はてなキーワード: 仏教とは
見直しているけれど、これは本当に日本の歴史に残るTV番組だ。
オウムの「既存の日本仏教全部クソ。私達はもう一度ブッダの教えの原点に戻って仏教の修行をするぞ」感から
伝わってくる彼らの知的誠実さ「感」は、確かにひっかかる人いるわコレ。
一方の幸福の科学wwww
「演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。
「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。
だとすると、
これは正しい。
まずそもそも「日本」という単位自体がナショナリズムそのものといっていい。
ゲルナーは『民族とナショナリズム』において"政治的単位と民族的単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。
肯定する場合でも否定する場合でも主語を日本にしてしまうとそうなる。
国家及び民族を主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。
ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。
もし仮に、日本は古来から文化的に排他的で海外のものを寄せ付けなかった、とかいう歴史的事実が存在するのであれば、
「演歌はもともと西洋音楽だから日本の伝統ではない」というのは正しいと思います。
箏も三味線も、もともとは海外のナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外のナウい音楽ジャンルだったわけす。
仏教がインド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。
当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除したか。何をナウいと考え、何をダサいと判断したか。
そういった当該社会集団による意図的な選択の連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。
また、楽器で例えるなら韓国の伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。
文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択と判断が生じている。
雅楽だって日本と韓国は昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。
その価値判断を伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。
たとえばですよ、
正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽と邦楽のハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。
だから、
という意見もあるわけです。
で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。
いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点で分析する奴は今日びいないです。
伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。
なぜならその枠組み自体が幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。
「伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、
とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。
「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、
ということを哲学の問題として、きっちり論理的に説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。
とっくに議論されています。伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。
ヘルダー、ダールハウス、タラスキン、ヴィオラ、リーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。
特に19世紀のヨーロッパはナショナリズムと芸術の関係が盛んに論じられていたので、
この分野の先行研究として学びがある。ロシア、スペイン、フィンランド、ハンガリーなどなど。
繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし
割と最近はテレビやラジオが地方の地方性を駆逐したのではという話もあって面白い。
北海道も沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、
それが国家の音楽、民族の音楽だと大衆に勝手に読み替えられているという話ね。
音楽って人間の社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間の音楽性』の指摘だが、
あれ、演歌の話どこいった。
インターネットでよく見るヤバイ教師ってほどでは無いけど、そういや自分の小学校のある教師は教育的にアウトだったんじゃないかと最近思っている。
小学生のうちは何でも簡単に覚えられるから、どんどんいろんなものを暗記しようという考えだった。
最初は後々入試とかで覚える必要があるからという理由で「枕草子」や「平家物語」の冒頭を覚えさせた。本文の意味を教えてもらった記憶は殆ど無い。
ちなみに、私の通っていた小学校では学年に1人ぐらいしか中学受験はしない。だから、その暗記した文章を使うのは何年も後の話で、その頃には私はほとんど忘れてしまっていた(これは私の記憶力の問題かもしれないが)。
つぎに暗記させようとしていたのは「雨ニモマケズ」だった。完全に教師の趣味である。その教師の好きな作家が「宮沢賢治」だという理由だった。ほかに理由は無かったと思っている。
宮沢賢治の誌の中でも比較的わかりやすいものだが、わざわざ覚える必要があるか?と感じている。あの詩は宮沢賢治の思想が十二分に含まれているし、きっと小学生には理解できない。私を含め、ほとんどの同級生は宮沢賢治の一生についてほとんど何も知らなかったからだ。彼の人生を知っていても、並の小学生は時代背景を理解して文章を読み解けるのはほんの一握りだと思っている。これは小学生に限らないかもしれないが。
その次に暗記させたのは「般若心経」だった。これはひどい。教育に自分の宗教を持ち込むなよと思う。私の家は仏教徒だがその他の生徒はどうだったのだろう。キリスト教やイスラームの家庭かもしれない。宗教的教育は公立の小学校でする必要はない。それを暗記させようとしていた頃には私はほとんど嫌気が差して覚えようとは思わなかった。記憶力の良い生徒は丸暗記していたし、それをクラスのみんなの前で流れるように唱えていた。あれは異様な光景だったと今なら思える。
1つは宗教の自由だ。日本人は比較的に仏教徒は多いが、全員ではない。また、仏教系やキリスト教系などの学校では無い普通の公立小学校である。つまり、他の宗教を信仰している生徒がいる可能性があるにもかかわらず、特定の宗教だけを教えるのは極めて不適切だと思っている。
2つ目に丸暗記の弊害だ。生徒は意味もよくわからずひたすら暗記するだけだった。果たしてそれに何の意味があるのだろう。まして、宗教的文章となると無意識的に生徒の思想を操作しているのと同じではないだろうか。
あの文章を暗記させていた教師は教頭か校長になっていると聞いたことがある。その教師は熱心に生徒と接していたので人気も高かった。きっと問題にならずに済んだのだろう。
この教師が一般的だとは思わないし、思いたくないが、探してみると案外いるのかもしれない。この文章を読んで似たような体験をした人がいたらぜひ教えてほしい。
50. 名も無き哲学者 2018年07月03日 03:47 ID:kCoxK.Pb0
古代のインド人が発見してヨガや仏教にも取り入れられた瞑想修業であるが、現代人はこの瞑想というものをあまりにも知らない
深い瞑想によって自分と外界の境界が希薄になり、宇宙との合一感を得られるという
しかし瞑想による「神秘体験」は実は催眠術と同様にオカルトとは関係がない
感覚を遮断して深い瞑想状態に入ると脳の方向定位連合野の活動が極端に低下するらしい
でも現代人は催眠術を知っていても瞑想を知らないから、瞑想修業による「神秘体験」にショックを受ける
そしてもし、この「神秘体験」を教えてくれた指導者がカルト教祖だったらどうなるか?
相手さんがこっちのメンツを立てて丁寧に出るとなぜか尊大に返す普通の日本人の風習
最近ふと思うんだけど、この世は地獄かもしれない。地獄っていうのは悪いことした人間が死後行く世界で、辛くて苦しい罰が待ってる。
私はこの人間界そのものが地獄なのかもしれないって思ってる。人間界にはすごい多くの枷がある。肉体、地位、お金、色々ある。体調不良ってなんだろう。魂だけなら本来苦しまなくて良い部分でしょ。お金がなくて餓死寸前で苦しむっていうのも意味がわからない。ましてや精神疾患ってなんだよ。人間関係で苦しむなんて。脳なんてものがあるから苦しむんでしょう。
中には「楽しいこともある」って言う人もいるけど、こんなに苦しいことばかりの人生の中にある「楽しいこと」っていうのは洗脳やDVの手口と全く同じなんだよ。
「苦しいけど、楽しいことがあるから生きてられる」とか言うけど、「あの人お酒飲むと暴れるけど、本当は優しいの」って言うのと同じなんじゃないか。
この世はたまに優しさを見せて痛めつけるDV夫と同じような地獄。どんなに徳を積んで他人に優しくしても、無駄。
本当の地獄は、今よりもっと辛いよって言う人もいるかもしれない。ずっと針に刺されたり、火に焼かれるかもしれない。
でもランニングだって、ずっと走ってればだんだん慣れてくるでしょ。走った後歩いて、そしてまた走る。っていう行為の方が数倍疲れる。心拍数に幅があるから適応出来ない。だからこそこの世の人間界の人生は、辛くて苦しい。
私は人のために優しくすることが、その人のためになると思ってた。でも違うのかもしれない。DV男の優しさのように、もっと人を苦しめてるだけなのかもしれない。
私も人に良いことをして、感謝されると嬉しいけど、無下にされると悲しい。
そして今は、だんだんと考えるのが面倒になってきた。これが大人になるってことなのかもしれない。でももし考えるのをやめたら、私が嫌だなって思う大人になってしまうのかな。
私が嫌だなって思う人って、本当にこの世に生きている人たちなのかな。もしかしてNPCなのかもしれない。私たちを苦しめるために生まれたノンプレイヤーキャラ。中身なんて無くて、ただ標的を自動攻撃するために設置されてる。電車のよくわからん足踏んだり、痴漢してくるおっさん、嫌味を言うおばさん、イジメをする同級生、わけがわからないままデモに参加する人がそれ。なぜそんなことをするのか、よくわからない、見てるだけで心が痛む存在。
解脱こそ救い。と信じた昔の仏教のえらい人たちの気持ちがとてもよくわかる。
今でこそ「そんなわけないじゃん」と鼻で笑えるけど、遠い昔に生まれていたら、私も修行していたかもしれない。
本当に死にたい。「あ、今日はハンバーグ食べたい」ぐらいナチュラルに死にたいが襲ってくる。
鬱病ってこういうこと?って思ったけど、思えば物心ついたあたりからこんな感じだし、病院にいって話しても、わけがわからないやつだ。と一蹴されて薬だけ出される。
同じように、死にたい。と言って「親がかわいそうだ」「なんでそんなこと言うんだ」とか言う人に、上記を説明しても無駄なんだ。宇宙人みたいに言葉が通じなくて、頭の中に「?」がいっぱいになって風船が爆発したみたいに怒ってるだけ。そこに考えなんて無くて、ただ「死にたい」を言われると、生きている自分自身が否定されたかのように錯覚してるだけ。脳の異常だって言うだけ。
でも本当にそうなのかな?鬱病って、脳の異常なのかな?そもそも正常ってなんだろう。鬱病の人って、このことに気がついた人なだけな気がするのよね。
みんなどうしてわからないんだろう。この世の地獄に。なぜ気がつかないのだろう。この世の不条理に。
こんなこと、気がついてしまわなければよかった。ずっとわからないまま、人生を楽しく終えたかった。
はやく安楽死、させてほしい。お願い。
死刑云々は措くとして、例の「真相究明の会」やその賛同者のなかに「教団はあれだけの不可解な事件を起こした。教祖はその経緯について真相を語っているようには思えない。その内心にはきっと謎を解く手がかりがあるはずだ。それを知りたいのだ。これは倫理的な使命でもある」という興味や関心や感情があるとすれば、
それは、
超常現象を「体験」させられた(ある程度の知識と手段があれば主観的な超常現象を経験させることはできる)高学歴の人びとが、「何かとんでもないことが起こった」「この男は解脱しているようだ」「世界観が覆ってしまった」と感じて、教祖を圧倒的に不可解な存在(「すごい」)と感じるようになり、つまり教祖に関心をもち、「教祖の考えこそが世界の鍵なのだ」「教祖のようになって世界の真の姿を知りたい」「教祖に近づきたい」「そうすることだけが正しい生き方だ」と感じるのと似ている。戯画的なまでに。
その意味で、あの教祖はやはり(残念ながら最悪の意味において)稀有な宗教者として生き、死んでいっているように思える。
そして、
それは本来的な仏教のサンガ、つまり「釈迦は悟ったらしい」「わたしたちも悟りを開きたい、けれどどうすればいいか分からない」「釈迦の教えを実践して釈迦の内心に近づこう」「それは正しい生き方なのだ」という運動の発生とも似ている。
あるいは、
神の血を引いているとされる、何の力ももたない人間がすべての権勢を吸引する圧倒的な負圧としてふるまい、その伺い知れぬ「内心」に国民が平伏し生命を捧げてきた国の歴史にも似ている。
もっといえば、
飼い猫の目を覗きこんで、「何かを考えていそうな顔をしている」「きっとこの猫には内心がある」「こちらの思いも通じるはずだ」「心の通いあいこそが尊いのだ」と思う、猫好きな人間にも少し似ている。果たしてその小さな動物に魂や内面はあるのだろうか。
ただ、両家顔合わせが済んでいない。
顔合わせしようと求めても応じない。
1年。今から1年は無理。「気持ちが伴わないから行きたくない」ということも言われた。
40過ぎの人が「今年ゎ無理」という「ゎ」を多用しながら打ってきた。
色んな意味でガックリ来た。
溝を深めたくないのであれば、婚姻は来年にすべきってのも分かる。
私の親は「今年」と決めていた。同棲から1年程度で結婚すべきと条件をつけていた。
親も「もうそろそろか」と思っていた矢先、顔合わせすら無理という結論に至った。
私の両親は悲しいだろう。そして、彼親は違う意味で悲しいんだろう。
顔合わせって祝い事か……?
両家でご飯食べるだけなのに? もしや、外食も行かない、古いしきたりの家か?
でも、お墓も持ってなかったし、仏教でも何教でも無かった。
気持ちは分かるんだけど、こちらの気持ちを踏みにじっているのは分かるのだろうか。
「申し訳ないんだけど」の一言も何もなく「無理」と却下され、さらには
「お祝い事できる気分じゃないから」で終わらせる。
そんなにお気持ちお察ししないといけない??
私と、私の両親の期待を踏みにじっているのに、一番の被害者面して楽しい?
こちらの祖母も亡くなっているけど?(祖母の希望は私が早く結婚することだった)
悔しい。どうにもならないし、どうにかなる問題でも無いから悔しい。
ムカツク。
彼に当たったって仕方ないけど、彼にキレてケンカもした。
彼が彼母に言ったところでどうしようもないという結果は分かってるけど、
イラつきすぎて昨日死にたくなった。本当は死にたくないけど首絞めたりした。
痛くないのであれば、消えたいとも思った。
単にストレスが溜まって爆発しそうなんだろうけど。
あー、何もかも嫌だ。
今度仕事休もうかな。