほとんどの同級生宮沢賢治の一生についてほとんど何も知らなかったからだ。彼の人生を知っていても、並の小学生時代背景を理解して文章を読み解けるのはほんの一握りだと思っている。これは小学生に限らないかもしれないが。

その次に暗記させたのは「般若心経」だった。これはひどい教育自分宗教を持ち込むなよと思う。私の家は仏教徒だがその他の生徒はどうだったのだろう。キリスト教イスラームの家庭かもしれない。宗教教育公立小学校でする必要はない。それを暗記させようとしていた頃には私はほとんど嫌気が差して覚えようとは思わなかった。記憶力の良い生徒は丸暗記していたし、それをクラスのみんなの前で流れるように唱えていた。あれは異様な光景だったと今なら思える。

この教師問題点を挙げるとするならば2点ある。

1つは宗教自由だ。日本人比較的に仏教徒は多いが、全員ではない。また、仏教系やキリスト教系などの学校では無い普通公立小学校である。つまり、他の宗教信仰している生徒がいる可能性があるにもかかわらず、特定宗教だけを教えるのは極めて不適切だと思っている。

2つ目に丸暗記の弊害だ。生徒は意味もよくわからずひたすら暗記するだけだった。果たしてそれに何の意味があるのだろう。まして、宗教文章となると無意識的に生徒の思想操作しているのと同じではないだろうか。

あの文章を暗記させていた教師教頭校長になっていると聞いたことがある。その教師は熱心に生徒と接していたので人気も高かった。きっと問題にならずに済んだのだろう。

この教師一般的だとは思わないし、思いたくないが、探してみると案外いるのかもしれない。この文章を読んで似たような体験をした人がいたらぜひ教えてほしい。

2018-07-03

50. 名も無き哲学者 2018年07月03日 03:47 ID:kCoxK.Pb0

古代インド人発見してヨガ仏教にも取り入れられた瞑想修業であるが、現代人はこの瞑想というものをあまりにも知らない

深い瞑想によって自分と外界の境界希薄になり、宇宙との合一感を得られるという

しか瞑想による「神秘体験」は実は催眠術と同様にオカルトとは関係がない

感覚遮断して深い瞑想状態に入ると脳の方向定位連合野活動が極端に低下するらしい

でも現代人は催眠術を知っていても瞑想を知らないから、瞑想修業による「神秘体験」にショックを受ける

高学歴インテリ青年ほど受けるショックは大きいと思う

そしてもし、この「神秘体験」を教えてくれた指導者カルト教祖だったらどうなるか?

ヒトは擽られると笑う。瞑想による不可思議感覚はそれと同様の単なる身体反応

現代人がそれを知識として持っていないと、これからカルト教祖に騙される人は絶えない気がする

2018-06-25

今回の先生がそうだしちょっと昔の黒船がそうだし原爆もそうだ

相手さんがこっちのメンツを立てて丁寧に出るとなぜか尊大に返す普通の日本人風習

差別しないで下さいと口頭で言うと鼻で笑いナイフをパッと出したら途端に何急に切れてんだ

相手をさんざん侮辱してきた自分に罪悪感を持たない文化

儒教仏教とどっちが起源なんだろう

人生地獄なのかもしれない

最近ふと思うんだけど、この世は地獄かもしれない。地獄っていうのは悪いことした人間が死後行く世界で、辛くて苦しい罰が待ってる。

私はこの人間界そのもの地獄なのかもしれないって思ってる。人間界にはすごい多くの枷がある。肉体、地位お金、色々ある。体調不良ってなんだろう。魂だけなら本来しまなくて良い部分でしょ。お金がなくて餓死寸前で苦しむっていうのも意味がわからない。ましてや精神疾患ってなんだよ。人間関係で苦しむなんて。脳なんてものがあるから苦しむんでしょう。

中には「楽しいこともある」って言う人もいるけど、こんなに苦しいことばかりの人生の中にある「楽しいこと」っていうのは洗脳DVの手口と全く同じなんだよ。

「苦しいけど、楽しいことがあるから生きてられる」とか言うけど、「あの人お酒飲むと暴れるけど、本当は優しいの」って言うのと同じなんじゃないか

この世はたまに優しさを見せて痛めつけるDV夫と同じような地獄。どんなに徳を積んで他人に優しくしても、無駄

本当の地獄は、今よりもっと辛いよって言う人もいるかもしれない。ずっと針に刺されたり、火に焼かれるかもしれない。

でもランニングだって、ずっと走ってればだんだん慣れてくるでしょ。走った後歩いて、そしてまた走る。っていう行為の方が数倍疲れる。心拍数に幅があるから適応出来ない。だからこそこの世の人間界の人生は、辛くて苦しい。

私は人のために優しくすることが、その人のためになると思ってた。でも違うのかもしれない。DV男の優しさのように、もっと人を苦しめてるだけなのかもしれない。

私も人に良いことをして、感謝されると嬉しいけど、無下にされると悲しい。

人間同士、お互いがDV男になっているのかもしれない。

そして今は、だんだんと考えるのが面倒になってきた。これが大人になるってことなのかもしれない。でもも考えるのをやめたら、私が嫌だなって思う大人になってしまうのかな。

私が嫌だなって思う人って、本当にこの世に生きている人たちなのかな。もしかしてNPCなのかもしれない。私たちを苦しめるために生まれたノンプレイヤーキャラ。中身なんて無くて、ただ標的を自動攻撃するために設置されてる。電車のよくわからん足踏んだり、痴漢してくるおっさん、嫌味を言うおばさん、イジメをする同級生、わけがからないままデモに参加する人がそれ。なぜそんなことをするのか、よくわからない、見てるだけで心が痛む存在

解脱こそ救い。と信じた昔の仏教のえらい人たちの気持ちがとてもよくわかる。

今でこそ「そんなわけないじゃん」と鼻で笑えるけど、遠い昔に生まれていたら、私も修行していたかもしれない。

本当に死にたい。「あ、今日ハンバーグ食べたい」ぐらいナチュラル死にたいが襲ってくる。

鬱病ってこういうこと?って思ったけど、思えば物心ついたあたりからこんな感じだし、病院にいって話しても、わけがからないやつだ。と一蹴されて薬だけ出される。

同じように、死にたい。と言って「親がかわいそうだ」「なんでそんなこと言うんだ」とか言う人に、上記説明しても無駄なんだ。宇宙人みたいに言葉が通じなくて、頭の中に「?」がいっぱいになって風船が爆発したみたいに怒ってるだけ。そこに考えなんて無くて、ただ「死にたい」を言われると、生きている自分自身否定されたかのように錯覚してるだけ。脳の異常だって言うだけ。

でも本当にそうなのかな?鬱病って、脳の異常なのかな?そもそも正常ってなんだろう。鬱病の人って、このことに気がついた人なだけな気がするのよね。

みんなどうしてわからないんだろう。この世の地獄に。なぜ気がつかないのだろう。この世の不条理に。

こんなこと、気がついてしまわなければよかった。ずっとわからないまま、人生を楽しく終えたかった。

はやく安楽死、させてほしい。お願い。

anond:20180625031353

仏教には「不悪口」って戒めがあってな。「悪口を言ってはならん。fuck!」ってな。

口の悪い人はギャングにぶち殺されてしまうんだ。

同様に「地獄」にも悪口に関する地獄ってのがあってな。悪口ってのは基本死に値するくらいの罪だとされてるんだ。

ならばこそ、口の悪いヲチャーかい人種は相応に罰を受けてしかるべきであり、

罰を受けても構わないという人間のみヲチャーという仕事を続けるべきなんだな。

まあ、なんてーか「覚悟せいや」っちゅーことやな。

2018-06-21

オウムネコ空虚もの

死刑云々は措くとして、例の「真相究明の会」やその賛同者のなかに「教団はあれだけの不可解な事件を起こした。教祖はその経緯について真相を語っているようには思えない。その内心にはきっと謎を解く手がかりがあるはずだ。それを知りたいのだ。これは倫理的な使命でもある」という興味や関心や感情があるとすれば、

それは、

超常現象を「体験」させられた(ある程度の知識手段があれば主観的超常現象経験させることはできる)高学歴の人びとが、「何かとんでもないことが起こった」「この男は解脱しているようだ」「世界観が覆ってしまった」と感じて、教祖を圧倒的に不可解な存在(「すごい」)と感じるようになり、つまり教祖に関心をもち、「教祖の考えこそが世界の鍵なのだ」「教祖のようになって世界の真の姿を知りたい」「教祖に近づきたい」「そうすることだけが正しい生き方だ」と感じるのと似ている。戯画的なまでに。

その意味で、あの教祖はやはり(残念ながら最悪の意味において)稀有宗教者として生き、死んでいっているように思える。

そして、

それは本来的な仏教サンガ、つまり釈迦は悟ったらしい」「わたしたち悟りを開きたい、けれどどうすればいいかからない」「釈迦の教えを実践して釈迦の内心に近づこう」「それは正しい生き方なのだ」という運動の発生とも似ている。

あるいは、

神の血を引いているとされる、何の力ももたない人間がすべての権勢を吸引する圧倒的な負圧としてふるまい、その伺い知れぬ「内心」に国民が平伏し生命を捧げてきた国の歴史にも似ている。

もっといえば、

飼い猫の目を覗きこんで、「何かを考えていそうな顔をしている」「きっとこの猫には内心がある」「こちらの思いも通じるはずだ」「心の通いあいこそが尊いのだ」と思う、猫好きな人間にも少し似ている。果たしてその小さな動物に魂や内面はあるのだろうか。

家族で飼っていた猫が死んで眠れない夜に、人は本当に些細なことで宗教的なものに触れてしまうのだろうと思った。

2018-06-16

ネット見てると、仏教好きな人選民思想持ってる感じなんだよな。あれ不思議

2018-06-13

anond:20180613173455

仏教神道儀式を行う家庭が、子供に盆や正月に付き合わせることは虐待か否か?という問題に似てるかもね。

仏教神道一般的と言うならエホバでも良いし幸福の科学でも良いわ。

2018-06-11

anond:20180611133547

宗教にはそもそも宗教名なんてなくて、後世の人達が分類するために便宜上与えた名前

なので北欧神話ケルト系を中心とした信仰ドルイド教呼称することが多い

から神道とか仏教とかキリスト教とかも実際には便宜上宗教名なわけだ

諦めが肝心だと分かっても納得できない

から1ヵ月後、婚姻届を出す予定だった。

ただ、両家顔合わせが済んでいない。

顔合わせしようと求めても応じない。

3ヶ月経過したけど、喪に服したいから祝い事は無理らしい。

1年。今から1年は無理。「気持ちが伴わないか行きたくない」ということも言われた。

40過ぎの人が「今年ゎ無理」という「ゎ」を多用しながら打ってきた。

色んな意味でガックリ来た。

溝を深めたくないのであれば、婚姻来年にすべきってのも分かる。

私の親は「今年」と決めていた。同棲から1年程度で結婚すべきと条件をつけていた。

親も「もうそろそろか」と思っていた矢先、顔合わせすら無理という結論に至った。

私の両親は悲しいだろう。そして、彼親は違う意味で悲しいんだろう。

顔合わせって祝い事か……?

両家でご飯食べるだけなのに? もしや、外食も行かない、古いしきたりの家か?

でも、お墓も持ってなかったし、仏教でも何教でも無かった。

気持ちは分かるんだけど、こちらの気持ちを踏みにじっているのは分かるのだろうか。

申し訳ないんだけど」の一言も何もなく「無理」と却下され、さらには

「お祝い事できる気分じゃないから」で終わらせる。

そんなにお気持ちお察ししないといけない??

私と、私の両親の期待を踏みにじっているのに、一番の被害者面して楽しい?

こちらの祖母も亡くなっているけど?(祖母希望は私が早く結婚することだった)

悔しい。どうにもならないし、どうにかなる問題でも無いから悔しい。

ムカツク

彼に当たったって仕方ないけど、彼にキレてケンカもした。

彼が彼母に言ったところでどうしようもないという結果は分かってるけど、

私自身の気持ちもどうしようもなく、抑えられなかった。

イラつきすぎて昨日死にたくなった。本当は死にたくないけど首絞めたりした。

痛くないのであれば、消えたいとも思った。

単にストレスが溜まって爆発しそうなんだろうけど。

あー、何もかも嫌だ。

今度仕事休もうかな。

2018-06-10

anond:20180610120124

だいじょー仏教仏陀名前をかたって全然ちがうことを主張してるんだから邪教の定義だろ

ブッダが残した高潔な心をただの金と権力ツールにしてさあ

自分らが新設した概念地獄にまず自分らが入ってそう

2018-06-09

anond:20180609215336

めんどくせえなお前

釈迦の説いた仏教とは決定的に相容れない立場だってことは理解しとけよ

ってとこまで譲歩すりゃ満足か?

anond:20180609214908

そういう立場に立つことは自由だけど、その立場採用した時点でそれもう仏教じゃねえからなって話だよ

2018-06-08

秋葉原無差別殺傷事件から10

最近過去社会的意味合いが強い事件の振り返りニュースときに、仏教の年回忌を節目にすることが減った気がする。

これもPCの一環かな、悪くないなと思う。あれ、覚えにくくて困るから元号と同じぐらい現代スタイルにしてほしいランキング上位だ。毎年、とか2年、5年毎とかでいいじゃんね。

2018-06-06

承認欲求はないけど崇められたい

マズローピラミッド理論によれば、

下位の欲求に満足することで己のStageが上がっていき、

欲求もより高次なものになっていく。

最終的にどんなStageにたどり着くか。

つの答えは「悟り」だろう。これは仏教

しかし崇められたいというのでもいいのではないだろうか?

崇める方も、それにより、不安が飛び次のStageに昇格できるかもしれない。

私はお前たちに承認されたいわけではないので、この辺で終わるな

2018-06-05

「寝るのが趣味」とか言うやつ

いから思ったんだけど、

みんな、はっきりとした意識なんていらないのかもな。

だって、だいたいの人が好きな

⚫寝る

お酒を飲む(大脳麻痺させる)

⚫好きなことに没頭する

これって、はっきりとした意識をなくす(意識レベルを低する)ことだよな。

意識レベルが低くなる→いやなことを忘れられる→楽しい、らくって感じ。

仏教でも「あれやこれやと考える煩悩こそが苦しみ。」って言うらしいし。

まりさ、僕らが意識レベルを低くするのを楽しみに仕事をしているなら、勉強しているなら、頑張って、努力し、苦しんでいるなら、、、

なんでわざわざ「意識を持って生きる」ということをしてるんだ?という矛盾に気づいてしまってむなしくなったんだよね。

2018-05-21

anond:20180521024014

わかる。

教養をまといたいなら、仏教中国からの書を読めばいいよ。

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